寄稿


自分の足できちんと立っていたいな!

中島 聡
株式会社明治 執行役員 マーケティングソリューション部長

新春提言

 コロナ禍で大きく揺れ、そして地政学的問題でも大揺れの2022年が終わり、2023年が始まった。昨日の次の日が今日、去年の次の年が今年といった考えもあるであろうが、あえて共役不可能の今年として、パラダイムを変える今年として想いを述べてみたいと思う。
 今回のコロナ禍や地政学的な問題が予測されうる未来を大きく変えてしまったのは事実であろう。
変えるというよりも、予測されうる変化を加速度的に早めたといっても過言ではない。DX、健康意識、グローバル化の危険性、グローバル化の次に来るものと想定された分断、食料危機と枚挙に暇はない。
 しかしながら、何か地に足がつかないフワフワした感覚を覚えるのは私だけであろうか。フワフワしたという言い回しが不適切なのかもしれない。何か、自分とは別の何かから引きずり回されているという感覚であろうか。
タクシーの後部座席に座ると、目の前の座席のモニターで動画として放送される様々な広告、効率化を図るデジタル関係の動画や、見える化を図るためのデジタルの活用、富裕層のみをターゲットとした広告等が多く見受けられる。あらゆるシーンやオケージョンを情報伝達の手段として活用する事は決して悪い事ではない。
 ただ、私の場合はタクシーに乗った時くらいは静かな時を過ごしたいと思うもので、つい、画面をOFFにしてしまうのである。例えば、人財の多面評価等は全く間違ったものではなく、人事の恣意的属人性を排除するためにも大いに結構なことである。また、ターゲットを絞り込んだコミュニケーション戦略はマーケティングの黄金律である。大きなイノベーションを達成した方々には様々なパターンがあるであろう。人心を掌握し、様々な方の力を結集し、成し遂げるパターン、四面楚歌の中でも信念に基づき成し遂げたパターン等である。
 時代の流れに逆らうことはできない。そうした中でこのような取り組みは私のように画面をOFFにするのではなく、注視する事が大切なのかもしれない。ただ、何故か一抹の不安感や言葉に著すことのできない悲しさを感じてしまうのである。時代の変化という大きな流れの中で、足元を濁流が流れ、自分自身の立ち位置がアヤフヤになっているといった感覚である。本質は一体何なのかということを考えてしまう次第である。

 マズローの5段階欲求説に従えば、自己実現欲求が最上位欲求となっている。そして様々な世間の論調はこの事を後押しするかのような論調である。当然、生存、安全、帰属、尊厳の欲求とパラダイムが異なるわけではなく、全てが関連しあって初めて達成できるものであるが、この数年のウィルス禍や地政学的変化は根幹の生存という概念から大きな揺さぶりをかけるものであった。今後は、今まで以上にこの5段階は同一パラダイムの中で語られることとなるであろう。
 ここまで述べてきて、自己実現という概念を核に3つのキーワードが存在するのではないかと考えるようになった。自律・自立・他律というワードである。様々な情報に振り回され、自我の確立とは逆の動きがないかを考える必要があろう。
 情報の受け取り、そして発信には一定のルール(ルールという言葉は不適切かもしれないが、一定のやって良いこととやってはいけないことを守ることという言葉のほうが適切かもしれない)があることが前提である。フェイクニュース、エコーチェンバー、フィルターバブルと様々なワードが語られているが、本質は自らが目立ちたい、注目されたい、そして気持ち良い情報に囲まれていたいというエゴなのかもしれない。現在、典型的なのはグループラインなのかもしれないが、一人の人間は20個程度のクラスター(比較的同じ価値観を持ったり、行動様式を持った集団)に属しているといわれている。この集団がどんどん細分化され、数が多くなっているという。まさに5段階欲求説の帰属意識の高まりともいえよう。しかしながら、本質は単なる帰属意識というものではないのであろう。不安感、誰かと繋がっていないと不安で仕方がないという事ではなかろうか。
 そこで今一度高名な「中根千枝先生」がおっしゃった日本社会の特質を顕わす言葉としての「切符社会」という言葉を思い起こす必要がなかろうか。「村落共同体」としての「同質社会」を顕わされた言葉として私は理解しているが、他人から「村八分」にされないためにあえて同質的振る舞いを行う、換言すれば、どのようにしたら他から良く見られるかを意識した他律の時代に入っているのではなかろうか。
 他律では、自律ましてや自立は不可能である。自律した情報の発信、そしてあえて孤立も恐れない事、理解してくれる人は理解してくれるし、そうでない方もいらっしゃると割り切る事が必要ではなかろうか。他律から、自律へ、そして自立へと敢えて自律により辿りつきたいものである。

 言い古されていることではあるが、ブランドの成立与件として継続性、独自性、明瞭性というものがあるが、フェイクの対立概念は「本物」である。いかに「本物」たりえるか、修練を大いに積まなければならないが、一方では人間はスーパーマンのように万能であることはできない。企業もまた然りかと考える。コアコンピタンス、ドメイン、ミッションと様々な言葉で語られるが究極は「どの得意分野で世の中に幸せをお届けするか」ということであろう。総合〇〇と語られる企業であっても、全ての分野で追随を許さない強さと独自性を持った企業は稀有であろう。個人もまた然りかと思う。
 そうした中で、複雑系の最たるものである人間、また環境というものと関る場合は、一人ではまた一社ではとうてい関る事はできないであろう。企業が様々なヘッドハンティングを行うのはそのことを踏まえてのことであろう。
 そこで考えられるのは「自前主義」からの踏み出しであろう。様々な専門分野で突出した人、企業同士が連携し、持ち寄った強みをシンクロナイズし新たな価値を生み出すことであろう。そうした場合に必要なのは、自らが選ばれる存在であることである。簡潔に言えば、コラボレーションしていただく相手先様にも大きなメリットを与えることができるかということである。
 前項で述べた独自の「自立」力を持った人、企業しか残れないということではなかろうか。
 2023年、自立と自分自身のブランド力磨き、この2点を念頭の抱負といたしたい。

中島 聡
株式会社明治 執行役員 マーケティングソリューション部長

生活者・流通業・情報技術革新等を踏まえた統合マーケティング戦略策定業務に従事。他に、公益社団法人日本マーケティング協会常任理事、明治大学大学院グローバルビジネス研究科兼任講師、気仙沼水産食品事業協同組合顧問、食品需給センター理事、ヘルスケア学会理事を務める。