寄稿


足元から未来 「無量寿」

松風 里栄子
サッポロホールディングス株式会社 常務取締役
株式会社センシングアジア 代表取締役

㈱博報堂、㈱博報堂コンサルティングを経て㈱センシングアジア創業、2016 年ポッカサッポロフード&ビバレッジ㈱、2018年からPokka Pte. Ltd のグループCEOとしてシンガポールに在住、経営再建しつつ60か国以上をマネージ。2022年日本に帰国し現職。ターンアラウンド、M&A、グローバルマーケティング分野で豊富な経験を持つ。

 新年という心改まる時期に、未来への希望や目標となる明るい話題を語りたいと思っていました。混沌の中のきらめきを見つけたいと思ってきました。ただ自分の心が、初日の出のような希望に満ちた前向きな、いわゆる「動」のエネルギーに溢れる状態にどうしてもならないのです。むしろ、安らかに、穏やかに過ごせる未来という「静」の未来を描いていきたい、そのような心持の日々であります。地球、社会、そして自分と人々の心の健康を持続させたい。そのためのゆるやかな変化が連続的に起こり続ける延長線上に未来を見たいと感じています。
 思えばここ十数年、クオンタムリープのあるいはクオンタムチェンジの渦の中に、我々は身を置いていました。電子マネーが主流になり、スマホがあらゆる生活機能を備えてきました。為替、金利、生産性などの要因から、日本が「報酬も物価も(相対的に)安い国」となりました。アクティビズムが一気に盛んになり、右往左往する企業が増えました。多数の地域で起こる紛争で国際社会のダイナミズムが一気に変わり、また韓国、フランスなど不安定な政治環境が続く国も増えました。「動」のエネルギーのうねりに乗っていくのか呑み込まれるのか、エキサイティングでもあり同時にプレッシャーも感じる時代ではないでしょうか。

意識の外の音を聴く

 ただ、我々を取り巻く環境が飛躍的に進化、変化する一方で、我々の心が飛躍的に進化、変化するわけではありません。前を向いて生きていくために外的変化と内的な適応のバランスを模索する中で、心が求めるものにもっと耳を傾けたいと考えるようになる人が多いと思います。コーチングやメディテーションで出会ったテクニックに、「意識して広い範囲の音を聴く。聞こえてきた一つ一つの音が聞こえなくなるまで追いかける」というものがあります。目を閉じて自分の周りの外界の全ての音を探しに行く、そうすると話し声や車の音以外に、鳥の声、木々の葉がすれる音、大小の足音、工事の音、風の音など重層的な音に気付かされます。その一つ一つの音に意識を向けて追いかけてみると、自分の周りの立体感、奥行き、それのなんと広くて深い事かと驚きます。さらに今まで意識もしていなかった音に出会い、耳を傾けるとき、自身をとりまく空間に思いもかけないほど多くの「生活」や「生命」が存在し、そこに「必然の形が無いこと」、「一つのところに留まることなく時間と共に変化していくこと、あるいは時間と共にはかなく消えていくこと」に気づくのです。

無量寿

 さて、未来は時間という一つの軸の延長線にあると通常はとらえられるでしょう。では我々にとって「今」=足元から、「未来」にはどのような時間があると想定すれば良いでしょうか。
 仏教では時間について、「時とよばれる何ものかが万象の外に実在するのではない。時なるものは万象の生滅変化する過程に仮に立てたものである」ととらえるそうです。時というのは、さまざまなものが変化していく様子を仮に名づけたものである。従って、自分と別のところでメトロノームが刻んでいくように、二本の針が文字盤の上を廻っていくように、自分とかかわりなく流れているのではない、ということのようです。時間は、本質的には目の見えないところで絶え間なく流れていくものですが、決められたテンポや速度があって、人間がそのテンポに従って生きているのではない。自分の存在そのもの、変化する自分そのものが「時間」である、ということかと勝手に解釈しています。
 このように考えると、未来がぐっと近く思えてきました。自分、人々、そして周りの命や自然が変化していくことこそが「未来」だとすれば、我々に内在する未来は次の一呼吸、明日の過ごし方、そんな自身の経過であって、何か外界から押し寄せる変化ではない。このように考えられないでしょうか。
 仏教に「無量寿」という言葉があります。以前、尊敬する大徳寺のご老師が染筆されたこの書を拝見する機会がありました。無量は、直接的には「量ることができない」ということですが、言い換えれば「限りが無い」という意味になるそうです。また、寿は「寿命」と言われるように「命」という意味だそうです。

 さらに命について視野を広げてみると、自分の周りの人々、鳥や虫、木々など自然の命があります。自分の周りには、量ることのできないほどの命がある。その一つ一つに気づいて思いを寄せることを、この言葉が語っているという解説を読んだことがあります。
 一つ一つの命には限りがありますが、自分の周りには量りしれないほどの無数の命があること、それらが変化していきながら世界をつくっていること。その過程こそが未来であること。今こそ、このような感覚をまざまざと呼び起こしたいと思います。自分が生きているすぐ近くに、そして世界の遠くに内在するいくつもの未来を大事にしていきたいと、強く感じています。