第32回
人口減少社会における
マーケティングの役割

大坪檀のマーケティング見・聞・録

日本の人口減少、高齢化、グローバル化はこれまで停滞していたと揶揄、批判されてきた日本経済を再び活性化し、世界のチャレンジャーとして大発展するまたとないチャンスの到来でもある。これを狙った起業家精神にあふれる産業人がうごめきだした。

 政府はスターター 3,000 人をアメリカのシリコンバレーに派遣して企業創造を学ばせると叫んでいる。今までの大学はどちらか言えばサラリーマンの養成所のようなところがあったが、事業構想大学院大学などという名称の起業家育成の大学も出現、金融界もスターターに対する融資、支援に力を入れ始めた。政府もあの手この手で起業支援に取り組み始めている。
 しかし、将来を夢見るダイナミックで創造的、リスクを恐れない起業家、スターターには夢の実現に腕を振るう上で戦略的マーケターの支援、協働が不可欠だ。
 多くの起業家は大きな夢を抱く。事業活動に必要なマーケティングセンスにもあふれている。ブリヂストンの創業者石橋正二郎氏は 100 年近い昔の創業時に社名を英語にした。世界市場でタイヤを売りまくるに相応しい社名は英語だと考え、石橋→ブリヂストンとしたり、創業時からアメリカ人の営業マンを活用した。真珠王の御木本幸吉氏はミキモト・パールで世界の美女に真珠の首飾りを付けさせようと世界を相手にマーケティングを考えた。アメリカ留学時代のその昔、日本食が話題になるとキッコーマンの名前をよく耳にしたものだが、世界で通用する数少ない日本の農産物ブランドの一つ。戦前からこのブランド作りに努力し、戦後いち早くアメリカに醤油工場を設立するベースともなった。
 戦後の日本は世界がびっくりする経済発展をし、ソニー、ホンダ、トヨタ、任天堂、ヤマハ、スズキなどあまたの世界ブランドを誕生させ、現在の地位を築き上げた。それを成し遂げたのは日本の起業家精神にあふれる産業人の努力が極めて大きいが、多くのマーケターも起業家の夢が実現するよう腕を振るった。 起業家の中には素晴らしい構想を抱き、強力なリーダーシップを発揮するが、しばしばプロダクトアウト的な事業展開をする人も多い。新事業の立ち上げでは市場の性格、規模、顧客のニーズ、コミュニケーション手法などマーケティングの領域に関する未知、不確実な課題に直面する。マーケターが腕を振るうことのできる領域だ。
 新たなチャンスに挑戦する起業家は脱旧市場、脱旧顧客でいわば未知の世界に新商品、新サービスで打って出ることになるが、その際必要なのは新ブランド構築戦略だ。ブランドは事業の魂、信頼、領域を広く認知してもらい、顧客にその商品、サービスを選択させるもので、市場で競争する上で不可欠なものだ。ブランドは単純な産地名や地域名、商品名を超えたものだ。筆者がブリヂストンの宣伝の責任者だったとき言われた言葉を思い出す。他社製品より5%高く売れるようにブランド価値を高めてくれというものだった。
 昔は日本産であると売れにくかった。輸出品にmade in USA と記載して問われたらこれは宇佐と読むのだと主張されたという話がある。日本製のイメージは戦後の産業人の努力で一転し、高品質で信頼度の高いというイメージができ上がった。中国産と書いてあると購入をためらう人が今でも多い。今の時代はブランド、そのブランドの所有者を信じ、産地名をあまり問はず購入する時代になってきた。どこで作くられるかより、だれが作ったかが重視され、ブランドはそれを示し、企業家の保証の印となった。ブランド名あるいはロゴを見てその商品を購入するか否か、世界中で購入者が決定することになる。デジタルマーケティングが世界的に進展しているが、購入者にとってブランドが購入の決め手となる時代にもなった。コロナ禍のビジネス環境でのマーケターの役割がアメリカで論じられたときも、このブランドの再構築が多角的に論じられたのを思い出す。
 マーケターの仕事が戦術的で技術的、セールスプロモーション的な活動、短期的、限定的な直面する課題の解決、デザイン、感性的な工夫に関するものにとかく向けられがちだが、この新時代の起業、創業には新市場を見据えた新ブランド戦略の構築が不可欠で、マーケターが今為すべき重要な役割がここに登場する。日本マーケティング協会藤重会長は、メーカーの命はブランドにあると強調している。日本の次なる発展を担う起業家は創業に当たりマーケターと協働し、この命作りに総力を挙げることがまず求められる。

Text  大坪 檀
静岡産業大学総合研究所 所長