2024年1・2月号 
編集スタート!

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巻頭言

今月のテーマ

時代を映す言葉の行方 New

巻頭言

 私たちは毎日「言葉」を話し、読む。そして書いたり、打ったりする。言葉は使われることで人との間をつないでいく。そのような中、生活者が使うことで、新たなイメージを獲得した言葉がある。その一つが「推し」「推し活」であり、「オタク」「追っかけ」という言葉で表現された時と比べて、よいイメージの言葉となった。推しの存在意義や、推し活の実態は 「オタク」 「追っかけ」と呼ばれていた頃と実際は大きくは変わらないだろう。言葉によってポジショニングが変化したのだ。これまで冷ややかな視線で見られることが嫌で、「推し」の存在はヒミツだった人たちが救われた。
 最近、「推し」と並び、よく聞かれる言葉として「界隈」がある。「自然界隈」「伊能忠敬界隈」・・・と「界隈」がつく言葉はどんどん発展・拡大している。思わず「どういう意味だろう」と調べてしまう人も多いのではないか。
 なかでも「風呂キャンセル界隈」はよく話題になっている。これまで「お風呂が嫌い、面倒くさい」「(特別な理由もなく)お風呂にはいらなかった」というと、「汚い」「不潔」と思われそうで、自ら言う人は少なかっただろう。「風呂キャンセル界隈」 という言葉で表現すれば、 「え、何、なに?」となる。きっとその言葉を使う人たちは、「笑顔」であり、そうであれば言われたほうも、悪い印象を持つことができなくなくなる。界隈という言葉で表現されたことで、気楽に発言できるようにもなっている。
 本号では生活者から発生し、多くの人に受け容れられ、発展する言葉について、「界隈」という言葉を1つの切り口として考えてみたい。
 背景には何があるのだろうか。単に「界隈」という言葉は面白いよね、で終わることがないように、本号に関わる方々には、「なぜ」にこだわっていただいた。
 生活者発で使われる言葉の背景を深堀することで、生活者の価値観や時代が求める雰囲気を探っていきたい。

本誌編集委員 中塚 千恵

INTERVIEW

流行言葉の裏に潜む変化を読む New

生活者の意識や行動を言語化する

長田 麻衣 氏
SHIBUYA109 lab.所長

 「〇〇界隈」「〇〇推し」「エモい」など、生活者発のさまざまなトレンドワード。そのような言葉が広まっていく背景には、どのような生活者の意識や価値観の変化があるのでしょう。若者の行動や意識の変化に日々アンテナを張られている長田麻衣さんに、これらの言葉が拡散する理由をはじめ、若者トレンド分析の勘どころなどについてお話を伺いました。

心地よいコミュニティサイズが「界隈」

───まず、長田さんが現在取り組まれている研究内容やお仕事についてお話しいただけますか。

長田 私たちは、「SHIBUYA109 lab.」という若者マーケティング機関を運営しています。SHIBUYA109のターゲット層である15歳から24歳の若者のトレンドや消費の価値観の実態を調査し、その結果をSHIBUYA109のマーケティングに活用しています。また、外部企業さまのマーケティングサポート事業も行っています。主な活動内容としては、毎月200人の若者に直接会って生の声を聞かせてもらったり、様々なテーマでグループインタビューを実施したりしています。

SHIBUYA109 lab.とは
2018年に設立された、15歳-24歳の若者に特化したマーケティング機関。普段はSHIBUYA109を活動拠点に、様々なテーマでヒアリングやグループインタビューなどの調査、イベントを実施。毎月およそ200人のaround20(15~24歳)の男女と接することを通じ、“若者と企業・社会をつなぐ架け橋”として、多くの企業のマーケティングサポートを行っている。

SHIBUYA109 lab.

───今回は、生活者が発信した言葉の価値について考察しようと思っています。現在「界隈」という言葉が生活者の間で盛んに使われていますが、この言葉について、どのような位置付けなのか、なぜこれほど使われるようになったのかお聞かせいただけますでしょうか。

長田 「界隈」という言葉が出てきたのは2022年頃で、その年のSHIBUYA109 lab.トレンド大賞2022にて「界隈消費」を提唱しました。ただ、界隈については私たちが名付けたというより、若者の間で自然に使われ始めた言葉から気づきを得たというほうが正しいかもしれません。当時、若者にヒアリングを行う中で、界隈という言葉が日常的に使われる頻度が増えてきたことを発見しました。例えば、K-POPが好きな子たちからに話を聞くと、「K-POP界隈では~」と話し始める、といった感じで自然に会話の中で頻繁に見られるようになったのです。その現象を深掘りしていった結果、トレンドとして注目されるようになりました。

 界隈という言葉が若者に広く使われる理由は、“心地よいコミュニティサイズとの連動”という側面があるように分析しています。コロナ禍を経て、浅く広いコミュニティよりも“深く狭いコミュニティを大事にする”意識が強まったのです。この流れはコロナ禍が明けてからも続いています。いろいろな不特定多数の人たちと共感できることを探すよりも、本当に自分が好きなことや好きな文化、コンテンツを軸に共感できる人たちだけで楽しんで熱量を共有し合うほうが、若者にとって心地よいと感じられているのでしょう。炎上したり、傷つけたり傷つけられるリスクも減りますから、そういう深いコミュニティの中で楽しんでいきたいという意識につながっているように思えます。ですから、界隈という言葉で表現されるコミュニティは、はっきりとした輪郭がなく、出入り自由で、強制力や所属している感じもないのが特徴です。それぞれが自分の心地よい距離感でそれぞれの界隈と接することができる点が、今の若者のコミュニケーションスタイルやコミュニティのサイズ感とフィットしていると思います。
 その背景として、コロナ禍が明けて再びコミュニケーション量が増えた結果、多くの人が疲れているように感じますね。そのため今年は、自然界隈、自然に赴くトレンドやデジタルデトックスのような行動が増えています。自分たちにとってちょうどいいコミュニケーションと行動量とデジタルの情報量はどのようなものか、心地よさやウェルビーイングを模索する動きを広がっています。

───人間関係に疲れてしまった中高年っぽい意識になっているのでしょうか。若者の老人化といったことは感じますか。

長田 大人になっていくと仕事・結婚・育児などで次第にライフスタイルが分岐し、友だちと呼べる人数が絞られていくことはあると思うのですが、それがコロナ禍によって、若者の中で早めに訪れてしまったのでしょうか。また、今の若者は、大学生でも高校生のときのカルチャーを懐かしむといったように自分たちの青春を懐かしむ行動もありますから、人生で経験することが前倒しに起きてしまっている感じはありますので大人びた印象のある若者は多いかもしれません。

界隈の中での実感に基づいた発信力

───若者はコミュニティにあまり深入りしないという一方で、発信力が高いという特徴もあります。それにはどういう背景があるのでしょう。

長田 基本的に若者たちは、デジタル上でのコミュニケーションをごく当たり前に行ってきた世代です。写真加工や動画編集は無料アプリで誰でも簡単にできるため、ビジュアル面における表現スキルが非常に高いという土台があります。しかし、不特定多数に影響力を持っているわけでもなくて、自分たちの界隈の中で共感を得られることに特化しているのが特徴です。共感できるポイントを実感しているからこそ、みんなが「わかる!」と楽しんでもらえる表現で発信できるのです。

───界隈という言葉が話題になるにつれて、もう少し上の大人たちも使うようになっているのでしょうか。

長田 今の推し活と呼ばれている消費行動は、従来では「オタク趣味」といった少しネガティブな論調で語られることも多かったと思います。界隈という言葉が広まったことで、これまで言いづらかったことを大っぴらに表現できるようになったと感じているのではないでしょうか。今まではこうあるべきだとか、こういうことはちょっとダサいよね、キモイよねといったネガティブな空気があって言えなかったことが堂々と言えるような風土が醸成されていくのではないでしょうか。
 界隈は、共感できることでつながっていますから、そもそも否定せずいろいろな正解があって当たり前といった価値観が尊重されやすいです。Z世代が行っていることが世の中に知れ渡ることで、上の世代の人たちも生きやすくなっているのだと思います。

───確かにおっしゃるとおり、誰かがよりいい意味に変換してくれると、行動しやすくなりますよね。

「気まずい」に敏感な大人しい若者たち

───界隈以外にもなにか若者が発信した言葉で広まっているという例はありますか。

長田 推しもそうですよね。あとは、エモい、チルい・チルするなどでしょうか。
 最近では「気まずい」という言葉に注目しています。最近、若い人たちが頻繁に使うのです。みんな、調和を乱さない、コミュニティの調和を乱したくないという意識が非常に強いため、自分だけ目立つと“気まずい”とのこと。自分だけみんなの前で褒められることさえも気まずく感じるそうです。これから社会の中で課題になっていく言葉だと思います。

───確かに今の若者はおとなしいですね。

長田 みんな少しいい子ぶる傾向もあると思います。真面目ですし、何か言われたらしっかりやるのですが、なるべく同期から目立ちたくない、注目されることを非常に怖がっています。同期からどう見られているかと周りの目をとても意識します。だんだんZ世代も社会に出てきていますから、今後は、職場マネジメントや採用、育成の方法、さらにマーケティング自体にも大きな影響を与えるだろうと感じています。

言葉の裏の変化の兆しにアンテナを張る

───受け入れられて広まっていく言葉というのは、ある種の共感や価値観に合うことが非常に重要になるのでしょうか。

長田 そうですね。界隈という言葉も、結局心地よいコミュニティのあり方と言葉がリンクしているからこそ使われていると思います。言葉から先に生まれるのではく、そのような気持ちや心地よく、こうありたいといった意識が言葉として表現されるのだと思います。その意識の変化や行動の変化をしっかり見ていくことで、言葉の変化の兆しやそれに伴う消費の変化、コミュニケーションの変化などが見えてくるのだと感じます。唐突に出てきた言葉の裏にどういう変化があるのかを分析することが重要です。

───なるほど。毎月のインタビューなどで得られる言葉について、どのような視点で分析していらっしゃるのでしょうか。

長田 一番注目しているのは矛盾点を探すことでしょうか。例えば、最近は人を引っ張っていくことや、自分の軸を持って生きるといったエネルギッシュでパワフルなマインドに注目が高まってきているのですが、反面、そのような何かを頑張っている人を見ると、ちょっとイタいと思う冷笑系な反応を見せる子もいます。なぜ冷笑してしまうのかを分析した結果、その裏にあるものは、おそらく一人で頑張っている姿が他の人にとっては気まずい・恥ずかしいと感じてしまうことにあります。今の世代にとって“頑張る”というのは、仲間内で一つのことを頑張るということが前提になっているため、味方がいない状態で単独で頑張る姿勢に対して少しネガティブな気持ちを抱くのだろうと推測します。
 こうして分析を進めると、一口にエネルギッシュなマインドといっても、独りよがりに単独行動することが求められているのではなく、熱量を共有しあえる仲間内でエネルギッシュにアクションをしていくことが支持されているということがわかってきます。パワフルな気持ちや動きがあるなかで、発言された言葉のギャップを見つけていく。さらにそのギャップに今の世代に特有の動きがないか、どのように変化していくかをイメージしていくことを心がけています。

───確かに、会議など、みんなで顔を合わせることも目的の一つと考えることも多いように感じます。みんなで頑張るというのが、重要なんですね。

長田 そうなんです。若い人たちの消費行動もそのような流れにあります。例えば、美容の話題でも、一人で自分のメイクスキルを高めていくのではなくて、いろいろなSNSで、これよかった、あれよかったとお勧めし合い、共有し合って、それぞれがどんどん美容やメイクに詳しくなっていくという行動が当たり前になっています。おそらく何をするにも、共有しながらみんなで一緒に取り組むというスタンスが基本になっているのだと思います。

センシティブな意識を最適に言語化する

───さまざまな企業が界隈消費に注目していると感じていますか。

長田 最近すごく感じています。界隈の取材も多いですね。顧客を理解するには、デモグラフィックではなくて、各界隈に合わせたやり方が適しているので、マーケティングの中ではますます重要になってくるでしょう。ただし、コミュニケーションの中で使う際は慎重であるべきだと思います。使い方のトーンがとても難しいので、トーンなどを知らずに、流行っているからと短絡的に使用してしまうと、逆に炎上のリスクもあります。非常にセンシティブに扱うべきでしょう。

───生活者から発信された言葉の持つ価値を把握するのはすごく難しいですよね。言葉の価値をまとめる・伝えるという役割は必要だと感じますか。

長田 そうですね、SHIBUYA109 lab.はその役割を担っていると感じます。生活者側の実態を理解している企業がいなければ、生活者側もしあわせになれないですよね。そのきっかけになるような言葉や消費の実態を正確に伝えていくことがわたしたちの役目だと思っています。そのためにも、できるだけ正しく読み解き適切に言語化することがとても重要です。

───最後に、本誌の読者に、若者の動向や言葉が持つ力をどのように活用すればよいかなどアドバイスをお願いします。

中塚 いろいろな若者のトレンドに企業が乗っかることもありますが、デジタルネイティブの若者たちのSNSに対する感性は、正直私たちにも想像できないことも多く含まれます。そのセンシティブさを前提に理解しないと、企業側は受け入れられずハレーションを起こしてしまうこともあるでしょう。単なるトレンドとして見るのではなく、生活者の実態に寄り添い、深く理解をするために向き合う姿勢が欠かせません。
 消費やトレンドなどは、そもそも消費者のほうが主導権を持っています。一方的に企業が推し進める形では成功は難しいですね。界隈などは消費者の世界に企業が参加していくというスタンスで接しないと、そもそもの接点が作りにくくなってしまいます。一緒に同じ目線で楽しんでいくといった姿勢が大切だと思います。

───本日はいろいろなお話ができて、本当によかったです。ありがとうございました。

(Interviewer:中塚 千恵 本誌編集委員)

長田 麻衣(おさだ まい)氏
SHIBUYA109 lab.所長

総合マーケティング会社にて、主に化粧品・食品・玩具メーカーの商品開発・ブランディング・ターゲット設定のための調査やPR サポートを経て、2017年にSHIBUYA109エンタテイメントに入社。
SHIBUYA109エンタテイメント マーケティング担当としてマーケティング部の立ち上げを行い、18 年5月に若者マーケティング機関「SHIBUYA109 lab.」を設立。
現在は毎月200人のaround 20(15歳~24 歳の男女)と接する毎日を過ごしている。宣伝会議等でのセミナー登壇・TBS『ひるおび!』コメンテーター。
著書『若者の「生の声」から創る SHIBUYA109式 Z世代マーケティング(プレジデント社)』、その他メディア寄稿・掲載多数。

Coming Soon
次回の更新は 02月04日 02月18日 

INTERVIEW

言葉から時代の本質を読む

緩い共感でつながりたい 「界隈」にみる生活者のいま

十河そごう 瑠璃 氏
株式会社博報堂 研究デザインセンター 生活者発想技術研究所 上席研究員

 最近、SNSなどでよく目にする「○○界隈」という言葉。どのような意味合いなのか、また、どのような使われ方をしているのか。そのような言葉が生まれる背景や関連する消費スタイルなどについて研究を続けていらっしゃる十河瑠璃さんに「界隈」をテーマにお話を伺いました。

SNSが広めた「界隈」というワード

───まず、十河さんが現在取り組んでいらっしゃる研究分野についてお話し願えますでしょうか。

十河 以前は博報堂生活総合研究所におりましたが、そこから現業のマーケティング部署を経て今は生活者発想技術研究所で生活者の新しい消費行動やコミュニティのあり方について研究しています。
 「界隈」という言葉は一部ではかなり前から使われていましたが、特にここ数年XやTikTokなどのSNSでよく見かけるようになったと肌で感じており、使われるようになった背景などに関心を持ち研究を始めました。界隈というものがどのように形成され、どんなモチベーションで生活者が集まっているのか。そして界隈という新しい生活者の集まりを起点に生まれる消費、すなわち「界隈消費」がどういうものなのかを分析し、11月には若者の消費行動として「界隈消費」を最初に提唱されたSHIBUYA109 lab.の皆さんとの共同研究レポートも発表しています。
 

Future Evangelist Report vol.3 界隈消費

 

───界隈という言葉が使われている背景について、どのように分析されていますか。

十河 私たちは、界隈という言葉が一過性の流行語ではなく、生活者のあり方の変化に応じて定着しつつあるものなのではないかと思っているのですが、その背景にはやはりSNSの影響があります。SNSのアルゴリズムやコロナ禍により、自身の「好き」や興味関心を軸にした情報摂取が中心となったことで、生活者は自分と同じものが好きな人とのつながりをより強く求めるようになりました。 
 K-POP界隈や日本酒界隈といった言葉は、このような生活者のニーズを引き受けるかたちで、同じものが好きな人々をくくる言葉、同じものが好きな人を可視化するための言葉として使われています。こうした○○界隈のような生活者発の言葉は「あ、それ、わかる、わかる」という共感や、「実は私もそうなんだよね」といった感覚を呼び起こしやすいため、企業から発信される言葉よりも広がりやすくなっているのかなと思っています。

共感によるつながりをくくる言葉

───確かに、界隈という言葉は単なる流行ではなく、多くの人が使える言葉として定着している、いわゆる文化の一つになっている言葉だと思います。このように、言葉が定着する条件とはどのようなものなのでしょうか。

十河 たとえば「推し活」も、今でこそ企業からの発信にもよく使われますが、もともとはアイドル界隈の方々が使っていた言葉が広がっていったものです。やはり企業から言われた言葉と違って、“自分自身の共感と熱量が乗る”ということが定着する条件の背景にはあるように思います。
 界隈には、K-POP界隈、アイドル界隈といった同じものが好きな人をくくる界隈もあれば、お風呂に入らないことを宣言する人たちを指す風呂キャンセル界隈、TikTokなどで自身が90度ずつ回転する様子を撮り投稿している回転界隈など、一見なぜ盛り上がっているのかよくわからない界隈もあります。しかし、実は全部背景は同じで、やはり“共感できる人とつながりたい”という思いがベースにあると考えています。たとえば、本来は「お風呂に入らない」というのは人に言いづらいことだけれど、誰かが風呂キャンセル界隈と言ったことによって、病気や疲れからお風呂に入るのがつらいと感じている人たちが「自分も実はそうなんだよね」「わかる」といった感じで言い合えた、それを通じてつながれた。そのような“共感とつながりを実感できる”ものが生活者に根づく言葉の背景にあるのではないかと思います。

───こうした言葉は、SNSというメディアに親和性の高い若者世代により広がりやすいのでしょうか。

十河 その傾向は強いと思います。界隈消費という言葉も、若者研究を専門とするSHIBUYA109 lab.さんがZ世代との対話をきっかけに提唱されたものですし、我々の調査でも10代における「界隈」という言葉の認知度は男性が68.9%、女性が80.6%と若年層で非常に高いです。ただ、界隈という言葉はもともと、趣味への感度が高い人やサブカル系の人々の中では年齢を問わず使われていたものなので、そこを若い人がキャッチし、さらに広がったのではないかと思います。
 

 
───界隈にはネガティブな意味合いもあるのでは、という指摘もあります。コミュニティとして悪い印象での使われ方はあるのでしょうか。

十河 たしかに、界隈という言葉は使い方が難しい側面もありますね。たとえば若い人が、「私、K-POP界隈なんだ」と自分で言うのはポジティブな意味ですが、中には人を揶揄するような使われ方をする界隈もあります。Z世代の間では、界隈は「うちら」と「うちら以外」を線引きするための言葉としても使われているため、本質的に「うちら以外」という、自分とは違う人を疎外するという意味があるんです。
 このように、ポジティブかネガティブかは文脈次第のため、自分で言うのはいいけれど、人から言われるのはちょっと嫌だと感じる人も少なくありません。

───なるほど。界隈がコミュニティを指す言葉であるがゆえに、人を区別する、好きか嫌いの区別のような意味合いで使われている側面があるのですね。

十河 私たちも、実際どんな界隈があるのだろうとSNSをいろいろ見ているのですが、明らかにネガティブな意味合いの使われ方もあります。たとえば“和室界隈”。垢抜けない感じがする配信者の背景に和室が映っていることが多いということに由来して、垢抜けない人のことを揶揄するためにくくろうとする言葉です。
 ただ、言葉自体にはそういう良くない意味合いもありはするのですが、界隈という言葉で「自分たち」と「自分たち以外」をくくろうとしていること自体に意味があると考えています。おそらく界隈という言葉が出てきたのも、自分たちと自分たち以外を自らくくろうとしないと、人とつながれない環境になってきているからなのではと思っているんです。
 以前なら、“アムラー”といえば誰が聞いても安室ちゃんファンだなとわかるくらい、同じものを好きな人がたくさんいました。でも、今は好きなものがあまりにも多様化しているので、自分と同じものが好きな人がどこにいるのかがすごく見えづらくなっています。そうしたときに、K-POP界隈といえば「K-POPが好きな人たち」ということで仲間になれるし、風呂キャンセル界隈も「風呂に入るのがちょっと苦手な人」というところで連帯できる。他者とつながることが難しくなった時代に、どうにか気が合う人とつながろうとした結果として現れてきた言葉という側面もあるのかなと考えています。

界隈は緩くて曖昧なつながり方

───そのような見えづらい時代に、若い人たちはどのようにコミュニティをつくっていっているのでしょう。

十河 現代の若者は、コミュニティがどんどんクローズド化しています。コロナ禍でなかなか外に出られないという環境が長かったため、自分と身近な友だち、かつ、気の合うごく少数の人とだけつながっていればいいといった傾向がかなり進行した印象があります。若い人に、界隈の友達を増やしたいかと聞いても、あまり増やしたくないと答える人が多いのです。SNSで何々が好きな人とハッシュタグをつけてつながって、それで“うちら界隈”と認定した人が数人できたら、もうそれでいい。
 逆に、あまりいろいろな人とつながりすぎると、それはそれで面倒くさいんですよね。それこそ推し活界隈では、お金の使い方が自分と違う、推しのライブに実際に行ける頻度が全然違うといったことでトラブルになりやすいので、気の合うごく少数とだけつながるといったあり方が若い人の中では広がっているように思います。
 また、界隈の良さはその“曖昧さ”にあると思います。界隈は、ファンコミュニティとよく似ていると思われがちですが、実はちょっと違う界隈も多くあります。ファンコミュニティというと、やはりすごく熱量の高い人が集まっていたりするので、推しに対してものすごくお金を使っていないと負けた気分になったり、みんなほど頑張っていないから駄目なんじゃないかと落ち込むといったことになりやすい。
 一方で、界隈は熱量が高い人だけではなくて、ちょっと好きくらいの人も全然いますし、たまにお金を使うくらいの人も同じようなスタンスの人とつながることができます。だから、界隈くらいの距離感がちょうど良いと感じる人が多いのではないでしょうか。
 

 
───確かにファンダムと言うとものすごく強い緊張感がありますね。緩い言葉はその人の気持ちも楽にするところがあるのですね、きっと。

十河 そうだと思います。界隈に関しては、どこからどこまでが界隈というのもかなり曖昧で、熱量もさまざまですし、出入りも全然自由ですね。そういう曖昧さがあるからこそ、自分とコミュニティとのちょうどいい距離感が取りやすい。対人関係ごとに異なる自分が存在すると考える「分人主義」が浸透した現代に合ったコミュニティのあり方なのかなと思っています。

───界隈という言葉には緩いながらも自己肯定の意味合いもあるのでしょうか。

十河 みんな、自分たちをうまく言い当ててくれる言葉を心のどこかで求めていると思うのです。メディアが積極的に使うようになったから広がったという側面もあるでしょうが、推し活は特にそれがうまくはまった人が多かったと思います。かつての「いい年してアイドルやアニメグッズにお金を使うのはよくない」といった価値観を覆してくれた、前向きに肯定してくれたということで受け入れられたのではないかと。界隈についても、「そのジャンルがちょっと好き」くらいの人やさまざまなジャンルに興味を持っている人が自己を規定したり、自分と同じ仲間を見つけたりする上ではすごく使いやすい言葉で、しっくりきやすいところがあったのでしょう。

界隈に寄り添うことで生まれる消費

───界隈消費は、今後どのようになっていくと思いますか。

十河 界隈消費に関しては、二種類のパターンがあると分析しています。一つは、界隈の中で信頼されている人が「これ、いいよ」と言って盛り上がったことで広がっていくタイプの「界隈内消費」。もう一つは、その界隈内で盛り上がった消費がほかの界隈にまで広がっていく「界隈伝播消費」です。今は、どちらかといえば「界隈内消費」のほうがかなり多いのですが、今後は界隈から界隈に広がっていく「界隈伝播消費」も伸びてくるのではないかと思います。
 

 
───界隈消費を狙っていくという点ではいかがでしょうか

十河 界隈消費をどうつくっていくかというよりも、考え方としては枠外発想が必要になる場面、たとえば自社のプロダクトを新しい層に売っていくにはどうすればいいか、どんな新商品をつくって誰に売っていくべきかを考える際に、界隈をどう活用するかを検討するほうが正しい気がしています。
 というのも、マーケティングで言うところのターゲットとは自分たちの商品ありきでそれを誰に売っていくかということだと思うのですが、界隈というのは既に存在している集団なので、彼らを変えることは結構難しいんですね。なので、界隈をねらっていく、界隈消費を起こすということは、“界隈に寄り添う”ということにならざるを得ない。界隈が求めているものをつくる、寄り添っていくという形にならざるを得ないのです。そうしたときに企業側からのアプローチとしては、自社と親和性のある界隈を「見つけ」、その界隈の人にとっての常識や困りごとを「学び」、彼らがよりその界隈での活動を楽しむ(=「盛り上げる」)ために自社は何ができるかを考えるという視点に立つことが求められるのかなと思います。

 
───界隈の発生自体をねらっていくのはすごく難しいということですか。

十河 界隈をつくるというのは結構難しいことだと思っています。我々は11月発表のレポートで界隈をモチベーション別に7種類に分類したのですが、「風呂キャンセル界隈」のような突発的に出てくるミーム系の界隈以外は基本的にすでに存在しているか、生活者のインサイト起点で自然発生するものです。そのため、界隈発想のマーケティングでは自社と親和性のありそうな界隈を探すというのが最初に来て、上記のプロセスを経てその界隈からの支持を得た結果、自社商品やサービスのファン界隈ができることを目指す、と捉えていただくのがよいかと思います。

トレンドの本質を見抜く目を

───界隈のような言葉は、今後さらに定着して使われていくと考えられますか。

十河 そうですね。先ほども触れた界隈という言葉の認知度ですが、10代が圧倒的に高いのは確かなのですが、30~40代でも40~50%程度あるんですね。自分が何かしらの界隈にいると考える人も、男性30-40代で30%強、女性も30代では30%弱いるので、かなり広がってきている実感がありますし、今後もより上の世代にまで広がっていくのではないかとは思います。
 

 
───今後に期待できそうですね。最後に、本誌の会員社、読者の皆さまに、このような拡散する言葉を把握することが、どのような効果をもたらすのかといったアドバイスをいただけますか。

十河 トレンドワード化している言葉は一過性のものと感じてしまうと思うのですが、実はそこに結構大事なことが隠れていることもあると思っています。
 風呂キャンセル界隈が盛り上がったのも、なかなか自分からは言いにくいことをほかの人が言ってくれた、こういう願望を持ってしまっているのは自分だけじゃないんだとある種元気づけられた人が意外とたくさんいて、うねりが起きたということだと思います。パッと見た印象では一過性のものにしか見えないものにも、何か裏側には生活者の重要な思いが隠れているかもしれない、ほかのトレンド、大きな潮流と共通する部分が根っこにはあるかもしれないという気持ちで注意深く観察することで、大きな気づきを得られるのではないかと思います。

───大変、興味深く「言葉」が果たす意味をお話いただきました。本日はありがとうございます。

(Interviewer:中塚 千恵 本誌編集委員)

十河 瑠璃(そごう るり)氏
株式会社博報堂 研究デザインセンター
生活者発想技術研究所 上席研究員

2013年博報堂入社。管理部門を経て、生活総合研究所で消費行動を中心とした生活者研究に従事。その後、マーケティングプランナー・ディレクターとして自動車や商業施設・消費財などの様々な領域のマーケティングを担当、2024年より現研究所設立に伴い現職。よりよく生きるための消費や暮らしのあり方について研究している。

寄稿

界隈という言葉を誰もが使っているわけではない

流行るだけの言葉と残ることばのちがい

上野 万里
マーケティング・ライター

はじめに
 生活者発の言葉を生み出すその主体は10~20代と言われています。10~20代の若者は、新たに生まれた言葉をどのように使い、その言葉についてどのように考えているのでしょうか。若者の一人として座談会を通じて考えてみました。

座談会の概要

参加者:20代
 ・男性/大学生
 ・女性/社会人(入社2年目) 
 ・女性/社会人(産休育休中)
質問項目:
 Q. 界隈という言葉を使っているか
 Q. 生活者発の流行っている言葉をどのように探しているか。使っているか
 Q. 生活者発の言葉が定着していく理由をどう考えるか

言語化の意味

 今回の座談会の内容を受けて、若者言葉を使っている当事者・同世代者として、若者言葉について言葉を見つめる立場から思うところを述べていこうと思います。私は言葉を専攻していたわけでも、言葉に関する仕事についているわけでもないので、あくまで若者言葉を実際に使用している若者の一人としての一見解だと思って読んでいただけると幸いです。
 座談会参加者は、「界隈」という言葉を2020年頃から会話の中で見聞きするようになったようです。実際には、2019年あたりから、原義を離れた「意識上の空間」のような意味で使われ始めていました。特に最近になって、「風呂キャンセル界隈」のような言葉が話題となり、広く知られてきたのでは?という話がありました。

界隈使用例
 2019 私立男子校界隈
 2020 バズ界隈:X(旧Twitter)上で同じものを好きなオタク同士が集まる場所

 私自身も、「風呂キャンセル界隈」という言葉が使われた投稿がXでバズったときを鮮明に覚えています。「界隈」という、SNSでよく使われていた言葉に、「風呂キャンセル」というキャッチーな言葉が組み合わさり、私を含め多くの人にとってとても印象深い投稿になったのだろうと思っています。

“ガチの風呂キャンセル界隈でしか通じない話だろうが、数日間連続で頭を洗ってなくていざ洗おうとすると、皮脂等でシャンプーが泡立たないため1回目は軽く馴染ませて流すだけ、2回目に泡立てて洗うとなる” (2024/04/30 10:51 @maatan_223220)

 座談会では、この投稿は一般的にはあまり受け入れられないようなこと(風呂キャンセル)に共感できる仲間たちのことを「界隈」という言葉で表していて、これは「界隈」という言葉が再定義されているという意見がありました。
 「風呂キャンセル」をしてしまう人が人々の想定より多く存在していて、その共感・驚きから拡散されたことで大バズりし、「界隈」という言葉の使い方を再定義するに至ったという経緯ではないかと予想しています。私はこのことから、いわゆる若者言葉とされるものはベースにキャッチーさ・仲間意識があり、その中で何かを再定義するような言葉が全世代に使われるような新語になるのではないかと考えています。
 自分のなかで感覚としてはあったものの、言語化したくなかったものを言語化してくれて、その結果、「ああ、わかるわかる」「そういうのあるよね」が広まっていったのではないでしょうか。

キャッチーさと仲間意識にささる

 座談会では、若者の中で流行しているものとして「クリマン語」「~ゆ」、再定義している言葉として「推し」が出されたので、これらの言葉を例に進めていきます。
 まず、「クリマン語」というのは、整形男子アレン様とそのファンが使っている構文です。
 具体的には、

~だけど→~だ㌔
正直、ぶっちゃけ→正直問題
私→「ァ🚕」「ヮ🚕」(アタクシー、ワタクシー)

 というようなもので、パッと見ただけでは意味がわからないものも多く、個人的にはギャル文字のようだなと感じています。
 次に「~ゆ」というのは、パキちゃん(@pkpk_pa)というアカウントが使い始めたもので、全ての語尾に「~ゆ」をつけるSNS上での話し言葉です。
 具体的には

~なのかもしれないね→~なのかもしれないゆ
~できるよ→~できるゆ

 というようなものです。
 「推し」に関しては皆さんご存じの通り、応援していること・ファンであることをいう言葉ですが、座談会では、「推し」ている人はファンではなく、オタクであるというような話もありました。
 

 この三つには共通して「キャッチーさ」「仲間意識」があると思います。
 キャッチーさに関しては見ての通りで、クリマン語に関しては絵文字や特殊文字を多用していて見た目にも賑やかですし、「~ゆ」に関しても記憶に残る語尾です。「推し」に関しては、強く何かアクションを起こすほど好きな人物を「推し」という一言で説明できる短さにキャッチーさがあると思います。
 仲間意識に関しては、「クリマン語」「~ゆ」に関しては同じコンテンツを見ているという仲間意識です。特に、アレン様は整形男子、パキちゃんは風俗嬢という属性で、人口に膾炙しているとは考えにくいコンテンツなので、正面から好きであることをアピールして仲間を探すのではなく、知らない人には意味が検討もつかない、ちょっとした言葉や語尾を介して仲間であることを確認するというふうに使用されているのではないでしょうか。ちょっと特殊な共感があるのかもしれません。
 また、「推し」に関する仲間意識については、昔は好きなアイドルがいるということはあまり良しとされていなかったようで、それが「推し」という言葉が流行ったことによって「風呂キャンセル界隈」のように、少数ではなく仲間がたくさんいることがわかり、何かに熱狂している仲間としての意識があるように思いました。
 実際に、「これ!」という言葉に出会ったときには、みんなにそれを発信するのではなく、通じるだろう人に使っていく。その輪が大きくなることで、言葉が拡大していくのだと思います。

残っていく言葉とは

 「推し」にあって「クリマン語」「~ゆ」にないものは、再定義です。「クリマン語」「~ゆ」は、仲間内での面白い表現であって、特に意味などはありません。それ故に世代を越えた広がりというものが生まれないのだと思います。
 これまでの議論から、現在「界隈」という言葉が世代を越えて広がっているのは、「界隈」に「一般的にはあまり受け入れられないようなことを共感できる仲間たち」を表す意味を付与し、「推し」と同じように少数だとされてきた者たちの仲間意識が共有されたからだと言えると思います。
 言葉というものは移り変わっていくもので、数々の言葉が毎年生み出され、流行しては消えていきますが、何かを定義しなおしたり、新たな意味を付与したりする言葉が残っていく言葉なのではないでしょうか。

座談会・上野様の寄稿をうけて(中塚コメント)

 今回、座談会に参加したメンバーは「界隈」という言葉について、その利用方法や背景を理解し、面白いとも感じていましたが、自らが積極的には使っていませんでした。流行している言葉であっても、自分が使いたいと思う言葉のみを共感してくれるだろう仲間に伝えていく。それが若者の流儀でした。若者のコミュニティづくりの基盤として言葉が独自に機能していることもわかります。ただし、SNS(X(旧Twitter)、TikTok)などでの発信も主流となるなかでは、本人が思っている範囲よりも広い人達に伝わり、拡大するともいえるようです。
 座談会では、ビジネス用語の変化にも話が発展しました。例えば、「承知です」という言葉をきくたびに、何だか違和感があると伝えたところ、座談会メンバーは「インターンでもずっと使っていた」とのこと。若者の間では一般的になっているともいえます。Webで「承知です」を調べると、私のように違和感を覚える一定の割合がいることがわかりました。「“承知です”ではなくて、“承知いたしました”と表現すべき」とのアドバイスの記載もある状況です。
 一方、座談会参加者からは、「働く世代が変わっていくなかで、ビジネスで使う言葉にも、世代交代が起きるのではないか」という指摘があり、それにも思わず頷いてしまいました。
 特に在宅勤務など働き方が自由になる状況下では、ビジネス用語に触れる可能性が減少するともいえます。その影響から、これまでにない新たなビジネス用語の使い方がうまれ、自然と定着することも増えるのではないでしょうか。あらためて、言葉は世の中を映す鏡とも感じました。

上野 万里(うえの まり)氏
マーケティング・ライター

福岡県出身。東京大学経済学部経営学科卒業。
学生時代は片平ゼミにてブランドマーケティングを学ぶ。
現在は会社員で育休中。

寄稿

言葉とコミュニティ

学生との対話からの考察

見山 謙一郎 氏

昭和女子大学 人間社会学部 現代教養学科 教授

株式会社フィールド・デザイン・ネットワークス 代表取締役 CEO

はじめに
 マーケティングホライズンの2025年新春提言でも書かせていただきましたが、私は1990年に住友銀行(現三井住友銀行)で社会人のキャリアをスタートさせ15年半勤務した後、2005年にアーティストが設立した非営利の融資組織(ap bank)の理事を経て、自らが設立したコンサル会社の経営をしています。他方、2009年から大学や大学院の非常勤教員をしていましたが、こちらは2024年4月から昭和女子大学人間社会学部現代教養学科で専任教員になりました。コンサル会社を起業した2009年以降、コンサル業務とのパラレルワークで大学や大学院の非常勤教員を15年間つとめてきましたが、あらためてこれから先の自分自身の役割を考える中、辿り着いた結論が大学(学部)の専任教員になる、ということでした。このことは自分自身の経験を、未来を担う学生に伝えたいということではなく、私自身が学生とともに学び合い、未来をつくる当事者になりたいと考えたことに起因します。昭和時代の人間である私が、令和時代に青春を謳歌する今の若者の感性や価値観に触れることで、きっと何か面白いことが出来るはずだ、そんな妄想や好奇心にも似た気持ちを抱きながら、日々、学生と接し、今という時代を学んでいます。学生との日々の会話の中、世代ギャップを感じることが本当に数えられないほどあります。この貴重な体験を「世代ギャップ」として片付けるにはあまりにも惜しいテーマなので、その都度、深掘りしていく(ディグる)ことにしています。今回はそんな私の経験を「言葉とコミュニティ」をテーマに、いくつか紹介したいと思います。

「Z世代」という言葉について

 Z世代とは、1990年代半ばから2010年代序盤に生まれた世代であり、今の学生もZ世代ということになります。野村総合研究所の用語解説によれば、「デジタルネイティブ、SNSネイティブとも呼ばれるZ世代は、タイパ(タイムパフォーマンス)重視の効率主義、強い仲間志向、仕事よりプライベート重視、多様性を重んじるなど、従来の若者以上に特徴的な価値観を持っています」とされています。しかしながら、当の本人たちは、このように一括りにカテゴライズされることに嫌悪感情を抱いています。私の3年ゼミ生に至っては、自分たちがZ世代である、という自覚すら全く持っておらず、Z世代とは今の高校生を指す言葉と考えていたようです。
 自分たちをZ世代と渋々理解したうえで、自分たちの特徴を整理してもらったところ、①「好き」と「嫌い」が明確であること、②万人受けは求めない、③本音や素を受け入れる、④フィルターのある世界で生きているという、4つの特徴が挙げられました。また、世間がZ世代に持つイメージの中で、社会課題に関心があることや、口コミでの購買や、推し活に熱心という特徴には同意したものの、「実はSNSに疲れている」というイメージに対しては異を唱えました。ゼミ生曰く、「Z世代の私たちは、SNSに疲れた時期を乗り越え、それぞれが距離感を保ちながら、それぞれのコミュニティを楽しんでいる」とのことでした。また、当の本人たちの主張として、「多様性と言われている時代にZ世代と一括りにするのは如何なものか?」というものがありましたが、この意見には「新人類」と一括りで論じられた経験を持つ私も大いに賛同します。また、「他人と差別化したいが、そこまで強い個性があるわけではない」という彼女たちの意見には、等身大で生きている潔さのようなものを感じました。

「界隈」という言葉の捉え方について

 昭和時代の私が「界隈」という言葉から受けることは、「緩い繋がり」のような印象で、何となく輪郭がぼやけているイメージを持っていました。3年ゼミでこの話をしたところ、「緩い繋がり」であることは一致していましたが、「界隈」の内と外では明確な線引きがされていることがわかり、輪郭や境界は、意識的にかなりはっきりさせているということを教わりました。デジタルネイティブの今の学生は、X(旧Twitter)やInstagramなどのSNSのアカウントを複数持っており、私のゼミ生のケースでは、Xは4~5アカウント、Instagramは3~5アカウントという学生が多かったです。コミュニティごと、関心のある情報ごとにSNSアカウントを使い分けているのが大きな特徴でした。自分が今、この瞬間に見たい、知りたいと思う情報に集中し、他の情報に邪魔されたくない、というのがアカウントを分けている理由のようです。また、昭和世代の私は、オールドメディアで伝えられるインスタ映えやTikTokで若者が躍っている動画などの情報から、若者は常に自身の情報を、SNSを通じて発信していると捉えがちですが、授業の中で学生がアンケートを取ったところ、情報発信2:情報受信8という比率の学生が一番多く、実は学生はSNSを情報収集のために使っている、ということが明らかになりました。ちなみに、昭和世代で多用されているFacebookは、私のゼミ生全員が使っていませんでした。基本的に実名のFacebookを中心に情報の受発信をし、XやInstagramも多くの人が1つのアカウントしか持たないような昭和の世代の私と、3年ゼミ生の「界隈」の捉え方の違いは、こうしたところから生じているのだと学びました。

日本は先進国か途上国か?

 リアルタイムで高度経済成長期を体験している私は、無意識に「日本は先進国である」という思い込みを持っています。私のみならず、私と同じ世代の多くの人は、「日本は先進国である」ということに疑いを持つことはないと思います。実際に内閣府では、先進国をOECD加盟国と定義し、新興国を先進国以外の国のうち、G20に参加する国、そして途上国を先進国・新興国以外の国と定義しています(2024年版「世界経済の潮流」より)。この定義によれば、日本は先進国に該当するということになります。経済成長が生活の豊かさをもたらしたという残像の中にいる昭和世代の企業人と交わる中では、決して生まれないような疑問も、学生と接する中では不思議と生まれてくるものです。高度経済成長期の中で育った私と、失われた30年の中で育った学生との間には、何らかのギャップがあるのではないかと考え、「先進国と途上国の違い」についてディスカッションをしてもらいました。
 「そんなこと考えたことがなかった」という意見が飛び交う中、議論が進み、多くの学生が賛同した定義は、「選択の自由があるのが先進国で、ないのが途上国」というものでした。いかにも人間社会学部現代教養学科の学生らしい、本質を突く定義だと思いました。次に本題である「日本は先進国か、それとも途上国か」という質問を投げかけました。「選択の自由の有無」という定義をもとに考えたことから、この質問はかなり深い問いかけになりました。「何となく、日本は先進国だと思っていたが、女性の社会進出等のジェンダー問題や、ヤングケアラーの問題や相対的貧困の問題、幸福度(世界51位)などを考えると、一概に先進国とは言い切れない」という意見が大勢を占めました。
 学生のディスカッションを聞いていて、インフラの整備や見た目の豊かさなどハード面では先進国と言える日本は、社会制度などソフト面では確かにまだまだ発展途上なのかも知れない、ということを感じました。英語で先進国は“Developed Countries”、途上国は“Developing Countries”であり、「途上」ということはまだまだ成長、改善の余地があるということです。課題先進国である日本は、発展途上の先進国“Developing developed country”なのかも知れない。そんな気づきから、次世代を担う学生と一緒に、未来をつくれたらいいな、と考えています。

 言葉の意味は、所属するコミュニティの中に存在する無意識の価値観の中で、無意識のうちに固定化されていきます。異なるコミュニティの異なる価値観に触れたとき、もしも「あれ、何か違うな」と感じたのであれば、それは価値観の違いをディグる(深堀りする)絶好のチャンスです。言葉の使い方や意味が時代とともに変わるということは必然であり、価値観が時代とともに変化しているということなのです。無意識の固定観念を破壊した方は、ぜひ、学生との対話をお勧めします。

見山 謙一郎(みやま けんいちろう)氏
昭和女子大学 人間社会学部 現代教養学科 教授
株式会社フィールド・デザイン・ネットワークス 代表取締役 CEO

専門は経営社会学。社会課題起点でビジネスを想像し創造する “Business for Re-Designing Society”の活動を産官学金民の枠を超え、クロスボーダーで展開中。環境省、総務省、林野庁などの中央省庁の他、墨田区や川崎市など地方自治体の行政委員をつとめる。また、国際NGOメドゥサン・デュ・モンド・ジャポン(世界の医療団)理事、公益財団法人三井住友銀行国際協力財団評議員などの役職を兼務している。

Something New

中島純一Something-New

見聞録

第43回
マーケティングにおける倫理観の自覚を

大坪檀のマーケティング見・聞・録

 2024年、政治の世界は政治資金疑惑で大きく揺れ動いた。政治と金、政治不信の問題は何も新しい問題ではない。ロッキード事件、リクルート事件などすぐ思い出す大事件が幾つもある。事件のたびに政治改革や信頼される政治の確立が叫ばれてきた。三木武夫元総理はことある度に倫理、倫理と叫んでいたのを思い出す。

 しかしこの倫理の問題は政治の世界だけの問題ではない。ビジネスの世界でも企業トップがTVでお詫びする姿が珍しくなくなった昨今だ。大学でも同じ。不祥事がたびたび繰り返され、大学の運営に厳しい社会の厳しい目が向けられ、自己監視機能、浄化作用を求める法律が制定された。
 ハーバード大学のビジネススクールに滞在したときのこと。主任クラスの教授からハーバードは倫理観の高い経営者を生み出すことに最大の関心を持っている、と分厚い教科書を手に何回もその重要性を聞かされた。組織は戦略に従うという言葉を残した経営史の学者チャンドラー教授は、アメリカでは社史の作成に企業が熱心でない理由の一つは、反トラスト法などとの関係で不都合なことが掘り起こされ問題視されることを避けたいことにある、と小生の質問にコメントしてくれた。ビジネス活動を取り巻く法規制があとからあとからと誕生するのはビジネスが社会的な規範を犯すからだ、と法学部の教授が説明していた。アメリカのビジネススクールで5cmほどもある分厚いビジネスローの教科書を使用して経営者が留意すべき法知識を叩き込まれた。反トラスト法の授業は実際の事案→ケースをベースとして行われ、熾烈なビジネス競争のもと、アメリカのビジネス界で犯される法違反の実態を数々学んだのを思い出す。
 日本の産業界でも法律順守の動きが高まり、コンプライアンスという言葉が日常のビジネス用語になっている。アメリカの企業のように新しいビジネスプロジェクトの立ち上げに顧問弁護士や法務課の事前チェックを受ける仕組みを持つ企業も多くなっているようだ。法令順守やビジネス倫理を日常のものとする運動はいろいろと多角的、多面的に行われているが不祥事は後を絶たない。
 1974年10月、日本広告審査機構JAROが誕生し本年創立50周年を迎えた。当時チラシや紙媒体、電波に登場する広告に対する苦情が多数寄せられ、広告主、広告代理店、媒体社、広告制作会社が中心となりJAROが立され、広告に対する消費者の苦情、疑問点にこたえるべく、広告表示を自主的に審査する活動が始まった。小生も審査委員の一人だった。当時の資料を見ると、なぜ消費者庁や消費センターが誕生するようになったか納得できるような不都合な事案が多々持ち込まれたのを思い出す。創立以来持ち込まれた広告に対する苦情や意見はこの50年で26万件余という。広告活動はマーケティングの重要な部分。いつまでたっても問題はなくならない。JAROの創立期だったと記憶しているが 広告の自主規制をテーマにインドで国際会議があり、小生も出席し意見交換の場に参加したが、どこの国でも不都合な広告の氾濫に頭を悩ませており、各国の対応状況、仕組みについて何時間も熱のこもった意見交換がおこなわれた。
 日本ABC協会は1952年に設立された。新聞、雑誌、フリーペーパーなどの発行部数を公査する民間機関だが、その歴史はアメリカでの発行部数疑惑→水増し、誇大な発行部数表示の問題に遡る。アメリカの広告業界は新聞、雑誌のこの誇大発行部数の問題に悩まされABCが誕生、日本にも同様な機関が誕生したが、ABCに加入していない媒体社はいまだ多数に上るのではないか。
 広告代理店の業務活動や人事管理の在り方、セクハラ、パワハラとマーケティング業界が問われる企業倫理の問題は多角的、多面的となり問題は深刻化している。情報化社会の特有の広告問題も多数発生。偽装広告やフェイクなどの新語が登場し、インターネットメディアに対する信頼度は極めて低いといわれている。カスハラなど消費者サイドが引き起こす新型のマーケティング課題も日々登場、その問題対処法、発生防止策が取りざたされている。
 デジタル社会が進展する世界でマーケターがここ一段と求められるもの。それはマーケティング活動に対する社会の信頼の維持と向上、高める不断の努力、日ごろの自らの高い倫理観の涵養,維持・積極的な展開と取り組み、そして企業経営者、マーケティング関係者との倫理の連帯だ。倫理観の自覚、倫理の問題は政治の世界より深刻かも。

Text 大坪 檀
静岡産業大学総合研究所 特別教授

BOOKS

『いちばんわかりやすい問題発見の
授業』
『図解&ストーリー「資本コスト」
入門(第3版)』

『いちばんわかりやすい問題発見の授業』
ツノダフミコ著 ‎ 00

 本文

Recommended by 中塚千恵
編本誌編集委員 東京ガス株式会社 


『図解&ストーリー「資本コスト」入門(第3版)』
岡俊子著 中央経済グループパブリッシング

 資本コスト–––その言葉を聞いて、あなたはどのような世界を思い浮かべるだろうか。多くの人は「財務部門の専門知識」として捉えるかもしれない。しかし、本書を手にすればわかる。それは経営の本質をつかむ鍵であり、マーケティングや事業戦略といった他部門にも直結する重要な概念なのだ。
 著者の岡俊子氏は、私のウォートン・スクール時代の同級生であり、日本におけるM&A分野を切り開いた第一人者だ。卒業後、私はマーケティングの道に進み、岡氏はM&Aアドバイザーとしてキャリアを積んできたが、共に経営の本質を探究してきたという点で、思いを共有している。現在、岡氏は明治大学グローバル・ビジネス研究科の教授であるとともに、数々の上場企業の社外取締役として活躍している。そんな岡氏が手がけた本書には、経営者・経営幹部に求められる視点が実務と理論を通じて凝縮されている。
 本書は、架空の企業「ミツカネ工業」を舞台に、3人の社外取締役が資本コストについて議論を深めるストーリー形式で進む。これが非常に効果的だ。会話を通じて、WACC(加重平均資本コスト)やROIC(投下資本利益率)といった一見難解な概念が、自然に理解できるように誘導してくれる。そして、その背景にある現場の課題や経営のリアリティが鮮やかに描き出されている。
 特に印象深いのは、資本コストというテーマが、経営の「共通言語」として機能する可能性を示している点だ。CFO(最高財務責任者)の視点だけでなく、マーケティングや事業戦略に携わるCMO(最高マーケティング責任者)、そして全社的な意思決定を担うCEO(最高経営責任者)にとっても、資本コストを理解することが、経営の意思決定を根本から変える武器になる。
 マーケティングの視点から見ても、資本コストは極めて重要だ。資本コストがわかれば、マーケティング施策のROI(投資利益率)を定量化し、その成果を経営にフィードバックすることができる。そして、これが企業全体の資本効率を向上させる原動力となる。本書は、その実践のための「設計図」と言えるだろう。
 『図解&ストーリー「資本コスト」入門 第3版』は、単なる入門書ではない。財務、マーケティング、戦略という分野を超えて、経営者・経営幹部・次世代リーダーにとって必要不可欠な「共通言語」を提供する一冊だ。岡俊子氏が描くこの未来図を、多くのリーダーが共有することを願っている。

Recommended by 神田 昌典
アルマ・クリエイション株式会社 代表取締役、経営コンサルタント、作家