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佐藤 達郎 氏
多摩美術大学 教授(広告論 / マーケティング論 / メディア論)、学長補佐
日本広報学会 理事長
世界最大規模の広告とコミュニケーションの祭典「カンヌライオンズ」の動向を長年にわたり研究/取材されている多摩美大の佐藤達郎先生に、最近のクリエイティビティの変化や潮流について語っていただくとともに、広告と広報の役割変化についてもうかがいました。
───最初に、カンヌライオンズについて教えていただけますか。
佐藤 カンヌライオンズは、1954年に始まり、2025年で72回目となります。皆さんご存知のカンヌ映画祭と同じ場所で毎年6月に開催されます。もともとはシネアドと言って映画で流す広告が対象で、映画祭の付随という位置づけで始まったようです。
最初の1954年にはフィルム部門だけの1部門でしたが、次第に増えていって、2004年に私がフィルム部門の審査員を務めた時には7部門になっていました。その後も拡大を続け、そのうちにPR部門も入ってきて、ここ2〜3年は30部門となっています。
それまではカンヌ国際広告祭(アドバタイジング)だったわけですが、2011年に、僕らがやっているのは広告だけではないといった話にもなり、アドバタイジングの代わりに「クリエイティビティ」となりました。正式名は「カンヌライオンズ・インターナショナル・フェスティバル・オブ・クリエイティビティ」です。すなわち、マーケティングやビジネスに関わるクリエイティビティは全部扱うということになりました。例えば、最近新設されたクリエイティブ・ビジネス・トランスフォーメーション部門は、基本的に広告表現とは無関係で、新規事業コンペティションのような様相になっています。ですから、2022年からは、マーケティングに注力されている事業会社の方々が増えている印象があります。
カンヌライオンズとは
カンヌライオンズとは、毎年6月にフランスのカンヌで開催される世界最大規模の広告とコミュニケーションの祭典。正式名称は「カンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバル」で、世界中から広告、マーケティング、クリエイティブ分野のプロフェッショナルが集まり、優れた作品を表彰し、最新のトレンドを共有する場として知られている。
───佐藤さんはこの20数年、カンヌライオンズをウォッチされてきたわけですが、コミュニケーション上の大きな変化は感じられていますか。
佐藤 そうですね。2010年あたりから「ソーシャルグッド」というキーワードがすごく出てきました。広告あるいはブランドが社会に良いことをしたほうが、結果、好意度も上がって売上も上がるといった考え方ですね。そのような“世の中に良いことをする”という流れがありました。
その後、「パーパス」ブームが起こりました。我々の存在意義は何だというブランドパーパスのセミナーが多数出てきて盛況でした。そのせいなのか日本では、カンヌライオンズは社会課題解決の事例が多いというイメージを持たれがちなのかもしれません。
───世の中の変化に対応してイベント自体の性格も変わっていくわけですが、今年の大きな潮流はどのようなものでしょうか。
佐藤 毎年、26,000点ほどの応募があって、ブロンズ以上で3%(800点超)、ゴールド以上で1%(250点超)が受賞します。しかも多様性を大事にする傾向もあるため、いろいろなタイプのものが集まっているので一概に言うのは難しいのですが、私が興味を持ったのは、保険会社のAXA(アクサ)がフランスで手掛けた「Three Words(たった3つの言葉)」です。これは3部門のグランプリを受賞しています。アクサは、ドメスティックバイオレンスに苦しむ女性のために、保険の約款に3つの言葉「and domestic violence」を付け加えたのです。一般的な住宅関係の損害保険で、火事や洪水の被害が補償される、引っ越し費用も出るなどと細かく書かれている約款の最後にこの3つの言葉を足したわけです。つまり、今まではドメスティックバイオレンスを受けている女性が引っ越すこともなかなかできなかったものが、この保険で可能になったのです。DV啓発の素敵な動画をつくったということではなく、約款に「and domestic violence」という3つの言葉を加えただけです。何かを伝えるというより、何かを行ったのです。言い方を変えると「TellingからDoing」です。社会課題解決の啓発ではなく、何か役に立つようなことを実施するという傾向はここ何年かで強まっていると感じました。
Doingの事例では、インド鉄道の「ラッキー・ヤトラ(LUCKY YATRA=幸運な旅)」も興味深かった取り組みです。インド鉄道では乗客の4割ほどが無賃乗車をするため困っていて何とか解決策はないかと知恵を絞ったわけです。ある種のトンチなのですが、インド人の宝くじ好きなところに目を付けて、チケットの番号をもとに毎日当たりが出る仕組みをつくったら、皆がきちんとチケットを買うようになって赤字分がすぐに解消したという取り組みです。これも、表現ではなく、Doingしたアイデアです。
さらに、ルノーの試みも面白いです。2024年に受賞した「Renault – Cars To Work」という施策なのですが、フランスの国土の4割がモビリティデザート(公共交通機関がほとんどない場所)だそうです。そのような場所では失業率も高く、たとえ就職が決まっても試用期間中に通える車もないわけです。そこでルノーは、3〜6か月ほどの試用期間中は無料で使ってください、その代わり、無事に正規雇用されたらローンを組んでルノー車を買ってくださいという制度を展開しました。まさにDoingしたわけです。
───そのほかに注目されている変化がありますか。
佐藤 一つは、「Humor」でしょうか。カンヌライオンズの30部門の下にはサブカテゴリーが細かく設けられているのですが、2024年から7部門ほどに「Use of Humor(ユーモア活用)」というサブカテゴリーが加えられています。事務局側もユーモアに注目しているわけです。ユーモアと言っても、笑いのニュアンスということだけではなくて、ウイットや機知といった意味合いです。先ほど紹介したインド鉄道の例もそれに近いです。
もう一つは、「Authenticity(オーセンティシティ=正当性、らしさ)」です。「His authenticity」とは“彼らしさ”という意味合いで、そのブランドがやる意味合いが大事で、全然関係のない会社がDV反対という訴えをしても意味がないということです。女性も加入する保険会社がDV問題に関わっていくことは非常にオーセンティシティが高いとなるわけです。取り組みの意味合いもわかりやすいと思います。
───カンヌライオンズでは、会社の経営戦略や事業そのものも対象とされているのですか。
佐藤 そうですね。30部門もありますから、最近では、広告表現ではない経営戦略に近いようなジャンルもたくさん出てきています。先ほどもお話ししたクリエーティブ・ビジネス・トランスフォーメーション部門もできていて、初代グランプリはフルーツのドール社の「ピニャテックス」という繊維事業でした。廃棄していたパイナップルの葉を再利用して、ピニャテックスというビーガンレザーを開発しました。現在では著名なファッションメーカーも使っていますし、日本でも簡単に買えますので、かなりのビジネスに成長していると思います。これも、社会課題解決の文脈で新規事業を起こしたもので、いわゆる表現ではないわけです。
───新規事業の分野は若い世代にとっても可能性を感じられる場ですよね。
佐藤 おっしゃる通りです。カンヌライオンズには、本選とは別にがあります。30歳以下のプロフェッショナルを対象とした公式プログラムで、各国の代表2名1チームが参加し、現地で与えられた課題(多くは社会課題)に対し、定められた時間内に作成した映像や企画書を提出しプレゼンテーションを行うというものです。日本でも予選を行っています。
───話は変わりますが、そもそも日本では広告が煩わしい、信用できないと思われています。
佐藤 そうですね。基本的には広告は言いたいことを言っていて信用ならないということです。ですから、もう20年ほど前から戦略PRという言い方であるとか、広告の中にも広報的な要素を入れようといった動きはありました。例えば、広告ではなくて、記事として取り上げてもらう、SNSで紹介してもらうなど、他者の目を一回通すという手法も一つの解決策だと思いますし、実際そのような試みはたくさん行われてきました。
───広告と広報の変化を考え合わせると、企業戦略的には両者は完全に融合しているように思えてならないのですが。
佐藤 おっしゃる通り、状況としては合体している、あるいはしつつあると言えるでしょう。ただし、それらをどうハンドリングするかという点がまだあまり明確ではないとは思います。
日本広報学会では、2023年にを発表しています。その最後に「(広報は)経営機能である」と明言しています。日本アドバタイザーズ協会の「広告の定義」でも、広告と経営のリンクに触れていますから、その意味でも、広告と広報もそれなりの違いはありつつも、お互いにどう乗り入れるのか、どううまくマッシュアップするのかという方向に進んでいくのではないでしょうか。
───いろいろなものがマッシュアップしていく、あるいはDoingしていく時代なのでしょうか。
佐藤 私は、古いと言われようが大事だと思って学生に教えていたのが、「what to say」と「how to say」と分けて考えようということです。つまり、その商品を売るためには何を伝えるべきかとまず考えて、内容やメッセージを決めます。気持ちがよくなる、原材料が違うなどなど何を伝えると一番売れるのか、what to sayをまず決めるわけです。そして次に、それをいかに人に届くようにするか、how to sayを考えるというステップです。しかし、先ほどのインド鉄道の例は、そのステップは無視されていて、課題解決のためにこれをやろうというわけです。もう“伝える”のレベルではなく、本当にDoingのレベルです。何かを伝えるための表現を考えるという手法とは少し違うアプローチだと感じます。
もう一つ面白い例があります。メキシコのテカテビールが、トランプ大統領が提案した、GULF OF MEXICO(メキシコ湾)をGULF OF AMERICA(アメリカ湾)に変更する施策に“ユーモアで応じた”取り組みです。当時、Googleもトランプ大統領の提案に追随してGoogleマップ上でもGULF OF AMERICAと表示したのですが、これに対してテカテビールは、メキシコ湾(アメリカ湾)に船を出して、そこにGULF OF MEXICOというバーを開いたのです。Googleマップは新規開店を申請すると自動的に反映されるので、GULF OF AMERICAの下にGULF OF MEXICOという店名が出るわけです。これにメキシコ人は拍手喝采で、テカテビールの評判も急上昇したそうです。社会的な難題に対して、一種のトンチ、広告的機知で切り返して見せたというのは非常に面白いと思います。
───機知やHumorも重要なキーワードですね。最後に、日本の事業会社やマーケターへのアドバイスをお願いします。
佐藤 クリエイティビティとは、従来のやり方を覆すためのスキルと考えると、世の中が変化しているわけですから、事業会社側も従来どおりではないことをやる必要があるはずです。冒頭で申し上げた通り、カンヌライオンズでは毎年、ブロンズ以上でも800点超、ゴールド以上で250点超も受賞例がありますから、その中で気になったものを見るだけでもなんらかのヒントは得られるのではないかと思います。
───本日は貴重なお話をありがとうございました。
(Interviewer:中島 聡 本誌編集委員)
佐藤 達郎(さとう たつろう)氏
多摩美術大学 教授
(広告論 / マーケティング論 / メディア論)、学長補佐
日本広報学会 理事長
1981年一橋大学卒業、アサツーディ・ケイ(当時)入社。博報堂DYを経て、2011年から現職。
学会活動として、日本広報学会理事長、日本広告学会常任理事、日本マーケティング学会評議員、WOMJ(クチコミマーケティング協会)理事<元理事長>、公共コミュニケーション学会理事等をつとめる。ビジネスの世界では、小田急エージェンシー・クリエイティブアドバイザー、古河電池社外取締役など。2004年カンヌ国際広告祭日本代表審査員。コミュニケーション・ラボ代表。
著書に『「これからの広告」の教科書』(かんき出版)、『自分を広告する技術』(講談社)、『教えて!カンヌ国際広告祭』(アスキー・メディアワークス)等がある。