神保 哲生 氏
ビデオニュース・ドットコム 代表、ビデオジャーナリスト
本特集号では、今の学生(若者)と企業との認知距離について、メディア領域のシンクタンクの視点(博報堂メディア環境研究所)、企業の視点(楽天グループ)、そして当事者である学生の視点(昭和女子大学人間社会学部現代教養学科見山ゼミ)それぞれからの考察を行いました。今回は、より俯瞰的な視点からの考察を行うため、メディアリテラシーと情報リテラシーの現状と未来について、情報の出し手と受け手との関係性や主観的距離感(認知距離)の変化の視点から、ビデオジャーナリストの神保哲生氏にインタビューを行いました。
ネットのアルゴリズムは、究極のポピュリズム
見山 今の学生の購買行動を分析していると、企業の公式ホームページなど企業から発信される情報にほぼ触れることがない状況です。フィルターバブルの中で、どのようなアルゴリズムで取捨選択された情報なのかが分からないものばかりに触れている状況が非常に心配です。就職活動には一生懸命ですが、ここでも企業の公式情報ではなく、就職サイトなど編集された情報に頼っている学生はかなり多いと思います。
こうした企業情報に限らず、消費者や生活者が公式情報を当てにしないという現象は、マーケティングの世界に限った話ではなく、先日の参議院選挙などでも見られた現象だと思います。候補者や政党の公式情報に触れることなく投票行動をしている人たちはたいへん多かったと思います。
この要因分析としては、公式情報自体に情報発信者の主観的なバイアスがあるということを情報の受け手側が分かっていて、より客観的な情報を求めているということがあると思います。このこと自体は決して悪い話ではありません。しかし、別の見方をすると、SNS等のフィルターバブルの中で、何者かによって意図的に編集された情報に無意識に頼り過ぎており、自分の考えに似た情報や都合のいい情報を選択してしまう傾向がより強くなっているのではないかと思います。さらにこれから先に懸念されることは、生成AIに依存し過ぎる世界はどんな世界になるのだろうということです。
今回、神保さんには情報の出し手の視点からはどのように情報を発信したらいいのかということ、そして、情報の受け手の視点からは何を信用して何を頼りにしたらいいのかということについてお伺いしたいと思っています。今の日本の現象はある意味アメリカのトランプ現象と似ているような気がしますし、似たようなことは世界中で起こっている現象ではないかと思います。
まずは、7月の参議院選挙を振り返って、神保さんなりに「情報」という視点から、どのように投票行動を捉えられたのかについてお伺いしたいと思います。
神保 選挙について言えば、その選挙で何かが変わったというよりも、選挙で選ばれる側の候補者や政党の側がどのように情報を拡散させ、どのような情報を、どのようなチャンネルを使って発信すればそれが有権者に届くのかということが、ようやくある程度分かっている政党が出てきたということだと思います。相変わらず、そういうことがまったく分からない古い体質の政党と、そういうところにある程度長けている政党間で、集票力に大きな差が出たということです。
SNSをいかに使いこなしてより多くの人に見てもらうかというのは、見方によっては単なるポピュリズム競争とも言えますが、とはいえ自分たちの主張を有権者に届ける手段をいかに確保するかは政治の根幹に関わる問題でもあります。しかも、単にSNSの使い方に長けていれば良いというわけではなくて、どのような形で、どのようなタイプの情報を、どれくらいの尺で、どのように切り出せば、それが特にオールドメディアを主たる情報源としない若者に刺さるのかがようやく分かっている政党が出てきたということでもあると思います。
SNSの感受性という意味ではかなり世代的な偏りがあります。若年層は誰もがネットを使っていますが、だからといって彼らのネットリテラシーが必ずしも高いとは限りません。小さい頃から使い慣れているのでツールやデバイスは使いこなしているかもしれませんが、そこでアクセスする情報がどのようなアルゴリズムによって、自分のスマホやタブレットの画面に出てくるのかを理解できているユーザーは決して多くはないと思います。テレビや新聞のオールドメディアとTikTokやInstagram、YouTubeなどのいわゆるSNSとの最大の違いは、双方向性があるということです。そして、そこでいう双方向性とは、単に受け手もコメントなどで議論に参加できるというだけでなく、例えば自分が何かに1回「いいね」をクリックしてしまえば、その後はそのコンテンツと共通性がある情報やそれに関連した情報が自然と上位に表示されるようになるようにアルゴリズムが設定されているという意味での双方向性です。自分はたまたまプッシュされてきた情報を楽しんでいるだけのつもりでも、そこには自分が意識できていない別の意図が働いているということです。
特に政治に関連したコンテンツの場合、「いいね」やお気に入りに指定したコンテンツの中にある政治的メッセージと共通性を持つコンテンツばかりが優先的に表示されるようになるため、軽い気持ちで「いいね」をしただけでも、無意識のうちにコテコテに凝り固まったイデオローグになってしまう危険性があります。
SNSを使いこなすためには、単にその遊び方を知っているだけでは不十分で、その背後にあるアルゴリズムを最低限、理解している必要があるように思います。それがないと、先ほど見山さんがおっしゃったエコーチェンバー、つまりあっという間にタコツボの中に閉じ込められた状態になってしまい、自分で意識しないうちに特定の商品を買わされたり、特定の思想に洗脳されたりするような状況に陥ります。自分は見たいものを見ているだけだと思っているので、その偏りに自覚的になるのは容易ではありません。

見山 アルゴリズムの特性は、感覚的に想像できるものと、まったくできないものが混在していますね。
神保 この話は、昨今大人気の生成AIにも関わってくることですが、特定のバイアスを持った人たちがある意図を持ってアルゴリズムをコントロールしているわけではなく、ネットの特性やネット上のアルゴリズムの特性ゆえに起きていることなので、誰も意識しないまま社会におかしな偏りが生じることになります。
見山 アルゴリズムを誰かにコントロールされるのは困りますが、誰もコントロールしていないことは対応のしようがなく、本当にSFの世界で怖いですね。
神保 誰かがコントロールしていれば、そのコントロールのからくりやコントロールしている人物なり団体なりの素性を誰かが批判したり告発したりすることで問題に気づくことができます。しかし、誰もコントロールしていない場合は、ユーザー側がその特性に気づいて防御策を取るしかありません。そのアルゴリズムというのは、基本的にはアクセス量(=アクセス数×視聴時間)をいかにして延ばすかだけのために設定されていますから、テレビの視聴率競争よりもはるかに質の悪い視聴率競争が勝手に行われているということになります。一言で言えば、究極のポピュリズムです。テレビでは衛星放送を入れても数十チャンネルしかないのですが、ネット上には何万でも何億でも、とにかく無限にサイトがあり無限にコンテンツが存在します。それらのコンテンツが勝手に20秒ほどでくるくる変わっていくのを一方的に見せられるわけですが、それが一見ランダムに見えて、実は必ずしもランダムではないわけです。
よく言われる「刺さる」情報、つまり面白くて心を揺さぶられるようなタイプの情報というのは、基本的に人間の喜怒哀楽に訴える情報です。人の喜怒哀楽に訴えるのは、インターネットが登場する遥か以前からメディアの基本中の基本であり、ポピュリズムの基本中の基本でもあります。その図式はまったく変わっていませんが、その舞台となるデバイスやツールが変わったために、今までとは違った、より見えにくい形でポピュリズムが蔓延しているということだと思います。
見山 情報の発信側(出し手側)も受け手側も、このアルゴリズム自体を理解していないのは同じですが、7月の参院選を見る限り、より理解していないのは受け手側である有権者のほうで、情報を出す側はバズらせるために論点を単純化するなどいろいろと試しやすかったのではないかということですね。結果的にアルゴリズムをうまく使ったのは発信者側だということになりますか。

神保 発信者側にもSNSをうまく使いこなせた人とできなかった人が混在していますが、結果的に多くの人がポピュリズムに踊らされたことは間違いなかったと思います。今回の選挙ではSNSの特性を理解しそれをうまく活用できた政党と、ほとんどそれができていなかった政党に両極化された感がありましたが、それ自体はそれほど難しいものではないので、早晩全ての政党がそのノウハウを学習し、SNSは政治的メッセージが行き交う主戦場になってくるのではないかと思います。今回は取りあえず刺さるメッセージが出せれば、実際はかなりトンデモな陰謀論だったり、他の主張との間に整合性が取れていなかったりしていてもある程度の票が取れましたが、受け手の側もその点では少しずつ目が肥えてくるでしょうから、次の選挙や次の次の選挙でSNS上の政治宣伝がどう変わってくるかを現時点で正確に予想するのは難しいと思います。
共同体とジャーナリズムの崩壊による情報の直撃~AI時代の情報リテラシー
神保 ポピュリズムの問題を理解する上で、もう一つ、重要な論点があります。それは情報の受け手側にとっての重要な問題として、ベースとなる「共同体」というものが日本からほぼ完全に空洞化してしまったということです。マスメディアの影響は直接一般に及ぶのではなく、ある特定の社会集団や共同体の中で、考えや行動に影響を与えるオピニオンリーダーにまず情報が届き、そこから一般に広がっていくという、「コミュニケーションの二段階の流れモデル」というものが、情報が社会に広がっていく際のパターンとしてこれまで広く理解されていました。しかし、日本では核家族化が進み、さらに新自由主義的な政策によって経済格差が広がったことで、いわゆる中間層が崩壊してしまったために、今は多くの人がどこの共同体にも属さない状態に置かれています。かつては地域共同体だったり会社共同体だったり、あるいは家族だったり、ほとんどの人が何らかの中間集団に所属し、その中で情報や価値観が共有されていました。ところが共同体が空洞化し、この二段階構造が崩れてしまった。しかも、SNSというものは、ほとんどの人が一人で見ているものです。そうなると、発信者側、つまりプロが発した情報に一般の人々、つまり素人が直撃される構図ができあがっています。
一人でSNSを見ていれば、仮に整合性が取れていない情報が流れていても、それを指摘してくれる人はいません。今、自分が聞いた主張のどこがおかしいか、なぜそれが他の主張と矛盾するのかなどを誰も指摘してくれません。しかも、友だち同士で政治の話をする人は敬遠されるし、そもそもそのような真面目な話をすること自体が“痛い”扱いになってしまっています。人が独りぼっちで繰り返し同じような情報に触れ、しかも周囲にはそれを正してくれる人がいないわけですから、下手をすると自分が何かに影響されているとか、どこかに誘導されているという感覚さえ持てないまま、自身の考えが変わっていってしまうわけです。それは選挙での投票行動だけでなく、例えば購買行動などにも当てはまります。もともと大して欲しかったわけでもない商品の宣伝を繰り返し見せられ、自分が好きな著名人から「それを使ってみたらとても良かった」などという話を何度も何度も聞かせられれば、だんだんその商品が欲しくなってくるのも無理はありません。
見山 情報の直撃や情報のパーソナル化によって、重たい重要な話ほど、他人と共有しないということは確かにありそうですね。
神保 もともと共同体というものが存在していることを前提にマスメディアが発達していったのですが、いつの間にかお茶の間というものがなくなり、テレビは自分の部屋で見るものに変わっていった。それでも、マスメディアはチャンネルの数が限られていたので、極端な主張などは流れてきにくかったのですが、今やマスメディアは崩壊の淵にあり、一般市民、特に若年層は一人一人が自分の情報世界に閉じこもって情報の直撃を受けている。にもかかわらず、一般市民に対するリテラシー教育も行われていませんし、免疫も備わっていない。この状態がしばらく続き、当分の間、社会がポピュリズムに踊らされて大変痛い目に遭うのか、どこかで市民社会が覚醒しリテラシーが追いついてくるのか。今はあまり楽観視できる状態ではありませんが、その影響はこれからよりはっきりしてくるでしょう。
と言うのも、発信する側のツールが劇的に進歩しているからです。生成AI的なものがさらに進歩を遂げると、「刺さる情報の出し方」などもAIが考えてくれるようになるでしょう。技術は日進月歩ですが、人や社会全体のリテラシーや問題意識は、とてもそのペースにはついていけません。緩衝材としての共同体もない、個々人はバリアーも何もない状態で情報の直撃を受ける中、受け手側のリテラシーはまったく追い付けなくなっている。これでは市民社会がポピュリズムに翻弄されるのは無理もありません。
見山 今、若者の購買行動を見ていると、自分以外の他者からの客観的な情報をかなり当てにしている印象を受けます。最終的には主観的判断にはなりますが、主観的な判断をする材料として客観的な情報を求めるというのが今の若者の傾向としてとても強い印象を受けます。ただし、客観的だと思っている情報に、先程のアルゴリズムの話もそうですが、実はポピュリズムを含めた、何らかのバイアスが掛かっているとすると、気がつかないうちに主観が直撃的に影響を受ける可能性がありますね。主観と客観のバランスや境界線がどんどん曖昧になっていくような危うさを感じます。
神保 共同体の崩壊と並んで、もう一つ崩壊したものがジャーナリズムです。ジャーナリズムと言うととても堅苦しく感じますが、真に受けていいと多くの人が思える、メディア学的に言うとオーソリティー(権威)のある情報源というものが完全に崩壊してしまいました。これは、特に既存のメディアの責任ですが、既存のメディアがあまりにもコマーシャリズムに与してしまったために、今やマスメディア上ではニュースとエンターテインメントの境界線が分からなくなっています。経営的に苦しくなったメディア側が売り上げを上げるためにコマーシャリズムに頼った結果、ジャーナリズムへの信頼の源泉だった中立性や客観性、公共性というものを完全に失ってしまいました。
見山 このことがジャーナリズムの真骨頂である選挙報道でも如実に現れたということですね。
神保 選挙報道で、全政党の党首が並んで議論をするような場をつくる力はマスメディアにしかないわけですから、そういう場があれば一応その放送を見る人はいますが、それ以外の個別の選挙報道はもう誰も信用していないと思います。特に若者世代にとってマスコミ=マスゴミ扱いが完全にデフォルトになっています。これまでマスメディアが曲がりなりにも社会の中で果たしてきた公共性や信頼性を担保する役割が完全に機能不全に陥った結果、そこに取って代わる形で、非常に問題の多い直撃性のSNSが出現した形です。一人の人間が情報にアクセスできる時間は一日の生活の中で限られているわけですから、マスメディアにアクセスしていた時間を、スマホを見ることに傾けるようになって、その傾向は日々加速しています。
マスメディアというのは、本来はジャーナリズム、つまり信用して良いと思われる情報源だったはずです。なので、例えば企業が発信した情報も、マスメディアはそれをそのまま垂れ流すのではなく、例えば公共性があり信頼性が確認された部分だけを抽出して報じるとか、企業の発信情報に対して反論や異議があればそれもしっかり伝えることが期待されていました。そのような公共的、かつ中立的な情報発信を繰り返すことによってのみ、メディアの信頼性は高まります。しかし、昨今のマスメディアにはまったくそれが期待できなくなってしまいました。
ニュース番組であっても自社がスポンサーをしているスポーツイベントなどは長々と時間を割いて報じるのが当たり前になっているし、お笑いタレントや俳優をニュース番組のキャスターやコメンテーターに起用するのも当たり前になっています。そして、かつてはタブーだったはずのニュースキャスターのCM出演も、今やそれを見ない日はないほど常態化しています。
これはタレントが悪いのでもなければCMが悪いわけでもありません。ただ、様々な利害関係の中にいるタレントや俳優が、人の生死に関わる問題を扱う「ニュース」の担い手になれば、当然そのニュースは中立性を失います。実際に失うかどうかは別にしても、見る側からすればそういう意味になります。それはキャスターがCMに出る場合も同じです。
こと中立性という意味では、今やマスメディアの信頼性は完全に地に堕ちてしまいました。ニュースキャスターが一昔前の感覚で正義の味方的な発言をすると、単に「こいつ何を勘違いしてるんだ」と言われるばかりか、「どういう利害関係があってあんなこと言っているんだろう?」と疑われる始末です。一度失った信頼を取り戻すのは容易なことではありません。
見山 普段、ネット情報のほうに多く触れている若者は、ネットとマスメディアの情報の温度差のようなものを感覚的に感じていますからね。
神保 詳しい構造は分かっていなくても、若い人たちの感性では、マスメディアは信用できないものなんだということを、かなりはっきりと分かっている人たちと、それを薄々感じている人と、それなりの濃淡はあるでしょうが、「真に受ける対象ではない」ということはかなり感覚的に分かっているように思います。問題はマスメディアに代わって自分がSNSなどから直接入手した情報も、マスメディアと同じくらいか、それ以上に危うい情報であることが、必ずしも認識されていないように思います。
繰り返しになりますが、ネットの情報が中立的とは言えないのは、アルゴリズムの仕組みがそもそも受け手からは分からないようになっていることに起因しています。皆さん「ChatGPT」のことをチャッピーなどと呼んで、気軽に使っていますが、恐らくGPTの意味は考えたことはないでしょう。GPTとは、Generative Pre-trained Transformerの略で、つまり、生成されて事前に学習させた情報をもっともらしい文章に変換(トランスフォーム)させたものと言っているわけです。変換器なのですから何かを変換しているわけで、その何かとは何なのか。それをわかって利用している人がどれくらいいるのか。
見山 確かに、変換器と考えると、変換された情報そのものの捉え方を自分たち自身でよく考えることが重要であるということに気づけますね。
神保 結局それは、日本語以外のサイトも含め、インターネット上のほぼ無限に近い情報源から一番もっともらしいもの、つまり最もポピュラーなものを集め、それをもっともらしい文章にして出力しているわけです。しかし、それこそが究極のポピュリズムなわけです。今までは、自分でGoogle検索をして、頑張っても上位のページ、最初の2~3ページあたりまでしか見ないけれど、それも基本的にはポピュリズムだったわけです。しかし、AIはGoogle検索で最初の2ページどころか最初の1,000ページの中から関連情報を集め、それをもっともらしい、いかにも人間味があって、それなりに洗練された日本語にして出力してくる。結局、これも以前よりも分かりづらい形でポピュリズムが体現されています。
見山 ポピュリズムがAIによって助長されるという視点は興味深いですね。むしろ不安で怖い感じすらしますね。
神保 結局そういう中にあって、検索してもなかなか出てこないような、実はとても重要な情報はたくさんあります。当然、ChatGPTに対してカスタマイズされた検索や問い合わせもできます。例えば、「この〇〇に対してはxxが一般的に広く受けいれられている言説となっているが、それに対してどのような批判やそれを否定する主張があるか」とか、「○○についての歴史認識における批判的な言説があれば教えてください」と言うと、人間の目が届かないようなGoogleの40ページ目あたりに初めて出てくるような情報でもちゃんと紹介してくれます。検索エンジンで上位に表示されるサイトから取ってきた情報をこなれた文章にまとめて提示してくれるのが生成AIです。結局のところ、もっともらしい文章にまとめてくれるようになった分だけ、多くの人にその内容を鵜呑みに、つまり真に受けてもらいやすくなっているのだと思います。
見山 そういう意味では、今、情報の価値が時間やコスト的なものを含めてものすごく下がっていますね。それこそ、「ファクト」ということすら危うい時代になってきています。
神保 そうですね。実際のファクトがどうであれ、現実的には世の中のほとんどの人がそれをファクトだと信じ込んでいる情報を信じることに、ほとんどリスクがないと考えていることが問題です。どれだけ多くの人が信じていようが、あるいは信じていなかろうが、ファクトはファクトだしフェイクはフェイクですから。
「オルタナティブファクト」の世界とどう向き合うか
見山 世界的にも同様の問題は起こっていますよね。今、神保さんが知る限り、世界で起こっている、今後の日本を暗示するような状況はあるのでしょうか。
神保 日本の外でもいわゆる「オルタナティブファクト」(客観的な事実とは異なる、もう一つの事実や主張のこと)なるものが猛威を奮っています。中でも、特にひどいのがアメリカです。アメリカでは大統領自らがその旗振り役をやってしまっているために、何が真実で何がフェイクかを識別することが難しい状況が生じています。
ヨーロッパでも、多くの国で明らかにファクトに対して不誠実な態度を取っている勢力が支持を広げています。ヨーロッパもアメリカも似たり寄ったりの状況ですが、アメリカがひどいのは大統領までが明らかなフェイクニュースを平気で言うようになってしまっていることです。完全に「オルタナティブファクト」の世界を、アメリカ人は毎日のように見せられています。トランプ政権が発足してからまだ7~8か月しか経っていないのに、アメリカの状況はがらりと変わってしまいました。
見山 まだ1年も経っていないとは信じられませんね。毎日そんな情報に触れていると、耐性が付くというか、感覚が麻痺してきますね。。
神保 確かにそうですね。トランプ大統領の任期は4年ありますから、このような状況がどこまでエスカレートするのかは、今のところ何とも言えません。
ただ、忘れてはならないことは、トランプ大統領というのはアメリカで圧倒的な支持を受けて当選したわけでもないし、今も決して高い支持率を維持しているわけではないということです。にもかかわらず、自分がまるで独裁者であるかのように振る舞っているわけですから、いずれこれは必ずバックラッシュ(反発、反動)を生むことになると思います。
トランプを勝利に導いたのは、大きく分けて福音派と呼ばれる人たちと、かつては労働組合からの手厚いサポートで民主党が心のよりどころだった人の中で、クリントン政権以降、民主党政権から見捨てられたと感じているMAGA(Make America Great Again)の人々です。
この二つのグループは、前者は宗教的な理由で、後者は自分たちを見捨てたエスタブリッシュメントに対するルサンチマン(社会の中で既得権益を持つ上流階層の人々に対する、恨み、ねたみ、憎しみの感情)が理由で、オルタナティブの世界に生きることを選んだ人たちです。
ただ、上記の2グループだけでは恐らくトランプは、大統領選挙で勝てなかったでしょう。そこには3番目の、現実的な利害関係からトランプを支持している人たちの存在があります。トランプに多くの問題があることは重々承知しているが、それでもひ弱なバイデンやハリスによる民主党政権よりもトランプの方が政策実現能力は高いだろうと期待した人たちです。
そして、政策実行力に期待してトランプを支持した人たちが、今、次々とトランプ支持から離れていっています。大幅な政府の人員削減をすると言っていたが、重要な官庁の人員をどんどん切っている割には、それほど人員整理によるコストカットは進んでいません。トランプ関税の影響はまだ十分に顕在化していませんが、アメリカにとってはほとんどメリットがない可能性が指摘されています。また、内国歳入庁(IRS)、つまり税務署の職員を大幅に削減したため、タックスリターン(アメリカの確定申告)の処理が大幅に遅れています。保健省の職員を大量に解雇した結果、地方では、はしかが広まっていても対応ができずワクチンの接種も遅れるなど、国民生活が次第に大きな影響を受け始めています。結局、思ったほど実行力がなかったと感じている人が日一日と増えています。ですから、民主党が2028年に、ある程度まともな候補を出してくれば、トランプ政権にもトランピズムにも未来はありません。では、トランプ後に、トランプがこれだけ食い散らかした「オルタナティブファクト」のような世界が、一気に修正されるのかと言うと、それもそう簡単にはいかないと思います。
見山 こうした情報も、断片的に、感情的に切り取って見ていても全体像は掴めませんね。背景や前提が曖昧な情報が、今、とても多いということを神保さんのお話を伺って思いました。
神保 一つのニュースにつき最長でも20秒が限界ということになると、新聞記事でいえば、見出しと最初のパラグラフぐらいまでしか伝えることができません。これでは本当に重要なことが伝わるわけがないのです。