INTERVIEW


DX × 経営をテーマに、企業変革を担う
エグゼキューション役を目指す


経営とデジタルの融合がつくる未来

小林  真美 氏
株式会社カイバラボ データコラボレーション部 部長 兼
データ事業推進部 部長 兼 株式会社pHmedia取締役CDO

 製造大手パナソニック社で社会人人生をスタート。顧客データ基盤の立ち上げや経営とデジタルの融合で複数の新事業を立ち上げ、現在はパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)、(=ドン・キホーテ、ユニー、長崎屋などをグループ企業とする持株会社)の子会社であるカイバラボでデータ事業を立ち上げ、新たな事業創出をリードしている。現会社で5社目になるが、DX x新事業推進を自身の強みに企業変革の推進役となってきた。
 行動の根源は、幼少期グローバルな環境で育ってきた経験から、日本企業=日本を変えていきたい熱い想いがある。これまでのキャリアの変遷、何を大事にキャリアを培ってきたのか、未来のシゴトへの取り組みについてお話を伺いました。

グローバルに前例のない仕事にチャレンジする

───最初に、これまでの小林さんのキャリアについて、簡単にご紹介いただけますか。

小林 幼少期に父の仕事の関係で海外で生活しており、小2~4年をシンガポール、小6~中3をドイツの日本人学校で過ごしました。その後、アメリカの大学で経営情報システムを専攻し、ちょうど当時は就職氷河期だったのですが、ボストンキャリアフォーラムで松下電器産業(現在のパナソニック)から内定をいただき、2002年に新卒で入社しました。
 最初の配属は情報システム部門で、ERP(Enterprise Resource Planning)の導入に関わりました。ERPとは、基幹システムをグローバルに一気通貫で導入し、企業の経営資源である「ヒト・モノ・カネ」に関する情報を一元管理することで、企業全体の状態を最適化し、リアルタイムでスムーズに経営判断ができるシステムなのですが、当時はいろんな企業がERPに切り替えていくブームの時代でした。私の最初の仕事も中国全土44社へのERP導入推進で、このプロジェクトで上海と香港に2年ほど駐在しました。
 その後、2009年には「何をしてもいいからITを駆使して新市場で売上を上げることをやってきて」という漠然としたミッションを与えられて、単身で旧ユーゴスラビアのバルカン地域に赴任したこともありました。
 さらに2012年、ビッグデータという言葉が出始めた頃でしたが、社内にデータ分析の専門家を作ろうという動きの中で、当時はその領域で最先端であった北米に赴任させていただき、昼はシリコンバレーのベンチャーソリューションなど自分たちで見つけてきた分析ツールを社内でどう活用できるかを検証し、夜はビッグデータ分析に特化した大学院でさらなる専門性を身につける、という生活を送っていました。

───パナソニックのような大企業ですと、保守的な考えで仕事をしている人が多いイメージですが、小林さんは真逆で、前例のない仕事を与えられ、チャレンジされてきたようですね。

小林 パナソニックでは、新しいことへのチャレンジを、リスクもある中で、小林ならやれるんじゃないかと信じてもらったことが深く記憶に残っています。家電がネットにつながるようになり、ログデータがたまるようになってきたときに、情報システム部門としてそれらデータを分析できる専門家の育成を図るべきであるとCIOに提言したら、「じゃ、提案したんだから小林が行ってこい」といった感じでしたね。提案したことを自ら実現するべきだ、と良いチャンスをもらったと思っています。

ゼロから顧客データベースの基盤をつくり、デジタルと経営を融合させる

───その後、パナソニックを辞められてファーストリテイリングに行かれていますが、そこではどんな経験をされたのでしょう。

小林 2015年に転職したファーストリテイリングでは、そもそも活用すべきデータがない状態でしたので、お客さまのデータを収集する仕組みを開発する、データベースの基盤をつくる、データを見せる仕組みをつくるなど、全部ゼロからのスタートでした。
 最初の1年は、ユニクロアプリにバーコードを付けて、お客さまにレジでスキャンしてもらうという仕組みを開発し、その次の1年は、データの蓄積を続けるとともに、集まってくるお客さまのカスタマレビューをテキストマイニング分析してR&DとMDに連携し、次の年の商品改善に生かしてもらう、というサイクルを立ち上げました。柳井さんが言う情報製造小売業になるための土台づくりをやらせてもらったという感じです。お客さまの声で商品を進化させるという仕組みは、今でもユニクロのDNAになっています。

自分のやりたいことを実現するために必要なスキルや経験ができる仕事を選択する

───ファーストリテイリングの後も転職をされていますが、何を大事に考え行動されたのでしょうか。

小林 そこまでずっとITやデータ分析の専門家という立場で来たのですが、40歳を手前にしたときに、もうちょっと経営的なところに近づきたいと考え始めたんです。経営企画や経営戦略分野を経験しておいたほうが将来のキャリアに役立つんじゃないかと思いました。
 そこで、真珠で有名なTASAKI、化粧品の資生堂2社で経験を積ませていただきました。
 TASAKIでは戦略統括部に属しました。ファンドが入っていたこともあり、PL(損益計算)での数字の組み立て方や経営戦略の立て方など新鮮に感じながら学ばせていただきました。また、資生堂では、新規事業やJVの立ち上げなどの新しい仕事のほか、DXプロジェクトも任されました。
 そのプロジェクトを通じて、今やほとんどの戦略アクションがデジタルと切り離せないことに気づきました。戦略の実現には、デジタルなくして不可能な時代になってきたんですね。なので、だったらもう一度その領域に戻って、自分の手で戦略を意識しながらデジタル化を進めたほうがスピード感をもって形に残せるなと思って、現在のカイバラボに転職してきたわけです。

───カイバラボでは、最初はどんなお仕事からスタートしたのですか。

小林 カイバラボに入社した2022年当時、PPIHは中途採用も少なく、カイバラボも5名体制でした。そんな中、当時のカイバラボの社長から「PPIHがリテールメディア事業を立ち上げる余地があるのかないのか精査してくれ」という話がありました。PPIHにデジタル・データ分析領域の人材が少なかったので、メディア事業の可能性について判断がつかない状態だったのです。
 私はまず、当時リテールメディア事業の売上でトップを走っていたWalmartやAmazonの調査を行い、PPIHがリテールメディア事業を立ち上げる意義と差別化要因を整理し、会長、社長へ提案しました。これが事業の立ち上げにつながったと思います。2024年6月期が事業の初年度となりますが、データ事業としては全体で数十億円程度の売上を見込み、来年度はその倍近くまで目指すことになっています。リテールメディア事業の利益率は7割弱ですので、PPIHグループの新たな収益の柱としてこの事業を育てたいと考えています。

───今はどういう取り組みをされていらっしゃるのですか。

小林 現在は、カイバラボの社内DX化に向けたインキュベーション活動を担う部門の部長と、PPIHのデータを活用してメーカー様にサービスを提供するデータ事業推進部の部長を兼務しています。また先日、博報堂と立ち上げたpHmediaというリテールメディアのジョイントベンチャーでは取締役も兼務しています。インキュベーション活動はコストセンターになりますが、後者の事業で稼いでいるから、新しいこともやらせてもらっているという形ですね。両方が両立していることは社内の立ち位置としては結構大事なことだと思います。
 また最近感じているのですが、どんな取り組みであっても、社長レベルの目線で判断する、決断する、うまく社内のコンセンサスをとっていく。そういう部分が新しいことをうまく動かしていくコツなのかなと思います。弊社で言うと、新規事業やパートナーシップ、JVもすべて社長マターですから、経営者と同様の目線を常に持っておくことは重要です。

企業変革を担うエグゼキューション役を目指す

───そう言えば、小林さんの転職経験はすべて日本企業ですね。

小林 はい。意思をもって日本企業を選んでいます。日本企業の中でも、グローバルに打って出たい、日本を世界に知らしめたいと思っている会社をより好んで転職しているというのはありますね。私は、日本を変えていくには、ヒト・モノ・カネがそろっている大企業が先に変わったほうがインパクトも出るのではないかと思っています。個人でやるのはスピードは早いかもしれないけれど、インパクトという意味では小さい。そういう意味では、日本の大企業を変えるドライバーになりたいという想いはずっとありますね。
 例えば、日本で初の何々、日本でこんなことがやれているといった実績をつくって、日本がそれで変わったね、世界も注目しているね、といったところにつながることをやっていきたいです。なので、自分個人のキャリアとしては、やはり経営層・役員層を目指して、カルチャーを含めてつくっていきたい、という考え方で管理職をやっています。最終的には、日本のいろいろな企業の変革を促していきたいと思いますね。

───ご自身が日系企業のトランスフォーマーの第一人者となることを目指しているわけですね。

小林 どの企業も経営層のレベルになると、このまま日常のリニアな成長だけでいつか立ち行かなくなると思っていますから、飛躍的なチャレンジにリスクを負ってでも投資しないといけないと考えているはずです。しかし、どうやっていいかわからない、そこを形にする人がいないというのが日本企業の現実かなと思っています。
 私の役割は、新しいチャレンジを具現化することだと思っています。最初は小さくてもいいからスピード感を持ってそれを形にする、見える化させる、そのようなエグゼキューション(一連のプロセスの実行、管理)が自分の強みだと思っています。
 エグゼキューションのためには、人を巻き込んでやる、熱意を持ってやる、きちんと情報武装をして行うなど、いろいろコツがありますが、これまでの経験でそのポイントをつかむことができたのが自分の強みにつながっていると思っています。また、新しいことは初めから全部がうまくいくわけではないですから、実行をまずはしてみた上で、次はこう改善しようといったことを“早く”見つけるのが肝です。私はこれを「Try & Error」ならぬ、「Try & Improve」と呼んでいますが、これは、ユニクロで柳井さんから学んだことです。柳井さんの『一勝九敗』という本がありますが、柳井さんもたくさん失敗していて、その中からグローバル企業としての今のファーストリテイリングがあるわけですから、自分の勇気にもなっています。

───小林さんから見て、今の日系企業の経営課題は何だと思われますか。

小林 日本の企業は、失敗を恐れて新しいことに取り組むのがすごく苦手だと思っています。すごく慎重で、すごく時間がかかる。特に大企業はそうだなと思っています。
 もう一つ思うことが、今の時代でスピード感を出すには、ゼロからつくっているととても時間が足りない。既にあるものと掛け合わせ、クロスさせることが必要だと思っているのですが、日本企業はそのあたりのコラボレーションが苦手で、結構全部自前でゼロから開発します。名前もしらないベンチャーとは組めません、自社のものは他社には一切見せませんといったカルチャーがすごくあるように思います。スピード感を持つためのコラボレーション、掛け合わせについても、私は、いろいろな国、いろいろな人と仕事をしてきて多文化コミュニケーション能力を培ってきたと自負していますので、大企業の中で実践を通じてそのカルチャーを醸成していくのも自分のミッションかなと思っています。
 あとは、もともと自分が若手の頃からチャンスをもらって、経験を通じたいろいろなスキルを培ってこられたので、自分が責任者になった今は、恩返しではないですが、今度は自分が部下にそういう機会をつくりたいと思っています。あとは評価制度ですね。日本の企業では役職があがらないと昇給しない会社が多いですよね。でも例えばGoogleですと、マネジャーでも管理職でもないがスーパーエンジニアに2,000万円の報酬、といったテーブルがあるんです。JOB型が進んでいく今後、専門性をもった人材については、評価体系の見直しも必要なのではないかと思っています。

───たいへんおもしろいお話を聞かせていただきました。本日はありがとうございました。

(Interviewer:德田 治子 本誌編集委員)

小林  真美(こばやし まみ)
株式会社カイバラボ データ事業推進部 部長 兼
データコラボレーション部 部長 兼 
株式会社pHmedia 取締役CDO

2002年パナソニック入社。情報システム部門で、中国、欧州、北米などへの海外赴任を含め数多くのグローバルプロジェクトに携わる。2015年ファーストリテイリングに入社し、CRM・データ分析部の立ち上げに携わった後、TASAKIで経営戦略部部長、資生堂の経営戦略部でDXプロジェクトをリードする。2022年1月カイバラボに入社、データ事業推進部 部長 兼 データコラボレーション部 部長として、新たな事業創出をリードしている。スティーブンス工科大学大学院ビジネスインテリジェンス&アナリティクス修了。

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