INTERVIEW


マーケティングの力で達成する、ネイチャーポジティブ


自然体験の中に眠る、無限の可能性

奇二 正彦 氏
立教大学 スポーツウエルネス学部 スポーツウエルネス学科 准教授
生きものインタープリター

Introduction
人と自然の共生をテーマに、自然体験とスピリチュアリティの醸成に関する研究を行うとともに、サステナブルな社会構築と環境教育にも深い知見をお持ちの奇二正彦先生に、現在に至るさまざまなご活動の内容や生物多様性、そしてネイチャーポジティブ経営の重要性などについてお話を伺いました。

自分を支えてくれた、自然体験とアート体験

───奇二先生の研究テーマが大きく2つ「自然体験とスピリチュアリティ」「サステナブルと環境教育」ということで、とても壮大ですね。そして “生きものインタープリター”として五感を刺激しながら自然を伝える環境教育にも力を入れ、また企業に対してはネイチャーポジティブ経営の重要性やマインドセットについてのセミナーを行う機会が増えているとのことで、本日は“鳥と虫の目線”でお話をお伺いできれば幸いです。はじめに、研究テーマにたどり着いた経緯をお聞かせいただけますか。

奇二 話は幼少期まで遡りますが、私は登山家になりたかった父の影響で自然の中での遊びをたくさん教えてもらっていました。そして戦前に子供時代を過ごした人だったので、自然の中でどのように生きるかの術、例えば「何が食べられて、食べられない」などのサバイバルチックなことまでキャンプをしながら学んだりして育ちました。また、芸術家の多い伊豆の山奥に住んでいたので、私の遊び場はいつもご近所の陶芸家と画家のご夫婦の家で、無我夢中に陶芸をやったり絵を描かせてもらうような環境が身近にありました。やはり“三つ子の魂百まで”だなと思うのですが、単なる遊びですが幼い時に自然やアートにたくさん触れたことが今の私を形づくる大切な原体験となっています。
 大学ではもともと歴史が好きで文学部史学科に入学し、アイヌやネイティブインディアンなど「自然と共存する人間の生き方」について学びました。彼らはうつ病などの現代社会病理が少ない生活を送っていて、むしろ現代人よりも自己実現ができているように感じたのが強く印象に残りました。また、文化人類学の授業では、チベットの仏教僧が曼荼羅を砂で描く宗教画の存在を知りました。現代のアートは、作品そのものをマーケティングして後世に伝えていると思いますが、その曼荼羅の砂絵は儀式が終わったら川に流すのです。残すことよりも描いているときの宗教体験そのものが大事なのだという世界観にものすごい魅力を感じました。
 一方で、そういった生活を自分に当てはめることも難しいと感じながら就職活動が迫ってきた頃、私はとにかく身体から発せられる違和感を覚えて八方塞がりに陥ってしまったのです。そんな時、大きな転機となったのがカナダのユーコン川に旅をしたことでした。そこには人工物が何もない雄大な森があり、地平線まで見渡せるこれまで見たことのない世界が広がっていました。そして、ここで怪我をして動けなくなったら凍え死ぬなと実感するような生と死が隣り合わせの環境に身を置いてみると「今、就職しないと一生駄目になる」といった変な強迫観念もなくなって、自分の悩みなどは本当に小さいなと感じるような価値観が覆される体験を得ることができました。そんなことから、自分自身の精神や成長を支えてくれたのが自然体験とアート体験で、現在の研究の源流につながっていると感じています。

自然の素晴らしさを伝える、インタープリターという仕事

───大学を卒業された後、どのようなキャリアを辿られたのでしょうか。

奇二 結局、就活はせず5年かけて大学を卒業した後、アルバイトをしながらアーティストを目指すために英語も同時に学べるニュージーランドに渡りました。語学学校とアートスクールを合わせて2年間通いましたが、見事に挫折しましたね。数ヶ月かけて描いた絵が1万円で売れた時、これでは生活できないと腹を括って帰国したのですが、たまたま本屋で『自然とかかわる仕事』という本に出会いました。そこには林業や漁業といった仕事の中に、自然学校やエコツアーで自然の魅力を伝える『インタープリター』という職業が紹介されていました。自分に合う仕事だと直感し、翌日には大阪で行われた養成講座に参加しました。その後、26歳にして環境教育系NPOでインタープリターとしてのキャリアをスタートさせました。
 30歳を目前に、もっと深い自然の中で過ごしたいと思っていた頃、動物写真家の平野伸明さんと出会い、そのご縁で彼の助手を務めることになりました。世界遺産級の秋田のブナ林で、野生動物の生態をじっくり観察するのはとても面白く、忘れられない経験です。電気も水も通っていない小屋での寝袋生活は、まさに『ウォールデン 森の生活』そのものでした。ただ、カメラマンになりたいわけではなく、あくまで深い自然体験が目的だったので、ご迷惑にならないよう平野さんのプロダクションは約3年で区切りをつけました。その後、以前所属していたNPOが2005年の『愛・地球博』の市民ゾーン「地球市民村」でパビリオンを持つことになり、副主任としてデザインや企画に関わる機会を得ました。「地球市民村」は、世界中から集まった約30のNPO/NGO団体で構成されており、これまで接点のなかった“自分以外の生命のために怒れる人たち”との交流がとても新鮮で、まさにカルチャーショックでした。たとえば、子どもや女性の人権問題、水資源の危機などに対して、彼らは強い怒りと行動力を持っていました。この経験を通じて、「知ること」「伝えること」「教育」の大切さを心から実感しました。その後、フリーの展示プランナーを経て、2007年から環境コンサルタントの研究員となり、公園の施設管理業務や、企業の「CSR(企業の社会的責任)」推進をサポートするアドバイザーとしての仕事を手掛けるようになりました。

───数々の経験を通じて「自然」「アート」「教育」のキーワードがつながっていったのですね。

奇二 そうですね。まさにスティーブ・ジョブズが語った「Connecting the dots(点と点をつなげる)」で、ようやく40歳になるころに自分の強みが“環境教育”だと手応えを感じるようになりましたし、葛藤と向き合いながらでしたが本当にやりがいに満ち溢れて楽しく働くモードに入っていました。一方、友人がうつ病になって自殺をしてしまったり、大企業に勤めてお金に不自由はないのにハッピーではない同世代の人たちの様子に心を痛める出来事がありました。そんな自身の周りで起こったことを恩師の濁川孝志先生に話したところ、「それはスピリチュアリティだ」と言ったのです。一体なんのことだろうかと調べてみると、国連やWHO(世界保健機関)がスピリチュアリティの研究をしていることを知りました。

健康とスピリチュアリティの関係性

奇二 スピリチュアリティの研究は、もともとは末期がん患者のケアの研究からスタートしています。1940年代、WHOは健康の定義を「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあること (日本WHO協会訳)」と決めていたのですが、1980年代以降から医療が発達して人間が長寿になり、これら全てが良好でなくても生きながらえる人が増えました。すると「死んだらどうなるんですか」「私の生きる意味は何だったのでしょう」などの実存的で哲学的な問いを言い出す人も増えたのです。
 医療と看護に携わる方々はそういった患者さんたちをケアするために研究やアンケート調査を実施した結果、身体的苦痛、精神的苦痛、社会的苦痛の3つに収まらない4つ目として「実存的苦痛、スピリチュアルペイン」という定義が必要なのではないかという討議が始まりました。そしてこのスピリチュアルペインに対してのスピリチュアルケアの手法や技術も進化し、2006年には日本でもスピリチュアルケア学会ができ、現在は看護師国家試験にもスピリチュアルケアの項目が入るようになりました。
 末期がん患者に対してのケアが大切であることを理解しながらも、自分が若いときにも身に覚えのある感覚だったので、私は「スピリチュアルペインは、若者も抱えているのではないか」という仮説を立てました。悲しいことに日本社会では若者の死因の1位が自殺で、病気や貧困に加えて精神的な悩みが大きな原因として伺えます。そう事実を知った私は研究することに魅力を感じ、仕事を半減させて大学院に通い始め、修士や博士課程では若者を対象として、自然体験とスピリチュアルな価値観の醸成に関する研究を行いました。幸運にも博士課程を修了したところで母校に「スポーツウエルネス学部」が新設されるということで、2023年から准教授として勤め始めました。現在も、「どのような自然体験がスピリチュアリティを醸成するのか」に関する研究を進めています。

ネイチャーポジティブと生物多様性

───大学で研究していることを、企業との取り組みにつなげていらっしゃるのでしょうか。

奇二 はい、本当に多くの業界とつながりはじめていますね。例えばリジェネラティブ・ツーリズムという自然再生型観光を推し進め、自然体験を促しながら過疎化地域の復興に企業と連携して取り組んでいます。長野県の生坂村は脱炭素先行地域なのですが、「ネイチャーポジティブ ※1」や「30by30目標※2」の方向へも広げたいと考え、観光客向けの環境保全プログラム『旅するいきもの大学校!』を開始して今では人気を集めています。これまでのようにキャンプや登山をして楽しむだけに留まらず、訪れた土地の自然環境や文化を学びながら美味しい食べ物を食べ、そして適切な手法で手を加え、より良い姿に再生することを目指す新しい観光のスタイルです。

※1:「ネイチャーポジティブ(自然再興)」とは、「自然を回復軌道に乗せるため、生物多様性の損失を止め、反転させる」ことで、生物多様性国家戦略2023-2030における2050年ビジョン「自然と共生する社会」の達成に向けた2030年ミッションとして掲げられています。(環境省)

※2:「30by30目標」とは、2030年までに、陸と海の30%以上を健全な生態系として効果的に保全しようとする、「ネイチャーポジティブ」実現のための鍵となる目標の一つ。(環境省)

───企業を巻き込む秘訣は、どのようなころにあるのでしょうか。

奇二 色々なアプローチがありますが、やはり経営トップが高い意識を持っていることがとても大切ですね。例えば栃木県那須町にある「森林ノ牧場」の社長とは数年前に偶然出会って生物多様性の重要性をお話したところ、すぐに理解してくれました。無印良品の「素材を生かしたアイス ジャージー牛乳」に使われるミルクを提供している企業ですが、社員に業務日の中で自然体験をしてもらい、一緒に生物多様性を理解しながら事業をつくられています。今は「GOOD NEWS」という、使われなくなった森を保全しながらカフェやコーヒー焙煎所、チョコレート工房などを運営する観光施設と連携して大変な賑わいです。単なるトップダウンではなく、インナーブランディングで社員の意識を高めながらボトムアップし、さらには牧場に来るお客さまも巻き込みながら取り組まれています。
 現在、ある企業と経営層向けのマインドセットプログラムを開発しているのですが、2020年の国連生物多様性サミットで「ネイチャーポジティブ」という名称が誕生し、2023年には「TNFD(Taskforce on Nature-related Financial Disclosuresの略。自然関連財務情報開示タスクフォース)」の最終提言が公開されてからは、二酸化炭素ともう1つの柱である生物多様性をどう自分の業界と結びつけて理解したらいいいかがわからないという企業からのご相談が多くなってきています。

───生物多様性という言葉は知っているものの、自分ごと化するにはなかなか難しいと感じています。基礎的なことからご教示いただけますか。

奇二 生物多様性は3つの定義で説明されます。1つ目が「種の多様性」で、地球上には動植物から細菌などの微生物にいたるまで、いろいろな生きものがいるということです。2つ目が「生態系の多様性」で、食物連鎖の話はご存じかと思いますが、それだけではなく“石の下にダンゴムシが住んでいる”といった無機物と有機物の関係性も含めた多様なつながりを指します。3つ目が「遺伝子の多様性」です。ホモサピエンスの中にもがんにかかりやすい人、かかりにくい人がいますが、同種でも遺伝子を多様にしておくことで種として生き延びる確率が上がるということです。
 ある植物が絶滅してしまったら、そこから作れたかもしれない特効薬がもはやつくれなくなってしまいますよね。そのような生物多様性から得られる恵みのことを「生態系サービス」と言うのですが、次の4つ「供給サービス」、「調整サービス」、「文化的サービス」、「基盤サービス」に分類されています。
 1つ目の「供給サービス」は、私たちの暮らしに関わる水、服、家、薬など全ては自然の中で育った資源です。我々は自然から非常に多くの供給を受けているということですね。2つ目の「調節サービス」は、生きるのに心地よい温度や湿度は空気や海によって調節されています。雨が降っても森がスポンジのように貯えてくれるので洪水が起きにくく、濾過されておいしい水も飲むことができます。3つ目の「文化サービス」にはスピリチュアルも入ります。カヤックをしたら気持ちがいいと思うし、年中行事など自然からインスピレーションを得た神話や文化、祭りなども世界中にたくさんあります。最後の4つ目の「基盤サービス」は、あらゆる生物の生態系やライフサイクルを維持する先の3つを担保するベースとなる恵みです。現在、地球上で生み出されているGDPの半分くらいは、直接的に自然の恵みをもとにして生み出されていると言われています。

───改めて、自然の恵みのおかげで私たちの暮らしが豊かになっていることを感じました。本号の「下目線」というテーマについてはどうお感じになられましたか。

奇二 私の研究内容から言うと、この「自然からの恵み」を下支えしているのは、実は普段は目に見えない地面の中で生きる何億匹という分解者のおかげなのです。生態系には無機物から有機物をつくる「生産者(植物)」、それを食べる「消費者(動物)」、そして死骸やフンなどの有機物を無機物に戻す「分解者(菌類など)」の3つが存在します。私が今一番注目しているのはまさにこの分解者です。現代社会は「生産者」と「消費者」という関係性だけに留まってしまっている印象ですが、この生態系の循環を見つめ直してうまく取り入れ始めることができれば、よりよい社会を築くことができるのではと感じています。このような発想もいわば下目線と言ってもいいかもしれませんね。

in about for の環境教育 

───分解者に思いをはせる想像力と感性も大切だなと感じました。最後に、マーケティングに携わる読者の方々にメッセージをお願いします。

奇二 マーケティングや企業経営とすぐに直結しないかもしれませんが、私は長い目で見ると義務教育がとても大切だと思っています。世界を見渡すと、力を入れている国とそうでない国との差が生じ始めています。スウェーデンが1970年代から義務教育の中に環境教育を入れたことで、企業人や消費者を含むすべての国民の、サステナブルに対する意識の高さが顕著に表れています。つまり、環境教育に力を入れるかどうかで、30年後の未来は大きく変わるわけです。しかし、『2030年までに』自然を回復軌道に乗せ、生物多様性の損失を止めることが目標となっている今、残された時間はあと約5年です。義務教育には時間がかかるので、本当に今まさにマーケティングに携わるみなさまに取り組んでいただくことが命運を分けると言っても過言ではないように思います。生坂村がリジェネラティブ・ツーリズムで大成功したのは、伝え方のプロたちが集まったからです。1%ではなく99%の人が見ているようなところでメッセージを伝えることができる広告やマーケティング業界の方々が大活躍する時代に突入していると感じています。
 環境教育を実施する際の基本的な要素として「in about for」という考え方があるのですが、「in」は“in nature”という意味で、自然の「中で」どっぷり遊び、自然に対する感性を育むことが大切とされています。「about」は“about nature”で、自然のしくみや働き、人間を取り囲む環境や人間そのものの生活など何かに「ついて」調べたり、探求したりすることを意味します。そして「for」は“for nature”で、最終的に自然のために自ら行動する流れになるという意味です。自分自身も家族や地域のおかげで幼少期から成長する過程でそれらを体験させてもらいました。
 ですので、まずはぜひご自身が自然の中に身を置いてください。豊かな自然はたくさんありますので、それを体験しない手はありません。そうすればスピリチュアリティが勝手に発現するのです。様々な識者が、様々にスピリチュアリティを定義づけていますが、中でも私が好きなのは「大自然など、一人の人間の存在を超えた大いなるものに直面したり、あるいは精神的な危機に陥ったときに、これまで眠っていたスピリチュアルな感性が機能する。」というニュアンスの定義があります。つまり、日々の生活では覚醒しない可能性があるのです。大切な人が亡くなるといった大事件でなくても、非日常的な自然体験をすると自分の中に小さくとも何か変化が起こるかもしれません。つまりみなさん一人ひとりに力が眠っているのです。日本は世界が羨むほどの素晴らしい自然の宝庫ですが、お勧めは雄大な朝日や夕日、大きな岩や巨木などがある大自然に行くことですね。

───可能性は自然の中、そして自分の中にあるのですね。そしてマーケティングと教育という視点がこれからの未来をより良くするための大切なキーワードであることを強く感じました。本日は貴重なお話を本当にありがとうございました。

(Interviewer:蛭子 彩華 本誌編集委員)

奇二 正彦 (きじ まさひこ)氏
立教大学 スポーツウエルネス学部 スポーツウエルネス学科 准教授 
生きものインタープリター

立教大学文学部史学科卒業後、ニュージーランドのアートスクール、動物カメラマンの助手、 環境教育系NPO、環境コンサルティング会社などを経て、同大学コミュニティ福祉学研究科コミュニティ福祉学専攻博士課程後期課程修了。博士(スポーツウエルネス学)。2023年新設の「スポーツウエルネス学部」准教授に就任。