大坪檀のマーケティング見・聞・録
この4月5日の放送を最後に28年間、月一回のペースでレギュラー出演してきた静岡SBS放送のラジオ番組「Radio East(ラジオイースト)」から、96才の誕生日を契機に降りた。視聴者をテレビ、携帯などの新メディアに奪われて存立が危ぶまれている地方のラジオ番組だが、よくもこんなに長い間存続しているものだと不思議がる人もいる。実はこの番組は、静岡東部地域の経済人、市町村の首長、有識者、地域愛の人々が30年前に立ち上げた「サンフロント21懇話会」と称する団体の地方創生、活性化の活動を支えるため、東部地域の情報を多面的、多角的に発信しようと立ちあげたユニークな番組なのだ。スタジオは清水町柿田川の真正面に展開するショッピングモール・サントムーン柿田川の中。買い物客が放送を見守る仕組みだ。聴取者はいつの間にか北海道から中部地方にまでまたがっているようだ。筆者は静岡県のタクシーに乗ると時々声を掛けられ、どこかで聞いた声だといわれてびっくり。
筆者のラジオとの関係は長い。第二次世界大戦の開戦を告げる大本営発表も終戦を告げる昭和天皇の玉音放送もこの耳で聴いたのはラジオだ。静岡県立大学に赴任して間もなく静岡SBS放送の朝のニュース番組に長い間出演した。国際会議や学界に海外出張する際には現地駐在の静岡県企業の日本人ビジネスマンを取材して電話で朝のニュースで現地事情を紹介するなどもした。静岡県を訪問することになったエズラ・ヴォーゲル先生(『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者)にはハーバード大学のキャンパスから日本語でSBSラヂオの番組に登場し静岡県民にお話しいただいたこともある。
トランジスタの出現はラジオに戦後革命的な変化を起こした。従来の真空管のラジオはトランジスタをベースとするものとなり、その性能、形、デザイン、用途などに大きな変革をもたらした。筆者はアメリカの企業訪問にはお土産にソニー製の小さなラジオを持参、大変好評だった記憶がある。ソニーの小さなラジオはポケットにも入る。ベッドの傍らに置いて聞いたり、料理をしながら聞いたりで、手頃さと便利さでラジオ放送は所謂ながら族なる言葉を生んだ。誰でも気軽に接しうる格好な情報、エンターテインメントに接する手段となった。戦後まもなく登場したNHKラジオの人気番組・日常英語会話教室『カムカム・エブリバディ』はラジオによる外国語教育の走りだった。戦後世代の日本人には何とも懐かしいラジオ番組で今でも耳に響く。
ラジオが日本に出現して100年。1925年3月22日は日本初のラジオ放送が行われた。これは今でいうNHKによるものだった。民放ラジオは1951年に民放16社の手により始まった。最初はAM放送だったが、これにFM放送が加わった。FM放送は音質が良く音楽放送に好評だ。ここにきてこの民放AM放送47局のうち44局が2028年にFM局に転換することを目指すとしている。FMラジオ放送に転換する理由に設備更新費用や維持費の問題が挙げられているが、スマートフォンという新しいメディアの出現が大きいと言わざるを得ない。パソコンやスマートフォンがあればラジオは不要、FMもAMも聞けるだけでない、TVも視聴できる。防災情報を含め多種多様な情報にいつでも接することができる。
東海道線の乗客が何をしているのか。薄眼で調査するとほとんど全員がスマホを見ている。何を見ているのか。両側の乗客の手元を見るとゲーム、娯楽、アニメやニュース記事、広告、PRを流し見ている。今やラジオに接している人にお目にかかることはない。100年の歴史を持つラジオは消え去るのみか。マーケターはどう見ているのだろうか。ラジオは生活にしみ込んだ身近な、費用の掛からない媒体だと思っていたのに現状は何やら寂しい限り。
地域の活性化が叫ばれて久しい。人口減少に加えて高齢化により地域市場は日々細りゆくのみ。消滅しつつある地域の悲鳴が聞こえてくる。地域経済の振興、活性化には地域愛にあふれる産業人の産業活性化に向けた多角的、多面的な創造的努力に加えてマーケターの地域の特色に合わせたきめ細かいマーケティング努力が一層求められる。地方紙、地域メディアの衰退はこの地域経済発展の足かせ。ちらしや投げ込み広告も姿を見せない。地域志向のマーケティングには地域志向のきめ細かいメディアの存在が不可欠。マーケターの手で何か新しい地域おこしのメディアを創造することができないだだろうか。
Text 大坪 檀
静岡産業大学総合研究所 特別教授