2024年11・12月号 
編集スタート! テーマ「下目線」

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巻頭言

今月のテーマ

下 目 線

今、ここを生きる

巻頭言

 上から見下す「上から目線」ではなく、下から見上げる「下から目線」でもなく、今回は「下目線」というテーマで企画しました。
 ここで言う「下目線」とは、普段の目線の高さや範囲から目線を下げることによって、「私たちの足元を見つめ直し、そこに広がる唯一無二の存在に気づき、価値を見出す力を養う目線」と定義したいと考えます。
 また、「下」にはよく目を凝らさないと見えないもの、五感を生かして想像しないと“見えないもの”も含まれます。下目線を持つことで、世界は拓かれ、既知だと思っていたことが未知に様変わりする驚きと喜びを、本号を通じて共有できればとても嬉しく思います。

 今回、5組の方々に取材·執筆のご協力をいただきました。砂浜美術館 塩崎様 大迫様、みなとラボ 田口様、ヤマカワ コピーライター 川原様、BISTRO下水道 加藤様、そして立教大学スポーツウエルネス学部 准教授 兼 生きものインタープリター 奇二様。
 お一人おひとりが情熱に溢れ、そしてやさしくも力強い目線でそれぞれのお立場から美しい持続可能な未来を見据えていらっしゃったのがとても印象的でした。人間が支配する世界ではなく、自然の循環サイクルの中で人間が生かされているこの世界で、本当の豊かさとはどんなことなのか。そして私たち一人ひとりに血が通い、ぬくもりある生き物であること。喜怒哀楽を感じる人間であるという、当たり前なことなのに忘れてしまいがちな大切な気づきを得る貴重な機会をいただきました。

 近年、SDGsだけでなくネイチャーポジティブ経営(2030年までに自然の損失を止めて上向きに転じること)が重要課題とされ、2023年9月には「TNFD(Taskforce on Nature-related Financial Disclosures、自然関連財務情報開示タスクフォース)」の最終提言が公開され、各組織で開示対応が進んでいます。
 「今、ここ(=地球、この時代)を生きる」私たちにとって大切なことは何か。そして、どう行動に移すのか。みなさまとご一緒に考え、明日をつくるマーケティング活動に活かすことができれば幸いです。

本誌編集委員 蛭子 彩華

寄稿

今、私たちにとって大切なことは何か

〜砂浜から地球のことを考える〜

Text 塩崎 草太
特定非営利活動法人NPO 砂浜美術館 観光部 部長
Text 大迫 綾美
同 観光部チーフ ホエールウォッチング担当

「砂浜美術館」という考え方

「私たちの町には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です。」
 砂浜美術館は高知県黒潮町にある長さ4キロの砂浜を頭の中で美術館に見立て、様々なものを作品と捉えるという考え方からできた、建物のない美術館である。

「ものの見方を変えると、いろいろな発想がわいてくる。」
 砂浜に隣接する美しい松原は巨大な作品であり、沖に見えるクジラ、砂浜に咲くラッキョウの花、卵を産みにくるウミガメ、 砂浜をはだしで走り貝殻を探す子どもたち、流れ着く漂流物、波と風が砂浜にデザインする模様、砂浜に残った小鳥の足跡も作品である。このような見かたをすることで、今まで見過ごしてきた当たり前の風景や自然が、かけがえのない大切なものとなり、地域の資源に新しい価値が生み出すことができる。
 作品は 24 時間、365日展示され、時の流れるままに変化する。BGMは波の音。夜の照明は月の光。楽しみ方に際限はなく、人それぞれの「作品の楽しみ方」がここにはある。そしてなによりも砂浜美術館の数々の作品は、人が豊かにそして持続的に生きていくために大切なことを教えてくれ、心の中に無形の作品を創造させてくれる。

伝えたいのは考え方

 しかしながら、建物がないことから、この考え方は時に伝わりにくく、うまく伝える手段が必要となる。その手段のひとつが、毎年5月に開催されるイベント「Tシャツアート展」である。Tシャツにプリントされるデザインを公募し、砂浜に杭を立て、ロープを張り、洗濯物を干すようにTシャツを「ひらひら」するイベントである。この風景を創ることで、ここに美術館があることを多くの人に伝えることができる。また、その風景を通じて、ありのままの自然の豊かさや壮大さはもちろん、生態系における人間社会が抱える大きな問題も感じることができる。このイベントは今年で36回目を迎え、現在は人口1万人を下回ったいわゆる田舎に、ゴールデンウィーク期間中に約3万人が来場する町の一大イベントとなっている。このようなイベントを開催していることから、よく町おこし団体、もしくは砂浜をひとつのフィールドにしているので、環境保全団体と言われることもあるが、前者後者ともに「NO」である。誤解を生まないように説明すると、結果的にそういった側面が見え隠れすることは間違いではない。
 しかし砂浜美術館の目的は、「私たちの町には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です。」という“考え方”をより多くの人々に伝え、ともに楽しみながら共感することにある。昔、「砂浜しかない」と言われた町は、見かたを変えることで「砂浜がある」と言えるようになった。オリンピックのあり方も変わってきた近年、30数年前に『東京に東京ドームは造れても、長さ4キロの砂浜は国家予算を投じても造れないよね』と言い放った小さな町の考え方は、社会課題の多いこれからの世界に、課題解決の糸口となるメッセージを発信できるのではないかと考えている。

「ものの見方を変えると、いろいろな発想がわいてくる。」
 ちなみに砂浜美術館の館長は、土佐湾に暮らすカツオクジラが務めている。

ものの見方を変え、新たな価値となった
大方ホエールウォッチング

 砂浜美術館の館長であるカツオクジラに逢いに行く唯一の方法が大方ホエールウォッチングだ。大方ホエールウォッチングは、黒潮町(旧大方町)の漁師たちが集まり1989(平成元)年に大方遊漁船主会として始めた。
 ホエールウォッチングのスタートは漁獲高の減少がきっかけだった。当時、ホエールウォッチングという言葉は日本であまり知られていなかったが、船を持っている人は、たまに親戚を連れてクジラを見に行っていた。これを漁師の新たな漁業として1989年8月、日本では2番目にホエールウォッチング事業をスタートさせた。
 黒潮町に暮らす人からすると、当たり前すぎて、これが業になるのかという意見もあったそう。それもそのはず、学校や家の窓からクジラのしぶきが当たり前に毎日見え、漁師もクジラが潮を吹いている横で毎日のように漁を行っていたからだ。
 1994年には、世界で初めて「~漁師が呼びかける~国際ホエールウォッチング会議」が開催され、国際交流と情報交換、今後のホエールウォッチングのあり方などが話し合われた。スタート当時は、ホエールウォッチングのルールはなく、“クジラを見に人を積んでいく”という認識が強かった。その後、国際会議でも話された持続可能なホエールウォッチングとしていくため、小笠原ですでに構築されていた自主ルールを参考にして大方ホエールウォッチングも自主ルールを定めた。今では、その自主ルールだけにとどまらず、個体識別をできるだけ行い、その日に出逢えたクジラの様子を観察し性格や感情を読み取り、クジラに合わせた操船を行っている。これはホエールウォッチングがない日も沖に行き、漁をしながらでも普段からクジラを気にかけている黒潮町の漁師だからこそできる技術。これは若手漁師にも引き継がれ、ガイドから乗船客へもホエールウォッチングのあり方を伝えている。人とクジラは直接会話ができない。だからこそ人間側から歩み寄り相手を知る必要がある。

クジラのうんこプロジェクト
「見る」から「知る」ホエールウォッチングへ

 プロジェクト名がなかなかのパワーワードなおかげで年齢問わず面白がってくれる。「クジラのうんこプロジェクト」(2023年発足)とは、簡単に説明をするとクジラのうんこをすくい、解析、研究を行うことだ。きっかけは国立科学博物館(以下、科博)の方と知り合ったことからだ。土佐湾のクジラはずっとニタリクジラと呼ばれてきたが、カツオクジラなのでは?という噂がちらほらでていたため、真相を知るべく科博の先生方に勉強会を開いていただいた。そこでは現状はサンプルが少なく、クジラの種をはっきり断定できないためDNAを調べる必要があり、それには表皮(皮膚)が必要とのことだった。しかし今までホエールウォッチング中に剝離した表皮は見たことがなかった。唯一クジラの落とし物として見たことがあるのは「うんこ」だった。
 その後、ホエールウォッチング中にクジラのうんこの採取に成功し、DNA解析を進めると、カツオクジラであることが判明した。サンプル数増に向け「クジラのうんこプロジェクト」は進めていくが、今後はDNA解析だけでなくクジラのうんこがもたらす海の生態系やクジラの体調、海洋環境汚染などにも着目し研究を行っていく。真剣にうんこに向き合うことで、そこからさらに想像もしなかったものの見方が広がっている。
 プロジェクトが始まってからは調査船だけでなく、一般のお客さんが乗る定期便でもクジラのうんこを拾う。クジラのうんこのかたちは?くさい?拾ってどうする?クジラを見るだけで終わらないクジラを体感し、発想を広げるツアーとなった。
 クジラやイルカといった鯨類は私たちと同じ哺乳類だが、海に暮らしている彼らは、陸上に暮らしている私たち人間にとってはとても遠い存在に感じるが、ホエールウォッチングは遠い存在の彼らを身近にする場所である。土佐湾に定住していると言われるカツオクジラは陸から近い場所(沿岸域)で暮らしているため、とても人間の生活の影響を受けやすいと考えられている。これまで「見る」ことが重要視されてきたが、今後は好奇心を持って「知る」ことを目的としてホエールウォッチングを行うことで、より深く学び、私たち人間が彼らに注目するきっかけを作り、クジラから考える自然環境の保護や研究につながるきっかけを、このクジラのうんこプロジェクトを通して作れればと考えている。見かたを変えると、今まで見過ごしてきた「うんこ」は、私たちに様々なことを教えてくれる大切な「作品」となる。
 日々、私たちは新しい作品を創造していきたい。創造し、発信していくためにも新しい考え方・感性が必要である。そのために、いろんな人の新しい感性にも出会いながら、私たち自身が私たちの考え方と感性で作品を作っていきたいと思う。

塩崎 草太(しおざき そうた)氏
特定非営利活動法人NPO 砂浜美術館 観光部 部長

兵庫県出身。2016年に地域おこし協力隊として黒潮町へ。スポーツツーリズムの担当を経てNPO砂浜美術館に勤務。現在は観光部としてTシャツアート展などの砂浜美術館の考え方を伝えるイベント(シーサイドギャラリー)や大方ホエールウォッチングを担当。

大迫 綾美(おおさこ あやみ)氏
特定非営利活動法人NPO 砂浜美術館
観光部チーフ ホエールウォッチング担当

広島県出身。鯨類の勉強ができる専門学校卒業後、2014年よりNPO砂浜美術館へホエールウォッチングの担当として勤務。大方ホエールウォッチングでは、受け付け、ウォッチングガイド、出前授業、イベント企画、会計に至るまで、何でもこなすオールラウンドプレイヤー。日本クジライルカウォッチング協議会の事務局も務めている。

INTERVIEW

私たちは海を知らなければならない

対話から“その先”を考える

田口 康大 氏
一般社団法人3710Lab(みなとラボ) 代表理事

Introduction
 「海と人とを学びでつなぐ」をテーマに次世代の教育をデザインする3710Lab(みなとラボ)の代表理事田口康大氏。地球の70%を覆う海、生物の90%は海の中にいること。そして、気候変動と海の問題が密接に関わっているという事実をどれだけの人が知っているでしょうか。教育人間学の専門でもある氏から、「これからの海と人の関わり合い」についてお話を伺いました。

 みなとラボは、「海と人とを学びでつなぐ」プラットフォーム。教育学者、科学者、エディター、デザイナーなど多様な専門家たちが、共に新しい学びを描き、深める取り組みを行っている。海と生きるとは何かという問いに向け、学校、地域、自治体に寄り添い、そして何よりも子どもたちと共に、さまざまなプログラムを実施している。

みなとラボから「海洋環境デザインプロジェクト」の内容を一冊にまとめた書籍『OCEAN BLINDNESS 海洋環境デザインの未来』を発刊しました。

海の楽しさをもっと広げたい

───田口さんとのご縁は、昨年2023年10月に行われた『OCEAN BLINDNESS─私たちは海を知らない─』のエキシビションでした。冒頭のメッセージを拝見した時、大きな衝撃を受けました。(以下抜粋)

私たちは海を知らない。
では、なぜ知らなければならないのでしょうか?
海は、地球の70%を覆っていて、生物の90%は海の中にいます。地球上で生物が生存できる安定した機構を作り出し、その豊かな資源と多様性で経済と文化活動を支えています。

海は、人に影響を与え、人から影響を受けています。
私たちの生命と暮らしを支えているのは、「海」そのものなのです。

今年の夏は、昨年よりもさらに暑く、異常気象を肌で感じる厳しい夏となりました。
私たちの穏やかな日々の暮らし。地球上でそのあたりまえを享受することが、そろそろ本気で難しくなってきています。

この先、私たちはどのようにして未来を選び取り、答えをだしていくのか。
海を知ることは、明日を知ること。自分自身を知ることです。
自らが選んだと言える未来のために、私たちは海を学ぶ必要があるのです。

───今回の取材で、目線を海に向けてさらに考えを深められれば幸いです。そもそも田口さんは、なぜ海に関心を持たれたのでしょうか。

田口 きっかけは2011年3月11日の東日本大震災です。当時、僕はドイツに留学中で、教育哲学や教育人間学を専門に研究をしていたのですが、自身も東北出身であり、家族や友人たちも多く沿岸部に住んでいたので、震災を目の当たりにした時「今すぐに研究をやめなければいけない」と感じるほどの衝撃を受けました。そこでひとまず研究のことは横に置き、被災地の子どもたちへの学習支援活動をはじめました。
 そういった活動を継続していた2013年4月、ご縁あって東京大学の海洋教育センター(旧海洋教育促進研究センター)での研究活動の依頼をいただきました。海と教育のテーマは面白いなと思いつつも、正直私自身その時は具体的なイメージが湧いていませんでした。しかし、震災以来「これから先、海と人間がどう関わって生きていくのか」という問いをずっと持っていたので、お引き受けすることにしました。
 しかし、学校教育現場の中で「子どもたちにどのように海を伝えるか」を考えたとき、学習指導要領という大きな壁がありました。学習指導要領に則ってつくられた国語、算数、理科、社会などの教科書の中では、海は断片的にしか取り上げられていないのです。まずは総合的に海を学ぶことのできるモデルを作らなければと考え、各地域の自治体や学校と連携し、独自に事業を進めていきました。
 またその次に大きな壁を感じたのは、教育関係の事業をつくろうとすると「正しさ」が前提になってしまうことでした。「これは伝えなければいけない」「これにはこんな意味や意義がある」といった大人が考えた正しさで学びを縛りつけてしまうと、子どもたちがしんどくなってしまいます。そこで、大学教員の立場とは違う角度で「海の楽しさをもっと広げたい」という思いから、一般社団法人3710Lab(みなとラボ)を2016年に設立しました。

「対話を生み出す」みなとラボの活動

───「3710Lab(みなとラボ)」という名前の由来はどこから来ているのでしょうか。

田口 ネーミングには3つの意味合いがあります。まず1つ目は、陸と海の比率が3対7。3と7を足して全部で10になるという意味で「3710」です。2つ目は、それを「みなと(港)」と読ませるのは、港はいろいろな人たちが行き交い、集まる場所ですから、そういう場所になりたいという願いを込めました。最後に、海と関わるのは専門家だけでなく、誰しもに開かれているので、37で「み(ん)な」、10で「と」と読ませて「みんなと化学反応を起こそう」という思いが込められています。

───とても素敵な由来ですね!現在、みなとラボでは3つの柱①海の魅力を深める②人の考えを深める③学びのあり方を深める事業をされていますが、取り組みはどのように始めたのでしょうか。

田口 はじめは、渋谷の街を高校生たちと一緒に練り歩くプロジェクトでした。現在の渋谷と海の関係は遠いように感じるかもしれませんが、縄文時代、渋谷は海でした。「縄文海進」という現象で現在より海面が2~3m高かったのですが、歩いてよく観察すると、かつては海だったことが読み解けます。そういった自分たちにとって身近な場所や景色から、海とのつながりを学び、考えを深める試みを学校と連携して行いはじめました。
 そしてみなとラボにとって大きな転機となったのは、2018年に行った宮城県気仙沼市の高校生とのプロジェクトです。気仙沼市の沖合に大島という島があるのですが、そこに橋を架けたいという40年来の構想がありました。今は橋が架かっているのですが、当時の高校生たちが「橋が架かることによって本土とつながり、島の文化が失われてしまうのは嫌だ」と反対の声をあげていたのです。もちろん、彼らは橋が架かることによる利便性も十分理解しているわけですが、子どもたちはただ純粋な思いで自分たちの大島の文化を残したいと願っていたのです。
 僕は教育委員会から相談を受け、彼らの思いにどのように応えられるかを考えました。そこで、知人が運営している日本唯一の島マガジン『島へ。』という雑誌に、大島特集を高校生自ら作る企画ができないかと提案しました。コンテンツの企画、写真撮影、インタビュー、テキストを書いてそれをレイアウトするなど、プロの仕事同様の編集作業の全てを彼らが取り組み、その過程で自分たちが住む地域の文化や営みを知り、理解を深めます。そして、地域の大人たちとのコミュニケーションを生み出すことにもつなげたい思いがありました。
 実際に雑誌編集をし、出来上がった後の報告会で改めて高校生たちが「自分たちはこれらの大島の文化を未来に残したいんです」と発表したところ、たくさんの大人たちが勢いよく彼らの元にわーっと集まってきたのです。本当に感動的でした。「対話を生み出す」という軸をすごく大事にして取り組んでいたので、その大切さを改めて実感した瞬間でした。

「その先」を考え、みんなで仕組みをつくる

───田口さんがお話しする声からも、みなさんの熱量がとても伝わってきました。そこからさらに他の地域や学校との連携に広がっていったのですね。近年では企業との協働もありますね。

田口 みなとラボで企業と共に取り組む際、2つの方向性があると考えています。1つ目は、すでに取り組んでいることを「届ける」。2つ目は、共同開発で「つくる」ことです。一緒に仕組みづくりを考え、ビジョンを作り込む協働のあり方が多いと思います。
 例えば、海洋環境や海洋生物に深刻な影響を及ぼす海洋プラスチックは、その多くが「廃棄漁具」だと言われているのですが、三重県鳥羽市で廃棄プラスチックを再資源化している株式会社REMAREとの協働で、廃棄漁具を100%リサイクルしてつくった「umi frame」というフォトフレームがあります。これはデザイナー北川大輔さんにも協力いただき、4辺のパーツを紐で括ってシンプルに留めているつくりなのですが、この紐は漁網のほつれを修理する補修糸で、留め具は漁網をリサイクルしています。
 大企業でも廃棄漁具をリサイクルして何かをつくることはできると思いますが、僕らはそのディレクションや意義づけをして消費者に届けていくところのアイデア出しを得意としています。そして、ただ購入いただくだけでなく、その先をつくっていかなければという想いを常に持って取り組んでいます。

───「その先」とは、具体的にどういったことでしょうか。

田口 消費者は、海洋プラスチックごみをリサイクルした商品を買ったら、社会貢献の一役を担えたとそこで満足してしまいますよね。実際はその先のほうが大事で、そこから海へ意識を向けてもらう仕組みづくりをしなければなりません。このフォトフレームを部屋に置けば、目に入った時に廃棄漁具のリサイクルのことや、自分と海との接点を何度も思い返す「装置」になると考えています。あまり重くなり過ぎずに、フォトフレームがある意義への思いを取り戻していける。美しいアートやデザインの力で、日常生活の中にいかに溶け込ませるかが大事だなと感じています。

───みなとラボにとって「デザイン」が大切なキーワードになっている印象を持ちました。田口さんはデザインをどのように捉えていらっしゃいますか。

田口 難しい質問ですね。いろいろな考え方があると思いますが、僕がデザイナーと取り組む時、例えばプロダクトそのものをデザインしてくださいというお願いではなく「その先までを一緒に考えましょう」と言うと、関わる全員がポジティブに楽しく取り組めるなと感じています。
 プラスチックに関して言えば、デザイナーにとってはまるで夢のような素材だったわけです。思うように変形するので、自分の欲望を体現してくれる存在です。それが環境破壊に繋がっているとなると罪悪感を抱くこともあるかもしれませんが、プラスチックは私たちの生活を支えてもいるわけで、それを完全に否定するのも変な話ですから、一緒に仕組みづくりまで考えてデザインしていこうというのが僕らの合言葉になっています。
 そして作る人だけでなく、使う人もプラスチックの恩恵に預かっているので、みんなで考えればいい。そして、作って終わり、買って終わりと安易に終わらせないことも大切ですね。対話には終わりがないものですから、問いをみんなで共有し続け、常に仕組み作りまで考える姿勢は大切にしたいです。
 また、世界中の企業が今「海藻」に注目しています。海藻を増やせばそれがCO2を吸収し、ブルーカーボンとなるので、温暖化対策とビジネスの両輪で循環させる仕組みづくりが始まっていています。ヴィーガン人口が増えてきたこととも関係がありますが、食べ物という視点だけでなく海藻という“素材”を使って新しいプロダクトを開発する海藻テック、シーウィードテックという新しい言葉やビジネスも生まれていますね。海に目を向けてみると、海藻以外にこれまで見過ごしていた素材や技術が活かしきれていなかったとこに世界中が気づき始めています。まさにブルーオーシャンが広がっているのです。

※ブルーカーボンとは:2009年10月に国連環境計画(UNEP)の報告書において、藻場・浅場等の海洋生態系に取り込まれた(captured)炭素が「ブルーカーボン」と命名され、吸収源対策の新しい選択肢として提示。ブルーカーボンを隔離・貯留する海洋生態系として、海草藻場、海藻藻場、湿地・干潟、マングローブ林が挙げられ、これらは「ブルーカーボン生態系」と呼ばれる(国土交通省)

「共創」の「共」は、誰しもに開かれているということ

───海のことを知れば知るほど、未知なる世界と可能性に気付かされます。今号のテーマ「下目線」に対しては、率直にどのような印象を持たれましたか。

田口 実は僕の教育上のモットーは「ゆっくり急げ」に加えて、前に進まずに「いかに下に行くか」です。どうしても社会では、スピード感を持って前に進むことが前提になっているため、その場に立ち止まるのは怖く感じるかもしれませんが、焦らずに、ゆっくり足元を深く見渡してみると、実はそこにこそ自分たちがこれからの時代に生きていくための術や方法が見つかったりします。
 また、海や環境問題に目を向けることも大切ですが、「実際に海に行ってみる」だけでいろんな思いが湧いてくると思います。そこで自分の中に芽生えた感情に気づくことが大事で、そこから“自分と海とのつながり”が自然と広がっていく。近年、人類学だけでなく「歩くこと」や「石」がブームになっているのを見ると、「自分たちが立っているところは、果たして一体何なのか」を確認したいタイミングなのではないかと感じます。
 また別の視点となりますが、下目線の中には「教育」が含まれていると感じています。教育というのは、人間そして社会の土台で、目には見えない分厚い層をつくり、そして下支えする重要な役割を担っていると思います。マーケティング業界のみなさんが独自に持っている企業のリソースをどんな形で教育に溜め込んでいくか。そんな視点で考えてみると、教育現場に自分たちが何かを届けるだけでなく、一緒に何かやっていく「共創」が生まれるのではないかと思います。「共(Public)」は、誰しもに開かれていることであり、それは社会の土台としての教育につながっていきますし、決して競争になりません。みなとラボのリソースを生かしながら、海と人と学びの楽しさをご一緒に広げていけたら嬉しいです。

───本号の記事をきっかけに、新しい化学反応が起こることを願っています。本日は素晴らしいお話を本当にありがとうございました。

(Interviewer:蛭子 彩華 本誌編集委員)

寄稿

困難の乗り切り方のヒントは植物の生き方の中に

庄内の豪雨災害の地を訪れて

Text 川原 綾子
ヤマカワ コピーライター/東京農業大学 地域環境科学部 地域創成科学科 2年

Introduction
 四半世紀勤めたデザイン会社を退職し、独立と同時に、農学系の大学の学生となった。いま私は若い学生に混じって地域創成を学んでいる。地域創成を冠した学科は、全国に増えつつあるが、私の通う学科は自然を起点にしていることが特徴だ。じつは理系科目はとても不得手で、入学したときから苦労がたえない。しかし、少しずつ自然の世界の扉を開くことで、日々、様々な発見を得ている。今日はそんな発見のひとつについてお伝えできればと思う。

豪雨がもたらした山と川の大災害

 大学生の夏季休暇は約2ヶ月ある。前期の試験を終えるとすぐ、私は東京から山形県酒田市の山間部、八幡地域大沢地区に向かった。東京で学生生活を送りながらも、縁あってこの地区の農村RMO(農村型地域運営組織)の事務局を担当している。もともと夏の間にこの地区を訪れる予定はあったが、時期を少し早めた。なぜなら7月下旬の豪雨によって、日本海側の山形の庄内エリアと秋田が大きな被害を受けたからだ。
 米どころとして知られる庄内を地図で見ると、主に平野部と山間部に分かれる。大沢地区は酒田市の山間部に位置し、山と山との間に流れる、鳥海山系の清流のひとつ「荒瀬川」を中心に集落が形成されている。子どもたちが川遊びもできる普段は穏やかな川だが、氾濫がおきた。さらにいくつもの箇所で、土砂崩れもあった。被災した場所を案内していただいたが、流木が絡みつき一部が崩落した橋、青々とした稲が泥に埋まってしまった田など、一年前の訪問時にはおよそ想像ができない風景が目の前に広がっていてショックを受けた。この豪雨による災害は「激甚災害」にも指定されている。
 被害は家の中にも及ぶ。浸水した住宅では、粒子の細かい泥が押し入れの中、引き出しの中にまでみっちりと流れ込んでいた。浸水とは水の被害だけではなく、泥の被害であることも知った。荒瀬川は昔ながらの蛇行した川だ。これまでも溢れることはあったそうだが、70代、80代の方に聞いても「こんな大きな被害ははじめてだ」と言う。この夏の異常な暑さも含め、気候変動は確かに起こっているということを痛感することになった。1週間の滞在の間、少しでもできることをと、私は床下の泥かきや仮設トイレの掃除などをさせていただいて東京に帰ってきた。
 1ヶ月後また大沢地区を訪れると、家の周辺から土砂が驚くほどきれいに取り除かれていた。連日あちこちから来てくださるボランティアたちの力が大きい。彼らがはつらつと働く姿は、住民の方に元気も与えているように感じた。しかし地域全体を見渡すと橋や道路の一部は崩落したまま。田んぼの中の泥や流木まで手がまわらず、そのまま放置されているところも多かった。12月になると雪が降りはじめる。それまでに、どれだけ片付けが進められるかが差し迫った課題だ。酒田市ではまだまだボランティア募集中である。秋田·山形の豪雨災害は過ぎ去ったものと思っている人も多いが、この地域の非日常はまだ続いている。

植物の生き方と人の生き方の重なり

 ところでこの地域に通ってみて、自分の中で確認ができたことがある。それは「人間の社会も自然の世界もやはり似ているところがある」ということだ。学生となり、自然の世界を知るにつれ、植物の生き方には、人間の生き方のヒントになるようなところがあると感じていた。もちろん人の感情を植物は持ち合わせていない。長年コミュニケーションを仕事にしてきたために、つい擬人化して考えてしまうのかもしれない。しかし、困難に直面しながらもその場所でたくましく生きていこうとする地域の人々の姿は、より一層、地に根を張り、工夫を凝らして生きている植物の姿に重なった。植物に詳しい人には、無理な結びつけだと思われるかもしれないが、ひとつの考えとして捉えていただければと思う。
 入学して最初に学んだ「基礎植物学」で聞いた話だ。マツやスギなど寒い地域が得意な針葉樹は裸子植物で、植物史の中では古いタイプとされている。それに対して広葉樹は被子植物で、針葉樹の進化形だ。広葉樹は、茎の中に太い水のパイプを持ち、根から水をどんどん吸い上げる。このパイプを「道管」という。それに対して針葉樹には道管がなく、細く頼りない「仮道管」しか持っていない。しかし極寒の環境下では、この仮道管が役にたつ。太い道管の水が凍ってしまうと水が溶け出した時に気泡が生まれ、この水の道がつまってしまう。針葉樹の仮道管は、時間がかかるが、冬でも水を確かに行き渡らせることができるのだ。少々話がややこしくなってしまったが「厳しい環境下では、古いシンプルな手法が役に立つ」ということだ。
 八幡地域でも豪雨災害後に“昔ながら”が役に立った。まず「山水道(やますいどう)」である。このあたりの世帯の台所には、水道蛇口がふたつある。普通の水道と、山水道と呼ばれる、沢の水をひいた昔からある水道だ。ちなみに以前空き家となっているお宅に宿泊させて頂いたことがあるが、この水がとんでもなくおいしかった。豪雨の後には、数日間断水が続いた。水は飲用だけでなく、トイレの水を流すのにも使う。この時、山水道が使えた家は、断水時に比較的困らなかったと聞いた。
 「農道」もそうだ。川の氾濫により、国道に土砂や流木が積み重なり、道路が通行止めになった。川の上流は、地域の中で最も大きな被害を受けた場所であったが、この場所に行ける1本の農道があった。クルマ1台がようやく通れるこの道があったことで、孤立から免れることができた。
 「住民がお互いをよく知っている」ことも“昔ながら”かもしれない。誰がどこに住み、どんな家族構成で、どんな車に乗っているかまで知っていることは、面倒で煩わしいと感じる人もいるかもしれない。しかし大きな困難に出会った時、人は協力しなければ前に進むことはできない。物資の配布の拠点にもなったコミュニティセンターでは、情報の拠点にもなり、世帯の被害状況を把握し、住民が積極的に災害対応を行っていた。また、名前を呼び、互いを労りあっていた。便利な暮らしと孤独はとなりあわせだ。人とつながり合わなくても生活が成り立つ都会にいくほど、こうした優しい人間関係を持っている人は少ないのではないだろうか。

人の多様性のネットワークを育む

 自然を手本に、これから構築しなければならないものもある。生き物や植物の多様性を育むためには、他の地域とゆるやかにつながり、その間を生き物が行き来することで、豊かな自然環境を保たれる「緑のネットワーク」が必要だと言われているが、人口約500人の大沢地区においても「人の多様性のネットワーク」が、さらに必要となるだろう。
 農村RMO発足の中心人物で、私を呼んでくれた、阿部彩人氏(COCOSATO代表)は、この地のネットワークを広げようと奔走している一人だ。地域おこし協力隊や集落支援員の経験を持ち、地域の産品販売やイベントの企画制作を行ってきた阿部氏は、豪雨直後から被害の様子と復興の過程をYouTubeで配信。この動画をチャンネル全体でこれまで通算約11万人が視聴している。また、近隣の大学生や農家インスタグラマーの20代のメンバーたちとともに「酒田やわた未来会議(仮)」を立ち上げ、様々な支援の窓口を作っている。9月中旬はこの組織で泥や流木が入ったコンバインでは作業ができない田での、手収穫作業ボランティアの受け入れをはじめ、拡散力のある彼らの発信を見て、子どもから大人まで多くの人が収穫に参加した。現地で、遠隔で。地域を中心にした様々なつながりのネットワークが、さらに大きく広がっていくことが期待される。
 さて、これから私がこの多様性のネットワークの一員として行いたいのが「種子散布」だ。植物は様々な手をつかって、自分のタネを散布しようとする。河原などを歩くと、センダングサやオナモミなど「ひっつきむし」が服について困るが、あれも人や動物を介して、種子を遠くへと運ばせようとしている植物の生き残りの知恵だ。豪雨はわずか数日のことだが、復興活動はこれから長く続く。豪雨災害で起きたこと、進行形の復興の様子を、ひっつきむしになって人に伝えることの役に立ちたい。日本全国で、これまでの想像を超える自然災害が起きている。今回の豪雨災害を伝えることは、この地域のためになるだけでなく、“もしも”を抱えるすべての場所の“いざ”に生かされるはずだ。
 12月には、昨年アウトドア施設「鳥海高原家族旅行村」で行った、芸術祭「庄内 風と土の美術館」を酒田市の街の中で開催する。私はこの芸術祭の運営にも参加しているが、今年はアーティストたちの作品に混じって、今回の豪雨災害を伝える展示を阿部氏らとともに作っていく予定だ。豪雨災害をきっかけに、この地の自然の豊かさや文化の豊かさも伝えられたらとも思う。ピンチはチャンスにもなる。豪雨災害から生まれたタネが様々な形で育ってゆくことを願っている。

川原 綾子(かわはら りょうこ)氏
ヤマカワ コピーライター
東京農業大学 地域環境科学部 地域創成科学科 2年

日本デザインセンターを経て、2023年ヤマカワ設立。これまで暮らしに根ざした企業のCI/VI開発等に深く関わる。現在、学部生として地域創成を学びながら、山形県酒田市など地域案件にも積極的に取り組んでいる。東京コピーライターズクラブ会員。

INTERVIEW

イノベーションを生み出す鍵は“強い共感で結ばれる仲間” New

循環型社会を実現するBISTRO下水道

加藤 裕之 氏
東京大学大学院都市工学科・下水道システムイノベーション研究室 特任准教授

Introduction
 料理をする、お風呂に入る、トイレに行くなど、私たちの暮らしに必要不可欠な水。それを流すとあたかも無かったことの様に忘れ去られてしまうが、それは目に見えないところで「下水道」が支えてくれているからである。この下水道から出た汚泥を資源として有効活用し、農林水産業と食をつなぐ循環システム「BISTRO下水道」を立ち上げた加藤裕之先生に、イノベーションが生まれた背景と、これからの展望についてお話を伺った。

BISTRO下水道とは、下水道から出た資源(処理水、肥料、熱、CO2)を有効活用して食材を生産する取り組み。2013年に国土交通省と日本下水道協会が主導してスタートし、下水道資源を有効利用して作られた食材は「じゅんかん育ち」のブランド名で市場に流通している。循環型社会の構築に寄与しながら、安全で美味しい食材をつくる手法として世界から注目されている。

下水汚泥を活用し、循環型社会を実現する「BISTRO下水道」

───今回、地中にある下水道に目線を下げ、そして日本国内だけでなく世界に広がる循環システム「BISTRO下水道」についてお話を伺えたら幸いです。はじめに、加藤先生が着想を得た経緯をお聞かせいただけますか。

加藤 私は元々建設省(現・国土交通省)に入省し、下水道事業に長年従事していました。日本の下水道普及率は約80%ですが、その役目は汚れた水を下水処理場へ送り、綺麗にして川や海に返すことです。しかし「綺麗にする」ということは、実は下水処理過程で発生する下水汚泥の中に含まれた窒素やリンといった貴重な栄養分をも漉し取ってしまうということなのです。これまで下水汚泥はお金を払って埋めたてるか、コンクリートなどの建築資材の原料とされていましたが、循環型社会の貢献のために活用できないかという思いをずっと持っていました。
 そして2008年に日本の水インフラ技術を世界へ輸出する水ビジネス担当になったのですが、同じ様な高い技術力を持つ国は多かったため、改めて「日本の強み」は何かを考えました。そこで歴史を紐解き、江戸時代のし尿を肥料として農業に使う「下肥文化」に着目したのです。意外に思われるかもしれませんが、下水汚泥を肥料化する技術は「発酵技術」を利用したものです。日本はお味噌や日本酒をはじめとする発酵文化が根付いているので、この独自の技術を生かしたいと思いました。また、世界を見渡してみると綺麗な水がないだけでなく、食料不足で困っている国や地域がたくさんあるため、水ビジネスに「農業と食」を結びつけて世界に打ち出すことができないかと考え始めました。
 そういった背景から、下水汚泥の資源を活用して肥料をつくり、その肥料で農家さんが作物を育て、それを消費者のみなさんがどんな料理をつくって食べるのか。そこまで思いを馳せるイメージが湧く様に「BISTRO(食べること)」と下水道を掛け合わせたのです。さらには、発酵の過程でメタンガスが出るので、それをガス発電に活用して電気をつくることもできます。地域から出た資源で発電ができるので、地域の自立にも役立ちます。まさに、水と食とエネルギーの融合化です。
 2011年の東日本大震災で現地支援リーダーとして被災地に入った経験があるのですが、その時、本当に水も食料もエネルギーも足りていない状況を目の当たりにしました。震災をきっかけに、ますます地域が自立した循環システムをつくらねばという思いに傾倒してきましたね。そして10年以上前から、世界的に水・食料・エネルギー不足が予測されているため、「循環型社会の構築」はますます重要なキーワードになっています。日本の各地域の自立だけでなく、世界の問題にも貢献できるBISTRO下水道を実現したいと考えるようになりました。

“強い共感で結ばれる仲間”から生まれるイノベーション

───長年に渡って育まれた、本当に大きな構想なのですね。社会実装に入る際、何か起爆剤になったきっかけはありましたか。

加藤 正直に言うと、熱意と構想はあるものの、本当にこんなことができるのだろうかと思う部分はありました。しかし、人づてに佐賀県佐賀市でおもしろいことをやっている人がいると教えていただき、すぐに足を運んで会いに行ったことが大きな転機となりましたね。
 有明海では海苔の養殖が盛んなのですが、都市から排出された汚泥を肥料にして地域の水産業者に提供し、窒素などの栄養分を海に供給する循環型システムを先進的に取り組まれていたのです。本当に衝撃を受けました。そして、私は農業を想定していましたが、海苔養殖のような水産業にも活かせることを学びましたし、構想に対しての自信が深まりました。そしてなぜこのモデルが実現したのかをさらに調べながら、全国に普及させること想定して国土交通省の単独でなく、地方公共団体の中心となる日本下水道協会と組んで2013年にBISTRO下水道を始動しました。その取り組みは、『足元に眠る宝の山~知られざる下水エネルギー~』というタイトルでNHKクローズアップ現代やNHK ワールド Asia This Week等でも取り上げられました。

 いくら素晴らしい技術があっても、埋もれてしまってはイノベーションにならないので、エベレット・ロジャースの普及学をはじめとするマーケティング理論も勉強しました。例えば、100人いたとしたらそのほとんどの人は反対で、賛成するのは3〜4人だけれど、それがインフルエンザのように徐々に広がっていくプロセスなどです。
 BISTRO下水道の場合、はじめに「循環型社会をつくろう!」という強い共感で結ばれる仲間集めをしました。組織を超えての人探しには、徹底的に時間をかけましたし、最初の1人目を見つけることが一番のポイントだと思っています。逆に、最初に結ぶ人が金儲け主義だと駄目ですね。世の中をよくしたいと思う高いビジョンと、利他の心で結ばれている人とでスタートすると、自然と広まりますし、不思議と人寄せの法則で同じ思いを持った人たちが集まります。次にそれを見て共感したアーリーアダプターがいて、最後に懐疑的だった人も乗り遅れまいと100%に近づいていく。
 BISTO下水道で大成功した佐賀市での普及プロセスを学生と調べて、利他の心を持つ萌芽期のスーパーマン、準備期にはスーパーマンに共感する伝道師が重要な役割を担うことがわかり論文として発表しました。

 そして “変わった人とのつながり”もイノベーションのポイントですね。やはり新しい化学反応を起こして広げるには異質の人間との結びつきが大切です。私は大学で学生にイノベーションを教えるときは、一つの隠喩として「横浜家系ラーメン」を使います。なぜかというと、横浜家系ラーメンは豚骨と醤油という二つの異質な味を混ぜた「豚骨醤油」味なんですよね。1足す1で違う風味を出して3という、想像を超えた新たな価値を生み出しました。イノベーションを生み出す人は、前例にとらわれずに楽しいことを追求し続けられる感性が高い人ですね。あとは他の異分野であっても臆せずに、そして待たずに、自分からどんどんノックして異なる分野を融合させていくような人だと感じています。

目に見えない利他の精神

───加藤先生ご自身が異なる分野を融合されて、ビジョンに向かって取り組まれていることが伝わってきました。利他の精神についても教えていただけますでしょうか。

加藤 独学ですが、たくさんの先生方の本から学びました。利他とは「他の人のために尽くすこと」ですが、東日本大震災の被災地支援でも肌で感じましたが、どこへ行っても多くの方々がたいへんな環境の中でも「ありがとう」と感謝の言葉をかけてくれました。喜びには二つあって、人に何かをして喜んでもえらえる喜びと、感謝される喜びです。それがやはり自分自身のモチベーションの源泉になりますね。
 そして、ものの世界というのは、利他といった抽象的かつ定性的で目に見えない部分と、具体的で定量的な目に見える部分の両方で成り立っていますよね。もめたりするのは、大体価格をどうするかといった目に見える世界です。そうった時に立ち返らなければならないのは、目に見えない定性的なビジョンや目的で、どうしたら人に喜んでもらえるかといった部分です。そこがしっかりと組織内で認識共有されていればあまりトラブルも起きません。逆にトラブルやフリクションは悪いことでもなく、最終的な目的に向かったものであればある意味必要な通過点です。そんなふうに考えておくことが必要だと思っています。

───下水道由来の肥料については、使用した農家さんから「収量が増えた」、「病害がなくなった」、「栄養分や糖度があがった」などの声。そして化学肥料に比べるとコストが8割程度減った農家さん(佐賀市のアスパラ農家)もあるとのことで、BISTRO下水道は地域にも環境にも人にも嬉しい、本当に大きなイノベーションだと思います。

加藤 農家さんの笑顔を見たり、感謝されるのは本当に嬉しく思います。化学肥料の原料はほぼ100%海外に依存していますから、今後の水や食の安全保障を考えると、国としても自立性を高める必要があります。もちろん、化学肥料は大発明ですが、いろいろと障害が出てきています。BISTRO下水道の技術自体は新しくなっていますが、日本では江戸時代にもともとあったコンセプトですから、昔の考え方、思想に戻そうよというタイミングなのかもしれません。
 今後、BISTRO下水道をまずは全国に普及させ、そして世界にも展開して水・食料・エネルギーで困っている地域の解決策のモデルにしたいです。例えばインドネシアのジャカルタは人口1,000万人を超える大都市ですが、本格的な下水処理場が未整備なままです。下水道インフラを整備して暮らしやすい環境をつくるとともに、人口増に対応した食の世界をつくりたいです。そしてアジアを中心として、日本と同様の稲作文化を持つ国々へ発展させていきたいと考えています。もちろん、欧米諸国や中国など水ビジネスの競合相手は多いのですが、私たちは単なる下水道技術だけではなく、地域の循環システムそのものを構築しませんかというアプローチで貢献したいです。

───最後に、本号のテーマ「下目線」についてはどのように感じられましたか。

加藤 下水道の世界では「下を向いて歩こう」と言うくらいですから、まさにぴったりのテーマです。実はヒントというのは、現場に行って足元を見ることだと思っています。どうしても先ばかりを見てしまうことが多いのですが、そうではなくてフィールドに実際に足を運び、そこにあるものをよく観察し、その場の空気感や波動を五感で感じることが大切ですね。別の言い方をするならば、感性を育てる目線なのかもしれません。スピリチュアルな世界になってしまうかもしれませんが、やはり目に見えないものに大切なものが宿っていますから。そういった目に見えないけれどしっかりと強い共感で結ばれた仲間たちと共に、ビジョンに向かって取り組んでいきたいですね。

───目に見えないけれど自分の心で感じた波動が仲間に伝導し、社会に広がっていくのですね。本日は大変貴重なお話をいただき、本当にありがとうございました。

(Interviewer:蛭子 彩華 本誌編集委員)

加藤 裕之(かとう ひろゆき)氏
東京大学大学院都市工学科・下水道システムイノベーション研究室 特任准教授

博士(環境科学・東北大学)、東北大学特任教授(客員)、内閣府地域活性化伝道師、国土交通省で下水道行政に従事、東日本大震災の現地支援リーダー、その後㈱日水コンを経て2020年より現職。
専門分野は、上下水道政策、官民連携、下水道資源の農業利用、都市浸水、DXなど。
著書に、「上下水道事業PPP/PFIの制度と実務」(共同編著)、『フランスの上下水道経営』(代表執筆者・日本水道新聞社)、『新しい上下水道事業・再構築と産業化』(共著・中央経済社)、『3.11 東日本大震災を乗り越えろ:「想定外」に挑んだ下水道人の記録』 (共著・日本水道新聞社)など。

INTERVIEW

マーケティングの力で達成する、ネイチャーポジティブ New

自然体験の中に眠る、無限の可能性

奇二 正彦 氏
立教大学 スポーツウエルネス学部 スポーツウエルネス学科 准教授
生きものインタープリター

Introduction
人と自然の共生をテーマに、自然体験とスピリチュアリティの醸成に関する研究を行うとともに、サステナブルな社会構築と環境教育にも深い知見をお持ちの奇二正彦先生に、現在に至るさまざまなご活動の内容や生物多様性、そしてネイチャーポジティブ経営の重要性などについてお話を伺いました。

自分を支えてくれた、自然体験とアート体験

───奇二先生の研究テーマが大きく2つ「自然体験とスピリチュアリティ」「サステナブルと環境教育」ということで、とても壮大ですね。そして “生きものインタープリター”として五感を刺激しながら自然を伝える環境教育にも力を入れ、また企業に対してはネイチャーポジティブ経営の重要性やマインドセットについてのセミナーを行う機会が増えているとのことで、本日は“鳥と虫の目線”でお話をお伺いできれば幸いです。はじめに、研究テーマにたどり着いた経緯をお聞かせいただけますか。

奇二 話は幼少期まで遡りますが、私は登山家になりたかった父の影響で自然の中での遊びをたくさん教えてもらっていました。そして戦前に子供時代を過ごした人だったので、自然の中でどのように生きるかの術、例えば「何が食べられて、食べられない」などのサバイバルチックなことまでキャンプをしながら学んだりして育ちました。また、芸術家の多い伊豆の山奥に住んでいたので、私の遊び場はいつもご近所の陶芸家と画家のご夫婦の家で、無我夢中に陶芸をやったり絵を描かせてもらうような環境が身近にありました。やはり“三つ子の魂百まで”だなと思うのですが、単なる遊びですが幼い時に自然やアートにたくさん触れたことが今の私を形づくる大切な原体験となっています。
 大学ではもともと歴史が好きで文学部史学科に入学し、アイヌやネイティブインディアンなど「自然と共存する人間の生き方」について学びました。彼らはうつ病などの現代社会病理が少ない生活を送っていて、むしろ現代人よりも自己実現ができているように感じたのが強く印象に残りました。また、文化人類学の授業では、チベットの仏教僧が曼荼羅を砂で描く宗教画の存在を知りました。現代のアートは、作品そのものをマーケティングして後世に伝えていると思いますが、その曼荼羅の砂絵は儀式が終わったら川に流すのです。残すことよりも描いているときの宗教体験そのものが大事なのだという世界観にものすごい魅力を感じました。
 一方で、そういった生活を自分に当てはめることも難しいと感じながら就職活動が迫ってきた頃、私はとにかく身体から発せられる違和感を覚えて八方塞がりに陥ってしまったのです。そんな時、大きな転機となったのがカナダのユーコン川に旅をしたことでした。そこには人工物が何もない雄大な森があり、地平線まで見渡せるこれまで見たことのない世界が広がっていました。そして、ここで怪我をして動けなくなったら凍え死ぬなと実感するような生と死が隣り合わせの環境に身を置いてみると「今、就職しないと一生駄目になる」といった変な強迫観念もなくなって、自分の悩みなどは本当に小さいなと感じるような価値観が覆される体験を得ることができました。そんなことから、自分自身の精神や成長を支えてくれたのが自然体験とアート体験で、現在の研究の源流につながっていると感じています。

自然の素晴らしさを伝える、インタープリターという仕事

───大学を卒業された後、どのようなキャリアを辿られたのでしょうか。

奇二 結局、就活はせず5年かけて大学を卒業した後、アルバイトをしながらアーティストを目指すために英語も同時に学べるニュージーランドに渡りました。語学学校とアートスクールを合わせて2年間通いましたが、見事に挫折しましたね。数ヶ月かけて描いた絵が1万円で売れた時、これでは生活できないと腹を括って帰国したのですが、たまたま本屋で『自然とかかわる仕事』という本に出会いました。そこには林業や漁業といった仕事の中に、自然学校やエコツアーで自然の魅力を伝える『インタープリター』という職業が紹介されていました。自分に合う仕事だと直感し、翌日には大阪で行われた養成講座に参加しました。その後、26歳にして環境教育系NPOでインタープリターとしてのキャリアをスタートさせました。
 30歳を目前に、もっと深い自然の中で過ごしたいと思っていた頃、動物写真家の平野伸明さんと出会い、そのご縁で彼の助手を務めることになりました。世界遺産級の秋田のブナ林で、野生動物の生態をじっくり観察するのはとても面白く、忘れられない経験です。電気も水も通っていない小屋での寝袋生活は、まさに『ウォールデン 森の生活』そのものでした。ただ、カメラマンになりたいわけではなく、あくまで深い自然体験が目的だったので、ご迷惑にならないよう平野さんのプロダクションは約3年で区切りをつけました。その後、以前所属していたNPOが2005年の『愛・地球博』の市民ゾーン「地球市民村」でパビリオンを持つことになり、副主任としてデザインや企画に関わる機会を得ました。「地球市民村」は、世界中から集まった約30のNPO/NGO団体で構成されており、これまで接点のなかった“自分以外の生命のために怒れる人たち”との交流がとても新鮮で、まさにカルチャーショックでした。たとえば、子どもや女性の人権問題、水資源の危機などに対して、彼らは強い怒りと行動力を持っていました。この経験を通じて、「知ること」「伝えること」「教育」の大切さを心から実感しました。その後、フリーの展示プランナーを経て、2007年から環境コンサルタントの研究員となり、公園の施設管理業務や、企業の「CSR(企業の社会的責任)」推進をサポートするアドバイザーとしての仕事を手掛けるようになりました。

───数々の経験を通じて「自然」「アート」「教育」のキーワードがつながっていったのですね。

奇二 そうですね。まさにスティーブ・ジョブズが語った「Connecting the dots(点と点をつなげる)」で、ようやく40歳になるころに自分の強みが“環境教育”だと手応えを感じるようになりましたし、葛藤と向き合いながらでしたが本当にやりがいに満ち溢れて楽しく働くモードに入っていました。一方、友人がうつ病になって自殺をしてしまったり、大企業に勤めてお金に不自由はないのにハッピーではない同世代の人たちの様子に心を痛める出来事がありました。そんな自身の周りで起こったことを恩師の濁川孝志先生に話したところ、「それはスピリチュアリティだ」と言ったのです。一体なんのことだろうかと調べてみると、国連やWHO(世界保健機関)がスピリチュアリティの研究をしていることを知りました。

健康とスピリチュアリティの関係性

奇二 スピリチュアリティの研究は、もともとは末期がん患者のケアの研究からスタートしています。1940年代、WHOは健康の定義を「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあること (日本WHO協会訳)」と決めていたのですが、1980年代以降から医療が発達して人間が長寿になり、これら全てが良好でなくても生きながらえる人が増えました。すると「死んだらどうなるんですか」「私の生きる意味は何だったのでしょう」などの実存的で哲学的な問いを言い出す人も増えたのです。
 医療と看護に携わる方々はそういった患者さんたちをケアするために研究やアンケート調査を実施した結果、身体的苦痛、精神的苦痛、社会的苦痛の3つに収まらない4つ目として「実存的苦痛、スピリチュアルペイン」という定義が必要なのではないかという討議が始まりました。そしてこのスピリチュアルペインに対してのスピリチュアルケアの手法や技術も進化し、2006年には日本でもスピリチュアルケア学会ができ、現在は看護師国家試験にもスピリチュアルケアの項目が入るようになりました。
 末期がん患者に対してのケアが大切であることを理解しながらも、自分が若いときにも身に覚えのある感覚だったので、私は「スピリチュアルペインは、若者も抱えているのではないか」という仮説を立てました。悲しいことに日本社会では若者の死因の1位が自殺で、病気や貧困に加えて精神的な悩みが大きな原因として伺えます。そう事実を知った私は研究することに魅力を感じ、仕事を半減させて大学院に通い始め、修士や博士課程では若者を対象として、自然体験とスピリチュアルな価値観の醸成に関する研究を行いました。幸運にも博士課程を修了したところで母校に「スポーツウエルネス学部」が新設されるということで、2023年から准教授として勤め始めました。現在も、「どのような自然体験がスピリチュアリティを醸成するのか」に関する研究を進めています。

ネイチャーポジティブと生物多様性

───大学で研究していることを、企業との取り組みにつなげていらっしゃるのでしょうか。

奇二 はい、本当に多くの業界とつながりはじめていますね。例えばリジェネラティブ・ツーリズムという再生型観光を推し進め、自然体験を促しながら過疎化地域の復興に企業と連携して取り組んでいます。長野県の生坂村は脱炭素先行地域なのですが、「ネイチャーポジティブ ※1」や「30by30目標※2」の方向へも広げたいと考え、観光客向けの環境保全プログラム『旅するいきもの大学校!』を開始して今では人気を集めています。これまでのようにキャンプや登山をして楽しむだけに留まらず、訪れた土地の自然環境や文化を学びながら美味しい食べ物を食べ、そして適切な手法で手を加え、より良い姿に再生することを目指す新しい観光のスタイルです。

※1:「ネイチャーポジティブ(自然再興)」とは、「自然を回復軌道に乗せるため、生物多様性の損失を止め、反転させる」ことで、生物多様性国家戦略2023-2030における2050年ビジョン「自然と共生する社会」の達成に向けた2030年ミッションとして掲げられています。(環境省)

※2:「30by30目標」とは、2030年までに、陸と海の30%以上を健全な生態系として効果的に保全しようとする、「ネイチャーポジティブ」実現のための鍵となる目標の一つ。(環境省)

───企業を巻き込む秘訣は、どのようなころにあるのでしょうか。

奇二 色々なアプローチがありますが、やはり経営トップが高い意識を持っていることがとても大切ですね。例えば栃木県那須町にある「森林ノ牧場」の社長とは数年前に偶然出会って生物多様性の重要性をお話したところ、すぐに理解してくれました。無印良品の「素材を生かしたアイス ジャージー牛乳」に使われるミルクを提供している企業ですが、社員に業務日の中で自然体験をしてもらい、一緒に生物多様性を理解しながら事業をつくられています。今は「GOOD NEWS」という、使われなくなった森を保全しながらカフェやコーヒー焙煎所、チョコレート工房などを運営する観光施設と連携して大変な賑わいです。単なるトップダウンではなく、インナーブランディングで社員の意識を高めながらボトムアップし、さらには牧場に来るお客さまも巻き込みながら取り組まれています。
 現在、ある企業と経営層向けのマインドセットプログラムを開発しているのですが、2020年の国連生物多様性サミットで「ネイチャーポジティブ」という名称が誕生し、2023年には「TNFD(Taskforce on Nature-related Financial Disclosuresの略。自然関連財務情報開示タスクフォース)」の最終提言が公開されてからは、二酸化炭素ともう1つの柱である生物多様性をどう自分の業界と結びつけて理解したらいいいかがわからないという企業からのご相談が多くなってきています。

───生物多様性という言葉は知っているものの、自分ごと化するにはなかなか難しいと感じています。基礎的なことからご教示いただけますか。

奇二 生物多様性は3つの定義で説明されます。1つ目が「種の多様性」で、地球上には動植物から細菌などの微生物にいたるまで、いろいろな生きものがいるということです。2つ目が「生態系の多様性」で、食物連鎖の話はご存じかと思いますが、それだけではなく“石の下にダンゴムシが住んでいる”といった無機物と有機物の関係性も含めた多様なつながりを指します。3つ目が「遺伝子の多様性」です。ホモサピエンスの中にもがんにかかりやすい人、かかりにくい人がいますが、同種でも遺伝子を多様にしておくことで種として生き延びる確率が上がるということです。
 ある植物が絶滅してしまったら、そこから作れたかもしれない特効薬がもはやつくれなくなってしまいますよね。そのような生物多様性から得られる恵みのことを「生態系サービス」と言うのですが、次の4つ「供給サービス」、「調整サービス」、「文化的サービス」、「基盤サービス」に分類されています。
 1つ目の「供給サービス」は、私たちの暮らしに関わる水、服、家、薬など全ては自然の中で育った資源です。我々は自然から非常に多くの供給を受けているということですね。2つ目の「調節サービス」は、生きるのに心地よい温度や湿度は空気や海によって調節されています。雨が降っても森がスポンジのように貯えてくれるので洪水が起きにくく、濾過されておいしい水も飲むことができます。3つ目の「文化サービス」にはスピリチュアルも入ります。カヤックをしたら気持ちがいいと思うし、年中行事など自然からインスピレーションを得た神話や文化、祭りなども世界中にたくさんあります。最後の4つ目の「基盤サービス」は、あらゆる生物の生態系やライフサイクルを維持する先の3つを担保するベースとなる恵みです。現在、地球上で生み出されているGDPの半分くらいは、直接的に自然の恵みをもとにして生み出されていると言われています。

───改めて、自然の恵みのおかげで私たちの暮らしが豊かになっていることを感じました。本号の「下目線」というテーマについてはどうお感じになられましたか。

奇二 私の研究内容から言うと、この「自然からの恵み」を下支えしているのは、実は普段は目に見えない地面の中で生きる何億匹という分解者のおかげなのです。生態系には無機物から有機物をつくる「生産者(植物)」、それを食べる「消費者(動物)」、そして死骸やフンなどの有機物を無機物に戻す「分解者(菌類など)」の3つが存在します。私が今一番注目しているのはまさにこの分解者です。現代社会は「生産者」と「消費者」という関係性だけに留まってしまっている印象ですが、この生態系の循環を見つめ直してうまく取り入れ始めることができれば、よりよい社会を築くことができるのではと感じています。このような発想もいわば下目線と言ってもいいかもしれませんね。

in about for の環境教育 

───分解者に思いをはせる想像力と感性も大切だなと感じました。最後に、マーケティングに携わる読者の方々にメッセージをお願いします。

奇二 マーケティングや企業経営とすぐに直結しないかもしれませんが、私は長い目で見ると義務教育がとても大切だと思っています。世界を見渡すと、力を入れている国とそうでない国との差が生じ始めています。スウェーデンが1970年代から義務教育の中に環境教育を入れたことで、企業人や消費者を含むすべての国民の、サステナブルに対する意識の高さが顕著に表れています。つまり、環境教育に力を入れるかどうかで、30年後の未来は大きく変わるわけです。しかし、『2030年までに』自然を回復軌道に乗せ、生物多様性の損失を止めることが目標となっている今、残された時間はあと約5年です。義務教育には時間がかかるので、本当に今まさにマーケティングに携わるみなさまに取り組んでいただくことが命運を分けると言っても過言ではないように思います。生坂村がリジェネラティブ・ツーリズムで大成功したのは、伝え方のプロたちが集まったからです。1%ではなく99%の人が見ているようなところでメッセージを伝えることができる広告やマーケティング業界の方々が大活躍する時代に突入していると感じています。
 環境教育を実施する際の基本的な要素として「in about for」という考え方があるのですが、「in」は“in nature”という意味で、自然の「中で」どっぷり遊び、自然に対する感性を育むことが大切とされています。「about」は“about nature”で、自然のしくみや働き、人間を取り囲む環境や人間そのものの生活など何かに「ついて」調べたり、探求したりすることを意味します。そして「for」は“for nature”で、最終的に自然のために自ら行動する流れになるという意味です。自分自身も家族や地域のおかげで幼少期から成長する過程でそれらを体験させてもらいました。
 ですので、まずはぜひご自身が自然の中に身を置いてください。豊かな自然はたくさんありますので、それを体験しない手はありません。そうすればスピリチュアリティが勝手に発現するのです。様々な識者が、様々にスピリチュアリティを定義づけていますが、中でも私が好きなのは「大自然など、一人の人間の存在を超えた大いなるものに直面したり、あるいは精神的な危機に陥ったときに、これまで眠っていたスピリチュアルな感性が機能する。」というニュアンスの定義があります。つまり、日々の生活では覚醒しない可能性があるのです。大切な人が亡くなるといった大事件でなくても、非日常的な自然体験をすると自分の中に小さくとも何か変化が起こるかもしれません。つまりみなさん一人ひとりに力が眠っているのです。日本は世界が羨むほどの素晴らしい自然の宝庫ですが、お勧めは雄大な朝日や夕日、大きな岩や巨木などがある大自然に行くことですね。

───可能性は自然の中、そして自分の中にあるのですね。そしてマーケティングと教育という視点がこれからの未来をより良くするための大切なキーワードであることを強く感じました。本日は貴重なお話を本当にありがとうございました。

(Interviewer:蛭子 彩華 本誌編集委員)

奇二 正彦 (きじ まさひこ)氏
立教大学 スポーツウエルネス学部 スポーツウエルネス学科 准教授 
生きものインタープリター

立教大学文学部史学科卒業後、ニュージーランドのアートスクール、動物カメラマンの助手、 環境教育系NPO、環境コンサルティング会社などを経て、同大学コミュニティ福祉学研究科コミュニティ福祉学専攻博士課程後期課程修了。博士(スポーツウエルネス学)。2023年新設の「スポーツウエルネス学部」准教授に就任。

Something New

第14回
セレンディピティと閃き①
New

Something New

 前回はデフォルトモードネットワーク(DMN)が、閃きに重要な役割を果たしていることをみてきました。意識している時よりも無意識の時が脳内で20倍もの血流が見られるという現象の発見は驚きをもたらしましたが、実はこのDMNという予想外の発見は‟セレンディピティ”と呼ばれているものです。

セレンディピティとは何か

 DMNの発見は神経学者マーカス・D・レイクル教授らによってたまたま発見されたものです。注意力が求められる課題に取り組む際の脳内の変化を調査していた彼らは、意外にも休息時の方で脳活動が活発であることを発見しました。本来の目的となる対象(注意力の課題)での発見ではなく、それまで注目されていなかった目的外の対象(休息時)における活発な反応が偶然発見されたわけです。これがセレンディピティと言われるものです。
 セレンディピティとは、このように「探していたものとは異なる価値あるものを偶然発見すること」を指します。DMNの発見は、まさにこの定義に該当します。
 このセレンディピティという言葉は、今から270年前の18世紀にイギリスの小説家ホレス・ウォルポールによって生み出されたものです。この造語の元になったのは、『セレンディップの三人の王子』というセレンディップ(今のスリランカ)に伝わる童話です。3人の王子たちが、あるものを目的とした旅の途中で思わぬ偶然に次々と遭遇して幸運を得ながら成長していくというストーリーをヒントに生まれた言葉です。
 みなさんも何か探しものをしていた時に、偶然別の貴重なものを見つけて喜んだ経験がありませんか?“偶然”という言葉の響きが何となく夢をもたせることや、語源となった童話の“幸運”のイメージから、セレンディピティという言葉は今では本来の意味から「幸運な偶然」「偶然の幸運な出会い」「偶然から生まれる幸せ」というニュアンスで使用されるようになっています。
 その中でもよく用いられる「幸運な偶然」のニュアンスで使われているのが、ノーベル賞にまつわる発明発見でしょう。第1回ノーベル物理学賞を受賞したレントゲン博士は、研究室で放電管を用いて「陰極線」の研究をしている時に、近くに置いてあった蛍光物質が反応し発光していることを偶然に見つけて、そこから現在も広く利用されているX線を発見しました。
 このようなノーベル賞級の大きな発明発見には、当初は失敗と思われていた研究から新たな発見をしたり、実験手順を間違ったりしたことが結果的に大きな発見に繋がるという「幸運な偶然」がよく見られます。これらノーベル賞を代表とする科学面での「偶然見つけた幸運」は、典型的な意味での「セレンディピティ」ともいえます。

クランボルツの計画的偶発性理論

 Something Newという視点からセレンディピティを見ると、思いもよらなかった閃きを得たり、新鮮な見方を与えてくれたりする、とても魅力的なものといえます。そもそも“偶然”という要素そのものが、「予期できない」、「考えてもなかった」といった想定外で不確実ゆえに新鮮なものです。
 みなさんも自身の人生を振り返った時に、いかに偶然という要素によっていろいろなシーンで影響を受けてきたか思い起こされることでしょう。心理学者のジョン・D・クランボルツは、ビジネスパーソンとして成功した人のキャリアの調査結果から、仕事上のターニングポイントの8割は想定外の偶然の出来事によるものであるという「計画的偶発性理論」を発表しています。偶然がもたらす予期せぬ出来事は、それまでの価値観や考え方にはなかった新たな見方や考え方を見いだすきっかけとなり、大きなエネルギーとなって進路の方向転換すら導いてくれるのです。

偶然がもたらすフレーミング効果

 2000年ノーベル賞化学賞を受賞した白川英樹博士のエピソードを見てみましょう。プラスチックなのに金属のように電気をよく通す導電性分子は、実験中に誤って必要な量の1000倍もの触媒を加えたことがきっかけで偶然発見されました。白川博士は実験手順のミスによって生まれたこの新たな化合物を見逃すことなく研究を続け、世紀の発見へとつながりました。
 このように専門的な研究レベルから私たちの日常の出来事に至るまで、当初の目的どおりに達成できず、むしろ失敗や思い込み、勘違いといったヒューマンエラーと思われているものは数多く存在することでしょう。しかし実はそれらが、思わぬ幸運をもたらすセレンディピティに転じる可能性もあります。
 失敗などヒューマンエラーの多くは、通常はマイナスの出来事として捉えられます。ところが見方を変えると、成功や問題解決に向けて望ましいと思われていた解法とは全く異なるものを示してくれます。つまり、想定内の見方を超えた思いもよらなかった新しい視点、新しい”解”への切っ掛けともなりうるのです。
 白川博士の課題に対する“解”は、実は想定外のところにありました。これは同じ対象をその見方のフレームを変化させて捉えたところに(失敗による副産物→未知の可能性を秘めたもの)、想定外の発見を見い出す閃きがあったと理解されます。このような認知行動はフレーミング効果と呼ばれます。これは同じ対象に対してそのどこに注目するか(焦点を当てるか)により、異なる見方や価値基準が生じて異なる意思決定が行われる認知バイアスの一種です。
 そして重要な点は、この正しい“解”が存在した想定外の見方を導くきっかけとなったものが偶然であり、セレンディピティであったということです。失敗により偶然見つかった出来事が、実は求めているものだったのです。
みなさんも失敗だったと思っていた出来事を、いつものフレームから例えば反対側の立場のフレームから考えてみるとか、子ども目線のフレームで見てみるなど、いろいろ試してみてリフレーミング(フレームを変えてみる)してみたらいかがでしょうか?それによって「新しい何か」が見えるかもしれません。

BOOKS

組織をゾーンに入れる会議の魔法 New

『組織をゾーンに入れる会議の魔法』
伊賀 聡 著 日経BP

 戦略はしばしば実行段階において失敗する。特に経営の上層部や外部のコンサルタントによって立案したトップダウン型の戦略は、そのようなリスクを伴いがちだ。社員の理解や共感が不足しているため、実行に移されても現場での熱のこもった行動に必ずしも結びつかないからだ。
 本書はこうした問題を解決するために、社員が主役となる戦略立案のアプローチとその実践的なノウハウを提案する。その骨子は、「戦略創発ファシリテーター」がサポートする「戦略創発会議」を通じてボトムアップ型で戦略を創造するという著者独自の方法論である。
 著者は、多くの企業の戦略策定に長年携わり、数万時間に及ぶワークショップの運営経験を持つ。ベテラン戦略家であり、熟練の会議ファシリテーターである。その豊富な経験と知見が本書に生かされている。
 実効性が高く社員も共感する戦略を作るにはどうすればよいのか。ビジョンを共有した社員が自発的に行動するモチベーションの高い職場環境と体制をどうすれば作れるのか。こうした問題意識をもつ読者には、自社で応用可能なヒントや具体的なノウハウが得られるだろう。
 日本発の世界的なイノベーション論である知識創造理論を提唱した野中郁次郎教授によれば、「組織にはまだ言葉にされていない知識」(暗黙知)が眠っている。そうだとすれば、言語化されず埋もれたままの社員の気づきやアイデアは、「組織の埋蔵金」と言えるのではないか。
 本書が提案する「戦略創発会議」では、「戦略創発ファシリテーター」のリードによって、暗黙知として眠っている現場の発想や洞察を引き出し戦略として体系化することを目指す。社員が戦略立案に主体的に関わることで、戦略への理解と共感が深まり、実行力も向上する。そのような成果を導くスキルをもったファシリテーターを育成する課題はあるものの、模範を見て手ほどきを受ければ可能だという。
 会社の方針や事業計画を社員が自分事として受け止めてくれないという悩みをもつ企業や経営者は少なくない。本書を手引に、御社でも組織に眠ったままの「埋蔵金」を社員の熱意に火をつけて一緒に発掘してみてはいかがだろうか?

Recommended by 河野 龍太
多摩大学大学院 経営情報学研究科 教授