見山 謙一郎
昭和女子大学 人間社会学部 現代教養学科 教授
株式会社フィールド・デザイン・ネットワークス 代表取締役 CEO
専門は経営社会学。社会課題起点でビジネスを想像し創造する “Business for Re-Designing Society”の活動を産官学金民の枠を超え、クロスボーダーで展開中。環境省、総務省、林野庁などの中央省庁の他、墨田区や川崎市など地方自治体の行政委員をつとめる。また、国際NGOメドゥサン・デュ・モンド・ジャポン(世界の医療団)理事、公益財団法人三井住友銀行国際協力財団評議員などの役職を兼務している。
あらためて自分の足もとを見たとき、社会人になってからの軸足の軌跡がありました。一番古い軌跡は、大学卒業後に就職した銀行員としてのものでした。バブル絶頂期に就職した銀行には、その後15年半勤務し、個人取引から中小企業取引、そしてバブルの後始末としての不良債権処理を経て、大企業取引を担当しました。リアル半沢直樹のような銀行員生活は、今振り返ればとても厳しいものでしたが、社会人としての基礎や組織人としての振舞い、そして企業経営者の矜持を学ぶことが出来ました。最前線で日本経済の動向を見ることが出来たことは、今思えば俯瞰的な視点を養うことに繋がったと思います。
次に古い軸足の軌跡は、銀行員としての軸足から大きく乖離するものでした。論理的思考の権化のような銀行員から、こともあろうに真逆の「感性の世界」に軸足を移したのです。日本を代表する音楽業界のトップクリエーターと一緒に仕事をすることになろうとは、大学卒業時には全く思いもしないことでした。アーティストが設立した環境問題に取り組む人たちを支援する非営利の金融組織に金融経験者として参画したのです。考え方の違いに大きなカルチャーショックを受けましたが、同時に自分自身の中に眠っていた感性を呼び覚ますことが出来ました。この時の体験が、自分らしい今の自分に気づくきっかけになったと思います。
アーティストと活動を始めてから3年後に、軸足が大きく移動しています。自分が起業しようとは・・・。またもや、全く考えもしなかったことが起こったのです。当時(2009年)は、社会に環境問題が認知された時期で、環境問題と経済活動を繋ぐコンサルタントしての活動を始めました。また、同じ時期にその軸足を起点にもう一つの活動を始めています。これも思いもしなかったことですが、非常勤の大学教員として開発途上国の社会課題に取り組むようになったのです。母校がノーベル平和賞を受賞したバングラデシュのグラミン銀行との連携プロジェクトを実施するにあたり、金融と非営利活動の両方を理解している人材を探す中で、私に白羽の矢が立ったものです。本当に自分自身の人生ではありますが、どこに向かうかは自分では予測できないものだということを痛感しています。その後、自分自身の事業を軸足に、非常勤で大学教員をつとめる生活が15年くらい続きました。
そして、2024年4月に社会人になってから4回目の軸足移動がありました。それが現在の昭和女子大学の専任教員としての軸足です。非常勤教員を15年間つとめる中で、あらためて自分自身の役割を考える中、辿り着いた結論が専任教員になる、ということでした。それは自分自身の経験を、未来を担う学生に伝えたいということではなく、私自身が学生とともに学び合い、未来をつくる当事者になりたいと考えたからです。教育とは教員と学生との双方向の学びからしか生まれない、ということをずっと感じていたことから、齢57にして軸足を移す覚悟を決めました。
これまでの足もとの軌跡を見て思うことは、全ての軌跡が繋がって今がある、ということです。ここには詳しく述べていませんが、自分の意志で軸足を移動させたこともあれば、やむなく軸足を移したものもあります。また、軸足を動かそうにも、なかなか動かせなかったこともあります。この先、世の中が大きく変化する中で、私自身の軸足がどこに動こうとも、これまでのように足もとの軌跡は必ず繋がっているはずです。
先の見えない時代の真っ只中に、今私たちはいると思いますが、立ち止まることは許されません。どんなに小さな行動であっても、今、この瞬間の取り組みの1つ1つが、確実に未来に繋がっていると思うと、少しだけ前向きな気持ちになれます。今年も一瞬一瞬を噛みしめながら、予定調和に行かない自分の人生を楽しみたいと思います。