特集


【新春鼎談】
持続可能な未来を実現する
マーケティングの実践に向けて新春鼎談

新春鼎談

by 藤重 貞慶、内田 和成、高石 一朝

コロナ禍やウクライナでの紛争、生活面では激しい物価高など、これまで平和の中で享受して当たり前と思い込んでいた生活に変化が起こりつつある。
このような難局に対応し、そして持続可能の未来を拓くためにマーケティングの果たすべき役割について議論した。

藤重 2022年も実にいろいろありましたね。続くコロナ禍やロシアによるウクライナへの侵攻、生活面では激しい物価高など、我々がこれまで平和の中で享受して当たり前と思い込んでいた生活に大きな変化が起きています。
 これまでは「モノの豊かさ」が幸せを左右する時代でした。しかし、モノでは人の心を充足させることができない。もはや多くの人が、モノやお金ではなく「心の豊かさ」が大事であると気づき始めています。
 ただ、人間本来の生き方を追い求めるにしても、環境問題や食糧問題、財政金融問題など、現実にはさまざまな制約条件があります。こうした条件の中で、心豊かなライフスタイルを築きあげるにはどうすればよいと思いますか。

高石 フードロスの問題などもそうですが、我々はその問題点に気付きながらもいまだ供給過剰の状況にあります。そういう点からもいまだにモノに頼りすぎている感じはあります。

内田 例えば、デ・マーケティングという考え方が昔からあります。一般的にデ・マーケティングとは、企業が需要の全体量を抑えたいときに使う手法です。従来のマーケティング、いわば正統的なマーケティング活動が需要の喚起をめざすのに対し、デ・マーケティングはその反対の需要の抑制です。需要過多になったとき、マーケティングは顧客との関係を維持しながら、需要を供給との適正な水準まで減少させる役割を持つということがデ・マーケティングの考え方です。

高石 フィリップ・コトラーとシドニー・レヴィが、1971年に『ハーバード・ビジネス・レビュー』の「デ・マーケティング戦略」において提唱していますね。

藤重 マーケティングは、売上や利益を拡大するための需要喚起の活動が中心ですが、中長期的な視点で需要と供給の適正なバランスをとるのがデ・マーケティングというわけですね。

内田 おっしゃる通りです。デ・マーケティングは、実在の正統的マーケティングがあってこそ、その存在価値と意義があるわけです。デ・マーケティングの考え方が必要であるのは、需要と供給の適正なバランスが必要であるとの認識に立つ点です。したがって、デ・マーケティングはマーケティングへの対立ではなく、あくまでもマーケティングの一局面であるということです。
 人々の価値観が変わってきたことに伴うマーケティングの変化というのはとても大きいものです。人々の心理的な変化が非常に大きなファクターとなり、これが構造変化をもたらしたり、イノベーションにつながったり、社会の変化につながっていくわけです。もちろん、必ずしもこの順番とは限りませんが、人が変わり、企業が変わり、社会が変わり、国が変わり、そして世界が変わるというのが私の見方です。
 例えばこれまでの企業社会では、実力主義、成果主義が正しいとされてきました。しかし今は、仕事で認められることよりも、家族や親しい人の健康や幸せについてのプライオリティが高まっています。こうしたことは非常に大きな変化だと思います。個人のマインドセットが変わることで、結果として、社会や企業が変わってくるのではないでしょうか。いかにそういう変化を起こしていくかというのがマーケティグの大事な役割に変わっていくんじゃないかなと僕は思います。

(左から)
藤重 貞慶 公益社団法人日本マーケティング協会 会長/ライオン株式会社 特別顧問
内田 和成 公益社団法人日本マーケティング協会 理事長
高石 一朝 公益社団法人日本マーケティング協会 専務理事

藤重 また、こういう不確実な時代だからこそ、企業経営者は「今日を生き抜くための施策」と「明日をつくるための施策」の二つを同時に実行する能力が求められるのではないかと思います。
 とかく先行きが不透明な中では、目の前のことに目が行きがちになります。仮にそれでなんとか生き抜くことができたとしても、組織が疲弊してしまえば、その企業が持続するのは難しくなります。経営者は、何のために今日を生き抜くのか。その目的を明確に示す必要があります。そのためには現場に足を運び、できるだけ確かな情報をつかみ、それを元に先を読んで、将来のために何をすべきかを判断する。これが経営者の条件だと私は思います。

内田 だからといって、不確実だからこそ、先を見通そうとしたり、何が正解かを言い当てようとしたりすることにエネルギーを費やしすぎてもいけないかもしれません。では、何もしなくていいのかというと、もちろんそんなことはありません。何が起こるかわからないのなら、わからないことを無理にわかろうとするのではなく、これからも何が起こるかわからないし、何が起こっても不思議ではないという現実に対して覚悟を決めておく。それが肝要であり、これからの企業経営の大前提となるのではないかと思います。
 不確実な時代においては当然、企業が抱えるリスクもますます多様化・複雑化します。紛争地域における政治リスクやテロの脅威が増大する一方で、激しい自然災害や大事故、不祥事など、リスクはいつどこで顕在化してもおかしくありません。いざ事が起こったときに、パニックになったり、後手を踏んだりしないよう、あらかじめどういうリスクがあるかに思いを巡らせ、覚悟しておく必要があるというわけです。

高石 覚悟の経営といえば、SDGsやダイバーシティなど、ますます多様性に対して企業はどうアプローチをとるのかということも避けて通れない重要なことだと思いますが、いかがでしょうか。

内田 個人でも会社でも、国でも社会でも、みんなが同じ方向を向くのではなくて、各自でどこまで取り組むかを判断し、できる範囲で選択していく時代になってきていると思います。そもそも多様性のある社会とは本来そうであるべきなのです。私は今の日本におけるダイバーシティへの取り組みは少しおかしいと思います。どこの会社も女性比率を何割、女性の管理職比率を何割とか、一つの企業内でダイバーシティを確保しなくちゃいけないという側面が強く、これでは対応だけで疲弊してしまいます。もっと大きな単位で、例えば国や産業単位でダイバーシティがあれば良いのではないかと思います。

藤重 確かにもっと自由度があってもいいかもしれませんね。指標に縛られすぎている感はあります。
そもそもアメリカと日本の視点だけでもずいぶん差があります。例えば多様な人種が集まるアメリカでは、それゆえに、寛容な会社であればあるほどさまざまな人種の従業員がいます。そしてその中にも、移民であったりとか、異なる人種、異なる生活様式の人がいます。こうした人たちすべての考え方、感じ方を尊重しましょうという流れが根源になっています。しかしこうした体験は日本ではとても少ないわけです。ですから、日本では日本独自のダイバーシティ・マネジメントが必要なのではないでしょうか。

内田 同感ですね。ダイバーシティ・マネジメントとは多様性のある人材を企業の中でどうやって活かしていくかという問題です。ところが、日本ではダイバーシティというとイコール女性活用ととらえられがちですが、それは間違いです。多様性には女性に限らず、中高年、障がい者、外人など幅広い属性の人を含みますし、さらに広げて考えてみれば価値観や宗教観の違う人間をどのように統合して価値を高めていくかという問題にまで行き着きます。それをインクルージョンと言います。ダイバーシティは多様性を認める考え方であるのに対し、インクルージョンは、包括したうえで、個々の強みを活かす考え方だといえます。ダイバーシティだけではかえってトラブルの原因になってしまうこともあるかもしれません。そのためダイバーシティだけではなく、さらに個々の強みを活かしていける状態にするインクルージョンが重要だというわけです。

高石 日本では昔から日本人男性の正社員ばかりが活躍していましたが、女性や高齢者、外国人、障がい者など、多様な人材の特徴を理解して組織力向上につなげていくことが重要というわけですね。

藤重 このたびのコロナ禍では、他者に対して尋常ならぬほど不寛容な人々が見受けられましたね。ある種不寛容の時代になったのかもしれません。確かに意思表示をはっきりすることがとても大事ですが、同時に曖昧さをわかり合えるのも非常に大事なのではないか。その曖昧さを許容できなくなった今の時代というのは、ある意味で不寛容の時代なんだと思います。人に対して非常に不寛容。人間は無意識のうちに、自分がそうあってほしいと願う情報、自分の信念に合致する情報を選び、自分が否定したい情報や自分にとって都合の悪い情報を排除する傾向があります。こういう傾向が強まると、ますます閉塞的な世の中になってしまいます。

高石 自分の意見はちゃんとあるけど、人の意見も認めるということですよね。違う価値観も。

内田 今の藤重さんの話では、まさに私が選択の時代と言っているのはそういう意味で、社会といってもその中身は非常に多様性があります。私はいろいろな意見を言い合える、そして多様性のある考え方を許容する社会になっていかなくてはいけないと思います。価値観や嗜好が異なる者同士がうまく共存していくことができてこそ、お互いにプラスの効果があるというものです。
 会社経営もそうですね。私は正直、経営者が多少失敗をしようが、ちゃんと会社の業績を上げてくれれば全く問題ないと思うのに、対応すべき外部課題が多すぎると萎縮して思い切ったリスクを取れなくなるのを危惧しています。完璧主義というか。世間がそれを許容しない風潮があります。

藤重 歴史的に見ても、偉大な経営者には、プラスの面もあるけどマイナスの面もちゃんとある。でも、結果的に大成するじゃないですか。やはり失敗してもいいからとりあえずやってみる、そういう人が必要なのですね。

内田 私は「現場力」と呼んでいるのですが、コロナ禍のような非常時はそこで求められるのは、現場のリーダー一人ひとりが、今ある情報の中で瞬時に正しい判断をすることです。中には計画を予定通り進めるだけではなく、ときに強行突破をすることもあれば、引き返す決断をしなければならないこともあるでしょう。わからないなりにも先を見通して行動しなければならない先見性、そしてどの方向に突き進むのか判断し、行動に移す決断力と実行力。そして間違ったと思ったら、潔く諦めて次の手を打つ勇気が必要です。これらの能力をフル動員して現場の人間が状況判断をして動かなければならない。これこそが「現場力」であり、コロナ禍のような状況では最も重要な能力だと考えています。

高石 さて、これからのマーケティングはどのような役割を果たしていくべきでしょうか。

藤重 これはワールドマーケティングサミットの講演でも述べたこととですが、現在、人々はコロナパンデミックに直面して、本当の幸せは何かを考えるようになりました。本当の幸せは一人でできないこと、人と人、人と社会、人と自然にうまく収まっているところにあるということに気づいたのです。また、大規模な自然災害も多くなっています。地球温暖化の進行が取り返しのつかない点、ポイント・オブ・ノーリターンに近づきつつあることを思い知らされ、エネルギー政策を根本から見直さないといけないことを我々に課題として投げかけました。また、地政学的なリスクも増大し、グローバルな経済活動に深刻な影響を与えています。我々は、今まで少々生き急ぎ過ぎてきた感があります。
 これからの世の中には大きな3つの潮流があると思います。それを踏まえた上で、これからの持続可能な未来を創るマーケティングの視点とは何かを考えてみたいと思います。
 3大潮流とは、
 Well-being Life (幸福感の高い人生の追及)
 Sustainable Growth (持続可能な成長の追及)
 Resilient Society(しなやかで強靭な社会の追求)
のことを指します。
 まず、Well-being Lifeでは、人々の幸せに対する価値観の変化が挙げられます。量より質、質より感性の満足です。共感、感動、一体感が強く求めれています。人生100年時代に我々が願うのは最期まで幸せであることです。人は、人や社会とのかかわりの中で幸福を感じるのです。
 次のSustainable Growthでは、エネルギー政策の大転換と循環型社会のシステム構築が重要になります。
 3つめのResilient Societyは大規模災害や地政学的リスクに対して、しなやかに対応できる社会システムの構築の緊急性が増しています。
 ここではハードの分散化とソフトの集中化の仕組みをつくり、すぐに連携できることが強く求められています。

高石 これら3つの潮流の中でこれからの企業にとって大事なことはなんだと思いますか。

藤重 それは、①事業の定義(パーパス)とビッグビジョン、②革新力、③現場力の3つだと思います。
①では顧客はなにを買っているのか、なにに満足しているのか。自社の事業はどのような社会課題を解決するかを明確にすることです。②は新鮮な驚きと感動を与えるとびぬけた革新力であり、新しい価値をつくる革新力です。③はさきほどもお話のあった「現場力」です。現場力は人間の身体に例えれば骨と筋肉のようなものです。現場力は危機に際して瞬時に対応する力でもあります。また新製品や新サービスが開発される場所であり、顧客に対して真実の瞬間を担う場所でもあります。

藤重 持続可能な未来を考えるにあたり、環境のみならず人間の本質を理解することが大事です。まず人間の本質は、身体の構造や我々の基本的欲求の点からは10万年前とまったく変わっていません。また、これからも変わらないと思います。持続可能なマーケティングの視点を考える場合、ここがまず基本だと思います。
 人間の本質の2つめは、人類は環境に適合するために自らを変えるのではなく、道具を開発してきました。デジタル技術の飛躍的な発展もこの文脈の中で言い続けられ理解されるべきです。主客を転倒してはいけません。
 そして人間の本質の3つめは、これがとても大事なところですが、人間はDNAというデジタルと、心と身体というアナログで安定しています。人間の本質はアナログにあります。本当に大事なのはアナログです。アナログである心と身体にとって快適なもの、美しいものが一番大事なのです。五感で感じられる生き方が大事なのです。
そして同時に、我々は一人で生きていくことができません。喜怒哀楽を分かち合う感性の触れ合いが大事です。そのためにはプロセスが大事です。社会というのはプロセスを共有し、味わうためにあるのです。
 人々は、これまでハイテクとハイタッチの選択を迫られた際は、常にハイタッチを選択してきましたが、これはこれからも変わらないと思います。
 コロナ禍は、人と人の接触を分断させましたが、同時に人と人との直接の対話の重要性を再認識させるきっかけにもなりました。家庭の存在、教育の意義を再発見させることにもなりました。コロナ後は、きっと密度の濃い直接交流、直接対話の社会が誕生し、それが新たなビジネスを生み出すことにもなりそうです。
これからのマーケティングの機能で大事なことは、人と人、人と社会、人と自然の間に良い関係をつくる、すなわち関係力を強化することであります。人と人との共感力をつくることです。そのための人間力を高めることころにあります。すなわち共感・感動のマーケティングの追求こそが持続可能な未来を実現できるのです。