2026年1~3月号 編集スタート!

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巻頭言

今月のテーマ

あなたにとってマーケティングとは? New

12人のマーケティング点描

巻頭言

 『マーケティング ホライズン』刷新に際し、現編集委員全員によるリレーインタビューを全12回にわたってお届けします。
 このリレーインタビューの共通の問いは、ただ一つ。
 「あなたにとってマーケティングとは?」です。
 『マーケティング ホライズン』 は、 1958年の創刊以来、 いわゆるマーケティング・スキルやHOW TOのTipsを紹介する媒体ではありませんでした。社会や暮らしの足元で起きている胎動を敏感に捉えつつ、水平線の彼方を望み、未来を描く。その兆しや潮流をお届けすることで、読者の方々にとってのセレンディピティとなることを変わらぬ使命としてきました。その使命を担ってきた編集委員一人一人の「マーケティング」に対する答え。面白くないわけがありません。
 現編集委員はアカデミアの最前線で次代を育てる研究者、グローバル企業で事業を牽引する経営者、そして企業や社会のさまざまな課題の解決に挑むコンサルタントなど、立場も世代もキャリアも、そしてマーケティングとの向き合い方も異なります。その多様な視点を持つ12人が、同じ問いにどう向き合い、どのような言葉を紡ぐのか——そこに結ばれる像こそ、今という時代のマーケティングの姿を映し出すことでしょう。また、そこに現れる幅や違いの中に、これからの時代におけるマーケティングの可能性が立ちのぼるのではないかと考えます。
 かつては専ら「モノを売るための技術」として語られてきたマーケティング。しかしいまや、その定義は劇的に拡張しています。マーケティングは、単なる顧客を理解する視点に留まらず、企業の戦略思考基盤へと広がり、さらに「未来の社会と暮らしをどう共創するか」という、より根源的な問いへと進化しています。変化が激しく、正解が見えにくくなるVUCAの時代において、マーケティングはもはや一部門の専門領域ではなく、すべての人が持つべきものとなりました。
 2026年。世界で起きている変化のうねりは、ビジネスにも、一人ひとりの暮らしにも否応なく大きな影響を与えています。光と影がますます複雑に交錯する中、わたしたちはそれぞれの立場でどんな希望を未来に描いていけるのでしょうか。マーケティングは、その問いを共に考えるための「灯」であり、同時に未来へ踏み出すための地図とコンパスにもなり得ます。
 このリレーインタビューが、読者の皆さまの思考を刺激し、未来を描く勇気をお届けできることを願っています。

本誌編集委員長 ツノダ フミコ

INTERVIEW

第1回
「正解」を疑い、未来への「期待値」を創る。
New

広告会社から経営の道へ、松風氏の意思決定の源泉を探る。

Interviewee

松風 里栄子 
MARKETING HORIZON 副編集委員長 
サッポロホールディングス株式会社 専務取締役、
株式会社センシングアジア 代表取締役

Interviewer

ツノダ フミコ 
MARKETING HORIZON
編集委員長 
株式会社ウエーブプラネット
代表取締役

 2011年より「マーケティングホライズン」の編集委員として、また、2022年より同副編集委員長として、世界のマーケティングと経営動向をさまざまな角度から発信してこられた松風里栄子さん。広告、コンサルティング、そして事業会社の経営へと、常に変化の最前線でキャリアを切り拓いてきた彼女の目には、どのようなマーケティングの進化が映っているのでしょうか。ご自身のステージの変遷とともに、向き合い方は変容しつつも、常にその傍らに存在しつづけていたマーケティング。その軌跡と未来への展望をうかがいました。

心理学から広告の世界へ──マーケティングの扉を開いた日

ツノダ 本日は松風さんのこれまでのキャリアとマーケティングとの関わりについて、おうかがいできればと思います。そもそも、松風さんがマーケティングの世界に足を踏み入れたきっかけは何だったのでしょうか。

松風 大学では社会心理学を専攻していたのですが、担当教授が大手広告会社のマーケティング調査に関わっていました。そのお手伝いをすることでマーケティングに触れたのですが、「人の心の動きを科学的に捉えることができるのか」と驚きましたね。社会心理学で学んでいた理論が、実際のビジネスの現場で使われていることにもワクワクしました。

ツノダ それが広告会社への入社につながったのですね。

松風 はい。マーケティングに興味を持ったことで、就職活動では広告会社や事業会社を回り、最終的に博報堂に入社しました。入社後、人事を経て営業に異動、日々、いわゆるマーコム(マーケティング・コミュニケーション)を中心に、クライアントとは向き合っていました。ちょうどその頃、1990年代の後半ですが、まさに「IMC(統合マーケティング・コミュニケーション)」という概念が注目され始め、企業の持つあらゆる接点がブランド体験を形づくる、と実感しました。

ツノダ IMCとの出会いが松風さんのキャリアの大きな転機になった、と。

松風 まさにそうです。広告の枠を売るのではなく、「企業と生活者のあらゆる接点をどう設計するか」という発想、すべての顧客接点を統合し、一つの軸を作るという考え方にすっかり魅了されました。企業活動の接点への広がりに面白さを感じ、各接点がどういう変数で企業価値の向上に寄与するのか、といった少し経済学的な視点にも興味が湧いてきました。より戦略的な領域に関わりたいという思いが芽生えたこともあり、社内のFA制度を使ってブランドコンサルティングの部門へ異動、その後、M&Aに関わる部署長や、ビジネスコンサルティング子会社の役員をしました。

ツノダ 営業の立場から、より専門的なコンサルティングの分野で実際に仕事をされて、どのようにお感じになりましたか。

松風 当時はちょうど、企業の再建や統合、M&Aに関わる案件が多く、PEファンドが関わる企業の再建に携わる機会も複数ありました。その中で、ブランドポートフォリオを再構築した後の価値算定をしたり、企業統合後にブランド体系を整理して事業計画を作るといった仕事にも携わったりしました。
 その中で感じたのは、ブランドの力が経営そのものを左右するということ。PMI(買収後の統合プロセス)など、より経営に近い領域でのマーケティングの役割に大きな可能性を感じました。けれども同時に、経営目線から見たマーケティングの「限界」のようなものも感じ始めました。

経営の視座──マーケティングの可能性と限界

ツノダ 「限界」ですか。もう少し詳しくお聞かせください。

松風 はい。いま振り返ると、マーケティング戦略はBtoC事業においては事業戦略の核になり得る一方で、経営戦略のすべてを形づくるわけではない、とわかります。現在の私は上場企業の役員という立場ですが、そこでは顧客や従業員と同等か、それ以上に「資本市場」とどう向き合うかが重要になるのです。

ツノダ 経営に携わる立場として、それまでとはまったく異なる場所に身を置かれたのですね。

松風 ええ。ROE(自己資本利益率)をどう向上させるか、PBR(株価純資産倍率)1倍割れといった課題にどう対応するか。企業価値を総体としてどう上げていくかという視点に立つと、企業戦略を構築しながらキャッシュやキャピタルをどう配分するかという「資本政策」「キャッシュアロケーション」が経営の中心的なアジェンダになります。
 その大きな枠組みから見ると、マーケティングは「非常に重要な手段の一つ」ではありますが、戦略の根幹そのものには必ずしもならない。それが、私が感じた「限界」です。これは、マーケティングの価値を否定しているのではなく、経営という大局観の中で、その役割と立ち位置を正確に捉える必要がある、ということです。

ツノダ そうした気づきが次のキャリアにつながったのでしょうか。

松風 そうですね。博報堂を離れてアジア進出企業を支援する経営コンサルティング会社を立ち上げました。M&Aや海外事業の戦略設計を支援する、かなり“経営寄り”の仕事です。
 一方で、マーケティングの世界から距離を置いたことで、逆にマーケティングの本質が見えてきたようにも思います。経営者に近い立場で仕事をすると、どうしても企業価値向上をテーマにした数字や資本政策が中心になります。しかし、株主や従業員、顧客といったステークホルダーとの「期待値形成」を考えると、やはり「伝える力」が不可欠です。
 経営の世界に踏み込んでなお、「伝える力」を支えるのは間違いなくマーケティングの素養、まさにマーコムの力でした。

経営を動かす「期待値」──再び出会った「マーコム」の力

ツノダ 経営の世界に踏み込んだゆえに、マーケティングの本質が見えてきた、というお話が印象的です。その中で改めて重要だと再確認されたものは何でしょうか。

松風 それが面白いことに、キャリアの出発点であった「マーコム」、つまりコミュニケーションの重要性を改めて強く感じています。株価も企業価値も、突き詰めれば「期待値」の集積です。その期待値をどう形成していくか。それには、コミュニケーションの力が不可欠です。
 企業のDNAや強みを的確な言葉で伝え、従業員のモチベーションを一つの方向に向け、取引先にご理解いただいてパートナーシップを強化し、そして資本市場に対しては企業価値向上の「期待」を醸成する。これら全てが広義のコミュニケーション活動であり、マーケティング的思考が活きると思っています。

ツノダ 理想論とファクトをつなぐストーリーテリングの力、ということですね。

松風 まさにそうです。かつては「マーケティングはコミュニケーションだけではない」と思っていましたが、今はそのコミュニケーションの持つ力を再認識しています。根拠のない理想論を振りかざしても誰もついてきませんが、実績というファクトをベースに、未来への魅力的なストーリーを語り、ステークホルダーを巻き込んでいく。実績と未来を繋ぐストーリーを語る力が、経営には不可欠であり、その根幹には、間違いなくマーケティングで培った思考やスキルが生きていると感じます。キャリアを一周して、原点に戻ってきたような感覚です。

思考を鍛える場──「マーケティングホライズン」の「兆し」を読む力

ツノダ そうしたキャリアの変遷を重ねつつ、長きにわたり「マーケティングホライズン」の編集にも携わっていらっしゃいました。その経験は、松風さんにどのような影響を与えましたか。

松風  もう20年近くになりますね。 最初に担当したのは「CMOは必要か」という2013年の特集でした。 当時はまだ日本にCMOという肩書きがほとんどなく、 取材先を探すのも大変でした (笑)。さまざまな特集や企画で関わりましたが、「兆しを捉える」という「マーケティングホライズン」の理念には強く共感しています。以後、グローバルマーケティングに着目した「Do more with less インド発、ジュガードイノベーションに学ぶ(2016年4号)」やアジアの新規事業をとりあげた「アジアのブラットフォーマーたち 2022年6号)」、女性リーダーたちの新しい取り組みを特集した「Women in Pioneership(2024年3号)」など、時代の空気を反映させながら、多様なテーマに取り組んできました。

ツノダ ご自身のキャリアの変遷が、そのまま「マーケティングホライズン」にも反映されてきた印象があります。

松風 そうですね。取材で経営者や専門家の方々にお話をうかがうたび、自分の思考が鍛えられました。特に印象に残っているのは、アジアの航空会社Capital A (AirAsia)のCEOトニー・フェルナンデス氏へのインタビューです。ローコストキャリア(LCC)から仮想通貨の話にまで至りましたが、「世界をどう広げるか」を考えさせられました。
 「マーケティングホライズン」での取材の魅力は、想定したシナリオを裏切られること。インタビューさせていただく方の胸をお借りして、思い切りぶつかっていくような感覚でした。問いかけるたびに自分の前提が揺さぶられる。その体験が、マーケティングの「兆し」を読む力を育ててくれたと思っています。

未来のマーケティング──誰もがマーケターとなり、社会と共創する

ツノダ 今の時代、マーケティングの捉え方もその領域も変化しましたが、松風さんはこれからのマーケティングをどう捉えていますか。

松風 マーケティングは、もはや専門職だけのものではないと思います。経理であれ、生産管理や人事であれ、あらゆるところで市場をどのように意識するか、自分の考えをどう伝えるかで成果は変わります。つまり、「すべてのビジネスパーソンがマーケター」なんです。マーケティングはビジネスパーソンとして持つべき基本的なスキルセットであり、マインドセットになっていくと思います。

ツノダ そのマインドセットを身につけるための核となる視点は何でしょうか。

松風 突き詰めれば「ターゲットの理解」です。自社のサービスを届けたい市場、相手、一緒に仕事をする仲間、説得したい上司。相手を深く理解しようとすることからすべては始まります。この「相手の視点に立つ」という意識さえ持てば、誰でも身につけやすいはずです。ただ、私たちはどうしても自分の「正解」に基づいて考えてしまいがちで、「相手の視点に立つ」という基本を忘れてしまう。そこが難しいところですね。
 また、さらに言えば、今後はターゲットを理解するだけでは不十分になるでしょう。たとえば環境問題のように、個人の短期的な利便性と社会の持続可能性が相反するテーマもあります。
 生活者に「分別しなさい」と言うだけでは行動は変わりません。脱プラやサステナビリティのように、企業自身が社会課題を共有し、生活者と“共に未来をつくる”姿勢を見せていくことが大切です。こうした社会問題の矛盾こそ、企業がどのような立場で社会に語りかけるかが問われるのではないでしょうか。
 企業は顧客の声に耳を傾けるだけでなく、社会的責任を負う存在として、より良い未来の姿を提示し、市場や社会を「一緒に動かしていく」という能動的な姿勢が求められます。社内外のステークホルダーをどう巻き込み、どう共感を生み出すか。そうした社会との共創こそ、これからのマーケティングの使命ですし、企業を動かすエンジンになると思います。

不確実な時代を生き抜く──未来企業に必要な「胆力」

ツノダ 変化のスピードが加速し、先行きも不透明な時代です。松風さんは、こうした未来を悲観的あるいは楽観的、どのように見ていますか? また、私たちはどのような心構えでいるべきでしょうか。

松風 それは両方ですね。例えば、日本の夏が東南アジアより暑くなっているといった現実を見ると、地球温暖化がもたらす影響については、自分たちの子どもや孫の世代がどんな世界で暮らすのかと心配になります。そういう面では「非常に悲観的にならざるを得ない」と感じています。一方で、例えば気候対応型の農作物の開発や人が行ってきた労働の代替、また食糧問題の解決にはバイオ技術によって救われる部分がきっとあるはずで、そうした面については「楽観的に期待したい」と思っています。

ツノダ その両方の視点を持つことが重要である、と。

松風 はい。そして今、日本企業に特に必要だと感じているのが「胆力」です。世界が分断し、リスク回避的になっている今だからこそ、短期的な財務指標やリスクを恐れるあまり、弱気な戦略をとってはならない。例えば海外進出を考えるとき、多くの人が「あの国は危ない」と一般論で語りますが、リスクの中身を精査し、許容できる範囲を見極めることが重要です。

ツノダ 長期的な視点に基づくリスクテイクが必要なのですね。

松風 まさにそうです。「30年先、40年先に、この場所に根を張っておくべきなのか」を問う。短期的な利益には繋がらなくても、長期的な視点で未来に投資する。そうした胆力が、これからのリーダーには不可欠だと思います。
 今後は若手経営者の育成にも力を入れていきたいと思っているのですが、世界情勢やアクティビストの台頭など、経営環境はいっそう複雑かつハードになっていきます。そうした中で戦う次世代に、この「胆力」を伝えていきたいと考えています。

おわりに──マーケティングとは「キャリアの伴走者」

ツノダ ありがとうございます。最後に改めてうかがいます。ご自身にとってマーケティングとはどのような存在なのでしょうか。

松風 そうですね、難しい質問ですが…。「キャリアの伴走者」といえるかもしれませんね。広告営業からブランド戦略、経営コンサルティング、そしてホールディングスの経営へと歩んできましたが、どの時期にもマーケティングがそばにありました。キャリアのステージによって、その姿や形、自分の中でのウエイトは変わってきましたが、振り返ると常にどこかに存在する、そんな感じがしますね。

ツノダ  姿や形を変えながらも、ずっとそばにいた存在だったのですね。今日のお話をうかがいながら、その感覚が非常によく伝わってきました。本日は貴重なお話をありがとうございました。

〈インタビュー後記〉

 立場は変わろうとも、常にマーケティングとともにあった松風さんのキャリア。マーケティングとは、人や企業の“内側”にある物語を見つけ出し、外の世界へと翻訳する行為ともいえますが、松風さんのキャリアの軌跡は、活動の舞台を世界へと広げながら、まさにその実践の連続でした。
 変化を読み、他者を理解し、社会と対話するための「生き方」そのものゆえに、「マーケティングは、キャリアの伴走者」と言い切れるのでしょう。目の前の手段や目的を超えながら、時代を生き抜くための強くしなやかな「胆力」が確かに宿っている、そう感じた一時間は、なんとも贅沢なひとときでした。

松風 里栄子しょうふう りえこ
MARKETING HORIZON 副編集委員長 
サッポロホールディングス株式会社 専務取締役
株式会社センシングアジア 代表取締役

㈱博報堂、㈱博報堂コンサルティングを経て㈱センシングアジア創業、2016年ポッカサッポロフード&ビバレッジ㈱、2018年から2022年までPokka Pte. Ltd.のグループCEOとしてシンガポールに在住、経営再建しつつ60カ国以上をマネージ。2022年サッポロホールディングス取締役、2025年より現職。ターンアラウンド、M&A、グローバルマーケティング分野で豊富な経験を持つ。

ツノダ フミコつのだ ふみこ
MARKETING HORIZON 編集委員長 
株式会社ウエーブプラネット 代表取締役

社会動向や生活者の分析を通して、価値観変化や生活者インサイトを導き出し、コンセプト開発を行う。問いを重視したきめ細かい伴走型コンサルティングにて新しい価値づくりを支援し、企画力と気づき力を強化する研修も展開。近著『いちばんわかりやすい問題発見の授業』では、書くことで考える力を磨く「具体→抽象→発見」の手法を紹介している。

INTERVIEW

第2回
中島委員のマーケティング・スピリット
「ヒューマニティ」
New

Interviewee

中島 聡 
MARKETING HORIZON 編集委員 
元 公益社団法人日本アドバタイザーズ協会 専務理事

Interviewer

松風 里栄子 
MARKETING HORIZON
副編集委員長 
サッポロホールディングス株式会社 専務取締役 
株式会社センシングアジア
代表取締役

 『マーケティング ホライズン』での中島さんの企画は、人間に寄り添う姿勢が多くみられるように感じてきました。例えば2023年10号の「ウェルビーイングに包まれて」では、誰ひとり取り残さないという福祉のチャレンジ、字幕付きCM普及への取り組みなどを紹介いただきました。そこには中島さんの哲学ともいえる、人間への優しさが通底しています。そんな中島さんのマーケティング・スピリットに迫りたいと思います。

データベース・マーケティングを会社に根付かせる

松風 中島さんはキャリアを通じ、一貫してマーケティングに携わって来られた印象があります。マーケティングとの最初の出会いはどのようなものだったのでしょうか。

中島 1983年、明治乳業に入社し、静岡支店に配属されました。当時の明治乳業は、宅配では強いけれども、スーパーマーケットでは全く存在感がありませんでした。商品がブルガリアヨーグルトとプリンくらいしかなく、何か突破口がないかと思っていました。ちょうどその頃は、スーパーマーケットがPOSデータの導入を始めた時期でした。ただし、POSデータを導入してもスーパーマーケット側は使い方がわからないということで、「私が分析します」と提案しました。例えば、土日と平日、天候による販売数の違いなど多角的に分析しました。それでバイヤーさんからの信頼を得て、静岡県中部エリアでのスーパーマーケットの売上げが約4倍になったのです。
 2年後に転勤で関東の大型卸売店を担当し、データに基づいて仕事をするうちに、それが本社の耳に入ってプロダクトマネージャーになりました。当時の明治乳業の年間売上高がおよそ2,600億円、そのうち約600億円のブリックパックという商品群の担当です。
 商品開発も広告・宣伝も工場の投資予算ですし、また、約600億円の売上げのうち400億円は自販機での売上げでした。そういうわけで、自販機の売上げ、さらには自販機本体の投資計画、全体の戦略策定も含めて広義のマーケティングでの最初の取り組みとなりました。
 ところが、当時の明治にはマーケティングの概念が無かったのです。そこで会社として本格的にマーケティングを導入することになり、慶應義塾大学の故・村田昭治先生(マーケティング論の第一人者、慶應義塾大学名誉教授、2015年没)をマーケティング顧問に迎えました。

松風 中島さんは社内でデータベース・マーケティングのさきがけだったのですね。村田先生といえばマーケティングの大御所です。会社にとってはビジネス構造的にも意識構造的にも大転換だったのではないでしょうか。村田ゼミといえば有名でしたよね。

中島 大変に有名です。特に日本の流通業2世は村田ゼミ出身ばかりでした。ですので、明治にとってはまさに大転換です。顧問としてお迎えするにあたり、「村田先生のお付きは中島に任せる」と社長・会長に言われました。公私ともの付き人で、車の運転もしましたし、原稿のお手伝いもしました。いわゆる便利屋ですが、接する機会は多く、いろいろと勉強になりました。とにかく多くのことを吸収しようと思い、「先生の教室で勉強したい」とお願いしました。それで村田先生の大学院の教室で学生さんと一緒に勉強させていただき、寝る時間も惜しんで取り組みました。それが私のマーケティング・ヒストリーの第1段階です。

松風 乳業は特に調達分野では国策という側面も大きい業界です。子どもの栄養摂取手段として奨励されたこともあり、マーケティングの概念がなかったというのは容易に想像できます。対流通への取り組みからマーケティングの考え方を取り入れて、何が変わりましたか。

中島 明治乳業の流通に対する突破口を開く、いわば切り込み隊長みたいなことをやってきたと思っています。その結果、社内でUSP(ユニーク・セリング・ポイント)という概念が根づき、加えて、生活者オリエンテッドという概念が芽生えた。明治にマーケティングを導入したのは私だと言われています。それまでの明治には、確かに国策的な事情もありましたので、マーケティングの知識は全くなかったのです。

松風 その過程で、中島さんの仕事への向き合い方や、キャリアビジョンの変化はありましたか。

中島 いえ、キャリアビジョンの変化はあまりなかったような気がします。ただ、本当の意味でのマーケティングをゼロから勉強し直したいという気持ちになりました。当時の上司に「留学したい、マーケティングの勉強したい」と言ったのですが、「そういう人間を育てるのが君の役割だ。君自身がやることではないだろう」と返されてしまいました。そんなことがありましたね。
 一方、村田先生への関与が続いたのは1999年頃まで10年以上にわたりましたから、私自身の骨格、そしてマーケティング概念の土台を築いてくれたのは村田先生かもしれません。先生から学んだことは一言では表せませんが、あえて言えば「幸せを広げるのがマーケティングだ」ということでしょうか。
 また、「事実と真実」という概念がありますね。データは事実ですが最終的には人がそこに絡んでくるわけですから、真実はもっと深いところにあります。その目に見えない部分に対するおそれといいますか、目に見えないものを読み取る力をどうつけるかということを考えました。

マーケティングから経営を考える

松風 私は新卒で博報堂に入社し、マーケティングといってもマーコムの世界から入りましたが、中島さんは明治乳業で製造業という事業側でのマーケティングですよね。流通、カスタマーを起点として、マーケティングとの関わりはどのように広がったのでしょう。

中島 その後、販売企画に異動しました。当時の明治の販売企画は、全社の予算編成権まで握っていました。明治には様々な商品群、例えば粉ミルクもあれば、アイスクリーム、チーズ、バターもある。それぞれ売り方も違えばお客さまも千差万別です。妊婦さんとその他では生活者として全く違うわけです。
 例えば産婦人科の事例をあげましょう。本来、この領域にはあまり男性は入れません。当時、明治では産婦人科担当の栄養士さんを700名ほど抱えていました。その1人にお願いして、産婦人科への営業方法を知りたいと同行させてもらいました。現場では、産婦人科の方々は妊婦さんの人生相談にまで対応していました。これは素晴らしい、こういうふうに生活者と向き合うマーケターになりたいとよく思っていましたね。
 さて販売企画ですが、関わる分野が必然的に多くなり、組織編成や人事にも業務が広がっていきました。組織は戦略に従いますから、究極のブランド戦略というのは人材戦略だと思い始めたのです。それは経営そのものですから、単なるプロダクト・コミュニケーションだけではなくて、人事や組織を含めて経営と直結したマーケティングという感覚になってきました。
 突き詰めると、生活者の課題を解決すること、これがメーカーの使命だと思いました。生活者は乳製品だけを食べるわけではなく、お肉やお魚も食べます。「食卓」をデータベースで分析し、通年の変化も把握する。生活者の全体像を理解できる組織戦略が必要だと思ったのです。
 そこで明治の縦割り組織をデータでつなぎました。同時に、全営業部隊に対して相当な教育をしました。
 MAPS(Marketing Ability Power up Strategic System)という社内ITシステムを開発したことで、少しずつデータの重要性が根づいてきましたし、少なくとも顧客に寄り添った提案ができるようになりました。食品は地域偏差や商圏偏差が大きい分野です。商圏に対応したさまざまな提案ができるようになりました。

ホライズンと自身のテーマ

松風 さて、本誌『マーケティング ホライズン』についてもうかがいます。中島さんの担当されるテーマや特集は、少し哲学的なようで人間味があります。それは中島さんの人となりやご興味の深さを如実に表していると思いますが、テーマ設定で意識されていたことはありますか。

中島 個人的に好きな作家さんの一人が池波正太郎さんです。あの方の目線は、どんな人間だって、いいこともすれば悪いこともするというものです。人間って乱反射しますよね。悪党にしても、誰かを殺したとしても自分は幸せになれると思っている。人は幸せを常に求めていますよね。みんなが幸せになるためにどうすればいいか、同時に、人間の心のひだに興味がありまして。お寺巡りや哲学書を読むのが好きなことが、『マーケティング ホライズン』のテーマに反映されているのかもしれません。
 今のマーケティングは「強者のマーケティング」のような気がして仕方がないのです。当然、自然界の掟として弱肉強食はありますが、それだけではないと思います。例えば全国のお寺には、いろいろな方々がそれぞれの願いでお参りをされています。もしかしたら、途中で行き倒れる方もいるかもしれない。そう考えると、強者だけが生き残るようなマーケティング戦略は絶対やってはいけないし、同時に、商品開発にしても、困っている人を救ってあげられるもの、そういう姿勢が必要だと思うのです。もちろん企業は、短期的に利益を出すことによって株主などのステークホルダーに還元できる。ですが、企業の姿はそれだけではないですよね。結果に至るプロセスをもう少し大切にしなくてはならないと思います。

これからのマーケターへ伝えたいこと

松風 最後に、これからのマーケターに伝えたいことはありますか。

中島 これからのホライズンないしはマーケターへ期待することとしては、もっとベーシックな部分をしっかり勉強してほしいですね。
 レビット(故セオドア・レビット、1925-2006 元ハーバード・ビジネススクール教授)の有名な言葉ですが、「ホームセンターにドリルを買いに行くのは、ドリルが欲しいわけではなく穴を開けるため」です。求められる機能に応えることがマーケティングだと思うのですが、そこが希薄になっている気がします。

松風 深い部分での生活者の理解ですよね。ただ、生活者も情報過多で、情報に踊らされているという側面もあります。さらに気候変動やインフレ、国際的枠組みなど、社会の変化が激しく、真に求めているものが見えづらいようです。

中島 そういう観点では、この世の中を生きる社会人としての常識を身につけることが大切なのかもしれません。また別の視点では、これからのマーケティングはまさに経営機能になっていきます。本当の統合マーケティングという意味で、最終的な根幹はそこにあり、統合していくのはまさに「人」だと思います。

松風 マーケティングの要素を、マーケティングの範囲で統合していくのではなく、一段レイヤーを上げて、企業を構成する各事業や機能を経営視点で統合していく、と理解しました。そこには異なる組織体が向き合う市場や生活者、ステークホルダーの理解はもとより、リソースのアロケーション策定や結果を生み出す統合的なアプローチが求められます。「人」でなければマネージできない領域ですね。
 本日はありがとうございました。

〈インタビュー後記〉

 中島さんのマーケティング・スピリットは「人」への愛であふれています。弱者に目を配り、全ての「人」を尊重していこうという想い、また強者だけにフォーカスすることへの警鐘が、ホライズン読者へ、そしてマーケッターへの静かで強いメッセージでした。

中島 聡なかじま さとし
MARKETING HORIZON 編集委員
元 公益社団法人日本アドバタイザーズ協会 専務理事

一般社団法人デジタル広告品質認証機構代表理事、日本広告審査機構理事、ACC理事の他、マーケティング広告関係の複数団体の委員を務め、マーケティング及び広告活動の健全な発展のための活動を行っている。同時に明治大学大学院及び高千穂大学大学院にて教鞭をとり、若い世代の人財育成活動を行っている。

松風 里栄子しょうふう りえこ
MARKETING HORIZON 副編集委員長
サッポロホールディングス株式会社 専務取締役
株式会社センシングアジア 代表取締役

㈱博報堂、㈱博報堂コンサルティングを経て㈱センシングアジア創業、2016年ポッカサッポロフード&ビバレッジ㈱、2018年から2022年までPokka Pte. Ltd.のグループCEOとしてシンガポールに在住、経営再建しつつ60カ国以上をマネージ。2022年サッポロホールディングス取締役、2025年より現職。ターンアラウンド、M&A、グローバルマーケティング分野で豊富な経験を持つ。

BOOKS

『組織は倫理をないがしろにする 
戦略的に「誠実性」をデザインする』
New

『組織は倫理をないがしろにする 
 戦略的に「誠実性」をデザインする』
ロバート・チェスナット 著 
並木将仁 監訳 松山宗彦 訳 日経BP

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株式会社Preferred Networks
エグゼクティブアドバイザー 
合同会社OFFICEしもふり代表

Coming Soon
次回の更新は 02月03日 02月17日 03月03日 03月17日 03月31日 

INTERVIEW

第3回
グローバルな舞台で、
マーケティングの感性を磨く

Interviewee

德田 治子 
MARKETING HORIZON 編集委員 
コーン・フェリー・ジャパン プリンシパル

Interviewer

中島 聡 
MARKETING HORIZON 編集委員 
元 公益社団法人日本アドバタイザーズ協会 専務理事

 これまで複数のキャリアを積み重ねられ、「人と社会をつなぐ」仕事をされている德田治子さん。現在、日本とタイの二拠点生活をされているグローバルな視点から、マーケティングに欠かせない感性や態度とはどのようなものか、これからのマーケティングのあるべき姿などを幅広くうかがいました。

マーケティングとは、市場を読み顧客を理解する感性力

中島 德田さんに初めてお会いしたのは、もう15年以上前のことかと思います。以前から德田さんには助けてもらってばかりで、その上、数年前にはホライズンの編集委員になっていただき、本当にありがとうございます。

德田 素敵なご縁をつないでいただき、中島さんには感謝しております。

中島 現在はどのようなお仕事をされているのですか。以前からのヘッドハンティングのお仕事ですか。

德田 日系のエグゼクティブ・サーチファームで、ヘッドハンティングの仕事をしていましたが、今年の4月、ニューヨーク証券取引所に上場しているコーン・フェリーという外資系企業のジャパンオフィスに転職したところです。
 コーン・フェリー社は2015年にヘイグループ(最大手の人材コンサルティングファーム)を買収しており、私はヘッドハンティングに加えてアドバイザリーという仕事をやっています。簡単に言うと、サクセッション(後継者育成、事業継承)、アセスメント、リーダーシップ、コーチングといった領域に広がっています。

中島 素晴らしいですね。本日は、德田さんのキャリアに関するお話や、マーケティングとの出会い、その過程でどのような考え方の変化があったのかお伺いしていきたいと思います。

德田 キャリアともつながるのですが、私にとってマーケティングとは、「市場を読む力、人や顧客を理解する力」だと思っています。それが、実は自分のキャリアを築いてきた感性そのものだと感じています。
 なぜなら、特に顧客と同じ目線で考えるためには、生活の中で感じることに気づくということが非常に重要だからです。消費者の行動や社会の変化を敏感に感じ取って積み重ねてきたことが、結果的に私のキャリアを大きく広げてくれたと感じています。

「変化を読み、新しいビジネスを生み出す」──原点の言葉

德田 私は、社会人1年目で大手化粧品会社に入社し、3年目にマーケティング戦略部という部署に異動になりました。3年目の若手がいきなり会社の戦略に関わって果たして役に立つのかと不安ばかりだったのですが、そのときの部長に言われた言葉を今も鮮明に覚えています。
 部長は、「君の仕事は与えられたことをやるのではない。世の中の変化を理解して、会社に必要な新しいビジネスを生み出すことだ」というお話をしてくださったんです。私がここまで来られたのは、彼の一言が、非常に大きな一歩を踏み出す勇気を与えてくれたからだと思っています。そこから市場を見る、そして未来を読むということを意識し始め、それが私のキャリアのスタートになりました。

中島 具体的にはどのようなお仕事をされていたのですか。

德田 当時はビジネスモデル特許というものが流行しており、何もないところからアイデアを出して特許の形にするという作業をやっていました。本当に右も左もわからない社会人だったので、非常に苦しい作業ではありましたが、当時、普及し始めたドコモのiモードを利用して、「歩数と食事を記録してカロリー計算をした上で、夕食に最適なメニューを提案するサービス」という企画を考え、特許用に文字で起こして、それが実際に認められたというのが社会人3年目の大きな仕事でした。また同時に、何もないところからの発想が実際に市場を動かす力になる喜びを得た最初の経験でもあります。

中島 今はさまざまなヘルスケアアプリがありますが、その第一歩ですよね。非常に先進的です。

德田 そうですね。食事を記録するサービスというアイデアの卵を自分がつくったことはとても良い経験になりました。そのような経験を積み重ねていくことによって、マーケティングの感性が磨かれていくのだなと今、振り返っています。

感性とは、違和感に気づく力

中島 今、感性という言葉が出てきましたが、私自身もマーケターは努めて感性を磨かなければならないと思っていますし、感性が鋭くなければ、マーケターとして限界が来るのではという感覚があるのですが、どうお考えですか。

德田 まったく同感です。例えば、新しい職場に移ったときに、今までの環境との違いに気づく。人も違いますし、仕事のやり方も違いますから、そのあたりの違和感を、何かちょっと違うと気づいて、それを言葉に出して、しっかりと周りに伝える。あるいは、その感性の違いとは何なのかを考えていく。そこがマーケターの源泉だと思っています。それを続けてきた結果、何度かの転職を経て、自身のキャリアが形成されたと感じています。

中島 マーケティングの感性といえば、今は女性特有の非常に細やかな感性が必要不可欠となっていますね。

德田 おっしゃるとおりです。毎日の生活行動については、男性も関わる方が増えてきましたが、やはりまだまだ女性が中心となっている部分が多いです。実際、生活行動に根ざした感性を仕事に生かして活躍している女性も多いですよね。

人と社会をつなぐマーケティング

中島 感性や女性のお話が出てきましたが、ブランド戦略やマーケティング戦略などは、企業にとって、実は「人事戦略」だとよく言われますが、その点についてはいかがでしょう。

德田 私が社会人になってすぐに感じたのは、まさに「組織は人なり」ということでした。これまで多くの戦略を策定してきましたが、それに関わる人が誰か、あるいは、その人が意志を持ってやるかによって戦略が実際に動き、結果が出る。それがもっとも大切だと思っています。
 以前いた会社で、自身の中長期的なプランを模索していたとき、当時の社長から「君のマーケティング感性は“人と社会をつなぐところ”に生かせるから、ヘッドハンティングに向いているのでは」と言われました。その方がおっしゃった「人と社会をつなぐマーケティング」は、私の人生後半のマーケティング・テーマにぴったりだなと直観的に思ったんです。それで、以前のマーケティング領域とはまったく違う、いわゆる人材のエグゼクティブ・サーチの世界に転職することに決めたのです。
 「人と社会をつなぐマーケティング」は、実は日系企業のもっとも弱い部分なのです。事業基盤をもっと強く、太くしていくためには、人事戦略が非常に重要です。
 日系企業の多くで事業がうまくいかなくなる理由の一つが、社内のサクセッションです。すなわち次の社長を誰に託すかによって衰退していくことにもなるわけです。会社の社長または社長を支える人事のトップは、会社にとってまさに命のような存在ですから、そこに会社のサステナビリティを実現できる人材をしっかりとつなぐのが、ヘッドハンティングの役割なのです。

中島 素晴らしいですね。日本企業も、もっと注力してほしい点ですね強化。

日本とタイの二拠点生活から、次のステップへ

中島 さて、少し話題を変えたいのですが、德田さんは今、タイにお住まいなのですか。

德田 はい、タイのパタヤに第2の拠点を持っていて、年に4回ほど東京と行き来をしながら生活しています。長く滞在するときは2週間ほど、短い場合は1週間程度です。現在の会社はリモートで仕事ができるので、タイにいる間もリモートワークをしながら日本のお客さんや社内メンバーと会議をするというスタイルです。
 私自身の一つのテーマである「市場を知る、生活者を知る」マーケティングの感性を磨き続けるためにも、いろいろな国、場所、人と、新しい出会いを経験することが大事だと思っています。

パタヤの自宅から見える夕陽

中島 パタヤにもう一つの拠点を設けられた理由は何なのでしょう。

德田 私は中学生のときに、父親の仕事の都合でインドネシアのジャカルタに3年ほど住んでいました。中学生で海外に住むということは私にとって衝撃的な出来事で、人生の大きな経験となりました。そのとき私は、いつかグローバル、特にアジアと日本をつなぐ仕事に携わりたいと思ったのです。加えて、以前在籍していたマーケティング・リサーチ会社のアジア総支社がタイのバンコクにあり、当時は生活者調査や日系企業のマーケティング支援に携わっていましたので、バンコクにはかなり馴染みがありました。
 実は、バンコクと日本とは類似点が大きく三つほどあります。一つは仏教国で宗教が同じです。二つ目はどちらもアジアの中では植民地になっていない国であること。よってその国独特のカルチャーが多く残されています。三つ目はお米の国であること。どちらも主食が米で、食生活が非常に似ています。このような点も含めて、タイと日本はきっと一緒に何かを生み出せるのではないかと、私のマーケティングの感性が直感したわけです。
 それともう一つ、タイはウェルビーイングが非常に進んでいる国として注目されています。笑顔の国と呼ばれるほど、若い人もお年寄りも笑顔が多い。タイ独特のカルチャーや、ゆるりとした柔らかい生活のリズム、あるいは熱帯モンスーン気候のせいもあるのかもしれません。そのようなことを学びながら、日本企業にも生かしていけるお手伝いもできたらなと考えつつ、タイでの生活を楽しんでいるところです。

中島 なんだか理想の働き方をされていますね。二拠点生活によって、視野も人間関係も多様に広がっていくのではないですか。

德田 私は、タイと日本のマーケティングのかけ橋になっていきたいと考えています。国境も言葉も越えて皆が集まれる特別な交流の場もつくってみたいと思っています。そこでは、日本とタイの文化、ビジネス、スポーツ、食事など、あらゆるテーマがきっかけとなって、気がつけば誰もが家族のように打ち解けているような国際交流の場をつくりたい。もちろん、タイだけではなく、海外と日本をつないでいく中で、自分が感じた違和感にきちんと気づいていけるマーケティングの感性を磨き続け、社会に貢献していきたいと考えています。
 最近始めたばかりなのですが、YouTubeを通じた情報発信を行っています。タイに行ったときに現地の人向けに発信したり、逆にタイの情報を日本人向けに発信したりということもやっていきたいです。

タイ人の友人と、現地で有名なジムトンプソンのシルクスカーフを巻いて

グローバルな舞台で経験を積む

中島 今後、日本の若いビジネスパーソンが海外でビザを取得して多様な国で働くという場面も増えてくると思うのですが、グローバルな視点をお持ちの德田さんから何かアドバイスはありますか。

德田 私が若い人たちに伝えたいと思っているのは、「すべて経験」ということです。生きていることの価値を何に置き換えられるかというと、それは経験だと思っています。いろいろな経験をすることによって、マーケティングの感性もどんどん磨かれていく。市場を読む力や顧客を知る力も、もっともっと磨かれていくと思います。
 今の時代、若い人たちの中には新しい仕事を始めることに対して保守的ではなく、それがチャンスだと思って動いている方も多いですよね。できれば、その場を国内だけではなくグローバルにも広げていただき、自分が仕事をしてみたいという好奇心を抱いた国や場所に思い切って飛び込んでいくチャレンジを続けていただきたい。言い換えますと、マーケティングを通じて自分自身をどう成長させたいか問い続けてほしいと思っています。

中島 マーケターも世界に飛び立っていってほしいですね。

德田 本当にそうですね。日本では人口も減っていきますから、その分、タイやその他の国の人たちに日本に来ていただいたり、日本で働いてもらったりという交流ももっと広げていく必要があるでしょう。私も、そのような面でかけ橋になれるマーケティング活動ができたらと思いますし、わくわくしながら今後のキャリア、未来の働き方を追求していきたいと思っています。

これからのマーケティングは「人を輝かせる力」

中島 日本の若いマーケターに感じられていることはありますか。

德田 データやAIが進化する時代ですから、それらと対話することに夢中になっていますね。しかし、若い人たちのキャリア形成には、市場を読む力や人を理解する目など人間らしい感性が非常に大事になってくると思います。
 また、若い人たちには、マーケティングを通じて自分自身をどう成長させたいかを問い続けてほしいです。マーケティングは仕事だけではなく、例えば私がタイにも拠点を持っているように、自身の人生を豊かにしてくれるものと捉えてほしいですね。AIだけでなく実世界での経験を積み、感性を高めていく活動にチャレンジしてほしいと思います。

中島 本日は貴重なお話をありがとうございました。

〈インタビュー後記〉

 徳田様との出会いは徳田様がインテージ社で明治乳業のご担当に就任された時でした。当時、私は明治で様々なデータから流通、生活者の方々にソリューションプランをご提案する部門の責任者でしたが、データという事実と企業、生活者の思いを融合される手腕に、深い分析力と温かな人間愛、企業愛を受けました。まさに本来のマーケティングが持つ使命そのものです。今、タイという場所にも新たな拠点を設けられ、日本の若い方々の幅広い視野の醸成にも取組まれておられる事、マーケティング、人間への深い愛情を感じます。心から最大限のエールを贈りたいと思います。フレーフレー徳田さん!

德田治子とくだはるこ
MARKETING HORIZON 編集委員 
コーン・フェリー・ジャパン プリンシパル

INTAGE、KPMGコンサルティングを経て、エグゼクティブ・サーチ業界へ。マーケティングと人材戦略のかけ橋となるアドバイザーとして、日系大手企業のサクセッション支援やリーダー育成に携わる。株式会社HAL代表取締役として、日本とタイをつなぐウェルビーイング事業も展開中。

中島聡なかじまさとし
MARKETING HORIZON 編集委員 
元 公益社団法人日本アドバタイザーズ協会
専務理事

一般社団法人デジタル広告品質認証機構代表理事、日本広告審査機構理事、ACC理事の他、マーケティング広告関係の複数団体の委員を務め、マーケティング及び広告活動の健全な発展のための活動を行っている。同時に明治大学大学院及び高千穂大学大学院にて教鞭をとり、若い世代の人財育成活動を行っている。

INTERVIEW

第4回
「誰もやらないなら、僕がやる?」
──社会を動かす“つなげる”デザイン

Interviewee

見山 謙一郎 
MARKETING HORIZON 編集委員 
昭和女子大学 人間社会学部現代教養学科 教授

Interviewer

德田 治子 
MARKETING HORIZON 編集委員 
コーン・フェリー・ジャパン プリンシパル

 ご自身のミッションは、「人と人をつなげ、社会課題の解決に近づくこと」と語る大学教授の見山謙一郎さん。社会課題解決のために実践されているアプローチ手法や“人”を起点としたマーケティングの必要性についてうかがいました。

社会のために働くという初心

德田 まず、見山さんのキャリアの原点についてお話しいただけますか。最初は銀行にいらっしゃって、そこからどのような経緯で今の大学教授という職業につながっているのでしょうか。

見山 僕は1990年度卒なので、いわゆるバブル期の人間です。就活は超売り手市場でしたが、企業に就職するというイメージは実はあまり持てませんでした。理由としては、僕の親が公務員だったからだと思います。
 父とは仕事の話をする機会はあまりありませんでした。小学1年生頃の記憶ですが、一緒にアメリカ大統領訪日の報道をテレビで見ていて、「アメリカでは大統領が一番偉いの? じゃあ、日本で一番偉いのは誰なの?」と聞くと、父は「特定の誰かが偉いじゃないんだ、一人一人が皆偉いんだ。だから、おまえも偉いんだよ」と言ったのです。今思えば、それが公務員という仕事なのかな、と何となくイメージしたことを鮮明に覚えています。
 僕が社会に出たときも、会社や私企業のために働くというよりは社会のために働きたいという思いが漠然とあって、公務員とは異なりますが民間でも公益性の高い仕事ということで、最終的に銀行を選んだのだと思います。

德田 その後、銀行を退職され現在のフィールド・デザイン・ネットワークスを立ち上げられたわけですが、どのような挑戦をされてきたのでしょう。

見山 銀行時代、大企業の担当になり、多くの経営者と話をする局面になって、やはり経営学を知らないと彼らと話ができないと思い、母校の立教大学のMBAコースに入りました。それが僕にとっての大きな転機になったのです。銀行の価値観が自分の中のすべてを占めるようになっていたときに、外の空気を吸ってみて、世の中には多様な職業や価値観があるし、スタートアップなどで頑張っている人たちもたくさんいる。銀行の価値観がすべてではないと強く感じました。
 また2年間、仕事をしながら大学院に通っていましたから、自分の中のオンとオフの使い分け、そのバランスが非常に快適でした。大学院を修了したときに、このまま仕事だけの人生は送りたくないなと思い、NPOというスタイルで社会に貢献できる活動をやりたいと考えていました。

自分にしかできない“人と人をつなげる”こと

見山 銀行時代に大手製紙会社を担当していました。そこは日本で最大の森林を持っている会社でしたし、1997年には地球温暖化防止京都会議が開催されたこともあり、環境問題に強い関心があった時期でした。
 しかし、僕が大学院を卒業した2005年当時は、世の中で今ほど環境問題が騒がれていない時代でしたから、企業やNPOと行政が考える環境問題のベクトルがどうも合っていないなと感じていました。そのベクトル合わせをする人材がこれから必要になると思い、そのようなNPOを立ち上げようと考えていました。
 その際に、さまざまな環境活動に取り組んでいる方々にインタビューをしていたのですが、その中でMr.Childrenなどのプロデュースをしていた音楽家の小林武史さんに出会いました。小林さんも環境問題に取り組む団体を融資でサポートするap bankを立ち上げたタイミングで、僕は金融機関に勤務しているということで仕事の後に相談を受けていました。こうした活動を続ける中で、ある日銀行を辞めてap bankに来ないかという話になりました。
 いろいろ悩みましたが結果的に銀行を退職した理由は、興味がある世界に足を踏み入れないで後悔するよりも、踏み入れてもし失敗しても、そちらのほうが後悔しないと思ったからです。しかしもっと大きな理由は、僕がこの話を断って、別の人がやることになったら、僕の思いは消えてしまうので、ならば「自分の思いは自分で実現するべきで、自分にしかできないことだな」と思ったからです。
 小林さんたちとap bankで3年ほど一緒に活動し、ある程度の仕組みもできて軌道に乗ってきたところで僕は役割を終えるのですが、ap bankでの最後の仕事がNHKの方々と一緒にap bankの特集番組をつくることでした。そのときのご縁が独立後の最初の仕事となるNHKの大型環境番組と連動したイベントプロデュースにつながりました。NHKのルールで個人とは取引できないとのことで、やむなく(笑)つくったのが、フィールド・デザイン・ネットワークスという会社です。この社名に込めた思いは、環境問題だけに限らず、国内外を問わず社会全体をフィールドに、さまざまな社会課題解決に向けた取り組みをデザインし、いろいろなジャンルの人たちをつないでいきたいということです。

德田 素晴らしいコンセプトですね。そこから今の大学教授のお仕事につながっていくのでしょうか。

見山 そうですね。面白いもので、人が退路を断った後には新しい風が吹いてくるものです。ちょうど僕がap bankを辞めた頃、母校の立教大学がバングラデシュのグラミン銀行と共同研究を始めることになったのですが、グラミン銀行はバングラデシュで雇用創出型のソーシャルビジネスを日本企業と連携してやりたいというニーズを持っていました。しかし、大学側のリソースでは、ビジネスと金融とNPOをつなぐような人材が当時はいませんでしたので、卒業生の僕に白羽の矢が立ったのです。2006年にノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行のことはもちろん知っていましたから、「他にやる人がいないのなら、自分がやるしかないな」と思って引き受けました。そこから大学教員の道が拓けていったというわけです。

德田 先ほどから「他にやる人がいないのなら僕がやるしかない」という言葉が何度も出ていますが、それは前例がないことで非常に難しいことだと感じます。見山さんの中で、やって良かったことと苦労したことはそれぞれどのようなことですか。

見山 やって良かったという点では、導かれるままに自分の世界観が広がっていくという経験ですね。いろいろなお話が僕という人間に来るわけですが、それらは一見ばらばらです。それが僕を通じてつながっていくことを実体験できますし、そのことによって、いろいろな社会課題をつなぐヒントが得られるのはとても良いと思います。
 逆に苦労するのは、おっしゃったように前例がないことなので、やってから気づくことが多いということです。こういうことが起こるだろうという想像とは全く違うことが起きるケースはたくさんあります。ただ、そういう想定外の事態に対応、適応していくしかないわけですから、そういう意味では「変事対応力」や「適応力」が付いたことが今の自分につながっているのかもしれないですね。

德田 変化の激しい世界の中で時代に即した適応力を身に付け、見山ワールドをつくりあげてこられたのですね。
 見山さんのつなげられたネットワークで、印象に残るものをご紹介いただけますか。

見山 どれも僕が何かやったというよりは、僕が誰かと出会って、そこから何か化学反応のようなものが起きて、いろいろなものが生まれてくるというイメージです。
 例えば、先ほどのバングラデシュの話ですが、グラミン銀行は雇用創出型のビジネスをやりたいと考えていたわけですが、たまたまユニクロに立教大学院の修了生の方がいて、その方からユニクロの柳井社長がグラミン銀行との提携に興味があると伺ったことが縁で、バングラデシュでグラミンユニクロの立ち上げをお手伝いしました。この関係で、私が初めてバングラデシュに行ったとき、現地で出会った日本に留学経験のあるバングラデシュ人の方が、日本企業のバングラデシュ進出の支援をやりたいということで、包括的に連携しましょうという話になりました。
 このように、一つのことをきっかけに人とつながって、そこでまた新しいことが起こっていくという流れです。僕一人では絶対できないことでも、そこで出会った人たちと一緒に新しいことができるという経験ですね。
 地方活性化の例では、鳥取県智頭町の事例が面白いです。町の取り組みが、その頃、内閣府で取り組み始めていた「SDGs未来都市」にふさわしいと思い、当時の町長さんにぜひ申請するべきだと進言しました。企画課の課長さんなどと一緒に提案内容を考え、その結果、採択されたのです。これも僕の力ではなくて、もともとあった土地の力と人とのつながりを結びつけて一つの形にしていく作業をご一緒させていただいただけなのです。そのような人との出会いが、結果として自分を大きく成長させてくれるのを毎回実感しますね。

德田 見山さんは、人との出会いを通じて、その人たちの思いをつなぐ、プロデュースしていく力を持っておられるのですね。

「ダブルダイヤモンド」というアプローチ

德田 現在、見山さんが取り組んでいらっしゃる「ヒューマンセンタードデザイン(Human-Centered Design:人間中心設計)」の活動についてお聞かせいただけますか。

見山 ヒューマンセンタードデザインもデザインシンキングの一つですが、僕がいつも授業の設計などで使っているのが「ダブルダイヤモンドモデル」というメソッドです。まず課題だと思うことを発散したのち、収束のプロセスで正しい課題を定義し、その後、解決方法を発散し、解決策へと収束させていくプロセスです。課題を生み出すのも、解決するのも人間ですので、このアプローチを使って、社会課題を考えていくというのが僕のスタイルです。世の中では気候変動への対策が議論されていますが、気候変動対策は手段に過ぎず、最終的な目的はやはり“人間の未来、幸せにつながる”ことだと考えています。

德田 「ダブルダイヤモンドモデル」について、もう少し具体的に教えていただけますか。

見山 例えば環境問題ですと、今の大学生は中高生のとき、授業で環境問題を学んでおり、一定の知識はあるのですが、どうも環境問題とは海洋プラスチックの問題、地球温暖化の問題などと答えがセットになっている、いわゆるステレオタイプな印象を受けます。
 僕の授業では、まず「環境問題だと思うことをたくさん発散してごらん、自分の身近なことから環境問題をいろいろ考えてごらん」と問いかけます。すると、水の問題や廃棄物の問題などいろいろ出てきます。次に「その課題はなぜ生まれると思う」などと議論を進めていくと、人間生活とのつながりが明らかになってきます。自分たちとの関係性が明らかになってから「では何をやればいいですか」と問うと、自分事としていろいろと解決策を考えていくことになる、という進め方です。まず何が課題かということを一つに決めつけずに広げて考えていき、課題を自分たちで定義したのち、同じように解決策をいろいろ出して発散させたのち、収束させていくわけです。解決策を考えることが重要だと思われがちですが、実は正しい課題を設定することのほうがより重要だと思っています。

 それともう一つ。僕は“ゼロイチ”で考えてもらうことが好きなのですが、ある企業からテーマをいただいて、この企業にどういうサービスがあれば学生の満足度を高められるかと問い、学生たちに自分たちが欲しいサービスをたくさん提案してもらいました。いろいろなサービスが出た後に、「じゃあ、企業で実際にそのサービスがあるかどうか確認してごらん」と促すと、学生が考えたようなサービスやビジネスのほぼすべてはその会社ですでにやっているわけです。そうなると学生は「どうしたらいいですか」となる。そこで、「君たちはこの会社のこのサービスがあることは知らなかった。何で?」と問う。そうすると、ターゲットは自分たちなので、なぜそのサービスを自分たちが知らなかったかという理由を挙げていって、「これが課題です」と見つけ出します。ならば「それに対して対案を考えてごらん」と問いかけると、とても良い提案が次々と出てくるのです。
 ですから、ゼロイチで考えること、つまりまずは自分の頭の中でものやことを想像してみるというプロセスが非常に大切です。おそらく経営学などの授業だと、まず企業のサービスを分析することから入るわけですが、そうすると、それを超える発想は出てこないと思います。ゼロベース、ゼロアタマで考えてもらって、現実と突き合わせ、そこで何が課題かということを見つけていくアプローチをしているわけです。

德田 まず欲しいものを考えるニーズ発想から始めて、何が市場にあるかのリサーチ、そしてそれを超えるものを創造的に考えさせるというアプローチですね。それは社会人でも意外とやっていない人が多いですね。

“人”起点のマーケティングを

德田 これから取り組んでいきたい社会課題など、挑戦したい研究テーマがあればお聞かせください。

見山 もともと自分の専門が何かわかっていませんが、いろいろなことをつなぐのが専門とすれば、学際的な領域が専門ということになります。最も居心地がいいのは社会課題を経営学の手法で考えていくということなので、専門は「経営社会学」と説明しています。これまで環境問題や途上国の貧困課題、地方の課題などに取り組んできたのですが、女子大の教員を始めてからは、ジェンダーの問題を自分ごととして捉えられ、強く意識するようになりました。
 もう一つは情報リテラシーの問題です。これは今、とても重要な社会課題になっていますね。生成AIに頼りすぎている世界で、今の人たちはGoogle経由ではなく生成AI経由でものを探したりしています。マーケティングは、本来どうやって人をもっとエモーショナルにするかということで、“人”起点で考えられていたわけですが、今は生成AIが中心になっています。そうなると、人の価値観や感情はどこにいくのだろうという違和感、恐怖を強く感じています。ただし、そういう世界から引き返してくる人もたくさんいると思いますから、そうした人たちと一緒に、生成AI時代だからこその人の感情や情緒を大切にするマーケティングを考えていきたいと思っています。

德田 そうですね。今の学生や若い人たちは、私たち以上にAIと話している時間のほうが長いのかなと感じることが多いですよね。人のマーケティングを知っている我々がどうやって若い人たち、未来の人たちに呼びかけていくかはとても大事なことだと感じました。

見山 コロナ以降、逆にオフライン、ライブなどの価値は上がっています。そういうものを本質的に人は求めていますよね。コスパ、タイパがもてはやされていますが、本質的に人間に必要なことはコスパ、タイパでは測れないものだと思っています。

德田 一方で、AIをうまく使いこなせる人がこれから社会で活躍していくとも言われています。AIをうまく使いながら人としてのマーケティングをやっていく社会を実現していくことも大事だと思います。

見山 生成AIに頼れる部分は頼っても構わないとは思います。ただし、過度には頼らないということでしょうね。

新たな社会課題にネットワーク力で立ち向かう

德田 最後に、マーケティングに携わっている方々に、社会課題に企業はどう向き合うべきかなどについてメッセージをいただけますか。

見山 僕がマーケティングホライズンの編集委員になった十数年前は、SDGsもありませんし、社会課題は経営課題とは別軸にあったような時代でしたね。しかし、マーケティングはもともと経営理念から導き出されていくものだと思いますから、実は社会課題と無縁な経営理念はないのです。その意味で言うと、企業が社会課題に取り組むことは別に新しいことではなくて、企業が原点に立ち返るということです。社会の中でどう存在し続けるかということが、マーケティングでも求められる時代になってきたのだと、僕はすごくポジティブに捉えています。
 一方で、社会課題の捉え方自体がこれからどんどん変わっていくと思います。また、さまざまな社会課題を伝える情報媒体が非常に脆弱になってきていますから、これから社会課題をどう発信していくのかも重要になってきます。さらに、情報そのものの社会課題もあります。生成AIやフェイクニュース、デジタル広告の課題などいろいろあります。これらはまさに情報化社会が生み出した新たな課題です。ますます答えがない時代に入ってきたということを強く感じます。

德田 答えがない時代をこれから生きていく私たちにとって、一人一人が持つべきスキルとはどのようなものでしょう。

見山 やはり多様なネットワークを持つことだと思いますね。僕自身の経験からも言えることですが、例えば環境問題を専門家の視点だけで見ていても見落とすことがあります。そこに、例えば地方の課題や途上国の課題などを組み合わせることによって見えてくるものがあるはずです。課題を一つ一つ別々の軸で捉えるのではなくて、それらをつなげて考えていくと何かしらのヒントが見つかるような気がします。

ですから、いろいろなネットワークをリアル空間で持つことがとても重要だと思います。それは僕の教員としての役割かもしれませんね。それも含めて企業や研究機関の人たちと一緒に考えていきたいと思っているところです。

德田 本日はありがとうございました。

〈インタビュー後記〉

 見山さんのお話を伺いながら、「人と人をつなぎ、前例のない世界に一歩踏み出す力」が社会を動かしていくのだと強く感じました。私自身も、“人”起点の価値づくりへの探究心を持ち続け、見山さんのように、つながりから新しい未来を創る姿勢を大切にしていきたいと思います。

見山 謙一郎みやま・けんいちろう
MARKETING HORIZON 編集委員 
昭和女子大学 人間社会学部現代教養学科 教授

1990年住友銀行(現三井住友銀行)入行。銀行時代は、本店営業部等で企業の経営戦略支援に従事。2005年同行を退職し、アーティストが設立した非営利の金融組織ap bankに合流し、理事をつとめた後、株式会社フィールド・デザイン・ネットワークスを設立し、代表取締役に就任。立教大学大学院ビジネスデザイン研究科特任准教授、専修大学経営学部特任教授等を経て、2024年より昭和女子大学現代教養学科教授。環境省、総務省、林野庁など中央省庁の委員をつとめるほか、(公財)三井住友銀行国際協力財団の評議員など非営利の活動にも従事し、Human-Centered Designのアプローチから様々な社会課題に取り組んでいる。

德田 治子とくだ・はるこ
MARKETING HORIZON 編集委員 
コーン・フェリー・ジャパン プリンシパル

INTAGE、KPMGコンサルティングを経て、エグゼクティブ・サーチ業界へ。マーケティングと人材戦略のかけ橋となるアドバイザーとして、日系大手企業のサクセッション支援やリーダー育成に携わる。株式会社HAL代表取締役として、日本とタイをつなぐウェルビーイング事業も展開中。

INTERVIEW

第7回
現状の閉塞感を打破する、
生命力あふれるマーケティングを

Interviewee

本荘 修二 
MARKETING HORIZON 編集委員 
本荘事務所 代表

Interviewer

中塚 千恵 
MARKETING HORIZON 編集委員 
東京ガス株式会社 リビング戦略部

 長く編集委員を務められた本荘さんは新事業、アントレプレナーシップ分野を専門とされています。今回は、これまでの編集委員の経験からホライズンへの想いを伺うとともに、現在のマーケティングをとりまく課題やマーケターの現状、さらに今後のあるべき姿についてお話しいただきました。

自らの問題意識をテーマ化していた

中塚 本荘さんとは長い間、『マーケティング ホライズン』の編集委員をご一緒させていただきました。

本荘 片平秀貴先生が編集委員長を務めていた時代に声をかけられて、2010年から参加しました。気づけば15年ほどお世話になったことになります。就任した頃は、ちょうどザッポスの翻訳本を出版した時期で、その内容をテーマにした特集を何度か組みました。片平先生からは「とにかく好きなことをやれ」と言われていましたが、実際は特集企画から取材、記事作成を担当する形でしたので、当初はかなり大変でした。数年続けるうちに慣れてきて、会いたい人に会おう、自分の興味をテーマにまとめるなど、自分なりに工夫して進められるようになりました。

中塚 確かに負荷は大きかったですね。今の自分の問題意識をうまくテーマに落とし込んでいくところが特徴でしたね。

ご自身の手掛けられた中で、これはやって良かったというテーマはありますか。

本荘 一番記憶に残っているのは、自動運転などを取り上げた『交通革命、その先』(2018年第8号)や、子育てを取り上げた『子どもドリブン』(2021年第9号)などは、内容として手ごたえを感じています。また、読者の方々はもちろん、知り合いなどさまざまな方から評価が高かった『感動業から見える未来』(2023年第9号)も印象に残っています。

中塚 私は広告業務を担当したことがありますが、「よいCM=企業と生活者の間に共感があること」だと感じていたので、感動業の号は非常に印象に残っています。子育て特集号については、本荘さんのライフステージ(結婚→お子さんを持つ)の変化がもたらしたテーマだとも思っています。

視野の広さと自由さがホライズンらしさ

中塚 ホライズンの編集会議では、“ホライズンらしさ”という言葉がよく使われていました。議論が発散したとき、議論が深まらないときなどさまざまでした。

本荘 出版媒体は編集長個人のカラーがそのまま媒体の色になることがあります。ホライズンも、片平先生やツノダさんの個性が強く反映されていたと思います。
 明確な編集方針が厳密に定まっていたわけではなく、良い意味で幅を持たせた作り方をしていました。その意味では、私自身は“ホライズンらしさ”とは「自由」だと理解していました。

中塚 確かに自由度は高かったですね。だからこそ毎号のテーマを並べてみると、多様性にあふれていると思います。

本荘 自由度が徹底されていたからこそ、今振り返ると、成果物としてはとても意義のあるものになっているのかもしれません。
 私の子育て号にしても、子育てテーマは子育て専門メディアが扱う領域です。しかし、実はマーケティング・メディアこそ向き合うテーマでもある。大企業が見落としがちな視点を掬い上げられたことは、ホライズンならではの功績ともいえます。
 その意味で、広いスタンスで編集されたホライズンは、マーケティングそのものを直接扱うというより、マーケティングの前提として世の中を広く捉えようとする、いわばリベラルアーツに近い性格を持つ媒体だったと考えています。

現在のマーケティングの行き詰まり感と了見の狭さ

中塚 本荘さんとマーケティングとの出会いはどのようなものですか。

本荘 私は理科系出身ですが、大学卒業後、ボストンコンサルティングの東京オフィスに入りマーケティングを実地で仕込まれました。その頃もクライアントから「マーケティングって何ですか」といった質問をされることが多かったですね。その後、アメリカに留学して、ウォートンスクール(MBA)でマーケティングの授業も取り、ボストンコンサルティングとは違うアングルで、より広い意味でのマーケティングを体系的に学びました。ただ、私は新事業、アントレプレナーシップが専門でしたから、マーケティングは一つのピースとして捉えていました。
 ところが、インターネットの台頭によって、私が関わっていた新事業の分野にマーケティングが強く融合し、価値創造の主力として入り込むようになりました。その頃から、大企業のマーケターの視点が狭いと感じる場面が増えました。組織で与えられた範囲だけで業務を進めているため、切り口が限られてしまっているのだと思います。

中塚 今までのご経験から、現在のマーケティングの課題をどう考えますか。

本荘 先ほどのホライズンの良さは、言い換えると、マーケティングに関わる視点を広く持ち、物事を多面的に考える姿勢にありました。それはまさに今の大企業の多くのマーケターに欠けている部分だと思います。実務の現場でマーケターと接していると、上から与えられた範囲だけで動いているのではないかと思う場面が多く、限られた定義の中で業務を進めていることを残念に思います。視点の広がりが十分でなく、扱う切り口が乏しいことが問題だと感じています。

中塚 それはすごく感じますね。先ほど、大企業のマーケティングの視野が狭いという話がありましたが、さらに視野を広げると、今の日本のマーケティングにはどのような問題があるとお考えですか。

本荘 大学でマーケティングを教えている専門家の知見には大きな価値があります。ただ、より広い意味でのマーケティングを考えると、その核心となる部分には十分触れられていないように感じます。実際、さまざまな場で話をしても、マーケティングの本質的な議論が出てこないことがあります。出てきても、内容が薄く、「それでは不十分だ」という話で終わってしまう。日本では、マーケティングそのものの実体が弱くなっているのではないか、それが一因で日本経済そのものが厳しい状況にあるのではないかと不安になります。

 実際、日本の大企業の多くで、マーケティングは存在していないケースが少なくありません。営業目標数値を上げましょうという業績最優先の姿勢が大前提で、そのような狭い数字づくりのための専門家=マーケターが何人かいるといった組織イメージです。片平先生がよく言われるブランドや企業とお客さまとのトラスト、ロイヤリティ、リレーションシップなどが、狭い目標、数値達成というところからは乖離します。

中塚 日本マーケティング協会が昨年「マーケティングの定義」を発表しましたが、その背景の一つに、マーケティングがとても便利な言葉になりつつある反面、実態が曖昧になっている状況があったと聞いています。その定義には“社会”という難しい言葉も入っています。かつての同僚の中には、「わかったようでわからない言葉は使いたくない」という人もいて、定義されたものをどう解釈するかもマーケティングでは大切だと思います。

本荘 残念ながら、上位概念のマーケティングという部分が抜け落ち、下位レイヤーのマーケティングしか実行されていないという状況ですね。
 例えば、AIが発達してきたから今後は英語を勉強しなくていい、という短絡的な話が出てきました。その一方で、企業はより積極的に海外へ向かって動いています。教育での動きと雇う側のニーズとの逆行が始まっているのです。マーケティングもそれと似ていて、狭くてコントロールしやすい領域だけに取り組み、その外にある重要な領域を実は見逃しているように感じます。本来であれば、すぐに成果が見えない場所にこそ長期的な機会があるはずなのに、その視点が抜け落ちている。20年後どうするのかという危機感はありますね。
 さらに言えば、海外に比べて日本の経営者や管理職は、新事業の分野はあまり勉強しない傾向があると感じています。マーケティングでも同様で、自分たちが理解し得る範囲、扱いやすい範囲だけでマーケティングの実務を行っている印象です。つまり、アップデートが十分されていない。今のマーケティングには、やはり、ある種の行き詰まり感が強いように思います。

中塚 そのような上位と下位の階層での乖離はよく聞きますね。

本荘 加えて、AIエージェントがあと10年ほどすればすごく達者になるので、マーケターの業務の半分ほどはAIが担えるようになるのかもしれません。だからこそ、人が担うべき役割は、広い視点で物事を捉え、多様な角度からブランドや会社の未来をつくるというところを強く意識しなければ、これからの企業は将来厳しい状況に置かれるのではないかと考えています。

マーケティングとは統合的なアプローチ

中塚 本荘さんの問題意識はとても共感できます。改めて、マーケティングとは何かと問われたら、どうお答えになりますか。

本荘 シリコンバレーでも著名な技術系マーケターのレジス・マッケンナさんが「Marketing Is Everything」と述べています。これは、マーケティングは特定の部署の仕事として捉えるのではなく、企業活動そのものを支える考え方だという意味です。企業はお客さまの存在によって成り立ち、対価を得て発展していきます。ところが日本では、自社にはマーケティングはありません、マーケティングとは何ですかと言う人もいまだに多い。だからこそ改めて基本に立ち返ることが重要です。私たちの会社は何のために存在し、どのように存続していくのか。その根本を考えることが、マーケティングの出発点だと思います。

中塚 マーケティングでは、生活者志向、顧客志向という言葉が頻繁に使われますが、生活者志向とは一体何だとお考えですか。

本荘 本当の顧客志向とは、自分たちが何をしようとしているかを明確にした上でお客さまを理解することです。それが曖昧なまま進めると、お客さまを意図せず不利な方向に導いてしまうリスクもありますし長期的にはブランドを弱くします。
 いまだに日本の大企業のトップには“顧客の囲い込み”という言葉を使う人が結構います。私が書いた本では顧客の囲い込みなどはもうやめろと言っているのですが、そこには顧客志向と言ったときの哲学が抜け落ちていると感じます。
 顧客志向、顧客視点と言ったときに、自分がお客さまだったらどう思うかという発想が恐ろしいほど忘れられている。自分がお客さまだとしたら、“囲われている”などと言われたら、だれでも反発を感じるはずです。

中塚 先ほどの話ではないですが、AI時代のマーケティングは大きく変化しますか。

本荘 新しい形のウェブマーケティングが出てきた時点で世の中の断絶が起こっています。それは大企業の組織論が問題なのです。
 つまり、ネットメディアが新しく出てきましたから、マーケティングもそれをやらねばと新しい手法を取り入れようとしても、大企業では従来のやり方を変えにくいという慣性が働きます。理屈では必要だとわかっていても、実際には導入が進まないのです。
 さらに、例えば、ブランドごとにホームページを運用していた企業がありました。個別のブランドが良かれと思って自分たちのベストの戦略でウェブマーケティングをやります。結果、全体として統一感がなくなりますよね。お客さまから見れば、会社は一つなのにバラバラに映ります。他社でも同様で、事業部やブランドごとにデータや仕組みが分かれており統合されていません。お客さまには「好き勝手に動いている」と見えてしまうのです。

中塚 なので今度は統合しようとしますよね。

本荘 はい。それで本社が統合的にマーケティングを担おうとしますが、その部署の扱える範囲は限られています。実際に担えるのはIRやCSRなど、主に会社全体の情報発信に関わる部分です。また、大企業の情報システム部門は、各部門の要望に振り回されがちで、カスタマイズが増えてしまう。ウェブマーケティング部門もまだ歴史が浅く、立場が弱い。知識も視野も十分あるのに思うように動けずに忸怩たる思いを抱えながらやっていますね。

中塚 カスタマイズをいかにやめるかというのがITにとっては永遠の課題ですね。

これからのマーケティング:生命力あふれるマーケティングを

中塚 本荘さんは元々、新事業・起業がビジネステーマでしたよね。その視点から、今後のマーケティングの在り方をどうお考えですか。

本荘 新事業で最も難しいのは、内容そのものもさることながら、結局はチームメンバーや応援団をいかにつくるかというところです。起業のタイミングなどもありますが、根本的にはそこが要になります。

中塚 そうなんですね。チームメンバーや応援団をどのようにつくっていくのですか。

本荘 最初からインパクトのある強い企画を思いつける人は滅多にいません。多くの場合は、既にある要素の組み合わせをいろいろと変えながら、新しいコンビネーションを模索していくわけです。この試行錯誤はなかなか大変で、やはりAIでは担えません。新しい事業を動かすには、やはり人間が大事なんです。やる気があり、喧嘩にならず一緒に進められ、途中で離れない人材をチームにどんどん増強していかねばならない、それが一番大変ですよね。同様に、最初は関心が薄いお客さまやパートナーを、頼もしい応援団、支えてくれる存在に変えていくというところもなかなかに大変です。

中塚 その人の持っているパワーや人間力がカギになりますね。

本荘 おっしゃる通りです。結局、生命エネルギーなんですよね。そういう意味で言えば、生命エネルギーのあるマーケターも減っているように感じます。

中塚 とんでもないことを言っているものの、生命エネルギーが強い。人を引きつける人がいますよね。

本荘 辛気臭い飲食店にはお客さまは来ませんが、熱気がある店は繁盛するわけです。そのような、生命力があふれ、明日を担うマーケティングのリーダーや人材を育成するという視点も大切だと思います。

中塚 マーケティングに向いているのは、どのような人材だと思われますか。

本荘 問題点を指摘するだけの人ではなく、未来をつくるという志向のある人は、自分の会社の未来像はこうだ、だからこのように目指そうなど、何らかの提案を出せる人だと思います。
 『フォーブス・ジャパン』の連載で、「感じる力」について書いていたのですが、理屈ばかりの人は批判型になってしまって、新しいこと、未来をつくることの提案はできない。やはり、新しいことを捉え感じる力と未来をつくる姿勢が必要だと思いますね。

中塚 感じる力は大いに重要だと思います。生命力あふれるマーケティングとその人材がベースとなって、まずは世の中を丁寧に読み解くところから始めると、今の了見の狭さは解消できるのではとも思いました。人材の育成もなかなか難しいテーマですが、チャレンジしていかねばならない未来へのテーマだと思います。
 本日はたいへん興味深いお話をありがとうございました。

〈インタビュー後記〉

 「生命力」は人を惹きつける大きなパワーです。マーケティングに活かすためには、世の中、生活者を感じていく力がいる。ホライズンの締めくくりに尊敬する本荘さんとこうした総括ができたことを幸せに思います。

本荘 修二ほんじょう しゅうじ
MARKETING HORIZON 編集委員 
本荘事務所 代表

新事業を中心に、経営コンサルティングを手掛ける。日米アジアの大企業、スタートアップ、投資会社などのアドバイザーや社外役員を務める。Techstars、Endeavor、始動ネクストイノベーター、福岡県他のメンターを務め、起業家育成、エコシステムづくりに取り組む。厚生労働省・医療系ベンチャー振興推進会議座長、日本スタートアップ大賞審査委員。著書に『大企業のウェブはなぜつまらないのか?』『エコシステム・マーケティング』他、訳書に『ザッポス伝説』他、連載に「垣根を越える力」等がある。

中塚 千恵なかつか ちえ
MARKETING HORIZON 編集委員 
東京ガス株式会社 リビング戦略部

リビング戦略部ブランディング推進グループに所属。現在は、BtoC向けのブランディングに取り組む。広報部広告グループの際に、制作・出稿したCMには、社会課題の解決に向けて、東京ガスの想いを込めた「子育てのプレイボール」「母の推し活」がある。その他、同社ではCSR、コンプライアンス、調査研究部門(都市生活研究所)での業務がある。
また、現在、所属する関東学院大学の博士課程では、アイドルやJ-POP などを追いかけてきたことを生かして、超高関与消費のメカニズム解明に取り組んでいる。