INTERVIEW


第1回
「正解」を疑い、未来への「期待値」を創る。


広告会社から経営の道へ、松風氏の意思決定の源泉を探る。

Interviewee

松風 里栄子 
MARKETING HORIZON 副編集委員長 
サッポロホールディングス株式会社 専務取締役、
株式会社センシングアジア 代表取締役

Interviewer

ツノダ フミコ 
MARKETING HORIZON
編集委員長 
株式会社ウエーブプラネット
代表取締役

 2011年より「マーケティングホライズン」の編集委員として、また、2022年より同副編集委員長として、世界のマーケティングと経営動向をさまざまな角度から発信してこられた松風里栄子さん。広告、コンサルティング、そして事業会社の経営へと、常に変化の最前線でキャリアを切り拓いてきた彼女の目には、どのようなマーケティングの進化が映っているのでしょうか。ご自身のステージの変遷とともに、向き合い方は変容しつつも、常にその傍らに存在しつづけていたマーケティング。その軌跡と未来への展望をうかがいました。

心理学から広告の世界へ──マーケティングの扉を開いた日

ツノダ 本日は松風さんのこれまでのキャリアとマーケティングとの関わりについて、おうかがいできればと思います。そもそも、松風さんがマーケティングの世界に足を踏み入れたきっかけは何だったのでしょうか。

松風 大学では社会心理学を専攻していたのですが、担当教授が大手広告会社のマーケティング調査に関わっていました。そのお手伝いをすることでマーケティングに触れたのですが、「人の心の動きを科学的に捉えることができるのか」と驚きましたね。社会心理学で学んでいた理論が、実際のビジネスの現場で使われていることにもワクワクしました。

ツノダ それが広告会社への入社につながったのですね。

松風 はい。マーケティングに興味を持ったことで、就職活動では広告会社や事業会社を回り、最終的に博報堂に入社しました。入社後、人事を経て営業に異動、日々、いわゆるマーコム(マーケティング・コミュニケーション)を中心に、クライアントとは向き合っていました。ちょうどその頃、1990年代の後半ですが、まさに「IMC(統合マーケティング・コミュニケーション)」という概念が注目され始め、企業の持つあらゆる接点がブランド体験を形づくる、と実感しました。

ツノダ IMCとの出会いが松風さんのキャリアの大きな転機になった、と。

松風 まさにそうです。広告の枠を売るのではなく、「企業と生活者のあらゆる接点をどう設計するか」という発想、すべての顧客接点を統合し、一つの軸を作るという考え方にすっかり魅了されました。企業活動の接点への広がりに面白さを感じ、各接点がどういう変数で企業価値の向上に寄与するのか、といった少し経済学的な視点にも興味が湧いてきました。より戦略的な領域に関わりたいという思いが芽生えたこともあり、社内のFA制度を使ってブランドコンサルティングの部門へ異動、その後、M&Aに関わる部署長や、ビジネスコンサルティング子会社の役員をしました。

ツノダ 営業の立場から、より専門的なコンサルティングの分野で実際に仕事をされて、どのようにお感じになりましたか。

松風 当時はちょうど、企業の再建や統合、M&Aに関わる案件が多く、PEファンドが関わる企業の再建に携わる機会も複数ありました。その中で、ブランドポートフォリオを再構築した後の価値算定をしたり、企業統合後にブランド体系を整理して事業計画を作るといった仕事にも携わったりしました。
 その中で感じたのは、ブランドの力が経営そのものを左右するということ。PMI(買収後の統合プロセス)など、より経営に近い領域でのマーケティングの役割に大きな可能性を感じました。けれども同時に、経営目線から見たマーケティングの「限界」のようなものも感じ始めました。

経営の視座──マーケティングの可能性と限界

ツノダ 「限界」ですか。もう少し詳しくお聞かせください。

松風 はい。いま振り返ると、マーケティング戦略はBtoC事業においては事業戦略の核になり得る一方で、経営戦略のすべてを形づくるわけではない、とわかります。現在の私は上場企業の役員という立場ですが、そこでは顧客や従業員と同等か、それ以上に「資本市場」とどう向き合うかが重要になるのです。

ツノダ 経営に携わる立場として、それまでとはまったく異なる場所に身を置かれたのですね。

松風 ええ。ROE(自己資本利益率)をどう向上させるか、PBR(株価純資産倍率)1倍割れといった課題にどう対応するか。企業価値を総体としてどう上げていくかという視点に立つと、企業戦略を構築しながらキャッシュやキャピタルをどう配分するかという「資本政策」「キャッシュアロケーション」が経営の中心的なアジェンダになります。
 その大きな枠組みから見ると、マーケティングは「非常に重要な手段の一つ」ではありますが、戦略の根幹そのものには必ずしもならない。それが、私が感じた「限界」です。これは、マーケティングの価値を否定しているのではなく、経営という大局観の中で、その役割と立ち位置を正確に捉える必要がある、ということです。

ツノダ そうした気づきが次のキャリアにつながったのでしょうか。

松風 そうですね。博報堂を離れてアジア進出企業を支援する経営コンサルティング会社を立ち上げました。M&Aや海外事業の戦略設計を支援する、かなり“経営寄り”の仕事です。
 一方で、マーケティングの世界から距離を置いたことで、逆にマーケティングの本質が見えてきたようにも思います。経営者に近い立場で仕事をすると、どうしても企業価値向上をテーマにした数字や資本政策が中心になります。しかし、株主や従業員、顧客といったステークホルダーとの「期待値形成」を考えると、やはり「伝える力」が不可欠です。
 経営の世界に踏み込んでなお、「伝える力」を支えるのは間違いなくマーケティングの素養、まさにマーコムの力でした。

経営を動かす「期待値」──再び出会った「マーコム」の力

ツノダ 経営の世界に踏み込んだゆえに、マーケティングの本質が見えてきた、というお話が印象的です。その中で改めて重要だと再確認されたものは何でしょうか。

松風 それが面白いことに、キャリアの出発点であった「マーコム」、つまりコミュニケーションの重要性を改めて強く感じています。株価も企業価値も、突き詰めれば「期待値」の集積です。その期待値をどう形成していくか。それには、コミュニケーションの力が不可欠です。
 企業のDNAや強みを的確な言葉で伝え、従業員のモチベーションを一つの方向に向け、取引先にご理解いただいてパートナーシップを強化し、そして資本市場に対しては企業価値向上の「期待」を醸成する。これら全てが広義のコミュニケーション活動であり、マーケティング的思考が活きると思っています。

ツノダ 理想論とファクトをつなぐストーリーテリングの力、ということですね。

松風 まさにそうです。かつては「マーケティングはコミュニケーションだけではない」と思っていましたが、今はそのコミュニケーションの持つ力を再認識しています。根拠のない理想論を振りかざしても誰もついてきませんが、実績というファクトをベースに、未来への魅力的なストーリーを語り、ステークホルダーを巻き込んでいく。実績と未来を繋ぐストーリーを語る力が、経営には不可欠であり、その根幹には、間違いなくマーケティングで培った思考やスキルが生きていると感じます。キャリアを一周して、原点に戻ってきたような感覚です。

思考を鍛える場──「マーケティングホライズン」の「兆し」を読む力

ツノダ そうしたキャリアの変遷を重ねつつ、長きにわたり「マーケティングホライズン」の編集にも携わっていらっしゃいました。その経験は、松風さんにどのような影響を与えましたか。

松風  もう20年近くになりますね。 最初に担当したのは「CMOは必要か」という2013年の特集でした。 当時はまだ日本にCMOという肩書きがほとんどなく、 取材先を探すのも大変でした (笑)。さまざまな特集や企画で関わりましたが、「兆しを捉える」という「マーケティングホライズン」の理念には強く共感しています。以後、グローバルマーケティングに着目した「Do more with less インド発、ジュガードイノベーションに学ぶ(2016年4号)」やアジアの新規事業をとりあげた「アジアのブラットフォーマーたち 2022年6号)」、女性リーダーたちの新しい取り組みを特集した「Women in Pioneership(2024年3号)」など、時代の空気を反映させながら、多様なテーマに取り組んできました。

ツノダ ご自身のキャリアの変遷が、そのまま「マーケティングホライズン」にも反映されてきた印象があります。

松風 そうですね。取材で経営者や専門家の方々にお話をうかがうたび、自分の思考が鍛えられました。特に印象に残っているのは、アジアの航空会社Capital A (AirAsia)のCEOトニー・フェルナンデス氏へのインタビューです。ローコストキャリア(LCC)から仮想通貨の話にまで至りましたが、「世界をどう広げるか」を考えさせられました。
 「マーケティングホライズン」での取材の魅力は、想定したシナリオを裏切られること。インタビューさせていただく方の胸をお借りして、思い切りぶつかっていくような感覚でした。問いかけるたびに自分の前提が揺さぶられる。その体験が、マーケティングの「兆し」を読む力を育ててくれたと思っています。

未来のマーケティング──誰もがマーケターとなり、社会と共創する

ツノダ 今の時代、マーケティングの捉え方もその領域も変化しましたが、松風さんはこれからのマーケティングをどう捉えていますか。

松風 マーケティングは、もはや専門職だけのものではないと思います。経理であれ、生産管理や人事であれ、あらゆるところで市場をどのように意識するか、自分の考えをどう伝えるかで成果は変わります。つまり、「すべてのビジネスパーソンがマーケター」なんです。マーケティングはビジネスパーソンとして持つべき基本的なスキルセットであり、マインドセットになっていくと思います。

ツノダ そのマインドセットを身につけるための核となる視点は何でしょうか。

松風 突き詰めれば「ターゲットの理解」です。自社のサービスを届けたい市場、相手、一緒に仕事をする仲間、説得したい上司。相手を深く理解しようとすることからすべては始まります。この「相手の視点に立つ」という意識さえ持てば、誰でも身につけやすいはずです。ただ、私たちはどうしても自分の「正解」に基づいて考えてしまいがちで、「相手の視点に立つ」という基本を忘れてしまう。そこが難しいところですね。
 また、さらに言えば、今後はターゲットを理解するだけでは不十分になるでしょう。たとえば環境問題のように、個人の短期的な利便性と社会の持続可能性が相反するテーマもあります。
 生活者に「分別しなさい」と言うだけでは行動は変わりません。脱プラやサステナビリティのように、企業自身が社会課題を共有し、生活者と“共に未来をつくる”姿勢を見せていくことが大切です。こうした社会問題の矛盾こそ、企業がどのような立場で社会に語りかけるかが問われるのではないでしょうか。
 企業は顧客の声に耳を傾けるだけでなく、社会的責任を負う存在として、より良い未来の姿を提示し、市場や社会を「一緒に動かしていく」という能動的な姿勢が求められます。社内外のステークホルダーをどう巻き込み、どう共感を生み出すか。そうした社会との共創こそ、これからのマーケティングの使命ですし、企業を動かすエンジンになると思います。

不確実な時代を生き抜く──未来企業に必要な「胆力」

ツノダ 変化のスピードが加速し、先行きも不透明な時代です。松風さんは、こうした未来を悲観的あるいは楽観的、どのように見ていますか? また、私たちはどのような心構えでいるべきでしょうか。

松風 それは両方ですね。例えば、日本の夏が東南アジアより暑くなっているといった現実を見ると、地球温暖化がもたらす影響については、自分たちの子どもや孫の世代がどんな世界で暮らすのかと心配になります。そういう面では「非常に悲観的にならざるを得ない」と感じています。一方で、例えば気候対応型の農作物の開発や人が行ってきた労働の代替、また食糧問題の解決にはバイオ技術によって救われる部分がきっとあるはずで、そうした面については「楽観的に期待したい」と思っています。

ツノダ その両方の視点を持つことが重要である、と。

松風 はい。そして今、日本企業に特に必要だと感じているのが「胆力」です。世界が分断し、リスク回避的になっている今だからこそ、短期的な財務指標やリスクを恐れるあまり、弱気な戦略をとってはならない。例えば海外進出を考えるとき、多くの人が「あの国は危ない」と一般論で語りますが、リスクの中身を精査し、許容できる範囲を見極めることが重要です。

ツノダ 長期的な視点に基づくリスクテイクが必要なのですね。

松風 まさにそうです。「30年先、40年先に、この場所に根を張っておくべきなのか」を問う。短期的な利益には繋がらなくても、長期的な視点で未来に投資する。そうした胆力が、これからのリーダーには不可欠だと思います。
 今後は若手経営者の育成にも力を入れていきたいと思っているのですが、世界情勢やアクティビストの台頭など、経営環境はいっそう複雑かつハードになっていきます。そうした中で戦う次世代に、この「胆力」を伝えていきたいと考えています。

おわりに──マーケティングとは「キャリアの伴走者」

ツノダ ありがとうございます。最後に改めてうかがいます。ご自身にとってマーケティングとはどのような存在なのでしょうか。

松風 そうですね、難しい質問ですが…。「キャリアの伴走者」といえるかもしれませんね。広告営業からブランド戦略、経営コンサルティング、そしてホールディングスの経営へと歩んできましたが、どの時期にもマーケティングがそばにありました。キャリアのステージによって、その姿や形、自分の中でのウエイトは変わってきましたが、振り返ると常にどこかに存在する、そんな感じがしますね。

ツノダ  姿や形を変えながらも、ずっとそばにいた存在だったのですね。今日のお話をうかがいながら、その感覚が非常によく伝わってきました。本日は貴重なお話をありがとうございました。

〈インタビュー後記〉

 立場は変わろうとも、常にマーケティングとともにあった松風さんのキャリア。マーケティングとは、人や企業の“内側”にある物語を見つけ出し、外の世界へと翻訳する行為ともいえますが、松風さんのキャリアの軌跡は、活動の舞台を世界へと広げながら、まさにその実践の連続でした。
 変化を読み、他者を理解し、社会と対話するための「生き方」そのものゆえに、「マーケティングは、キャリアの伴走者」と言い切れるのでしょう。目の前の手段や目的を超えながら、時代を生き抜くための強くしなやかな「胆力」が確かに宿っている、そう感じた一時間は、なんとも贅沢なひとときでした。

松風 里栄子しょうふう りえこ
MARKETING HORIZON 副編集委員長 
サッポロホールディングス株式会社 専務取締役
株式会社センシングアジア 代表取締役

㈱博報堂、㈱博報堂コンサルティングを経て㈱センシングアジア創業、2016年ポッカサッポロフード&ビバレッジ㈱、2018年から2022年までPokka Pte. Ltd.のグループCEOとしてシンガポールに在住、経営再建しつつ60カ国以上をマネージ。2022年サッポロホールディングス取締役、2025年より現職。ターンアラウンド、M&A、グローバルマーケティング分野で豊富な経験を持つ。

ツノダ フミコつのだ ふみこ
MARKETING HORIZON 編集委員長 
株式会社ウエーブプラネット 代表取締役

社会動向や生活者の分析を通して、価値観変化や生活者インサイトを導き出し、コンセプト開発を行う。問いを重視したきめ細かい伴走型コンサルティングにて新しい価値づくりを支援し、企画力と気づき力を強化する研修も展開。近著『いちばんわかりやすい問題発見の授業』では、書くことで考える力を磨く「具体→抽象→発見」の手法を紹介している。