Text 武藤 興子氏
ヴィセラ・ジャパン株式会社 代表取締役
YON-KAとは
1954年 フランス・パリで、植物学者の兄弟により治療目的の製品開発を原点として設立されたフィト・スキンケアブランド。症状別に開発された100種類以上の製品と独自技術により、一人ひとりに合わせたオートクチュール・ケアを可能にし、1回目から目に見える違いを生み出す。50カ国、6000箇所で展開、植物療法のパイオニア。ヴィセラ・ジャパン株式会社は、「YON-KA」ブランド唯一の正規代理店である。
今から20年を遡る。私はまさに自分の“想い”だけを手に、 それを伝えるべく パリと日本を往復していました。
フランス出張でYON-KAに出会い、帰国後すぐに会社に辞表を提出、それからブランド日本上陸までの2年間、権利交渉に奔走するわけですが、退路を絶って臨む、なんてカッコよく聞こえても世間的にはいわゆる無職。流石に両親にも秘密にしていましたが、不安はありませんでした。むしろ、“ゾーン”に入っている感覚、高揚感、そしてごく自然な流れのように感じていました。カネなし・コネなし・経験なし、のナイナイ尽くしから、権利獲得、上陸までのストーリーは、2005年に書いたものをそのまま残しています。人間的にも未熟で、文章も今読むとなんとも恥ずかしいのですが、だからこそ当時の熱い想いが伝わるようにも思います。
実際、最初はA41枚にまとめてください、と依頼を受けたことから始まり、気がついたら大作?になっていたわけです。当時ウェブまわりを手伝ってくれていた友人が、せっかくだからこれをHPにアップしよう!と言い出し、私は正直少し戸惑いました。オフィシャルホームページにアップするなら私が一気に書いた殴り書きのようなものではなく、 “きちんとした”文章にしなくてはならないと思ったからです。そこで当時、某有名雑誌の編集者だった別の友人にチェックを頼んだのですが、、、原稿を読み終えた彼女が一言「このままで行こう!」と。キョトンとしている私に「キョウコさんの文章は上手いとか下手とかを超えているから、このままが一番伝わる」、綺麗な流れるような文章にしてしまったら勢いや力が削がれてしまう、と背中を押してくれました。今までは、私はライターじゃないんだし、文章なんてプロに書いてもらうか修正してもらうのが一番と思っていたのですが、そうか、伝わることが一番大事なんだ、と気付かせてもらった瞬間でした。
ブランドを上陸させることに成功したものの、日本で知っているのは私一人だけのような状況。創業期の会社には当然ながら広告費なんてものはありません。今のように多くの人に発信できる便利なSNSもありませんでした。唯一無料で発信できるツールはブログ。驚かれると思いますが20年ほど前は会社の社長がブログを書くなんて会社のイメージが下がる!とまだまだ言われていた時代でした。しかし、私は毎日記事をアップし、新米経営者のゼロからの会社づくり、日々思うこと、そして私が経験した2年間の話を丁寧に書いていきました。素晴らしい製品や技術の紹介も時にはしましたが、私が主に書いて伝えていたのは、そのブランドや製品が生まれる背景。押しかけ女房のように呼ばれてもないのに2年間通い詰めたパリのオフィス、ラボ、ファクトリーなどでリアルに私が見て、聞いて、感じたこと。創業者の娘たちでフランス本社の社長や副社長の人柄や考え方、スタッフとの交流からわかったこと、ラボで働く人たちの研究にかける情熱や職人魂、日々の何気ない会話から感じられるコーポレート&ブランドフィロソフィー、こういう人たちが作っているなら絶対大丈夫!と私にそう思わせてくれた沢山の出来事を紡いでせっせと書き続けました。たくさんの方に読んでいただき、そこからブランドを知っていただくかたもいました。そのうち弊社にもマーケティングスタッフが入るようになり、ブランドも独り歩きを始め、ランキングでも1位を獲得したのを機に社長ブログはストップ。私はB2Cマーケティングでは後方支援にまわりました。でも、あんなに一生懸命書いてきたブログ、なんで削除してしまったのだろう?残しておいてもよかったのでは?なんて今は思ったりもしますが、次のステップに進む儀式のようなものだったのかもしれません。
次に私が注力したのはYON-KAのメインビジネスであるB2B向けのツール制作やコミュニケーション。私にとってB2Bビジネスなんてお初中のお初で、法人顧客獲得のためのアプローチ方法など検討もつかない。とりあえず素敵なビジュアルを入れた対企業向けの資料を作り、基本情報や製品・技術説明をまとめ中々な立派なものに仕上がったそれを抱えて客先を訪問するわけですが、ミーティングの間、私の渾身の作が日の目を見ることは滅多にありませんでした。それならば!と資料を1枚1枚めくり、一通り最初から最後まで説明をしたところで、相手の心に何も残っていない・・・、伝わらなければ意味がない・・・と感じていました。そこで私は丁寧に作り込んだ一通りの法人向けツールや資料を「後ほどお手隙の際にでもご覧ください」と言って相手に手渡すのみ(もしかすると後で開かれることなく引き出しの隅で眠るか最悪ゴミ箱直行かもしれないが)、あとは触れない。顧客とのコミュニケーションに集中することにしました。
結局、“伝える・伝わる、の本質”は同じです。この場合は、クライアントの施設、顧客、環境やその他の要因や解決すべき問題や課題、可能性についてとことん知る、考える、打ち出せる独自性は何か?など、とにかく聞いたり調べたりして準備を重ねインプットする。クライアントの社員よりも真剣に何がベストな形なのかを考え続けて、ようやくアウトプットの時が来ます。その繰り返しでした。実際プロジェクトがスタートする頃にはホテルスタッフの方々は既にYON-KAファンになってくださっていました。初めてラグジュアリーホテルスパへのブランド導入が決まった時は嬉しかったですね。
時が経ち、YON-KAの日本展開のほか、ホテルスパの開業コンサルティングやウェルネスツーリズムのアドバイザーなども頼まれるようになりましたが、基本はいつも同じです。クライアントよりクライアントのことを考え続け、何がベストなのかインプットし続け、そこで初めてアウトプット。何を形にして、伝えるかを決めています。こんなことを続けていると、単に仕事と言うより、愛を持って取り組めるようにもなります。そしていつも忘れてはいけない、と思うのが、仕事は素敵な企画を立てたり、美しい文章や一通りの発信をしたりして終わり、ではないと言うこと。しっかりとクライアントの目標や求める結果への理解とコミットメント、これはいつも肝に銘じています。
私のキャリアのスタートは建築、そのあとはITや大使館だったため、初めて文章を書いたのは(というか、書かされたのは)転職4社目、いきなり「メルマガ書いといて」とボスから頼まれた時でした。Noと言(×い)えない日本人の私は、雑誌をたくさん机に並べて言葉を拾いながらなんとか仕上げたものでした。あれから随分年月が経ち、相変わらず文章は上手くなりませんが、想いだけは今もここにあります。ここしばらく私自身が表立って伝えるということはなかったのですが、今年は弊社創業20周年、そして来年はブランド上陸20周年、アニバーサリーイヤーが続くこともあり、改めて自分自身の言葉で発信してみよう、そう思っていた時にこのような機会もいただきました。非常にありがたく思っています。現在はさまざまな発信方法やメディアが存在していますが、新たな試みとして声のメディアを通じての発信にもチャレンジしてみようと考えています。文章のように後で書き直したりもできませんので、その分、よりリアルに、ダイレクトに伝わるのではと思っています。聞いていたら毎日がほんの少しハッピーになる、そんな内容を素のままで伝えられたら良いなと思っています。
ゼロを1にすることが大好きな私にとって、仕事は表現の場でもあり、人生を楽しむエッセンスでもあります。これからも、本質や価値を発見して、深掘りして、それを強い想いを持って伝える、そんな仕事ができたら心から嬉しく思います。
武藤 興子(むとう きょうこ)氏
ヴィセラ・ジャパン株式会社 代表取締役
横浜生まれ。大学卒業後、建設会社(日本)、IT企業(アメリカ)、大使館(イギリス)、化粧品メーカー(フラ ンス)と、業界も国も文化もまったく違う環境で仕事を経験。 その後、植物療法・治療目的の製品開発を原点とす るフランスのスパブランド「YON-KA(ヨンカ)」と出会う。⻑年悩んでいた体調不良や肌の不調から解放された ことに衝撃を受け、まったくの個人で交渉を開始し、日本における独占販売権と世界ではじめてブランドの名を冠 した直営店の運営権を獲得。2004年にスパ&ウェルネスに特化したヴィセラ・ジャパン株式会社を創業する。現在は、ブランドの普及だけでなく、20年に渡り様々なプロジェクトに携わってきた経験を活かし開業~運営に関する コンサルティングやアドバイザリーなど総合的なサービス提供も行っている。また自身で手がけたスパが日本で唯 一のスパアワード「クリスタルアワード」で3度日本一に輝き、個人でもスパ・マネージメント賞を受賞。世界の スパアワード「ワールドラグジュアリースパアワード」では、アジアのシティスパ部門で1位を獲得している。企業 セミナーや大学・大学院での講義を担当の他、厚生労働大臣認定温泉利用型健康増進施設の認定要件として義務づけられている「温泉利用指導者」資格を有し、温泉を利用したスパ・プログラム構築も得意とする。
One thought on “心が動いた瞬間を自分の言葉で伝える”
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