第5回
見つめる鍋は煮えない

Something New

 「何かいいアイデアはないものか?」と、喫緊の課題に対処したいのに何も出てこない。あれこれ関連するデータを集めたり、ネット検索したり、専門書まで紐解いたりしても、月並みな考えしか浮かばない、そんな経験は誰しもあることでしょう。
 なぜアイデアを生みだすことがそんなに困難なのでしょうか。数学の問題を解くときは最初は難しいけれど、その次からは解法を身につけて解けるようになるのに・・・。

解をめぐる2つの思考法

 解をめぐる論理的思考法には、大きく2つのタイプがあります。数式の計算など一般的な問題解決では、論理を積み重ねて一定の方向に収束させて一つの解を探すもので「収束的思考」と呼ばれます。これに対して解が一つに収束せずに発想の飛躍を伴って多様な解を求めるものは、「拡散的思考」と呼ばれます。アイデアを生み出したり、新しい見方や考え方をもたらすといった創造的活動は、まさにこの拡散的思考となります。
 この2つのタイプの思考法を提唱した心理学者のJ.ギルフォードは、拡散的思考能力を測定する例として次のような問を出しています。「新聞紙は読む以外にどんな使い方ができますか?」。さて皆さんはどのように答えるでしょうか?新聞は日々のニュースを伝える紙媒体であると思い込んでいる方には即答しがたい問ですね。野菜を包むのに使ったり、宅配便の緩衝材に使ったり、BBQでの着火に使うと素早く答えられれば、柔軟な思考の持ち主になるかもしれません。
 でもこれらは、日常の経験から比較的誰でも思いつくような使い方ともいえます。それに対して、服を作ってみる、水に浸し丸めて硬い球を作ってみる、滑り台を作ってみるなどと答えられれば、かなり創造性が高くなってきます。

インパス

 この新聞紙の例でなかなか飛躍のある思考ができない人は、常識の罠に陥りやすいものです。新聞紙は情報を伝えるメディアであり、紙を素材とした薄くて軽い破れやすい特性があるという常識にとらわれている限り、いろいろと試行錯誤しても結局は誰しも思いつくような考えしか浮かばず行き詰まってしまいます。
 破れやすい新聞紙から服を作るのは難しい、一旦水につけて硬くするという思考もなかなか出てこない、破れやすい紙で人が乗る滑り台など全く発想できない。このように対象となるモノの特性が持つ常識に縛られて、先に進めないという状態になります。これが認知心理学で言うところの、インパス(impasse)と呼ばれるものです。
 実はこのインパスは、創造的思考法の最初のステージと位置づけられるものです。思考の飛躍と多様な解を求めるその思考法の敷居の高さに、数多くの試行錯誤が繰り返されながらも、現実には行き詰まりや八方塞がりに陥りやすくなります。

見つめる鍋は煮えない

  知の巨人と呼ばれた外山滋比古は『思考の整理学』の中で、創造的活動で必ずと言っていいほど陥るこの“インパス”について、そこから脱出する方法を説いています。
 それが、「見つめる鍋は煮えない(A Watched pot never boils.)という少し風変わりなことわざです。料理をしている時に早く煮えないかと絶えずフタを取ったり閉めたりしていると、なかなか煮えないという教訓です。ここでの比喩が意味するところは、課題に対して一つの方略にこだわって他の方法を思いつかなかったり、同じところをぐるぐる回って行き詰まっている状態—いわゆるインパス—に対して、一旦そこから離れてみようということです。創造的活動を成しえた先人たちの体験談などからの考察を通して、外山滋比古はインパスな状態から離れる・逃れることの重要性に注目しています。

タブララサのすすめ

 実際に皆さんが何かアイデアづくりなどで行き詰まった時に、どのようなことをしていますか?多くの方がちょっと一休みしたりお茶を飲んだり、誰かとお喋りしたり、ネット閲覧やゲームをしたりと何か気分転換をするのではないでしょうか。
 このような“固執からの脱却”は、タブララサ(tabula rasa)と呼ばれ、頭を空っぽにするとか、気分転換して考えることを停止したりすることを指します。その意味するところは、インパスな状態に伴うマイナス感情やストレスの低減、課題一辺倒の自己を切り離すことによる客観視や、より広い視点からの俯瞰的認知などの発生を促して、できる限り新鮮な再スタートに向かう準備期と捉えられています。
 アイデア作りに伴うインパスの発生からタブララサへの切り換え。新しい見方や考え方を模索したりアイデア作りに行き詰まったら、ひと呼吸おいて思いきってその思考モードから離れてみたらいかがでしょうか?時間の経過と共に新しい世界が開けるかもしれません。次回はこのステージについて考えてみましょう。

*外山滋比古:英文学者で、思考論、創造的思考法をはじめとして、日本語論、言語学、修辞学、教育論等多くのジャンルにわたり250冊以上を著し「知の巨人」と呼ばれた。代表作『思考の整理学』は長年ベストセラーを続けた。

中島 純一
公益社団法人日本マーケティング協会 客員研究員