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前回まで見てきた‟幸運な偶然”と呼ばれているセレンディピティはどのようなジャンルでよく見られるのでしょうか。最近ではマーケティングにおいても、セレンディピティ消費という言葉を耳にする機会が増えてきました。セレンディピティ研究の現状を踏まえて、わたしたちの周りの身近に出現するセレンディピティへの気づきを考えてみましょう。
セレンディピティ研究の現状
偶然をきっかけとするセレンディピティは、今日のような先の見えない不確実なVUCAの時代においても、組織や個人の日常のさまざまなシーンに不意に登場してきます。想定していなかった価値や新たな見方の出現は、個人のみならず組織においても新たな発見やイノベーションを生みだすきっかけともなります。
経営学者でイノベーション研究家のクリスチャン・ブッシュは、現在セレンディピティ研究が活発な代表的な分野として4つのジャンルを例にあげています。自然科学の「分子化学」、社会科学の「図書館情報学」と「経営学」そしてコンピューターサイエンスの「ヒューマン・コンピューター・インタラクション(HCI)」の分野です。これを見ると、セレンディピティ研究は自然科学分野のみならず、広範なジャンルに渡っているのがわかります。
本コラムでも取り上げたノーベル賞受賞の白川英樹博士の専門でもある分子化学の分野では、実験に際して精密に条件が統制されているため、トライアンドエラーが実施しやすく新たな発見に繋がるセレンディピティも発生しやすいと考えられます。
また、図書館情報学でも近年セレンディピティ研究が注目されるようになってきました。
図書館ではさまざまな資料を利用者により多くアクセスしてもらうために、利用者の資料探索行動が研究されています。特に目的の書籍がない状態で、漠然と本棚を眺めながら動き回る行動は「ブラウジング」と呼ばれます。放牧された牛が野原の草を求めてあちこちと動き回る意味から転じた表現ですが、ブラウジングにより利用者が予想していなかった素晴らしい本に出会うセレンディピティなチャンスが生まれます。同様に指定された分類項目にそって順に移動しながら閲覧する「トレーシング」という行動でも、思いもかけない書籍に出会うチャンスが生まれます。共に利用者が館内を自由かつ自然に動いている点にも注目です。セレンディピティ発見のヒントがここにありそうです。
「セレンディピティ消費」 という概念に端的に表れているように、 経営学の分野においてもこの分野への研究が活発になっています。 主要な経営学ジャーナル誌 『 FT 50 Journals List 2021』に掲載されたセレンディピティ関連の論文の50%が過去5年間に発表されています。さらにHCIに見られるような最新のAI活用やユーザーのデジタル空間の認知や心理の研究を通して、リアル空間における偶発的な発見と気づきをデジタル空間でも再現できるようなシステム作りが可能となってきました。
HCIとは人間とコンピューターとの新しい関係や相互作用を研究するもので、人のように考えるコンピューターというよりも人との協調性やインターフェースがスムースにできることをめざす分野です。AIに取って代わる新たな分野として注目されています。現実社会でセレンディピティが発生する環境要因をシミュレーションして、特に偶発性因子を構築して新しい気づきや偶然の出会いを生みだそうとするもので、セレンディピティ・ウォール(Serendipity Wall)やAR伝言板などの新たなプロジェクトがすでに始まっています。
偶然のとらえ方:セレンディピティとシンクロニシティ
セレンディピティとよく似た概念として「シンクロニシティ」があります。精神分析学者のユングが唱えたもので、“共時性”とも呼ばれます。例えばある人のことを考えていた時に、偶然その人からSNSが来たというようなシーンがシンクロニシティと呼ばれます。
両者ともに“偶然、偶発性”という要素を重視していますが、シンクロニシティはその偶然の一致そのものに注目し、そこにいろいろな意味づけが行われるものです。
これに対してセレンディピティは、“偶然”という要素をチャンスとして捉え、そこから主体的に新たな解に向けて取り組んで成功や幸運を得るというものです。セレンディピティはこのように偶然をきっかけとして前向きな方向へと進む動きが生じるところが特徴です。
「図と地」の選択的認知
わたしたちの周りには、気づかれていないけれどセレンディピティに繋がるものがすでにあるかもしれません。それをスルーしてしまうのか、うまくキャッチできるかが、セレンディピティ発見の大きな分かれ道となります。ある偶然が自分にとって“閃き”となり思いもかけない発見に繋がるという一連の流れは、いつもと違う何かの差異を感じる、わずかなテイストの違いをキャッチするというきっかけが必要になってきます。
同じものを見た際に何も感じない人と何か気づきや発見をする人がいることは、錯視(錯覚)の考え方で説明できます。みなさんも見方によっては老婆の顔に見えたり、若い女性の姿に見えたりする錯視図を見たことがあることでしょう。要は対象となるもののどこに注目して見るかということにあります。例えば野球部のある人を好きになった女の子が、遠くからずらりと並んで同じようなコスチュームを着た坊主頭の部員たちの中から、すぐに意中の人を判別することができます。これは興味の対象となった人が “図(figure)” となって注目されたために、他の人が“地(ground)”となって背景化しているからです。知覚心理学では“選択的認知”と呼ばれるものです。

セレンディピティはどこに
セレンディピティとの出会いも、この「図と地」のように偶然あるモノや現象にたまたま注目した時に閃いて発見できるものです。その対象のどこに注目するかは人によって千差万別です。もちろん多くの人に共通した見方であるステレオタイプ的なものや常識的な見方などが、認知の際の一般的な基準となってきます。
しかし、小さな差異や変化の気づきといった他の人が気づかないようなところを偶然見つけるという行為には、他の人にはない“センサー”あるいは‟固有の基準”が必要となります。その多くは、特定のものへの興味、関心、好奇心あるいは問題意識といった熱量の高いこだわりが前提となっています。偶然見つけたものを幸運と感じるには、このようなものからなるセンサーに反応してキャッチできた時でしょう。
センサーや固有の基準がいくらあっても、周りに該当する対象が存在しなければ何もみつからないことは当然です。そのためには、当事者にとって周りに“変化”を引き起こす流動性が必然となってくるでしょう。より多くの情報、知見が、自分の持つセンサーにキャッチできる確率を高めてくれます。そのためには、“動くこと”が重要な要素となります。例えば多くの人に接する、勉強する機会を設けるなどで、異業種交流会、趣味やスポーツのサークル、テーマ毎のカフェ会などにおいて、さまざまな価値や見方、知見を知る機会を得ることができます。
同時に意識面でも“動くこと”が重要です。英文学者で思考論の外山滋比古は、「乱読のセレンディピティ」と称して、さまざまな書籍の乱読を勧めています。文系、理系を問わずさまざまな分野の本を乱読することによって、意識面でさまざまな化学変化が起きると述べています。また図書館や街の本屋などをブラウジングしてみるのも新たな興味ひいてはセレンディピティの機会を広げることになるかもしれません。
セレンディピティという言葉を生みだしたH・ウォールポールは、セレンディピティ発見の要素を、「偶然」「才気をもって」「探していないものを見つける」力であると提唱しています。より多くのセンサーとこだわり、そしてさまざまな変化の中で才気あふれるセンスをもって周りを見渡せば、セレンディピティが自ずと見えてくるかもしれません。
中島 純一
公益社団法人日本マーケティング協会 客員研究員