コロナ禍もようやく峠を越した反面、世界情勢は急速に不安定化、円高、増税、生活を直撃する値上げラッシュなど、これからの社会・生活への漠とした不安が拡がっている。このような状況に対応し、より良き未来像を描きうるマーケティングの役割や新たな定義について議論した。
高石 今回は、昨年新しく本協会の理事長に就任いただいた恩藏先生をお迎えしております。まずは、恩藏理事長とマーケティングとの出会いなどをお聞きするところから始めたいと思います。
恩藏 私は、早稲田大学商学部で1年生の時、今で言うマーケティングである商業学Aを学びました。さらに、3年生になって、マーケティングの原田俊夫先生のゼミに入りました。きっかけは、マーケティングはいろいろやれる、守備範囲が広いから今後も広がる、との周りからのアドバイスだったのですが、原田ゼミでの学びがその後の人生を大きく左右することになりました。就職活動をせず大学院修士課程へと進学したところ、当時、修士号を有していても希望する企業への就職は難しかった。自然の流れで大学院博士課程へと進み、それから、助手、専任講師、助教授というコースをたどりました。
その過程で、専攻分野も少しずつ変わっていきました。最初の修士・博士の数年間は、マーチャンダイジングの分野に取り組みました。特に、その中でも製品開発系(ものづくり系)の研究をしていました。その後、在外研究の機会をいただき、当時注目されていたブランド論に接しました。ノースカロライナ大学チャペルヒル校では、ケビン・ケラー先生の授業にも出ることができ、ブランドに対する意識が非常に高まったと思います。
その後、営業の研究にも携わりました。当時の営業というのは極めて属人的で、そこに科学のメスが入るようになってきた時期でした。日本的な営業がどのように運営されているか、何がキーワードなのかということを取材ベースでまとめました。これが結構面白い。見えてきたのは、「KKD(勘と経験と度胸)や「KKK(勘と経験と根性)」などといった前時代的な営業スタイルだったのです。
ところが、ちょうど私が研究対象としてきた頃から、営業にはマーケティングマインドが必要だ、お客様の求めている本質を理解しなければダメだ、というように変化し始めていた。たとえば、ソリューション営業や顧客満足型営業、心情訴求型営業といったワードが次々に登場してきました。ある保険大手会社の営業担当幹部は「営業とは愛だ」と言い切っていました。たとえば、専門用語や知識をひけらかさず、わかりやすい言葉で話す、約束ごとは必ず守る、といった配慮・尊敬・誠意などを大切にするのが愛に基づいた営業スタイルだというのです。
藤重 「愛」というのは面白い言葉ですね。それは、おそらく全体的な、人間としての満足感でしょうね。個別の満足ではなく、人間としての満足感を指していると思います。
藤重 貞慶
公益社団法人
日本マーケティング協会
会長
ライオン株式会社
特別顧問
恩藏 直人
公益社団法人
日本マーケティング協会
理事長
高石 一朝
公益社団法人
日本マーケティング協会
専務理事
マーケティングの現在地=「木を見て森を見ず」
藤重 恩藏先生のご経歴は、マーケティングの本質にどんどん近づいてきているように感じて興味深いですね。一方で、現在のマーケティングの状況についてはどのように捉えておられますか。
恩藏 私が以前関わっていたマーケティングと現在のマーケティングとでは、マーケティングという言葉は同じなんですが、実態は全然違います。
特に感じるのは、今のマーケティングは非常に細分化されていて、とても細かいトピックに対して研究がなされているという点です。本当に消費者のちょっとした微細な変化に対して、何らかの変数がどう影響しているかといった、そのような研究が非常に多いです。
例えば、五感に訴えるといった研究では、以前は、ゆっくりしたBGMを流すと店舗内での購買行動がゆっくりになる、あるいは、クラシック音楽を流すと高級ワインが売れるといった直球的な研究が多かったのですが、今は、音楽のピッチが高い・低いでどのような消費行動の違いをもたらすのか、ショッピングモールの通路とお店の中で聴く音楽の違いがどのように消費行動に影響するのかとか、かなりひねった研究が多くなっています。
藤重 恩藏先生のお話をお聞きしていますと、それは細かいというか、全体感をなくしたマーケティングといった感じがしますね。昔はマーケット全体が一つでしたが、マーケットセグメンテーションという言葉が出てきて、今度はマーケットフラグメンテーションとなってきた。今はさらに断片化してきて、さらに微細なピースとしての研究をしているように思えますね。その結果、個々の研究から得られる精緻なデータなり結果は得られるかもしれませんけれども、それが全体としての顧客あるいはソーシャルニーズに対してどういう大きなインパクトがあるのかという視点がとても希薄になってきているように感じます。
恩藏 同感です。ただし違う見方をしますと、それだけ学問が進歩して、さまざまな細かなところに目が行くようになってきたとも言えるかもしれません。
藤重 例えば、医学でも同じようなことが言えると思うんです。すべて何々科と分かれてしまっていて、1個の人間なのに人間全体を見ていない。何々科の症状というのは、実はこちらのほうで起きていることが真の原因で、こちらで起きていることがあちらに影響して、最終的にはこうなっているという構図が見えない。こっちだけやっても対症療法的で何の解決にもならないといったことと同じです。
やはり、現在のマーケティングでもっとも大事なことの一つは、全体を見るということですね。
高石 細かいテーマのほうが、結果がはっきりわかるからということなんでしょうか。
恩藏 それもありますね。逆に細かくしないと、もう皆が知っている研究結果になる、過去に誰かが取り組んでいる。新しい研究をめざすと、どうしても細かくなってしまうんでしょうね。
全体を俯瞰するマーケティングへ
恩藏 最近では、スマートフォンに絡んだ研究が一気に進みました。ECが普及してくれば、ECに関連する研究がさらに進むことになるんでしょうね。
藤重 そうですね。まさに今、カンブリア爆発がデジタルという技術を使って起きようとしていると感じます。地球の歴史になりますが、およそ5億4000万年前にカンブリア爆発という時期がありました。それまでの時代と全く不連続にいろいろな生物が出現してきた時期です。生物が生きるに適した環境になってきたことに加え、生物に目ができてきた。目からの膨大な情報量が得られることによって、自分が生き残るためにはどうすべきかということがわかるようになったんです。これで急速にいろいろな生物が進化して、世の中はがらっと変わったわけです。
現在は、インターネットをはじめとしたデジタル技術の進展によって、人間の能力をはるかに超えた情報量が高速で処理できるようになってきています。これは、まさにカンブリア爆発期の「目」の代わりなんでしょう。デジタル技術の発展がいろいろなビジネスチャンスを生んでいくと思います。
そのような世界で、マーケティングの研究がますます断片的、瞬間的になって翻弄されるのではないかと危惧しています。そういうときに大事なのは、やはり全体感を持つということでしょうね。1個の人間として、あるいは一つの集団としてどういうことが幸せなのか。人間の心と体はアナログですから、目や耳や鼻といった五感が喜ぶことが人間としての幸せであって、そういったものをトータルで提供できるマーケティングがとても重要だと思います。
恩藏 おっしゃる通りだと思います。全体感とまでは言えませんが、大きな消費の動向を捉えた2つの研究を紹介します。一つは「ミステリアス・コンサンプション(消費)」。これまでの常識は、不確実性はできるだけ低いほうが消費者は意思決定しやすい、できるだけ情報を提供して明確化したほうがいいとしていました。それが一部否定されている。不確実性の高いほうを消費者は選択するという研究です。日本の福袋をイメージしてみてください。最近では、航空会社などが行先を告げずにミステリアスな場所に連れていくというツアーをやっていますね。現実的なビジネスの中でも、ミステリアス的な消費が受けているわけです。
もう1つは「リキッド・コンサンプション」。自動車は我々が若い頃には絶対欲しかったモノですが、今の若者の多くは所有したいと言わない。バッグでもレコードでも、かつては物質的な豊かさを追い求めていました。今は、そのようなマテリアリズム(物質主義)が明らかに低下していて、バリュー・イン・ユース(使用価値)のほうが高くなっています。今日のマーケティングでは、それをリキッド消費と呼んで、固定的な物質所有を重視するソリッド消費と区別しています。
これらの研究は、先ほどお話に出た細分化されたマーケティングとは一線を画す、消費の大きなトレンドを議論するような研究なのではないかと思います。
人間の幸せとは何か、を問う共感・共助
藤重 モノの豊かさが幸せだった時代から、心の豊かさが幸せともっとも関係が高い時代になったわけです。心の豊かさとは、将来に対する不安が少ないということだと思います。心の満足とは将来の欲求を満足させることだろうと。一般生活者も、現在の欲求を満足させるよりも将来の不安をなくすという方向で、より消費する傾向にあるように感じますね。
たとえば、最近の大きな潮流の一つとして、「フューチャーソリューション」という考え方があります。50年後の自分を想定して現在の問題を解決しましょうと。現実的には、自分が投資したものは自分のときにリターンしてもらいたいというのが人間としての当たり前の心情ですが、そうなると、永遠に問題は解決されないわけです。これは実際の話ですが、ある町の町長が、ここの水道は50年後にはどんどん水道管が古くなって取替えになるなどの事態を考えると、今、水道料を値上げしておいたほうがいいと説明したら、住民のほとんどが値上げに賛成したといいます。
マーケティングの世界でも、おそらく10年後、20年後のレンジでは現在置かれている問題は解決できないけれども、50年後のことを想定したあなたの幸せな状況とは?では、そのために今何をすればいいかといった提案ができれば、かなり変わってくるのかと思います。
高石 未来のことを考えて、自分に直接リターンがなくてもいいとするわけですね。アジアマーケティングフォーラムでも、メタバースやChatGPTが普及した後に世の中がどう変わるのかが大きなテーマの一つになっていました。また、インドネシアのヘルマワン・カルタジャヤさんも、マーケティングのゴールは心の安定や精神的な充足感をいかに人に与えるかだとおっしゃっていました。
藤重 もう一つ思うのが、今がいろいろと不寛容な時代であるがゆえに、共感というのはとても大事です。共感だけではなくて、それを助け合いという共助のほうに持っていくことが社会の機能としても重要で、それが社会を構成しているわけです。人間一人の幸せは、もちろん大事だけれどもすべてではない。おそらく、社会全体を構成している一人ひとりの人間の関係性が安定している、信用できる、あるいは将来に対してもっといいことがありそうだという期待がある、そういったことが非常に大事になってくると思います。
高石 今、JMAで社会課題解決のための研究会をやっています。社会課題を解決することを企業でどうマネタイズすべきかというテーマなのですが、農業に取り組み始めた企業や老人向けの宅配サービスを手掛ける企業など、社会課題にきちんと向き合っている姿をアピールしたいという企業が増えてきてます。最近では、本業に関わる領域しかやらないということではなく、本業と離れたところでも社会的解決になるのならお手伝いしたいという企業も出てきています。
今年の広告電通賞の授賞式でも、かなりの受賞者が社会課題を解決するという視点でコメントされていました。広告の役割もそちらの方向へと変わってきていて、社会そのものも変えていく姿勢を打ち出し始めちますね。
新たなマーケティング定義を提案する
恩藏 ちょうど今、JMAでは、マーケティングの新たな定義を検討しているところです。今日の話に出てきたいくつかのキーワードも参考にさせていただくつもりです。
やはり、価値という視点がとても大事で、それは顧客の価値もあるし、社会の価値もある。それらの価値を生み出していく、お客さまに届ける、そのような視点はぜひ新定義に盛り込んでいきたいです。
もちろん、世界にはAMA(アメリカ・マーケティング協会)の立派な定義があります。私たちJMAがつくろうとしている定義には、日本的な部分、日本のビジネスの実態を反映した側面を織り込みたいと思っています。
藤重 そうですね。たとえば、今問題になっている欧米やアラブの問題は宗教の対立ですね。これは、二元的というか、白か黒、1か0といったまさにデジタルな構図です。しかし、もっと東洋的な考え方で捉えると、正解はその間にある。1でもないし0でもない、その真ん中でもなくて、その間にあるという考え方です。さまざまな問題を解決するにあたって、それがこれからとても大事になってくるように思いますね。
アメリカ的な価値観ではなく、日本的な価値観、普遍的な価値観、共感ということかもしれませんが、人間としての幸せを運ぶのがマーケティングの本質的な役割だと思います。人と社会が信頼しあえる制度設計が行われ、それに基づいた施策が行われることが重要だと思います。
恩藏 今回の検討の過程で、過去のAMAの定義を見返してみました。その変遷を見ると、マーケティングそのものが確実に進化してきているのを実感しました。単に物を交換するエクスチェンジの概念から、お客さまの満足提供に変わり、直近ではバリュー(価値)をどう生み出していくかといった視点に変わってきています。ですから、将来的には、世の中の幸福(ハピネス)をどうつくり上げていくかといった視点へと進化していく可能性がありますね。
年明けにはJMAとして新定義を発表しますので、期待していただきたいと思います。