2025年5・6月号 編集スタート!

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巻頭言

今月のテーマ

健康のアナ New

見過ごされる大問題

巻頭言

 困りごとに気がついていない、あるいはあきらめている、ガマンに慣れた、さらには勘違いして誤った方向に進んでいる、といったことが結構ありませんか? また、すでに見えている市場に目をとられ、時間がかかりそうな大きな問題をスルーする人や組織が多くはありませんか? あるいは古い知識や思い込みのまま、アップデートせずに取り組んでいることはありませんか?
 本特集では、放っておかれている極めて身近な大問題に取り組むイニシアティブを健康分野にフォーカスして示します。下北沢病院の久道理事長は、人生の3つの下りステップとして「歩行・排泄・食事」をあげています。これらは、生きるための3つの基本と言えるでしょう。また、これらは人生100年時代といった社会的なテーマに深く関係します。本特集では、この3つの課題にチャレンジするパイオニアへのインタビューを通して、健康において、いわばアナが空いている危機的な状況と、それが見過ごされているズレた有様、そして解決へのアプローチを議論します。
 健康をテーマにすることで、他人事でなく自分に直結する問題の実例から、読者に左右の脳で考え感じていただければ幸いです。案外、自分や周りの人々を大切にできていないことや、ひるがえって社会にインパクトをもたらすチャンスに気づくかもしれません。
 また、人の生活習慣から心理、さらには人との関わり方、そして社会的・文化的な構造と背景、あるいは医学・医療やビジネスのあり方まで、人とエコシステムのあやういバランスと進歩への葛藤を感じてください。
 企業の方は、これら課題を新たな事業やイニシアティブのヒントにできるかもしれません。あるいは、働く方々の健康と人生をサポートすることで、人材を惹きつけ生産性を上げる可能性も見えるでしょう。
 なお、見過ごされる大きな問題は、健康だけでなく様々な分野にあります。そうした市場のアナを見出してチャレンジすることは大切です。そして、ともするとマイナスになりかねないマーケティングの力をよりよい方向で活かしたいものです。本特集で示した視点は、未来志向の信頼されるブランドづくりにもつながるでしょう。言い換えると、遠くて近い(本特集では身近だが距離のある)問題に挑んでいくことは、よりよい社会を目指す持続的な企業活動であり、ブランディングとしても意義あるアプローチではないでしょうか。

本誌編集委員 本荘 修二

INTERVIEW

歩行で決まる健康と寿命 New

足をおろそかにする日本人

久道 勝也 氏
医療法人社団青泉会下北沢病院 理事長・医師、
ロート製薬株式会社 CMO(最高医学責任者)

 「歩行を維持することが、人生の幸せを決める」と語り、歩行速度が認知症ほかの発症と相関すると指摘し、歩行による体力と脳の活性化の重要性を唱える久道勝也医師。欧米にあって日本に欠けている足病医学(ポダイアトリー)を日本で実践しリードする下北沢病院を率いる久道先生に、健康の要件についてお話をうかがいました。

足・歩行で決まる健康と寿命

───先生のご著書『死ぬまで歩きたい!』にある3つのステップは印象的です。死ぬまでの基本的な要素として、歩行、排泄、食事がある。そして、歩行がさまざまなことのトリガーになる。

久道 この順番(歩行→排泄→食事と階段を降りるように)で駄目になっていくのが一般的で、老年医療のセオリーとなっています。歩行の維持がその人のQOL(生活の質)と健康寿命を決定します。歩行ができるか否か、そして歩行速度はどうかという点が、その方の健康な人生があとどのくらいかという1つのバイオマーカーになります。
 なぜここまで決定要因になるのか。足は全体重を支えて1日に5千回あるいは1万回ほども地面に叩きつけられます。かつ心臓からもっとも遠い箇所ですから、血液もヘモグロビンの酸素濃度が一番低い状態で届きます。さらには衣服より硬く重い靴を履きますね。そのような過酷な場所からレッドフラッグ(危険信号)が振られ悲鳴が上がります。まさにそれが足なのです。
 足の健康寿命は大体50年と言われていますが、足の悲鳴に気づかないと大変なことになりますから、足をしっかり注意して見る習慣をつけましょう。歩行の維持は、中年から始まり、後期高齢者そして死ぬまで個人の健康の一番の決定要因です。足の健康に気を配ることは、医療費など社会保障費の削減にも大きな意味を持っています。

───ご著書でも「歩く習慣をつくるといい」と述べられていますね。

久道 そうですね。「歩く習慣を身につけるために何か必要なトレーニングはありますか」と良く患者さんに訊かれます。トートロジーみたいになりますが、それは歩き続けることなんですね。直立二足歩行というのは、ある意味、人間が人間たる一つの決定的な進化の方向性ですから、負荷も一番かかりにくく、かつ特殊な技術は要りません。歩行の維持は、ジムでトレーニングするよりケガをする可能性は少なく、かつ誰にもできることです。歩く習慣を保持する、ある程度の距離を歩くことがあなたの全身を鍛えることになるという話をしています。

『死ぬまで歩きたい!』
(大和書房・2019年)

<コラム>歩行速度の重要性を示す研究結果

 英国の大規模な調査(47万5千人を10年間追跡)によると、歩行速度が肥満や筋力よりも寿命との関係がはるかに強いことが判明。キビキビ歩きとゆっくり歩きの両グループの平均寿命の差は、男性21歳、女性15歳と、歩行速度の重要性を示している。
 また、女性1万3千人超の調査では、70歳時点の健康寿命達成率(癌や糖尿病など10種類の慢性疾患、そしてメンタル(抑うつ)、認知症、運動障害の有無)について、歩行速度が時速3.2km未満のグループを1とすると、3.2-4.8km未満のグループは×1.9、4.8km以上のグループは×2.7と、歩行速度と健康寿命が関係することが示された(4.8kmは不動産の物件情報で駅から○分の基準となる歩行速度)。
 さらに、デューク大学によるニュージーランド人904人の生まれて間もなくから45歳までの調査では、遅い歩行速度は45歳時点で次のようなことに影響することを示している:
・加速的な生物学的老化の兆候、容姿も老化が早い
・脳容量の減少、皮質の薄化、IQの差
・子供時代から成人期にかけての認知機能の低下
・日常生活での身体的制限、弱い握力、低いバランス能力、低い視覚運動協調性
出所:YouTube動画【歩くだけでは健康になれない】大事なのは歩く速さ/健康寿命、メンタル、知能、容姿、発想力が上がる/足の専門医が教える正しい歩き方【BODY SKILL SET】

(久道氏からの情報提供・協力により本荘が作成)

<コラム>名医は足が痛くない患者を足病医に送る

 足のトラブルだけでなく、患者を全体的にケアするための足病医療だということが分かるエピソードを1つ、久道勝也著『死ぬまで歩きたい!』から紹介します(一部編集、まとめた)。
 久道先生が米国で、高齢者を専門的に診る老年内科という診療科の教授で、世界的に高名な医師の診察を見学した際、足の痛みなどの訴えのない患者をどんどん足病医に送ることに驚き、その教授に理由を質問すると、「老人のQOLは足の健康と歩行状態が決めるからだよ」「足と歩行の評価や治療は自分にはできない。足病医は歩行のプロフェッショナルなんだ。プロに任せるのが一番安全だ」との答えが返ってきたそうです。

(久道氏からの情報提供・協力により本荘が作成)

足病医療の後進国・日本と下北沢病院の挑戦

───足病医療は100年を超える歴史があり、全米に1万5千人の足病医がいますが、日本にはほとんどいないとのことです。世界的にはいかがでしょうか。

久道 G7で足病医療がないのは日本だけで、欧米先進国にはすべてあります。さらにアジアには基本的に制度として存在せず、足病医療難民ともいえる状況です。例外はイギリスの統治が長かったシンガポールと香港ですが、足病医はいても制度として存在するとは言えません。

───文化的、社会的な影響なのでしょうか。

久道 おそらくそうです。なぜかは明確には分かりませんが、文化的な背景があるように思います。江戸時代の日本人の歩き方に関する記録は、日本人でなく、江戸末期から明治期のお抱え外国人によるものです。ドイツなどヨーロッパでは靴職人はマイスターとして尊敬されますが、日本では履物の記録がきちんと残っておらず、昔の絵などから想像されていることが多いのです。やはり歩行フォームや足に対する関心が薄かったのかもしれません。

───足病医療の後進国の日本で、これを変えようという下北沢病院はどういう取り組みをされていますか。

久道 下北沢病院では、日本にない足病医療を取り入れた病院としてきちんと取り組もうとしています。当院には3つの役割があります。病院として当然ですが、患者さんを診ること、足の野戦病院としてありとあらゆる足と格闘しましょうというのが1つ目。先ほどのお話のように、日本には足病医療という制度自体がないため、医療者を育てる教育病院たれというのが2つ目。そして、足の医療の知恵を社会に還元しよう、何らかの形で社会実装しようというのが3つ目です。

<コラム>足をケアする欧米、ケアしない日本

 米と日本の違いである、足病医の有無の背景について、久道勝也著『死ぬまで歩きたい!』から当該部分を簡単にまとめてみました。

〇要因として考えられる靴文化の歴史の差

 欧州では中世から革靴がつくられ、室内でも土足で過ごすスタイルが定着。足に靴が合っていないことが原因でトラブルが起こる。必然的に、足をケアする文化が根付いていったと想像される。

〇戦争で発展した足病学

 アメリカでは、軍人の歩行を維持させるため、軍靴の改良から足のケアに至るまでさまざまな研究が重ねられた。軍隊では、傷病医として足病医も従軍して、足のトラブルがあったときにケアをするシステムがつくられた。これに対して日本軍の足への関心はあまりにも希薄。日露戦争の当時から、歩兵の軍靴は2~3種類くらいしかサイズがなく、「足のサイズに合った靴を履く」ではなく、「靴のサイズに足を合わせる」という発想が続いた。この状況は第二次世界大戦でも相変わらずで、歩けるかどうかは精神力の有無で片付けられてきた。

(久道氏からの情報提供・協力により本荘が作成)

診療科を超えたチーム医療

久道 足というのは、例えば骨だけ、皮膚だけが悪くなるのでなく、複合的にさまざまな要因が絡んで悪くなっていくことが多いのです。すると、皮膚科が皮膚、整形外科が骨と筋肉、循環器が血管を診るという考え方ですと、複合的な問題の解決にならない。だからこそ、欧米には足病科があるわけです。複合的に症状が出てきたときに、それを複合的に評価する診療科が必要で、この足病科を日本につくらなければならないと考えました。

───下北沢病院はチーム医療を推進されています。その特徴・意義をお教えください。

久道 日本の大病院は医局講座制というか、大学病院は典型的ですが、診療科ごとの垣根があります。たとえば「足病センター」をつくっても、それぞれの診療科の方針があり、足病を各診療科の垣根を越えて包括的に診るというのが難しいのです。ビジネスで言えば、各社からの出向が集まっていると、みな親会社の方を見るということになりがちです。
 下北沢病院は、1つの病院として足のことを全部やる、それがミッションなわけです。しかも、小さな病院ですから、カンファレンスをやるときは、どの診療科の医者も、看護師さんも、理学療法士も、栄養士も、みな参加して侃々諤々やっています。すると、否が応でも診療科の垣根はなくなって、総合的な医療体制になっていくわけです。それが当院の特徴となっていて、当院独自のマニュアルやメソッドが生まれていますので、ある程度普遍的な価値があると最近感じています。

───具体的な例はありますか。

久道 大学病院や基幹病院から紹介された患者さんを診ることが多いのですが、大学病院の方がヒト・モノ・カネのリソースは圧倒的であるにもかかわらず、当院を頼るのはなぜだろうと考えると、やはりそこにあるのは組織なんですね。診療科間の垣根や看護部、リハビリ部、事務方含めて、人事異動などが総合的な医療を阻むものとして存在します。大きな組織はそれがあって回っている部分もあるでしょうから、それを批判するわけではなく、仕組みとしてそうならざるを得ないでしょう。だからこそ小回りが利きやすく、足の総合的な医療体制をもつ当院は生き延びることができると確信をより強めています。

───検診など個人・患者のためのプログラムも目を引きます。

久道 「足の見えるか検診」というのをやっています。足はさまざまなアーリーレッドフラッグ(早期の危険信号)を出します。それを早いうちにチェックできる、足と歩行に特化した検診です。足の皮膚、爪、筋肉、骨、血流、全身状態を診る、歩行フォーム、靴も見る。足と歩行に関わることはすべて調べる検診です。これは非常に高く評価され、1年以上先まで予約が埋まっており、受け入れ枠を広げようと考えているところです。
 またこの他にも、糖尿病を早い段階で予防しようというプログラム。また、肥満は足に来て歩行を障害するので、肥満防止のプログラム。薬だけに頼るとリバウンドが来るので、運動療法と結びつけたものです。この3つが、現在一般の方向けに提供しているプログラムになります。

『足の先生! 足のむくみ、だるさ、冷え、下肢静脈瘤
どうすればラクになるか教えてください。』
「足の総合病院」下北沢病院の副院 長﨑和仁
(アスコム・2021年)

企業等とのコラボレーション

───大企業など他の組織との接点、あるいは既に取り組まれていることはありますか。

久道 さまざまな企業から自分たちが作っているものを検証してほしい、共同開発したいといった申し出があります。「足」と言うと靴や靴下を連想するかもしれませんが、「歩行」と言うとパースペクティブが広がります。歩行習慣があるなら生命保険を安くできるのでは、自治体から歩けるウォーカブルシティづくりのプロジェクトを一緒にできないか、建設会社が開発した人に優しい路面を実証して欲しいなどなど、当初の想定よりもさまざまなところからお話をいただいています。
 そのような案件を通して、さまざまな企業・団体が良いものをつくっている、お金をかけてエビデンスも取っているといったことが分かってきました。そこで、優れた製品やサービスを評価しなければという機運が生まれ、足病病院としてアワードで評価しようと2024年に始めたのが「フットヘルスアワード(Foot Health Awards)」です。
 2024年3月の第1回には、マラソンの有森裕子さん、サッカーの福西崇史さんなどが審査員として尽力いただき、大変盛り上がりました。足の健康はスポットライトが当たってこなかった分野ですが、例えば、アシックスさんはこんなふうに考えているのかと印象づけられましたし、アシックス側もここに光を当ててもらえるならという熱が感じられたのです。各企業の思いが伝わり、このアワードは大きくなる予感がしています。

「FOOT HEALTH AWARDS 2025」の審査員の皆さん

メディアに振り回される個人

───足の健康については個人差が大きいのに、一律で言われることが多い気がします。

久道 個人差を言うときは、大体スローガンみたいなものが手前にあります。それぞれの方の健康状態が全然見えていない状態で、ある数字を出すと、その数字が力を持ってひとり歩きをする。後始末をしないのにスローガンを大々的に投げる。例えば1日8,000歩歩きなさい、あるいは1日40分間、時速5キロで速歩だ、といったスローガンを出してしまうと、それに合わない人が多いため、その人たちはケガをして病院に来る。ですから、スローガンを求めることのはやめたほうがいいという話をしています。
 個人の年齢、体格、関節可動域、全身状態から考えると、時速5キロで何歩ぐらい歩いたらどうですかと言うことができます。人それぞれ条件が全く違うという話を毎回せざるを得ないのです。

個人一人ひとりがすぐできること

───すぐできそうなことは、自分に合う靴を探す習慣をつくることや、自分の靴やインソールとの付き合い方の改善といったことでしょうか。

久道 インソールにしても靴にしても、履いて不快感や痛みがあったら、その時点でそれは駄目なのです。人間は往々にして払ったコストに対して利益を得たいと思う動物なので、靴でもインソールでも、履き続けてある程度時間が経つと、これはいいんだと思い込もうとします。ですから、最初の瞬間が大事です。
 しかし、例えば、とてもゆるい靴を履いている人は、慣れているからゆるいのが快適と感じます。そこに適正なサイズの靴が来るとおかしいと思うわけです。そういうこともあるので、なかなか一筋縄ではいきません。履いた瞬間が一番悪いところがわかるのですが、同時に今まで履いていた靴の履き心地に引っ張られるから、いいアドバイスがしにくいんですね。

───子どもの頃から良い習慣をつけたほうが良いのでしょうね。

久道 その通りだと思います。欧州では、靴の選び方や履き方は親が子どもに教える重要項目に入っています。文化の厚みの現れでしょう。。

───『マーケティングホライズン』の読者にとって、初めの一歩をお教えください。

久道 1日1回、風呂に入ったときに足を見てください。足を見るのはとても簡単なことです。足は左右対称が基本ですから、左右比べてみて、色や形が違うとしたら何か変かもしれない。右が変か、左が変かという判断はしなくていいですから、左右対称ではなく、さらに痛みがあれば、すぐに病院に行ってください。

───足がどこかおかしい、ちょっと痛いという人は結構多いかと。そういう自覚を見過ごさないということですか。

久道 一度早い段階で診せてもらえるといいなと思います。お腹が3日間痛ければ大体みな心配になって病院に行くでしょうが、足の場合は1カ月、2カ月、下手したら年単位で放っておいたりするんですね。どうかもっと怖がってくださいと言いたいです。
 本当に悪いところはなかったというのが健康診断でよくある会話だと思いますが、足の検診では多くの場合、何か見つかるのです。放置しているから異常がある確率がすごく高いのです。また、女性は男性の4倍、足に問題があると言われています。ですから、足を見てちょっと不安に思ったら、とにかく病院に診せにてください。

ポジティブなストーリーをつくる

───ご著書で言われている自分のストーリーと、その大切さについてお教えください。

久道 今日も一日頑張ろう、家族との関係をこうしようなど、誰であれ自分の生きている時間の中で何らかのストーリーをつくっているはずです。誰もみな日々自分の物語を考えて生きています。それを少しでもポジティブにしてやるという意味でストーリーと言っています。

───言い換えると、無自覚にストーリーを毎日いくつもつくっているわけですね。そして人はだんだん衰えていきます。そこで満足する、あるいは目標を変えていくといった、先生が言われる老人力も大切なのですね。

久道 そうですね。その時の自分の生活条件や身体条件に合わせて、適切にハードルを下げていくということです。正岡子規は、病に伏して寝っ転がった状態でストーリーを一生懸命考えて、少しも暗い影のない作品を著していますよね。満足のレベルを下げていく力が人間にはあるので、それこそが老人力かなと思います。

───幸福学をかじったことがありますが、極論すると、自分がハッピーと思っていたらハッピーなんですね。

久道 それに尽きると思います。上手に満足のハードルを下げていくこと、充実した生というのはそこにあるでしょう。また、力のあるストーリーは、他の人との関わりが出てくる気がします。あまりハードルを上げると誰も付き合えなくなるので、なるべく寛容にハードルを下げてやる。言うは易しですが。

───最後に、下北沢病院と久道先生の今後の展望についてお教えください。

久道 患者さんを診る臨床的な技量や実力をもっと磨いていくのは当然のこととして、下北沢病院ならではの方向性言えば、足の医療の知的財産やノウハウを一般の人や社会にきちんと啓発したり、社会実装することが大事だと考えています。そして、同業者向けに教育病院として役割を果たしていきたいと思います。なお、社会実装についてはまだ経験が薄く、土地勘がないので、ぜひみなさんの教えを請いたいと思っています。

───パイオニアとしての取り組みに感銘を受けました。どうもありがとうございました。

インタビュー後記

 3つの大きな健康のアナ、歩行、排泄、食事。その最初にくる歩行と足について、日本の当たり前を創造的に壊すような話をうかがえました。これは足だけのことではなく、全体の健康をつくる基本です。例えば、腰痛はもちろん、歯と足はつながっており一緒に診ると良いと言う歯科医や、足を重視する脳神経外科医もいます。しかしながら、足は見過ごされている、あるいはガマンするのが普通になっているのが実情でしょう。
 そして、調子が悪くなったら病院に行こうというような医者任せな姿勢でなく、個人や企業も考え方をアップデートする必要があると感じました。子どもの頃からの習慣づくり、そして齢を重ねるに従い、生き方をリニューアルし続けることが大切でありと思い知らされました。
 また、あれこれ追いかけても逆効果で、こういう基本中の基本と向き合うことが先決だと、目の前にシンプルな道が開けたように感じました。

(Interviewer:本荘 修二 本誌編集委員)

久道 勝也(ひさみち かつや)氏
医療法人社団青泉会下北沢病院 理事長・医師
ロート製薬株式会社 CMO(最高医学責任者)

1964年静岡県生まれ。獨協医科大学卒業後、2007年ジョンズ・ホプキンス大学客員助教授。2009年よりヤンセンファーマ研究開発本部免疫部門長、アラガン社執行役員などを経て、2014年よりロート製薬研究開発本部執行役員。19年同社チーフメディカルオフィサー(CMO、最高医学責任者)に就任。2016年7月に日本初の足病医療の総合病院として下北沢病院を設立。同院の理事長・医師を兼務、現在に至る。
著書に、『死ぬまで歩きたい』(大和書房・2019年3月)、『“歩く力”を落とさない!新しい「足」のトリセツ』(日経 BP・2020年12月)。
その他、日本皮膚科学会認定専門医、アメリカ皮膚科学会上級会員、アメリカ皮膚外科学会上級会員など。

Coming Soon
次回の更新は 05月27日 06月10日 

INTERVIEW

便はからだのお便り

自分を知る、人生を決める

石井 洋介
医師、日本うんこ学会会長
株式会社omniheal代表取締役

 消化器外科医、在宅医療の「おうちの診療所」を開設、「日本うんこ学会」会長、企業や自治体とコラボする株式会社omniheal社長、そして毎日うんこを観察するカンベン(観便)を推奨し、ゲームアプリ等の活動を続ける石井洋介先生に、健康の問題と何をすべきかお話をうかがいました。

見過ごされる大問題、大腸がん

───サイレントキラーとも言われる大腸がんは深刻な問題です。日本では、年間5万人が大腸がんで死亡しており、がん死因のうち女性1位、男性2位です。死亡率は高くなっていますが、検診の受診率が低いままです。一方で、アメリカでは受診率が上昇したのはなぜでしょう。

石井 日米の医療制度には根本的な違いがあります。日本は国民皆保険制度があるため、お腹が痛くなればすぐに病院を受診できます。そのため、困ってから医療機関に行くことが多いです。一方でアメリカは医療費が非常に高額で、できるだけ医者にかからないようにという風潮があります。がん治療を受けると2年位で破産すると言われ、検診によってそれを回避しようとする機運が高まっているのだと思います。

───日本で大腸がんの死亡率が高いのは、早期発見が少なく、発見時にはすでに余命が問われる段階といったことが多いためでしょうか。

石井 実際に多いですね。早期に見つけないと手遅れになる場合があるという認識が日本ではまだ不足しています。アメリカのデータは、検診率の向上が医療費の削減につながることを示していて、日本でもそのようになってほしいと考えています。

<コラム>日本の大腸がん問題のヤバさ

 石井洋介著『便を見る力』から、データ部分のまとめと引用を紹介します。
○日本:死因の約1/4はがんで1位。がん死因のうち女性1位、男性2位が大腸がん。

年間5万人が大腸がんで死亡(2022年厚生労働省人口動態統計)。大腸がん検診の受診率は、女性38.5%、男性44.5%(40-69歳、2019年)。

○米国:大腸がん検診の受診率は、38.5%(2000年)から66.8%(2018年)に上昇。

大腸がん死亡者は、5万3,200人(2020年アメリカ対がん協会推計)。

○日米比較:米国は人口が約2.6倍であり、日本は死亡率が2倍以上となる。

米国は大腸がんの死亡率は低下傾向だが、日本ではこの20年で1.5倍に上昇(高齢化の影響もあり)。なお、がん検診全体も、日本は米国など海外より低い。

 「大腸には痛覚がないため、早期の大腸がんにはほとんど自覚がありません。(中略)自覚症状が出た頃にはかなり進行していて、治療ができない状態になっている。大腸がんが「サイレントキラー」と呼ばれる所以です。そこで重要になってくるのが「うんこ」です。なぜなら、大腸がんの初期症状は「うんこ」に現れるからです」。

(石井氏からの情報提供・協力により本荘が作成)

2千万人の腸がストレスで病む

───石井先生の著書『便を見る力』の中で、「精神ストレスで6人に1人は隠れIBS(過敏性腸症候群)」というご指摘は大変衝撃的ですね。近年では子どものストレスについても言われ始めていますが、IBSの実情についてお教えください。

石井 日本では約2千万人がIBSというデータもあります。私の患者さんには小さなお子さんもいらっしゃいますし、幅広い年齢層に見られます。思春期に多いですが、50代以上からでも多くの方が発症します、私の外来でも上司になったストレスでお腹を壊す方が目立ちます。

───管理職クライシスとも言われていますね。社会的なストレスが増えると、IBSの方も増加するのでしょうか。

石井 増えると思います。若いころからIBSに悩む方もおり、なにかあると下痢っぽい、下痢してしまうという方に多いですね。それが消化器自体でなく、ストレスなどによる腸の運動の問題であることが多いのです。私は「うんこの先生」と名乗っているのでうんこの悩みでも受診に来てくれますが、下痢っぽい、便秘っぽいだけではなかなか受診しないですよね。
 そして、下痢っぽい段階で収まっていた症状がうつにつながり、出勤できなくなるなど顕在化し、傷病手当を使う人が増えています。うつの初期症状としてIBSや偏頭痛が現れることもあり、うつ病患者の4~5割は内科から来ます。その意味でも、便通の異常はうつの早期発見に役立つと言えますね。

70歳からほぼみな便秘

───70歳を超えると便秘になりやすいと聞きますが、何が変わるのでしょうか。若いうちから何か対策をすべきでしょうか。

石井 便の状態がきれいな高齢者の方もたくさんいますが、若い頃から健康を意識して生活されていた方が多いです。最後まで元気でいるには、長く積み上げて健康的な生活習慣をつくることです。高齢者になってから急に健康に気をつかうというのは難しく諦めてしまう方も多いため、積み重ねが大切です。

───中には勝手な生活をしていて、高齢になってから、なんとかしてほしいと慌てて対処しようとする人もいるのではないでしょうか。

石井 そうですね、70年間続けてきた生活習慣の積み重ねを変えてくれと言われても正直難しいし、嫌ですよね。同じように医療に対して考え方、思考も積み上げがあると思います。ピンピンコロリでいいと思って生きてきた人ほど、いざというときに意思決定ができない人もいますね。手術などの治療をすれば生きられますが、合併症や後遺症も残り寝たきりになってしまうかも知れません、どうしますか?という複雑な問いに、迷ってしまう人も多いです。このままでいいと言っていたとしても、本当に死が目の前に来たときに、死をすんなりと受け入れる人は少ないのが現実でしょう。健康なうちから、病気になった時のことを事前に考えることは難しいですが、とても大事なことです。

子どもの便問題への無理解

───NHK視点・論点「子どもの便秘を正しく知る」で、小学生の2割が便秘だが、うち3割は親が便秘と認識しておらず、子どもが便秘で困っていても無視されたり、そのうち良くなるだろうと言われたり、小児科医ですら軽く見ている人がいると説いていました。便秘の自覚なしの子やそうと言えない子などの問題があり、排便日誌をつけて、子どもと排泄について話し理解することを勧めていました。

石井 おっしゃる通りです。私も保健師さん向けに講演することもありますが、便漏れなど子どもの排便問題は多いものの、便や排泄にあまり関心がない子が増えていると聞くので、この先どうなるだろうと心配しています。

───私の家庭では先生の教えを受けて、子どもの便を見たり、子どもにどんなうんこ?すっと出たの?と聞いたりしています。

石井 すごく大事ですね。我々も「先生、うんこ行ってきます」と言える社会を目指して日本うんこ学会を設立しました。近年では「うんこに行ってきます」と言える子が増えているようですね。タブー視は薄まり、世の中がうんこに優しくなった実感があります。『うんこ漢字ドリル』が出る前は、私はテレビに出演できませんでしたが、刊行後は取材が来るようになりました。それまではテレビで「うんこ」と言えなかったそうです。うんこの世界に10年いると社会の変化を感じます。

間違いの盲信、過大な期待

───悪い結果を生むような便秘薬の使い方や、ヨーグルトなど食品の選択を多くの人が信じてしまっている現実があるそうですね。

石井 ヨーグルトを食べると調子がいいという人は良いのですが、ヨーグルトが便秘に良いと思って食べて、逆に悪化している人もいます。合う合わないは体質や病状次第なので、悪くなっているならやめればいいのではと思いますが、自分で見直せる人ばかりではなく、悪化しても食べ続ける人も中にはいます。受け取った情報だけでなく、ちゃんと自分で見て、感じて、考えて、行動することがまずは大切です。

───周りや家族の助言も、時には間違っていることがありますね。

石井 そういうケースもよくあります。一番の敵は身内、というやつでしょうか。がんの患者さんに、これを飲むと治るよとか、家族や友人がエセ医学を勧めるケースが実際あります。もちろん良かれと思ってのことでしょうが、身内に正しくない情報を押しつけられることは結構あると聞きます。

───正しい情報を得るにはどうすればよいでしょうか。

石井 命に関わることに関しては、正しい情報アクセス、つまり国の機関など信頼性の高い情報を見ることをお勧めします。正しい医療情報ですが、抗がん剤の選び方や手術の方法などは、世界共通のガイドラインが決まっている標準治療と呼ばれるものがあります。

───腸内フローラを分析する、良い便を他人に移植するなど、いろいろな便関連のビジネスや自由診療が見られますが、慎重に見るべきでしょうか。

石井 まだエビデンス不十分でわからないということだと思いますが、健康的な生活をするからいい腸内細菌になるのであって、腸内細菌が変わっても人間が変わるわけじゃない。不健康なことをしていたら、腸内細菌を入れてもいい環境になるわけではないでしょう。

健康の基本、便は情報の宝庫

───健康法や健康食品などさまざまな情報を吹き込まれますが、一番の基本は何でしょうか。

石井 やはり、「食べる、出す、運動する」ことです。健康づくりに近道はなく、厚労省が推奨する1日3食、一汁三菜の食事、適切なカロリーはエビデンスに基づいた健康的な生活様式です。健康的でないものがどこかに入っていると、便秘や下痢になったり、排便も崩れたりします。

───便を見ることで、病気の発見につながることもありますか。

石井 実際に、便からおかしいと思って病院を受診した結果、がんが見つかったという声は結構聞きます。便の出方がおかしいから、病院に行こうとなって親のがんが見つかった例もあります。僕たちの仮説として発信してきましたが、実際にも起きているのです。

───便はからだのお便り。これに気づけば、子どももお年寄りも働き盛りの方も、健康に近づくのですね。

石井 その通りです。なので、自分のバロメーターとして「観便」をしましょう。便から、体調の変化を感じることが大切です。うんこはいろいろな兆しが現れる情報の宝庫です。トータルで健康な生活のためには、いい便が出ていることを日々確認することを推奨したいです。

<コラム>ゲームで「観便」を啓発

 石井先生が設立した日本うんこ学会は、一般社団法人うんコレ制作委員会を設立し、ゲームの運営やイベントなどを管理しています。スマホゲーム「うんコレ」は、大腸がんの早期発見を目的としたもので、腸内細菌を擬人化し、課金の代わりに「観便(うんこの報告)」でキャラクターを獲得します。

(石井氏からの情報提供・協力により本荘が作成)

治療するのが本当にいいのか?

───高齢の方に大腸がんの手術をして、手術して良かったのかと考えられたそうですね。

石井 外科治療の結果は5年生存率で評価されますが、年齢的に5年生きられない確率が高い人を手術することもあります。70~80歳を過ぎると、本当の意味で治すのは難しくなります。大腸がんは取れてもトレードオフで失うものが多分にある、その人にとって正解は何か、医療者では決められない。自己決定してもらうことになりますが、それが難しい。
 そもそも「治す」って何だと言われると、かつてとは全然違う価値観になっていると感じます。その違和感から病院を離れ、一時は厚労省に勤務もしました。

───死に方を考えてください、決めてくださいと言われても、すぐには難しいですよね。自分との対話、家族のコミュニケーション、それが不足しているのが根っこにある気がします。きちんと対話できてないまま亡くなって、本人も周りもみな困った例もあります。がんの手術をしなければ良かったのではと言う遺族もいるのでしょうね。

石井 がんが見つかって、「手術しますか」と聞かれたら、お願いしますとなるでしょう。例えば85歳で手術すると、例えば便が漏れやすくなってしまう、歩けなくなる、フレイル(心身の活力が衰えた虚弱状態)が進んで、自宅に戻れず施設に入るかもしれないといったリスクがあります。事前に知っていたら、「自分は手術はしない」と本人が決めて家族に伝えたかもしれません。そんな選択をしても良い時代だと思います。
 急性期の外科から終末期医療の世界に来て、よりそう思うようになりました。長生きすることの意義がどこまであるのか、今まで以上の平均寿命を延ばす意味はどこまであるのかと。手術しない選択も含め、生活を優先して生きていく、「治す」だけではなく暮らしを豊かにする視点が大切だと思います。

<コラム>死を考えておくと、生が豊になる

 「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」とは、日本語で人生会議と呼ばれる取り組み。もしもの時の医療やケアについて、事前に考え、家族や医療関係者と話し合い、共有するもので、現在注目されています。石井洋介著『便を見る力』から、ACPに関係する引用を紹介します。
 「家族が最後に迷うのは、結局、患者本人がそう判断した理由がよく分からないからです。なぜ自分は延命して欲しくないのかという理由を話し合うプロセスを経ることで、互いの価値観を知ることができ、どちらもが納得のいく選択ができる。その時間全体がACPなのです」。
 「言い換えれば、「最後までどう生きたいか」を周囲の人たちと話し合い、意思表示をしておくことでもあるのです。また、ACPで患者の価値観を共有することで、医療側も治療やケアがやりやすくなるという側面もあります」。
 また、石井先生たちは、本人とご家族、関係する医療職が書き込んで価値観やプロセスを共有できるノート「ケアを結ぶ手帳」や、ACPを普及するためのゲームを開発しています(大阪府豊中市と協働)。

(石井氏からの情報提供・協力により本荘が作成)

終わり方を決める、共有する

───「アドバンス・ケア・プランニング(ACP:Advance Care Planning)はいつ頃からやると良いのでしょう。

石井 ACPは「人生会議」とも呼ばれ、将来の医療やケアについて家族や医療関係者と話し合い、共有する取り組みです。3段階あると言われていますが、健康なうちから始める、結婚や出産など人生の転機などで行うのがいいかもしれませんね。次は病気や障害になってしまったタイミング、最後は死を意識する人生の最終段階と言われています。我々のように、在宅医療や終末期の医者が言う場面では、目の前の方があと1年で亡くなっても驚かない場合に勧めています。
 「あと1年くらいで本荘さんが亡くなったとして、みんな驚くと思う?」と聞くと、今は驚くと思いますよ。そこまで頑張って細かい点まで決めておかなくてもいいかもしれませんが、1年以内に亡くなっても驚かないなら、人生の最期をどう過ごしたいのかしっかり大切な人たちと対話を積み上げることをお勧めします。来年亡くなっても別におかしくない高齢者だと、準備しないと間に合わないこともあるでしょう。1回入院して、退院してくるタイミングで僕らは介入して言うことが多いです。

───生き方や考え方は人それぞれ異なることから、あとはご本人の価値観ということでしょうか。

石井 まだ元気でいられるかなと思ってしまう人もすごく多いんですよ。ご家族でもめることもありますね。ご本人の状態をよく知らない方から、まだいけるんじゃないかと言われたりするケースも我々はよく経験します。

───その辺も人生会議、ACPを早めに回しておけばトラブルは少なくなりますね。

石井 そういうことをちゃんとみんなで話しておいて、意思決定しようというときに困らないようにする。防災訓練みたいなもので、震災が起きてからでは遅い。病気になったらどうしようかというのを正月に集まったときなどに話しておいてねとよく言います。なかなかピンピンコロリと逝ける時代ではないので、事前に決めておかないといけませんね。

アクティブに課題に挑むチーム石井

───石井先生は、苦労した後に医者になり、厚労省に行って、うんこ学会をつくって、ゲームをつくって、コミュニティをつくって、本も書いて、omniheal社をやって、おうちの診療所をつくってと、精力的に多方面で活動されている理由はなんですか。

石井 創発というか、新しい仮説検証が好きなのです。まだ誰も見たことがないものにチャレンジしたい。いろいろなものを見て、課題を見つけて、その課題に対して仮説・メッセージを世の中に投げかけてみようとなります。
 もっと医療界や介護を楽しくしようと、いろいろと取り組んでいます。自分で全部できるわけではないので、仲間を増やしながら活動しています。共感してくれる人がいるからできるという感じです。

───omniheal社の顧客には大企業が並んでいますが、企業等との取り組みはいかがですか。

石井 PoC(新製品・新事業などの概念実証:プルーフ・オブ・コンセプト)を依頼されることが多いです。例えば、医療機器メーカーから内視鏡をアプリで何かできないかという相談があり、プロトタイプを作って実証実験までやりました。何かはっきり決まっていない、ぼんやりした球が来て、それにアイデアを出して、プロトタイプを作るような依頼が多く、僕らの強みです。新規事業部門からの依頼が多く、一緒に作らせていただきます。
 このACPゲーム「エンディングゲーム(ENDING GAME)」は大阪府の豊中市とつくりました。やりたいけれどどこから手をつけていいのかといった話だと、ウチはパートナーとして付き合いやすいのかもしれません。

───omniheal社で取り組まれた中野区「孤独・孤立対策に関する地域連携推進モデル事業」についてもご紹介ください。

石井 内閣府の事業を中野区と一緒に企画・運営しました。孤独と孤立は僕らも解消したいテーマなので、区とも協力出来てとても良かったです。課題解決型を大事にするからか、役所や伝統的な日本企業などからいろいろなところから依頼があります。

───企業の社員の健康度や生産性を上げるといった切り口もあるかもしれませんね。

石井 私の仲間が行った研究で、 クリエイターの健康度を調査したところ、長時間労働とうつの相関はなかったようです。 ところが、次の仕事がないかもしれないという不安が最も健康度と相関していたようです。 クリエイターからすると、どれだけ長時間働いても楽しい仕事だから良いが、将来の不安があるのは困るといったところでしょうか。クリエイターに限らずとも、とても納得のいく内容ですよね。
 働き方改革で長時間労働をやめろといいますが、業態や企業による違いがあり、これで問題が解決するわけではない。こういうエビデンスを基に施策を打てば、もっと健康的で元気な社員でいっぱいの会社をつくれると思います。

───おうちの診療所もあり、omniheal社もあり、石井グループの規模はどのくらいでしょうか。

石井 診療所だけで約70人、全体では100人程度です。緩やかなコミュニティまで含めると、何百人もいるかもしれません。

健康・生き方の自己決定

石井 自分のからだをどうしたいか自分で決める時代になりつつありますが、健康の自己決定が苦手な人が多いです。
 どこまで健康的でありたいのか、生きたいのか、どういう人でいたいのかを決めなければなりません。健康のためには、自分と向き合い、良い食生活や運動をするなど努力が要ります。自分のからだに投資しようとなればお金もかかります。これが決められない人がすごく多いと思います。
 中高年になっても時間やお金を健康に使わないまま過ごして、具合が悪くなってから補助食品とかをたくさん使うようになるようなパターンが多いです。早くから健康的で最後までずっと歩き続けられる80代になりたいというビジョンがあったら、今からここしようと自分で決めて、努力することになります。

───もう一つは、70代と便秘の関係もそうですが、いつまでも若い気でおらず、どういうふうに落ちていくか理解するということでしょうか。認めたくないというか、これに向き合おうとしない人が多いのも現実でしょうね。

石井 特に男の人は、退職したり社会性を失ったりすると一気に弱ります。地域活動をしたり、会社以外の人のつながりをつくったりすることが大切なのですが、どんな60代になるのか考える暇がないまま定年を迎える。そうこうしているうちに身体が弱っていき、我々医療者のところにやってくることが多いです。

───健康、そして生活、生き方自体を自分でデザインするということですね。

石井 そうですね。すぐ死ななくなったというか、病気を治せるようになりましたが、どこまで治療するか、どういうふうに最後まで生きたいか、というのをある程度決めたほうが良い時代になってきたと思います。と言っても、一人だけではすぐにできませんから、「おうちの診療所」は、患者さんの人生最後の時間をコーディネートする仕事をしています。

───自分について考え直す、良い気づきになりました。同時に、より良い社会にするために、やることがいろいろとあることも分かりました。自分自身、よく活動が続けられるよう、観便や検診はもちろん健康のため努力したいと思います。ありがとうございました。

インタビュー後記

 3つの大きな健康のアナの一つ、排泄について、目を塞いでいる現実とその愚かさを感じました。大腸がんをはじめ、排泄・便は最も身近なシグナルであり、私たちの健康の基本です。
 そして、生き方・死に方に向き合う重要性を思い知らされました。せっかく生まれ、生きているのに、自らをもっと大切にし、自分と向き合うという人間の基本を再認識したインタビューとなりました。
 また、医療や健康についての啓発・教育のため、やることがたくさんある現実に対し、石井先生たちの多彩な活動、それも楽しさと愛あるアプローチに敬意を覚えます。私たち一人ひとり、そして組織や社会が、あるべき姿とずいぶんズレている実情を、少しずつでもよい方向にと努めたいものです。

(Interviewer:本荘 修二 本誌編集委員)

石井洋介(いしい ようすけ)氏
医師/日本うんこ学会会長
株式会社omniheal代表取締役

19歳の時に潰瘍性大腸炎により大腸全摘出術を受けたことをきっかけに医学部受験を決意。高知大学医学部卒業後、研修を経て横浜市立市民病院へ。消化器外科医として大腸がんの手術などを多数手がける一方、厚生労働省勤務や「日本うんこ学会」創設など意欲的に活動。
「大腸がんは見つかった時点で寿命が決まる」という厳しい現実を打開すべく、毎日うんこを観察するカンベン(観便)を推奨し、医療の現場はもちろん、ゲームアブリやエンタメを通して発信し続けている。近年は、病気の予防・治療に加えて在宅医療の必要性を感じ『医療法人社団おうちの診療所』を開設。著書に『19歳で人工肛門、偏差値30だった僕が医師になって考えたこと』(PHP研究所)、『便を見る力』(イースト・プレス)。

INTERVIEW

ママも子どもも栄養不足の日本

危機にさらされる赤ちゃん

吉川 健太郎
京都大学医学研究科予防医療学教室 医師
株式会社Famileaf 共同創業者

 京都大学医学部附属病院小児科の医師として活動するとともに、誰もが安心して出産できる社会を目指して、妊産婦の栄養状態の新規評価指標の開発、それに関連する企業との共同研究・開発に取り組む吉川健太郎先生に、日本の妊婦と子どもの栄養問題と健康への影響についてお話をうかがいました。

妊婦の栄養指導が大転換

───ママの栄養不足は赤ちゃんの健康に直結しますが、日本は大きな課題に直面しているそうですね。

吉川 2021年より前の日本では、妊娠中に体重を増やしてはいけません、小さく産んで大きく育てましょうと教育していました。体重が増え過ぎですよと注意された方が多かったと思いますが、これを180度転換し、体重をもっと増やしなさいという方針に変わりました。

───これは、世界的な転換ですか、それとも日本だけですか。

吉川 日本だけです。妊娠高血圧腎症(昔の妊娠中毒症)という病気が、妊娠中体重を増やすと発症リスクが上がると示す研究があり、当初は妊娠高血圧症の人だけ体重を抑えましょうという話が、1990年代から妊婦さん全般に体重を抑えましょうという指針になりました。産科婦人科学会と厚生労働省が、別々にですが両方とも妊娠中の体重を抑える指針を出していましたが、2021年に統一した新たな指針を出しました。

───実に最近の話ですね。

吉川 「妊婦の体重管理数値」の見直しを後押したのは、海外の「サイエンス」という権威ある学術誌で、日本の政策が不適切であると名指しで指摘されたということです。
 胎内での栄養環境は、出生時の体重のみならず成人後の健康リスクにまで影響するというDOHaD(Developmental Origins of Health and Disease)学説が注目されています。胎内の低栄養により生じる出生体重の低下は、胎児が成長後に心筋梗塞、2型糖尿病、本態性高血圧といった生活習慣病や肥満など将来の様々な疾病リスクを高めることが分かっています。また、妊娠中の低栄養状態が子どもの脳の発達にも影響を与えることという報告があります。低栄養だと、胎児の脳のシナプス形成がきちんとできないまま生まれてしまう可能性も指摘されています。

やせ型で低カロリー、胎児は飢餓状態

吉川 先進国では日本が圧倒的にやせ型の女性が多い。韓国や中国もやせ型の人が多い印象ですが、日本は韓国の2倍に近いですし、日本の女性の20代・30代の約2割がやせ型です。

  • 成人女性の「やせ(BMI 18.5未満)」の割合・国際比較(2016年):日本9.3%、韓国5.2%、仏2.8%、米独豪1.7%、英1.6%(肥満研究:24,16-21,2018)。

 厚労省による日本人の食事摂取基準で、妊娠中には1日2,100~2,500キロカロリーを採ることと言われています。にもかかわらず、浜松市で行われた研究では妊婦さんの平均が1,600キロカロリーで、必要量の7割程度となっています。妊娠中の体重増加量が基準に達していても、もともと妊娠前にやせ型だった人は8割近くが適切な体重には達していない。従来のガイドラインだとオーケーですが、今のガイドラインだと足りていないことになります。

───妊娠する以前の食事や生活習慣が影響して、さらに妊娠中の食事が影響するわけですね。スリムな芸能人ママを見て、産後すぐに元の体型に戻りたいと、妊娠中に体重を増やしたくない人もいるのではないでしょうか。

吉川 そのような姿勢を「努力」ととらえる向きもありますが、実は胎児の負担はものすごく大きい可能性があります。母体の栄養が制限されていると、子どもも低栄養状態に置かれて飢餓状態に陥っているわけです。すると、低栄養でハングリーな環境下でも生きていけるように、子どもに変化が起こる。インスリン抵抗性や腎臓のネフロン数などに変化が生じて、肥満や高血圧、糖尿病になりやすくなります。栄養という視点をあらためて大切にしたいものです。

<コラム>危機にさらされる日本の胎児

「妊娠前のやせ」と「妊娠中の体重増加不良」は、低出生体重児や早産児のリスクを高めます。

  • 日本人妊婦の妊娠中の摂取カロリーは慢性的に不足しており、妊娠後期では推奨摂取カロリーより33%低い。(日本人の食事摂取基準2020年版)
  • 妊娠前やせ型だった妊婦の体重増加が基準未満(12.5kg未満)の割合は76.3%、全体では63.8%。(Enomoto K et al. PLoS One. 2016 Jun 9;11(6))

胎児期の低栄養・出生体重の低下は将来の健康に影響することが分かっています。

  • 低栄養環境下で胎児が成長すると、出生後にエネルギー消費を抑える「省エネルギー体質」を獲得し、後の2型糖尿病や冠動脈疾患リスクが上昇する。(倹約型体質:thrifty phenotype仮説)
  • 脳の発達は蛋白質やカロリーに依存しており、その不足は小脳・海馬・大脳皮質など一部の領域に深刻な影響をもたらし、記憶・注意の障害につながるa)。胎児期の栄養不足・ストレスは海馬におけるシナプス形成に影響し、空間的な学習や記憶の障害につながるb)。これらの障害が発達障害・ADHD・学習障害をもたらすc)。また運動能力も低くなるd)

a) Nishijima M et al. J Perinat Med. 1986;14(3):163-169.
b) Yang J et al. Hippocampus. 2006;16(5):431-436.
c) Low JA et al. Am J Obstet Gynecol. 1992;167(6):1499-1505
d) Crispi F et al. JAMA Cardiol. 2021;6(11):1308‐1316.

(吉川氏からの情報提供・協力により本荘が作成)

時間がかかる妊婦指導のアップデート

吉川 2021年から指針が変わりましたが、現場レベルだとまだ浸透が足りないかもしれません。お医者さん、助産師さんは更新制度がないので、学会に出向くなどしなければ、なかなか知識のアップデートがされません。

 最近まで、体重は増やしてはいけないということが正しいとされ、そういう教育をされた方々がお母さんになって、娘さんが妊娠してちょっと体重を増やしたら注意してしまう。助産師さんの中にもそのように指導される方もいるでしょう。次の外来までにこれだけに抑えてくださいと言われたりが、一部ではまだ続いています。

───そもそも妊娠すると体重が増える理由はいろいろあるため、実質的には体をやせさせていたのではないですか。

吉川 妊娠中の体重増加量は胎児の影響もあり、血液量も増え、様々な影響で体重が増えます。妊娠中のむくみの影響だけでも5~8リットル水分が増えます。ですから、体重増への注意によって、脂肪などは減っていたかもしれない。そもそも全然食べられていないからむくみすら起きない、脱水のよう状態になっているケースもあるでしょう。

───妊娠前の女性とカップルを対象に、将来の妊娠に向けて健康管理を促すプレコンセプションケアをWHOが推奨していますが、日本で普及していますか。

吉川 妊娠中だけでなく、妊娠前の低栄養が悪影響だと、最近になって言われてきました。数年前に、成育医療等基本方針でようやくプレコンセプションケアが大事ですと言われ始めました。医療界では注目されていますが、浸透は始まったばかりで、広く知識の普及と実践の啓蒙が望まれます。

<コラム>プレコンセプションケア

 日本では、成育医療等基本方針(改定)(令和5年3月22日閣議決定)で、「成育医療等の提供に関する施策に関する基本的な事項: 思春期、妊娠、出産等のライフステージに応じた性と健康の相談支援等を行う「性と健康の相談センター事業」の推進等により、男女を問わず、性や妊娠に関する正しい知識の普及を図り、健康管理を促すプレコンセプションケアを推進する。特に、若年女性の痩せは骨量減少、低出生体重児出産のリスク等との関連があることを踏まえ、妊娠前からの望ましい食生活の実践等、適切な健康管理に向けて、各種指針等により普及啓発を行う。」としています。
 また、成育医療研究センターは次のように示しています。「プレコンセプションケアは、妊娠を計画している女性だけではなく、すべての妊娠可能年齢の女性にとって大切なケアです。自分を管理して健康な生活習慣を身につけること、それは単に健康を維持するだけではなく、よりすてきな人生をおくることにつながるでしょう」。
 なお、思春期前の9歳くらいから話をするとよい、18歳以上はプレコンノートをつける、かかりつけ婦人科医を持つ、社会全体で科学的な知識をもって話せる場をつくることが大切という指摘もあります。

(吉川氏からの情報提供・協力により本荘が作成)

体重から一歩進んだ評価とアドバイスへ

───個人差が大きいのに、これまで一律・平均値的な指導をされてきた印象があります。

吉川 もちろん妊娠前のBMIが18.5未満の人と肥満の人が同じ体重増加指針でよいわけはない。やせの大食いはアジア人に多いのですが、同じやせ型の人でも、1日に2,000~3,000キロカロリー食べているけど体質的にやせている方がいます。そういった方に、体重が増えないのに太らせようとすると、逆に脂質過多とか不健康になってしまう。やせ型を区別する研究にいま取り組んでいまして、国立成育医療研究センターさんをはじめとする全国の周産期センターと一緒に、実証実験しています。

───やせていることよりも、栄養が足りないことが基本的な問題ですね。

吉川 低栄養かどうかでの判断が大事ですが、その評価が難しかった。できないから、今までは体重でしか判断できず、BMIなどに頼らざるを得ませんでした。
 しかし、特にアジア人の場合、妊娠中は体重だけの評価では不十分なので、ソリューションを提案しようと準備しています。同じやせ型でも低栄養かどうかをまず判断する。低栄養となったらすぐに介入する。病的な状態だと認識してもらうことが、低栄養による赤ちゃんへの悪影響を防ぐために必要です。

───体重の増減もですが、量ではなく栄養バランスがよい食事を取ったほうがいいですよね。

吉川 SNSを見ると、例えば低炭水化物ダイエットを一般の方がやられているようですが、極端な糖質制限など流行りの食事法には注意した方がよいでしょう。そもそも食事管理は簡単ではありません。同じケーキ1個を食べて太る方と、そんなに太らない方とがいると思います。同じ体重でも、筋肉量が多い人はその分エネルギーを使うので多く食べますが、筋肉量が少ない人はそれほど必要ない。体質による違いを織り込む必要があります。

欧米とは全く異なる日本

───やせと低栄養の問題の一方、太っている、栄養過多はいかがでしょう。男女ともに糖尿病、高血圧、それに絡んで不妊にもなりやすく、女性には妊娠糖尿病、妊娠高血圧症候群もあります。

吉川 世界的にはそちらの方が問題で、妊婦さんに限らず肥満の方は一般的に糖尿病や高血圧などの生活習慣病のリスクが高くなる。脂質や炭水化物を取り過ぎている人が多いアメリカやヨーロッパ、オーストラリアでは、その分野の研究はたくさん行われています。

───妊娠しているとき、日本の医師は運動するなと言い、アメリカでは運動しろと言われます。

吉川 まさに妊婦の栄養状態や肥満率の違いです。妊娠糖尿病は怖い病気ですが、防ぐには薬よりも運動療法のほうが有効だと言われています。肥満のアメリカ人妊婦さんで、例えば120~130キロから150キロに増える人に、ちゃんと運動しなさいという指導はよいです。海外と日本では全く状況が異なります。やせ型の女性が2割以上いる日本では、その方々に体重を増やすなと言うのは、お母さんにも子どもにも栄養不足を深刻化させます。

───日本でも肥満対策に関心が集まっていますね。

吉川 日日本でも肥満が注目されて、みなが体重を増やさないでというメッセージを受け取っています。欧米の製薬会社の肥満症薬が脚光を浴び、10兆円市場とも言われているので、研究も盛んですし、そちらに引っ張られて低体重・低栄養が見過ごされています。

<コラム>日本肥満学会が女性の低体重・低栄養に警鐘

 日本肥満学会が、肥満でなく、低体重・低栄養に警鐘を鳴らしました。2025年4月に同学会が発表したレポート「閉経前までの成人女性における低体重や低栄養による健康課題 ―新たな症候群の確立について―」は、女性の低体重/低栄養症候群を提唱しています。
 同レポートは、次のように指摘します。「従来の医療制度や公衆衛生施策においては、肥満への対策が重視されており、低体重や低栄養に対する系統的アプローチは不十分であった。」「様々な研究から、日本人女性における肥満認知や理想体重の設定が過度に低く、実際にやせ願望を強くもつ傾向があることが明らかになっている。」「若年期における過度の低体重や低栄養は、骨の成長や生殖機能の発達といった重要な身体機能に加え、その後のライフコース全体に影響を及ぼす可能性がある」。
 また、同レポートは、以下の問題をあげています。
○低体重及び低栄養による健康リスクや症状

骨量低下および骨粗鬆症;月経周期異常、妊孕性および児の健康リスク;微量元素やビタミン不足による健康障害;代謝異常;サルコペニア様状態(筋量や筋力低下);摂食障害;精神・神経・全身症状

○現行制度の課題

肥満症対策として特定保健指導が推進される一方で、低体重に対する介入の枠組みは未だ確立されていない。健診で低体重が判明しても、骨密度や生殖機能への評価といった関連疾患のスクリーニングが実施されることは少ない。また、教育現場においても思春期の子どもたちに対する適切な食育やボディイメージ啓発が十分に行われているとは言い難い。

(吉川氏からの情報提供・協力により本荘が作成)

日本にとってのビジネス勝機

───やせ型の女性が多い日本で、研究を進め対処法を考えておくと、アフリカなど栄養事情が悪い国でも役立ちそうですね。

吉川 そうです。日本発の技術やプロダクトに期待します。アフリカや東南アジアの、いわゆる低栄養で妊婦健診体制も整っていない環境の国で、体重計のような機器に乗るだけで、どんな状態なのか分かる、というのが目指しているビジョンです。

───低コストでバランスのいいフードを提供することも考えられますね。

吉川 そこも今、妊婦さんや生まれた子どもの栄養を改善するものを、食品メーカーさんが海外で実証実験しています。これもどんな状態か診断するシステムと合わせて、オールジャパンで取り組めるとよいと思います。

───このテーマは欧米より日本に分がありますね。

吉川 アメリカやオーストラリアでは、妊婦さんのやせの研究は、治験者が集まらなくて実施困難になっています。日本だと8割弱の方が妊娠中の体重増加基準を満たしてないので、ふんだんにデータを集められます。WHOの指針もそうですが、妊娠中の体重増加不良をどう解決するかというのが世界的な課題になっていて、日本が世界で戦える数少ない分野の一つです。

メディアの間違い、必要なアップデート

───テレビで、健康にいいよということで「納豆がいい」、「ココアがいい」と言われたら、店頭から商品が消えてしまう。知識がない消費者は振り回されるのが現実です。いくら厚労省が正しい情報を出しても、一般人はなかなか見ないですよね。

吉川 見ないです。TikTokやインスタは見ますが。インフルエンサーさんも、小さく産んで体重を増やさないで、と発信している。我々医療界は、どうすればよいのでしょうね。
 また、育児に関しては、低炭水化物ダイエットをしても子どもは立派に成長したとか、我々からすると問題のある食事や事例が紹介されています。ウチはこう育てたから大丈夫と、みなさん個人が発信されることもあります。

───単独よりも、企業さんや既にたくさんの活動をされている組織と連携するというのも一つの手かと思いますがいかがでしょう。

吉川 企業の力は大きいです。例えば、企業努力のおかげで、様々な減塩の商品が売れていて、日本人の食塩摂取量はかなりの勢いで減っています。企業さんのプロダクトで妊婦さんの行動が変容するような仕組みになったらいいなと思っています。

───そして、プロの現場もアップデートしたいですね。

吉川 妊娠中、体重を減らすと、赤ちゃんの生涯にわたる健康に莫大な影響を及ぼしてしまうことは意外と知られていない本当の話です。周囲の人々から、体重を増やさないでねと妊婦さんが言われてしまうのをなんとかしたいです。産科婦人科学会、小児科学会が論文を発表しても伝わらないかもしれませんが、どう社会実装していくかについて、学会内でもかなり議論されています。

───専門のメディアは大丈夫でしょうか。

吉川 医学では数年前に常識だったことが180度変わることがあります。これは利権とは関係なく、科学的に更新される。最新の医学を常にフォローし、アップデートする必要がある。これはまた難しいことですが、きちんと最新のデータを発信し続けられるプラットフォームが重要だと思います。
 著名な妊娠出産メディアですら間違った発信をしばしばしていて、こうしたメディアは影響力が大きいですが、学会がすべてをチェックすることはできません。私たちができることをしっかりやっていくしかありません。

───ご指摘の医学的なアップデートは不可欠ですね。また、スリムになりたいという意識のあおりや「ダイエット=ヘルシー」の刷り込みなど、社会的なメディア環境も問題です。その中で、一人ひとり、そして各企業がどう考え、どう生きるか、問われているのかもしれません。貴重なお話をありがとうございました。

インタビュー後記

 3つの大きな健康のアナの一つ、食事についてショッキングな現実を目の当たりにしました。豊かでフードロスが問われる日本で、栄養不足による危機を招いている、それも胎児の頃から。
 これは栄養指導の方針転換だけの問題ではなく、そもそも過度なスリム志向を醸成している社会の問題でもあります。先進国で日本女性が突出したやせ型比率であることの背景・理由を考えたいものです。
 また、起業家でもある吉川医師と、共にこの大問題に挑む京大研究室や、成育その他研究機関・研究者の方々、企業や支援組織に敬意を表します。一人ひとりが、栄養と食生活について真剣に見つめ直し、自ら考えて行動しないと、健康は危うい、と感じました。

(Interviewer:本荘 修二 本誌編集委員)

吉川 健太郎(よしかわ けんたろう)氏
京都大学大学院医学研究科予防医療学教室
京都大学医学部附属病院 小児科 医師
株式会社Famileaf 共同創業者

2015年京都大学医学部医学科入学。2016年に日本企業とアジアの学生を結ぶ団体AJASTを設立し、京大生チャレンジコンテスト受賞。2018年スイス・ジュネーブのWHO本部インターン中に国連の宣言文書の策定に尽力する。医学部在学中の2020年、妊婦さんへの綿密なサポートの実現を目指すFamileafを共同で設立。

見聞録

第45回
地域おこしに貢献する新しいメディアの創造を

大坪檀のマーケティング見・聞・録

 この4月5日の放送を最後に28年間、月一回のペースでレギュラー出演してきた静岡SBS放送のラジオ番組「Radio East(ラジオイースト)」から、96才の誕生日を契機に降りた。視聴者をテレビ、携帯などの新メディアに奪われて存立が危ぶまれている地方のラジオ番組だが、よくもこんなに長い間存続しているものだと不思議がる人もいる。実はこの番組は、静岡東部地域の経済人、市町村の首長、有識者、地域愛の人々が30年前に立ち上げた「サンフロント21懇話会」と称する団体の地方創生、活性化の活動を支えるため、東部地域の情報を多面的、多角的に発信しようと立ちあげたユニークな番組なのだ。スタジオは清水町柿田川の真正面に展開するショッピングモール・サントムーン柿田川の中。買い物客が放送を見守る仕組みだ。聴取者はいつの間にか北海道から中部地方にまでまたがっているようだ。筆者は静岡県のタクシーに乗ると時々声を掛けられ、どこかで聞いた声だといわれてびっくり。

 筆者のラジオとの関係は長い。第二次世界大戦の開戦を告げる大本営発表も終戦を告げる昭和天皇の玉音放送もこの耳で聴いたのはラジオだ。静岡県立大学に赴任して間もなく静岡SBS放送の朝のニュース番組に長い間出演した。国際会議や学界に海外出張する際には現地駐在の静岡県企業の日本人ビジネスマンを取材して電話で朝のニュースで現地事情を紹介するなどもした。静岡県を訪問することになったエズラ・ヴォーゲル先生(『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者)にはハーバード大学のキャンパスから日本語でSBSラヂオの番組に登場し静岡県民にお話しいただいたこともある。
 トランジスタの出現はラジオに戦後革命的な変化を起こした。従来の真空管のラジオはトランジスタをベースとするものとなり、その性能、形、デザイン、用途などに大きな変革をもたらした。筆者はアメリカの企業訪問にはお土産にソニー製の小さなラジオを持参、大変好評だった記憶がある。ソニーの小さなラジオはポケットにも入る。ベッドの傍らに置いて聞いたり、料理をしながら聞いたりで、手頃さと便利さでラジオ放送は所謂ながら族なる言葉を生んだ。誰でも気軽に接しうる格好な情報、エンターテインメントに接する手段となった。戦後まもなく登場したNHKラジオの人気番組・日常英語会話教室『カムカム・エブリバディ』はラジオによる外国語教育の走りだった。戦後世代の日本人には何とも懐かしいラジオ番組で今でも耳に響く。
 ラジオが日本に出現して100年。1925年3月22日は日本初のラジオ放送が行われた。これは今でいうNHKによるものだった。民放ラジオは1951年に民放16社の手により始まった。最初はAM放送だったが、これにFM放送が加わった。FM放送は音質が良く音楽放送に好評だ。ここにきてこの民放AM放送47局のうち44局が2028年にFM局に転換することを目指すとしている。FMラジオ放送に転換する理由に設備更新費用や維持費の問題が挙げられているが、スマートフォンという新しいメディアの出現が大きいと言わざるを得ない。パソコンやスマートフォンがあればラジオは不要、FMもAMも聞けるだけでない、TVも視聴できる。防災情報を含め多種多様な情報にいつでも接することができる。
 東海道線の乗客が何をしているのか。薄眼で調査するとほとんど全員がスマホを見ている。何を見ているのか。両側の乗客の手元を見るとゲーム、娯楽、アニメやニュース記事、広告、PRを流し見ている。今やラジオに接している人にお目にかかることはない。100年の歴史を持つラジオは消え去るのみか。マーケターはどう見ているのだろうか。ラジオは生活にしみ込んだ身近な、費用の掛からない媒体だと思っていたのに現状は何やら寂しい限り。
 地域の活性化が叫ばれて久しい。人口減少に加えて高齢化により地域市場は日々細りゆくのみ。消滅しつつある地域の悲鳴が聞こえてくる。地域経済の振興、活性化には地域愛にあふれる産業人の産業活性化に向けた多角的、多面的な創造的努力に加えてマーケターの地域の特色に合わせたきめ細かいマーケティング努力が一層求められる。地方紙、地域メディアの衰退はこの地域経済発展の足かせ。ちらしや投げ込み広告も姿を見せない。地域志向のマーケティングには地域志向のきめ細かいメディアの存在が不可欠。マーケターの手で何か新しい地域おこしのメディアを創造することができないだだろうか。

Text 大坪 檀
静岡産業大学総合研究所 特別教授

BOOKS

『なぜ看板のない店に人が集まるのか
スモールビジネスという生存戦略』 

『なぜ看板のない店に人が集まるのか 
スモールビジネスという生存戦略』
田中 森士 著 祥伝社‎

 本書は、スモールビジネスの本質に鋭く切り込んだ一冊である。タイトルからは小規模な店舗経営のノウハウ本を想像するかもしれないが、実際には、事業開発や新規ビジネスの担当者を始めとする、すべてのビジネスパーソンにとって示唆に富む戦略書となっている。 
 AIの進展、人口減少、金融政策の転換といった構造的なマクロ環境の変化は、企業規模を問わず無視できない影響を及ぼしつつある。こうした時代において、いかに事業を構想し、他社と差別化し、持続可能な形で市場に定着させるか。本書では、その問いに対する具体的な思考の枠組みが、豊富な実例とともに明快に提示されている。 
 著者の田中氏は、スモールビジネス支援を手がけるコンサルティング企業の経営者であると同時に、アジア最大規模の中小企業ネットワーク「アジアスモールビジネス連盟」の日本代表も務めている。実務に根ざした経験と、数多くの支援事例から得られた知見をもとに展開される本書の議論は、一般的な理論書とは一線を画す。抽象論ではなく、現場で蓄積された知見を通じて、理論と実践の架け橋を構築している点が際立っている。 
 特に注目すべきは、「スモールビジネスの持続可能性チェックリスト」の存在である。10項目にわたるこのリストは、単なる経営診断のツールにとどまらず、持続的な成長を見据えた戦略設計の中核を担うフレームワークとして機能している。スモールビジネスの現場に即した問いと示唆は、そのまま事業戦略立案に直結する実用性を持っている。 
 また、本書が一貫して訴えるのは、従来型の「拡大ありき」の経営観への疑義である。近年フィリップ・コトラーが提唱する「デグロース・マーケティング(脱成長:degrowth marketing)」では、成長ではなく持続可能性が中心的テーマとされる。本書も同様に、「むやみに拡大しない」という姿勢――すなわち、規模よりも価値の深さや顧客との共感を重視する視点――を基盤としており、成長神話に依存しない経営のあり方を提起している。 
 「なぜ看板のない店に人が集まるのか」という問いは、企業活動の本質を鋭く突いた命題といえる。広告や装飾を排してもなお顧客に選ばれる企業とは何か。その答えを考えることは、「自然と売れる仕組み」を生み出すマーケティングの原点を見つめ直す行為でもある。企業が社会や顧客に対して本当に届けるべき価値とは何か――本書はその原点への思索を、読者に静かに促してくる。 
 ビジネスの規模や業種を問わず、新しい価値の創出に向けて動き出そうとするすべてのビジネスパーソンにとって、本書は確かな道標となる。拡大よりも深度、表層よりも本質が問われる時代において、経営の足場を築くうえで間違いなく読むべき一冊だ。

Recommended by 河野 安彦
日本マーケティング協会 国際事業部 部長