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新津 重幸 氏
高千穂大学 名誉教授
内田 剛 氏
一般社団法人日本プロモーショナル・マーケティング協会 専務理事
北村 裕一 氏
日経広告研究所 フェロー
進行:中島 聡 氏
公益社団法人日本アドバタイザーズ協会 専務理事
デジタル広告やSNSの拡大、それらに伴う生活者の価値観変化に伴い、現在、さまざまなコミュニケーション上の問題が浮上している。本座談会では、日本のコミュニケーション構造の問題から店頭コミュニケーションの動向にいたるさまざまな領域での課題について、その現状と解決の方向性などを含め、学術・経営・実務に深い知見をお持ちのご三方にお話をうかがいました。
中島 現在、さまざまな分野でコミュニケーションという点が大きな問題になっています。一例として、ポストトゥルース、フィルターバブル、エコーチェンバーなどで指摘されていますが、情報の発信元と情報の受け手との間に一定のバグが生じていて正しい情報がなかなか伝わらないといったことです。
まずは新津先生から、日本のコミュニケーション構造の課題についてお考えをお聞かせください。
新津 一番大きな問題は、デジタル広告のウエイト、伸び率が非常に高いということでしょう。ということは、一方通行の媒体を使って一方通行構造のコミュニケーションになっているという点です。
デジタル広告やSNSからの発信コンテンツは、実際に真実を見ていくということではなく、ずっと閉じられた中で伝播していくフィルターバブル的な構造ですから、何が真実かどうかもわかりにくいわけです。おまけに、コンテンツを受ける側の消費者、生活者側は「あなた方が自分でうそかどうかを判断しなさい」と言われる。そんな馬鹿な話はないと思うのですが、今のところ現状はそのような状況です。
それから、実際にコミュニケーション構造の中で言いますと、購買自体のコミュニケーションのあり方というのも問題を抱えています。店頭における“選択”も大変多様化してきています。店頭だけでなく、SNSからの購買やダイレクト購入といった手段もありますから、消費者自身がコミュニケーションの流れの中で何を信じていいのかわからなくなっています。店頭では実際に自分で目にして、手に取って購入できますが、デジタル内でモノを購入する際には真実がわかりにくいのです。ですから、そこのところでいろいろな犯罪的な問題が起きているわけです。このように、購買自体の構造についても大きなギャップが出てきていることが問題だと思います。
中島 北村フェローはいかがでしょう。
北村 今までの広告とインターネット広告の何が一番違ってきたのかを考えますと、みんなで同じものを見る広告から、どんどん個別化が進んでいる点です。つまり、広告ではなく、“個告”になっているわけです。個告をどう捉えるかを社会全体で認識を深めていく必要があると思っています。さらにそこでは、情報が発信元から受信者に行く間に“パブリック”というプロセスが欠落するのです。先日、日本アドバタイザーズ協会で発表された「広告の定義」でも、「広告は公共性の一端を担うものである」と宣言されています。やはり、情報が伝わるプロセスの中で“公”という意識がないと公共性、公益性は担えないということだと思います。
中島 次に、特にプロモーション分野に造詣の深い内田専務理事から、日本のコミュニケーションの課題についてお話しいただけますか。
内田 コミュニケーションという点で捉えますと、2020年のコロナ禍が大きな転換点になったと考えています。当時、ワクチンに対して反対、賛成の人たちが極端に分かれてしまって、反対する人には反対するのに都合の良い情報ばかり目に入るようになっていってしまいました。
今のデジタル広告にしても、自分が信じるところ、正しいと思うことに対して、それを助長する情報ばかりが集まってくる状況です。そうすると、その情報が間違っていることを疑わないという事態も起きてしまいます。それもコロナ禍のときだったと思いますが、その傾向はさらに進んできていると感じます。ですから、デジタルが進化していく中で、その問題をどうしていくかが重要になっていくと思います。
中島 例えば、LINEなどを見ますと、1人の人間がいろいろなグループに所属していて、そのグループごとに違った個性を演じるといった動きを感じますが、そのような点はどう思われますか。
北村 これも一種の個告の問題だと思います。人によって情報が伝わってくるルートが違うわけです。広告で言えばまさにターゲティング広告です。一人一人に最適な情報を届けるというのは素晴らしいことだと思いますが、一方で、LINEグループなど似通った人たちだけが集まる小さな社会集団の中では、どんどん考え方や受け取る情報が似かよってきてしまいます。これがフィルターバブルやエコーチェンバーと言われる問題です。
しかも、グループ同士の交流もないわけですから、次第に分断を生んでくることになります。広告・マーケティングも個別最適化という方向に進んできたわけですが、やはり“全体最適”という視点をもう一度思い出す必要があるのではないかと思っています。
中島 分断という点では、今の国際経済や政治の部分でも分断がより一層進んでいるように感じます。コミュニケーションにおける分断について、新津先生はいかがお考えですか。
新津 結局、全体最適という概念がある面ではなくなってきているのでしょう。しかも、人間の属性として、フィルターバブル、エコーチェンバーの言葉のように、自分の好みや感性に合った仲間や情報だけを心地よいコミュニケーションツールにしたがります。SNSですと、クリックすれば全部自分の都合のいいものだけを見ていけます。
分断がなぜ起こるかと言うと、個々の心地いい内容がそれぞれ多様化して違ってくることに起因します。また、大きなトレンドの方向に行く人間と行かない人間とで分断をします。それは世代階層的に出てきますし、ライフスタイル的にも出てきますから、さまざまな場面で分断は当然起こり得ます。
政治の面でも、韓国やアメリカも完璧な分断状態になっていると思います。ただし、日本ではまだ多様性が維持し得るところにあるとは思います。
中島 最近の若者の間では“タイパ”という言葉がよく使われているようです。内田専務理事、プロモーション、店頭といった点からタイパについて、どのようにお考えですか。
内田 今の若者たちはタイパを非常に重視しているのは間違いないでしょう。例えば、SNSのお付き合いで済むものは、取りあえずの顔をしておけばいいやとどんどん参加していきます。しかしそれは、本音の付き合いをしているわけではないわけです。そうしているほうがタイパ的にいいということで、本当に自分が大事なところだけはリアルな付き合いをするというふうに変わってきています。一つ一つでリアルな付き合いをしていると非常に大変な労力と時間を使うことになりますから、デジタル上の付き合いはタイパ重視で済ませておこう、本音の付き合いだけはリアルにしようといった使い分けが見受けられます。
中島 タイパ志向のほうが自分にとって摩擦が生じにくい、そちらのほうが楽だということなのでしょうね。そのあたりを経営者の立場で見た場合に、どのように考えられますか。
内田 タイパには良い面と悪い面と両方あるかもしれません。例えば、経営という立場で言いますと、2つの意味で残業はしてほしくないのです。1つは人件費を上げたくない、もう1つは、効率よく仕事をして空いた時間でいろいろなものをインプットしてほしいという面があります。タイパ重視でもそこに質が伴えば問題ないと思う反面、深いコミュニケーションがタイパ志向で取れるかという点では、まだ非常に難しいのではないかと感じています。
やはりリアルなコミュニケーション、対面でのコミュニケーションが深まっていくことで、組織に属する共感線や組織に対する愛着が育つわけで、タイパ重視だけではなかなか深まっていかないところもあると思いますので、良い面、悪い面、両方あるように感じています。
中島 タイパを考えたとき、組織の運営はどうあるべきなのか、また、組織のリーダーとしてはどうあるべきなのでしょう。
北村 1つ言えることは、タイパはある種の価値観で物事を判断していることは間違いないと思います。ただ単に右のものを左に持っていくということでやり過ごしているわけではないでしょう。組織のリーダーは、そこをいかに見抜くか、逆に若い人たちから学び取るか、この姿勢がないとコミュニケーションは成立し得ないと思います。
もう1点は、我々昭和世代の価値観をいかにうまく令和型に変えられるかということです。どうしても我々と若者たちとは価値観が違いますから、そこを我々側が社会環境をもう少ししっかり認識し直すことが必要だと思います。
あともう1つ、最後には言いたいことをはっきり言うことです。一方的に言うのではなくて、リーズン・ホワイで言う必要があると思います。私たちはなぜこういう価値観を持ったのかという背景を説明してあげることは、結構大変ですが必要なことだと思います。
中島 最近の学生さんのありようはどうなのでしょう。
新津 私は1980年からずっと教員をやってきましたが、少なくとも90年代はある1つの方向性を示唆するということは若者には通じたと思います。2000年になると、1つの方向性に向けて指示をしづらい時代になってきました。なぜかと言うと、全体最適はほとんど通用しなくなってきて、この方向でやるぞと言ったところで、「はい」と返事はするけれど、どの程度浸透しているかは不明です。
組織で言えば、経営者がそう言えば「はい」とは答えます。結局、自分の生活感と人生観とを比較して、どちらが重要かという問題の価値意識がまったく変わってきています。つまり、今現在、滅私奉公的なふるまいを期待してもまったく無理というわけです。
中島 コミュニケーションの面からも組織マネジメントが非常に難しいということなのですが、最近は非常に転職される方も増えているようです。例えば、雇用とコミュニケーションという点ではいかがでしょう。
北村 海外企業では、企業理念を大事にしたり、何のために仕事をしているのかというパーパスを大事にしたりするのは、基本的には流動化した雇用環境の中で何のために働くのかということを経営側が指し示すという機能が大きいように思います。例えば、消費財企業であれば、そこで働いているということとその会社の商品の消費者であるという側面も全部含めて、どういう会社であるかということを説明するコミュニケーションがパーパスだと思えることが非常に多いですね。
日本の企業はそこのところは今まで暗黙知で済んできたのでしょうが、例えば、人的資本の重要性は資本市場からも指摘されていますし、常にアップデートしていかなくてはいけないものになっています。そのパーパス的なものに共鳴したからこそその会社に入るということですから、そのパーパスに共鳴したという共通点の下で語り合えるような環境をつくっていくことが大切だと思います。
中島 具体的にコミュニケーションが最終的に購買に直結するのは店頭です。特に最近ではさまざまなプロモーションメディアも登場しています。皆さんは、店頭コミュニケーションについてはどのように捉えられていますか。
内田 店頭だけでなく購買時点の広告=リテールメディアがたいへん注目されてきています。先日発行された『情報メディア白書2025』では、リテールメディアは2027年に9,000億規模に達するということです。購買するときにどのようなメッセージを伝えるかによってモノを買う、買わないという行動が大きく影響を受けるわけですから、店頭を含めた購買時点のメディアでのメッセージの伝え方、コミュニケーションのあり方というのはますます重要になってくると思います。
新津 モノを購買するという行為は“交換する”ということです。ですから、交換に影響を与えるためにはそのモノの価値をより効果的に伝えなければなりません。そのためには、そのモノへの信頼を得る必要があります。それはモノを一度経験してもらって信頼を得るのか、広告の効果で信頼を得るのか、いろいろでしょう。
製品と商品は違うという考え方があります。買われないものは商品と言わない、陳列されているものは製品そのものだということです。英語では、プロダクトとコモディティと言い換えています。その意味で言えば、販促というのは、プロダクトをコモディティに変える作用です。
最近では、店頭での販促技術はほとんど希薄になりつつあります。90年代から以降は低成長が続きましたから、とにかく店頭でモノの価値をどう伝えるかに必死でした。生活者目線で作成されるPOPも盛んに使われていました。
ところが今はどうでしょう。すべて価格主体に変わってきつつあります。店頭技術は停滞したままでまったく進化していません。改善の工夫にすらメーカーも広告代理店も取り組まない時代です。今後は、店頭でどう製品を商品にするのかという価値の伝達をもっと工夫して、画像なのか、文字なのか、SNSなのか、さまざまな複合な形で価値を伝えていく動きを強化していかないといけないと思います。
北村 私はスーパーに行くのが趣味なので、3軒ほどははしごをするのですが、やはり好きな店とは、ほかにないものを置いてある場所です。要するに、店頭は買い場であると同時に、手にとって実際の商品を見たり、知識を得たりできる場でもあります。一方で、生活者は24時間デジタルにつながっていますから、常時接続をしている生活者を前提とした店舗とはどういうものなのかと考えるわけです。デジタルと店頭がシームレスにつながることによって、もっとワクワクできないだろうかといつも考えています。
デジタルという点では、スマホの利用時間はますます伸び続けています。これは、ニュースメディアとして使っているわけではなくて、生活そのものがスマホの上で行われていると言ってもいいでしょう。そこにどうやって店頭の情報を伝えるか、それ以前にまず来店をしてもらい、ここに来れば何か新しいことが知れるという発見をしてもらう形に持っていき、生活者とのつながりを強められればいいと思います。
中島 この点について、内田専務理事はいかがでしょうか。
内田 メーカーも広告代理店も、もっと頑張らなければいけないでしょう。最近は環境保護の問題もありますから少し及び腰になっているのかもしれません。POPについても環境配慮のことを考えるとなかなか簡単には店頭には付けてくれないようです。とはいえ、コミュニケーションを取るために店頭をどう作るか、どう情報を流していくのかを、もっとメーカーも広告会社も流通も議論していかなければならないと思います。
新津 90年代以降、売り場、買い場という原則でずっと店頭販売技術や販促スキルを向上させようとしてきたわけですが、どうもそれが限界点に来ていると感じます。店はお客さんが来るのを待っているだけでいいのか、ならば店が外に打って出るとはどういうことなのかという問題にもなります。
現在は、地域の中にコミュニティがしっかりとできあがっていない部分が多いと思います。例えば、高齢者の介護の問題や育児など働くお母さんのソリューションのために、店舗という空間を望んでいる人たちをコミュニティ化していく、サポートしていくことも考えられます。スーパーが子ども食堂をやっても構わないわけです。むしろ小売業そのものがそちらの方向に構造的に転換をしていくべきだと思います。さらに今回の米の問題では、コンビニに備蓄米が並んだということが一番大きなインパクトになりました。つまり、コンビニは生活と非常に近い括りの中に存在しているので、すぐそばのコミュニティに直結しやすい空間です。
小売業が単に売り場、買い場という概念から抜け出し、地域のコミュニティの形成に参画していくという構造的な考え方をしなくてはいけない時代が来ていると思います。
中島 デジタルと店頭のシームレスという視点と同時に、店舗のみが人を介在させうるという点も重要かと思います。デジタルには介在できません。最終的にはやはりヒューマンパワーなのではと思えて仕方ないのですが、今一度、人のコミュニケーション力、人の温かみこそが大事なのではないかと思っています。
北村 人という意味では、昨年あたりから、いろいろな消費財メーカーが全体のクリエイティブの方向を、機能訴求は前提としながら情緒訴求のほうへ舵を切り始めました。カンヌライオンズでも昨年から、パーパスといった大きな善的なものの追求から、ユーモアという概念や人と人とのコミュニケーションの温かみを広告がもう一度思い出そうという動きが出て、世界的な潮流として進んでいます。
人間にとって脳の報酬系がもっとも動かすのは“利他”らしいです。利他が一番人間にとって本来的に喜びを感じ得ると言うのです。利他の精神を呼び起こすコミュニケーションを広告としても考えていくという方向性も考えるべきでしょう。
中島 本日は貴重なお話をいただきました。ありがとうございました。
*お顔写真とプロフィールはWebからの仮置きです
新津 重幸(にいつ しげゆき)氏
高千穂大学 名誉教授
1970年早稲田大学商学部卒業。1972年同大学大学院商学研究科修士課程修了。同年株式会社読売広告社マーケティング部を経て、1980年高千穂商科大学(現高千穂大学)専任講師に着任。1990年より同大学教授。現在、高千穂大学理事・同大学院教授。(広告論・マーケティング論)。社団法人新日本スーパーマーケット協会・客員教授。
*お名前ふりがな、お顔写真とプロフィールをお願いします
内田 剛(うちだ ●)氏
一般社団法人日本プロモーショナル・マーケティング協会 専務理事
プロフィール
*お顔写真はWebからの仮置きです
北村 裕一(きたむら ゆういち)氏
日経広告研究所 フェロー
1985年日本経済新聞社入社。広告営業としてIT、食品・医薬等幅広い業種を担当。 日経ヨーロッパ社フランクフルト支社駐在、経営企画室、デジタルビジネス局を経て、 広告審査協会、プレミアムプラットフォームジャパンへ出向。2020年4月より現職。
中島 聡(なかじま さとし)氏
公益社団法人日本アドバタイザーズ協会 専務理事
飯島 直己 氏
公益社団法人 日本アドバタイザーズ協会 事務局
松風 里栄子 氏
サッポロホールディングス株式会社 常務取締役、
株式会社センシングアジア 代表取締役
見山 謙一郎 氏
昭和女子大学 人間社会学部現代教養学科 教授、
株式会社フィールド・デザイン・ネットワークス 代表取締役 CEO
中塚 千恵 氏
東京ガス株式会社 広報部
進行:中島 聡聡 氏
公益社団法人 日本アドバタイザーズ協会 専務理事
*皆さんの表示順をご指示ください。末尾プロフィールも同様
このたび、日本アドバタイザーズ協会では「広告の定義」を策定しました。本座談会では、策定プロジェクトにかかわっていただいた3氏にお集まりいただき、定義に盛り込みたかった点や定義の今日的意義について、また、広告が直面する課題や今後のあるべき姿などについてもうかがいたいと思います。
2025年4月23日
(前段略)
われわれ日本アドバタイザーズ協会は、広告企画・制作・流通の起点に位置し、公益性の一端を担うアドバタイザーの団体として、ここに広告を定義し、さらに今後の広告の望ましい姿とわれわれが果たすべき役割について宣言いたします。
日本アドバタイザーズ協会は広告および広告活動を次のように定義する。
アドバタイザーは企画・制作・表示などの役割を担う事業者と協力しながら、必要な費用を投じて、有形無形の要素から成るメッセージを作り上げるとともに、生活者に向けてメディア上で発信し、その意識や行動に働きかける。(内容)
そして、広告活動はアドバタイザーの経営戦略・事業戦略の一環として、自らの価値提案をすることで生活者に便益をもたらすために行われる。(目的)
すなわち広告とは、以上のような内容と目的を特徴とする、情報の送り手と受け手の双方にとって有益なコミュニケーション活動およびその成果物のことである。
われわれアドバタイザーは、広告が公益性の一端を担うものであることをここに確認する。
それゆえ、広告は、表現においては創造的でありながら健全かつ信頼に足るものであり、制作・発信においては生産的でありながら適正かつ透明なものであるべきと考える。
そして、この理念のもと、すべての人々の人権を尊重し、広告を取り巻く環境がより良く、より豊かになっていくよう努める。
以上のことに鑑み、われわれアドバタイザーは、広告によって生じる影響や効果を通じて生活者との間に好ましい循環を生み出し、社会と文化の持続的発展に貢献するものとする。
中島 今回、日本アドバタイザーズ協会は「広告の定義」を新たに定めました。まず、定義の策定に至った背景に関して中心的な役割を果たした同協会の飯島さんからお話をいただけますか。
飯島 この「広告の定義」プロジェクトのそもそもの背景として、昨今の広告をめぐる状況からして、広告のイメージが悪くなってきていることがあります。また、広告の存在感がかなり無くなってしまっていることもそうです。そのような状況下で、あらためて広告主の団体として、広告とはどのようなものであるか、その輪郭をはっきりさせるとともに、今後、さまざまな社会やテクノロジーの変化の中で広告とはどのようなものであるべきなのか、この二段構えで一旦定義をしておきたかったというのが今回の趣旨です。
中島 飯島さんのお話は大きな意味での背景だと思います。若干私から補足させていただきます。
一般的に広告とは、マーケティングのコミュニケーション戦略の中核だと思いますが、どちらかと言いますと、事業戦略の一環として捉えられている部分が多々あります。もちろん当然、事業戦略の一環ではありますが、広告は企業のブランド戦略の根幹、企業の経営戦略の根幹といった面もありますので、今一度、広告というもの位置づけをもう一段高いステージに上げていきたいと思いました。
また、本来は夢を与えるもの、人を幸せにするものが広告ですが、現時点では広告は嫌われ者、厄介なもの、信用できないものといったイメージで捉えられています。そのような状況を冷静に捉え、客観的な形で新たな広告像をつくっていきたいと考えたわけです。
それでは、今回のプロジェクトに関わっていただきました皆さんから、広告の定義にどのようなことを盛り込みたかったのか、また、現在の広告に対する課題やあるべき姿などをおうかがいしたいと思います。
まず、松風さんからお願いできますか。
松風 今回は、非常におもしろい機会を頂戴したと思っています。広告の定義の過程の中で、まず、どういう目線で発信するのかを皆さんで話し合いました。マーケティング・コミュニケーションの切り口も誰目線で定義をするのかによって変わってきます。ここはやはり、アドバタイザーズ協会ですから広告主が主体の目線で考えるという点を初期の段階でクリアにできたのはとても良かったと思っています。
定義に盛り込みたかったこととしては、従来型の広告からいろいろな手段が生まれるなど激変していく環境の中で、広告の存在意義とは何なのかという点を見直していくことでした。また、広告のクレディビリティ(信頼、信憑性)やフェイク・コミュニケーションが多い中での広告主の責任などもクローズアップされるといいなと思って参加させていただきました。
中島 見山先生はいかがですか。
見山 飯島さんや中島さんのお話しのように、学生にとっても広告はどうしても邪魔になるので、広告を飛ばしてしまう、消す、別のことをやるなど、ほぼほぼ広告に触れたがらないという傾向が見られます。私どもの時代では、広告が社会のブームや雰囲気、文化などをつくってきたという印象が強いですから、単なる商品やサービスのアピールということではなく、何となく社会全体をつくるという重要な役割を果たしていたと思います。ですので、もう1回、広告とは何だったのだろうという原点に立ち返る必要があると感じました。
また、テクノロジーの進化は人間の生活を豊かにしていく一方で、それを悪用する人たちもいるという面での課題とも向き合いながら、定義の中に今後の可能性についてもしっかり触れていきたいと考えていました。
中島 では、中塚さんからもお願いします。
中塚 今回のプロジェクトの大きな意義は、アドバタイザー自身がつくっている点だと思っています。SNS時代であっても大きな影響力を持つ広告主自身が広告の定義をどうしようかときちんと考える機会になっているという点がすごく大切だと感じています。ですので、さまざまな視点から多くの方々と細かな議論ができたことをうれしく感じています。
中島 今回、見山先生には学術と実業の双方の視点からご参加いただいたのですが、特に学術関係の方々との活発な議論があったのではないですか。
見山 そうですね。とても参考になる意見をたくさんいただきました。先行研究の分析や他の広告の定義などいろいろとお伝えいただきましたし、視点の違いをすごく意識をすることができました。
今回は立ち位置という点が重要でした。定義を策定するときも、主語を何に置くかを慎重に考えました。アドバタイザーズ協会と広告主という2つの主語を変えることによって視点が変わるわけです。さらに、アドバタイザーズ協会がつくるということの意義をよく考えるきっかけをいただけたと思います。
中島 その点、中塚さんはいかがです。。
中塚 マーケティングの研究者の方々は、社会の状況をすごく反映したことをやっておられ、時には先を行くことすらあると感じていましたので、貴重かつさまざまな立場での意見が交錯したところが非常に良かったと思っています。また、広告の意義を考えるにあたって、きちんと歴史を踏まえたものになっている点は重要だったと思っています。
中島 巷間よく言われていますが、ブランド戦略の1丁目1番地は実は人事、人なんだと。最近はBtoB企業の広告もどんどん増えてきていますが、その狙いは会社の認知と同時に優秀な人材リクルーティングの意味合いも大きいと聞きます。まさに、ブランド戦略の1丁目1番地は人事、人ということであれば、広告はブランド戦略の1丁目1番地と言えるわけです。
この点、現業の立場から中塚さん、いかがですか。
中塚 ブランド戦略については、ブランドの如何によって人が集まってくるかどうかも決まってきますので、リクルートの季節にはすごく多くなることを見ても、BtoB企業が非常に力を入れていることはわかります。ブランドというものをどう考えるか、どう見せるかによって、人事だけではなく、いろいろなことが決まると思いますので、経営課題の1つに置くべきものだと思っています。
中島 見山先生はどのように思われますか。
見山 以前は企業のイメージは、その商品からすぐに想起できました。商品から企業をイメージすることができましたから、結果として商品のイメージが企業ブランドをつくっていくという流れがあったと思います。しかし今、そもそも商品の広告を今の学生たちは目にする機会がかなり少ないので、「この商品はどこの会社?」と聞いても「どこだ?」といった反応が実は多いのです。
今は、企業の価値観などを広くイメージとして伝えることによって、そこから興味を持って、その会社の製品にたどり着くといった感じで、順番が変わってきているのではないでしょうか。そのような変化が、広告の役割や企業における広告の位置づけを少しずつ変わってきていると感じています。
中島 松風さんはいかがですか。
松風 企業広告は、以前はリクルーティング・ツールの1つであると位置づけられていましたが、最近は確かに変化してきています。企業が社会と向き合う中で、社会や資本市場にどう企業の考えていることを伝えていくのかなど、リクルーティングの他にもさまざまな企業広告の役割があります。究極的には、さまざまな市場に企業の考えを伝えることによって企業がやろうとしている企業価値向上策をよりわかりやすく伝えるという方向に企業広告が働くといい、働くべきだと思っています。
すなわち企業広告は、企業の資本のアロケーション(配分)の考え方であり、社会的価値の向上や人的価値の向上、企業価値の向上といった点に結びついていくという大きい役割を持っていると思っています。
中島 今、「資本のアロケーション」というお話がありましたが、まさにコミュニケーションや広告を1つの資本と捉えた場合に、これから先どのようなアロケーションが行われていくのか、また、今回の定義がそこに対してどのような働きをするのかという点は興味深いですね。
この点について、見山先生はいかがお考えですか。
見山 先ほども話に出ましたが、広告が商品をPRしたり、サービスを伝えたりという手段としての役割から、次第に事業戦略、経営戦略といった上位概念につながっていくという傾向は間違いありません。それはすなわち、マーケティング自身が経営戦略にどう直結していくかということですし、広告が社会課題とどう向き合っていくかにも関連づけられる部分だと思います。
従いまして、広告の社会的な役割や企業の中における役割は、これからどんどん重くなってくると思います。そして、社会に与える影響度合いも次第に変わっていくでしょう。広告が変わる、企業戦略が変わる、さらにはより本質的な課題に取り組んでいるといったメッセージが発信されることによって、結果として社会が変わっていくきっかけをつくるくらいの力は企業にあると思います。そのような方向に変わっていくことを期待しているところです。
中島 松風さんはいかがですか。
松風 投資のアロケーションという点で言うと、さまざまな企業でオーガニック成長というところにかじを切り直していると感じています。世界の企業においても、オーガニック成長をどうしていくかというウエイトがとても増えてきています。オーガニック成長の議論は、自社の今ある商材、事業、サービスに関するマーケティング投資をどう強化していくのか、広告投資をどう強化していくのかという点に直結すると思っています。
中島 オーガニック成長へのシフトといった流れはこれから先の重要なファクターであるという意味合いを、今回の定義に提示できているようにも思います。
松風 そうだと感じます。やはり経営の資本アロケーションの1つの大きな手段としてオーガニック成長の重要性が再注目をされていますから、その流れの中で、企業がどう市場やお客さまに向き合っていくのかという部分の再定義をさせていただいたのかなと思っています。
中島 それでは、中塚さんにお願いします。
中塚 一企業の広告担当者として考えますと、やはり広告の価値をどう表現していくのかは非常に難しくなっていると思っています。今回の定義は、広告に携わっている人たちの味方になっているように感じていて、広告の価値について、一広告担当者では言えないところを代弁してくれていると頼もしく思っています。
中島 今回の策定に当たっては、さまざまなアプローチをしました。例えば、日本語、英語、ドイツ語、フランス語における広告の語義や背景などをリサーチし、広告の目的を絞り込んでいきました。その点に関して、飯島さんから説明していただきます。
飯島 今回、広告の定義を行う上で、広告という言葉やその基になった外来語ではどのような語源的な意味があるのかを一旦調べてみて、それを定義の出発点としようとしていました。
まず、我々が普段使っている「広告」の基は、「廣ク告グ」ということで、アドバタイジング、アドバタイズメントの翻訳として明治5年から使用されていたという説があります(図1)。
その基になった英語(advertise、advertisement)は、ラテン語の接頭語ad(to)とvertere(回す)という言葉から作られています。要するに、指し示されているポイントを見てくださいということで、人々の注目を集める、キュリアス(好奇心)にするという意味合いがあるようです(図2)。
次に、フランス語では、la publicitéと言うのですが、これは英語で言うpublicです。ラテン語のpublicus(人民の、公共の、みんなの)から来ています。要するに、公に関わるものであるということでしょう(図3)。
さらに、近代日本にとって大きな意味があったドイツ語です。die Werbungと言いますが、これは基になったwerbenという動詞が「宣伝をする」「売り込む」、さらには何「かを得ようとして努める」といった言葉のようです。すなわち、ある獲得すべき目的があって、それに向けて進んでいく、努力していくというような意味合いが入っているようです(図4)。
以上のように、「広告」の意味合いとしては、まずは日本語の広告のように広くかつ人々の関心を引きつけるもので、その上で公のもので、そして、獲得目標に向かっていく動き、こういったものが広告の語義であることを確認して、そこから議論を開始したという流れになりました。
*頂戴したPPT図版を加工しています。
中島 飯島さん、ありがとうございます。
今の説明を聞いていてあらためて思うのですが、広告は公益性を持たなくてはいけないという考え方は、フランス語の語源から来ているのかもしれませんね。
その点、松風さんはどのようにお考えでしょうか。
松風 定義の議論の中でも、公益性をどう捉えるのかという議論がありました。最終的には、情報の出し手、受け手、双方のベネフィットにつながるような活動というところに落ち着いたと思います。
その意味では、広く告げるだけではなく、その結果として、どういうベネフィットが出し手、受け手にあるのかという議論ができたのは非常に有意義だったと思っています。ドイツの広告の定義はおそらく情報の出し手が得たい果実を得るという意味合いが強いと思いますが、もちろんそれもあるけれども、やはり情報の受け手が社会であれば社会、消費者であれば消費者にとってもベネフィットがある、そういう公益性についての議論ができたと考えています。
中島 見山先生はいかがですか。
見山 やはりこれまでは、1方向性の広告が強かったと感じます。あまり双方向性という面はマス広告の場合は前提としていなかったです。
それに対して、今はSNS等の浸透によって、受信者が発信者になるという形がどんどん起こっていますし、企業広告のフィードバックがすぐ消費者から戻ってきますからタイムラグがなくなってきています。私は、やはり双方向であったり、広告の関係性が循環したりというところをすごく意識していました。
広告の定義の第二文の最後に、「われわれアドバタイザーは、広告によって生じる影響や効果を通じて生活者との間に好ましい循環を生み出し」と「循環」という言葉が入っていいます。これは以前の定義と大きく変化したポイントだと思います。
中島 中塚さんからお願いします。
中塚 私も、「循環」という考えは大切だと感じました。広告を出す側は「獲得」をメインにする場合が多いと思うのですが、その場合も必ず「お客さま視点に立って受け手のことを考えなさい」と言われます。しかし、お客さま視点というワードは、ある意味思考停止ワードです。さまざまなお客さま視点が登場してしまって収束しないのです。お客さまのためになっていないと言われたら、もう何も言えなくなるわけです。そういう意味で、広告にとって見る人の視点とは何なのだろうかと考えさせられる部分が定義の対象になったことは素晴らしいと思っています。
中島 それでは最後に、皆さんから広告の定義策定に当たっての思いを一言ずつお願いします。
まず、見山先生からお願いできますか。
見山 広告の公益性も非常に重要なポイントですが、定義の第二文の最後に「社会と文化の持続的発展に貢献する」という文言を入れました点にも注目していただきたいです。この一文が入ったことで、現在の広告の課題を踏まえながら、未来に向けて一緒に走らそうという力強いメッセージ、宣言になっています。これは非常に良かったと思います。
中島 中塚さんはいかがです。
中塚 今回の広告の定義が、何よりも広まっていくこと、使われていくことが大切だと思っています。この考え方に沿って行動していくことが、広告主にとっても非常に幸せになることです。ただ、やはり一企業で考えるとすごく難しいです。社会という言葉を使わず、もう少しかみ砕いていかないと、その行動が難しくなっている感じもしますので、もっとブラッシュアップされていくことが必要だと感じています。
中島 松風さんからお願いします。
*定義中に「対価を伴う」という意味合いが見当たらないのですが
松風 この定義の中では、公益性、共益性、対価を伴うという、経済活動の中での企業としての重要な存在意義が明確にできたと思います。今は対価を伴わないコミュニケーション手段もたくさんあるわけですが、きちんと経済活動の中で新しい経済をつくっていくという意味合いを含めた定義にできたことは有意義でした。
中島 今回の広告の定義がさらなる議論を呼び、発展することを祈っておりますし、引き続き、皆さんのお力をお借りできればと思います。
本日は長時間、どうもありがとうございました。
飯島 直己(いいじま なおみ)氏
公益社団法人 日本アドバタイザーズ協会 事務局
*プロフィールをお願いします
松風 里栄子(しょうふう りえこ)氏
サッポロホールディングス株式会社 常務取締役
株式会社センシングアジア 代表取締役
見山 謙一郎(みやま けんいちろう)氏
昭和女子大学 人間社会学部現代教養学科 教授
株式会社フィールド・デザイン・ネットワークス 代表取締役 CEO
中塚 千恵(なかつか ちえ)氏
東京ガス株式会社 広報部
中島 聡(なかじま さとし)氏
公益社団法人日本アドバタイザーズ協会 専務理事
近年のChatGPTをはじめとする生成AIの急速な普及に伴い、AIを “使う” ことは誰にでも可能な時代になった。だが、それを“使える状態にする”ための基盤づくりには、依然として高い専門性が求められる。そんな生成AIを裏から支えるGPUクラスタ基盤の構築と実運用に焦点を当てた実務書が本書である。
書名にある「13のポイント」とは、第2章で紹介される実践的な指針であり、GPUクラスタ構築を検討するうえでの必須項目が網羅されている。本書で何度も触れられる「GPUクラスタの構築は“総合格闘技”である」というたとえのとおり、さまざまなスキルが必要とされることが示され、構築後の持続的な運用に関するヒントやノウハウについても言及している。
また第3章では、GPUクラスタを用いた、ビジュアライゼーションとして、NTTPCの「VDIクラウド for デジタルツイン」に結実する、NVIDIAの「Omniverse」の構築ポイントやVDI技術に関する知見について、第4章では著者2名による対談にて、技術のみにとどまらない「フルスタックエンジニアリング」の重要性が語られている。ここでいうフルスタックエンジニアリングとは、エンジニア、プロジェクトマネージャー、セールスなどのスキルを備え、過程をきちんと計画できる総合的な力をもった人材、能力のこと
2人は「高性能なGPUクラスタを作っただけでは意味がない。それを業務の中で『当たり前に使える』ようにするには、どれほどの配慮と調整が必要か」と語る。そのために、いかにフルスタックエンジニアリングが重要性であるのか、現場のリアルな意見が展開されている点も印象深い。
生成AIの社会実装を「研究開発」から「事業化」へとシフトさせる際に問われるのが、「社会インフラとしての設計力」である。多くの企業がクラウドや大規模計算リソースを導入しながらも、その先の持続的な運用・拡張・可視化に苦戦している現状に、本書は大きな示唆を与えるだろう。
AI時代に不可欠な“GPUクラスタ”技術をどのようにビジネスに展開していくかに関心を持つ人に、ぜひ手に取ってほしい。
Recommended by 植草 健次郎
エヌ・ティ・ティ出版株式会社