INTERVIEW


第2回
中島委員のマーケティング・スピリット
「ヒューマニティ」

Interviewee

中島 聡 
MARKETING HORIZON 編集委員 
元 公益社団法人日本アドバタイザーズ協会 専務理事

Interviewer

松風 里栄子 
MARKETING HORIZON
副編集委員長 
サッポロホールディングス株式会社 専務取締役 
株式会社センシングアジア
代表取締役

 『マーケティング ホライズン』での中島さんの企画は、人間に寄り添う姿勢が多くみられるように感じてきました。例えば2023年10号の「ウェルビーイングに包まれて」では、誰ひとり取り残さないという福祉のチャレンジ、字幕付きCM普及への取り組みなどを紹介いただきました。そこには中島さんの哲学ともいえる、人間への優しさが通底しています。そんな中島さんのマーケティング・スピリットに迫りたいと思います。

データベース・マーケティングを会社に根付かせる

松風 中島さんはキャリアを通じ、一貫してマーケティングに携わって来られた印象があります。マーケティングとの最初の出会いはどのようなものだったのでしょうか。

中島 1983年、明治乳業に入社し、静岡支店に配属されました。当時の明治乳業は、宅配では強いけれども、スーパーマーケットでは全く存在感がありませんでした。商品がブルガリアヨーグルトとプリンくらいしかなく、何か突破口がないかと思っていました。ちょうどその頃は、スーパーマーケットがPOSデータの導入を始めた時期でした。ただし、POSデータを導入してもスーパーマーケット側は使い方がわからないということで、「私が分析します」と提案しました。例えば、土日と平日、天候による販売数の違いなど多角的に分析しました。それでバイヤーさんからの信頼を得て、静岡県中部エリアでのスーパーマーケットの売上げが約4倍になったのです。
 2年後に転勤で関東の大型卸売店を担当し、データに基づいて仕事をするうちに、それが本社の耳に入ってプロダクトマネージャーになりました。当時の明治乳業の年間売上高がおよそ2,600億円、そのうち約600億円のブリックパックという商品群の担当です。
 商品開発も広告・宣伝も工場の投資予算ですし、また、約600億円の売上げのうち400億円は自販機での売上げでした。そういうわけで、自販機の売上げ、さらには自販機本体の投資計画、全体の戦略策定も含めて広義のマーケティングでの最初の取り組みとなりました。
 ところが、当時の明治にはマーケティングの概念が無かったのです。そこで会社として本格的にマーケティングを導入することになり、慶應義塾大学の故・村田昭治先生(マーケティング論の第一人者、慶應義塾大学名誉教授、2015年没)をマーケティング顧問に迎えました。

松風 中島さんは社内でデータベース・マーケティングのさきがけだったのですね。村田先生といえばマーケティングの大御所です。会社にとってはビジネス構造的にも意識構造的にも大転換だったのではないでしょうか。村田ゼミといえば有名でしたよね。

中島 大変に有名です。特に日本の流通業2世は村田ゼミ出身ばかりでした。ですので、明治にとってはまさに大転換です。顧問としてお迎えするにあたり、「村田先生のお付きは中島に任せる」と社長・会長に言われました。公私ともの付き人で、車の運転もしましたし、原稿のお手伝いもしました。いわゆる便利屋ですが、接する機会は多く、いろいろと勉強になりました。とにかく多くのことを吸収しようと思い、「先生の教室で勉強したい」とお願いしました。それで村田先生の大学院の教室で学生さんと一緒に勉強させていただき、寝る時間も惜しんで取り組みました。それが私のマーケティング・ヒストリーの第1段階です。

松風 乳業は特に調達分野では国策という側面も大きい業界です。子どもの栄養摂取手段として奨励されたこともあり、マーケティングの概念がなかったというのは容易に想像できます。対流通への取り組みからマーケティングの考え方を取り入れて、何が変わりましたか。

中島 明治乳業の流通に対する突破口を開く、いわば切り込み隊長みたいなことをやってきたと思っています。その結果、社内でUSP(ユニーク・セリング・ポイント)という概念が根づき、加えて、生活者オリエンテッドという概念が芽生えた。明治にマーケティングを導入したのは私だと言われています。それまでの明治には、確かに国策的な事情もありましたので、マーケティングの知識は全くなかったのです。

松風 その過程で、中島さんの仕事への向き合い方や、キャリアビジョンの変化はありましたか。

中島 いえ、キャリアビジョンの変化はあまりなかったような気がします。ただ、本当の意味でのマーケティングをゼロから勉強し直したいという気持ちになりました。当時の上司に「留学したい、マーケティングの勉強したい」と言ったのですが、「そういう人間を育てるのが君の役割だ。君自身がやることではないだろう」と返されてしまいました。そんなことがありましたね。
 一方、村田先生への関与が続いたのは1999年頃まで10年以上にわたりましたから、私自身の骨格、そしてマーケティング概念の土台を築いてくれたのは村田先生かもしれません。先生から学んだことは一言では表せませんが、あえて言えば「幸せを広げるのがマーケティングだ」ということでしょうか。
 また、「事実と真実」という概念がありますね。データは事実ですが最終的には人がそこに絡んでくるわけですから、真実はもっと深いところにあります。その目に見えない部分に対するおそれといいますか、目に見えないものを読み取る力をどうつけるかということを考えました。

マーケティングから経営を考える

松風 私は新卒で博報堂に入社し、マーケティングといってもマーコムの世界から入りましたが、中島さんは明治乳業で製造業という事業側でのマーケティングですよね。流通、カスタマーを起点として、マーケティングとの関わりはどのように広がったのでしょう。

中島 その後、販売企画に異動しました。当時の明治の販売企画は、全社の予算編成権まで握っていました。明治には様々な商品群、例えば粉ミルクもあれば、アイスクリーム、チーズ、バターもある。それぞれ売り方も違えばお客さまも千差万別です。妊婦さんとその他では生活者として全く違うわけです。
 例えば産婦人科の事例をあげましょう。本来、この領域にはあまり男性は入れません。当時、明治では産婦人科担当の栄養士さんを700名ほど抱えていました。その1人にお願いして、産婦人科への営業方法を知りたいと同行させてもらいました。現場では、産婦人科の方々は妊婦さんの人生相談にまで対応していました。これは素晴らしい、こういうふうに生活者と向き合うマーケターになりたいとよく思っていましたね。
 さて販売企画ですが、関わる分野が必然的に多くなり、組織編成や人事にも業務が広がっていきました。組織は戦略に従いますから、究極のブランド戦略というのは人材戦略だと思い始めたのです。それは経営そのものですから、単なるプロダクト・コミュニケーションだけではなくて、人事や組織を含めて経営と直結したマーケティングという感覚になってきました。
 突き詰めると、生活者の課題を解決すること、これがメーカーの使命だと思いました。生活者は乳製品だけを食べるわけではなく、お肉やお魚も食べます。「食卓」をデータベースで分析し、通年の変化も把握する。生活者の全体像を理解できる組織戦略が必要だと思ったのです。
 そこで明治の縦割り組織をデータでつなぎました。同時に、全営業部隊に対して相当な教育をしました。
 MAPS(Marketing Ability Power up Strategic System)という社内ITシステムを開発したことで、少しずつデータの重要性が根づいてきましたし、少なくとも顧客に寄り添った提案ができるようになりました。食品は地域偏差や商圏偏差が大きい分野です。商圏に対応したさまざまな提案ができるようになりました。

ホライズンと自身のテーマ

松風 さて、本誌『マーケティング ホライズン』についてもうかがいます。中島さんの担当されるテーマや特集は、少し哲学的なようで人間味があります。それは中島さんの人となりやご興味の深さを如実に表していると思いますが、テーマ設定で意識されていたことはありますか。

中島 個人的に好きな作家さんの一人が池波正太郎さんです。あの方の目線は、どんな人間だって、いいこともすれば悪いこともするというものです。人間って乱反射しますよね。悪党にしても、誰かを殺したとしても自分は幸せになれると思っている。人は幸せを常に求めていますよね。みんなが幸せになるためにどうすればいいか、同時に、人間の心のひだに興味がありまして。お寺巡りや哲学書を読むのが好きなことが、『マーケティング ホライズン』のテーマに反映されているのかもしれません。
 今のマーケティングは「強者のマーケティング」のような気がして仕方がないのです。当然、自然界の掟として弱肉強食はありますが、それだけではないと思います。例えば全国のお寺には、いろいろな方々がそれぞれの願いでお参りをされています。もしかしたら、途中で行き倒れる方もいるかもしれない。そう考えると、強者だけが生き残るようなマーケティング戦略は絶対やってはいけないし、同時に、商品開発にしても、困っている人を救ってあげられるもの、そういう姿勢が必要だと思うのです。もちろん企業は、短期的に利益を出すことによって株主などのステークホルダーに還元できる。ですが、企業の姿はそれだけではないですよね。結果に至るプロセスをもう少し大切にしなくてはならないと思います。

これからのマーケターへ伝えたいこと

松風 最後に、これからのマーケターに伝えたいことはありますか。

中島 これからのホライズンないしはマーケターへ期待することとしては、もっとベーシックな部分をしっかり勉強してほしいですね。
 レビット(故セオドア・レビット、1925-2006 元ハーバード・ビジネススクール教授)の有名な言葉ですが、「ホームセンターにドリルを買いに行くのは、ドリルが欲しいわけではなく穴を開けるため」です。求められる機能に応えることがマーケティングだと思うのですが、そこが希薄になっている気がします。

松風 深い部分での生活者の理解ですよね。ただ、生活者も情報過多で、情報に踊らされているという側面もあります。さらに気候変動やインフレ、国際的枠組みなど、社会の変化が激しく、真に求めているものが見えづらいようです。

中島 そういう観点では、この世の中を生きる社会人としての常識を身につけることが大切なのかもしれません。また別の視点では、これからのマーケティングはまさに経営機能になっていきます。本当の統合マーケティングという意味で、最終的な根幹はそこにあり、統合していくのはまさに「人」だと思います。

松風 マーケティングの要素を、マーケティングの範囲で統合していくのではなく、一段レイヤーを上げて、企業を構成する各事業や機能を経営視点で統合していく、と理解しました。そこには異なる組織体が向き合う市場や生活者、ステークホルダーの理解はもとより、リソースのアロケーション策定や結果を生み出す統合的なアプローチが求められます。「人」でなければマネージできない領域ですね。
 本日はありがとうございました。

〈インタビュー後記〉

 中島さんのマーケティング・スピリットは「人」への愛であふれています。弱者に目を配り、全ての「人」を尊重していこうという想い、また強者だけにフォーカスすることへの警鐘が、ホライズン読者へ、そしてマーケッターへの静かで強いメッセージでした。

中島 聡なかじま さとし
MARKETING HORIZON 編集委員
元 公益社団法人日本アドバタイザーズ協会 専務理事

一般社団法人デジタル広告品質認証機構代表理事、日本広告審査機構理事、ACC理事の他、マーケティング広告関係の複数団体の委員を務め、マーケティング及び広告活動の健全な発展のための活動を行っている。同時に明治大学大学院及び高千穂大学大学院にて教鞭をとり、若い世代の人財育成活動を行っている。

松風 里栄子しょうふう りえこ
MARKETING HORIZON 副編集委員長
サッポロホールディングス株式会社 専務取締役
株式会社センシングアジア 代表取締役

㈱博報堂、㈱博報堂コンサルティングを経て㈱センシングアジア創業、2016年ポッカサッポロフード&ビバレッジ㈱、2018年から2022年までPokka Pte. Ltd.のグループCEOとしてシンガポールに在住、経営再建しつつ60カ国以上をマネージ。2022年サッポロホールディングス取締役、2025年より現職。ターンアラウンド、M&A、グローバルマーケティング分野で豊富な経験を持つ。