INTERVIEW
by 岡部 大介
東京都市大学 メディア情報学部
社会メディア学科 教授
『ファンカルチャーのデザイン-彼女らはいかに学び、創り、「推す」のか-』(共立出版)の著者でもある東京都市大学メディア情報学部教授の岡部大介氏に、応援消費における「推しの経済」についてお話を伺う機会を得た。
そもそも推し(おし)とは、主にアイドルや俳優について用いられる日本語の俗語であり、人に薦めたいと思うほどに好感を持っている人物のことをいう。2000年代にアイドルファンの間で生まれた『推し』という言葉。インターネットやSNSの普及にも後押しされ、現在では若年層を中心に広く認知されるようになっている。
今回、20年にわたり認知科学の領域でフィールドワークを行ってきた岡部氏に、その形成における歴史やメカニズムについてお聞きし、「推しの経済」とは何かに迫る。
推し活の特徴
───ご著書の『ファンカルチャーのデザイン』を読ませていただきました。早速ですが、先生から見て、推し活をするファンの特徴はどのようなものでしょうか。
岡部 『推す』という言葉に関連したような活動自体は、相当昔からあったと思います。『推し』や『推す』という言葉が一般的ではなかった1970年代から、そのような活動は脈々と受け継がれ、具体的な文献としても残っていて、突然出てきたものではありません。そして現在では昔に比べ『推す』ことにかかるコストははるかに小さくなっています。
また、デジタルの発展普及もこの『推し』の拡大に寄与していると思います。1970年代には、愛好の対象が出てきたからといって、今の言葉で言うところの『推す』ための環境がすぐそこにあるわけではなく、商業的にも整備されていませんでした。例えば、当時、自分の欲望を何とか表現するために同人誌を描こうとしても、100冊単位や200冊単位で印刷してくれるような印刷業者などを探すのは大変でしたが、今ではたくさんあります。そもそも、同じ対象を愛好している人を見つける場所を提供できるようなサービスもありませんでした。
イギリス文学を専門とされている武蔵大学の北村紗衣先生の研究によると、シェイクスピアが生きていた時代に彼の作品を読んで興奮し、2次創作的な劇を上演して楽しむ人たちの創作物が実際に残っているそうです。イギリスの図書館には、シェイクスピアに感銘を受けたアマチュアが、自分でサイドストーリーを書いて印刷した、現代の同人誌のようなものがあります。これは中流階級以上を中心とした遊びですが、このように、『推す』という行為は、相当昔から存在していました。
現在は、Twitterを開けば、自分の知らなかった推し方を知ることもできます。失敗しない推し方や、自分もやってみたいと思えるような推し方の情報が手に入ります。70年代よりもはるかにコストを抑えて、無駄なく『推す』ことができるようになっています。そのおかげで裾野が徐々に広がり、先鋭化する人はさらに突き詰めることができます。2010年代の後半からは、そのような現象に名前を付けることが意味を持つようになり、『推す』という名前が、それら行為を表すものとして非常にしっくりくるようになったのだと思われます。
───私自身もチケット交換などで仲間を増やすことくらいしかできなかったので、話を聞いて非常に納得しました。誰かを『推す』ことは利他的な行為でもありますが、超低成長時代の中で、なぜ多くの人に受容されているのでしょうか。
根源にある贈与経済
岡部 特に人類学における重要な観点として、贈与をめぐる経済があります。「推しエコノミー」という言葉もあります。贈与経済には相手に贈るという行為が関係しています。誰でも、贈る、贈られるという体験があると思いますが、贈られた場合には贈り返さないと負い目感情を持つことになり、何かの機会に返さなければならないと感じます。文化人類学者が自国以外のコミュニティを観察すると、この贈与という行為はいろいろな社会構造の地域においても見られ、それゆえに着目されてきました。アメリカや日本のように、クリスマスにはプレゼントを贈るというような商業的なコンテクストがあるために起きるものではなく、贈与とはもっと根源的な行為であることがわかり、研究者はそこに面白さを感じました。
贈与は、トロブリアンド諸島のような西太平洋の環礁にも存在します。また、誰かを『推す』という行為もかなり贈与的なものです。自分のエネルギー、時間、経済的なコストを払ってでも、誰かのために、ときには寝食も忘れて何かを実践するという行為は贈与に他なりません。しかも、かなり利他的な贈与で経済的な見返りをほぼ求めていません。もしくは、既に見返りを受けているからこそ、負い目感情から返さなければならないと感じているのだと思います。既に『推し』の対象から「興奮」という見返りを受けてしまっているがゆえに、私も『推し』のために何かしなければならないという感覚です。おそらくそれは、利他的な贈与に近いものだと思います。
そのように、贈与を『推し』の文脈に置き換えると、重ねて説明できる部分はいくつかあると思います。例えば、K-POPのBTSは、贈与をめぐる経済を説明する上で最適なアイドルグループです。ファンたちが商業的な看板にクラウドファンディングを使ってお金を出し合って、誕生日を祝うためのセンイル(誕生日)広告を出すこともあります。これは、贈与をめぐる経済圏として『推し』を説明する上でわかりやすいと思います。また、BTSのコミュニティを見て非常に面白いと感じたのは、研究者の中でBTSにはまっている人たちの活動です。BTSからのメッセージにはダイバーシティや平等性などの現代的なものが多く、国連でパフォーマンスやスピーチでポリシーを訴えたりしています。また、自分たちがアメリカに行って、マイノリティとして活動したりもしています。そうしたことに非常に共感を覚えるようです。BTSを愛する研究者たちが、BTSカンファレンスという国際会議を立ち上げており、年に1度集まっています。その会議には、ジェンダーの研究者、フェミニズム研究者、文化研究者、マーケティングの研究者などが集まります。研究室の大学院生からこの情報を教えてもらったときには、小規模な研究会のようなものだろうと思っていましたが、研究者の投稿論文も非常に示唆に富むものであり、骨太の学会であることがわかりました。研究を発表しても研究者が直接的な利益を得るわけではないことを考えると、研究そのものがある意味で利他的な愛の表現だと思います。研究にエネルギーを注げること自体が損得勘定抜きに行われている利他的な行動の極致と言えます。ファンにはさまざまな愛情表現の方法がありますが、その究極に近い姿を見せられている気がしました。その意味では、人間の根本にある贈与というものは、ファン活動や『推し』の活動と密接に関連しているという印象を持っています。
コミュニティの可視化が規模拡大に寄与
───ファンの間での応援に向けた連帯意識のようなものも強く感じますか。
岡部 コミュニティは相当重要だと思います。話が戻りますが、70年代には、まだコミュニティの存在が可視化されていませんでした。偶然、同じクラスや学校の人の中に同じものを愛好している人がいればいいのですが、マニアックな対象だと実際にそのようなことはあまりありませんでした。
しかし現在は、TwitterやInstagramなどで検索をかければ、同じものを愛好している人が大量に見つかります。非常に容易に、同じものを愛好している人の姿を観察でき、ネガティブな意見もポジティブな意見も入ってきます。そこにはフィルターバブル(ネット上で自分の見たい情報しか見えなくなる現象)の問題もあるかもしれませんが、このように共同体へのアクセスが容易になったことは、応援経済、応援消費に大きな影響を及ぼしています。共同体が見えやすいハッシュタグやリツイートといったTwitterやInstagramなどの仕掛けや構造によって、自分の思い付きの愛情ではないという部分が見えることで、より背中を押されることになります。
完全に能動的だと言えるわけではありません。誰かが推している姿を見て、私も推さなければならないと感じること自体は、主体的に推しているというよりは、半分は受動的に推しているともいえます。
北海道弁には、『〇〇さる』という表現があります。例えば、北海道の人は『おささる』という表現を使います。エレベーターに乗って、かばんや肘が意図せずに階数ボタンに当たって押してしまった場合に、「ごめん、おささった」と言ったりします。押す意図はなかったのですが、偶然そこに階数表示ボタンがあったために、押すようにさせられたというような意味です。半分受動、半分能動のような状態が生じた場合に、『おささった』と表現します。この押すはプッシュの押すですが、愛好するという意味での『推す』は、自分で推しているようで、推すようにさせられているという感じもするので、『おささった』という表現が正しいような気がします。
───SNSを通じて、自分も推されて一緒に行動している印象を持つ。それが連鎖していくという話だと理解しました。ですから、1人で応援しているように見えても、1人ではないということですね。
岡部 そうです。しかも、その『おささる』行為は、いいね!を押すだけで『おささる』感じになるので非常に手軽です。自分だけが押しているのかもしれませんが、いいね!が1,000以上あれば『おささって』いる感じがします。自分も押そうという感じになります。そこは、能動と受動がいい塩梅でぐるぐると巡っているように思います。半分受動なので気が楽です。
───全体に『推す』というような消費は、重いものではなく、軽いものの積み重ねとして感じているのですが、先生のお考えはいかがでしょうか。
岡部 私もそう思います。非常に多くのエネルギーを注ぐ人はどんどん先鋭化してのめり込みます。そのような人は今も昔もエネルギーを注いでいますが、そのエネルギーに触発される人たちが非常に増えているとも言えます。推しのエリートがいるようにも思われますが実際はフラットです。研究室の学生を見ていても、一人ひとりが非常に容易に、それぞれの目の前の生活を少し豊かにする行為をすることができるようになっていると思います。
何を推すのか、『推し』の実態
───何らかの『推し』がいる人が増えていることかと思いますが、具体的に感じられることがありますか。
岡部 大学で情報リテラシー系の講義を担当していますが、リテラシーは最初に教えなければならないので入学直後の時期に講義をしています。講義ではパワーポイントなども扱います。見やすくデザインすることを学んでいくために、題材として、ここ2~3年、自分の『推し』の宣伝をパワーポイントで作ってもらっています。つまらないものの宣伝をさせてもつまらないものしか出てきませんが、愛情を注いでいるものなら歓びとともに見やすく作ることができます。それで、デザインに意識を向けてもらうことを意図して、そのようにしています。ここ2~3年の傾向としては、その意図がすぐに通じる印象です。「『推し』でパワーポイントを作ってください」と言うだけで、それ以上の説明は必要ないというほど通じているので、やはり『推し』がいるのです。実際に提出されるものを見ても、クオリティもかなり高く驚いています。18~19歳の人たちにとって、『推し』は日常用語であり、抵抗のない言葉になっていると思います。
───『推し』の対象に変化は見られますか。
岡部 例えば、大学生を観察していて、かなり増えてきていると感じるのはバーチャルYouTuberです。『ONE PIECE』のキャラクターのような、アニメの2次元の『推し』対象は昔も今も存在します。また、K-POPアイドルのような3次元の『推し』対象もあります。そのような中で台頭してきているのが、例えば、VTuber/バーチャルライバーグループ「にじさんじ」です。生身の人間がしゃべりますが、動いているのは2次元のキャラクターです。それがかなり増えています。
また大学生に限れば、物を対象にしたものはそれほど見られません。例えば、MacファンやAppleコンピューター信者は、かなり少なくなってきているように感じます。
───物よりも「人」のほうが推す対象になるということですね。
岡部 仕掛けが多いせいだと思います。サービスと密接に結び付いて、イベントやライブ、グッズ販売などがたくさんあり、何をするべきかという行為が明示的になっているからだと思います。2次元や3次元、バーチャルYouTuberなどの場合は、ライブの時間に私がそこにいなければならないというわかりやすさがあります。また、コインのようなものをお布施のように払うことができますが、それにも、私がやらなければならないというわかりやすさがあります。するべきことが既にサービスとして埋め込まれているので、家にいながらにして、スマートフォンで非常に手軽に『推す』ことができます。『推す』ことがサービス化されていることの影響が大きいです。
───方法がわかる、仲間がいる、すべてが手軽にできるなどが拡大の要因でしょうか。
岡部 そうです。オタク界隈でも昔からお布施という言葉がよく使われていました。お布施は象徴的な言葉です。賽銭箱に入れる程度の少額の金銭ですが、それが連帯して大きくなれば、バーチャルYouTuberは活動を継続することができます。もちろん、その中でも、尖った人は多額のお布施をします。昔からそうしたパトロンのような人もいましたが、その裾野が広がり、賽銭箱に入れる程度の金額で推せるようになっていることで、非常によく練られたサービスになっています。
───『推し』は直接は知らない人ですが、実際に知らない人でも楽しいものでしょうか。
岡部 楽しみです。私たちも、好意を持っている人へのプレゼントを選ぶのは面倒くさいと思いながらも楽しかったりするものです。それが自宅で可能になれば、気楽に楽しめるはずです。
───楽しいということは重要ですね。
循環する『推し』
岡部 そうです。また、目に見えることも大切です。自分が贈与することによって、例えば先の例であれば、コインの枚数が可視化されます。昔は、愛好するドラマがあってVHSビデオがすり切れるほど観ても、それが他のコミュニティの中で可視化されることはありませんでした。しかし今は、滞在時間やアクセス数、コインの枚数などがすぐに可視化され、その結果としてバッジが付与されることもあります。それがコミュニティの中での自分のステイタスになり、また次の贈与につながります。
───先生のお話しを伺っていると、推すことが循環していることがわかります。自分がしたことが他人に伝わるという循環する行為で喜んでいくところが大きな要素です。
岡部 自分も贈り、他の人も贈ることで、自分の行為がコミュニティを支え、それが巡って自分の幸せになって返ってくるという構造になっています。
───企業は、この現象にどのように取り組むと良いと思いますか。
岡部 柔らかく推している人たちも重要な存在ですが、先陣を切ってしっかり推す人たちは今でも非常に重要です。そのような人たちは今でもオタク的な消費の仕方に軸足を置いている可能性があります。例えば、握手券があれば何枚でも買う、誰よりも多く買うという伝統的な消費行動を取ります。そのような人たちの活動によって裾野が広がっていく可能性もあります。ですから、企業がそのようなやや伝統的、オタク的な心根を取り込む方法を考えることも必要です。
例えば、中塚さんの勤める東京ガスのキャラクターである「パッチョ」を目にする人は結構多いと思います。一消費者がパッチョをどこまで自由に使えるようにするかということを考えてみましょう。パッチョの同人誌はあり得ますか?もしパロディの対象になった場合、そのような場面で、企業がコントロールをある程度手放せるかどうかという問題もあります。使い方を厳しく定めてしまうこともできますが、心配ではあっても、ある程度コントロールを手放して行く末を見守り、駄目だと思った時点で介入することもできます。そのようにして、あらぬ方向に進むことをほど良く注視し、一緒に楽しむことが必要な場合もあります。止めた方が良い場合はきちんと声明を出すことができます。企業のイメージやキャラクター、アイデンティティのコントロールをファンに委ねることをどこまで許容するかということです。
これは、地域に根ざした企業のほうがやりやすい面があります。例えば、熱心なファンがついている企業に、シューマイの崎陽軒があります。お弁当が同人誌の対象になって、『食べ方図説 崎陽軒シウマイ弁当編』がコミックマーケットで売られていたりします。弁当の何から食べるかという研究や、崎陽軒デザインの弁当箱の中で崎陽軒の中身を再現するためのレシピの研究などがあります。崎陽軒はもちろんそれを見ていると思いますが、一緒にそれを楽しんでいるようにも感じます。
必ずしもコントロールを手放したほうが良いというわけではありません。コントロールを手放すには勇気が必要で、上手にしなければカオスになってしまい、アナーキーな存在になってしまうこともあります。ですから、どこまで上手に巻き込んで一緒に楽しむかというデザインが必要になる場合もあります。
───キャラクターで言えば、企業の管理側と作者がいると思うのですが、作者のほうがコントロールを手放す傾向が強いと聞きますがいかがでしょうか。
岡部 そうかもしれません。作者は、自分が誰かのものを模倣して楽しんでいることもあるので、恐らくわかっているのです。また、そのように小さなお布施で生まれたコミュニティが、メジャーになるときには重要なこともあります。
───パッチョに関して言うと、社内にはファンがすごくたくさんいます。これからキャラクターとして育てていくためにはファンの自主性を大切にするほうがいいのでしょうか。
岡部 狙い過ぎないほうがよいのです。今の話で私が感心したのは、社内にすごい愛好家がいることで、それは非常に重要です。そのような社内のファンが、私たちが一般的にイメージする経済や利潤、利益をあまり考えることなく、さまざまなことを進めるほうが愛好するということに引っ掛かる可能性は高いと思います。パッチョが好きでたまらない人が、パッチョへの愛を惜しみなく表現できるような仕事のデザインは可能です。
また、ファン同士の目もあるので、オンライン上よりはリアルのほうがコントロールが効きやすい環境があると思います。偶然、研究室の卒業生から聞いたのですが、先日『スラムダンク』の応援上映があったそうです。卒業生によると、二子玉川にある会場のチケットは発売開始から2分で完売したそうです。映画館の現場の動画を見ると、コミックマーケットを連想させるようなキャラクターのお面を付けた人やコスチュームを着た人、マンガの中に登場する応援グッズを持っている人などが見えましたが、規律はしっかりと保たれているようです。少し外れた、あるいは外れ過ぎたものに対するファン同士の制裁の目が行き届くからです。その話を聞き、企業が介入しなくても、ファン同士のコントロールに委ねてもいいという印象を持ちました。
応援上映の面白いところは、ファン同士が小さなクリエイティビティを発揮することができているところです。『スラムダンク』で言えば、バスケ部ではない水戸洋平という、桜木花道の友だちのお面を付けた人がいました。水戸洋平はオタクに人気があるキャラクターであるため、そのようなお面を付けてくる人が注目を浴びたりします。
現場は、ファン同士のコントロールに委ねてしまっても勝手にクリエイティビティを発揮してくれます。クリエイティビティも贈与の一つです。小さなクリエイティビティを発揮して、それにお互いがまなざしを向け合って、その発想は良い、そのお面で来たのですかという感じの楽しみ方ができる。企業が介入しなくても、ファン同士の自助的な工夫である程度のコントロールが可能であり、かつ、コントロールしていないために面白いクリエイティビティが発揮されます。
トレンドはどこへ向かうのか
───応援消費のトレンドはこの先もずっと続いていくと考えていますか。
岡部 今後、よりサービスに組み込まれるようになっていくという予感はしています。『推す』という行為は姿形を変えながら続くとは思いますが、消費者にとって企業から贈与を伴う経済ではない姿が少しでも見えると、その動きは変わってしまうかもしれません。作品のファンが徐々に増えていたにも関わらず、利潤優先の「裏の情報」のような予測がどんどん出てくると、結局ネガティブな印象が上回る場合もあるでしょう。
先ほどの応援上映のようなものが一般化した場合、経験の価値が低くなるかもしれません。その一方、新しい実践として定着する可能性も否定できません。そこは難しいところです。
───応援消費・応援経済の拡大はSNSが起爆剤になったとされますが、例えば、悪い印象を持つ企業に対して不買するといった、逆の応援もSNSで一緒に育っていくのではないかとも思いました。企業にとって応援消費、応援経済は魅力あるものですが、関わり方を間違えると、いわゆる炎上が起こって、企業に致命傷を与えることもあり得ると思いますが、いかがでしょうか。
岡部 SNSは企業イメージとかなり連動しています。SNSを分析している研究者によると、ポジティブな投稿とネガティブな投稿を比べると、ネガティブな投稿のほうが初期のインパクトが強いものの、ポジティブな投稿のほうが残るということがあります。私もSNSや大学生の言動を見るときに、同じような印象を持っています。SNSと企業イメージがしっかり結び付いていれば、炎上は起きたとしても比較的短期間で鎮火して、ポジティブな投稿のほうが何年後かにまたあらためて拡散されること等もあります。
───本日お話しをお聞きして、推し活の経済力について多くの謎が解けたように感じます。ありがとうございました。
(Interviewer 中塚 千恵 本誌編集委員)
岡部 大介(おかべ だいすけ)
東京都市大学 メディア情報学部 社会メディア学科 教授
大学院環境情報学研究科 環境情報学専攻 教授
1973年山形県鶴岡市生まれ。横浜国立大学教育学研究科助手、慶應義塾大学SFC政策・メディア研究科研究員を経て、東京都市大学メディア情報学部社会メディア学科教授。博士(学術)。専門は認知科学、フィールドワーク。著書に『ファンカルチャーのデザインー彼女らはいかに学び、創り、「推す」のか』(共立出版)、『デザインド・リアリティー集合的達成の心理学』(北樹出版)など。