山本 裕介
グーグル合同会社 ブランドマーケティング 統括部
大手広告代理店で経験を積んだ後、Twitter日本上陸時のマーケティング・広報を担当。現
在はグーグルの日本市場でのコーポレートブランディングと、テクノロジーを活用してよ
り良い社会を実現するための各種プロジェクトを担当
今回の原稿を書くにあたって、まず最初に考えたのは、「自分の足元って、どこのことを言うんだろう」ということでした。
例えば、私はコロナが猛威をふるいはじめた2020年の春に、ご縁があって軽井沢に引っ越しました。そこからの2年間くらいは私の「足元」とは軽井沢や長野エリアになり、四季折々の美しい風景や自然の恵みを楽しみ、農作業をしたり木こりのように木を切り倒して薪にするなど、都会では考えもしなかったような文字通り地に足をつけた生活を送りました。
コロナ禍があけ、今度はオフィス出社が始まると、東京との二拠点生活のような形となり、今度は渋谷のスクランブル交差点も「足元」になりました。そして、今年の8月からは家族が東南アジアに引っ越し、三拠点生活のような形になっています。
実際に「足元」が変わってきた体験から、いくつかのことがわかりました。
まず一つは、今まで当たり前だと思っていた「自分」というのは、実は極めて状況や文脈に依存しているということ。例えば、長野で暮らしていると、本当に息を呑むような美しい景色に出会うことがありますが、それはあくまで「瞬間」であって、その場所、その時間に自分自身の身体がそこにないと、決して体験することができません。たとえ誰かにいくらお金を払っても、時間を遡って追体験することはできないのです。そうなると、ここではお金よりも時間の方が重要な要素を占めますし、「お金を持っている自分」ではなく、「時間と場所の自由がきく自分」の方が価値を持つようになります。また、状況や文脈が変わると、自分が発揮できる能力も変わってきます。例えば長野で薪を運んだり農作業をしたりする時には、身体的な筋力や体力が必要になるのですが、東京でそんな体力自慢をしても、全くピンと来ないと思います(笑)。
もう一つわかったことは、このような文脈や状況への依存は、「確固たる自分自身」という思い込みを捨て、「その時々に応じて色々な自分がありうる」と考えられることで、気持ちが楽になるということでした。一つの固定された場所では弱さや無価値だと思われているものが、異なる場所では強さや価値に変わる。この感覚は、かつての年功序列的な社会、一つの職場や環境で直線的に能力を伸ばし、特定の組織の中での評価を獲得することが唯一の正解だと思われていた価値観とは、全く異なるものです。
足元が増えれば増えるほど、「複数の自分」を時々に応じて選択できるようになる。ただ、そういった生き方を実際にするためには、ある種の軽やかさが必要になるかもしれません。私はそれを「まず片足を動かしてみる」と表現しています。英語には、‟Put yourself in someone else’s shoes”という言葉がありますが、それにならうと、‟Put just one foot into someone else’s land and perspective”とでもいいましょうか。
自分の足元が揺るがないことはもちろん素晴らしい。逆に、両足を地面から離して完全にちがう場所に行くのは少し怖いし、勇気がいる。でも、片足ずつだけ、ちがう場所に属してみて、ちがう場所から物事が見えるようになると、またちがった未来が見えるはず。この「ずらす」ということがとても重要だと思っていて、片足だけでも動かすと、世界を見る角度が大きく変わります。そうなると、見える景色は一変します。
例えば、私は家族に会いに東南アジアの国に行く度に、街を歩く人々の平均年齢の若さに驚き、旺盛な消費行動に驚き、社会の勢いや彼ら彼女らが持つ未来への希望に驚きます。一方で、実際に現地の人達に話を聞くと、「ショッピングモールに人が大勢いるのは別に買い物が好きなのではなくて、外は暑いし、他にやることがないから。ここでの生活はけっこう退屈だよ。」と教えてくれたりします。
もうずっと長い間、海外に比べての日本の衰退や閉塞感という類のニュースを目にしない日がありません。しかし、未来に責任を持つ大人としては、その時の「日本」や「海外」というのはどこのことを言っているのか、そしてどの「足元」から見ている景色なのかを理解し、高い解像度を持ち、闇雲にネガティブになるのではなく、勝ち筋を見つけてみんなで創っていく必要があると思います。
その時、高い解像度を持てるかどうかは、自分の世界を見る角度のバリエーションをどれだけ持てるかによって大きく変わると思います。そのためにも、「あえて片足だけ動かして足元を変え、身体の角度を変え新しい景色を見続ける」ということをこれからもやっていきたいと思っています。