寄稿


困難の乗り切り方のヒントは植物の生き方の中に


庄内の豪雨災害の地を訪れて

Text 川原 綾子
ヤマカワ コピーライター/東京農業大学 地域環境科学部 地域創成科学科 2年

Introduction
 四半世紀勤めたデザイン会社を退職し、独立と同時に、農学系の大学の学生となった。いま私は若い学生に混じって地域創成を学んでいる。地域創成を冠した学科は、全国に増えつつあるが、私の通う学科は自然を起点にしていることが特徴だ。じつは理系科目はとても不得手で、入学したときから苦労がたえない。しかし、少しずつ自然の世界の扉を開くことで、日々、様々な発見を得ている。今日はそんな発見のひとつについてお伝えできればと思う。

豪雨がもたらした山と川の大災害

 大学生の夏季休暇は約2ヶ月ある。前期の試験を終えるとすぐ、私は東京から山形県酒田市の山間部、八幡地域大沢地区に向かった。東京で学生生活を送りながらも、縁あってこの地区の農村RMO(農村型地域運営組織)の事務局を担当している。もともと夏の間にこの地区を訪れる予定はあったが、時期を少し早めた。なぜなら7月下旬の豪雨によって、日本海側の山形の庄内エリアと秋田が大きな被害を受けたからだ。
 米どころとして知られる庄内を地図で見ると、主に平野部と山間部に分かれる。大沢地区は酒田市の山間部に位置し、山と山との間に流れる、鳥海山系の清流のひとつ「荒瀬川」を中心に集落が形成されている。子どもたちが川遊びもできる普段は穏やかな川だが、氾濫がおきた。さらにいくつもの箇所で、土砂崩れもあった。被災した場所を案内していただいたが、流木が絡みつき一部が崩落した橋、青々とした稲が泥に埋まってしまった田など、一年前の訪問時にはおよそ想像ができない風景が目の前に広がっていてショックを受けた。この豪雨による災害は「激甚災害」にも指定されている。
 被害は家の中にも及ぶ。浸水した住宅では、粒子の細かい泥が押し入れの中、引き出しの中にまでみっちりと流れ込んでいた。浸水とは水の被害だけではなく、泥の被害であることも知った。荒瀬川は昔ながらの蛇行した川だ。これまでも溢れることはあったそうだが、70代、80代の方に聞いても「こんな大きな被害ははじめてだ」と言う。この夏の異常な暑さも含め、気候変動は確かに起こっているということを痛感することになった。1週間の滞在の間、少しでもできることをと、私は床下の泥かきや仮設トイレの掃除などをさせていただいて東京に帰ってきた。
 1ヶ月後また大沢地区を訪れると、家の周辺から土砂が驚くほどきれいに取り除かれていた。連日あちこちから来てくださるボランティアたちの力が大きい。彼らがはつらつと働く姿は、住民の方に元気も与えているように感じた。しかし地域全体を見渡すと橋や道路の一部は崩落したまま。田んぼの中の泥や流木まで手がまわらず、そのまま放置されているところも多かった。12月になると雪が降りはじめる。それまでに、どれだけ片付けが進められるかが差し迫った課題だ。酒田市ではまだまだボランティア募集中である。秋田·山形の豪雨災害は過ぎ去ったものと思っている人も多いが、この地域の非日常はまだ続いている。

植物の生き方と人の生き方の重なり

 ところでこの地域に通ってみて、自分の中で確認ができたことがある。それは「人間の社会も自然の世界もやはり似ているところがある」ということだ。学生となり、自然の世界を知るにつれ、植物の生き方には、人間の生き方のヒントになるようなところがあると感じていた。もちろん人の感情を植物は持ち合わせていない。長年コミュニケーションを仕事にしてきたために、つい擬人化して考えてしまうのかもしれない。しかし、困難に直面しながらもその場所でたくましく生きていこうとする地域の人々の姿は、より一層、地に根を張り、工夫を凝らして生きている植物の姿に重なった。植物に詳しい人には、無理な結びつけだと思われるかもしれないが、ひとつの考えとして捉えていただければと思う。
 入学して最初に学んだ「基礎植物学」で聞いた話だ。マツやスギなど寒い地域が得意な針葉樹は裸子植物で、植物史の中では古いタイプとされている。それに対して広葉樹は被子植物で、針葉樹の進化形だ。広葉樹は、茎の中に太い水のパイプを持ち、根から水をどんどん吸い上げる。このパイプを「道管」という。それに対して針葉樹には道管がなく、細く頼りない「仮道管」しか持っていない。しかし極寒の環境下では、この仮道管が役にたつ。太い道管の水が凍ってしまうと水が溶け出した時に気泡が生まれ、この水の道がつまってしまう。針葉樹の仮道管は、時間がかかるが、冬でも水を確かに行き渡らせることができるのだ。少々話がややこしくなってしまったが「厳しい環境下では、古いシンプルな手法が役に立つ」ということだ。
 八幡地域でも豪雨災害後に“昔ながら”が役に立った。まず「山水道(やますいどう)」である。このあたりの世帯の台所には、水道蛇口がふたつある。普通の水道と、山水道と呼ばれる、沢の水をひいた昔からある水道だ。ちなみに以前空き家となっているお宅に宿泊させて頂いたことがあるが、この水がとんでもなくおいしかった。豪雨の後には、数日間断水が続いた。水は飲用だけでなく、トイレの水を流すのにも使う。この時、山水道が使えた家は、断水時に比較的困らなかったと聞いた。
 「農道」もそうだ。川の氾濫により、国道に土砂や流木が積み重なり、道路が通行止めになった。川の上流は、地域の中で最も大きな被害を受けた場所であったが、この場所に行ける1本の農道があった。クルマ1台がようやく通れるこの道があったことで、孤立から免れることができた。
 「住民がお互いをよく知っている」ことも“昔ながら”かもしれない。誰がどこに住み、どんな家族構成で、どんな車に乗っているかまで知っていることは、面倒で煩わしいと感じる人もいるかもしれない。しかし大きな困難に出会った時、人は協力しなければ前に進むことはできない。物資の配布の拠点にもなったコミュニティセンターでは、情報の拠点にもなり、世帯の被害状況を把握し、住民が積極的に災害対応を行っていた。また、名前を呼び、互いを労りあっていた。便利な暮らしと孤独はとなりあわせだ。人とつながり合わなくても生活が成り立つ都会にいくほど、こうした優しい人間関係を持っている人は少ないのではないだろうか。

人の多様性のネットワークを育む

 自然を手本に、これから構築しなければならないものもある。生き物や植物の多様性を育むためには、他の地域とゆるやかにつながり、その間を生き物が行き来することで、豊かな自然環境を保たれる「緑のネットワーク」が必要だと言われているが、人口約500人の大沢地区においても「人の多様性のネットワーク」が、さらに必要となるだろう。
 農村RMO発足の中心人物で、私を呼んでくれた、阿部彩人氏(COCOSATO代表)は、この地のネットワークを広げようと奔走している一人だ。地域おこし協力隊や集落支援員の経験を持ち、地域の産品販売やイベントの企画制作を行ってきた阿部氏は、豪雨直後から被害の様子と復興の過程をYouTubeで配信。この動画をチャンネル全体でこれまで通算約11万人が視聴している。また、近隣の大学生や農家インスタグラマーの20代のメンバーたちとともに「酒田やわた未来会議(仮)」を立ち上げ、様々な支援の窓口を作っている。9月中旬はこの組織で泥や流木が入ったコンバインでは作業ができない田での、手収穫作業ボランティアの受け入れをはじめ、拡散力のある彼らの発信を見て、子どもから大人まで多くの人が収穫に参加した。現地で、遠隔で。地域を中心にした様々なつながりのネットワークが、さらに大きく広がっていくことが期待される。
 さて、これから私がこの多様性のネットワークの一員として行いたいのが「種子散布」だ。植物は様々な手をつかって、自分のタネを散布しようとする。河原などを歩くと、センダングサやオナモミなど「ひっつきむし」が服について困るが、あれも人や動物を介して、種子を遠くへと運ばせようとしている植物の生き残りの知恵だ。豪雨はわずか数日のことだが、復興活動はこれから長く続く。豪雨災害で起きたこと、進行形の復興の様子を、ひっつきむしになって人に伝えることの役に立ちたい。日本全国で、これまでの想像を超える自然災害が起きている。今回の豪雨災害を伝えることは、この地域のためになるだけでなく、“もしも”を抱えるすべての場所の“いざ”に生かされるはずだ。
 12月には、昨年アウトドア施設「鳥海高原家族旅行村」で行った、芸術祭「庄内 風と土の美術館」を酒田市の街の中で開催する。私はこの芸術祭の運営にも参加しているが、今年はアーティストたちの作品に混じって、今回の豪雨災害を伝える展示を阿部氏らとともに作っていく予定だ。豪雨災害をきっかけに、この地の自然の豊かさや文化の豊かさも伝えられたらとも思う。ピンチはチャンスにもなる。豪雨災害から生まれたタネが様々な形で育ってゆくことを願っている。

川原 綾子(かわはら りょうこ)氏
ヤマカワ コピーライター
東京農業大学 地域環境科学部 地域創成科学科 2年

日本デザインセンターを経て、2023年ヤマカワ設立。これまで暮らしに根ざした企業のCI/VI開発等に深く関わる。現在、学部生として地域創成を学びながら、山形県酒田市など地域案件にも積極的に取り組んでいる。東京コピーライターズクラブ会員。