岡 俊子 氏
明治大学大学院 グローバル・ビジネス研究科 専任教授
ENEOSホールディングス、日立建機、ソニーグループ、ハピネット各社の社外取締役
M&Aを専門分野に、長年コンサルティング畑でキャリアを積まれてきた岡氏。今は大学院の教授であり、複数社の社外取締役を務められ、常に第一線でご活躍で女性社会進出の草分けのように見えます。「自分は常にマイノリティだったから」と振り返る岡氏は、”大波に逆らわず波に乗る”しなやかさと、ぶれない芯を持ち合わせる、努力の人でありました。
「女の子は要らない」
時代を逆手に
───岡さんはどのようなキャリアヒストリーを歩まれてきたのでしょうか。
岡 私が就職活動をしたのは1985年なので、男女雇用機会均等法の恩恵を受けない最後の年です。大学時代から外資系のコンサルティング会社でアルバイトをしていたので、その流れで日本では大手の監査法人トーマツのコンサルティング会社に就職しました。入社後、ある重厚長大型の会社のプロジェクトで仕事をしている時、クライアントが私の上司と契約内容の話をしていて、「トーマツさん、高いね。誰がやってくれるの?」と言って、こちらをじっと見ました。で、「うちは女の子にお金を払えないね」と言われ、私はその場で首になって、事務所に戻れと言われたのです。事務所に戻ってもルーティンワークも無いですし、その辺にある英語の本と会計の本、マネジメントの本などをずっと読んでいました。待てど暮らせど誰も何も言ってこないので。
───心が折れそうになりませんでしたか。
岡 折れそうなんだけど、どちらかというとこれはチャンスだから、税理士なら働きながら取れるかもと思いました。夕方5時半になったらすぐ大原簿記学校に通って、宿題は昼間にやりましたね、仕事がないから。それで、勉強もはかどって、一部の科目合格ができました。
そのうちアメリカからトーマツのパートナーが来ることになりました。日本はバブルで結構儲かっていた市場、今後成長させる市場ということでした。当時、日本の道路標示には日本語しかなくて、あの外国人は日本で路頭に迷うに違いないから誰か付けなきゃと言われて、私が「遊んでるからちょうどいい」といった感じで付けられたんですよ。最初は本当にカバンを持って付いていったり、ご家族の用事をお手伝いしたり、そんなことばかりやっていました。そのうちアメリカ企業の日本進出をプロジェクトにしていき、私も一緒に手伝っていました。
ある日そのパートナーに、「おまえ、どうするんだ、誰も使ってくれないんだろう?アメリカにビジネススクールというものがあるから行ってみたらどうだ?その間に日本も変わるかもしれないよ」と言われました。それで願書を出して受かってから、「ウォートン(ペンシルベニア大学ウォートン校)に受かったんですけど、派遣で出してもらえませんか」と会社に言いました。そうすると「あ、いいよ」という返答。バブル時代でしたから。
その後日本に戻ってきたら、私の上司が社長と喧嘩をしまして、会社が2つに分かれることになりました。どちらに行くべきか迷っていた時に、「通産省(今の経産省)が会社をつくり、そこに出向者を出さなきゃいけないので、誰かいますか」と言われて、「行きます」と言いました。対日投資サポートサービス(FIND)という会社です。
2~3年経って出向から戻ってきたら、また社内の分裂があり、今度はみんなでアンダーセンコンサルティングに行くぞということになりました。
『出所:レコフデータ』
自分の領域を創る
───それがM&Aのコンサルティング組織ということでしょうか。
岡 その前からM&Aの仕事はしていたのですが、アンダーセンの頃から仕事はほとんどM&Aとなりました。ところが2年でエンロン事件(同社がエンロン社の会計粉飾、証拠隠避などに関与)が起きてアンダーセンがなくなることになり、アビームコンサルティングから、当時6人のチーム全員を引き取ると言われて戻りました。そこからチームを大きくして20~30人くらいになった時に、NECがアビームを買収することになりました。そうすると、ITコンサルの色が強くなり、M&Aが薄まってしまうんですね。それで、「“アビームM&Aコンサルティング”をつくって欲しい」と言ってつくってもらいました。
その頃、電通の子会社の社外取締役をやっていまして、そのときに一緒だったネットイヤー社長(当時)の石黒さん注1、からうちもやってと言われ、社外取締役をやるようになっていきました。2015~2016年くらいに、社外取締役のニーズが一挙に広がっていった時代です。三菱商事からも声がかかりました。三菱商事の中堅の人たちに、M&Aを教える社内研修の講師を14年間もしていた縁です。
こうなってくるとなかなか時間も取れない、自分としてコンサルを続けるのか、卒業するのか選ばないといけなくなり、コンサルはもう体力的に無理だと思って辞めることにしました。
並行して、明治大学のビジネススクールも、兼任講師として一科目担当していましたが、そのうちにコロナ禍が起きました。私の生活は1日3時間くらいは移動時間に使っているのですが、その移動時間がコロナ禍でなくなったタイミングで、明治大学の研究科長から「もうちょっとクラスを増やせませんかね」と言われ、クラスの内容の提案をして、教授になったというのが2年くらい前です。
注1:石黒不二代氏
自分が出来ること
───お話を伺っていると、いろいろな流れや出会いに乗って、軽やかにキャリアを重ねてこられた印象があります。
岡 自分がコントロールできるところとできないところは分けるほうですね。例えば女性であることや他の人が決めることはコントロールできない。コントロールできることは自分で努力して、できることを増やす意識はずっと昔からありました。ただ、できないところでもがくことはしなかった。コントロールできないところでごり押ししても無駄だ、と思っていたのでしょう。
───クライアント企業の様々な悩み、最近では会社の組織風土に起因した事件が起こるような状況がありますが、そういった状況を見て、どうお感じになりますか。
岡 今は転換期にあります。10年か20年したら、確実に変わると思います。若い人はかなり大きな問題意識を持っています。40~50代の一部の方々に昔の意識が残っているのです。若い世代には、「できる社員はステップアップを早くさせよう」ということで、年齢の逆転が起きています。上は上で、執行役ぐらいになると、やはり年齢の逆転が起きています。そのなかで、比較的、年齢も逆転せずに、部署を渡り歩いている40~50代がいます。この層には、かなり優秀な人がいて、そういう人は声も大きく、社内での発言力もある。この層に昔の意識のままで仕事をしている人がいると、組織が停滞しがちです。
今、企業は、ダイバーシティや企業風土刷新の教育をやっています。みんな「その通りだ、そうだそうだ」と言うけれど、自分の言動が問題なのだという意識がないのです。なので、自覚してもらわなきゃいけない。自覚して行動を変容してもらえないならば、去ってもらわなきゃいけない。でないと若い人たちのほうが出て行く。そんな局面にいる会社は少なくないように思います。
───それを変えるには、ある意味、外圧が必要ですよね。
岡 そのあたりも、社外取締役という立場で見ていく重要な論点だと思います。
───岡さんはキャリアの中で壁みたいなものはありましたか。
岡 たくさんあります。就職したときからずっとマイノリティで、壁だらけですよ。社外取締役という立場も、会社のなかではマイノリティです。だから、壁の中でできることを精一杯やって、少しずつ壁を押して、広げているという感じですね。壁にまともにぶつかるとこっちがけがをするので、広げる努力をするのです。ぶつかると痛い。重傷を負うと、体力が持ちませんので。
マイノリティが声をあげるという話がありますが、人数的にある一定のポイントを超えないと組織は動かないです。社外取締役でも女性でも一人じゃ無理。複数いると1つの声になりますが、一人が言っているだけだとかき消されちゃう。私はそういうときに、マイノリティの数を増やし、少しずつ壁を取り払うことを提案しています。
自分にはできること、できないことがあるけれど、短い人生なのでできることはできるだけやりたい。私はゼロから1にすることは好きだけど、1を100にする人ではない。社外取締役もM&Aもかなり草創期からやっていると思うので、私は初期段階でいろいろやる人かもしれません。とはいえ、自分に対しては反省ばかりですよ。あのときこうしてればこうならなかったのにとか、そんなことばかりです。
───反省する点が多いということは、それだけいろいろな局面に遭遇しているとも言えますよね。
岡 局面、多かったですよね。自分の中ではあまり無理せずに来ていて、その局面局面で適宜やっていたという感じもしますが、振り返ってみると試練だらけの人生だったんですね。昔の女性は大変ですねって学生に言われたことがあります。
───そんな中ででもやりたい仕事をされているという感覚はありますか。
岡 M&Aは、最初はやれと言われてやってきたけれど、今ではとても興味深い領域の仕事です。会社が変わっていく姿が見られるし、自分が貢献できる部分があるという実感を持てます。社外取締役の仕事も、その実感を持てる会社が自分に合っていると思っています。
一方、「台所は見せません」みたいな企業もありますよね、客間に上がってくださいと。そういうところで社外取締役に入ってもあまり意味がないと思います。今年還暦なんです。あと10年しかないので、できることは限られる。であれば、役に立つところでと思っています。
───最後に、企業人へのエールをいただきたいと思います。
岡 何度でもやり直せるし、つぶれないでほしいですね。つぶれそうになったら、「そこだけが世界じゃないかも。ほかで活躍できるところがあるかも」と思ってみることも必要かも。大きな目で周りを見回して、そこから自分がやっていることを見て、自分なりの判断をされたらいいんじゃないでしょうか。
───そのためにはいろんな人とのネットワークをつくり、インプットして、外を見ていかないと駄目ですね。
岡 人によって外を見るのがあまりうまくない人がいますよね。そういう人は、数は少ないかもしれないけど質の高い情報を仕入れるとか、自分で努力をしなきゃいけないですね。
自分はどういう働き方をしたいか、それを考えることも必要です。私はこういうふうに過ごしたいから、これがいいのだ。人から何か言われても、そこは私が捨てたところだからいい。そういう風に思えないと、他人から何か言われるたびに不満とか、愚痴を言うことになる。まず自分の中でどうしたいかというところを持ったほうが良いですね。
───本日はありがとうございました。
(Interviewer:松風 里栄子 本誌編集委員)
岡 俊子(おか としこ)氏
明治大学大学院 グローバル・ビジネス研究科 専任教授
ENEOSホールディングス、日立建機、ソニーグループ、ハピネット各社の社外取締役
1986年に等松・トウシュロスコンサルティング㈱(アビームコンサルティング㈱およびデロイトトーマツコンサルティングの前身)に入社。現在は、明治大学MBA(グローバル・ビジネス研究科)専任教授の他、ソニーグループ、ENEOSホールディングス、日立建機、ハピネットの社外取締役を務める。
著書に『「資本コスト」入門』(2019年)、『「子会社売却」の意思決定』(2023年)など。
1986年一橋大学卒業、1992年米国ペンシルベニア大学ウォートン校MBA。