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Interviewee
德田 治子
MARKETING HORIZON 編集委員
コーン・フェリー・ジャパン プリンシパル
Interviewer
中島 聡
MARKETING HORIZON 編集委員
元 公益社団法人日本アドバタイザーズ協会 専務理事
これまで複数のキャリアを積み重ねられ、「人と社会をつなぐ」仕事をされている德田治子さん。現在、日本とタイの二拠点生活をされているグローバルな視点から、マーケティングに欠かせない感性や態度とはどのようなものか、これからのマーケティングのあるべき姿などを幅広くうかがいました。
中島 德田さんに初めてお会いしたのは、もう15年以上前のことかと思います。以前から德田さんには助けてもらってばかりで、その上、数年前にはホライズンの編集委員になっていただき、本当にありがとうございます。
德田 素敵なご縁をつないでいただき、中島さんには感謝しております。
中島 現在はどのようなお仕事をされているのですか。以前からのヘッドハンティングのお仕事ですか。
德田 日系のエグゼクティブ・サーチファームで、ヘッドハンティングの仕事をしていましたが、今年の4月、ニューヨーク証券取引所に上場しているコーン・フェリーという外資系企業のジャパンオフィスに転職したところです。
コーン・フェリー社は2015年にヘイグループ(最大手の人材コンサルティングファーム)を買収しており、私はヘッドハンティングに加えてアドバイザリーという仕事をやっています。簡単に言うと、サクセッション(後継者育成、事業継承)、アセスメント、リーダーシップ、コーチングといった領域に広がっています。
中島 素晴らしいですね。本日は、德田さんのキャリアに関するお話や、マーケティングとの出会い、その過程でどのような考え方の変化があったのかお伺いしていきたいと思います。
德田 キャリアともつながるのですが、私にとってマーケティングとは、「市場を読む力、人や顧客を理解する力」だと思っています。それが、実は自分のキャリアを築いてきた感性そのものだと感じています。
なぜなら、特に顧客と同じ目線で考えるためには、生活の中で感じることに気づくということが非常に重要だからです。消費者の行動や社会の変化を敏感に感じ取って積み重ねてきたことが、結果的に私のキャリアを大きく広げてくれたと感じています。
德田 私は、社会人1年目で大手化粧品会社に入社し、3年目にマーケティング戦略部という部署に異動になりました。3年目の若手がいきなり会社の戦略に関わって果たして役に立つのかと不安ばかりだったのですが、そのときの部長に言われた言葉を今も鮮明に覚えています。
部長は、「君の仕事は与えられたことをやるのではない。世の中の変化を理解して、会社に必要な新しいビジネスを生み出すことだ」というお話をしてくださったんです。私がここまで来られたのは、彼の一言が、非常に大きな一歩を踏み出す勇気を与えてくれたからだと思っています。そこから市場を見る、そして未来を読むということを意識し始め、それが私のキャリアのスタートになりました。
中島 具体的にはどのようなお仕事をされていたのですか。
德田 当時はビジネスモデル特許というものが流行しており、何もないところからアイデアを出して特許の形にするという作業をやっていました。本当に右も左もわからない社会人だったので、非常に苦しい作業ではありましたが、当時、普及し始めたドコモのiモードを利用して、「歩数と食事を記録してカロリー計算をした上で、夕食に最適なメニューを提案するサービス」という企画を考え、特許用に文字で起こして、それが実際に認められたというのが社会人3年目の大きな仕事でした。また同時に、何もないところからの発想が実際に市場を動かす力になる喜びを得た最初の経験でもあります。
中島 今はさまざまなヘルスケアアプリがありますが、その第一歩ですよね。非常に先進的です。
德田 そうですね。食事を記録するサービスというアイデアの卵を自分がつくったことはとても良い経験になりました。そのような経験を積み重ねていくことによって、マーケティングの感性が磨かれていくのだなと今、振り返っています。
中島 今、感性という言葉が出てきましたが、私自身もマーケターは努めて感性を磨かなければならないと思っていますし、感性が鋭くなければ、マーケターとして限界が来るのではという感覚があるのですが、どうお考えですか。
德田 まったく同感です。例えば、新しい職場に移ったときに、今までの環境との違いに気づく。人も違いますし、仕事のやり方も違いますから、そのあたりの違和感を、何かちょっと違うと気づいて、それを言葉に出して、しっかりと周りに伝える。あるいは、その感性の違いとは何なのかを考えていく。そこがマーケターの源泉だと思っています。それを続けてきた結果、何度かの転職を経て、自身のキャリアが形成されたと感じています。
中島 マーケティングの感性といえば、今は女性特有の非常に細やかな感性が必要不可欠となっていますね。
德田 おっしゃるとおりです。毎日の生活行動については、男性も関わる方が増えてきましたが、やはりまだまだ女性が中心となっている部分が多いです。実際、生活行動に根ざした感性を仕事に生かして活躍している女性も多いですよね。
中島 感性や女性のお話が出てきましたが、ブランド戦略やマーケティング戦略などは、企業にとって、実は「人事戦略」だとよく言われますが、その点についてはいかがでしょう。
德田 私が社会人になってすぐに感じたのは、まさに「組織は人なり」ということでした。これまで多くの戦略を策定してきましたが、それに関わる人が誰か、あるいは、その人が意志を持ってやるかによって戦略が実際に動き、結果が出る。それがもっとも大切だと思っています。
以前いた会社で、自身の中長期的なプランを模索していたとき、当時の社長から「君のマーケティング感性は“人と社会をつなぐところ”に生かせるから、ヘッドハンティングに向いているのでは」と言われました。その方がおっしゃった「人と社会をつなぐマーケティング」は、私の人生後半のマーケティング・テーマにぴったりだなと直観的に思ったんです。それで、以前のマーケティング領域とはまったく違う、いわゆる人材のエグゼクティブ・サーチの世界に転職することに決めたのです。
「人と社会をつなぐマーケティング」は、実は日系企業のもっとも弱い部分なのです。事業基盤をもっと強く、太くしていくためには、人事戦略が非常に重要です。
日系企業の多くで事業がうまくいかなくなる理由の一つが、社内のサクセッションです。すなわち次の社長を誰に託すかによって衰退していくことにもなるわけです。会社の社長または社長を支える人事のトップは、会社にとってまさに命のような存在ですから、そこに会社のサステナビリティを実現できる人材をしっかりとつなぐのが、ヘッドハンティングの役割なのです。
中島 素晴らしいですね。日本企業も、もっと注力してほしい点ですね強化。
中島 さて、少し話題を変えたいのですが、德田さんは今、タイにお住まいなのですか。
德田 はい、タイのパタヤに第2の拠点を持っていて、年に4回ほど東京と行き来をしながら生活しています。長く滞在するときは2週間ほど、短い場合は1週間程度です。現在の会社はリモートで仕事ができるので、タイにいる間もリモートワークをしながら日本のお客さんや社内メンバーと会議をするというスタイルです。
私自身の一つのテーマである「市場を知る、生活者を知る」マーケティングの感性を磨き続けるためにも、いろいろな国、場所、人と、新しい出会いを経験することが大事だと思っています。

中島 パタヤにもう一つの拠点を設けられた理由は何なのでしょう。
德田 私は中学生のときに、父親の仕事の都合でインドネシアのジャカルタに3年ほど住んでいました。中学生で海外に住むということは私にとって衝撃的な出来事で、人生の大きな経験となりました。そのとき私は、いつかグローバル、特にアジアと日本をつなぐ仕事に携わりたいと思ったのです。加えて、以前在籍していたマーケティング・リサーチ会社のアジア総支社がタイのバンコクにあり、当時は生活者調査や日系企業のマーケティング支援に携わっていましたので、バンコクにはかなり馴染みがありました。
実は、バンコクと日本とは類似点が大きく三つほどあります。一つは仏教国で宗教が同じです。二つ目はどちらもアジアの中では植民地になっていない国であること。よってその国独特のカルチャーが多く残されています。三つ目はお米の国であること。どちらも主食が米で、食生活が非常に似ています。このような点も含めて、タイと日本はきっと一緒に何かを生み出せるのではないかと、私のマーケティングの感性が直感したわけです。
それともう一つ、タイはウェルビーイングが非常に進んでいる国として注目されています。笑顔の国と呼ばれるほど、若い人もお年寄りも笑顔が多い。タイ独特のカルチャーや、ゆるりとした柔らかい生活のリズム、あるいは熱帯モンスーン気候のせいもあるのかもしれません。そのようなことを学びながら、日本企業にも生かしていけるお手伝いもできたらなと考えつつ、タイでの生活を楽しんでいるところです。
中島 なんだか理想の働き方をされていますね。二拠点生活によって、視野も人間関係も多様に広がっていくのではないですか。
德田 私は、タイと日本のマーケティングのかけ橋になっていきたいと考えています。国境も言葉も越えて皆が集まれる特別な交流の場もつくってみたいと思っています。そこでは、日本とタイの文化、ビジネス、スポーツ、食事など、あらゆるテーマがきっかけとなって、気がつけば誰もが家族のように打ち解けているような国際交流の場をつくりたい。もちろん、タイだけではなく、海外と日本をつないでいく中で、自分が感じた違和感にきちんと気づいていけるマーケティングの感性を磨き続け、社会に貢献していきたいと考えています。
最近始めたばかりなのですが、YouTubeを通じた情報発信を行っています。タイに行ったときに現地の人向けに発信したり、逆にタイの情報を日本人向けに発信したりということもやっていきたいです。

中島 今後、日本の若いビジネスパーソンが海外でビザを取得して多様な国で働くという場面も増えてくると思うのですが、グローバルな視点をお持ちの德田さんから何かアドバイスはありますか。
德田 私が若い人たちに伝えたいと思っているのは、「すべて経験」ということです。生きていることの価値を何に置き換えられるかというと、それは経験だと思っています。いろいろな経験をすることによって、マーケティングの感性もどんどん磨かれていく。市場を読む力や顧客を知る力も、もっともっと磨かれていくと思います。
今の時代、若い人たちの中には新しい仕事を始めることに対して保守的ではなく、それがチャンスだと思って動いている方も多いですよね。できれば、その場を国内だけではなくグローバルにも広げていただき、自分が仕事をしてみたいという好奇心を抱いた国や場所に思い切って飛び込んでいくチャレンジを続けていただきたい。言い換えますと、マーケティングを通じて自分自身をどう成長させたいか問い続けてほしいと思っています。
中島 マーケターも世界に飛び立っていってほしいですね。
德田 本当にそうですね。日本では人口も減っていきますから、その分、タイやその他の国の人たちに日本に来ていただいたり、日本で働いてもらったりという交流ももっと広げていく必要があるでしょう。私も、そのような面でかけ橋になれるマーケティング活動ができたらと思いますし、わくわくしながら今後のキャリア、未来の働き方を追求していきたいと思っています。
中島 日本の若いマーケターに感じられていることはありますか。
德田 データやAIが進化する時代ですから、それらと対話することに夢中になっていますね。しかし、若い人たちのキャリア形成には、市場を読む力や人を理解する目など人間らしい感性が非常に大事になってくると思います。
また、若い人たちには、マーケティングを通じて自分自身をどう成長させたいかを問い続けてほしいです。マーケティングは仕事だけではなく、例えば私がタイにも拠点を持っているように、自身の人生を豊かにしてくれるものと捉えてほしいですね。AIだけでなく実世界での経験を積み、感性を高めていく活動にチャレンジしてほしいと思います。
中島 本日は貴重なお話をありがとうございました。
徳田様との出会いは徳田様がインテージ社で明治乳業のご担当に就任された時でした。当時、私は明治で様々なデータから流通、生活者の方々にソリューションプランをご提案する部門の責任者でしたが、データという事実と企業、生活者の思いを融合される手腕に、深い分析力と温かな人間愛、企業愛を受けました。まさに本来のマーケティングが持つ使命そのものです。今、タイという場所にも新たな拠点を設けられ、日本の若い方々の幅広い視野の醸成にも取組まれておられる事、マーケティング、人間への深い愛情を感じます。心から最大限のエールを贈りたいと思います。フレーフレー徳田さん!

德田治子(とくだはるこ)
MARKETING HORIZON 編集委員
コーン・フェリー・ジャパン プリンシパル
INTAGE、KPMGコンサルティングを経て、エグゼクティブ・サーチ業界へ。マーケティングと人材戦略のかけ橋となるアドバイザーとして、日系大手企業のサクセッション支援やリーダー育成に携わる。株式会社HAL代表取締役として、日本とタイをつなぐウェルビーイング事業も展開中。

中島聡(なかじまさとし)
MARKETING HORIZON 編集委員
元 公益社団法人日本アドバタイザーズ協会
専務理事
一般社団法人デジタル広告品質認証機構代表理事、日本広告審査機構理事、ACC理事の他、マーケティング広告関係の複数団体の委員を務め、マーケティング及び広告活動の健全な発展のための活動を行っている。同時に明治大学大学院及び高千穂大学大学院にて教鞭をとり、若い世代の人財育成活動を行っている。
Interviewee
見山 謙一郎
MARKETING HORIZON 編集委員
昭和女子大学 人間社会学部現代教養学科 教授
Interviewer
德田 治子
MARKETING HORIZON 編集委員
コーン・フェリー・ジャパン プリンシパル
ご自身のミッションは、「人と人をつなげ、社会課題の解決に近づくこと」と語る大学教授の見山謙一郎さん。社会課題解決のために実践されているアプローチ手法や“人”を起点としたマーケティングの必要性についてうかがいました。
德田 まず、見山さんのキャリアの原点についてお話しいただけますか。最初は銀行にいらっしゃって、そこからどのような経緯で今の大学教授という職業につながっているのでしょうか。
見山 僕は1990年度卒なので、いわゆるバブル期の人間です。就活は超売り手市場でしたが、企業に就職するというイメージは実はあまり持てませんでした。理由としては、僕の親が公務員だったからだと思います。
父とは仕事の話をする機会はあまりありませんでした。小学1年生頃の記憶ですが、一緒にアメリカ大統領訪日の報道をテレビで見ていて、「アメリカでは大統領が一番偉いの? じゃあ、日本で一番偉いのは誰なの?」と聞くと、父は「特定の誰かが偉いじゃないんだ、一人一人が皆偉いんだ。だから、おまえも偉いんだよ」と言ったのです。今思えば、それが公務員という仕事なのかな、と何となくイメージしたことを鮮明に覚えています。
僕が社会に出たときも、会社や私企業のために働くというよりは社会のために働きたいという思いが漠然とあって、公務員とは異なりますが民間でも公益性の高い仕事ということで、最終的に銀行を選んだのだと思います。
德田 その後、銀行を退職され現在のフィールド・デザイン・ネットワークスを立ち上げられたわけですが、どのような挑戦をされてきたのでしょう。
見山 銀行時代、大企業の担当になり、多くの経営者と話をする局面になって、やはり経営学を知らないと彼らと話ができないと思い、母校の立教大学のMBAコースに入りました。それが僕にとっての大きな転機になったのです。銀行の価値観が自分の中のすべてを占めるようになっていたときに、外の空気を吸ってみて、世の中には多様な職業や価値観があるし、スタートアップなどで頑張っている人たちもたくさんいる。銀行の価値観がすべてではないと強く感じました。
また2年間、仕事をしながら大学院に通っていましたから、自分の中のオンとオフの使い分け、そのバランスが非常に快適でした。大学院を修了したときに、このまま仕事だけの人生は送りたくないなと思い、NPOというスタイルで社会に貢献できる活動をやりたいと考えていました。
見山 銀行時代に大手製紙会社を担当していました。そこは日本で最大の森林を持っている会社でしたし、1997年には地球温暖化防止京都会議が開催されたこともあり、環境問題に強い関心があった時期でした。
しかし、僕が大学院を卒業した2005年当時は、世の中で今ほど環境問題が騒がれていない時代でしたから、企業やNPOと行政が考える環境問題のベクトルがどうも合っていないなと感じていました。そのベクトル合わせをする人材がこれから必要になると思い、そのようなNPOを立ち上げようと考えていました。
その際に、さまざまな環境活動に取り組んでいる方々にインタビューをしていたのですが、その中でMr.Childrenなどのプロデュースをしていた音楽家の小林武史さんに出会いました。小林さんも環境問題に取り組む団体を融資でサポートするap bankを立ち上げたタイミングで、僕は金融機関に勤務しているということで仕事の後に相談を受けていました。こうした活動を続ける中で、ある日銀行を辞めてap bankに来ないかという話になりました。
いろいろ悩みましたが結果的に銀行を退職した理由は、興味がある世界に足を踏み入れないで後悔するよりも、踏み入れてもし失敗しても、そちらのほうが後悔しないと思ったからです。しかしもっと大きな理由は、僕がこの話を断って、別の人がやることになったら、僕の思いは消えてしまうので、ならば「自分の思いは自分で実現するべきで、自分にしかできないことだな」と思ったからです。
小林さんたちとap bankで3年ほど一緒に活動し、ある程度の仕組みもできて軌道に乗ってきたところで僕は役割を終えるのですが、ap bankでの最後の仕事がNHKの方々と一緒にap bankの特集番組をつくることでした。そのときのご縁が独立後の最初の仕事となるNHKの大型環境番組と連動したイベントプロデュースにつながりました。NHKのルールで個人とは取引できないとのことで、やむなく(笑)つくったのが、フィールド・デザイン・ネットワークスという会社です。この社名に込めた思いは、環境問題だけに限らず、国内外を問わず社会全体をフィールドに、さまざまな社会課題解決に向けた取り組みをデザインし、いろいろなジャンルの人たちをつないでいきたいということです。

德田 素晴らしいコンセプトですね。そこから今の大学教授のお仕事につながっていくのでしょうか。
見山 そうですね。面白いもので、人が退路を断った後には新しい風が吹いてくるものです。ちょうど僕がap bankを辞めた頃、母校の立教大学がバングラデシュのグラミン銀行と共同研究を始めることになったのですが、グラミン銀行はバングラデシュで雇用創出型のソーシャルビジネスを日本企業と連携してやりたいというニーズを持っていました。しかし、大学側のリソースでは、ビジネスと金融とNPOをつなぐような人材が当時はいませんでしたので、卒業生の僕に白羽の矢が立ったのです。2006年にノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行のことはもちろん知っていましたから、「他にやる人がいないのなら、自分がやるしかないな」と思って引き受けました。そこから大学教員の道が拓けていったというわけです。
德田 先ほどから「他にやる人がいないのなら僕がやるしかない」という言葉が何度も出ていますが、それは前例がないことで非常に難しいことだと感じます。見山さんの中で、やって良かったことと苦労したことはそれぞれどのようなことですか。
見山 やって良かったという点では、導かれるままに自分の世界観が広がっていくという経験ですね。いろいろなお話が僕という人間に来るわけですが、それらは一見ばらばらです。それが僕を通じてつながっていくことを実体験できますし、そのことによって、いろいろな社会課題をつなぐヒントが得られるのはとても良いと思います。
逆に苦労するのは、おっしゃったように前例がないことなので、やってから気づくことが多いということです。こういうことが起こるだろうという想像とは全く違うことが起きるケースはたくさんあります。ただ、そういう想定外の事態に対応、適応していくしかないわけですから、そういう意味では「変事対応力」や「適応力」が付いたことが今の自分につながっているのかもしれないですね。
德田 変化の激しい世界の中で時代に即した適応力を身に付け、見山ワールドをつくりあげてこられたのですね。
見山さんのつなげられたネットワークで、印象に残るものをご紹介いただけますか。
見山 どれも僕が何かやったというよりは、僕が誰かと出会って、そこから何か化学反応のようなものが起きて、いろいろなものが生まれてくるというイメージです。
例えば、先ほどのバングラデシュの話ですが、グラミン銀行は雇用創出型のビジネスをやりたいと考えていたわけですが、たまたまユニクロに立教大学院の修了生の方がいて、その方からユニクロの柳井社長がグラミン銀行との提携に興味があると伺ったことが縁で、バングラデシュでグラミンユニクロの立ち上げをお手伝いしました。この関係で、私が初めてバングラデシュに行ったとき、現地で出会った日本に留学経験のあるバングラデシュ人の方が、日本企業のバングラデシュ進出の支援をやりたいということで、包括的に連携しましょうという話になりました。
このように、一つのことをきっかけに人とつながって、そこでまた新しいことが起こっていくという流れです。僕一人では絶対できないことでも、そこで出会った人たちと一緒に新しいことができるという経験ですね。
地方活性化の例では、鳥取県智頭町の事例が面白いです。町の取り組みが、その頃、内閣府で取り組み始めていた「SDGs未来都市」にふさわしいと思い、当時の町長さんにぜひ申請するべきだと進言しました。企画課の課長さんなどと一緒に提案内容を考え、その結果、採択されたのです。これも僕の力ではなくて、もともとあった土地の力と人とのつながりを結びつけて一つの形にしていく作業をご一緒させていただいただけなのです。そのような人との出会いが、結果として自分を大きく成長させてくれるのを毎回実感しますね。
德田 見山さんは、人との出会いを通じて、その人たちの思いをつなぐ、プロデュースしていく力を持っておられるのですね。
德田 現在、見山さんが取り組んでいらっしゃる「ヒューマンセンタードデザイン(Human-Centered Design:人間中心設計)」の活動についてお聞かせいただけますか。
見山 ヒューマンセンタードデザインもデザインシンキングの一つですが、僕がいつも授業の設計などで使っているのが「ダブルダイヤモンドモデル」というメソッドです。まず課題だと思うことを発散したのち、収束のプロセスで正しい課題を定義し、その後、解決方法を発散し、解決策へと収束させていくプロセスです。課題を生み出すのも、解決するのも人間ですので、このアプローチを使って、社会課題を考えていくというのが僕のスタイルです。世の中では気候変動への対策が議論されていますが、気候変動対策は手段に過ぎず、最終的な目的はやはり“人間の未来、幸せにつながる”ことだと考えています。
德田 「ダブルダイヤモンドモデル」について、もう少し具体的に教えていただけますか。
見山 例えば環境問題ですと、今の大学生は中高生のとき、授業で環境問題を学んでおり、一定の知識はあるのですが、どうも環境問題とは海洋プラスチックの問題、地球温暖化の問題などと答えがセットになっている、いわゆるステレオタイプな印象を受けます。
僕の授業では、まず「環境問題だと思うことをたくさん発散してごらん、自分の身近なことから環境問題をいろいろ考えてごらん」と問いかけます。すると、水の問題や廃棄物の問題などいろいろ出てきます。次に「その課題はなぜ生まれると思う」などと議論を進めていくと、人間生活とのつながりが明らかになってきます。自分たちとの関係性が明らかになってから「では何をやればいいですか」と問うと、自分事としていろいろと解決策を考えていくことになる、という進め方です。まず何が課題かということを一つに決めつけずに広げて考えていき、課題を自分たちで定義したのち、同じように解決策をいろいろ出して発散させたのち、収束させていくわけです。解決策を考えることが重要だと思われがちですが、実は正しい課題を設定することのほうがより重要だと思っています。

それともう一つ。僕は“ゼロイチ”で考えてもらうことが好きなのですが、ある企業からテーマをいただいて、この企業にどういうサービスがあれば学生の満足度を高められるかと問い、学生たちに自分たちが欲しいサービスをたくさん提案してもらいました。いろいろなサービスが出た後に、「じゃあ、企業で実際にそのサービスがあるかどうか確認してごらん」と促すと、学生が考えたようなサービスやビジネスのほぼすべてはその会社ですでにやっているわけです。そうなると学生は「どうしたらいいですか」となる。そこで、「君たちはこの会社のこのサービスがあることは知らなかった。何で?」と問う。そうすると、ターゲットは自分たちなので、なぜそのサービスを自分たちが知らなかったかという理由を挙げていって、「これが課題です」と見つけ出します。ならば「それに対して対案を考えてごらん」と問いかけると、とても良い提案が次々と出てくるのです。
ですから、ゼロイチで考えること、つまりまずは自分の頭の中でものやことを想像してみるというプロセスが非常に大切です。おそらく経営学などの授業だと、まず企業のサービスを分析することから入るわけですが、そうすると、それを超える発想は出てこないと思います。ゼロベース、ゼロアタマで考えてもらって、現実と突き合わせ、そこで何が課題かということを見つけていくアプローチをしているわけです。
德田 まず欲しいものを考えるニーズ発想から始めて、何が市場にあるかのリサーチ、そしてそれを超えるものを創造的に考えさせるというアプローチですね。それは社会人でも意外とやっていない人が多いですね。
德田 これから取り組んでいきたい社会課題など、挑戦したい研究テーマがあればお聞かせください。
見山 もともと自分の専門が何かわかっていませんが、いろいろなことをつなぐのが専門とすれば、学際的な領域が専門ということになります。最も居心地がいいのは社会課題を経営学の手法で考えていくということなので、専門は「経営社会学」と説明しています。これまで環境問題や途上国の貧困課題、地方の課題などに取り組んできたのですが、女子大の教員を始めてからは、ジェンダーの問題を自分ごととして捉えられ、強く意識するようになりました。
もう一つは情報リテラシーの問題です。これは今、とても重要な社会課題になっていますね。生成AIに頼りすぎている世界で、今の人たちはGoogle経由ではなく生成AI経由でものを探したりしています。マーケティングは、本来どうやって人をもっとエモーショナルにするかということで、“人”起点で考えられていたわけですが、今は生成AIが中心になっています。そうなると、人の価値観や感情はどこにいくのだろうという違和感、恐怖を強く感じています。ただし、そういう世界から引き返してくる人もたくさんいると思いますから、そうした人たちと一緒に、生成AI時代だからこその人の感情や情緒を大切にするマーケティングを考えていきたいと思っています。
德田 そうですね。今の学生や若い人たちは、私たち以上にAIと話している時間のほうが長いのかなと感じることが多いですよね。人のマーケティングを知っている我々がどうやって若い人たち、未来の人たちに呼びかけていくかはとても大事なことだと感じました。
見山 コロナ以降、逆にオフライン、ライブなどの価値は上がっています。そういうものを本質的に人は求めていますよね。コスパ、タイパがもてはやされていますが、本質的に人間に必要なことはコスパ、タイパでは測れないものだと思っています。
德田 一方で、AIをうまく使いこなせる人がこれから社会で活躍していくとも言われています。AIをうまく使いながら人としてのマーケティングをやっていく社会を実現していくことも大事だと思います。
見山 生成AIに頼れる部分は頼っても構わないとは思います。ただし、過度には頼らないということでしょうね。
德田 最後に、マーケティングに携わっている方々に、社会課題に企業はどう向き合うべきかなどについてメッセージをいただけますか。
見山 僕がマーケティングホライズンの編集委員になった十数年前は、SDGsもありませんし、社会課題は経営課題とは別軸にあったような時代でしたね。しかし、マーケティングはもともと経営理念から導き出されていくものだと思いますから、実は社会課題と無縁な経営理念はないのです。その意味で言うと、企業が社会課題に取り組むことは別に新しいことではなくて、企業が原点に立ち返るということです。社会の中でどう存在し続けるかということが、マーケティングでも求められる時代になってきたのだと、僕はすごくポジティブに捉えています。
一方で、社会課題の捉え方自体がこれからどんどん変わっていくと思います。また、さまざまな社会課題を伝える情報媒体が非常に脆弱になってきていますから、これから社会課題をどう発信していくのかも重要になってきます。さらに、情報そのものの社会課題もあります。生成AIやフェイクニュース、デジタル広告の課題などいろいろあります。これらはまさに情報化社会が生み出した新たな課題です。ますます答えがない時代に入ってきたということを強く感じます。
德田 答えがない時代をこれから生きていく私たちにとって、一人一人が持つべきスキルとはどのようなものでしょう。
見山 やはり多様なネットワークを持つことだと思いますね。僕自身の経験からも言えることですが、例えば環境問題を専門家の視点だけで見ていても見落とすことがあります。そこに、例えば地方の課題や途上国の課題などを組み合わせることによって見えてくるものがあるはずです。課題を一つ一つ別々の軸で捉えるのではなくて、それらをつなげて考えていくと何かしらのヒントが見つかるような気がします。
ですから、いろいろなネットワークをリアル空間で持つことがとても重要だと思います。それは僕の教員としての役割かもしれませんね。それも含めて企業や研究機関の人たちと一緒に考えていきたいと思っているところです。
德田 本日はありがとうございました。
見山さんのお話を伺いながら、「人と人をつなぎ、前例のない世界に一歩踏み出す力」が社会を動かしていくのだと強く感じました。私自身も、“人”起点の価値づくりへの探究心を持ち続け、見山さんのように、つながりから新しい未来を創る姿勢を大切にしていきたいと思います。

見山 謙一郎(みやま・けんいちろう)
MARKETING HORIZON 編集委員
昭和女子大学 人間社会学部現代教養学科 教授
1990年住友銀行(現三井住友銀行)入行。銀行時代は、本店営業部等で企業の経営戦略支援に従事。2005年同行を退職し、アーティストが設立した非営利の金融組織ap bankに合流し、理事をつとめた後、株式会社フィールド・デザイン・ネットワークスを設立し、代表取締役に就任。立教大学大学院ビジネスデザイン研究科特任准教授、専修大学経営学部特任教授等を経て、2024年より昭和女子大学現代教養学科教授。環境省、総務省、林野庁など中央省庁の委員をつとめるほか、(公財)三井住友銀行国際協力財団の評議員など非営利の活動にも従事し、Human-Centered Designのアプローチから様々な社会課題に取り組んでいる。

德田 治子(とくだ・はるこ)
MARKETING HORIZON 編集委員
コーン・フェリー・ジャパン プリンシパル
INTAGE、KPMGコンサルティングを経て、エグゼクティブ・サーチ業界へ。マーケティングと人材戦略のかけ橋となるアドバイザーとして、日系大手企業のサクセッション支援やリーダー育成に携わる。株式会社HAL代表取締役として、日本とタイをつなぐウェルビーイング事業も展開中。
Interviewee
本荘 修二
MARKETING HORIZON 編集委員
本荘事務所 代表
Interviewer
中塚 千恵
MARKETING HORIZON 編集委員
東京ガス株式会社 リビング戦略部
長く編集委員を務められた本荘さんは新事業、アントレプレナーシップ分野を専門とされています。今回は、これまでの編集委員の経験からホライズンへの想いを伺うとともに、現在のマーケティングをとりまく課題やマーケターの現状、さらに今後のあるべき姿についてお話しいただきました。
中塚 本荘さんとは長い間、『マーケティング ホライズン』の編集委員をご一緒させていただきました。
本荘 片平秀貴先生が編集委員長を務めていた時代に声をかけられて、2010年から参加しました。気づけば15年ほどお世話になったことになります。就任した頃は、ちょうどザッポスの翻訳本を出版した時期で、その内容をテーマにした特集を何度か組みました。片平先生からは「とにかく好きなことをやれ」と言われていましたが、実際は特集企画から取材、記事作成を担当する形でしたので、当初はかなり大変でした。数年続けるうちに慣れてきて、会いたい人に会おう、自分の興味をテーマにまとめるなど、自分なりに工夫して進められるようになりました。
中塚 確かに負荷は大きかったですね。今の自分の問題意識をうまくテーマに落とし込んでいくところが特徴でしたね。
ご自身の手掛けられた中で、これはやって良かったというテーマはありますか。
本荘 一番記憶に残っているのは、自動運転などを取り上げた『交通革命、その先』(2018年第8号)や、子育てを取り上げた『子どもドリブン』(2021年第9号)などは、内容として手ごたえを感じています。また、読者の方々はもちろん、知り合いなどさまざまな方から評価が高かった『感動業から見える未来』(2023年第9号)も印象に残っています。
中塚 私は広告業務を担当したことがありますが、「よいCM=企業と生活者の間に共感があること」だと感じていたので、感動業の号は非常に印象に残っています。子育て特集号については、本荘さんのライフステージ(結婚→お子さんを持つ)の変化がもたらしたテーマだとも思っています。

中塚 ホライズンの編集会議では、“ホライズンらしさ”という言葉がよく使われていました。議論が発散したとき、議論が深まらないときなどさまざまでした。
本荘 出版媒体は編集長個人のカラーがそのまま媒体の色になることがあります。ホライズンも、片平先生やツノダさんの個性が強く反映されていたと思います。
明確な編集方針が厳密に定まっていたわけではなく、良い意味で幅を持たせた作り方をしていました。その意味では、私自身は“ホライズンらしさ”とは「自由」だと理解していました。
中塚 確かに自由度は高かったですね。だからこそ毎号のテーマを並べてみると、多様性にあふれていると思います。
本荘 自由度が徹底されていたからこそ、今振り返ると、成果物としてはとても意義のあるものになっているのかもしれません。
私の子育て号にしても、子育てテーマは子育て専門メディアが扱う領域です。しかし、実はマーケティング・メディアこそ向き合うテーマでもある。大企業が見落としがちな視点を掬い上げられたことは、ホライズンならではの功績ともいえます。
その意味で、広いスタンスで編集されたホライズンは、マーケティングそのものを直接扱うというより、マーケティングの前提として世の中を広く捉えようとする、いわばリベラルアーツに近い性格を持つ媒体だったと考えています。
中塚 本荘さんとマーケティングとの出会いはどのようなものですか。
本荘 私は理科系出身ですが、大学卒業後、ボストンコンサルティングの東京オフィスに入りマーケティングを実地で仕込まれました。その頃もクライアントから「マーケティングって何ですか」といった質問をされることが多かったですね。その後、アメリカに留学して、ウォートンスクール(MBA)でマーケティングの授業も取り、ボストンコンサルティングとは違うアングルで、より広い意味でのマーケティングを体系的に学びました。ただ、私は新事業、アントレプレナーシップが専門でしたから、マーケティングは一つのピースとして捉えていました。
ところが、インターネットの台頭によって、私が関わっていた新事業の分野にマーケティングが強く融合し、価値創造の主力として入り込むようになりました。その頃から、大企業のマーケターの視点が狭いと感じる場面が増えました。組織で与えられた範囲だけで業務を進めているため、切り口が限られてしまっているのだと思います。
中塚 今までのご経験から、現在のマーケティングの課題をどう考えますか。
本荘 先ほどのホライズンの良さは、言い換えると、マーケティングに関わる視点を広く持ち、物事を多面的に考える姿勢にありました。それはまさに今の大企業の多くのマーケターに欠けている部分だと思います。実務の現場でマーケターと接していると、上から与えられた範囲だけで動いているのではないかと思う場面が多く、限られた定義の中で業務を進めていることを残念に思います。視点の広がりが十分でなく、扱う切り口が乏しいことが問題だと感じています。
中塚 それはすごく感じますね。先ほど、大企業のマーケティングの視野が狭いという話がありましたが、さらに視野を広げると、今の日本のマーケティングにはどのような問題があるとお考えですか。
本荘 大学でマーケティングを教えている専門家の知見には大きな価値があります。ただ、より広い意味でのマーケティングを考えると、その核心となる部分には十分触れられていないように感じます。実際、さまざまな場で話をしても、マーケティングの本質的な議論が出てこないことがあります。出てきても、内容が薄く、「それでは不十分だ」という話で終わってしまう。日本では、マーケティングそのものの実体が弱くなっているのではないか、それが一因で日本経済そのものが厳しい状況にあるのではないかと不安になります。

実際、日本の大企業の多くで、マーケティングは存在していないケースが少なくありません。営業目標数値を上げましょうという業績最優先の姿勢が大前提で、そのような狭い数字づくりのための専門家=マーケターが何人かいるといった組織イメージです。片平先生がよく言われるブランドや企業とお客さまとのトラスト、ロイヤリティ、リレーションシップなどが、狭い目標、数値達成というところからは乖離します。
中塚 日本マーケティング協会が昨年「マーケティングの定義」を発表しましたが、その背景の一つに、マーケティングがとても便利な言葉になりつつある反面、実態が曖昧になっている状況があったと聞いています。その定義には“社会”という難しい言葉も入っています。かつての同僚の中には、「わかったようでわからない言葉は使いたくない」という人もいて、定義されたものをどう解釈するかもマーケティングでは大切だと思います。
本荘 残念ながら、上位概念のマーケティングという部分が抜け落ち、下位レイヤーのマーケティングしか実行されていないという状況ですね。
例えば、AIが発達してきたから今後は英語を勉強しなくていい、という短絡的な話が出てきました。その一方で、企業はより積極的に海外へ向かって動いています。教育での動きと雇う側のニーズとの逆行が始まっているのです。マーケティングもそれと似ていて、狭くてコントロールしやすい領域だけに取り組み、その外にある重要な領域を実は見逃しているように感じます。本来であれば、すぐに成果が見えない場所にこそ長期的な機会があるはずなのに、その視点が抜け落ちている。20年後どうするのかという危機感はありますね。
さらに言えば、海外に比べて日本の経営者や管理職は、新事業の分野はあまり勉強しない傾向があると感じています。マーケティングでも同様で、自分たちが理解し得る範囲、扱いやすい範囲だけでマーケティングの実務を行っている印象です。つまり、アップデートが十分されていない。今のマーケティングには、やはり、ある種の行き詰まり感が強いように思います。
中塚 そのような上位と下位の階層での乖離はよく聞きますね。

本荘 加えて、AIエージェントがあと10年ほどすればすごく達者になるので、マーケターの業務の半分ほどはAIが担えるようになるのかもしれません。だからこそ、人が担うべき役割は、広い視点で物事を捉え、多様な角度からブランドや会社の未来をつくるというところを強く意識しなければ、これからの企業は将来厳しい状況に置かれるのではないかと考えています。
中塚 本荘さんの問題意識はとても共感できます。改めて、マーケティングとは何かと問われたら、どうお答えになりますか。
本荘 シリコンバレーでも著名な技術系マーケターのレジス・マッケンナさんが「Marketing Is Everything」と述べています。これは、マーケティングは特定の部署の仕事として捉えるのではなく、企業活動そのものを支える考え方だという意味です。企業はお客さまの存在によって成り立ち、対価を得て発展していきます。ところが日本では、自社にはマーケティングはありません、マーケティングとは何ですかと言う人もいまだに多い。だからこそ改めて基本に立ち返ることが重要です。私たちの会社は何のために存在し、どのように存続していくのか。その根本を考えることが、マーケティングの出発点だと思います。
中塚 マーケティングでは、生活者志向、顧客志向という言葉が頻繁に使われますが、生活者志向とは一体何だとお考えですか。
本荘 本当の顧客志向とは、自分たちが何をしようとしているかを明確にした上でお客さまを理解することです。それが曖昧なまま進めると、お客さまを意図せず不利な方向に導いてしまうリスクもありますし長期的にはブランドを弱くします。
いまだに日本の大企業のトップには“顧客の囲い込み”という言葉を使う人が結構います。私が書いた本では顧客の囲い込みなどはもうやめろと言っているのですが、そこには顧客志向と言ったときの哲学が抜け落ちていると感じます。
顧客志向、顧客視点と言ったときに、自分がお客さまだったらどう思うかという発想が恐ろしいほど忘れられている。自分がお客さまだとしたら、“囲われている”などと言われたら、だれでも反発を感じるはずです。
中塚 先ほどの話ではないですが、AI時代のマーケティングは大きく変化しますか。
本荘 新しい形のウェブマーケティングが出てきた時点で世の中の断絶が起こっています。それは大企業の組織論が問題なのです。
つまり、ネットメディアが新しく出てきましたから、マーケティングもそれをやらねばと新しい手法を取り入れようとしても、大企業では従来のやり方を変えにくいという慣性が働きます。理屈では必要だとわかっていても、実際には導入が進まないのです。
さらに、例えば、ブランドごとにホームページを運用していた企業がありました。個別のブランドが良かれと思って自分たちのベストの戦略でウェブマーケティングをやります。結果、全体として統一感がなくなりますよね。お客さまから見れば、会社は一つなのにバラバラに映ります。他社でも同様で、事業部やブランドごとにデータや仕組みが分かれており統合されていません。お客さまには「好き勝手に動いている」と見えてしまうのです。
中塚 なので今度は統合しようとしますよね。
本荘 はい。それで本社が統合的にマーケティングを担おうとしますが、その部署の扱える範囲は限られています。実際に担えるのはIRやCSRなど、主に会社全体の情報発信に関わる部分です。また、大企業の情報システム部門は、各部門の要望に振り回されがちで、カスタマイズが増えてしまう。ウェブマーケティング部門もまだ歴史が浅く、立場が弱い。知識も視野も十分あるのに思うように動けずに忸怩たる思いを抱えながらやっていますね。
中塚 カスタマイズをいかにやめるかというのがITにとっては永遠の課題ですね。
中塚 本荘さんは元々、新事業・起業がビジネステーマでしたよね。その視点から、今後のマーケティングの在り方をどうお考えですか。
本荘 新事業で最も難しいのは、内容そのものもさることながら、結局はチームメンバーや応援団をいかにつくるかというところです。起業のタイミングなどもありますが、根本的にはそこが要になります。
中塚 そうなんですね。チームメンバーや応援団をどのようにつくっていくのですか。
本荘 最初からインパクトのある強い企画を思いつける人は滅多にいません。多くの場合は、既にある要素の組み合わせをいろいろと変えながら、新しいコンビネーションを模索していくわけです。この試行錯誤はなかなか大変で、やはりAIでは担えません。新しい事業を動かすには、やはり人間が大事なんです。やる気があり、喧嘩にならず一緒に進められ、途中で離れない人材をチームにどんどん増強していかねばならない、それが一番大変ですよね。同様に、最初は関心が薄いお客さまやパートナーを、頼もしい応援団、支えてくれる存在に変えていくというところもなかなかに大変です。
中塚 その人の持っているパワーや人間力がカギになりますね。
本荘 おっしゃる通りです。結局、生命エネルギーなんですよね。そういう意味で言えば、生命エネルギーのあるマーケターも減っているように感じます。
中塚 とんでもないことを言っているものの、生命エネルギーが強い。人を引きつける人がいますよね。
本荘 辛気臭い飲食店にはお客さまは来ませんが、熱気がある店は繁盛するわけです。そのような、生命力があふれ、明日を担うマーケティングのリーダーや人材を育成するという視点も大切だと思います。
中塚 マーケティングに向いているのは、どのような人材だと思われますか。
本荘 問題点を指摘するだけの人ではなく、未来をつくるという志向のある人は、自分の会社の未来像はこうだ、だからこのように目指そうなど、何らかの提案を出せる人だと思います。
『フォーブス・ジャパン』の連載で、「感じる力」について書いていたのですが、理屈ばかりの人は批判型になってしまって、新しいこと、未来をつくることの提案はできない。やはり、新しいことを捉え感じる力と未来をつくる姿勢が必要だと思いますね。
中塚 感じる力は大いに重要だと思います。生命力あふれるマーケティングとその人材がベースとなって、まずは世の中を丁寧に読み解くところから始めると、今の了見の狭さは解消できるのではとも思いました。人材の育成もなかなか難しいテーマですが、チャレンジしていかねばならない未来へのテーマだと思います。
本日はたいへん興味深いお話をありがとうございました。
「生命力」は人を惹きつける大きなパワーです。マーケティングに活かすためには、世の中、生活者を感じていく力がいる。ホライズンの締めくくりに尊敬する本荘さんとこうした総括ができたことを幸せに思います。

本荘 修二(ほんじょう しゅうじ)
MARKETING HORIZON 編集委員
本荘事務所 代表
新事業を中心に、経営コンサルティングを手掛ける。日米アジアの大企業、スタートアップ、投資会社などのアドバイザーや社外役員を務める。Techstars、Endeavor、始動ネクストイノベーター、福岡県他のメンターを務め、起業家育成、エコシステムづくりに取り組む。厚生労働省・医療系ベンチャー振興推進会議座長、日本スタートアップ大賞審査委員。著書に『大企業のウェブはなぜつまらないのか?』『エコシステム・マーケティング』他、訳書に『ザッポス伝説』他、連載に「垣根を越える力」等がある。

中塚 千恵(なかつか ちえ)
MARKETING HORIZON 編集委員
東京ガス株式会社 リビング戦略部
リビング戦略部ブランディング推進グループに所属。現在は、BtoC向けのブランディングに取り組む。広報部広告グループの際に、制作・出稿したCMには、社会課題の解決に向けて、東京ガスの想いを込めた「子育てのプレイボール」「母の推し活」がある。その他、同社ではCSR、コンプライアンス、調査研究部門(都市生活研究所)での業務がある。
また、現在、所属する関東学院大学の博士課程では、アイドルやJ-POP などを追いかけてきたことを生かして、超高関与消費のメカニズム解明に取り組んでいる。