新津 重幸 氏
高千穂大学 名誉教授
内田 剛 氏
一般社団法人日本プロモーショナル・マーケティング協会 専務理事
北村 裕一 氏
日経広告研究所 研究フェロー
進行:中島 聡 氏
公益社団法人日本アドバタイザーズ協会 専務理事
デジタル広告やSNSの拡大、それらに伴う生活者の価値観変化に伴い、現在、さまざまなコミュニケーション上の問題が浮上している。本座談会では、日本のコミュニケーション構造の問題から店頭コミュニケーションの動向にいたるさまざまな領域での課題について、その現状と解決の方向性などを含め、学術・経営・実務に深い知見をお持ちのご三方にお話をうかがいました。
失われる情報の信頼性
中島 現在、さまざまな分野でコミュニケーションという点が大きな問題になっています。一例として、ポストトゥルース、フィルターバブル、エコーチェンバーなどで指摘されていますが、情報の発信元と情報の受け手との間に一定のバグが生じていて正しい情報がなかなか伝わらないといったことです。
まずは新津先生から、日本のコミュニケーション構造の課題についてお考えをお聞かせください。
新津 一番大きな問題は、デジタル広告のウエイト、伸び率が非常に高いということでしょう。ということは、一方通行の媒体を使って一方通行構造のコミュニケーションになっているという点です。
デジタル広告やSNSからの発信コンテンツは、実際に真実を見ていくということではなく、ずっと閉じられた中で伝播していくフィルターバブル的な構造ですから、何が真実かどうかもわかりにくいわけです。おまけに、コンテンツを受ける側の消費者、生活者側は「あなた方が自分でうそかどうかを判断しなさい」と言われる。そんな馬鹿な話はないと思うのですが、今のところ現状はそのようになっています。
それから、実際にコミュニケーション構造の中で言いますと、購買自体のコミュニケーションのあり方というのも問題を抱えています。店頭における“選択”も大変多様化してきています。店頭だけでなく、SNSからの購買やダイレクト購入といった手段もありますから、消費者自身がコミュニケーションの流れの中で何を信じていいのかわからなくなっています。店頭では実際に自分で目にして、手に取って購入できますが、デジタル内でモノを購入する際には真実がわかりにくいのです。ですから、そこのところでいろいろな犯罪的な問題が起きているわけです。このように、購買自体の構造についても大きなギャップが出てきていることが問題だと思います。
中島 北村フェローはいかがでしょう。
北村 今までの広告とインターネット広告の何が一番違ってきたのかを考えますと、みんなで同じものを見る広告から、どんどん個別化が進んでいる点です。つまり、広告ではなく、“個告”になっているわけです。社会全体で、この個告化に対する認識を深めていく必要があると思っています。さらにそこでは、情報が発信元から受信者に行く間の“パブリック(公)”というプロセスが欠落するのです。先日、日本アドバタイザーズ協会で発表された「広告の定義」でも、「広告は公共性の一端を担うものである」と宣言されています。やはり、情報が伝わるプロセスの中で“公”という意識がないと広告が公共性、公益性を担えないということだと思います。
中島 次に、特にプロモーション分野に造詣の深い内田専務理事から、日本のコミュニケーションの課題についてお話しいただけますか。
内田 コミュニケーションという点で捉えますと、2020年のコロナ禍が大きな転換点になったと考えています。当時、ワクチンに対して反対、賛成の人たちが極端に分かれてしまって、反対する人には反対するのに都合の良い情報ばかり目に入るようになっていってしまいました。
今のデジタル広告にしても、自分が信じるところ、正しいと思うことに対して、それを助長する情報ばかりが集まってくる状況です。そうすると、その情報が間違っていることを疑わないという事態も起きてしまいます。それもコロナ禍のときだったと思いますが、その傾向はさらに進んできていると感じます。ですから、デジタルが進化していく中で、その問題をどうしていくかが重要になっていくと思います。
分断か、全体最適か
中島 例えば、LINEなどを見ますと、1人の人間がいろいろなグループに所属していて、そのグループごとに違った個性を演じるといった動きを感じますが、そのような点はどう思われますか。
北村 これも一種の個告的な動きだと思います。人によって情報が伝わってくる内容が違うわけです。広告で言えばまさにターゲティング広告です。一人一人に最適な情報を届けるというのは素晴らしいことだと思いますが、一方で、LINEグループなど似通った人たちだけが集まる小さな社会集団の中では、どんどん考え方や受け取る情報が似かよってきてしまいます。これがフィルターバブルやエコーチェンバーと言われる現象です。
しかも、グループ同士の交流は少ないですから、次第に分断を生んでくることになります。広告・マーケティングも個別最適化という方向に進んできたわけですが、やはり“全体最適”という視点をもう一度見直す必要があるのではないかと思っています。
中島 分断という点では、今の国際経済や政治の部分でも分断がより一層進んでいるように感じます。コミュニケーションにおける分断について、新津先生はいかがお考えですか。
新津 結局、全体最適という概念がある面ではなくなってきているのでしょう。しかも、人間の属性として、フィルターバブル、エコーチェンバーの言葉のように、自分の好みや感性に合った仲間や情報だけを心地よいコミュニケーションツールにしたがります。SNSですと、クリックすれば全部自分の都合のいいものだけを見ていけます。
分断がなぜ起こるかと言うと、個々の心地いい内容がそれぞれ多様化して違ってくることに起因します。また、大きなトレンドの方向に行く人間と行かない人間とで分断をします。それは世代階層的に出てきますし、ライフスタイル的にも出てきますから、さまざまな場面で分断は当然起こり得ます。
政治の面でも、韓国やアメリカも完璧な分断状態になっていると思います。ただし、日本ではまだ多様性が維持し得るところにあるとは思います。
若者のタイパ的コミュニケーション
中島 最近の若者の間では“タイパ”という言葉がよく使われているようです。内田専務理事、プロモーション、店頭といった点からタイパについて、どのようにお考えですか。
内田 今の若者たちはタイパを非常に重視しているのは間違いないでしょう。例えば、SNSのお付き合いで済むものは、取りあえずの顔をしておけばいいやとどんどん参加していきます。しかしそれは、本音で付き合っているわけではありません。そうしているほうがタイパ的にいいということで、本当に自分が大事なところだけはリアルな付き合いをするというふうに変わってきています。一つ一つでリアルな付き合いをしていると非常に大変な労力と時間を使うことになりますから、デジタル上の付き合いはタイパ重視で済ませておこう、本音の付き合いだけはリアルにしようといった使い分けが見受けられます。
中島 タイパ志向のほうが自分にとって摩擦が生じにくい、そちらのほうが楽だということなのでしょうね。そのあたりを経営者の立場で見た場合に、どのように考えられますか。
内田 タイパには良い面と悪い面と両方あるかもしれません。例えば、経営という立場で言いますと、2つの意味で残業はしてほしくないのです。1つは人件費を上げたくない、もう1つは、効率よく仕事をして空いた時間でいろいろなものをインプットしてほしいという面があります。タイパ重視でもそこに質が伴えば問題ないと思う反面、深いコミュニケーションがタイパ志向で取れるかという点では、まだ非常に難しいのではないかと感じています。
やはりリアルなコミュニケーション、対面でのコミュニケーションが深まっていくことで、組織に属する共感性や組織に対する愛着が育つわけで、タイパ重視だけではなかなか深まっていかないところもあると思いますので、良い面、悪い面、両方あるように感じています。
中島 タイパを考えたとき、組織の運営はどうあるべきなのか、また、組織のリーダーとしてはどうあるべきなのでしょう。
北村 1つ言えることは、タイパもある種の価値観で物事を判断していることは間違いないと思います。ただ単に右のものを左に持っていくということでやり過ごしているわけではないでしょう。組織のリーダーは、そこをいかに見抜くか、逆に若い人たちから学び取るか、この姿勢がないとコミュニケーションは成立し得ないと思います。
もう1点は、我々昭和世代の価値観をいかにうまく令和型に変えられるかということです。どうしても我々と若者たちとは価値観が違いますから、そこを我々側が社会環境をもう少ししっかり認識し直すことも必要だと思います。
あともう1つ、最後には言いたいことをはっきり言うことです。一方的に言うのではなくて、リーズン・ホワイで言う必要があると思います。私たちはなぜこういう価値観を持ったのかという背景を説明してあげることは、結構大変ですが必要なことだと思います。
中島 最近の学生さんのありようはどうなのでしょう。
新津 私は1980年からずっと教員をやってきましたが、少なくとも90年代はある1つの方向性を示唆するということは若者には通じたと思います。2000年になると、1つの方向性に向けて指示をしづらい時代になってきました。なぜかと言うと、全体最適はほとんど通用しなくなってきて、この方向でやるぞと言ったところで、「はい」と返事はするけれど、どの程度浸透しているかは不明です。
組織で言えば、経営者がそう言えば「はい」とは答えます。結局、自分の生活感と人生観とを比較して、どちらが重要かという問題の価値意識がまったく変わってきています。つまり、今現在、滅私奉公的なふるまいを期待してもまったく無理というわけです。
中島 コミュニケーションの面からも組織マネジメントが非常に難しいということなのですが、最近は非常に転職される方も増えているようです。例えば、雇用とコミュニケーションという点ではいかがでしょう。
北村 海外企業がパーパスを大事にするのは、基本的には流動化した雇用環境の中で、何のために働くのかということを経営者が、従業員に指し示す役割があるからだと思います。例えば、消費財企業であれば、そこで働いているということとその会社の商品の消費者であるという側面も含めて、どういう会社であるかということを経営者が説明するコミュニケーションの基幹軸がパーパスなのだと思います。
終身雇用が前提だった日本の企業はそこのところは、暗黙知で済んできたのでしょう。人的資本の重要性が資本市場からも指摘されている中で、経営者と従業員のコミュニケーションは、時代に合わせてアップデートし続けなければならないものになっています。今、パーパスに共鳴して、その会社に入る若者も増えています。そのパーパスという共通点の下で語り合えるような環境をつくっていくことが大切だと思います。
買い場を超える店頭コミュニケーションを
中島 具体的にコミュニケーションが最終的に購買に直結するのは店頭です。特に最近ではさまざまなプロモーションメディアも登場しています。皆さんは、店頭コミュニケーションについてはどのように捉えられていますか。
内田 店頭だけでなく購買時点の広告=リテールメディアがたいへん注目されてきています。先日発行された『情報メディア白書2025』では、リテールメディアは2027年に9,000億円規模に達するということです。購買するときにどのようなメッセージを伝えるかによってモノを買う、買わないという行動が大きく影響を受けるわけですから、店頭を含めた購買時点のメディアでのメッセージの伝え方、コミュニケーションのあり方というのはますます重要になってくると思います。
新津 モノを購買するという行為は“交換する”ということです。ですから、交換に影響を与えるためにはそのモノの価値をより効果的に伝えなければなりません。そのためには、そのモノへの信頼を得る必要があります。それはモノを一度経験してもらって信頼を得るのか、広告の効果で信頼を得るのか、いろいろでしょう。
製品と商品は違うという考え方があります。買われないものは商品と言わない、陳列されているものは製品そのものだということです。英語では、プロダクトとコモディティと言い換えています。その意味で言えば、販促というのは、プロダクトをコモディティに変える作用です。
最近では、店頭での販促技術はほとんど希薄になりつつあります。90年代から以降は低成長が続きましたから、とにかく店頭でモノの価値をどう伝えるかに必死でした。生活者目線で作成されるPOPも盛んに使われていました。
ところが今はどうでしょう。すべて価格主体に変わってきつつあります。店頭技術は停滞したままでまったく進化していません。改善の工夫にすらメーカーも広告代理店も取り組まない時代です。今後は、店頭でどう製品を商品にするのかという価値の伝達をもっと工夫して、画像なのか、文字なのか、SNSなのか、さまざまな複合な形で価値を伝えていく動きを強化していかないといけないと思います。
北村 私はスーパーに行くのが趣味なので、週末は3軒ほどはしごをするのですが、やはり好きな店とは、他にないものを置いてあるお店です。店頭は買い場であると同時に、手にとって実際の商品を見たり、知識を得たりできる場です。今、生活者は常にネットに接続していますから、デジタル施策と店頭がシームレスに一体化することによって、もっと何か新しい体験ができないだろうかと思います。
スマホの利用時間はますます伸び続けています。これは、情報メディアとしてだけ使っているわけではなくて、日常生活がスマホの上で行われていると言ってもいいでしょう。店頭の情報を伝え、来店をしてもらい、そこに何か新しい発見があることで、店舗と生活者とのつながりをさらに強められればいいと思います。
中島 この点について、内田専務理事はいかがでしょうか。
内田 メーカーも広告代理店も、もっと頑張らなければいけないでしょう。最近は環境保護の問題もありますから少し及び腰になっているのかもしれません。POPについても環境配慮のことを考えるとなかなか簡単には店頭には付けてくれないようです。とはいえ、コミュニケーションを取るために店頭をどう作るか、どう情報を流していくのかを、もっとメーカーも広告会社も流通も議論していかなければならないと思います。
新津 90年代以降、売り場、買い場という原則でずっと店頭販売技術や販促スキルを向上させようとしてきたわけですが、どうもそれが限界点に来ていると感じます。店はお客さんが来るのを待っているだけでいいのか、ならば店が外に打って出るとはどういうことなのかという問題にもなります。
現在は、地域の中にコミュニティがしっかりとできあがっていない部分が多いと思います。例えば、高齢者の介護の問題や育児など働くお母さんのソリューションのために、店舗という空間を望んでいる人たちをコミュニティ化していく、サポートしていくことも考えられます。スーパーが子ども食堂をやっても構わないわけです。むしろ小売業そのものがそちらの方向に構造的に転換をしていくべきだと思います。さらに今回の米の問題では、コンビニに備蓄米が並んだということが一番大きなインパクトになりました。つまり、コンビニは生活と非常に近い括りの中に存在しているので、すぐそばのコミュニティに直結しやすい空間です。
小売業が単に売り場、買い場という概念から抜け出し、地域のコミュニティの形成に参画していくという構造的な考え方をしなくてはいけない時代が来ていると思います。
「人」という要素への回帰
中島 デジタルと店頭のシームレスという視点と同時に、店舗のみが人を介在させうるという点も重要かと思います。デジタルには介在できません。最終的にはやはりヒューマンパワーなのではと思えて仕方ないのですが、今一度、人のコミュニケーション力、人の温かみこそが大事なのではないかと思っています。
北村 人という意味では、昨年あたりから、いろいろな消費財企業が全体のクリエイティブを、品質・機能訴求を前提としながらも、情緒訴求へと舵を切り始めました。クリエイティビティの世界的な見本市と言われるカンヌライオンズでも、昨年から、大きな社会善の追求だけでなく、ユーモアや人と人とのふれあいの温かさを、もう一度思い出そうという動きが出てきて、世界的な潮流となっています。
人間の脳の報酬系がもっとも活性化するのは“利他”の意識だと聞いたことがあります。利他は、一番人間にとって本来的な喜びをもたらすのです。この利他の精神を呼び起こすコミュニケーションとはなにか、を考えていくことも大事だと思います。
中島 本日は貴重なお話をいただきました。ありがとうございました。

新津 重幸(にいつ しげゆき)氏
高千穂大学 名誉教授
1970年早稲田大学商学部卒業。1972年同大学大学院商学研究科修士課程修了。同年株式会社読売広告社マーケティング部を経て、1980年高千穂商科大学(現高千穂大学)専任講師に着任。1990年より同大学教授。現在、高千穂大学理事・同大学院教授。(広告論・マーケティング論)。社団法人新日本スーパーマーケット協会・客員教授。

内田 剛(うちだ つよし)氏
一般社団法人日本プロモーショナル・マーケティング協会 専務理事
大学卒業後、地方本社の広告会社東京支社にてプロモーションに携わったのち、外資系スポーツメーカーでマーケティングマネージャーを務める。
2002年に博報堂グループに入社し、博報堂プロダクツ設立後に執行役員。プランニング、PR、関西支社、印刷、事業管理などの部門長を経て、2023年より日本プロモーショナルマーケティング協会に所属。現在に至る。

北村 裕一(きたむら ゆういち)氏
日経広告研究所 研究フェロー
1985年日本経済新聞社入社。広告営業としてIT、食品・医薬等幅広い業種を担当。 日経ヨーロッパ社フランクフルト支社駐在、経営企画室、デジタルビジネス局を経て、 広告審査協会、プレミアムプラットフォームジャパンへ出向。2020年4月日経広告研究所専務理事、25年6月より現職。

中島 聡(なかじま さとし)氏
公益社団法人日本アドバタイザーズ協会 専務理事