2026年1~3月号 編集スタート!

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巻頭言

今月のテーマ

あなたにとってマーケティングとは?

12人のマーケティング点描

巻頭言

 『マーケティング ホライズン』刷新に際し、現編集委員全員によるリレーインタビューを全12回にわたってお届けします。
 このリレーインタビューの共通の問いは、ただ一つ。
 「あなたにとってマーケティングとは?」です。
 『マーケティング ホライズン』 は、 1958年の創刊以来、 いわゆるマーケティング・スキルやHOW TOのTipsを紹介する媒体ではありませんでした。社会や暮らしの足元で起きている胎動を敏感に捉えつつ、水平線の彼方を望み、未来を描く。その兆しや潮流をお届けすることで、読者の方々にとってのセレンディピティとなることを変わらぬ使命としてきました。その使命を担ってきた編集委員一人一人の「マーケティング」に対する答え。面白くないわけがありません。
 現編集委員はアカデミアの最前線で次代を育てる研究者、グローバル企業で事業を牽引する経営者、そして企業や社会のさまざまな課題の解決に挑むコンサルタントなど、立場も世代もキャリアも、そしてマーケティングとの向き合い方も異なります。その多様な視点を持つ12人が、同じ問いにどう向き合い、どのような言葉を紡ぐのか——そこに結ばれる像こそ、今という時代のマーケティングの姿を映し出すことでしょう。また、そこに現れる幅や違いの中に、これからの時代におけるマーケティングの可能性が立ちのぼるのではないかと考えます。
 かつては専ら「モノを売るための技術」として語られてきたマーケティング。しかしいまや、その定義は劇的に拡張しています。マーケティングは、単なる顧客を理解する視点に留まらず、企業の戦略思考基盤へと広がり、さらに「未来の社会と暮らしをどう共創するか」という、より根源的な問いへと進化しています。変化が激しく、正解が見えにくくなるVUCAの時代において、マーケティングはもはや一部門の専門領域ではなく、すべての人が持つべきものとなりました。
 2026年。世界で起きている変化のうねりは、ビジネスにも、一人ひとりの暮らしにも否応なく大きな影響を与えています。光と影がますます複雑に交錯する中、わたしたちはそれぞれの立場でどんな希望を未来に描いていけるのでしょうか。マーケティングは、その問いを共に考えるための「灯」であり、同時に未来へ踏み出すための地図とコンパスにもなり得ます。
 このリレーインタビューが、読者の皆さまの思考を刺激し、未来を描く勇気をお届けできることを願っています。

本誌編集委員長 ツノダ フミコ

INTERVIEW

第1回
「正解」を疑い、未来への「期待値」を創る。

広告会社から経営の道へ、松風氏の意思決定の源泉を探る。

Interviewee

松風 里栄子 
MARKETING HORIZON 副編集委員長 
サッポロホールディングス株式会社 専務取締役、
株式会社センシングアジア 代表取締役

Interviewer

ツノダ フミコ 
MARKETING HORIZON
編集委員長 
株式会社ウエーブプラネット
代表取締役

 2011年より「マーケティングホライズン」の編集委員として、また、2022年より同副編集委員長として、世界のマーケティングと経営動向をさまざまな角度から発信してこられた松風里栄子さん。広告、コンサルティング、そして事業会社の経営へと、常に変化の最前線でキャリアを切り拓いてきた彼女の目には、どのようなマーケティングの進化が映っているのでしょうか。ご自身のステージの変遷とともに、向き合い方は変容しつつも、常にその傍らに存在しつづけていたマーケティング。その軌跡と未来への展望をうかがいました。

心理学から広告の世界へ──マーケティングの扉を開いた日

ツノダ 本日は松風さんのこれまでのキャリアとマーケティングとの関わりについて、おうかがいできればと思います。そもそも、松風さんがマーケティングの世界に足を踏み入れたきっかけは何だったのでしょうか。

松風 大学では社会心理学を専攻していたのですが、担当教授が大手広告会社のマーケティング調査に関わっていました。そのお手伝いをすることでマーケティングに触れたのですが、「人の心の動きを科学的に捉えることができるのか」と驚きましたね。社会心理学で学んでいた理論が、実際のビジネスの現場で使われていることにもワクワクしました。

ツノダ それが広告会社への入社につながったのですね。

松風 はい。マーケティングに興味を持ったことで、就職活動では広告会社や事業会社を回り、最終的に博報堂に入社しました。入社後、人事を経て営業に異動、日々、いわゆるマーコム(マーケティング・コミュニケーション)を中心に、クライアントとは向き合っていました。ちょうどその頃、1990年代の後半ですが、まさに「IMC(統合マーケティング・コミュニケーション)」という概念が注目され始め、企業の持つあらゆる接点がブランド体験を形づくる、と実感しました。

ツノダ IMCとの出会いが松風さんのキャリアの大きな転機になった、と。

松風 まさにそうです。広告の枠を売るのではなく、「企業と生活者のあらゆる接点をどう設計するか」という発想、すべての顧客接点を統合し、一つの軸を作るという考え方にすっかり魅了されました。企業活動の接点への広がりに面白さを感じ、各接点がどういう変数で企業価値の向上に寄与するのか、といった少し経済学的な視点にも興味が湧いてきました。より戦略的な領域に関わりたいという思いが芽生えたこともあり、社内のFA制度を使ってブランドコンサルティングの部門へ異動、その後、M&Aに関わる部署長や、ビジネスコンサルティング子会社の役員をしました。

ツノダ 営業の立場から、より専門的なコンサルティングの分野で実際に仕事をされて、どのようにお感じになりましたか。

松風 当時はちょうど、企業の再建や統合、M&Aに関わる案件が多く、PEファンドが関わる企業の再建に携わる機会も複数ありました。その中で、ブランドポートフォリオを再構築した後の価値算定をしたり、企業統合後にブランド体系を整理して事業計画を作るといった仕事にも携わったりしました。
 その中で感じたのは、ブランドの力が経営そのものを左右するということ。PMI(買収後の統合プロセス)など、より経営に近い領域でのマーケティングの役割に大きな可能性を感じました。けれども同時に、経営目線から見たマーケティングの「限界」のようなものも感じ始めました。

経営の視座──マーケティングの可能性と限界

ツノダ 「限界」ですか。もう少し詳しくお聞かせください。

松風 はい。いま振り返ると、マーケティング戦略はBtoC事業においては事業戦略の核になり得る一方で、経営戦略のすべてを形づくるわけではない、とわかります。現在の私は上場企業の役員という立場ですが、そこでは顧客や従業員と同等か、それ以上に「資本市場」とどう向き合うかが重要になるのです。

ツノダ 経営に携わる立場として、それまでとはまったく異なる場所に身を置かれたのですね。

松風 ええ。ROE(自己資本利益率)をどう向上させるか、PBR(株価純資産倍率)1倍割れといった課題にどう対応するか。企業価値を総体としてどう上げていくかという視点に立つと、企業戦略を構築しながらキャッシュやキャピタルをどう配分するかという「資本政策」「キャッシュアロケーション」が経営の中心的なアジェンダになります。
 その大きな枠組みから見ると、マーケティングは「非常に重要な手段の一つ」ではありますが、戦略の根幹そのものには必ずしもならない。それが、私が感じた「限界」です。これは、マーケティングの価値を否定しているのではなく、経営という大局観の中で、その役割と立ち位置を正確に捉える必要がある、ということです。

ツノダ そうした気づきが次のキャリアにつながったのでしょうか。

松風 そうですね。博報堂を離れてアジア進出企業を支援する経営コンサルティング会社を立ち上げました。M&Aや海外事業の戦略設計を支援する、かなり“経営寄り”の仕事です。
 一方で、マーケティングの世界から距離を置いたことで、逆にマーケティングの本質が見えてきたようにも思います。経営者に近い立場で仕事をすると、どうしても企業価値向上をテーマにした数字や資本政策が中心になります。しかし、株主や従業員、顧客といったステークホルダーとの「期待値形成」を考えると、やはり「伝える力」が不可欠です。
 経営の世界に踏み込んでなお、「伝える力」を支えるのは間違いなくマーケティングの素養、まさにマーコムの力でした。

経営を動かす「期待値」──再び出会った「マーコム」の力

ツノダ 経営の世界に踏み込んだゆえに、マーケティングの本質が見えてきた、というお話が印象的です。その中で改めて重要だと再確認されたものは何でしょうか。

松風 それが面白いことに、キャリアの出発点であった「マーコム」、つまりコミュニケーションの重要性を改めて強く感じています。株価も企業価値も、突き詰めれば「期待値」の集積です。その期待値をどう形成していくか。それには、コミュニケーションの力が不可欠です。
 企業のDNAや強みを的確な言葉で伝え、従業員のモチベーションを一つの方向に向け、取引先にご理解いただいてパートナーシップを強化し、そして資本市場に対しては企業価値向上の「期待」を醸成する。これら全てが広義のコミュニケーション活動であり、マーケティング的思考が活きると思っています。

ツノダ 理想論とファクトをつなぐストーリーテリングの力、ということですね。

松風 まさにそうです。かつては「マーケティングはコミュニケーションだけではない」と思っていましたが、今はそのコミュニケーションの持つ力を再認識しています。根拠のない理想論を振りかざしても誰もついてきませんが、実績というファクトをベースに、未来への魅力的なストーリーを語り、ステークホルダーを巻き込んでいく。実績と未来を繋ぐストーリーを語る力が、経営には不可欠であり、その根幹には、間違いなくマーケティングで培った思考やスキルが生きていると感じます。キャリアを一周して、原点に戻ってきたような感覚です。

思考を鍛える場──「マーケティングホライズン」の「兆し」を読む力

ツノダ そうしたキャリアの変遷を重ねつつ、長きにわたり「マーケティングホライズン」の編集にも携わっていらっしゃいました。その経験は、松風さんにどのような影響を与えましたか。

松風  もう20年近くになりますね。 最初に担当したのは「CMOは必要か」という2013年の特集でした。 当時はまだ日本にCMOという肩書きがほとんどなく、 取材先を探すのも大変でした (笑)。さまざまな特集や企画で関わりましたが、「兆しを捉える」という「マーケティングホライズン」の理念には強く共感しています。以後、グローバルマーケティングに着目した「Do more with less インド発、ジュガードイノベーションに学ぶ(2016年4号)」やアジアの新規事業をとりあげた「アジアのブラットフォーマーたち 2022年6号)」、女性リーダーたちの新しい取り組みを特集した「Women in Pioneership(2024年3号)」など、時代の空気を反映させながら、多様なテーマに取り組んできました。

ツノダ ご自身のキャリアの変遷が、そのまま「マーケティングホライズン」にも反映されてきた印象があります。

松風 そうですね。取材で経営者や専門家の方々にお話をうかがうたび、自分の思考が鍛えられました。特に印象に残っているのは、アジアの航空会社Capital A (AirAsia)のCEOトニー・フェルナンデス氏へのインタビューです。ローコストキャリア(LCC)から仮想通貨の話にまで至りましたが、「世界をどう広げるか」を考えさせられました。
 「マーケティングホライズン」での取材の魅力は、想定したシナリオを裏切られること。インタビューさせていただく方の胸をお借りして、思い切りぶつかっていくような感覚でした。問いかけるたびに自分の前提が揺さぶられる。その体験が、マーケティングの「兆し」を読む力を育ててくれたと思っています。

未来のマーケティング──誰もがマーケターとなり、社会と共創する

ツノダ 今の時代、マーケティングの捉え方もその領域も変化しましたが、松風さんはこれからのマーケティングをどう捉えていますか。

松風 マーケティングは、もはや専門職だけのものではないと思います。経理であれ、生産管理や人事であれ、あらゆるところで市場をどのように意識するか、自分の考えをどう伝えるかで成果は変わります。つまり、「すべてのビジネスパーソンがマーケター」なんです。マーケティングはビジネスパーソンとして持つべき基本的なスキルセットであり、マインドセットになっていくと思います。

ツノダ そのマインドセットを身につけるための核となる視点は何でしょうか。

松風 突き詰めれば「ターゲットの理解」です。自社のサービスを届けたい市場、相手、一緒に仕事をする仲間、説得したい上司。相手を深く理解しようとすることからすべては始まります。この「相手の視点に立つ」という意識さえ持てば、誰でも身につけやすいはずです。ただ、私たちはどうしても自分の「正解」に基づいて考えてしまいがちで、「相手の視点に立つ」という基本を忘れてしまう。そこが難しいところですね。
 また、さらに言えば、今後はターゲットを理解するだけでは不十分になるでしょう。たとえば環境問題のように、個人の短期的な利便性と社会の持続可能性が相反するテーマもあります。
 生活者に「分別しなさい」と言うだけでは行動は変わりません。脱プラやサステナビリティのように、企業自身が社会課題を共有し、生活者と“共に未来をつくる”姿勢を見せていくことが大切です。こうした社会問題の矛盾こそ、企業がどのような立場で社会に語りかけるかが問われるのではないでしょうか。
 企業は顧客の声に耳を傾けるだけでなく、社会的責任を負う存在として、より良い未来の姿を提示し、市場や社会を「一緒に動かしていく」という能動的な姿勢が求められます。社内外のステークホルダーをどう巻き込み、どう共感を生み出すか。そうした社会との共創こそ、これからのマーケティングの使命ですし、企業を動かすエンジンになると思います。

不確実な時代を生き抜く──未来企業に必要な「胆力」

ツノダ 変化のスピードが加速し、先行きも不透明な時代です。松風さんは、こうした未来を悲観的あるいは楽観的、どのように見ていますか? また、私たちはどのような心構えでいるべきでしょうか。

松風 それは両方ですね。例えば、日本の夏が東南アジアより暑くなっているといった現実を見ると、地球温暖化がもたらす影響については、自分たちの子どもや孫の世代がどんな世界で暮らすのかと心配になります。そういう面では「非常に悲観的にならざるを得ない」と感じています。一方で、例えば気候対応型の農作物の開発や人が行ってきた労働の代替、また食糧問題の解決にはバイオ技術によって救われる部分がきっとあるはずで、そうした面については「楽観的に期待したい」と思っています。

ツノダ その両方の視点を持つことが重要である、と。

松風 はい。そして今、日本企業に特に必要だと感じているのが「胆力」です。世界が分断し、リスク回避的になっている今だからこそ、短期的な財務指標やリスクを恐れるあまり、弱気な戦略をとってはならない。例えば海外進出を考えるとき、多くの人が「あの国は危ない」と一般論で語りますが、リスクの中身を精査し、許容できる範囲を見極めることが重要です。

ツノダ 長期的な視点に基づくリスクテイクが必要なのですね。

松風 まさにそうです。「30年先、40年先に、この場所に根を張っておくべきなのか」を問う。短期的な利益には繋がらなくても、長期的な視点で未来に投資する。そうした胆力が、これからのリーダーには不可欠だと思います。
 今後は若手経営者の育成にも力を入れていきたいと思っているのですが、世界情勢やアクティビストの台頭など、経営環境はいっそう複雑かつハードになっていきます。そうした中で戦う次世代に、この「胆力」を伝えていきたいと考えています。

おわりに──マーケティングとは「キャリアの伴走者」

ツノダ ありがとうございます。最後に改めてうかがいます。ご自身にとってマーケティングとはどのような存在なのでしょうか。

松風 そうですね、難しい質問ですが…。「キャリアの伴走者」といえるかもしれませんね。広告営業からブランド戦略、経営コンサルティング、そしてホールディングスの経営へと歩んできましたが、どの時期にもマーケティングがそばにありました。キャリアのステージによって、その姿や形、自分の中でのウエイトは変わってきましたが、振り返ると常にどこかに存在する、そんな感じがしますね。

ツノダ  姿や形を変えながらも、ずっとそばにいた存在だったのですね。今日のお話をうかがいながら、その感覚が非常によく伝わってきました。本日は貴重なお話をありがとうございました。

〈インタビュー後記〉

 立場は変わろうとも、常にマーケティングとともにあった松風さんのキャリア。マーケティングとは、人や企業の“内側”にある物語を見つけ出し、外の世界へと翻訳する行為ともいえますが、松風さんのキャリアの軌跡は、活動の舞台を世界へと広げながら、まさにその実践の連続でした。
 変化を読み、他者を理解し、社会と対話するための「生き方」そのものゆえに、「マーケティングは、キャリアの伴走者」と言い切れるのでしょう。目の前の手段や目的を超えながら、時代を生き抜くための強くしなやかな「胆力」が確かに宿っている、そう感じた一時間は、なんとも贅沢なひとときでした。

松風 里栄子しょうふう りえこ
MARKETING HORIZON 副編集委員長 
サッポロホールディングス株式会社 専務取締役
株式会社センシングアジア 代表取締役

㈱博報堂、㈱博報堂コンサルティングを経て㈱センシングアジア創業、2016年ポッカサッポロフード&ビバレッジ㈱、2018年から2022年までPokka Pte. Ltd.のグループCEOとしてシンガポールに在住、経営再建しつつ60カ国以上をマネージ。2022年サッポロホールディングス取締役、2025年より現職。ターンアラウンド、M&A、グローバルマーケティング分野で豊富な経験を持つ。

ツノダ フミコつのだ ふみこ
MARKETING HORIZON 編集委員長 
株式会社ウエーブプラネット 代表取締役

社会動向や生活者の分析を通して、価値観変化や生活者インサイトを導き出し、コンセプト開発を行う。問いを重視したきめ細かい伴走型コンサルティングにて新しい価値づくりを支援し、企画力と気づき力を強化する研修も展開。近著『いちばんわかりやすい問題発見の授業』では、書くことで考える力を磨く「具体→抽象→発見」の手法を紹介している。

INTERVIEW

第2回
中島委員のマーケティング・スピリット
「ヒューマニティ」

Interviewee

中島 聡 
MARKETING HORIZON 編集委員 
元 公益社団法人日本アドバタイザーズ協会 専務理事

Interviewer

松風 里栄子 
MARKETING HORIZON
副編集委員長 
サッポロホールディングス株式会社 専務取締役 
株式会社センシングアジア
代表取締役

 『マーケティング ホライズン』での中島さんの企画は、人間に寄り添う姿勢が多くみられるように感じてきました。例えば2023年10号の「ウェルビーイングに包まれて」では、誰ひとり取り残さないという福祉のチャレンジ、字幕付きCM普及への取り組みなどを紹介いただきました。そこには中島さんの哲学ともいえる、人間への優しさが通底しています。そんな中島さんのマーケティング・スピリットに迫りたいと思います。

データベース・マーケティングを会社に根付かせる

松風 中島さんはキャリアを通じ、一貫してマーケティングに携わって来られた印象があります。マーケティングとの最初の出会いはどのようなものだったのでしょうか。

中島 1983年、明治乳業に入社し、静岡支店に配属されました。当時の明治乳業は、宅配では強いけれども、スーパーマーケットでは全く存在感がありませんでした。商品がブルガリアヨーグルトとプリンくらいしかなく、何か突破口がないかと思っていました。ちょうどその頃は、スーパーマーケットがPOSデータの導入を始めた時期でした。ただし、POSデータを導入してもスーパーマーケット側は使い方がわからないということで、「私が分析します」と提案しました。例えば、土日と平日、天候による販売数の違いなど多角的に分析しました。それでバイヤーさんからの信頼を得て、静岡県中部エリアでのスーパーマーケットの売上げが約4倍になったのです。
 2年後に転勤で関東の大型卸売店を担当し、データに基づいて仕事をするうちに、それが本社の耳に入ってプロダクトマネージャーになりました。当時の明治乳業の年間売上高がおよそ2,600億円、そのうち約600億円のブリックパックという商品群の担当です。
 商品開発も広告・宣伝も工場の投資予算ですし、また、約600億円の売上げのうち400億円は自販機での売上げでした。そういうわけで、自販機の売上げ、さらには自販機本体の投資計画、全体の戦略策定も含めて広義のマーケティングでの最初の取り組みとなりました。
 ところが、当時の明治にはマーケティングの概念が無かったのです。そこで会社として本格的にマーケティングを導入することになり、慶應義塾大学の故・村田昭治先生(マーケティング論の第一人者、慶應義塾大学名誉教授、2015年没)をマーケティング顧問に迎えました。

松風 中島さんは社内でデータベース・マーケティングのさきがけだったのですね。村田先生といえばマーケティングの大御所です。会社にとってはビジネス構造的にも意識構造的にも大転換だったのではないでしょうか。村田ゼミといえば有名でしたよね。

中島 大変に有名です。特に日本の流通業2世は村田ゼミ出身ばかりでした。ですので、明治にとってはまさに大転換です。顧問としてお迎えするにあたり、「村田先生のお付きは中島に任せる」と社長・会長に言われました。公私ともの付き人で、車の運転もしましたし、原稿のお手伝いもしました。いわゆる便利屋ですが、接する機会は多く、いろいろと勉強になりました。とにかく多くのことを吸収しようと思い、「先生の教室で勉強したい」とお願いしました。それで村田先生の大学院の教室で学生さんと一緒に勉強させていただき、寝る時間も惜しんで取り組みました。それが私のマーケティング・ヒストリーの第1段階です。

松風 乳業は特に調達分野では国策という側面も大きい業界です。子どもの栄養摂取手段として奨励されたこともあり、マーケティングの概念がなかったというのは容易に想像できます。対流通への取り組みからマーケティングの考え方を取り入れて、何が変わりましたか。

中島 明治乳業の流通に対する突破口を開く、いわば切り込み隊長みたいなことをやってきたと思っています。その結果、社内でUSP(ユニーク・セリング・ポイント)という概念が根づき、加えて、生活者オリエンテッドという概念が芽生えた。明治にマーケティングを導入したのは私だと言われています。それまでの明治には、確かに国策的な事情もありましたので、マーケティングの知識は全くなかったのです。

松風 その過程で、中島さんの仕事への向き合い方や、キャリアビジョンの変化はありましたか。

中島 いえ、キャリアビジョンの変化はあまりなかったような気がします。ただ、本当の意味でのマーケティングをゼロから勉強し直したいという気持ちになりました。当時の上司に「留学したい、マーケティングの勉強したい」と言ったのですが、「そういう人間を育てるのが君の役割だ。君自身がやることではないだろう」と返されてしまいました。そんなことがありましたね。
 一方、村田先生への関与が続いたのは1999年頃まで10年以上にわたりましたから、私自身の骨格、そしてマーケティング概念の土台を築いてくれたのは村田先生かもしれません。先生から学んだことは一言では表せませんが、あえて言えば「幸せを広げるのがマーケティングだ」ということでしょうか。
 また、「事実と真実」という概念がありますね。データは事実ですが最終的には人がそこに絡んでくるわけですから、真実はもっと深いところにあります。その目に見えない部分に対するおそれといいますか、目に見えないものを読み取る力をどうつけるかということを考えました。

マーケティングから経営を考える

松風 私は新卒で博報堂に入社し、マーケティングといってもマーコムの世界から入りましたが、中島さんは明治乳業で製造業という事業側でのマーケティングですよね。流通、カスタマーを起点として、マーケティングとの関わりはどのように広がったのでしょう。

中島 その後、販売企画に異動しました。当時の明治の販売企画は、全社の予算編成権まで握っていました。明治には様々な商品群、例えば粉ミルクもあれば、アイスクリーム、チーズ、バターもある。それぞれ売り方も違えばお客さまも千差万別です。妊婦さんとその他では生活者として全く違うわけです。
 例えば産婦人科の事例をあげましょう。本来、この領域にはあまり男性は入れません。当時、明治では産婦人科担当の栄養士さんを700名ほど抱えていました。その1人にお願いして、産婦人科への営業方法を知りたいと同行させてもらいました。現場では、産婦人科の方々は妊婦さんの人生相談にまで対応していました。これは素晴らしい、こういうふうに生活者と向き合うマーケターになりたいとよく思っていましたね。
 さて販売企画ですが、関わる分野が必然的に多くなり、組織編成や人事にも業務が広がっていきました。組織は戦略に従いますから、究極のブランド戦略というのは人材戦略だと思い始めたのです。それは経営そのものですから、単なるプロダクト・コミュニケーションだけではなくて、人事や組織を含めて経営と直結したマーケティングという感覚になってきました。
 突き詰めると、生活者の課題を解決すること、これがメーカーの使命だと思いました。生活者は乳製品だけを食べるわけではなく、お肉やお魚も食べます。「食卓」をデータベースで分析し、通年の変化も把握する。生活者の全体像を理解できる組織戦略が必要だと思ったのです。
 そこで明治の縦割り組織をデータでつなぎました。同時に、全営業部隊に対して相当な教育をしました。
 MAPS(Marketing Ability Power up Strategic System)という社内ITシステムを開発したことで、少しずつデータの重要性が根づいてきましたし、少なくとも顧客に寄り添った提案ができるようになりました。食品は地域偏差や商圏偏差が大きい分野です。商圏に対応したさまざまな提案ができるようになりました。

ホライズンと自身のテーマ

松風 さて、本誌『マーケティング ホライズン』についてもうかがいます。中島さんの担当されるテーマや特集は、少し哲学的なようで人間味があります。それは中島さんの人となりやご興味の深さを如実に表していると思いますが、テーマ設定で意識されていたことはありますか。

中島 個人的に好きな作家さんの一人が池波正太郎さんです。あの方の目線は、どんな人間だって、いいこともすれば悪いこともするというものです。人間って乱反射しますよね。悪党にしても、誰かを殺したとしても自分は幸せになれると思っている。人は幸せを常に求めていますよね。みんなが幸せになるためにどうすればいいか、同時に、人間の心のひだに興味がありまして。お寺巡りや哲学書を読むのが好きなことが、『マーケティング ホライズン』のテーマに反映されているのかもしれません。
 今のマーケティングは「強者のマーケティング」のような気がして仕方がないのです。当然、自然界の掟として弱肉強食はありますが、それだけではないと思います。例えば全国のお寺には、いろいろな方々がそれぞれの願いでお参りをされています。もしかしたら、途中で行き倒れる方もいるかもしれない。そう考えると、強者だけが生き残るようなマーケティング戦略は絶対やってはいけないし、同時に、商品開発にしても、困っている人を救ってあげられるもの、そういう姿勢が必要だと思うのです。もちろん企業は、短期的に利益を出すことによって株主などのステークホルダーに還元できる。ですが、企業の姿はそれだけではないですよね。結果に至るプロセスをもう少し大切にしなくてはならないと思います。

これからのマーケターへ伝えたいこと

松風 最後に、これからのマーケターに伝えたいことはありますか。

中島 これからのホライズンないしはマーケターへ期待することとしては、もっとベーシックな部分をしっかり勉強してほしいですね。
 レビット(故セオドア・レビット、1925-2006 元ハーバード・ビジネススクール教授)の有名な言葉ですが、「ホームセンターにドリルを買いに行くのは、ドリルが欲しいわけではなく穴を開けるため」です。求められる機能に応えることがマーケティングだと思うのですが、そこが希薄になっている気がします。

松風 深い部分での生活者の理解ですよね。ただ、生活者も情報過多で、情報に踊らされているという側面もあります。さらに気候変動やインフレ、国際的枠組みなど、社会の変化が激しく、真に求めているものが見えづらいようです。

中島 そういう観点では、この世の中を生きる社会人としての常識を身につけることが大切なのかもしれません。また別の視点では、これからのマーケティングはまさに経営機能になっていきます。本当の統合マーケティングという意味で、最終的な根幹はそこにあり、統合していくのはまさに「人」だと思います。

松風 マーケティングの要素を、マーケティングの範囲で統合していくのではなく、一段レイヤーを上げて、企業を構成する各事業や機能を経営視点で統合していく、と理解しました。そこには異なる組織体が向き合う市場や生活者、ステークホルダーの理解はもとより、リソースのアロケーション策定や結果を生み出す統合的なアプローチが求められます。「人」でなければマネージできない領域ですね。
 本日はありがとうございました。

〈インタビュー後記〉

 中島さんのマーケティング・スピリットは「人」への愛であふれています。弱者に目を配り、全ての「人」を尊重していこうという想い、また強者だけにフォーカスすることへの警鐘が、ホライズン読者へ、そしてマーケッターへの静かで強いメッセージでした。

中島 聡なかじま さとし
MARKETING HORIZON 編集委員
元 公益社団法人日本アドバタイザーズ協会 専務理事

一般社団法人デジタル広告品質認証機構代表理事、日本広告審査機構理事、ACC理事の他、マーケティング広告関係の複数団体の委員を務め、マーケティング及び広告活動の健全な発展のための活動を行っている。同時に明治大学大学院及び高千穂大学大学院にて教鞭をとり、若い世代の人財育成活動を行っている。

松風 里栄子しょうふう りえこ
MARKETING HORIZON 副編集委員長
サッポロホールディングス株式会社 専務取締役
株式会社センシングアジア 代表取締役

㈱博報堂、㈱博報堂コンサルティングを経て㈱センシングアジア創業、2016年ポッカサッポロフード&ビバレッジ㈱、2018年から2022年までPokka Pte. Ltd.のグループCEOとしてシンガポールに在住、経営再建しつつ60カ国以上をマネージ。2022年サッポロホールディングス取締役、2025年より現職。ターンアラウンド、M&A、グローバルマーケティング分野で豊富な経験を持つ。

BOOKS

『組織は倫理をないがしろにする 
戦略的に「誠実性」をデザインする』

『組織は倫理をないがしろにする 
 戦略的に「誠実性」をデザインする』
ロバート・チェスナット 著 
並木将仁 監訳 松山宗彦 訳 日経BP

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エグゼクティブアドバイザー 
合同会社OFFICEしもふり代表

INTERVIEW

第3回
グローバルな舞台で、
マーケティングの感性を磨く

Interviewee

德田 治子 
MARKETING HORIZON 編集委員 
コーン・フェリー・ジャパン プリンシパル

Interviewer

中島 聡 
MARKETING HORIZON 編集委員 
元 公益社団法人日本アドバタイザーズ協会 専務理事

 これまで複数のキャリアを積み重ねられ、「人と社会をつなぐ」仕事をされている德田治子さん。現在、日本とタイの二拠点生活をされているグローバルな視点から、マーケティングに欠かせない感性や態度とはどのようなものか、これからのマーケティングのあるべき姿などを幅広くうかがいました。

マーケティングとは、市場を読み顧客を理解する感性力

中島 德田さんに初めてお会いしたのは、もう15年以上前のことかと思います。以前から德田さんには助けてもらってばかりで、その上、数年前にはホライズンの編集委員になっていただき、本当にありがとうございます。

德田 素敵なご縁をつないでいただき、中島さんには感謝しております。

中島 現在はどのようなお仕事をされているのですか。以前からのヘッドハンティングのお仕事ですか。

德田 日系のエグゼクティブ・サーチファームで、ヘッドハンティングの仕事をしていましたが、今年の4月、ニューヨーク証券取引所に上場しているコーン・フェリーという外資系企業のジャパンオフィスに転職したところです。
 コーン・フェリー社は2015年にヘイグループ(最大手の人材コンサルティングファーム)を買収しており、私はヘッドハンティングに加えてアドバイザリーという仕事をやっています。簡単に言うと、サクセッション(後継者育成、事業継承)、アセスメント、リーダーシップ、コーチングといった領域に広がっています。

中島 素晴らしいですね。本日は、德田さんのキャリアに関するお話や、マーケティングとの出会い、その過程でどのような考え方の変化があったのかお伺いしていきたいと思います。

德田 キャリアともつながるのですが、私にとってマーケティングとは、「市場を読む力、人や顧客を理解する力」だと思っています。それが、実は自分のキャリアを築いてきた感性そのものだと感じています。
 なぜなら、特に顧客と同じ目線で考えるためには、生活の中で感じることに気づくということが非常に重要だからです。消費者の行動や社会の変化を敏感に感じ取って積み重ねてきたことが、結果的に私のキャリアを大きく広げてくれたと感じています。

「変化を読み、新しいビジネスを生み出す」──原点の言葉

德田 私は、社会人1年目で大手化粧品会社に入社し、3年目にマーケティング戦略部という部署に異動になりました。3年目の若手がいきなり会社の戦略に関わって果たして役に立つのかと不安ばかりだったのですが、そのときの部長に言われた言葉を今も鮮明に覚えています。
 部長は、「君の仕事は与えられたことをやるのではない。世の中の変化を理解して、会社に必要な新しいビジネスを生み出すことだ」というお話をしてくださったんです。私がここまで来られたのは、彼の一言が、非常に大きな一歩を踏み出す勇気を与えてくれたからだと思っています。そこから市場を見る、そして未来を読むということを意識し始め、それが私のキャリアのスタートになりました。

中島 具体的にはどのようなお仕事をされていたのですか。

德田 当時はビジネスモデル特許というものが流行しており、何もないところからアイデアを出して特許の形にするという作業をやっていました。本当に右も左もわからない社会人だったので、非常に苦しい作業ではありましたが、当時、普及し始めたドコモのiモードを利用して、「歩数と食事を記録してカロリー計算をした上で、夕食に最適なメニューを提案するサービス」という企画を考え、特許用に文字で起こして、それが実際に認められたというのが社会人3年目の大きな仕事でした。また同時に、何もないところからの発想が実際に市場を動かす力になる喜びを得た最初の経験でもあります。

中島 今はさまざまなヘルスケアアプリがありますが、その第一歩ですよね。非常に先進的です。

德田 そうですね。食事を記録するサービスというアイデアの卵を自分がつくったことはとても良い経験になりました。そのような経験を積み重ねていくことによって、マーケティングの感性が磨かれていくのだなと今、振り返っています。

感性とは、違和感に気づく力

中島 今、感性という言葉が出てきましたが、私自身もマーケターは努めて感性を磨かなければならないと思っていますし、感性が鋭くなければ、マーケターとして限界が来るのではという感覚があるのですが、どうお考えですか。

德田 まったく同感です。例えば、新しい職場に移ったときに、今までの環境との違いに気づく。人も違いますし、仕事のやり方も違いますから、そのあたりの違和感を、何かちょっと違うと気づいて、それを言葉に出して、しっかりと周りに伝える。あるいは、その感性の違いとは何なのかを考えていく。そこがマーケターの源泉だと思っています。それを続けてきた結果、何度かの転職を経て、自身のキャリアが形成されたと感じています。

中島 マーケティングの感性といえば、今は女性特有の非常に細やかな感性が必要不可欠となっていますね。

德田 おっしゃるとおりです。毎日の生活行動については、男性も関わる方が増えてきましたが、やはりまだまだ女性が中心となっている部分が多いです。実際、生活行動に根ざした感性を仕事に生かして活躍している女性も多いですよね。

人と社会をつなぐマーケティング

中島 感性や女性のお話が出てきましたが、ブランド戦略やマーケティング戦略などは、企業にとって、実は「人事戦略」だとよく言われますが、その点についてはいかがでしょう。

德田 私が社会人になってすぐに感じたのは、まさに「組織は人なり」ということでした。これまで多くの戦略を策定してきましたが、それに関わる人が誰か、あるいは、その人が意志を持ってやるかによって戦略が実際に動き、結果が出る。それがもっとも大切だと思っています。
 以前いた会社で、自身の中長期的なプランを模索していたとき、当時の社長から「君のマーケティング感性は“人と社会をつなぐところ”に生かせるから、ヘッドハンティングに向いているのでは」と言われました。その方がおっしゃった「人と社会をつなぐマーケティング」は、私の人生後半のマーケティング・テーマにぴったりだなと直観的に思ったんです。それで、以前のマーケティング領域とはまったく違う、いわゆる人材のエグゼクティブ・サーチの世界に転職することに決めたのです。
 「人と社会をつなぐマーケティング」は、実は日系企業のもっとも弱い部分なのです。事業基盤をもっと強く、太くしていくためには、人事戦略が非常に重要です。
 日系企業の多くで事業がうまくいかなくなる理由の一つが、社内のサクセッションです。すなわち次の社長を誰に託すかによって衰退していくことにもなるわけです。会社の社長または社長を支える人事のトップは、会社にとってまさに命のような存在ですから、そこに会社のサステナビリティを実現できる人材をしっかりとつなぐのが、ヘッドハンティングの役割なのです。

中島 素晴らしいですね。日本企業も、もっと注力してほしい点ですね強化。

日本とタイの二拠点生活から、次のステップへ

中島 さて、少し話題を変えたいのですが、德田さんは今、タイにお住まいなのですか。

德田 はい、タイのパタヤに第2の拠点を持っていて、年に4回ほど東京と行き来をしながら生活しています。長く滞在するときは2週間ほど、短い場合は1週間程度です。現在の会社はリモートで仕事ができるので、タイにいる間もリモートワークをしながら日本のお客さんや社内メンバーと会議をするというスタイルです。
 私自身の一つのテーマである「市場を知る、生活者を知る」マーケティングの感性を磨き続けるためにも、いろいろな国、場所、人と、新しい出会いを経験することが大事だと思っています。

パタヤの自宅から見える夕陽

中島 パタヤにもう一つの拠点を設けられた理由は何なのでしょう。

德田 私は中学生のときに、父親の仕事の都合でインドネシアのジャカルタに3年ほど住んでいました。中学生で海外に住むということは私にとって衝撃的な出来事で、人生の大きな経験となりました。そのとき私は、いつかグローバル、特にアジアと日本をつなぐ仕事に携わりたいと思ったのです。加えて、以前在籍していたマーケティング・リサーチ会社のアジア総支社がタイのバンコクにあり、当時は生活者調査や日系企業のマーケティング支援に携わっていましたので、バンコクにはかなり馴染みがありました。
 実は、バンコクと日本とは類似点が大きく三つほどあります。一つは仏教国で宗教が同じです。二つ目はどちらもアジアの中では植民地になっていない国であること。よってその国独特のカルチャーが多く残されています。三つ目はお米の国であること。どちらも主食が米で、食生活が非常に似ています。このような点も含めて、タイと日本はきっと一緒に何かを生み出せるのではないかと、私のマーケティングの感性が直感したわけです。
 それともう一つ、タイはウェルビーイングが非常に進んでいる国として注目されています。笑顔の国と呼ばれるほど、若い人もお年寄りも笑顔が多い。タイ独特のカルチャーや、ゆるりとした柔らかい生活のリズム、あるいは熱帯モンスーン気候のせいもあるのかもしれません。そのようなことを学びながら、日本企業にも生かしていけるお手伝いもできたらなと考えつつ、タイでの生活を楽しんでいるところです。

中島 なんだか理想の働き方をされていますね。二拠点生活によって、視野も人間関係も多様に広がっていくのではないですか。

德田 私は、タイと日本のマーケティングのかけ橋になっていきたいと考えています。国境も言葉も越えて皆が集まれる特別な交流の場もつくってみたいと思っています。そこでは、日本とタイの文化、ビジネス、スポーツ、食事など、あらゆるテーマがきっかけとなって、気がつけば誰もが家族のように打ち解けているような国際交流の場をつくりたい。もちろん、タイだけではなく、海外と日本をつないでいく中で、自分が感じた違和感にきちんと気づいていけるマーケティングの感性を磨き続け、社会に貢献していきたいと考えています。
 最近始めたばかりなのですが、YouTubeを通じた情報発信を行っています。タイに行ったときに現地の人向けに発信したり、逆にタイの情報を日本人向けに発信したりということもやっていきたいです。

タイ人の友人と、現地で有名なジムトンプソンのシルクスカーフを巻いて

グローバルな舞台で経験を積む

中島 今後、日本の若いビジネスパーソンが海外でビザを取得して多様な国で働くという場面も増えてくると思うのですが、グローバルな視点をお持ちの德田さんから何かアドバイスはありますか。

德田 私が若い人たちに伝えたいと思っているのは、「すべて経験」ということです。生きていることの価値を何に置き換えられるかというと、それは経験だと思っています。いろいろな経験をすることによって、マーケティングの感性もどんどん磨かれていく。市場を読む力や顧客を知る力も、もっともっと磨かれていくと思います。
 今の時代、若い人たちの中には新しい仕事を始めることに対して保守的ではなく、それがチャンスだと思って動いている方も多いですよね。できれば、その場を国内だけではなくグローバルにも広げていただき、自分が仕事をしてみたいという好奇心を抱いた国や場所に思い切って飛び込んでいくチャレンジを続けていただきたい。言い換えますと、マーケティングを通じて自分自身をどう成長させたいか問い続けてほしいと思っています。

中島 マーケターも世界に飛び立っていってほしいですね。

德田 本当にそうですね。日本では人口も減っていきますから、その分、タイやその他の国の人たちに日本に来ていただいたり、日本で働いてもらったりという交流ももっと広げていく必要があるでしょう。私も、そのような面でかけ橋になれるマーケティング活動ができたらと思いますし、わくわくしながら今後のキャリア、未来の働き方を追求していきたいと思っています。

これからのマーケティングは「人を輝かせる力」

中島 日本の若いマーケターに感じられていることはありますか。

德田 データやAIが進化する時代ですから、それらと対話することに夢中になっていますね。しかし、若い人たちのキャリア形成には、市場を読む力や人を理解する目など人間らしい感性が非常に大事になってくると思います。
 また、若い人たちには、マーケティングを通じて自分自身をどう成長させたいかを問い続けてほしいです。マーケティングは仕事だけではなく、例えば私がタイにも拠点を持っているように、自身の人生を豊かにしてくれるものと捉えてほしいですね。AIだけでなく実世界での経験を積み、感性を高めていく活動にチャレンジしてほしいと思います。

中島 本日は貴重なお話をありがとうございました。

〈インタビュー後記〉

 徳田様との出会いは徳田様がインテージ社で明治乳業のご担当に就任された時でした。当時、私は明治で様々なデータから流通、生活者の方々にソリューションプランをご提案する部門の責任者でしたが、データという事実と企業、生活者の思いを融合される手腕に、深い分析力と温かな人間愛、企業愛を受けました。まさに本来のマーケティングが持つ使命そのものです。今、タイという場所にも新たな拠点を設けられ、日本の若い方々の幅広い視野の醸成にも取組まれておられる事、マーケティング、人間への深い愛情を感じます。心から最大限のエールを贈りたいと思います。フレーフレー徳田さん!

德田治子とくだはるこ
MARKETING HORIZON 編集委員 
コーン・フェリー・ジャパン プリンシパル

INTAGE、KPMGコンサルティングを経て、エグゼクティブ・サーチ業界へ。マーケティングと人材戦略のかけ橋となるアドバイザーとして、日系大手企業のサクセッション支援やリーダー育成に携わる。株式会社HAL代表取締役として、日本とタイをつなぐウェルビーイング事業も展開中。

中島聡なかじまさとし
MARKETING HORIZON 編集委員 
元 公益社団法人日本アドバタイザーズ協会
専務理事

一般社団法人デジタル広告品質認証機構代表理事、日本広告審査機構理事、ACC理事の他、マーケティング広告関係の複数団体の委員を務め、マーケティング及び広告活動の健全な発展のための活動を行っている。同時に明治大学大学院及び高千穂大学大学院にて教鞭をとり、若い世代の人財育成活動を行っている。

INTERVIEW

第4回
「誰もやらないなら、僕がやる?」
──社会を動かす“つなげる”デザイン

Interviewee

見山 謙一郎 
MARKETING HORIZON 編集委員 
昭和女子大学 人間社会学部現代教養学科 教授

Interviewer

德田 治子 
MARKETING HORIZON 編集委員 
コーン・フェリー・ジャパン プリンシパル

 ご自身のミッションは、「人と人をつなげ、社会課題の解決に近づくこと」と語る大学教授の見山謙一郎さん。社会課題解決のために実践されているアプローチ手法や“人”を起点としたマーケティングの必要性についてうかがいました。

社会のために働くという初心

德田 まず、見山さんのキャリアの原点についてお話しいただけますか。最初は銀行にいらっしゃって、そこからどのような経緯で今の大学教授という職業につながっているのでしょうか。

見山 僕は1990年度卒なので、いわゆるバブル期の人間です。就活は超売り手市場でしたが、企業に就職するというイメージは実はあまり持てませんでした。理由としては、僕の親が公務員だったからだと思います。
 父とは仕事の話をする機会はあまりありませんでした。小学1年生頃の記憶ですが、一緒にアメリカ大統領訪日の報道をテレビで見ていて、「アメリカでは大統領が一番偉いの? じゃあ、日本で一番偉いのは誰なの?」と聞くと、父は「特定の誰かが偉いじゃないんだ、一人一人が皆偉いんだ。だから、おまえも偉いんだよ」と言ったのです。今思えば、それが公務員という仕事なのかな、と何となくイメージしたことを鮮明に覚えています。
 僕が社会に出たときも、会社や私企業のために働くというよりは社会のために働きたいという思いが漠然とあって、公務員とは異なりますが民間でも公益性の高い仕事ということで、最終的に銀行を選んだのだと思います。

德田 その後、銀行を退職され現在のフィールド・デザイン・ネットワークスを立ち上げられたわけですが、どのような挑戦をされてきたのでしょう。

見山 銀行時代、大企業の担当になり、多くの経営者と話をする局面になって、やはり経営学を知らないと彼らと話ができないと思い、母校の立教大学のMBAコースに入りました。それが僕にとっての大きな転機になったのです。銀行の価値観が自分の中のすべてを占めるようになっていたときに、外の空気を吸ってみて、世の中には多様な職業や価値観があるし、スタートアップなどで頑張っている人たちもたくさんいる。銀行の価値観がすべてではないと強く感じました。
 また2年間、仕事をしながら大学院に通っていましたから、自分の中のオンとオフの使い分け、そのバランスが非常に快適でした。大学院を修了したときに、このまま仕事だけの人生は送りたくないなと思い、NPOというスタイルで社会に貢献できる活動をやりたいと考えていました。

自分にしかできない“人と人をつなげる”こと

見山 銀行時代に大手製紙会社を担当していました。そこは日本で最大の森林を持っている会社でしたし、1997年には地球温暖化防止京都会議が開催されたこともあり、環境問題に強い関心があった時期でした。
 しかし、僕が大学院を卒業した2005年当時は、世の中で今ほど環境問題が騒がれていない時代でしたから、企業やNPOと行政が考える環境問題のベクトルがどうも合っていないなと感じていました。そのベクトル合わせをする人材がこれから必要になると思い、そのようなNPOを立ち上げようと考えていました。
 その際に、さまざまな環境活動に取り組んでいる方々にインタビューをしていたのですが、その中でMr.Childrenなどのプロデュースをしていた音楽家の小林武史さんに出会いました。小林さんも環境問題に取り組む団体を融資でサポートするap bankを立ち上げたタイミングで、僕は金融機関に勤務しているということで仕事の後に相談を受けていました。こうした活動を続ける中で、ある日銀行を辞めてap bankに来ないかという話になりました。
 いろいろ悩みましたが結果的に銀行を退職した理由は、興味がある世界に足を踏み入れないで後悔するよりも、踏み入れてもし失敗しても、そちらのほうが後悔しないと思ったからです。しかしもっと大きな理由は、僕がこの話を断って、別の人がやることになったら、僕の思いは消えてしまうので、ならば「自分の思いは自分で実現するべきで、自分にしかできないことだな」と思ったからです。
 小林さんたちとap bankで3年ほど一緒に活動し、ある程度の仕組みもできて軌道に乗ってきたところで僕は役割を終えるのですが、ap bankでの最後の仕事がNHKの方々と一緒にap bankの特集番組をつくることでした。そのときのご縁が独立後の最初の仕事となるNHKの大型環境番組と連動したイベントプロデュースにつながりました。NHKのルールで個人とは取引できないとのことで、やむなく(笑)つくったのが、フィールド・デザイン・ネットワークスという会社です。この社名に込めた思いは、環境問題だけに限らず、国内外を問わず社会全体をフィールドに、さまざまな社会課題解決に向けた取り組みをデザインし、いろいろなジャンルの人たちをつないでいきたいということです。

德田 素晴らしいコンセプトですね。そこから今の大学教授のお仕事につながっていくのでしょうか。

見山 そうですね。面白いもので、人が退路を断った後には新しい風が吹いてくるものです。ちょうど僕がap bankを辞めた頃、母校の立教大学がバングラデシュのグラミン銀行と共同研究を始めることになったのですが、グラミン銀行はバングラデシュで雇用創出型のソーシャルビジネスを日本企業と連携してやりたいというニーズを持っていました。しかし、大学側のリソースでは、ビジネスと金融とNPOをつなぐような人材が当時はいませんでしたので、卒業生の僕に白羽の矢が立ったのです。2006年にノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行のことはもちろん知っていましたから、「他にやる人がいないのなら、自分がやるしかないな」と思って引き受けました。そこから大学教員の道が拓けていったというわけです。

德田 先ほどから「他にやる人がいないのなら僕がやるしかない」という言葉が何度も出ていますが、それは前例がないことで非常に難しいことだと感じます。見山さんの中で、やって良かったことと苦労したことはそれぞれどのようなことですか。

見山 やって良かったという点では、導かれるままに自分の世界観が広がっていくという経験ですね。いろいろなお話が僕という人間に来るわけですが、それらは一見ばらばらです。それが僕を通じてつながっていくことを実体験できますし、そのことによって、いろいろな社会課題をつなぐヒントが得られるのはとても良いと思います。
 逆に苦労するのは、おっしゃったように前例がないことなので、やってから気づくことが多いということです。こういうことが起こるだろうという想像とは全く違うことが起きるケースはたくさんあります。ただ、そういう想定外の事態に対応、適応していくしかないわけですから、そういう意味では「変事対応力」や「適応力」が付いたことが今の自分につながっているのかもしれないですね。

德田 変化の激しい世界の中で時代に即した適応力を身に付け、見山ワールドをつくりあげてこられたのですね。
 見山さんのつなげられたネットワークで、印象に残るものをご紹介いただけますか。

見山 どれも僕が何かやったというよりは、僕が誰かと出会って、そこから何か化学反応のようなものが起きて、いろいろなものが生まれてくるというイメージです。
 例えば、先ほどのバングラデシュの話ですが、グラミン銀行は雇用創出型のビジネスをやりたいと考えていたわけですが、たまたまユニクロに立教大学院の修了生の方がいて、その方からユニクロの柳井社長がグラミン銀行との提携に興味があると伺ったことが縁で、バングラデシュでグラミンユニクロの立ち上げをお手伝いしました。この関係で、私が初めてバングラデシュに行ったとき、現地で出会った日本に留学経験のあるバングラデシュ人の方が、日本企業のバングラデシュ進出の支援をやりたいということで、包括的に連携しましょうという話になりました。
 このように、一つのことをきっかけに人とつながって、そこでまた新しいことが起こっていくという流れです。僕一人では絶対できないことでも、そこで出会った人たちと一緒に新しいことができるという経験ですね。
 地方活性化の例では、鳥取県智頭町の事例が面白いです。町の取り組みが、その頃、内閣府で取り組み始めていた「SDGs未来都市」にふさわしいと思い、当時の町長さんにぜひ申請するべきだと進言しました。企画課の課長さんなどと一緒に提案内容を考え、その結果、採択されたのです。これも僕の力ではなくて、もともとあった土地の力と人とのつながりを結びつけて一つの形にしていく作業をご一緒させていただいただけなのです。そのような人との出会いが、結果として自分を大きく成長させてくれるのを毎回実感しますね。

德田 見山さんは、人との出会いを通じて、その人たちの思いをつなぐ、プロデュースしていく力を持っておられるのですね。

「ダブルダイヤモンド」というアプローチ

德田 現在、見山さんが取り組んでいらっしゃる「ヒューマンセンタードデザイン(Human-Centered Design:人間中心設計)」の活動についてお聞かせいただけますか。

見山 ヒューマンセンタードデザインもデザインシンキングの一つですが、僕がいつも授業の設計などで使っているのが「ダブルダイヤモンドモデル」というメソッドです。まず課題だと思うことを発散したのち、収束のプロセスで正しい課題を定義し、その後、解決方法を発散し、解決策へと収束させていくプロセスです。課題を生み出すのも、解決するのも人間ですので、このアプローチを使って、社会課題を考えていくというのが僕のスタイルです。世の中では気候変動への対策が議論されていますが、気候変動対策は手段に過ぎず、最終的な目的はやはり“人間の未来、幸せにつながる”ことだと考えています。

德田 「ダブルダイヤモンドモデル」について、もう少し具体的に教えていただけますか。

見山 例えば環境問題ですと、今の大学生は中高生のとき、授業で環境問題を学んでおり、一定の知識はあるのですが、どうも環境問題とは海洋プラスチックの問題、地球温暖化の問題などと答えがセットになっている、いわゆるステレオタイプな印象を受けます。
 僕の授業では、まず「環境問題だと思うことをたくさん発散してごらん、自分の身近なことから環境問題をいろいろ考えてごらん」と問いかけます。すると、水の問題や廃棄物の問題などいろいろ出てきます。次に「その課題はなぜ生まれると思う」などと議論を進めていくと、人間生活とのつながりが明らかになってきます。自分たちとの関係性が明らかになってから「では何をやればいいですか」と問うと、自分事としていろいろと解決策を考えていくことになる、という進め方です。まず何が課題かということを一つに決めつけずに広げて考えていき、課題を自分たちで定義したのち、同じように解決策をいろいろ出して発散させたのち、収束させていくわけです。解決策を考えることが重要だと思われがちですが、実は正しい課題を設定することのほうがより重要だと思っています。

 それともう一つ。僕は“ゼロイチ”で考えてもらうことが好きなのですが、ある企業からテーマをいただいて、この企業にどういうサービスがあれば学生の満足度を高められるかと問い、学生たちに自分たちが欲しいサービスをたくさん提案してもらいました。いろいろなサービスが出た後に、「じゃあ、企業で実際にそのサービスがあるかどうか確認してごらん」と促すと、学生が考えたようなサービスやビジネスのほぼすべてはその会社ですでにやっているわけです。そうなると学生は「どうしたらいいですか」となる。そこで、「君たちはこの会社のこのサービスがあることは知らなかった。何で?」と問う。そうすると、ターゲットは自分たちなので、なぜそのサービスを自分たちが知らなかったかという理由を挙げていって、「これが課題です」と見つけ出します。ならば「それに対して対案を考えてごらん」と問いかけると、とても良い提案が次々と出てくるのです。
 ですから、ゼロイチで考えること、つまりまずは自分の頭の中でものやことを想像してみるというプロセスが非常に大切です。おそらく経営学などの授業だと、まず企業のサービスを分析することから入るわけですが、そうすると、それを超える発想は出てこないと思います。ゼロベース、ゼロアタマで考えてもらって、現実と突き合わせ、そこで何が課題かということを見つけていくアプローチをしているわけです。

德田 まず欲しいものを考えるニーズ発想から始めて、何が市場にあるかのリサーチ、そしてそれを超えるものを創造的に考えさせるというアプローチですね。それは社会人でも意外とやっていない人が多いですね。

“人”起点のマーケティングを

德田 これから取り組んでいきたい社会課題など、挑戦したい研究テーマがあればお聞かせください。

見山 もともと自分の専門が何かわかっていませんが、いろいろなことをつなぐのが専門とすれば、学際的な領域が専門ということになります。最も居心地がいいのは社会課題を経営学の手法で考えていくということなので、専門は「経営社会学」と説明しています。これまで環境問題や途上国の貧困課題、地方の課題などに取り組んできたのですが、女子大の教員を始めてからは、ジェンダーの問題を自分ごととして捉えられ、強く意識するようになりました。
 もう一つは情報リテラシーの問題です。これは今、とても重要な社会課題になっていますね。生成AIに頼りすぎている世界で、今の人たちはGoogle経由ではなく生成AI経由でものを探したりしています。マーケティングは、本来どうやって人をもっとエモーショナルにするかということで、“人”起点で考えられていたわけですが、今は生成AIが中心になっています。そうなると、人の価値観や感情はどこにいくのだろうという違和感、恐怖を強く感じています。ただし、そういう世界から引き返してくる人もたくさんいると思いますから、そうした人たちと一緒に、生成AI時代だからこその人の感情や情緒を大切にするマーケティングを考えていきたいと思っています。

德田 そうですね。今の学生や若い人たちは、私たち以上にAIと話している時間のほうが長いのかなと感じることが多いですよね。人のマーケティングを知っている我々がどうやって若い人たち、未来の人たちに呼びかけていくかはとても大事なことだと感じました。

見山 コロナ以降、逆にオフライン、ライブなどの価値は上がっています。そういうものを本質的に人は求めていますよね。コスパ、タイパがもてはやされていますが、本質的に人間に必要なことはコスパ、タイパでは測れないものだと思っています。

德田 一方で、AIをうまく使いこなせる人がこれから社会で活躍していくとも言われています。AIをうまく使いながら人としてのマーケティングをやっていく社会を実現していくことも大事だと思います。

見山 生成AIに頼れる部分は頼っても構わないとは思います。ただし、過度には頼らないということでしょうね。

新たな社会課題にネットワーク力で立ち向かう

德田 最後に、マーケティングに携わっている方々に、社会課題に企業はどう向き合うべきかなどについてメッセージをいただけますか。

見山 僕がマーケティングホライズンの編集委員になった十数年前は、SDGsもありませんし、社会課題は経営課題とは別軸にあったような時代でしたね。しかし、マーケティングはもともと経営理念から導き出されていくものだと思いますから、実は社会課題と無縁な経営理念はないのです。その意味で言うと、企業が社会課題に取り組むことは別に新しいことではなくて、企業が原点に立ち返るということです。社会の中でどう存在し続けるかということが、マーケティングでも求められる時代になってきたのだと、僕はすごくポジティブに捉えています。
 一方で、社会課題の捉え方自体がこれからどんどん変わっていくと思います。また、さまざまな社会課題を伝える情報媒体が非常に脆弱になってきていますから、これから社会課題をどう発信していくのかも重要になってきます。さらに、情報そのものの社会課題もあります。生成AIやフェイクニュース、デジタル広告の課題などいろいろあります。これらはまさに情報化社会が生み出した新たな課題です。ますます答えがない時代に入ってきたということを強く感じます。

德田 答えがない時代をこれから生きていく私たちにとって、一人一人が持つべきスキルとはどのようなものでしょう。

見山 やはり多様なネットワークを持つことだと思いますね。僕自身の経験からも言えることですが、例えば環境問題を専門家の視点だけで見ていても見落とすことがあります。そこに、例えば地方の課題や途上国の課題などを組み合わせることによって見えてくるものがあるはずです。課題を一つ一つ別々の軸で捉えるのではなくて、それらをつなげて考えていくと何かしらのヒントが見つかるような気がします。

ですから、いろいろなネットワークをリアル空間で持つことがとても重要だと思います。それは僕の教員としての役割かもしれませんね。それも含めて企業や研究機関の人たちと一緒に考えていきたいと思っているところです。

德田 本日はありがとうございました。

〈インタビュー後記〉

 見山さんのお話を伺いながら、「人と人をつなぎ、前例のない世界に一歩踏み出す力」が社会を動かしていくのだと強く感じました。私自身も、“人”起点の価値づくりへの探究心を持ち続け、見山さんのように、つながりから新しい未来を創る姿勢を大切にしていきたいと思います。

見山 謙一郎みやま・けんいちろう
MARKETING HORIZON 編集委員 
昭和女子大学 人間社会学部現代教養学科 教授

1990年住友銀行(現三井住友銀行)入行。銀行時代は、本店営業部等で企業の経営戦略支援に従事。2005年同行を退職し、アーティストが設立した非営利の金融組織ap bankに合流し、理事をつとめた後、株式会社フィールド・デザイン・ネットワークスを設立し、代表取締役に就任。立教大学大学院ビジネスデザイン研究科特任准教授、専修大学経営学部特任教授等を経て、2024年より昭和女子大学現代教養学科教授。環境省、総務省、林野庁など中央省庁の委員をつとめるほか、(公財)三井住友銀行国際協力財団の評議員など非営利の活動にも従事し、Human-Centered Designのアプローチから様々な社会課題に取り組んでいる。

德田 治子とくだ・はるこ
MARKETING HORIZON 編集委員 
コーン・フェリー・ジャパン プリンシパル

INTAGE、KPMGコンサルティングを経て、エグゼクティブ・サーチ業界へ。マーケティングと人材戦略のかけ橋となるアドバイザーとして、日系大手企業のサクセッション支援やリーダー育成に携わる。株式会社HAL代表取締役として、日本とタイをつなぐウェルビーイング事業も展開中。

INTERVIEW

第5回
リアルな世相観察力と、ファッション感性から生まれる
自分らしさとコミュニティのかたち

Interviewee

吉田 けえな 
MARKETING HORIZON 編集委員 
コミュニケーター

Interviewer

見山 謙一郎 
MARKETING HORIZON 編集委員 
昭和女子大学 人間社会学部現代教養学科 教授

 世界を股にかけ、ファッションやアートの世界で活躍されている吉田けえなさん。世相やトレンドを見抜く視座や、ファッションの持つ可能性、さらには将来的なコミュニティづくりへの構想について伺いました。

リアルから学ぶ基本姿勢

見山 私が『マーケティング ホライズン』の編集委員になったときには、すでに吉田さんは編集委員を務められていました。どのような経緯だったのでしょうか。

吉田 片平秀貴先生(初代編集委員長)が、私が長年お仕事をしている会社の代表に相談されたのがきっかけです。それなら若い人を入れたほうが面白いのではと私を推薦してくださいました。海のものとも山のものともつかない人間をよく受け入れてくれたなと思います。

見山 ホライズンの編集会議はおおらかで居心地が良くて、専門性も多種多様な人たちが集まってとても面白かったですね。編集委員になった当時、吉田さんには、自分自身がマーケティングの専門家であるという意識はありましたか。

吉田 いえ、あまりありませんでした。当時から、月2~4回ほど定点観測として街を見て回っていました。個人的にも仕事としても7~8年続けていましたね。見て、歩いて、食べて、体感することがマーケティングの基本であり、世の中の流れを見極めるための基本だと代表から教えられていました。商業施設の開発やアドバイスに長く携わる中で、リアルから学ぶことが最も強いという信念を叩きこまれました。とはいえ、マーケティングを体系的に学んできたわけではありませんし、自分がマーケティングの専門家だと捉えたこともあまりなかったですね。ただ、私にできることは、自分の一次情報で勝負することしかないという意識はあったと思います。

見山 編集会議で長年ご一緒して、吉田さんの行動力と観察力にいつも刺激を受けていました。特に印象的だったのは、「アメリカに行こうと思う」と話されていて、本当に数年間渡米してしまったことです。

吉田 2014年から2016年にかけてニューヨークに滞在しました。私は生まれてから日本にしか住んだことがなかったのですが、気が合う友人に帰国子女が多く、日本だけで育ったという人は少なかったのです。そのことが何かしら影響していたのかもしれません。
 実は、ニューヨークには全く興味がありませんでした。日本とヨーロッパは建築などが全く違いますし、ヨーロッパは古い建物も多く、日本とは異なるカルチャーがあります。一方、アメリカ、特にニューヨークは大都市で、建築や人の多さなど、東京に似ていると感じる部分がありました。ところが、仕事でニューヨークに行くようになって、人々の発するエネルギーの強さに驚き、興味が湧いたのです。おそらく世界中からエネルギッシュな人たちが集まっているからだと思います。東京も同じように新しいものがある街なのに、なぜこれほど空気が違うのか。その違いを住んで体感してみたいと思ったのがきっかけでした。
 今でも覚えているのは、当時の東京では、地下鉄の長いエスカレーターを上から下りてくる人たちが死んだ魚のような目をしていて、手塚治虫の描く人造人間がベルトコンベアで流れてくるように見えたことです。ニューヨークも同じような街なのに、東京のような雰囲気が全くなく、人が人らしく生きている、個性を放って生きているという印象を受けました。

見山 なるほど、日本には閉塞感があり、吉田さんにとっては生きづらさのようなものを感じていたということでしょうか。 

吉田 すごく生きづらいと感じていたわけではありません。ただ、自分の行動が変だと思われているのではと感じることはありました。少し不思議そうな顔をされることもありましたね。私はあまり他人に興味がないので、どう思われようが気にはならないのですが。

世相を反映し、自分をつくるファッションの力

見山 ホライズンでの吉田さんは、ファッションの専門家としての役割もありましたよね。実際に私もファッションのイベントで一緒に登壇させていただいたこともありました。吉田さんはファッションの定義というか、ファッションをどのように捉えていますか。

吉田 私の捉え方は二つあります。
 一つは、ファッションは人の思想や、そのとき感じていることを色濃く映す鏡だということです。コロナ禍では特に顕著でした。人の目を気にしなくなったことで、皆が好きなものを着るようになりました。ジェンダーフリーのようなファッションも含めて、自分が着たいから着る、着ていて心地よいものを選ぶ、自分らしいものを着るというスタイルが注目されました。無意識に選ぶものほど世相を反映していると強く感じました。海外は日本より人目を気にしていないと思われがちですが、実はそうではない、と分かったのも印象的でした。
 もう一つは、「ファッション=装う」ということは、それが自分自身をかたちづくる行為だということです。例えばパンツなのかスカートなのか、暗い色なのか明るい色なのかで気持ちも変わりますよね。ファッションではTPOが大事だとよく言われますが、形式が大切というより、装いによって相手への敬意を表したり、自分自身の気持ちが整ったりする面があるのだと思います。無意識に選んでいる服がその人に作用し、その選択がその人をかたちづくる可能性すらある。その点がとても興味深いです。

見山 ファッションは、自分の内面に影響を及ぼす側面と、時代を映す鏡としての側面がある。世相や社会全体のトレンドともつながってくるわけですね。

吉田 そうです。例えば日本の高度経済成長期のサラリーマンは、スーツにネクタイというスタイルでしたが、今はずいぶんカジュアルになりました。ただ、あの時代にあの服装であったことが、日本経済の成長を後押しした面もあるのではないかと思います。多少の個性は許容されつつも、皆が同じユニフォームを着ていたからこそ、同じ方向を目指しやすかった、という側面もあったのではないでしょうか。

見山 今では堅い印象のある銀行もカジュアル化が進んでいて、同じ方向に向かっていくという感覚は確かに薄いですね。方向がばらばらだから経済も伸びにくいという見方もできるかもしれません。

吉田 当時のような一丸となる雰囲気は生まれにくいと思います。

見山 お話を伺っていると、日本社会では、自分が着たい服よりも、許容範囲に収めて個性を出しすぎない価値観が強いように感じます。そういう意味では、ファッションは内面に作用しにくい面もあるのかもしれませんね。

日本の価値を世界に届ける

見山 今、吉田さんの関心領域はどこにありますか。

吉田 相変わらず時代の先を読むことに最大の興味があります。時代の先を読みつつ、より良い未来になっていくために何をするか。もう一つは、いいものをいかにより良く見せるか、ということですね。
 日本には「いいものをきちんとつくっていれば価値が認められる」という文化が根づいていますが、いいものほど主張しないと埋もれてしまう場合もありますよね。例えば韓国の友人とよく話すのですが、韓国の強みはプロデュース力、プロモーション力にあると言います。実際、世界的なアートフェアは韓国で開催されていますし、2026年6月にはパリのポンピドゥー・センターの分館が韓国にできる予定です。それだけ韓国はアート市場で存在感が大きい。つまり、いいものを認めてもらうのを待っているだけでは駄目だということを学べますね。
 私はこれまで多くのものを見てきた分、何が良くて、何がそうでないのかの判断はつきますし、いいものをどうすればより良く見せられるかを考えるのは得意です。そのような専門家になりたいと最近よく考えています。

韓国では続々と美術館がオープンしている。左・リウム美術館 右・プテラソウル
韓国では続々と美術館がオープンしている。上・リウム美術館 下・プテラソウル

見山 韓国がアートだとしたら、日本は何でしょう。アナログ的な技術力ということになるのでしょうか。

吉田 そう思います。ただ日本は、良い技術を捨ててきた、あるいは他国にその技術を売り渡してきた歴史もあると感じています。もちろん、これまで日本が培ってきた技術は、世界の未来をつくる技術につながっていますし、日本人の細やかな技術は、この先も必要とされるはずです。
 優れた技術を捨てずにつくり続けている会社に、もう一度光が当たる。そのために、例えば製造業でも、ブランディングが大切だと考える人たちと一緒に、素晴らしい技術を世界に発信できる仕組みづくりに関わっていけたらと思っています。

見山 日本から海外を見つめると同時に、海外から日本を見つめる中で、吉田さんの軸はやはり日本にあるのでしょうか。

吉田 海外にも住んだことで、改めて日本の良さを強く感じました。日本人は努力を厭わない気質があり、独特の世界観を持っていると思います。世界のどこかにもう一つ活動拠点を持ちたい気持ちはありますが、軸足の一つは日本に置きたい、という想いがあります。

見山 今後の日本の可能性についてどうお考えでしょうか。

吉田 ファッションもそうですが、漫画、アニメ、ゲームの世界には可能性があると感じています。そこから派生してファッションが好きになる人もいます。私自身、雑誌だけでなく漫画からも、ファッションへの関心が広がった部分があります。
 特にゲームでは世界中の人々を同時につなげられる時代です。例えば自分の肌の色を紫にすることもピンクにすることもできます。男性でも女性でも猫でも、自由に自分の装いを決められます。これまでは現実の服で表現していたものが、バーチャルでの表現に変わることで、さらに自由になりますよね。体型も服装も何もかも好きに選べるし、ゲームの中で出会った人同士が価値観や考え方だけでつながれる。それが広がれば世の中は平和になると思っています。

見山 吉田さんの関心は、新たなプラットフォームをつくることと、古いものと新しいものを融合させる価値観の両方にあるのですね。

吉田 人々が欲しいと思っているものは爆発的にはヒットしない。iPhoneはマーケティングからは絶対に生まれなかった、とよく言われるように、想像を超えるものでしか人の感覚を揺さぶることはできないと思います。有名だから、トレンドだからという概念をぶち壊す何かが出てきたら面白いですよね。

見山 なるほど。今のトレンドを壊す視点も必要ですね。そこから、新たなクリエイティビティやオリジナリティが生まれてくるということですね。

コミュニティの可能性を拓く取り組みを続ける

見山 吉田さんはこれからどのような方向に進んでいくのでしょう。

吉田 2025年にマダガスカルに行ったのですが、日本はすでに多くのものを持っている国だと気づかされました。一方で、日本が置いてきた、捨ててきたものも多いと実感しました。マダガスカルには牛車もあればスマホもある。日本でいえば江戸時代と現代がミックスされていた世界観で、とても興味深かったです。多くの国が様々に進化していく中で、次第に二極化していくのではないかと思います。同じように、トレンドに乗る人と新しいトレンドをつくる人とが明確に分かれ、同じ世界に生きていても交わらず、関わることがなくなるのではとも感じています。

牛車とスマホが同居する国・マダガスカル

見山 例えば10年後に何をしていたいですか。

吉田 先ほども触れましたが、私は集団としての人に関心があります。皆が安心できるコミュニティをつくることに関わりたいと思います。日本は何でもある国なのに、貧困やシングルマザーの問題などを抱えています。小学生の自殺率も非常に高い。こんなに豊かな国でなぜ未来ある子どもたちが死を選ぶのかと考えると悲しいですよね。安心できる社会やコミュニティ、逃げ込める場所があれば、もう少し生きやすくなるのではと思います。

見山 一つにまとまるというよりは、一人一人が自分らしくあって、その積み重ねが社会やコミュニティをつくるようなイメージですよね。

吉田 そうですね。まさにそれが理想です。極論で言えば、世界平和を実現することです。人間として生まれ、この地球に、この時代に生きて、皆が幸せな社会であればいいと思います。
 実は夏に怪我をして右手が使えず、ペットボトルのフタを開けるのにも難儀する状態でした。そんなとき、周りにいる見ず知らずの人が「開けましょうか」と声をかけてくれるなど、都会の中にある優しさに触れる機会が何度もありました。普段は皆、そのありがたさや大切さに気づきにくいのだと思います。最近のSNSには、自分より何かを持っている人を妬むなど、劣等感を増長させるような動きが多いと感じます。私は欠点ばかりに目を向ける社会が好きではありません。そうではなく、むしろコンプレックスをどう良く見せるか、と考えるようにしています。それがチャームポイントになるかもしれないわけですから。自分の特性を伸ばして専門性を発揮し、他人とは異なる分野を深める。そうしたポジティブな結果を生む可能性は十分にあるのです。

見山 リスクや課題を目の当たりにすると一瞬立ち止まってしまいがちですが、そこにチャンスや可能性があると思えば俄然面白くなる。日本人はリスクや課題から逃げ腰になりやすいけれど、事実に向き合い可能性を見いだせたら、良い方向に向かうのでしょうね。

吉田 そうですね。人は自分らしくあれば他人のことが気にならなくなるのではないかと思います。逆にそれができていないから、自分らしく生きている人が妬ましく見えるのかもしれないですね。ニューヨークの良さは、皆が自分らしく生きていて、人のことは気にしないところだと感じます。やりたくないことはやらないし、多少のトラブルがあっても許容する余裕があるように思いますね。
 そう考えると、自分らしく生きることでそれぞれの強みが際立ち、結果として国や社会が強くなるのではないでしょうか。その人らしくいられれば生きやすいと分かってさえいれば、他人をうらやましく思ったり、蹴落とそうとしたりもしないでしょう。そして、お互いの良さを伸ばし合える。皆が安心して自分らしくいられる社会のためのコミュニティづくり、社会づくりにはとても興味があります。ただ、壮大すぎて、どこから手をつけるべきか分からないとも思いますね。

見山 とても共感できます。本日はありがとうございました。

〈インタビュー後記〉

 吉田さんの鋭い観察眼の背景には、一歩引いた視点から社会を見つめる客観性と、とどまることのない好奇心と探求心があることを改めて感じました。吉田さんは他人に興味がないと話していましたが、客観性を担保するために、あえてそのような立場をとっている、そんな気がしました。

吉田 けえなよしだ けえな
MARKETING HORIZON 編集委員 
コミュニケーター

PR 会社や百貨店のコーディネーター、雑貨ブランドのディレクター兼バイヤーなどを経て渡米。NYを拠点に世界中で、見て、着て、食べた、リアルな視点を大事に、バイイングやリサーチを行う。現在は帰国し、情報収集能力を活かし、商業施設のプランニングアドバイスやポップアップショップの企画立案、ブランドプロデュース、内装プランニング、パーソナルスタイリングなど多岐にわたり、活動中。

見山 謙一郎みやま けんいちろう
MARKETING HORIZON 編集委員 
昭和女子大学 人間社会学部現代教養学科 教授

1990年住友銀行(現三井住友銀行)入行。銀行時代は、本店営業部等で企業の経営戦略支援に従事。2005年同行を退職し、アーティストが設立した非営利の金融組織ap bankに合流し、理事をつとめた後、株式会社フィールド・デザイン・ネットワークスを設立し、代表取締役に就任。立教大学大学院ビジネスデザイン研究科特任准教授、専修大学経営学部特任教授等を経て、2024年より昭和女子大学現代教養学科教授。環境省、総務省、林野庁など中央省庁の委員をつとめるほか、(公財)三井住友銀行国際協力財団の評議員など非営利の活動にも従事し、Human-Centered Designのアプローチから様々な社会課題に取り組んでいる。

INTERVIEW

第6回
観察と予測から生まれる“生活者視点のマーケティング”

Interviewee

中塚 千恵 
MARKETING HORIZON 編集委員 
東京ガス株式会社 リビング戦略部

Interviewer

吉田 けえな 
MARKETING HORIZON 編集委員 
コミュニケーター、コネクター

 東京ガス株式会社において、長年生活者意識やライフスタイル動向をウォッチされてきた中塚千恵さんに、生活者研究の難しさや抑えるべきポイント、さらにマーケティングとは何かについてもお話をうかがいました。

インフラ企業とマーケティング

吉田 中塚さんは東京ガスにお勤めですが、他の営利目的の企業とは違うインフラ企業ですから、マーケティング自体の捉え方も異なる部分があるのでしょうか。

中塚 異なる部分はないと思っています。すでにガス・電気も、業務用、家庭用ともに自由化されています。また現在、重点化して取り組んでいるサービスは競合も多く(例えばハウスクリーニングなど)、マーケティング自体の捉え方が違うという世の中のイメージがあるとしたら、東京ガスはそれとは異なると思います。

吉田 他の会社に比べて、信頼性をとても大事にされていると感じます。信頼していただくために意識してされていることはありますでしょうか。

中塚 そうですね。「東京ガス=信頼できる会社」の原点とは何かを考えることがあります。「大きな会社だから」「点検などでご自宅にあがることがあり、信頼性を持ち合わせていないといけない」など、その理由はさまざまです。
 また、基本的にお客さまが求めているのは、いつでもエネルギーを安全に使えることだと思いますし、その実現こそが個人的には信頼の源泉かと思います。

吉田 2017年のガス小売全面自由化以降、競合他社が増えていますが、意識はどのように変わっていると思いますか。

中塚 自由化以前にも、家庭用については例えば、オール電化住宅が増えたときから競合との戦いがあったと思います。電気だけでも生活ができるというのですから、お客さまのことを考えなければ選ばれない、という意識が強く芽生えたと思います。また、ガス・電気の小売全面自由化では、電気需要については市場を奪う側となりました。

吉田 需要を奪う側、獲得する側になったときに、社内的に、あるいは中塚さんの意識で変わられたことはありましたか。

中塚 私自身は、もともと生活者研究を長くやっていました。お客さまにとって東京ガスの位置づけは、無色透明な存在だと思います。無色透明なところに色を付けて選ばれるのは大変であると考えると、生活者が求めるニーズや価値を明らかにすることはさらに重要になると思うようになりました。

生活者を捉えづらい時代

吉田 常に生活者のことだけを考えてこられたというのは社内でも稀有な存在ですよね。長い目で見たときに、会社にとって重要なポジションだと思います。

中塚 何よりも生活者について考える部門である都市生活研究所が長く続いてきたことがOGとして嬉しく、誇らしいことだと思っています。これは業務においても役立つことも考え続けた結果でもあると思っています。

https://www.toshiken.com/

吉田 特に最近は会社にとってすぐに役立つことが求められる時代ですよね。だからこそ一方で、生活者を定点観測している人たちが重要だと思います。インターネットが普及し、SNSが登場したことで急激に生活者の環境が変化していますが、その辺りをどのように把握するとよいと思いますか。

中塚 SNSは私や皆さんがそうであるように、生活を変えていると思っています。それはなぜか。暮らしの中でどう位置付けられているかについては、直接、生活者に聞くだけではなく、観察して解釈する必要があるのではと思います。行動変化だけでなく、その背景にある価値観はどうなっているかを丁寧に捉える必要があると思っています。

吉田 例えばZ世代以降は、昔と異なり、さまざまなジャンルの情報を簡単に手に入れられるようになったので、興味・関心が個々人で違うことも多く、皆世代として括られるのを嫌がる傾向にあります。これは友人の子どもたちと話していても感じることですね。一方で、インターネットやSNSが登場し、生活者調査はしやすくなったのではないでしょうか。

中塚 そうですね。デジタル化の進展によって、これまでより簡単に調査もできるようになっています。生活者の意識や行動を簡単に切り取れる状態ともいえるでしょう。しかし、それですべて分かったといってよいかは疑問です。
 周りの20代を見ると、おとなしいように感じることがあります。もしかしたら、自分が何者かを捉えられないようにしているのではと思うと、調査だけではなく、先ほども申し上げたように観察が必要になってきます。

吉田 確かに、アンケートやインタビュー調査で100%の本音は書かないですね。調査している側に対して多少なりとも配慮していますし。若い世代になるほどその傾向が強くなっているのは、皆が良い子である中で変に目立ちたくない、自己主張はしないという意識があるようにも思います。

マーケティングとは予測と観察

吉田 生活者の本音がどんどん拾いづらくなっていく時代に、マーケティングのあり方も少し変わってくるのではと感じます。

中塚 以前、本誌編集委員長のツノダさんに「現在のマーケティングでは、生活者視点をどのように活かすことが多いか」と聞いたところ、「予測に利用する場合が多い」と答えられました。簡単に調査できるようになったからこそ、過去や現在を含めて未来を予測すること、つまり考えることが非常に重要だと思います。変わることと変わらないことをどう見極めるか、それをコツコツと考えていかなければ、良いマーケターにはなれないとも思います。

吉田 予測をするとき、中塚さんが最も大事にされていることは何ですか。

中塚 私が常に心がけているのは「知識」と「センス」です。大学生に教える機会をいただいていたときにも常にその話をしていました。知識は身に付けられる一方、センスは難しい。センスを良くするには、いろいろな引き出しを持たなければなりません。そのためには「観察」をベースとした解釈を積み重ねるしかないのです。インタビュー調査をした人たちからは「実際に話を聞くのは勉強になる」、「楽しかったです」という感想は多く聞かれるのですが、何がわかったのかを話す人は案外少ないと思います。また、疑問、怒り、不思議に思う感覚が持てないと、モノゴトを深堀りできず、結果、センスにはつながらないようにも思います。

吉田 中塚さんにとって、マーケティングとはどのような存在ですか。

中塚 生活者の気持ちや行動をベースに考えることがマーケティングの第一歩だと思っています。それを商品開発などに活かしていく。加えて重要なのは伝え方です。生活者のインサイトや今後のライフスタイルを予測できたとしても、それを伝わる言葉にしないと意味がない。伝わるように伝えることが重要です。
 私は広告業務も行っていましたが、伝わる言葉をつむぎだすために重要なのは、生活者のリアルと、企業として言いたいことを結びつけることかと思います。そうじゃないと伝わらない。
 私の強みの一つは、どうやら生活者のデータを取り扱えるということのようなのですが、年を重ねても、生活者をどう捉えるか、それをどう伝えるかを今後もマーケティングのテーマとしていきたいです。

吉田 そうですよね。やはり最後に伝わるところまで到達しないと、もどかしいですよね。

中塚 先日、親しい友人から「東京ガスは良いCMをつくるというイメージがある」と言われました。しかし、それでは当然のことながら、不十分だと思います。なぜなら、私たちは良いCMをつくることを念頭に置いているわけではなく、企業としてこういうことを考えています、と伝えたいからです。

吉田 良いCMをつくっていると感じる裏側には、きちんと伝えたいことがあるから良いCMになっているということではないですか。

中塚 何を伝えるかはとても重要です。それに加えて、どう伝えるかをおろそかにしないことが共感につながると思っています。

仕事の軸は「手を抜かない」「データの悪用をしない」

吉田 生活者視点であること、細かく観察することを重視しているという点は、ホライズンで中塚さんが担当された企画でいつも感じていたことです。中塚さんがホライズンを通して読者に一番伝えたかったことを教えてください。

中塚 私は、生活者のことしか扱わないと決めていましたので、読者が顧客像を捉えるための何か気づきになる記事にしたいというのが最大の目標でした。長年、私が面白いと思った事象を共有させていただけたことに大変感謝しています。「こういうことを見つけたがどう思いますか?」と発信できた、とても良い場だったと思っています。

吉田 生活者研究をベースに、予測や観察が重要になってくるとのお話でしたが、他に変わらない軸はありますか。

中塚 「手を抜かない」と「データの悪用をしない」ですね。
 「手を抜かない」とは、きちんと意味づけをするということです。先ほどから申し上げているように、いろいろなことをショートカットできるようになった分、手を抜かずにさまざまな観察と解釈を積み重ねたほうが良いですし、データは自分からは語ってくれないので、こちらから意味を付けてこそ意味があります。
 「悪用をしない」というのは、抽象的に言うと、自分の都合のよいようにだけデータを解釈しないということです。調査データを危ういものとして活用したくないと思います。

吉田 最後に、長年ホライズンのお仕事をされてきましたが、ホライズンに対する想いをお聞かせいただけますか。

中塚 ホライズンは、自分が考えたことを文字にしていただける場、発信できる場として非常にありがたく思っています。あるテーマについて何か月もの間、考える場を持たせていただき改めて感謝しています。

吉田 本日はありがとうございました。

〈インタビュー後記〉

 反響が可視化されやすく、即座に結果に繋がることが求められる時代になり、定点観測を続けることが難しくなっている、そのような時代にこそ、続けることは確実に、未来の財産だと感じる。中塚さんの生活者視点であり続ける強さを改めて感じました。

中塚 千恵なかつか ちえ
MARKETING HORIZON 編集委員 
東京ガス株式会社 リビング戦略部

リビング戦略部ブランディング推進グループに所属。現在は、IGNITUREという東京ガスの事業ブランドをはじめとしたBtoC向けのブランディングに取り組む。広報部広告グループの際に、制作・出稿したCMには、社会課題の解決に向けて、東京ガスの想いを込めた「子育てのプレイボール」「母の推し活」がある。その他、同社ではCSR、コンプライアンス、調査研究部門(都市生活研究所)での業務を歴任。
また、現在、所属する関東学院大学の博士課程では、アイドルやJ-POP などを追いかけてきたことを活かして、超高関与消費のメカニズム解明に取り組んでいる。

吉田 けえなよしだ けえな
MARKETING HORIZON 編集委員 
コミュニケーター、コネクター

PR 会社や百貨店のコーディネーター、雑貨ブランドのディレクター兼バイヤーなどを経て渡米。NYを拠点に世界中で、見て、着て、食べた、リアルな視点を大事に、バイイングやリサーチを行う。現在は帰国し、情報収集能力を活かし、商業施設のプランニングアドバイスやポップアップショップの企画立案、ブランドプロデュース、内装プランニング、パーソナルスタイリングなど多岐にわたり活動中。

INTERVIEW

第7回
現状の閉塞感を打破する、
生命力あふれるマーケティングを
New

Interviewee

本荘 修二 
MARKETING HORIZON 編集委員 
本荘事務所 代表 
多摩大学 客員教授

Interviewer

中塚 千恵 
MARKETING HORIZON 編集委員 
東京ガス株式会社 リビング戦略部

 長年にわたり編集委員を務められた本荘さんは新事業、アントレプレナーシップ分野を専門とされています。今回は、これまでの編集委員の経験からホライズンへの想いを伺うとともに、現在のマーケティングをとりまく課題やマーケターの現状、さらに今後のあるべき姿についてお話しいただきました。

自らの問題意識をテーマ化していた

中塚 本荘さんとは長い間、『マーケティング ホライズン』の編集委員をご一緒させていただきました。

本荘 片平秀貴先生が編集委員長を務めていた時代に声をかけられて、2010年から参加しました。気づけば15年ほどお世話になったことになります。就任した頃は、ちょうどザッポスの翻訳本を出版した時期で、その内容をテーマにした特集を何度か組みました。片平先生からは「とにかく好きなことをやれ」と言われていましたが、実際は特集企画から取材、記事作成を担当する形でしたので、当初はかなり大変でした。数年続けるうちに慣れてきて、会いたい人に会おう、自分の興味をテーマにまとめるなど、自分なりに工夫して進められるようになりました。

中塚 確かに負荷は大きかったですね。今の自分の問題意識をうまくテーマに落とし込んでいくところが特徴でしたね。

ご自身の手掛けられた中で、これはやって良かったというテーマはありますか。

本荘 一番記憶に残っているのは、自動運転などを取り上げた『交通革命、その先』(2018年第8号)や、子育てを取り上げた『子どもドリブン』(2021年第9号)などは、内容として手ごたえを感じています。また、読者の方々はもちろん、知り合いなどさまざまな方から評価が高かった『感動業から見える未来』(2023年第9号)も印象に残っています。

中塚 私は広告業務を担当したことがありますが、「よいCM=企業と生活者の間に共感があること」だと感じていたので、感動業の号は非常に印象に残っています。子育て特集号については、本荘さんのライフステージ(結婚→お子さんを持つ)の変化がもたらしたテーマだとも思っています。

視野の広さと自由さがホライズンらしさ

中塚 ホライズンの編集会議では、“ホライズンらしさ”という言葉がよく使われていました。議論が発散したとき、議論が深まらないときなどさまざまでした。

本荘 出版媒体は編集長個人のカラーがそのまま媒体の色になることがあります。ホライズンも、片平先生やツノダさんの個性が強く反映されていたと思います。
 明確な編集方針が厳密に定まっていたわけではなく、良い意味で幅を持たせた作り方をしていました。その意味では、私自身は“ホライズンらしさ”とは「自由」だと理解していました。

中塚 確かに自由度は高かったですね。だからこそ毎号のテーマを並べてみると、多様性にあふれていると思います。

本荘 自由度が徹底されていたからこそ、今振り返ると、成果物としてはとても意義のあるものになっているのかもしれません。
 私の子育て号にしても、子育てテーマは子育て専門メディアが扱う領域です。しかし、実はマーケティング・メディアこそ向き合うテーマでもある。大企業が見落としがちな視点を掬い上げられたことは、ホライズンならではの功績ともいえます。
 その意味で、広いスタンスで編集されたホライズンは、マーケティングそのものを直接扱うというより、マーケティングの前提として世の中を広く捉えようとする、いわばリベラルアーツに近い性格を持つ媒体だったと考えています。

現在のマーケティングの行き詰まり感と了見の狭さ

中塚 本荘さんとマーケティングとの出会いはどのようなものですか。

本荘 私は理科系出身ですが、大学卒業後、ボストンコンサルティングの東京オフィスに入りマーケティングを実地で仕込まれました。その頃もクライアントから「マーケティングって何ですか」といった質問をされることが多かったですね。その後、アメリカに留学して、ウォートンスクール(MBA)でマーケティングの授業も取り、ボストンコンサルティングとは違うアングルで、より広い意味でのマーケティングを体系的に学びました。ただ、私は新事業、アントレプレナーシップが専門でしたから、マーケティングは一つのピースとして捉えていました。
 ところが、インターネットの台頭によって、私が関わっていた新事業の分野にマーケティングが強く融合し、価値創造の主力として入り込むようになりました。その頃から、大企業のマーケターの視点が狭いと感じる場面が増えました。組織で与えられた範囲だけで業務を進めているため、切り口が限られてしまっているのだと思います。

中塚 今までのご経験から、現在のマーケティングの課題をどう考えますか。

本荘 先ほどのホライズンの良さは、言い換えると、マーケティングに関わる視点を広く持ち、物事を多面的に考える姿勢にありました。それはまさに今の大企業の多くのマーケターに欠けている部分だと思います。実務の現場でマーケターと接していると、上から与えられた範囲だけで動いているのではないかと思う場面が多く、限られた定義の中で業務を進めていることを残念に思います。視点の広がりが十分でなく、扱う切り口が乏しいことが問題だと感じています。

中塚 それはすごく感じますね。先ほど、大企業のマーケティングの視野が狭いという話がありましたが、さらに視野を広げると、今の日本のマーケティングにはどのような問題があるとお考えですか。

本荘 大学でマーケティングを教えている専門家の知見には大きな価値があります。ただ、より広い意味でのマーケティングを考えると、その核心となる部分には十分触れられていないように感じます。実際、さまざまな場で話をしても、マーケティングの本質的な議論が出てこないことがあります。出てきても、内容が薄く、「それでは不十分だ」という話で終わってしまう。日本では、マーケティングそのものの実体が弱くなっているのではないか、それが一因で日本経済そのものが厳しい状況にあるのではないかと不安になります。

 実際、日本の大企業の多くで、マーケティングは存在していないケースが少なくありません。営業目標数値を上げましょうという業績最優先の姿勢が大前提で、そのような狭い数字づくりのための専門家=マーケターが何人かいるといった組織イメージです。片平先生がよく言われるブランドや企業とお客さまとのトラスト、ロイヤリティ、リレーションシップなどが、狭い目標、数値達成というところからは乖離します。

中塚 日本マーケティング協会が昨年「マーケティングの定義」を発表しましたが、その背景の一つに、マーケティングがとても便利な言葉になりつつある反面、実態が曖昧になっている状況があったと聞いています。その定義には“社会”という難しい言葉も入っています。かつての同僚の中には、「わかったようでわからない言葉は使いたくない」という人もいて、定義されたものをどう解釈するかもマーケティングでは大切だと思います。

本荘 残念ながら、上位概念のマーケティングという部分が抜け落ち、下位レイヤーのマーケティングしか実行されていないという状況ですね。
 例えば、AIが発達してきたから今後は英語を勉強しなくていい、という短絡的な話が出てきました。その一方で、企業はより積極的に海外へ向かって動いています。教育での動きと雇う側のニーズとの逆行が始まっているのです。マーケティングもそれと似ていて、狭くてコントロールしやすい領域だけに取り組み、その外にある重要な領域を実は見逃しているように感じます。本来であれば、すぐに成果が見えない場所にこそ長期的な機会があるはずなのに、その視点が抜け落ちている。20年後どうするのかという危機感はありますね。
 さらに言えば、海外に比べて日本の経営者や管理職は、新事業の分野はあまり勉強しない傾向があると感じています。マーケティングでも同様で、自分たちが理解し得る範囲、扱いやすい範囲だけでマーケティングの実務を行っている印象です。つまり、アップデートが十分されていない。今のマーケティングには、やはり、ある種の行き詰まり感が強いように思います。

中塚 そのような上位と下位の階層での乖離はよく聞きますね。

本荘 加えて、AIエージェントがあと10年ほどすればすごく達者になるので、マーケターの業務の半分ほどはAIが担えるようになるのかもしれません。だからこそ、人が担うべき役割は、広い視点で物事を捉え、多様な角度からブランドや会社の未来をつくるというところを強く意識しなければ、これからの企業は将来厳しい状況に置かれるのではないかと考えています。

マーケティングとは統合的なアプローチ

中塚 本荘さんの問題意識はとても共感できます。改めて、マーケティングとは何かと問われたら、どうお答えになりますか。

本荘 シリコンバレーでも著名な技術系マーケターのレジス・マッケンナさんが「Marketing Is Everything」と述べています。これは、マーケティングは特定の部署の仕事として捉えるのではなく、企業活動そのものを支える考え方だという意味です。企業はお客さまの存在によって成り立ち、対価を得て発展していきます。ところが日本では、自社にはマーケティングはありません、マーケティングとは何ですかと言う人もいまだに多い。だからこそ改めて基本に立ち返ることが重要です。私たちの会社は何のために存在し、どのように存続していくのか。その根本を考えることが、マーケティングの出発点だと思います。

中塚 マーケティングでは、生活者志向、顧客志向という言葉が頻繁に使われますが、生活者志向とは一体何だとお考えですか。

本荘 本当の顧客志向とは、自分たちが何をしようとしているかを明確にした上でお客さまを理解することです。それが曖昧なまま進めると、お客さまを意図せず不利な方向に導いてしまうリスクもありますし長期的にはブランドを弱くします。
 いまだに日本の大企業のトップには“顧客の囲い込み”という言葉を使う人が結構います。私が書いた本では顧客の囲い込みなどはもうやめろと言っているのですが、そこには顧客志向と言ったときの哲学が抜け落ちていると感じます。
 顧客志向、顧客視点と言ったときに、自分がお客さまだったらどう思うかという発想が恐ろしいほど忘れられている。自分がお客さまだとしたら、“囲われている”などと言われたら、だれでも反発を感じるはずです。

中塚 先ほどの話ではないですが、AI時代のマーケティングは大きく変化しますか。

本荘 新しい形のウェブマーケティングが出てきた時点で世の中の断絶が起こっています。それは大企業の組織論が問題なのです。
 つまり、ネットメディアが新しく出てきましたから、マーケティングもそれをやらねばと新しい手法を取り入れようとしても、大企業では従来のやり方を変えにくいという慣性が働きます。理屈では必要だとわかっていても、実際には導入が進まないのです。
 さらに、例えば、ブランドごとにホームページを運用していた企業がありました。個別のブランドが良かれと思って自分たちのベストの戦略でウェブマーケティングをやります。結果、全体として統一感がなくなりますよね。お客さまから見れば、会社は一つなのにバラバラに映ります。他社でも同様で、事業部やブランドごとにデータや仕組みが分かれており統合されていません。お客さまには「好き勝手に動いている」と見えてしまうのです。

中塚 なので今度は統合しようとしますよね。

本荘 はい。それで本社が統合的にマーケティングを担おうとしますが、その部署の扱える範囲は限られています。実際に担えるのはIRやCSRなど、主に会社全体の情報発信に関わる部分です。また、大企業の情報システム部門は、各部門の要望に振り回されがちで、カスタマイズが増えてしまう。ウェブマーケティング部門もまだ歴史が浅く、立場が弱い。知識も視野も十分あるのに思うように動けずに忸怩たる思いを抱えながらやっていますね。

中塚 カスタマイズをいかにやめるかというのがITにとっては永遠の課題ですね。

これからのマーケティング:生命力あふれるマーケティングを

中塚 本荘さんは元々、新事業・起業がビジネステーマでしたよね。その視点から、今後のマーケティングの在り方をどうお考えですか。

本荘 新事業で最も難しいのは、内容そのものもさることながら、結局はチームメンバーや応援団をいかにつくるかというところです。起業のタイミングなどもありますが、根本的にはそこが要になります。

中塚 そうなんですね。チームメンバーや応援団をどのようにつくっていくのですか。

本荘 最初からインパクトのある強い企画を思いつける人は滅多にいません。多くの場合は、既にある要素の組み合わせをいろいろと変えながら、新しいコンビネーションを模索していくわけです。この試行錯誤はなかなか大変で、やはりAIでは担えません。新しい事業を動かすには、やはり人間が大事なんです。やる気があり、喧嘩にならず一緒に進められ、途中で離れない人材をチームにどんどん増強していかねばならない、それが一番大変ですよね。同様に、最初は関心が薄いお客さまやパートナーを、頼もしい応援団、支えてくれる存在に変えていくというところもなかなかに大変です。

中塚 その人の持っているパワーや人間力がカギになりますね。

本荘 おっしゃる通りです。結局、生命エネルギーなんですよね。そういう意味で言えば、生命エネルギーのあるマーケターも減っているように感じます。

中塚 とんでもないことを言っているものの、生命エネルギーが強い。人を引きつける人がいますよね。

本荘 辛気臭い飲食店にはお客さまは来ませんが、熱気がある店は繁盛するわけです。そのような、生命力があふれ、明日を担うマーケティングのリーダーや人材を育成するという視点も大切だと思います。

中塚 マーケティングに向いているのは、どのような人材だと思われますか。

本荘 問題点を指摘するだけの人ではなく、未来をつくるという志向のある人は、自分の会社の未来像はこうだ、だからこのように目指そうなど、何らかの提案を出せる人だと思います。
 『フォーブス・ジャパン』の連載で、「感じる力」について書いていたのですが、理屈ばかりの人は批判型になってしまって、新しいこと、未来をつくることの提案はできない。やはり、新しいことを捉え感じる力と未来をつくる姿勢が必要だと思いますね。

中塚 感じる力は大いに重要だと思います。生命力あふれるマーケティングとその人材がベースとなって、まずは世の中を丁寧に読み解くところから始めると、今の了見の狭さは解消できるのではとも思いました。人材の育成もなかなか難しいテーマですが、チャレンジしていかねばならない未来へのテーマだと思います。
 本日はたいへん興味深いお話をありがとうございました。

〈インタビュー後記〉

 「生命力」は人を惹きつける大きなパワーです。マーケティングに活かすためには、世の中、生活者を感じていく力がいる。ホライズンの締めくくりに尊敬する本荘さんとこうした総括ができたことを幸せに思います。

本荘 修二ほんじょう しゅうじ
MARKETING HORIZON 編集委員 
本荘事務所 代表 
多摩大学 客員教授

新事業を中心に、経営コンサルティングを手掛ける。日米アジアの大企業、スタートアップ、投資会社などのアドバイザーや社外役員を務める。Techstars、Endeavor、始動ネクストイノベーター、福岡県他のメンターを務め、起業家育成、エコシステムづくりに取り組む。厚生労働省・医療系ベンチャー振興推進会議座長、日本スタートアップ大賞審査委員。著書に『大企業のウェブはなぜつまらないのか?』『エコシステム・マーケティング』他、訳書に『ザッポス伝説』他、連載に「垣根を越える力」等がある。

中塚 千恵なかつか ちえ
MARKETING HORIZON 編集委員 
東京ガス株式会社 リビング戦略部

リビング戦略部ブランディング推進グループに所属。現在は、BtoC向けのブランディングに取り組む。広報部広告グループの際に、制作・出稿したCMには、社会課題の解決に向けて、東京ガスの想いを込めた「子育てのプレイボール」「母の推し活」がある。その他、同社ではCSR、コンプライアンス、調査研究部門(都市生活研究所)での業務がある。
また、現在、所属する関東学院大学の博士課程では、アイドルやJ-POP などを追いかけてきたことを生かして、超高関与消費のメカニズム解明に取り組んでいる。

INTERVIEW

第8回
アントレプレナーシップが拓く市場創造への途
──今求められるマーケティングの再構築
New

Interviewee

福島 常浩 
MARKETING HORIZON 編集委員 
株式会社AEOS 取締役

Interviewer

本荘 修二 
MARKETING HORIZON 編集委員 
本荘事務所 代表 
多摩大学 客員教授

 “市場創造”をライフワークとされ、熱いマーケティングへの想いを語る福島常浩さん。今の日本に欠けているのはアントレプレナーシップだと訴える氏に、マーケティングとは何か、何を目標とすべきかなどについてうかがいました。

マーケティングとは新しい価値をつくること

本荘 福島さんにとって、マーケティングとはどのようなものですか。

福島 マーケティングとは、僕は昔からよく言っているのですが、「三方よし」の概念だと思っています。これは近江商人の考え方をまとめて表現した言葉で、買い手、売り手、世間、この3つを同時に満足させるという意味です。これがマーケティングだと思いますね。
 現在では少し解釈も変わってきていますけれども、芯の部分は変わらないでしょう。2024年に、新しいマーケティングの定義ができるまでは、マーケティングとは価値を創造してお客さまと交換すること、経済学で言えば、モノやサービスと財(お金)を交換するという考え方でした。今度は価値の交換を通じて顧客との関係を醸成することとなり、見る視点が時系列的にも長くなった、拡張された概念になったわけです。すなわち、その核にあるのは、買った人が喜んで、売った人にも適正な利潤があって、そして世の中のためになるということが続くことです。これが新しいマーケティングだと思います。

本荘 福島さんとマーケティングとの出会いについて教えてください。また、業務の中でどのようにマーケティングに携わってきたのでしょう。

福島 『マーケティング ホライズン』の編集委員業務も含め一貫して伝えたかったことは、マーケティングをもっと誇れる仕事にしたいということです。
 私は最初、味の素に入社したのですが、メーカーに入ったからには何か自分の手でモノを世の中に送り出したいと思っていました。ですから、私にとってマーケティングは、やりたくて仕方なかった憧れの職場でしたね。しかし、入社当時は技術系採用でしたから、最初の配属が研究所でシステム開発などをするのが仕事となり、一生マーケティング部署にいけない運命だと思っていました。しかしいろいろな人のご尽力によりご縁をいただき本社に異動し、マーケティングという仕事にたどり着いたわけです。自分としては、マーケティングの仕事に就いて、自分で何か形を残す、お客さまのためになることをすることが非常に誇らしかったと思ったことを覚えています。マーケティングは今でも本当に素晴らしい仕事と感じており、お客さまを直接喜ばせることもできるし、ひいては世の中に貢献していくこともできます。
 価値を新しく創りだすということは、マーケティングだけでできるわけではないですが、マーケティングがなければ効率的にはできません。もちろん新しい技術が新しい価値を生み出すわけですが、それをどのような形でお客さまに届けていくのかは、これはマーケティングの仕事になりますからとても大事なことです。
 ただ最近、必ずしもマーケティングを志望する人が多くないとも聞いていて、少し悲しいなと感じています。もっとマーケティングの仕事に対する認識を高めていきたい、価値ある仕事だと思っていただきたいと思っています。

成長のカギは“市場創造”

本荘 福島さんは『マーケティング ホライズン』でも、“市場創造”をテーマにした特集をやられていますね。

福島 “市場創造”というテーマは私のライフワークだと思っています。いくら既存市場での競争だけをやって勝ち抜いたところで、実は全く世の中のためになっていないわけです。それでは世の中全体の価値を向上させたことにはならない。今までできなかったことをできるようにするから初めて世の中の価値が大きくなる。ひいてはそれが結果としてGDPにもつながってくるのだと思っています。こういうことはマーケティングでなければできない業務なのです。

本荘 ただ、最近の日本では市場創造という点ではあまりぱっとしませんね。

福島 故・梅澤伸嘉博士(現・市場創造学会設立発起人)の研究によりますと、市場創造型商品の比率と日本のGDPの成長率が非常に相関していることが明らかになりました。データ数が少なく言い切ることはできないようですが、両者は同じようなトレンドを描く。おそらくこれは事実だと思います。

梅澤伸嘉(うめさわ のぶよし 1940-2021)
企業の成功率向上のために市場創造について生涯をかけて実践と研究を続けた。
基本概念から実務ツールまでを総合的に論じ開発した人物は世界でも唯一。
今後の再評価が必要。

 1970~80年代の日本が絶好調の時期、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と騒がれた1980年代前半には、日本の1人当たりGDPは米国に次ぐ世界第2位でした。その頃の日本では、市場創造型の新商品の比率が非常に高かったのです。私が社会人になった頃は、誰もやってなかったことをやろう、難しいことをやろうという機運が、社会全般に高かったように感じます。
 それが、1990年代頃から次第に日本の景気が悪くなっていき元気をなくしていくと、国内市場はもう伸びないので海外市場に目を向けようとなりました。国内市場においては、手堅く既存領域でシェアを上げていくという方向に日本全体が変わります。全部の企業が既存市場で戦うことを選んだら、全体の市場は拡大しません。その結果、日本の経済全体が大きくならないわけです。
 そういう機運もあって、次第に市場創造が日本では不活発になってきたと思います。ですから、“失われた30年”は政治のせいだとも言われますが、私は主にマーケティングの問題ではないかと思っています。つまり日本マーケティング協会にも、一定の責任があると、半分本音で思っています。これからは、市場創造を通じてのお客さまとの関係がゴールにあるマーケティングの重要性、価値を広く認識して実行に移していく必要があると思います。

本荘 市場創造へ向かうマーケティングのパワーが弱体化している原因は何でしょう。

福島 マーケティングという言葉の意味が人によってばらばらに解釈されているという点でしょうか。これは日本の固有の事情だと思います。日本ではマーケティングの概念が、ときには広告会社さん、ときには調査会社さん的な解釈になってしまう。アメリカやアジア、ヨーロッパでの自分の経験では、マーケティングは日本のように狭い意味では使われていませんね。きちんと概念を捉えていることが多いように思います。

本荘 マーケティングとしての統合された主体がない状況はもったいないですよね。あまり先を見ることなく、単年度の計画や直近のキャンペーンばかりに気を取られています。

福島 おっしゃる通りです。日本でマーケティングのナレッジをフラグメンテーション(断片化)してしまったのは、それほど昔からではないと思います。1960年代あたりからマーケティングという言葉が使われ始めるわけですが、その頃はすごく熱心に、包括的に取り組んでいたような気がします。

BtoBマーケティングを活性化すべき

本荘 日本におけるマーケティングをどうすればよいとお考えですか。

福島 今の日本のマーケティングが変わらないといけないと思うのは、例えばBtoBのマーケティングです。日本のマーケティングはどうしてもBtoCを中心に語られることが多いですし、BtoBに関わる人たちは逆に、マーケティングは自分たちには関係ないと思っている節もある。これはとんでもない話です。マーケティングという意識が希薄だと、そこにノウハウの蓄積が起きないので、とてももったいないと思った記憶があります。
 実は、BtoBやBtoCという言葉が使われるようになったのは1990年代後半に入ってからのことです。これらは元々eコマース用語です。eコマースの中で、買い手が一般のコンシューマー(C)なのか、そうではなくて会社(B)なのかというところで使い分けています。

本荘 少しややこしい話で、誤解されやすいですね。

福島 そうですね。なので世の中ではすごく勘違いが起きるわけです。例えば味の素や花王は、厳密にいえば完全にBtoBの会社です。消費者の方とは直接の取引がないからです。ほぼ売っている先は問屋さんです。トヨタ自動車もコカ・コーラも実はBtoBのビジネスをやっているわけです。
 ちなみに、日本のBtoB市場は、eコマースの大きさで言うと514兆円、これに対してBtoC市場はわずか26兆円しかないのです。その意味でも、日本はもっとBtoBマーケティングに焦点を当てて研究していくべきだと思いますね。

本荘 最近ではBtoBtoCという言い方もしますね。

福島 BtoBtoCとは、ある商材が別の商材の原料となって最終顧客に届くような流れです。例えば味の素ですと、甘味料をコカ・コーラさんに売って、コカ・コーラさんが一般の生活者の方向けにダイエットコークをつくる、といった市場です。
 このようなビジネスについては、フィリップ・コトラー教授が2010年に論文を出しています。「イングリディエンツ・マーケティング(製品の原材料や部品自体に焦点を当てたマーケティング手法)」と言っています。私もこれからBtoB(生産財)マーケティングやイングリディエンツ(原材料や部品)・マーケティングを積極的に勉強していこうと思っています。

アントレプレニアルと市場創造

本荘 コトラー氏といえば『アントレプレニアル・マーケティング』という書籍も出されていますが、私の専門もアントレプレナーシップや新事業なので、福島さんが同様のテーマに興味をお持ちになったきっかけをうかがいたいです。

福島 コトラー教授が同書を著した動機は、実はコロナ禍だったそうです。コロナ禍で世の中全体がダウンしてしまった中で、そこからのリカバリーをどうするというときに、アントレプレニアル=起業家精神をもう一度取り戻さなくてはいけないと考えたということです。もう一度世の中を元気にさせるぞという勢いだったのでしょう。
 日本では早稲田大学の柳孝一先生は、イントレプレナー(企業内起業家)とアントレプレナーを使い分けておられたのですが、私はそれがすごく大事だなと感じました。自分も味の素という大企業の中のイントレプレナーを経験しているわけですが、本当の起業家に近い意識をもって新事業に関わっていました。もちろん、サラリーマンでは一つ失敗したらすべてを失うといったような、大きなリスクはなかったわけですが、気概としては同じだったと思います。
 最近の日本企業は、アントレプレナーシップを失くしすぎているような気がします。今の就職希望者に何がやりたいかと聞くと、なんとか受かりたい一心で、枠の多そうな営業と答えたりするそうです。この会社に入って自分の足跡を残したい、世の中のためになることをやりたいという想いは、若い人にもあってしかるべきではないかとは思うのですが。

本荘 アントレプレナーシップが市場創造を後押しするのでしょうね。

福島 そうです。アントレプレナーのその先には市場創造があるわけです。私の頭の中では、市場創造の対立概念は「戦略的マーケティング」です。戦略的マーケティングとは、戦略ですから戦いを前提とするマーケティングです。競争のマーケティングですね。基本的にはすでに目の前にいる相手とどうやって戦うのか、というマーケティングでしかない。競合動向を注視しながら差別化を図る。これは全部戦略的マーケティングの発想となり、市場創造には必ずしもつながりません。市場創造は競合商品との差別化を図るのではなく、顧客の未充足のニーズに注目することが必要で、見る対象が違います。
 1970~80年代にかけて、アメリカでPIMS(Profit Impact of Market Strategy:市場戦略の利益効果)研究が盛んに行われました。ちょうどアメリカが日本に負けそうになっている時分で、国を挙げてどうやればアメリカ企業が儲かるのかという研究でした。対日本戦略研究でもあったのでしょう。ここで出た結論は非常にシンプルなことで高いシェアを維持することで、これを最も効率的に実現するのが市場創造なのです。

本荘 既存市場での競争ではなく、新市場をつくることが最大の成果を生み出すということですね。

福島 そういう意味でも市場創造することは大事です。もちろん今ある既存市場での戦いも必要ですが、新しく出すブランドや新規事業については、既存市場への参入は絶対にしないと誓えます。必ず市場創造型の商品を開発し、世の中に出していくと戒めているつもりです。

マーケターの“想い”で駆動するマーケティングへ

本荘 これからの日本経済の成長を考えると、マーケティングの役割はますます重要になってきますね。

福島 私はマーケティングだけではないと思いますが、やはり謙虚さをなくすと成長は止まるんだと思います。日本は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた時代に、少し奢りがあったのではないか。例えば1980年代頃までは、アメリカなどの海外に学ぼうという姿勢が強かったですが、近年は視察旅行すらもあまり見かけなくなりましたね。日本の経済成長が止まっている理由も、そのような学ぶ姿勢の変化にあるのではないかと感じています。
 その意味でも、成長の源泉としてマーケティングの重要性がおのずと明らかになってきます。マーケティング部門がいかに大切かも自明となる。マーケターは、ある意味で経営者にも通じる道としてエリートの矜持を持つべきです。そうすると当然のことながら、そこにノウハウや概念などが集中してくるわけです。
 例えばインドネシアには、観光クリエイティブエコノミー省の中にマーケティング担当副大臣が設置されていました。インドネシアの観光をどうやって促進するか総合的な政策を立案・実行しているそうです。正直驚きましたが、そういう部署があってもいいと思いましたね。インドネシアはマーケティングを非常に重要視する国で、ASEANの中のマーケティングの中核ですから。
 また味の素は、私が入社した頃から変わりないと思いますが、マーケティングが会社のど真ん中で活躍している会社です。ど真ん中にいるという価値を認めてもらえればうれしいと思います。

本荘 フラグメンテーションを乗り越える意味でも、人材育成や教育の面も重要になる気がします。

福島 最近、若い人たちがスキル、スキルと盛んに言いますが、私はマーケティングにおいてスキルは後からの話だと思っています。テクニックの前にマーケターとしての心意気や倫理観が非常に重要です。私はマーケティングの講義をやる場合は、いつも最後に二宮尊徳の報徳精神について話をします。「経済なき道徳は戯言(たわごと)であり 道徳なき経済は犯罪である」という言葉でいつも締めくくるようにしています。それはまさに冒頭に申し上げた「三方よし」ともつながってくるわけです。

本荘 そういう意味では、AI時代のマーケターはどうなるのかと心配ですね。事務職がやっていたマーケティングはAIに代替されやすいですから。

福島 おっしゃる通りですね。有名なマーケターが手掛けたマーケティングプランを200~300もAIに学ばせると、同じようなことは誰でもできる、皆同じものが書けるでしょうね。ただやはり、何をしたいのかというところが重要だという思いはありますよね。
 たとえばぐるなびという会社の創業者の志はとても高いものでした。当時効率的なオペレーションで拡大を図っていたファミレスやファストフードが大変な勢いで拡大し、日本が昔から営んできた外食産業が侵食されていくことを何とかできないかと考えていたそうです。つまり、立地や資本の大小にかかわらず、善良な店舗が長く存続できることを願い、インターネットのビジネスモデルを開発しました。つまり「我が国の食文化を守る」という想いで立ち上げたのがぐるなびなのです。
 また、味の素でも「Cook Do」の発売初期には青椒肉絲(チンジャオロウスー)や干焼蝦仁(カンシャオシャーレン)など漢字のメニュー名がお客様に読みにくく、営業方面から、誰も知らないし読めないからメニュー名の表記をカタカナに変えろと強く言われたことがあったと聞きますが、開発担当者は頑として変えなかった。彼は、中国の長い歴史で、こんなにおいしい家庭料理がある、これを何とか日本に広めたいという一心でやったわけです。これもやはり“想い”ですよね。
 このように私はマーケターというのはこの“想い”が最重要だと思います。それを達成するために何が必要かとなって、いろいろなスキルが出てくるのです。これはおそらくAIに負けない部分です。

本荘 AIは既にあるものを組み合わせて再現するだけなので、新しいものをつくることは苦手ですよね。

福島 もっとも大事なのは、そういう想いを抱いて、世の中をもう一段豊かにするにはどうすればいいだろう、今かわいそうとか不便な目に遭っている人をハッピーにさせてあげるには何をしてあげられるだろう、と考えるところがマーケティングです。あとは大体AIがやってくれますよね。優秀なマーケターだと思う人に話を聞きに行くと、いつもその想いが激しく伝わってくるものです。

本荘 やはり次は人のマーケティングでしょうか。

福島 そうかもしれないですね。国も企業も人の集まりですからね、国や企業の力は人の力なのです。近年の日本では、教育というものをずいぶん疎かにしてきて、勉強することが悪いことだなどとさえ言われている風潮もあるくらいです。たとえばおかしなことに、合コンでは東大生であることを言いづらいそうですね。高い教育を受けた人は尊敬されるべきだと思いますし、昔イギリス人から「本を読まない友達とは縁を切れ」という言葉を聞いたことがあります。それがやはり民主主義の先輩の国の伝統なんだろうと思います。現在成功している国を見れば全部そうですね。シンガポールも非常に教育熱心ですし、明治維新を先導した薩長もそうでした。江戸時代の末期であれだけ教育に力を入れた藩は他になかったほど教育熱心だと感じます。
 そういう意味で、マーケティングも含めて教育が本当に重要だと思います。

基本の多くは古典の学習が役に立ちます。
1~2年で色あせていく知識ではなく、何十年も不変の概念を学ぶことが早道です。

本荘 そのような本質的なマーケティングのことを理解・実践している人が一定数広がると、日本の中でもマーケティングが次のフェーズに行けるという気がしますね。

福島 そうですね。もう一度マーケティングの再構築をやりたいと思いますし、そういう動きの力になれたら一番幸せかなと感じます。

本荘 本日は貴重なお話をありがとうございました。

〈インタビュー後記〉

 レジス・マッケンナが「マーケティング・イズ・エブリシング」とハーバードビジネスレビューで唱えたことを思い出します。マーケティングの本質を捉え、アントレプレナーシップを持てば、日本の経営は進化すること請け合いと、再認識しました。

福島 常浩ふくしま つねひろ
MARKETING HORIZON 編集委員 
株式会社AEOS 取締役

味の素で20年近くマーケティング関連業務とIT関連業務を担当、その後GEにて生保のネット販売事業の立ち上げ、三菱商事にてID-POSビッグデータ事業の立ち上げ、ぐるなびにて事業拡大と東証1部上場、メディカル・データ・ビジョン株式会社にて医療情報の活用事業の立 ち上げに参加し東証1部上場。その後トランス・コスモス株式会社を経て現職。
新規事業・新商品の立ち上げを多く経験。
日本マーケティング協会理事およびマーケティングマイスター
一般社団法人市場創造学会 代表理事・副会長
アルゴマーケティング研究所合同会社 代表社員

本荘 修二ほんじょう しゅうじ
MARKETING HORIZON 編集委員 
本荘事務所 代表 
多摩大学 客員教授

新事業を中心に、経営コンサルティングを手掛ける。日米アジアの大企業、スタートアップ、投資会社などのアドバイザーや社外役員を務める。Techstars、Endeavor、始動ネクストイノベーター、福岡県他のメンターを務め、起業家育成、エコシステムづくりに取り組む。厚生労働省・医療系ベンチャー振興推進会議座長、日本スタートアップ大賞審査委員。著書に『大企業のwebはなぜつまらないのか?』『エコシステム・マーケティング』他、訳書に『ザッポス伝説』他、連載にForbes「垣根を越える力」等がある。

Coming Soon
次回の更新は 03月17日 03月31日 

INTERVIEW

第9回
「社会課題×デザイン」から未来をつくる
──社会課題に寄り添うデザインの力を信じて

Interviewee

蛭子 彩華 
MARKETING HORIZON 編集委員 
一般社団法人TEKITO DESIGN Lab 代表理事 
クリエイティブデザイナー

Interviewer

福島 常浩 
MARKETING HORIZON 編集委員 
株式会社AEOS 取締役

 「社会課題×デザイン」をテーマにご活躍され、実際にもバングラデシュと日本を結ぶ「わらじプロジェクト」に関わり続けてこられた蛭子彩華さん。とてもエネルギッシュかつ優しい目線で身近な社会課題解決にも取り組まれている蛭子さんに、デザインへの想いやよりよい社会を築いていくための方策などをうかがいました。

BOPビジネスとの出会い

福島 まず、編集委員になられたきっかけを教えていただけますか。

蛭子 2019年に編集委員の見山謙一郎先生にお声がけいただいたのがきっかけで、ホライズンには6年ほど携わってきました。その頃は第2子に恵まれて、待機児童を抱えながらの仕事で時間に追われていましたし、私は国語がまるで駄目で、マーケティングのこともわからないですからと編集委員になることを固辞したのですが、先生が笑顔で「大丈夫!」と背中を押してくださったので結局お受けすることになりました。
 実は私は、大学時代の2011年に見山先生の授業を取っていて、大学4年生からの長いご縁になります。専攻は社会学だったのですが、たまたま受講した見山先生の経営学の授業で「BOP:Base of the Economic Pyramid:低所得者層)ビジネス」の講義をされていたのがとても衝撃的でした。実際に当時アジア最貧国と呼ばれていたバングラデシュをフィールドにして学生主体のプロジェクトをやろうと声をかけてくださり、先生や仲間とともに「わらじプロジェクト」を始めました。
 大学卒業後は一度IT企業に就職し、その後結婚して夫の仕事で南米のチリ駐在に帯同していたのですが、第1子を妊娠して出産のために帰国したタイミングで見山先生にお会いしたのです。そのとき、プロジェクトを運営している現役の学生たちが皆卒業を控えていて人手不足になっている一方で、バングラデシュでは着実に職人を育成し始めて雇用も生まれてきていた状況で、それならば「法人をつくったほうがいいのでは」とお伝えしたところ、その流れで「彩華が代表だね」ということになりました。それが2016年です。法人と第一子のダブル出産をした年でした。

福島 そうですか。蛭子さんはてっきりデザイナーさんだと思っていました。マーケティングのご専門でデザインもできるすごい方だと。

蛭子 いえいえ、とんでもないです。私は、IT企業のサラリーマンをやりながら、週末の時間のあるときに独学でAdobe Illustratorを学びながら友人から頼まれた名刺デザインをしたりもしていましたが、一貫して私のテーマは、「社会課題×デザイン」です。「わらじプロジェクト」もその想いで取り組んでいます。布製のわらじをバングラデシュでフェアトレードの仕組みで生産し、日本で販売することで現地での雇用創出を目指しています。

福島 BOPビジネスとの出会いについてもう少し教えていただけますか。

蛭子 先ほどもお話ししたように、BOPビジネスとの出会いは見山先生の授業でした。同じく先生の授業を受講していた仲間とともに大学4年生の夏休みにバングラデシュへフィールドワークに行きました。そこでとても衝撃的というかカルチャーショックをたくさん受けました。仲間とも話していたのですが、「貧困」や「幸せ」って何だろうということを深く考えるようになりましたね。
 経済的に日本は先進国ということで自分を含めた学生たちが上から目線だった点は反省しなければならないのですが、スラム街を訪れたとき、何より感じたのは皆さんとてもエネルギッシュで、ずっと笑顔で分け隔てなく話しかけてくれてとてもフレンドリーでした。逆に現地の大学生と交流した際には「日本は裕福でとても豊かな国なのに、なぜ自殺をしてしまう人が多いのか」と質問されたことも衝撃的でした。そのときに、日本は豊かさと引き換えに失ってしまったものがあるのではないか。精神的に貧しくなってしまったのではないかという疑問が生まれました。
 そこからBOPビジネスは現地のためにもなるけれど、日本の私たちが自分自身を見つめ直すためにもなる。お互いに学び合い、継続的に両国がボトムアップしていくことができるのではないかと強く感じるようになりました。今でもこのプロジェクトを進行しながら学び、そして問い続けているところです。

福島 「わらじプロジェクト」とは具体的にどのような事業なのですか。

蛭子 このプロジェクトは、見山先生がドイツで開催された国際フォーラムで見聞きした「1ユーロシューズプロジェクト」というアディダスがバングラデシュで展開していた先行事例があります。バングラデシュの人々は1日約2ドル以下で生活しているがゆえにほとんど靴を履いておらず、足から病気になって最悪の場合亡くなってしまう社会課題がありました。この現状に対して、アディダスがシューズメーカーとして何ができるかとなったときに、1ユーロで靴を売って、多くの人に履いてもらうことを目指した取り組みでした。しかし、工業製品である靴を1ユーロで製造して売るモデルはビジネスとして持続可能ではありませんでした。
 見山先生は、このアディダスが果敢にチャレンジしている姿勢に感銘を受け、日本に戻った際にゼミ内で話題にしてくださいました。そうすると一人の女子学生が、「バングラデシュと日本とはお米を食べているという共通の食文化があるので、現地に稲があるはず。日本の伝統的なわらじの技術を教え、米を食べた後の余った藁を使ってわらじをつくれるようになれば、自分たちでも足を守れるし、プロダクトができれば日本へ輸出もできる。新たな雇用創出につながるのではないか」というアイデアを出したのです。そのような学生の柔軟な発想でプロジェクトが始まったわけです。
 このアイデアに共感した20人ほどのメンバーで、じゃあ実際に現地に行こうとなったのですが誰もわらじなど編めないということで、秋田県にいらっしゃるわらじ職人に編み方を教わりに行って技術を習得しました。そして実際に、プロジェクトを本格的に始動させるためにバングラデシュへ渡航し、世界最大のNGOであるBRACに運営パートナーになってもらうためにプレゼンテーションも行いました。

バングラデシュでわらじの技術伝承をする様子。左:蛭子氏(2011年)
バングラデシュでわらじの技術伝承をする様子。左:蛭子氏(2011年)

 ところが想像もしなかったことですが、実は藁は、家畜の飼料や堆肥に使われる貴重な資源でわらじには使いたくないと言われてしまったのです。実際には藁は余っていたのですが、現地の方にしてみればインサイト的に使いたくないということだったのでしょう。仮説は総崩れです。
 「プロジェクトはここで終わってしまうのだろうか?」と皆に不安がよぎりましたが先の話がありました。彼らから「バングラデシュは縫製大国でTシャツにならなかった綺麗な余りの生地がある。今までは燃やしてしまっていたが、これを裂けば布でわらじをつくれるのではないか」と逆提案をしてくれたのです。その想像もしていなかったアイデアから商品改良をして布わらじをつくり、ルームシューズとして日本で販売し始めるようになったという経緯です。

 バングラデシュの職人がつくった布わらじ。ルームシューズブランド『ami tumi(アミ トゥミ)』として日本で販売し、その利益を現地に還元するという循環型のビジネスモデルで運用されている

福島 蛭子さんは、天性のものかもしれませんがアドレナリンがたくさん出てくる力を持っているように感じます。それに行動力も素晴らしい。

蛭子 そう言っていただきありがとうございます。自分が好きなことには時間も忘れて熱中してしまい、気づいたらやっているような性格なのだと思います。私は美大に憧れがありましたし、親や先生も私が美大に進学するのだろうと思っていたそうなのですが、実は幼少期から社会学的なことの方により興味がありました。何でこうなっているのだろうと考えたり調べたり、その結果視野が開けたりという感覚が好きで、社会学部に進みました。それで見山先生や同じ思いを持つ仲間にも出会えて今があるということを考えると、自分の中に芽生えたワクワクした気持ちを大切にして、自分の心がより惹かれる方向に進むのが心地よいと感じています。そういう気持ちはこれからも大切にしていきたいと思います。

福島 蛭子さんは、“好きになる力”が強い方だと感じました。ある本に書いてあったのですが、目の前にある仕事を一生懸命やってみることから好きになるんだと。一生懸命やると仕事は楽しくなる、好きになる。この仕事は嫌い、自分とは合わないなどと思っている人は自分の人生を狭めてしまっているように思いますね。そういう意味で、蛭子さんは“好きになる力”がすごいのだと思います。

マーケティングとは「愛」

福島 話を進めますが、蛭子さんにとってマーケティングとは何でしょう。

蛭子 私はマーケティング専門で学業や仕事をやってきたわけではないのですが、ホライズンの編集委員に携わってきて感じることは、「マーケティングは愛」ということです。自分が何かをつくりたい、自分が人に何かを伝えたいという想いの根っこには目には見えない愛情があり、それが人の心を動かしているのだろうと感じます。私もホライズンの仕事でたくさんの方々にインタビューをしてきましたが、皆さん本当に温かくて、愛情を持って社員の方やお客さま、あるいはものづくりに向き合われているのを肌身で感じました。それは一言で言うなら「愛」なんだろうと思います。

福島 マーケティングとは「愛」、本当にそうですね。相手のことを慮る気持ちがなければ価値は創造できないですよね。相手の人のためになって、その余剰が利益になってくる、例えば相手のために100円の価値を生み出せたら、そのうちの20円をいただきましょうというのがマーケティングですから、まさに「愛」という言葉で言い換えてもいいと思いますね。

蛭子 門外漢の私がいきなり「わらじプロジェクト」の経営でマーケティングを始めてしまいましたから、トライ・アンド・エラーの繰り返しです。このプロダクトはこうあってほしいと自身では思うのですが、お客さまやパートナー企業の方から「他にもこういう魅力があるよ」と自分では気づかない価値を教えていただくことがとても多いです。その辺りをうまく混ぜ合わせながら、遠回りをすることもありますが、何とか前に進めているという感じですね。

福島 例えば「わらじプロジェクト」では、藁は大事な資源だから駄目だと言われたわけですが、そのときになぜ諦めなかったのですか。どんな事業も最初に決めた通りにうまくはいかない。やってみると状況が違ってきて、事業もそれに合わせて形を変えていきながら最終的に一つの大きな事業として実を結ぶ、これはまさに事業開発時には非常に重要な要素だと思います。

蛭子 藁は駄目だと言われた以外にも沢山のピンチがありましたし、これからもきっと予期せぬ別のピンチが待っているのだろうと感じています。ただ、ピンチになったときに自分一人ではないという点はとても大きいです。一人だと、選択肢はもうこれしかないと思いがちですが、周りに複数の多様な考えの仲間がいて、Aが駄目ならB。Bで駄目ならC、Dといろいろな選択肢やアイデアを出し合って、その中から対話で選んでいくという繰り返しで今までやってきたように思います。仲間がいるからこそ、これまで幾度となくピンチを乗り越えてこられたのだと感じています。

福島 愛、一人ではない、対話で課題解決など、マーケティングの世界観をとても重要な言葉で語っていただきました。本当にそうだと思います。

常識に囚われないデザインの力

福島 蛭子さんがホライズンの読者に一番伝えたいのはどのようなことですか。

蛭子 自分がホライズンで企画してきたテーマを振り返ってみると「土地の地力」「愛と美しさを信じ、守り抜く」「下目線」などで、かなり抽象的で好きなことを発信させていただいた印象が強いです。総じて「大切なものほど目に見えないから、それを感じ取って、一人ではなく皆で、少しでも良くしていきましょう」といったことがホライズンを通じて伝えたかったことだろうと思っています。
 やはり、個人と社会はつながっていると思うので、自分も幸せ、近くの人も幸せ、間接的に携わった方も総じて幸せになっていったらいいなと思います。社会課題でも、例えば私自身も体験した待機児童の問題でも、昨日今日で生まれたことではなくて、今までの積み重ねかつ複雑な構造の中で社会問題化しているわけですよね。それを個人の課題や大変さに閉じずに、皆に開いて共有し、共感してもらって、どこをどうつなぎ合わせたらもっと良くなるかを一緒になって考えるのがスムーズだし、それこそデザインやアートの力なのだろうと思います。

福島 なるほど。デザインとコンセプトの違いは、コンセプトは必ず文字にするけれどもデザインは言葉に書けないことを伝えることができる。実はそのほうがずっと意味は深くて広いだろうと思うこともあります。

蛭子 そうですね。あるデザイナーさんから伺った話になりますが、その方が「色の印象として、“冷静さ”を伝えるためには赤より青のほうが使用されると一般的に思われているかもしれないが、使用するシーンによっては赤を選ぶこともあり得る。自分が赤だと考える理由を言語化して共感が生まれれば、赤で表現することはとても有効的だと思いますね」とおっしゃったことが印象に残っています。これまでの自分だけの経験や憶測で思い込まずに、そのときの状況や人の想いを汲み取って、それを表現して伝え広めるのがデザイナーの役目なのだろうと思いました。色選びと同じように、社会学も常識を疑う学問です。「当たり前を疑え」という基本的なところから学びが深まると思っています。

福島 ステレオタイプの判断で決めつけてしまったら新しいものは何も生まれてこないですよね。

“皆がいいと思う方向”へ

福島 蛭子さんはバングラデシュの方々とお仕事されているわけですが、日本にいては体験できない違いがあるのでしょうね。靴を履いていない、電気が来ていないところもたくさんありますから、そういう現実を忘れないようにしたいですね。

蛭子 本当にそう思います。蛇口をひねればきれいな水が出てくる生活があることは、とても有り難いことですよね。「わらじプロジェクト」は創業時からフェアトレードの仕組みで運営しているのですが、あるとき学生が「そもそも、フェアトレードとは何ですか?」という質問をしてくれました。もちろん公式には「10の指針」というものはあるのですが、現地のパートナーの方は次のように教えてくださったのです。
 「職人が明かりの足りている部屋で作業をしているか」「煮沸したお水を飲んでいるか」「家庭内でバイオレンスを受けていないか」などです。これは、日本人である私たちにとっては衝撃的な回答でした。要するに、物理的にも精神的にも、働く環境も人生も公私ともに心地よいかを定期的にお互いにチェックすることが大切だと経営者、そして働き手目線で教えてくださったのです。
 そのような意味では、フェアトレードというのは自分たちが他国に対しての行為であると同時に、自国の社員など、関わっている人たちとの間でもフェアトレードを推し進めることが大切であることに気づかされました。その両輪で回していくことこそが真のフェアトレードだと感じます。

福島 社会課題とデザインというテーマで活躍してこられた蛭子さんはご存じかと思いますが、以前、日本マーケティング大賞(奨励賞)を受賞されたファッションブランドのマザーハウスさんは大変な努力をしつつ途上国支援をされている素晴らしい会社です。ブランドバッグほど高くないしデザイン的にもすっきりしていて、私の妻も大ファンなのです。その妻が言うのに、「心のきれいな人がつくったものはきれいに見える」と。ですから、社会課題やフェアトレードもそうですけど、そこには人々のいい念、善念というものがあるのではないか。この辺りがこれからのマーケティングにとって一番重要になってくるのではないかと感じますね。

蛭子 そうですね。人の心次第で良くもなるし、悪くもなってしまうのでしょうね。デザインを学ぶ上で「戦争とデザイン」の関係性についての本を読んだことがありますが、例えばヒトラーはアートやデザインが人を魅了するパワーをよく理解していたようで、制服デザインやしぐさなどビジュアルもトータルで考えられていて、その力で大衆が動いてしまった側面があると知りました。大衆の心をつかんで動かしてしまうほどの力のあるデザインやマーケティングという手段を、どのように使って皆がいいと思う方向に持っていくかがとても大切だと感じます。

福島 コトラーさんも「コモングッド(Common Good)=共通善」と言っていますが、これも蛭子さんがおっしゃる“皆がいいと思う方向”という意味ですよね。私は先ほど善念という言い方をしましたが、そういうものがマーケティングの中で定着して当たり前のことになってくれるといいと思います。

蛭子 そうですね。“皆がいいと思う”ということは“それぞれの意見”を交換し合った土台の上に成り立つと感じています。それは、以前ホライズンでも取材させていただいた社会学者である上野千鶴子さんのお話の内容を思い出したからなのですが、上野さんから「他人の言うことに100%同意することはありません。一部は同意するが、他の部分には同意できない。そうやって議論を詰めていくところから、次の一歩が生まれます。日本のゼミでは、質疑応答が一問一答で終わってしまいがちです。すれ違ったまま、飲み込んで黙る習慣があるようです。きちんとかみ合う会話になっておらず、互いの意見が、双方に影響し合う経験があまりないようです。(抜粋)」というお話をいただきました。
 その流れでさらに「ネガティブ・ケイパビリティ」という詩人ジョン・キーツの言葉がありますが、AとBが違うときに諦めるのではなく“耐える”、そして“保留する”力を持って考え続けようという態度のことです。まさに上野さんがおっしゃっていることと通ずる部分があると感じます。誰でも自分とは異なる意見を聞くことや摩擦は避けたいことではありますが、社会皆で生きている限り避けては通れないことです。日本はとても豊かで精神的にも文化的にも素敵な国と国民だと思うので、これからも未来につなげていけるように対話を育んでいきたいですね。

福島 私も本当にそう思います。本日はありがとうございました。

〈インタビュー後記〉

 思想家・安岡正篤は知識、見識に加え、困難な事態に突き当たっても、あらゆる抵抗を排して断固として自分の思うところを実践に移していく力を「胆識」と説いています。この胆識とは強く激しいものではなく、明るく朗らかでこれほどまでにしなやかなものであるということを、蛭子さんに教えてもらいました。誰かのために価値を創り出し社会に貢献していくことがマーケティングであれば、まさにそれを自然体で体現し続けていると言えるのではないでしょうか。インタビューは、とてもさわやかな時間でした。

蛭子 彩華えびす あやか
MARKETING HORIZON 編集委員 
一般社団法人TEKITO DESIGN Lab 代表理事
クリエイティブデザイナー

1988年群馬県前橋市生まれ。2012年立教大学社会学部を卒業し、IT企業に勤務。
結婚を機に退職し、夫の南米チリ駐在へ帯同。帰国後の2016年、第一子出産と同時にTEKITO DESIGN Labを設立。
現在は3児の母として、様々な社会課題に、デザインとビジネスの循環の仕組みでアプローチしている。2025 年 11 月からは再びチリ駐在に帯同し、日本の裏側から距離や境界を越えて人と社会をつなぐ働き方と表現の可能性を探っている。

福島 常浩ふくしま つねひろ
MARKETING HORIZON 編集委員 
株式会社AEOS 取締役

味の素で20年近くマーケティング関連業務とIT関連業務を担当、その後GEにて生保のネット販売事業の立ち上げ、三菱商事にてID-POSビッグデータ事業の立ち上げ、ぐるなびにて事業拡大と東証1部上場、メディカル・データ・ビジョン株式会社にて医療情報の活用事業の立 ち上げに参加し東証1部上場。その後トランス・コスモス株式会社を経て現職。
新規事業・新商品の立ち上げを多く経験。
日本マーケティング協会理事およびマーケティングマイスター
一般社団法人市場創造学会 代表理事・副会長
アルゴマーケティング研究所合同会社 代表社員

INTERVIEW

第10回
人生はテストマーケティングの連続
~試し、対話し、育んでいく人間観~

Interviewee

山本 裕介 
MARKETING HORIZON 編集委員 
エンワールド・ジャパン株式会社 代表取締役社長

Interviewer

蛭子 彩華 
MARKETING HORIZON 編集委員 
一般社団法人TEKITO DESIGN Lab 代表理事 
クリエイティブデザイナー



 「コミュニケーション」を仕事の軸に据えた働き方、そして生き方をされてきた山本裕介さん。そんな山本さんの足跡を追いながら、地道で緻密なマーケティング活動の裏側や、人間味あふれる広い視野から生まれる「人」への想いをうかがいました。

10代の頃、不得意だった「コミュニケーション」が仕事、そして人生の中心に

蛭子 山本さんは、圧倒的な情報処理の速さ、人とすぐに打ち解けられる笑顔が印象的で、軽やかに変化しながら周囲をリードするパワフルな方だなと常々思っていました。まずは、そんな山本さんの生い立ちをお聞かせいただけますか。

山本 そう言っていただきありがとうございます。私は、1980年に広島の宮島の近くで生まれ、両親とも地方公務員の家庭で育ちました。小中学校時代は、祖父母が広島の目抜き通りで営んでいた靴屋を手伝いながら、週末は母方の家があった瀬戸内海の島で釣りをするという生活でしたね。中高は男子一貫校だったのですが、この6年間が人生の暗黒時代だったなと感じています。

蛭子 暗黒時代とは、とても意外でセンシティブなワードですね。具体的なお話をお聞きしてもよろしいでしょうか。

山本 実は、当時の私は人とコミュニケーションを取るのが得意ではなかったのです。その頃、人の輪の中に入っていったり、まして集団をリードしたりするようなことはほとんどできていなかったですね。そんな暗い時代を経て大学進学のために上京し、それからはずいぶん人とコミュニケーションが取れるようになりましたが、4年生になってからの就職活動では内定をいただけずとても苦労しました。卒業論文を書く際に、自分が苦手としていた「コミュニケーション」に向き合ったことで広告に興味関心が高まり、5年生にしてやっと広告代理店から内定をいただきました。

蛭子 ご自身でもコミュニケーションの課題を抱え、しかしそこから目を背けずに見つめ直したのですね。

山本 そうですね。例えば「人は10代のときに苦しんだことに一生こだわり続ける」と言われたりしますよね。お金で苦労したら、その後もずっとお金にこだわる人になるなど。私の場合はコミュニケーションにつまずいたので、逆にコミュニケーションにものすごくこだわることを仕事にしたのでしょうね。
 広告代理店に就職し、営業担当をしていた頃も、コミュニケーションに強みがあるタイプではありませんでしたが、得意先に可愛がっていただける環境に恵まれました。その頃、SNS系に特化した新会社をデジタルガレージなどと合弁でつくる立ち上げメンバーとして出向し、当時の食べログの事業化を担当しました。その後、2009年には Twitter(現:X)を日本展開するプロジェクトに参画し、Twitter日本版の立ち上げに携わるようになりました。
 Twitterは日本で当初、マンスリー・アクティブユーザーが約30万人程度でしたが、2009年から2011年で約1,500万人まで拡大しました。わずか2年で50倍も拡大するサービスはそれまでなかったと思います。その凄まじい成長を間近で見届けられて本当に仕事が楽しかったですし、何よりそこで初めてマーケティングに触れることができました。
 例えば、バリュープロポジションやユーザーにとってのサービス価値をチームで考えたり、ユーザーをセグメントしながら、コンテンツパートナーシップを通じて新しいユーザーとの接点づくりに取り組んだりしました。そうした試行錯誤の中で、マーケティングの基礎的な考え方について実感を持って学べたように思っています。
 また、自身のアイデアから「ツイナビ」というTwitter公式の日本向けガイドサイトを立ち上げ、企画から運用までを数人で担当しました。アカウントのフォロワー数をゼロから約50万人規模まで育てることができたのは、非常に貴重な経験でした。
 しかし、2011年3月に起きた東日本大震災をきっかけに、物事の捉え方が大きく変わりました。リアルタイムでローカルな情報を届けるツールの重要性を改めて感じる一方で、自分自身の仕事へのモチベーションは、より長期的でもっと多面的なかたちで社会に関われることへと少しずつシフトしていきました。

蛭子 そういった経緯から、Googleへの転職につながったのですね。

山本 そうですね。英語はあまりできませんでしたが、YouTubeやGoogleマップをはじめとする多彩なサービスが、人々の生活や社会を確実に変えていく姿に強く惹かれていました。「ここで働くことで、世界とつながる仕事ができるかもしれない」──そんな想いから、自分の可能性を信じて応募しました。英語での面接では、言葉だけでは伝えきれない気持ちや考えをパワーポイントにまとめ、プレゼンテーションというかたちで表現しました。その姿勢や覚悟を評価していただけたのだと感じています。
 入社後は、まずプロダクトマーケティングを担当し、その後、コーポレートブランディングへと役割を移しました。日々の業務の中で常に意識していたのは、日本社会が抱える課題と、Googleの技術や思想をどう結びつけられるのか、という問いでした。単なるブランド発信ではなく、社会と誠実につながるあり方を模索し続けていました。
 2014年からは、「Women Will」というプロジェクトを立ち上げ、女性も男性も誰もが働き続けやすい社会をつくるため、延べ1,000社以上のパートナー企業・団体と社会に対しての提言を行いました。2017年からはデジタル人材育成を担当し、デジタルスキル支援プログラム「Grow with Google」を通じて、延べ1,000万人に無料トレーニングを届けることができました。2020年頃からは、リスキリングやAIといった新しいテーマにも向き合い、コロナ禍といった大きな変化の渦中にいる人たちにどう伴走できるかを考え続けるようになりました。
 こうした仕事の流れとは別に、入社直後から私自身の価値観を大きく揺さぶった東日本大震災に関するプロジェクトにも取り組んでいました。「未来へのキオクプロジェクト」は、今でも深く心に残っています。被災地で撮影された写真や動画、一人ひとりの体験談といった“記憶”を残し、見えるかたちにすることで、それらを復興の力や学びにし、そして未来へと手渡していきたい──そんな切実な思いから生まれた取り組みでした。

「人間観」を大切にした、自分で選び抜く働き方と生き方

蛭子 山本さんが大切にされていることを、会社という組織を通じて、社内そして社会へと着実に実装されていかれたのだなと強く感じました。

山本 Googleのミッションは、世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスして使えるようにすることです。正確で多様な情報が手に入れば、人はより良い判断ができるようになり、結果として世の中は良くなっていく。私は今もその考えを信じています。一方で、Googleでのキャリアが10数年経った頃、次第に「自分が人生をかけて本当に大切にしたいものは何なのか」を考えるようになりました。その答えは、情報や仕組み以上に、「人そのもの」だったのだと思います。自分の中にある「人間観」を見つめ直すために、まずは自分自身と向き合い、同時に、さまざまな人生を歩んできた諸先輩方との対話を重ね、最終的に今の人材業界の会社へ転職する決断をしました。
 これまでのキャリアでも事業開発や経営企画という仕事は行っていましたが、CEOという立場は初めてやらせていただくかたちになります。ただ、これまでのキャリアを振り返ると、常に同じ状況からのスタートでした。マーケティングの経験がなかったときも、英語が話せなかったときも、不確実さの中で一歩踏み出し、前に進んできました。そうした経験があるからこそ、今回もまた学びながら進んでいけると考えています。
 私がこれから最もやりたいことは、何かを変えたいと思っている志ある方々をお繋ぎすることです。特定のカテゴリーの企業様や候補者様に閉じるのではなく、より広い視点で多様な企業と人を支え、挑戦する人を一人でも増やし、その積分として、社会をより良くしていきたい。そんなふうに考えています。

蛭子 ご自身が本当に納得できるまで対話を大切にし、そのプロセス自体を仕事に重ねながら、自然なかたちで社会へ価値を返してこられていると感じます。

山本 ありがとうございます。AIによって物事を行うコストが劇的に下がった先にある世界では、「何がやりたいか」ということがとても重要になると思っています。「何ができるか」ではなく「何がやりたいか」「どのような社会や世界を望むのか」という「人の意志」ですね。人材業界の仕事は、まず「あなたは何がやりたいのですか」と問いかけるところから始まります。だからこそ、人と人の対話、つまりコミュニケーションを根幹に据えた、非常に重要な仕事だと感じたのです。

マーケティングとは経営そのもの

蛭子 AI時代だからこそ、人とのコミュニケーションがさらに重要になってくるのですね。話は変わりますが、山本さんにとってマーケティングとはどのような存在なのでしょうか。また、『マーケティングホライズン』に編集委員として関わる中で、どのような学びや気づきを得られましたか。

山本 マーケティングとは「人の心を動かすこと」そのものである、ずっとそう思ってやってきました。日々、手に取るコーヒーも、それこそ転職もそうですが、結局、人の心が動かないと何も起こりません。人の心を動かすために、どのようなタイミングで、どのようなメッセージを、どの媒体チャンネルで出すのかを考えること、つまり、プロフェッショナルが行うすべてがマーケティングだと捉えています。
 編集委員の経験はとても楽しかったですし、マーケティングとは私が思っているよりもかなり広い概念なのだと感じましたね。「そもそも今はどういう時代で、何が求められているのか」といったような抽象度の高い話も、多様なバックグラウンドをお持ちの皆さんと議論できたことが非常に面白かったです。
 実際、自分が経営をやってみるとよくわかるのですが、狭義のマーケティングは、日々のセールス活動に近い立ち位置にあると思います。一方で、より広い意味でのマーケティングは、「今はどんな時代なのか」「人は何を求めているのか」「これから社会はどうなっていくのか」といった問いに向き合うことです。そう考えると、それは経営そのものだと言えるのではないでしょうか。狭義と広義、どちらのマーケティングにもそれぞれの価値があるのだと思います。
 もう一つ、マーケティングについて感じていることがあります。現在働いている会社は、約26年の歴史を持ち、規模もそれなりに大きいです。その分、多くの変遷を経てきましたし、社内には本当に良いものがたくさんあります。ただ、それらの価値をきちんと見つけ出し、「価値」として社員や社外に十分に伝えきれていないと感じる場面もあります。
 改めて考えてみると、良いものを見つけ、その中にある魅力や要素を言語化し、わかりやすく伝えること自体がマーケティングなのだと思います。そうした視点を持つ存在だからこそ、マーケターは経営者になるべきなのではないかと。最近は、そんなふうにも考えていますね。

「ホップ、ホップ、ホップ」の、テストマーケティング精神

蛭子 山本さんが『マーケティングホライズン』を通じて読者に最も伝えたかったことはどのようなことでしょうか。

山本 一言で表すのは難しいですが、自分のキャリアを振り返ってみると、常に「テストマーケティング」を繰り返してきたように思います。結局やってみなければわからないわけで、言わばお試し的な考え方ですね。たくさんの小さなテストマーケティングを何度もやってみて、どこに合うかを見定めていく。広い意味でのマーケティングとは、物事を実行するハードルを低くして、仕事そして自分の人生をより面白くできるような方向を考えていく思考法なのかもしれません。
 そうした考えから、読者の方にも「最初から正解を求めなくていい。まずは小さく試してみてほしい」ということを伝えたかったのではないかと思います。テストマーケティングを重ねる中でこそ、自分なりの道や納得できる選択が見えてくるのではないでしょうか。

蛭子 確かにテストマーケティングだと考えると、何だか肩の荷が下りて動きが軽くなるような気持ちがしますね。「ホップ、ステップ、ジャンプ」の流れではなく、「ホップ、ホップ、ホップ」の連続があり、気づいたらもうジャンプしていましたといった感じでしょうか。

山本 まさに「ホップ、ホップ、ホップ」という考え方は、人生のあらゆる場面に当てはまるのかもしれません。振り返ってみると、プライベートでも数えきれないほどのホップがありました。国内に限らず、さまざまな国へ何度も引っ越してきたため、子どもたちもそのたびに転校を経験しています。けれども、子どもたちの様子を見ていると、「ホップ」に対する心理的なハードルが驚くほど下がっていることに気づかされます。「次はどこに行きたい?」と聞いても、「別にどこでも大丈夫だよ」と返ってくる。その柔軟さに学びを得ることも多いですね。
 ちょうど2026年1月から、Business Insider Japan様で、親子で国内15ヶ所の子連れリモートワークを体験したあと軽井沢に家族で移住し、さらに子どもたちがマレーシアに留学したという我が家の冒険を寄稿させていただく連載を始めました。

記事/東京→軽井沢→マレーシア。「移動型家族」を続けて感じた国内・海外教育移住のリアル

知床半島を見ながら船の上でリモートワーク。
(写真は全てBusiness Insider Japan記事より。撮影:山本裕介)
オホーツクエリアは子連れで何度も訪れました。
マレーシアに引っ越した翌日の朝陽。

 英語には「There is no silver bullet(銀の弾丸のように、物事を一気に解決する方法はない)」や、「Test the waters(とりあえず足を水に入れて確かめてみる)」という表現があります。プライベートでも仕事でも、まさにそんな感覚でテストマーケティングを続けていく中で、少しずつ自分なりのキャリアがかたちづくられ、それに伴ってマインドも変化し、成長してきたのだと思います。これまでそうして歩んできましたし、きっとこれからも変わらず、その姿勢で進んでいくのだろうと改めて感じました。

蛭子 本日は、とても軽やかでありながら力強い示唆をいただき本当にありがとうございました。これからも山本さんの数々の「ホップ」のお話を伺えることを、今からとても楽しみにしています。私自身も、テストマーケティングの視点を持ちながら、どこにいても前向きに歩んでいきたいなと思いました。今後ともよろしくお願いいたします。

〈インタビュー後記〉

 山本さんのお話から感じたのは、人は試しながら学び、他者との対話を通じて仕事、そして人生をより豊かな方向へ成長させていける存在だという強い信念でした。テストマーケティングを続ける姿勢は、失敗や遠回りさえも、自分をかたちづくる大切でかけがえのない「ホップ」と、前向きな視点を与えてくれます。試し、対話し、また試す。その積み重ねの先にこそ、自分なりの心地よい人生が立ち上がってくるのだと気づかされました。

山本 裕介やまもと ゆうすけ
MARKETING HORIZON 編集委員 
エンワールド・ジャパン株式会社 代表取締役社長

大手広告代理店で経験を積んだ後、Twitter日本上陸時のマーケティング・広報を担当。その後、Googleにて日本市場でのコーポレートブランディングや、テクノロジーを活用した社会課題解決プロジェクトに従事。現在はエンワールド・ジャパン株式会社 代表取締役社長を務める。

蛭子 彩華えびす あやか
MARKETING HORIZON 編集委員 
一般社団法人TEKITO DESIGN Lab 代表理事 
クリエイティブデザイナー

1988年群馬県前橋市生まれ。2012年、立教大学社会学部を卒業し、IT企業に勤務。

結婚を機に退職し、夫の南米チリ駐在へ帯同。帰国後の2016年、第一子出産と同時にTEKITO DESIGN Labを設立。現在は3児の母として、さまざまな社会課題に、デザインとビジネスの循環の仕組みでアプローチしている。2025年11月からは再びチリ駐在に帯同し、日本の裏側から距離や境界を越えて人と社会をつなぐ働き方と表現の可能性を探っている。

INTERVIEW

第11回
広告のその先へ
──「生活知」が拓く創造性と可能性

Interviewee

帆刈 吾郎 
MARKETING HORIZON 編集委員 
博報堂生活総合研究所 所長

Interviewer

山本 裕介 
MARKETING HORIZON 編集委員 
エンワールド・ジャパン株式会社 代表取締役社長

 聞き手の山本氏も広告会社の出身であることから、本回は、博報堂生活総合研究所所長の帆刈吾郎さんに、広告産業の魅力やクリエイティビティの特性、これから求められるであろう新たな役割や方向性などについてうかがいました。

生活知から生まれる創造性

山本 この時代における広告会社の役割に、強い関心を持っています。近年は、コンサルティング領域への進出や、AIを多様な業務に活用する動きが加速しています。そのような変化の中で、広告代理店が最も価値を発揮できる領域はどこにあるのか、考える機会が増えています。
 そこでまずお聞きしたいのは、広告代理店の将来像といった大きな話ではなく、より一般的な意味での広告や広報が、今後どのように変化していくのかという点です。

帆刈 難しい問いですが、産業の再定義が必要だろうと思います。これまでは広告産業と考えられてきましたが、今後はクリエイティブ産業と捉え直す必要があるのではないでしょうか。ここで言うクリエイティビティとは、アイデア出しや広告制作といった狭義の話ではなく、「創造性」という意味合いです。従来の広告業が有してきたケイパビリティや提供価値の源泉は、突き詰めると「創造性」にあると考えているからです。
 創造性が求められる領域は、もはや広告に限らず、かなり広いフィールドに及ぶと考えます。例えば、顧客獲得を目的としたマーケティングコミュニケーションだけでなく、社内の組織開発に関わるインナーコミュニケーションの領域もあります。
 社員の意欲を高め、また「この会社で働きたい」と思ってもらうためには、社員や求職者の心がわくわくするなど何らかの形で動く必要があります。形式的で通り一遍の表現では、その思いは伝わりません。そこには、広義の創造性が要求されるのではないでしょうか。

山本 クライアントに高度な専門サービスを提供することや、実際の考え方や施策を社会に発信し、新たなケイパビリティを啓発していくことも創造性の1つと捉えられますね。

帆刈 そのような創造性はどこから生まれるのかというと、もちろん個人のひらめきによる部分もありますが、それ以上に重要なのは、世の中の変化や生活者の感覚など、業界の常識や企業人としての枠組みにとらわれない視点を、どれだけ自分の中に持っているか。そうした感覚こそが、創造性の源泉になると考えます。
 この観点で言えば、ビジネスにおける創造性とは、企業人としてではなく、1人の生活者としての感覚や視点、すなわち生活者発想を重視する姿勢からも生まれます。

山本 創造性は、例えば岡本太郎といった一風変わったアーティストのような方が持つものであり、日常生活からかけ離れていることが創造性の源泉だというような空気感もかつてあったように思います。

帆刈 いま私は、「生活知」という言葉をつくり、その重要性を提唱したいと考えています。もちろん、業界の知識やテクノロジーの知見などの重要性はいうまでもありません。一方で企業のこれからの意思決定においては、世の中の変化に対する知見も必要です。生活者の洞察から世の中の変化を読み解く知見を「生活知」という言葉で定義し、「生活知」がこれからのビジネスにおいて重要だということを提唱していきます。宣伝やマーケティングコミュニケーションに携わる人に限らず、あらゆる企業人にとって新たな価値を生み出す源泉として「生活知」の重要性と具体的な研究成果を広めていきたいと考えます。

山本 地に足がついた視点で、さまざまな人の暮らしをきちんと想像できること、そしてそれを理解していることが、創造性につながるということですね。

帆刈 そうですね。この業界の常識はこうだとか、新しいテクノロジーが出たら取り入れ、企業は同じ方向に向かいがちですよね。しかし、皆が同じように進んでいく中で、どうやって差異を生み出すのか。同質化・均質化が進む一方、企業の独自性や競争優位性をどこに見出すのかが問われています。もちろん手掛かりとして、テクノロジーの優位性を追求するというやり方もありますが、それだけでなく、企業視点から脱して生活者視点を持つこと自体が、大きな競争戦略であり差別化につながるのではないでしょうか。

世のため人のためのマーケティング

山本 帆刈さんがおっしゃる、他者の視点を取り入れることやそのための生活知が創造性を高めるという点は、非常に興味深いと感じました。突き詰めれば、マーケティングとはそういう営みなのかもしれませんね。

帆刈 それは私なりのマーケティングの定義とも関わってきます。マーケティングを、単にビジネスの一機能や「何かを売る行為」と結びつけて考える必要はないと思っています。実際、物を売らない公共サービスの分野でも、マーケティングの考え方は必要とされています。マーケティングとは何か。それは、何かを売るビジネスと紐付いたものではなく、「自己中心に陥らず、普遍的に他者の意見や視点を取り入れることで、やろうとしていることの成功確率を高める行為」であると思っています。
 マーケティングを社会全体にとって意味のある行為として定義し直せば、より良い社会や、より良いコミュニケーションを生み、相互理解を深めることにつながるのではないかと思います。

山本 そのためには多様なものの見方や考え方を取り入れ、創造性を高めていく必要があるということでしょうか。

帆刈 多様性が高まるほど創造性も高まるという相関関係は確かにあると思います。外部の視点を取り入れることで物事をより俯瞰して捉えられるようになり、その結果として、人の心を動かすマーケティングや、より創造的な取り組みにつながっていくのではないでしょうか。

時代を捉えるセンシティビティが重要に

山本 以前の広告会社には、こういう価値を世の中に届けたい、こういう世の中にしたい、こうなっていくべきだと強い世界観を持つ人が多かった印象があります。そうした姿勢はいまも残っているのでしょうか。

帆刈 確かに以前は、時代をつくる、トレンドをつくるといった意識を強く持つ人が多かったように思います。自分が先頭に立って時代を創造し、切り拓いていく、というタイプの人たちですね。
 一方で現在は、「センス」に加えて「センシティブ」であることも重視されている印象があります。広告業の人は、新しい生活者の意識や社会課題に敏感だ、あるいはそうありたいと考える人が増えているのではないでしょうか。
 広告業界に限らず、スタートアップなども含めて「社会課題を解決したい」と考える人が増えています。特定の課題を1つの事業で解決したいのであれば、社会課題解決型のスタートアップを選ぶかもしれません。一方で、より幅広い社会課題に向き合い、複数のプレーヤーと組みながら取り組みたいと考える人が広告会社を志向するケースもあるように思います。そうした人たちは、社会や生活者の変化に対する感度を大切にしている印象があります。

山本 そのような感度を持ち、社会課題の解決に貢献したいと考える人が集まってくるということでしょうか。

帆刈 それも1つの側面だと思います。もう1つ、広告会社ならではの特徴として、「ビジネスとカルチャーを横断する仕事がしたい」と考える人がいる点が挙げられます。カルチャーとは、例えばスポーツやアート、エンターテインメント、コンテンツといった領域です。これらの分野にはそれぞれ多くの担い手がいますが、それらとビジネスを結びつけ、価値として成立させる役割、いわば橋渡しを担えるのは広告会社ならではだと思います。

山本 帆刈さんご自身は、なぜ広告業界を選ばれたのでしょうか。

帆刈 先ほどのビジネスとカルチャーの架け橋という点は、実は自分自身の動機とも重なります。
 私はカルチャーだけでなくビジネスにも関わりたいという思いがありました。その点で、広告会社は両者のバランスが取れていると感じたのだと思います。
 また、ものづくりに関わる人は「良いものをつくれば自然と広がる」と考えがちですが、私は、良いものであればあるほど、きちんと広く伝えるべきだと感じていました。振り返ってみると、つくる側というよりも、「良いものを世の中に届ける側」に強く惹かれていたのだと思います。

創造性は「Whyの問い」から始まる

山本 伝えるという点で言うと、日本の教育には、人に伝える方法を体系的に学ぶ場がほとんどないことが課題だと感じています。そもそも、みんなそんなに相手に関心がありません。特に自分がいた外資系企業の仕事を思い返しても、海外のカンファレンスなどでは、話し手がどれだけ熱心でも聞き手は席を立ったり、コーヒーを取りに行ったりします。そのような場を何度も経験してきた立場からすると、「どうすれば人に聞いてもらえるのか」を誰も教えない教育は危ういと思います。
 振り返れば、中学や高校でも、校長先生の話が退屈で注意された経験がありますが、「話がつまらないこと自体が問題だ」という視点は存在していませんでした。校長先生自身も含め、誰も「伝え方」を系統立てて学んできていないのです。だからこそ、「伝える技術」という観点で、マーケティングを一度は必修として学ぶ価値があると思います。

帆刈 まさにその通りで、教育の中で「何をどう伝えるべきか」をもっと考える必要があります。話し方の工夫といった表面的な技術もありますが、それ以前に大切なのは、何のためにプレゼンをするのかという点をしっかり考えることです。例えば、「自分の好きなものを伝えたい」という場合、それは何のためなのか。それを実現するにはどうすればよいのか。説明するだけでなく、実際に触ってもらう、見せるといった作戦も考えられます。目的から考えれば、伝える手段は自然と変わってくるはずです。
 そう考えると創造性とは、そもそもの前提に立ち返って考えることなのかもしれません。私たちは「どうやるか」というHowの問いを与えられすぎている気がします。本来は、「なぜそれをやるのか」「何を実現したいのか」というWhyの問いに一度戻り、そこから改めてHowを考える必要があるのではないでしょうか。それが創造性とも関係していくのではないでしょうか。

山本 確かに、創造性とは本来の理由を問い直すことなのかもしれませんね。Whyを深く掘り下げれば掘り下げるほど、Howの選択肢はいくらでも広がっていきます。
 この話を聞いて思い浮かぶのが、Googleにおける10X(10倍)です。10%の成長であれば、従来の延長線上のやり方で誰でも対応できます。しかしこれが10倍の成長となった瞬間、同じ方法では通用せず、違うことを考えなければなりません。市場や事業を実際に10倍にしようとするには、そもそもなぜこれをやるのかという「Whyの問い」が必要になってくるのではないでしょうか。

帆刈 10Xの話は象徴的ですね。来年の予算は7%増ですと言えば、今の延長線上で頑張ろうという発想になりますが、10倍ですと言われたら、前提をすべて疑わざるを得ず、ゼロベース思考ですよね。やり方もゼロから変えないと無理だ、となりますよね。従来のやり方を改善するだけでは到底届かないゴールですから、根本的な発想転換を迫られるわけです。

山本 まさにそうですね。もちろん、言うは易く行うは難しだと自分でも感じていますが、本質的には非常に大事なことですよね。
 本日は大変勉強になりました。ありがとうございました。

〈インタビュー後記〉

 帆刈さんがおっしゃった「センスがある人ではなくセンシティブな人」というお言葉が印象的でした。センスといういわば独善的で個に閉じた力ではなく、時代やそこで生きる人々のリアリティや生活にセンシティブさを持てる人こそが、社会を的確にとらえて変えていくことができる、メッセージをより届けることができる、という観点は今後ずっと大切にしていきたいと思いました。

帆刈 吾郎ほかり ごろう
MARKETING HORIZON 編集委員 
博報堂生活総合研究所 所長

1995年に博報堂入社、以来マーケティング職に従事。2013年タイ・バンコクに駐在、博報堂生活総合研究所アセアンを設立。2020年日本に帰任し現職。

山本 裕介やまもと ゆうすけ
MARKETING HORIZON 編集委員 
エンワールド・ジャパン株式会社 代表取締役社長

大手広告代理店で経験を積んだ後、Twitter日本上陸時のマーケティング・広報を担当。その後、Googleにて日本市場でのコーポレートブランディングや、テクノロジーを活用した社会課題解決プロジェクトに従事。現在はエンワールド・ジャパン株式会社 代表取締役社長を務める。

INTERVIEW

第12回
傍観者というコンプレックスが強みになる。
マーケティングは「人を幸せにするための最適解」

Interviewee

ツノダ フミコ 
MARKETING HORIZON 編集委員長 
株式会社ウエーブプラネット 代表取締役

Interviewer

帆刈 吾郎 
MARKETING HORIZON 編集委員 
博報堂生活総合研究所 所長

 長年、編集委員を務め、2022年より編集委員長に就かれたツノダさん。インサイトの導き出しやコンセプト開発を手掛けるキャリアの原点は、意外にもご自身の「コンプレックス」にあったと語ります。データやAIが進化する現代において、マーケターが提供すべき本質的な価値とは何か、そして政治家として活動された経験が現在の視座にどう繋がっているのかをうかがいました。

原点は「傍観者」のコンプレックス

帆刈 まずは、ツノダさんがこの道に進まれたきっかけを教えてください。

ツノダ もともと私は、自分のことを「傍観者」だと感じていました。物事の輪の中になかなか入れず、どこか一歩引いて見ている。それが長らくコンプレックスであり、自分の弱みだと思っていました。
 ところがある時、傍観者であるがゆえに頭の中に溜め込んでいた様々な景色や情報が、初めて役に立った瞬間というのがあったのです。クライアントや上司が口頭で話す「これこれ、こういうことなんだよ」という言葉や、世の中の事象、人々の価値観、時代のニーズといった、一見バラバラな要素を、頭の中で整理して一枚の図に表してみたのです。
 自分にとっては苦でもない作業だったのですが、それを見た上司やクライアントから「すごくわかりやすい」「そうそう、こういうこと!」とても喜んでもらえたのです。その時、「ああ、こういうことをありがたがってくれる人たちがいるんだ」と初めて知りました。私のライフワークというのはこれなのか、と気づかされる経験でした。

帆刈 では、この仕事を長く続けられた原動力は何だったのでしょうか。

ツノダ もちろん、褒められると嬉しいですし、人の困りごとを解決できた感覚もありました。ですが、私にとって一番大きかったのは「繰り返しが一つもない」ことでした。私はめちゃくちゃ飽き性で、繰り返しが苦手なんです。その点、この仕事は毎回違う課題に向き合える。それがありがたかったですね。

AI時代、人の「腹落ち」が価値になる

帆刈 30年以上続けられる中で、求められる役割に変化はありましたか。

ツノダ 面白いことに、本質は大きく変わっていないと思います。一見、複雑に絡まっているように見えるものを一つ一つほぐし、もう一度わかりやすく組み立て直す。その部分が求められていることに変わりはありません。
 ただ、最近はテクノロジーが進化し、データをパパッと整理したり、一瞬で構造化したりすることはAIでもできるようになりました。その分、より「根源的な部分」へのニーズが高まっていると感じます。

帆刈 根源的な部分、と言いますと?

ツノダ 例えば、ビッグデータのように表面的なデータは誰もが手にできるようになりました。だからこそ、その奥にある「本当の人間の気持ち」や「インサイト」への深掘りが求められています。
 AIを使うことはもはや前提というか当たり前になっています。クライアントもAIを触っていて、表面的な理解はできている。AIは一聞いたら百ぐらい返してくるので、情報はいくらでも手に入ります。しかし、「それはわかったけど、要するに?」という部分においてAIが出してきた答えではもう一つしっくりこない、どうも「腹落ちしない」のです。
 AIは責任を取りませんし、唯一絶対の答えも出してくれない。だからこそ、AIが提示した答えを解釈し、読み解き、「要するにこういうことです」と提示する。そして、「これで決断してもいいんだ」という安心感や、「覚悟を決める言葉」を提供する。これこそ人に求められる役割であり、このニーズはますます強くなっていると感じます。

帆刈 それは、ロジックを超えた価値ですね。

ツノダ そう思います。多分、その言葉以上に「この人が言ってくれたから」という、信頼関係の部分も大きいのではないでしょうか。お互いに信頼しあって議論できる関係があってこそ、提供できる価値なのかもしれません。

手法は「自分ごと化」――クライアントが持てない多視点を持つ

帆刈 その「根源的な部分」や「腹落ち」に迫るために、独自のアプローチや手法をお持ちですか。

ツノダ もし確立された手法があれば、私もそれを水平展開してもっと儲けられているのではないかと思いますが、ないんですよね(笑)。ただ、無意識に、癖としてやっているのは「自分ごと化する」ということです。それはすごくあります。「自分だったら」とか、「うちだったら」とか、自分のこととして考える。

帆刈 具体的には、どのように「自分ごと化」されるのですか。

ツノダ 例えば、「もし自分がお客さんだったら」というのはもちろんありますし、「もし自分がこのプロジェクトを任されたら」とか、「こういうことを上司に頼まれたら」などクライアントさんの立場に立って考えることは当然あります。生活者インサイトも大事ですが、クライアント・インサイトについてもかなり考えます。
 ただそれだけでなく、世の中のありとあらゆること、例えば、お買い物に行った先の販売員の方の立場だったらどう考えるか、あるいは、「ここのオーナーだったらどう考えるかな」など。常に多視点を自分のこととして捉えるようにしていますが、これは無意識の癖のようなものですね。自分ごと化して傍観しているのかもしれません。

帆刈 なぜ多視点を得るためにツノダさんのような外部の役割が必要なのでしょうか。

ツノダ クライアントの方というのは、それこそ数字を背負っていたりして、ご自身の責任や役割、求められていることがガチっとあるわけじゃないですか。胃が痛くなるようなそういう環境にいらっしゃると、目の前の課題や事業に集中しすぎて多角的な目線は持ちにくくなってしまうんだろうな、と感じます。
 だからこそ、外部にいる私たちがそうした目線を提供することに価値を感じていただけている。期待されている部分としては、そういうところがあるように感じますね。

政治家への転身と、そこで得た「包摂的な視点」

帆刈 キャリアの途中で、一度政治家(市議会議員)も経験されています。これはどのような思いからだったのですか。

ツノダ 実は、中学生の頃の夢が政治家になることだったんです。当時はまだ、学校の家庭科が男女別々でした。私はそれが「おかしい」と強く感じて。なぜ国が、男の子は日曜大工やはんだ付けで、女の子はお裁縫や料理をやることを強いるのだと。それを義務教育としてやるのはおかしい、と。
 それで私は家庭科の授業をボイコットしたり、校内の弁論大会でそれを訴えたり、新聞に投書したりしていました。その時、私は絶対政治家になるな、と思っていたんです。まあ、典型的な中二病のようなものでしたが。

帆刈 その夢が、47歳で実現したわけですね。

ツノダ 高校、大学と遊び呆けて、そんなことはすっかり忘れていたのですが(笑)。 47歳の時、 ちょうど政権交代があり、 「世の中が変わるかもしれない」「もしかしたら私にもチャンスがあるかもしれない」とかつての夢を思いました。ちょうど政治家の「公募」が始まった頃で、応募したのがきっかけです。

帆刈 理想と現実のギャップは、ありましたか。

ツノダ もう、大いにありました。とにかく痛感したのは、お役所も議員も、どちらも「前例主義」だということです。
 例えば行政だったら、予算をどう使うか。その使った予算配分が正しかったのかどうかに基づいて、次の年の予算を考えなければいけないのに、そこでのPDCAが、P(計画)もC(評価)もほぼ機能していなかったのです。毎年D(実行)で完結し、その繰り返し。前年と同じことが重視され、根拠も検証もなされていないことに驚きました。

帆刈 まさにマーケティング的な視点が欠けていたのですね。

ツノダ そうなんです。もう一つ感じたのが、生活者の声の扱いです。各政党・会派は当然のことながら自分たちの支援者の声に応えようとします。しかしそれだけではなく、いわゆる「サイレントマジョリティ」の声、あるいは本当に困っているけれど声を上げられない人たちの声をどうやってちゃんとすくい上げて、市政に反映していくか。その仕組みをきちんと作らなくてはいけない、という提案をしました。これはもう100%マーケティングですよね。
 その他にも、市のブランディングへの取り組みや、「シビックプライド」という概念を提唱して、それを中長期計画に盛り込んでもらうといった活動も行いました。

帆刈 政治家としての経験は、マーケティングの仕事にどう影響していますか。

ツノダ それは非常に大きな影響がありました。一つは、議員になる前には見えていなかった世界、「格差が拡大する世界」を目の当たりにしたことです。議員活動として、養護施設のような施設に行ったり、そういう方々のお話を聞きに行ったり、住宅街の本当に隅々まで歩いて直接対話をする機会を数多く持ちました。

帆刈 それまでとは違う現実が見えたのでしょうか。

ツノダ はい。日頃プロジェクトをご一緒しているナショナルブランドの大手企業のマーケティング担当者の方々は、一流企業にお勤めで、それなりの生活水準の方たちですよね。 しかしながら、大手企業の商品はどこのスーパーでもコンビニでも売っていますし、議員活動で出会ったようなごく普通の人たちも買っているわけです。
 戦略的にどのような人たちをターゲットにするか、どのようなペルソナを設定するかは別問題として、少なくともごく普通の人たちの存在を「無視して」企画してはいけないと強く思うようになりました。

帆刈 それが、現在のツノダさんの視座に繋がっているのですね。

ツノダ 企業が掲げる「社会課題の解決」といった綺麗なマーケティングのストーリーには乗りにくいかもしれませんが、こういう人たちもいるよね、という事実を知った上でどのような価値を届けていくかを考える。そうした「包摂的な視点」や、うわついた綺麗ごとですまさないための「戒め」を、この経験から得たと思っていますし、近年増えている富裕層向けの企画においても価値創造の視点として意味があるように感じています。

「ホライズン」編集委員長として大切にした「人」と「セレンディピティ」

帆刈 ツノダさんの会社のホームページを見ると「わたしたちの提供価値は『踏み出す勇気を賭けにしない』」と掲げられていますが、どういった意味でしょうか。

ツノダ これも政治の世界と通じるところがありますが、企業においても、データや生活者の声という根拠があるのに、社内事情や前例主義が最優先になってしまい、曲解された方向に進んでしまう場面というのを多く見てきました。
 リサーチ結果はあくまで「過去」のもので、そこから「未来をどう読むか」が重要です。未来のことは誰にもわかりませんが、私たちの経験から「こういうことが言える」とお伝えし、未来に対する「賭けの勝率を上げていく」ことを提供したいと考えています。根拠があるのに、それを無視して賭けにしちゃダメだろう、という思いが強くあるのです。

帆刈 その背景にある問題意識は、どのようなものでしょうか。

ツノダ 突き詰めると、「もったいない」という感覚が常にあるのだと思います。せっかく御社にこれだけの資産(リソース)があるのに、それを活かせていない、伝えきれていない。新しい投資をしなくても、今あるものをちょっと組み替えたり、表現を変えたりするだけでもっと良くなるのに、それをしないのはなんてもったいないのか、と。否定するのではなく、「もっとこうすれば良くなるのに」というスタンスです。

帆刈 「ホライズン」の編集委員も長らく務められました。振り返られて、印象に残っている記事はありますか。

ツノダ 今日、実物を持ってきたんです。自分が担当して印象に残っている特集の中では、中年以降の女性を対象とした「インビジブル・マチュリエンヌ」(2019年10月)や「Z世代ホントのところ」(2022年5号)など、ある属性を見つめたものが多いのですが他の編集委員の方の記事で印象に残っているものを振り返ると「人」なのですよね、意識せずして。
 例えば、中塚さんがご担当の「男性消費図鑑」(2020年4号)や、本荘さんご担当の「子どもドリブン」(2021年9号)。この「男性消費図鑑」では、まさにその人のリアルな可処分所得や、買ったものなどを見せる企画としたのですが、こういう生々しさの中に垣間見える価値観や世相が、本当に面白いなと感じます。「子どもドリブン」も、人を大事にした経営や人事が、結局、経営を伸ばしていくんだということを「子ども」を起点に丁寧に取材された上での提言となっていてとても気に入っている特集です。

ある属性に注目した特集号。見ているようで見ていない側面をていねいに見ていくのが醍醐味
当たり前に潜む時代変化をデータから洞察していく特集は手応えがあった

帆刈 ご自身が編集委員長として、心がけていたことは何ですか。

ツノダ まずは、本当に基本的なことですが、毎月の編集会議には必ず出席する──その積み重ねを大切にしていました。
 また、せっかくの限られた貴重な時間、編集委員のみなさまの視点や意見を活かせるような場づくりを心がけていました。編集委員は、みなさまオンリーワンの並外れた経験と知見をお持ちの素晴らしい方々なので。
 もう一つは、紙媒体からWeb媒体へと移行の推進と、その際のコンセプト設定です。「ホライズン」の役割として「マーケティングに携わる人たちに、ゆたかなセレンディピティを。」を掲げました。いわゆるデジタルマーケティング的な手法論やノウハウ、スキルに走るのではなく、もう少し手前の発想のきっかけや企画視点として役立つものでありたい、ということです。
 そのような意図もあり「ライフ」「グローバル」「ソーシャル」「アート」など、通常のマーケティングとは異なるある種「ふんわりした」フレームを設け、マーケティングを広義に捉えられるような仕掛けを決めたりはしました。

マーケティングは人を幸せにするためのもの

帆刈 最後に、ツノダさんにとって、「マーケティング」とは何でしょうか。

ツノダ とても大げさな言い方をすると、「恩人」であり、「私を救ってくれた存在」です。別の言葉で言うと、「自分の居場所」でもあります。

帆刈 「救われた」というのは?

ツノダ 冒頭に傍観者だったと話しましたが、私はもともと内向的で、協調性がまるでない飽き性の人間でした。間違いなく普通の企業の中では非常に生きづらかったと思います。マーケティングに出会ったことで、本当に救われました。

帆刈 その「マーケティング」という言葉の定義について、どのようにお考えですか。

ツノダ 世の中では、マーケティングというと「人心を操って売るためのもの」という、どこかあくどいイメージがまだあるかもしれません。しかし、本来マーケティングとは「人を幸せにするためのもの」だと思っています。

帆刈 人を幸せにするためのもの。

ツノダ はい。さまざまな人たちのそれぞれの幸せなくらしのために、何をどう組み合わせるべきか。その“最適解”を見つけていくことだと思っています。届ける側にとっても、受けとる側にとっても、双方にとっての最適解です。
 最近では、小中学生がプロフを気にするように、セルフブランディングが当たり前になりました。マーケティングは企業だけのものではなく、もっと身近で、誰もが持つと「生きやすくなる」スキルでもあるはずです。モノやサービスを売るためだけではなく、より良いくらしや関係性を築くためにこそ、マーケティングはあるのだと思います。

帆刈 本日は、貴重なお話、どうもありがとうございました。

〈インタビュー後記〉

 「どこか一歩引いて見ていると感じていた」とお聞きして、とても驚きました。自分と同じように感じていた方がここにいらっしゃった、という驚きです。自分も、どこか一歩引いてみている子どもだったと思いますし、今でもそう言われることがあります。一歩引いて見ている、が実はマーケティングの世界で強みになる、というお話を聞いて、なぜ自分がマーケティングの道に進んだのかに気づかされるとともに、マーケティングに関わるあらゆる人にとっても役立つ考え方ではないかと感じました。

ツノダ フミコつのだ ふみこ
MARKETING HORIZON 編集委員長 
株式会社ウエーブプラネット 代表取締役

社会動向や生活者の分析を通して、価値観変化や生活者インサイトを導き出し、コンセプト開発を行う。問いを重視したきめ細かい伴走型コンサルティングにて新しい価値づくりを支援し、企画力と気づき力を強化する研修も展開。近著『いちばんわかりやすい問題発見の授業』では、書くことで考える力を磨く「具体→抽象→発見」の手法を紹介している。

帆刈 吾郎ほかり ごろう
MARKETING HORIZON 編集委員 
博報堂生活総合研究所 所長

1995年に博報堂入社、以来マーケティング職に従事。2013年タイ・バンコクに駐在、博報堂生活総合研究所アセアンを設立。2020年日本に帰任し現職。