第43回
マーケティングにおける倫理観の自覚を

大坪檀のマーケティング見・聞・録

 2024年、政治の世界は政治資金疑惑で大きく揺れ動いた。政治と金、政治不信の問題は何も新しい問題ではない。ロッキード事件、リクルート事件などすぐ思い出す大事件が幾つもある。事件のたびに政治改革や信頼される政治の確立が叫ばれてきた。三木武夫元総理はことある度に倫理、倫理と叫んでいたのを思い出す。

 しかしこの倫理の問題は政治の世界だけの問題ではない。ビジネスの世界でも企業トップがTVでお詫びする姿が珍しくなくなった昨今だ。大学でも同じ。不祥事がたびたび繰り返され、大学の運営に厳しい社会の厳しい目が向けられ、自己監視機能、浄化作用を求める法律が制定された。
 ハーバード大学のビジネススクールに滞在したときのこと。主任クラスの教授からハーバードは倫理観の高い経営者を生み出すことに最大の関心を持っている、と分厚い教科書を手に何回もその重要性を聞かされた。組織は戦略に従うという言葉を残した経営史の学者チャンドラー教授は、アメリカでは社史の作成に企業が熱心でない理由の一つは、反トラスト法などとの関係で不都合なことが掘り起こされ問題視されることを避けたいことにある、と小生の質問にコメントしてくれた。ビジネス活動を取り巻く法規制があとからあとからと誕生するのはビジネスが社会的な規範を犯すからだ、と法学部の教授が説明していた。アメリカのビジネススクールで5cmほどもある分厚いビジネスローの教科書を使用して経営者が留意すべき法知識を叩き込まれた。反トラスト法の授業は実際の事案→ケースをベースとして行われ、熾烈なビジネス競争のもと、アメリカのビジネス界で犯される法違反の実態を数々学んだのを思い出す。
 日本の産業界でも法律順守の動きが高まり、コンプライアンスという言葉が日常のビジネス用語になっている。アメリカの企業のように新しいビジネスプロジェクトの立ち上げに顧問弁護士や法務課の事前チェックを受ける仕組みを持つ企業も多くなっているようだ。法令順守やビジネス倫理を日常のものとする運動はいろいろと多角的、多面的に行われているが不祥事は後を絶たない。
 1974年10月、日本広告審査機構JAROが誕生し本年創立50周年を迎えた。当時チラシや紙媒体、電波に登場する広告に対する苦情が多数寄せられ、広告主、広告代理店、媒体社、広告制作会社が中心となりJAROが立され、広告に対する消費者の苦情、疑問点にこたえるべく、広告表示を自主的に審査する活動が始まった。小生も審査委員の一人だった。当時の資料を見ると、なぜ消費者庁や消費センターが誕生するようになったか納得できるような不都合な事案が多々持ち込まれたのを思い出す。創立以来持ち込まれた広告に対する苦情や意見はこの50年で26万件余という。広告活動はマーケティングの重要な部分。いつまでたっても問題はなくならない。JAROの創立期だったと記憶しているが 広告の自主規制をテーマにインドで国際会議があり、小生も出席し意見交換の場に参加したが、どこの国でも不都合な広告の氾濫に頭を悩ませており、各国の対応状況、仕組みについて何時間も熱のこもった意見交換がおこなわれた。
 日本ABC協会は1952年に設立された。新聞、雑誌、フリーペーパーなどの発行部数を公査する民間機関だが、その歴史はアメリカでの発行部数疑惑→水増し、誇大な発行部数表示の問題に遡る。アメリカの広告業界は新聞、雑誌のこの誇大発行部数の問題に悩まされABCが誕生、日本にも同様な機関が誕生したが、ABCに加入していない媒体社はいまだ多数に上るのではないか。
 広告代理店の業務活動や人事管理の在り方、セクハラ、パワハラとマーケティング業界が問われる企業倫理の問題は多角的、多面的となり問題は深刻化している。情報化社会の特有の広告問題も多数発生。偽装広告やフェイクなどの新語が登場し、インターネットメディアに対する信頼度は極めて低いといわれている。カスハラなど消費者サイドが引き起こす新型のマーケティング課題も日々登場、その問題対処法、発生防止策が取りざたされている。
 デジタル社会が進展する世界でマーケターがここ一段と求められるもの。それはマーケティング活動に対する社会の信頼の維持と向上、高める不断の努力、日ごろの自らの高い倫理観の涵養,維持・積極的な展開と取り組み、そして企業経営者、マーケティング関係者との倫理の連帯だ。倫理観の自覚、倫理の問題は政治の世界より深刻かも。

Text 大坪 檀
静岡産業大学総合研究所 特別教授