学生(若者)と企業の認知距離


メディア、広告の現在地を踏まえた考察

巻頭言

 かつて、テレビがメディアの王として君臨した時代、テレビCMは時代を映す鏡でした。私も物心がついた時から、テレビは常に身近な存在で、テレビから意識、無意識を問わずさまざまなタイプの情報を得ていました。特にテレビCMは、CMソングとともに常に話題の中心であったと思います。テレビCMの強烈な影響力の残像が消えない高度経済成長期に育った私世代の人たちは、当時のことを昨日のことのように覚えていますが、今の30代以下の人々には信じられないことのようです。先般、日本アドバタイザーズ協会の広告の定義策定のプロジェクトにメンバーとして参加しましたが、その際にも広告の影響力に対する参加メンバー間の世代ギャップが明らかになりました。
 そして令和の時代に入り、学生はテレビそのものを見なくなりました。実際は、TVer、Hulu、TELASAなどを通してテレビドラマなどのコンテンツは視聴していますが、時に倍速でコンテンツの消費をする中では、合間に流れる広告は邪魔者扱いをされています。かつてテレビメディアで大量に流れ同時消費されていたテレビCMは、ネットメディア主流の時代になってから、かつての影響力はすっかり影を潜めています。
 昨年度、昭和女子大学現代教養学科の私のゼミ生が日本アドバタイザーズ協会で「Z世代と広告~好きか不快か」について研究発表をさせていただきました。学生が自分自身の行動分析を行い、主観を客観的に考察することにより、テレビを見ない今の学生が広告をどのように捉えているのかを分析したものです。その中で、ネットメディアでコンテンツを視聴する際、その合間に流れる広告に不快な感情を抱き、わざわざ課金をしてまで広告が流れないようにしたり、広告が流れる間に別の用事を済ませたりする実態が明らかになりました。このように、 広告はかつての隆盛が嘘のように若者世代からは邪魔者、 厄介者の扱いを受けており、 Z世代の学生は広告を 「好きか嫌いか」ではなく、「好きか不快か」で判断している実態が考察されました。
 私は大学で「広告文化論」の講義を担当していますが、Z世代の学生に印象に残るCMを聞いても、フィルターバブルの中で届く不快なネット広告が中心で、「今」という時代を象徴する「これ」といったCMがないことを感じます。その副作用という訳ではありませんが、今の学生は就職活動には熱心に取り組みますが、テレビCM隆盛期のバブル期に学生時代を謳歌した私の時代とは異なり、企業名そのものや企業と製品、商品、サービスとの紐づけがあまり出来ていない印象です。かつて、学生と企業、製品、商品、サービスを繋ぐ中心的な役割を果たしていたテレビCMの影響力が衰退する中、学生と企業の主観的な距離感(認知距離)は開いていく傾向にあります。実際に、今年度のゼミで学生自身の購買行動を振り返ってもらったところ、ほとんどの学生が企業発の公式情報(広告やHP等の情報)を経由せずに購買に至っていることが考察されました。
 本号では、今の学生(若者)と企業との認知距離について、メディア領域のシンクタンクの視点(博報堂メディア環境研究所)、企業の視点(楽天グループ)、そして当事者である学生の視点(昭和女子大学現代教養学科見山ゼミ)それぞれからの考察を行いました。さらに、より俯瞰的な視点からの考察を行うため、情報の出し手と受け手との関係性や主観的距離感の変化、そしてメディアの世界では今、何が起こっているのかについて、ビデオジャーナリストの神保哲生氏にインタビューを行いました。
 本号を通じ、学生(若者)と企業の認知距離の現状理解から、メディア、広告の現在地における課題と可能性を少しでも浮き彫りすることができればと考えています。

本誌編集委員 見山 謙一郎