特集


デジタル×社会課題× ビジネス×デザイン思考
が切り拓く新たな学びの形

by 山本 裕介

 「教育」と「デジタル」というと、「遠隔でも教室にいるのと同じ教育が受けられる」という側面 が強調されがちですが、デジタルツールを活用した今までにない学びの形も生まれています。
 日本とオランダ、バングラデシュをインターネットで繋ぎ、バングラデシュの社会課題解決型 のビジネスプランを作成する、経営学とデザイン思考を組み合わせたユニークな講義の仕掛 け人の皆様に、それぞれの立場から見た学びの未来についてお話をお伺いしました。

山本 コロナ禍で小中学校もオンライン化されるなど、今、教育には非常に大きな変化が起きています。中でもデジタル化、地方、そして大人の学び直しの 3 つが興味深いものと考えています。
本座談会ではデジタルがどう学びを変えていくか、ドライブするかについてお話ができればと考えています。具体的には、「時間と距離を越える学び」という文脈における、ツールとしてのデジタルについてお聞きしたいと思います。
 今年度、専修大学経営学部では、日本とオランダ、バングラデシュをインターネットで繋ぎ、バングラデシュの社会課題解決型のビジネスプランを作成する、経営学とデザイン思考を組み合わせた「社会課題×経営学×クリエイティビティ」を志向する講義を開講したと伺いました。すごく面白い取り組みだと思うのですが、講義全体のオーバービューをお聞きできればと思います。

「社会課題×経営学×クリエイティビティ」を思考する講義とは?

見山 もともと「社会課題×経営学」という講義は、10 年前から私が大学や大学院の経営学の講義で実践してきていることです。大小を問わず、学生自身は日ごろから何かしらの社会課題を感じているはずなので、自分事化しやすいテーマだと考えました。自分なりの問題意識を起点として社会課題ドリブンでビジネスを考えてもらうということは、経験上、非常に教育効果が高いことを実感しています。
 バングラデシュという途上国をフィールドにしている理由は、日本をフィールドに社会課題を考えてもらうと、どうしても現実的なことに考えが寄りすぎ、どんどんニッチな方向に議論が収斂する傾向があります。ゼロワン(無から有を生み出す)発想を醸成するためには、未知の国で考えた方が議論の抽象度が上がり、より大胆な発想ができると考え、バングラデシュをフィールドに考えてもらっています。
 私はバングラデシュに 40 回以上の渡航歴があり、学生との情報の非対称性を活かしているところもあります。学生はよく知らない国だけど、講義では実際にインターネットを使い、バングラデシュの人にもインタビューを実施します。当たり前の話ですが、バングラデシュは実際に存在する国であり、当初、学生にとっては想像の国だったものが、デスクトップリサーチやインターネットを活用したインタビュー等により、少しずつバングラデシュという国に対する解像度が上がっていき、それと同時に学生のモチベーションも上がっていく。そのプロセス自体に高い教育効果を感じています。

山本 ニッチでない大胆な発想、ということも面白そうですね。

見山 日本をフィールドにビジネスプランを考えるとき、「日本政府と連携しよう」なんて発想はなかなか出てこないと思います。しかし、バングラデシュをフィールドにした場合、国対国の発想も生まれるので、学生はどうやって国、政府を巻き込んでいくのか、という大きな発想で捉えようとします。実際に日本で新しいビジネスを始める際に、制度が追いついていないこともありますので、政策連携の視点は非常に重要です。本講義では、講義のリアリティを担保するために学生が作成したビジネスプランは、最終発表会で JETRO ダッカ事務所(バングラデシュ)の所長に対して提案させていただき、現実的な視点からフィードバックをいただくことになっています。

経営学とデザイン思考の融合

山本 経営学とデザイン思考との融合もとても興味深いです。デザイン思考をどのように捉え、どうこの講義に関連づけていかれるのでしょうか。

井上史郎 デザイン思考という存在をビジネスの世界に広げた立役者の 1 つである IDEO(米国デザインコンサル会社)の web サイトでも触れられているように、デザイン思考の根底にある考え方は「デザイナーのように考える」ということです。
 60 年代の終わりごろから始まったデザイナーの考え方やと振る舞いを科学的に捉える研究に端を発しています。昔だったら、優れたデザインは天性のひらめきを持ったデザイナー個人の裁量から生み出される産物のように思われていた節がありましたが、デザイナーの問題解決の際の振る舞いを調べていくうちに、解決を探る際のアプローチや、アイデアを考える考え方に共通するパターンのようなものがあることが分かってきて、それが今日のデザイン思考で展開されているアプローチに影響を与えていったと理解しています。
 一般的にデザイン思考のアプローチでは、人間中心のデザインという考え方を中心に据えながら、扱われる課題に関わる人たちへ共感し、その課題のある状態に置かれている人たちの現状に対してチームがどういった立場を取るのかということを明らかにする。それを踏まえてアイデアを生み出して新しい視点を入れ込み、試作品を作って、それを検証するというステップを踏みます。そのステップを行き来しながら繰り返し試行して、それをユーザーに近い人たちにテストして、洞察を得て改善するというようなフィードバックループを通して、徐々に課題の本質を明らかにし、解決策の質を強化していきます。今回の講義では、デザイン思考の最初のステップである「人を知ること、共感すること」に特に主眼を置いて見山先生と一緒に講義内容をデザインしています。

山本 講義内容のデザインの中で、特に意識されていることはありますか。

井上史郎 これは見山先生が講義内で繰り返し強調されていることですが、最も大事なことは「いかに現地目線で社会課題に向き合うか」ということです。思い込みや独りよがりの考えを排して、より現状に即した形で持続可能なビジネス構想をどう練り上げていくかということを学ぶことが、非常に重要な点だと思います。

山本 実際に訪れたこともなく、日本に居ながらの「現地目線」とは、難しそうですね。

井上史郎 仮説を立てながらビジネスプランを構想するプロセスを進めていますが、日本語で書かれた書籍等の二次情報からでは先進国のバイアスを排除することが難しい。また、限られた講義期間という制約もあります。ですので、本講義では主に自分たちが見つけた二次情報と実際に課題関係者等にインタビューして得た一次情報を統合して照らし合わせながら、「先進国目線で考えてみるべきこと」、逆に「現地目線で考えなければならないこと」等を明らかにし、きちっとした土台の上でビジネスプラン構想を練っていくことが非常に重要だと考えています。この視点が、デザイン思考と経営学の講義との融合のキーポイントになってくると思います。
 一方で、デザイン思考では頭の中のアイデアや概念を視覚化、可視化することが重要になってきます。想定されるユーザーに近い人物像を可視化するペルソナという方法や、サービスや商品が利用される際のユーザーの振る舞いの流れなどを可視化するユーザージャーニーマッピング等の手法を講義に導入することで、マクロな視点でのビジネス構想から、さらに「その構想をどうやって始めるか」、「何から具体的に取りかかったらいいか」といったような、よりミクロな視点での実践を考える際にもデザイン思考のアプローチというのは役立つと考えています。つまり、中長期的なスパンの視点での持続可能なビジネス展開を考える際に、ビジネスのファーストステップを具現化する目的でこの可視化という手法が役立つのだと思います。

山本 ペルソナについては、現地の方と実際に学生さんが直接やりとりをされるのでしょうか。

見山 インタビューの対象は、私の 10 年来のビジネスパートナーである、現地のコンサル会社のスタッフになります。現地在住の日本人スタッフと日本語が話せる現地スタッフをオンラインでつなぎ、直接学生がインタビューをしています。

井上史郎 これ(上図)はデザイン思考を体系的に説明する講義の中で使われたスライドの 1 つですが、先にも述べたデザイン思考の 5 つの基本的なステップを踏みながら、さらにその順序も直線的に進めていくのではなくて、手順を組み換えたり、行ったり来たりしながらやるんだよ、ということを学生に説明します。まずはユーザーに対する観察をインタビューやフォーカスグループで行い、KJ 法やペルソナ、ジャーニーマッピングなどの手法を用いてさらに明らかにし、そこから具体的にアイデアを生成し、プロトタイプを作り、テストし、フィードバックにつなげていくというような一連のアプローチを説明しています。

見山 5 つのステップの中で、「共感する」ということが、社会課題を自分事化することに繋がると思います。仮説とインタビューを繰り返すことで、少しずつ自分たちの先進国バイアスが薄まり、現地目線に近づけるのだと思います。それでも、最終発表会では JETRO ダッカ事務所の所長から厳しいフィードバックをもらうと思いますが、それを含めて予定調和でない学びだと考えています。 

井上史郎 ソーシャルデザインやソーシャルイノベーションなど、社会課題に対する解決策を探っていくというアプローチの中でも、やはり中心になるのは現地の人たちで、研究者やデザイナーは、その課題に関わる人たちを中心に据えて、さまざまな領域の専門知識を統合しながらあるべき社会の未来像を共同で作り上げていきます。社会課題への取り組み方と人間中心のデザインの考え方は、そういった意味で親和性が高く、それがこの講義に生かされていると思います。

思考可視化の
ための
デジタルツール
の活用

山本 本講義では、デジタルツールとして、Adobe XD を使っているそうですが、どのような目的で、どのように使われているのでしょうか。

井上莉沙 頭の中にあるアイデアを可視化するツールとして使っています。もともとは UI/UX デザインと共同作業ができるデザインツールとして開発され、現場で活躍する多くのデザイナーの皆さんに活用いただいてます。授業では学生にデジタル付箋でわーっといろんな考えを出してもらい、アイデア生成の仕方を色々なパターンに当て、それをグループで可視化するプロセスを踏んでいます。実際にクリエイターがデザインする際も、様々なアイデアがある中で、あれこれ組み合わせてレイアウトをしていきますが、それを社会課題解決のアイデアに当てはめてやっています。

山本 私たちが仕事でやっているようなことを学生さんがほぼやっている感じがすごいですね。非常にレベルが高いですね。

井上史郎 学生たちは、頭の中にふわふわ浮かんでいるものを定着させるという機会が普段あまりないと思うんですよね。Adobe XD のヴァーチャルなワークスペースを共同で使いながら、デジタル付箋を使って、「グループエクササイズを通して複雑な事柄を可視化しながら紐解いていくとこんなことが見えてくる」という経験をすることで、学習体験もより強化されると思います。
 少し課題量が多いのが学生にとっては大変だろうなと思いますが、学習体験の密度や、学べることもやっぱり違う。学生の方もこれだけ能動的な関与を要求されると、自ずと積極的に参加するようになるんですよね。みんな目の色を変えてうわーっとやっている感じが、お祭りのような感じでいいなと思います。

井上莉沙 1 人でアイデアを考えると自分目線になりますが、アートボード上でみんなが俯瞰できるので、「これって本当にバングラデシュの人が悩んでいることなんだっけ?」と課題に戻しやすいんですよね。5、6 人いるグループなので、色々な意見を聞きながらアイデアが洗練されていくプロセスは、私たちが見ていても、とてもおもしろいな、と思います。

見山 先程、山本さんに、レベルが高いですねとおっしゃっていただきましたが、実はバングラデシュの社会課題を起点に考える講義は企業研修や社会人大学院でも実施しています。その中で、学生の提案が劣っているということは全くなく、こういった抽象度が高いテーマに対しては、むしろ学生の方が得意なような気がします。社会人は、フォアキャストで考える癖のようなものがついていますが、「未来にバングラデシュがこうなったらいいいね」というバックキャストで想像する力は、学生の方が得意なのかもしれません。

山本 抽象度が高い課題を、ただ抽象度が高いままに頭の中で、1 人で考えてもよくわからない文章とかになって出てきてしまうことがありますよね。しかし、デジタルツールを補足することで、独りよがりな視点になるのではなくて、ちゃんとみんなで 1 回共有できる場に出して、可視化して、クロスチェックすることで、全体的に独りよがりじゃない、ちゃんとリアリティに沿ったものになっていくというのが、デジタルツールを活かして抽象度が高い課題に取り組む意義なんだ、とお話をお聞きして理解しました。

井上史郎 私が主にヨーロッパで経験してきた大学教育の文脈においては、コロナ禍以前からブレンド型学習の反転授業というものを活用する機会が増えてきていると感じています。反転授業とは、学生が授業外であらかじめ学習内容をオンライン教材等で事前に学び、授業ではそれを踏まえたディスカッションやグループワーク等の、よりアクティブな学習に時間を費やす学習形態のことです。私が以前マーストリヒト大学(オランダ)で携わったプロジェクトも、この反転授業学習で活用するためのデザイン思考に特化したオンラインエデュケーション・リソースの研究開発でした。グループ共同で共有しながら進めていくデザイン思考のプロセスが、ワークスペースをデジタル化してアクセシブルなものにすることと非常に相性がよかったんだと思います。疲労感とか、対面授業でしかなし得ないコミュニケーションの質みたいなところが課題ではありますが、プロジェクトとしてグループワークを行う際、ワークスペースのデジタル化がもたらす恩恵は大きいと感じています。そしてコロナ禍がさらにそれを後押しした、というふうに研究者として観察しています。

オンラインを活用した講義の可能性

山本 今も講義はフルオンラインですか。 

見山 今、大学は 9 割程度、対面講義になっていて、私は大学の教室で講義を行い、オンラインでオランダから井上史郎先生に入っていただき、バングラデシュともオンラインで繋いでいます。学生全員が PC 持参で Zoom にも入ってもらう、本当にハイブリッドな形でこの講義を運営しています。

井上莉沙 ディスカッション自体は対面で起こっていますが、同時進行でアイデアが Adobe XD のアートボードにバーチャルで載ってきます。

山本 本当に社会人が最速でプロトタイピングする、実務でプロトタイピングするのと近いですね。プレゼンは最後、どういう感じでされるんですか。

見山 Adobe XD で最終プレゼン資料も作ってもらいます。ツールの特性を生かして、それこそ動画も入れられるし、画像もどんどん入れられるし、パワーポイントの限られたデザイン性じゃなくて、自分たちでデザインできるんですよね。もともとAdobe XD は、アプリなどのプロトタイプを作るために開発されたものですが、ワイヤー機能を用いて、思考の動線を可視化することも可能です。なぜこの結論に至ったのか、という思考の経路を全てたどることができるんですね。プレゼンの際、質問が出た時も、クリックすればすぐその背景や理由に飛ばすことができます。操作性やデザイン性など、あらゆる面ですごく大きな可能性を秘めているツールだと思っています。本講義でのこのツールの使い方は、アドビさんでも、想定されていなかったことかもしれません。

井上史郎 学生にはインタラクティブな要素をプレゼンで活用して欲しいと思います。インタラクティブな要素とか、情報の伝え方がより視聴覚に訴えかけるように強化されれば説得力も増していく。説明のためのアニメーションなどをうまく活用してプレゼンテーションに臨んでもらえればと思います。見山先生も触れられたように、可視化された思考の過程も 1 つの共有 XD ドキュメントに残ります。成果物だけじゃなくて、結論に至るまでのストーリーも辿りながら説明ができるので、コミュニケーションの質の面でも結果だけに焦点を当てたプレゼンテーションとは異なる伝え方ができるのではないかと考えています。

井上莉沙 今回のビジネスデザイン特講で見山先生とご一緒するきっかけとなったのが、アドビの「College Creative Jam」という学生向けの学習型デザインコンペです。実在する社会問題に対して、モバイルのソリューションを考えるもので、去年はパタゴニアと一緒に「日本で環境再生型農業のオーガニック農家を増やすにはどうしたらよいか」との課題でイベントを行いました。参加する学生はツールの使い方のみならず、デザインプロセスも学びます。リサーチを学ぶフェーズで史郞先生にレクチャーをお願いし、そこからワイヤーフレームや UX の学習、そのあとデザインの基本を学べるようにカリキュラム化し、オープンな学習の場を提供しました。見山先生の講義が社会課題に対してソリューションを考えるという点で同じ方向性であったこと、また Adobe XD についても、「グループディスカッション自体が何回でも戻ってやり直してというプロトタイプを作る作業と似ている。可視化された思考のプロセスが残ることで新しいアイデアの結合が起こる可能性がある」と評価いただき、井上史郎先生にもご参加のうえで、今回一緒に授業カリキュラムを開発することになりました。 
 当初、私と井上史郎先生は学生に最終的な案をプロトタイプとして提出してもらうことを想定していました。しかし、この講義では、共同編集できるツールの特徴を生かし、アイデア出しや、プレゼン資料の作成、グループディスカッションのツールとして活用しています。

見山 毎年、最終プレゼン資料を作ってもらいますが、振り返ると、通常は最終成果物しか残りません。
どのような思考の経路をたどって、この結論に辿り着いたかということは忘れられてしまいます。しかし、デザインツールを使うことで、アートボードに思考の経路は全部残っています。また、最終プレゼン資料もこの、アートボード内に作ってもらうことになるので、思考の動線を振り返ることができると思います。この部分に、付加価値を感じています。
 また、Adobe XD を使えるスキルが身につけられれば、学生は自分たちでアプリや web のプロトタイプを作れるようになりますし、自分のポートフォリオも作れます。実際に、このツールで自身のポートフォリオを作った学生もいます。今の時代、採用も web 経由ですが、そこに自分のポートフォリオの URL を貼りつけることも可能です。

山本 見山先生がおっしゃっていたように、結局パワポに残ることって、プレゼンの一部でしかなく、そこまでの過程が残るポートフォリオという意味ではすごくいいですね。学生のポートフォリオも拝見しましたが、すごいですね。

井上莉沙 私たちのツールは、美大生とか、それこそクリエイターになりたい人のための製品と思われがちなのですが、使い方さえ学んでしまえば、誰でも簡単に使えるので、より多くの学生に「将来のためのスキルセット」として持っていただきたいです。今回は敢えて、美術と関係ない見山先生の学生たちにテストケースとして使ってもらっていますが、どんどん使いこなしていきますね。

見山 デジタルの威力、デジタルネイティブのデジタルへの適応力は本当にすごいと思います。

山本 学生に敢えて抽象度が高い課題に取り組んでもらう。そのためにデザイン思考を用いて、現地目線から現地の課題に寄り添りそうという共感をベースとして、独りよがりでなく、グループワークで議論をしてもらう。そこに、Adobe XD というデジタルツールを用いて議論を可視化し、社会課題解決の道筋を考えていく、ということがよく理解できました。

井上史郎 この特別講義は学生主体の積極参加型学習なので学生たちの進捗具合が直接講義の進行に影響してくることもあって、限られた講義期間で予定通り進めていくことが簡単ではありません。しかし、見山先生の大事にされることが、学習内容を一方的に伝えるのではなくて、学生がちゃんと意味のある学習を経験できているかどうかを第一義に考える、という「学生目線」なので、授業の進行も、本筋は押さえつつも、講義内容を状況によって柔軟に変えていくアプローチを取っています。この講義の進め方自体も人間中心のアプローチになっていると言えるかもしれません(笑)。井上莉沙さんも授業実施のさまざまな側面で、学生にとっての頼れるお姉さんみたいな感じでバックアップしていただいて、授業を進める上で大変助けていただいています。

思考可視化のためのデジタルツールの活用

山本 本講義では、デジタルツールとして、Adobe XDを使っているそうですが、どのような目的で、どのように使われているのでしょうか。

井上莉沙 頭の中にあるアイデアを可視化するツールとして使っています。もともとはUI/UXデザインと共同作業ができるデザインツールとして開発され、現場で活躍する多くのデザイナーの皆さんに活用いただいてます。授業では学生にデジタル付箋でわーっといろんな考えを出してもらい、アイデア生成の仕方を色々なパターンに当て、それをグループで可視化するプロセスを踏んでいます。実際にクリエイターがデザインする際も、様々なアイデアがある中で、あれこれ組み合わせてレイアウトをしていきますが、それを社会課題解決のアイデアに当てはめてやっています。

山本 私たちが仕事でやっているようなことを学生さんがほぼやっている感じがすごいですね。非常にレベルが高いですね。

井上史郎 学生たちは、頭の中にふわふわ浮かんでいるものを定着させるという機会が普段あまりないと思うんですよね。Adobe XDのヴァーチャルなワークスペースを共同で使いながら、デジタル付箋を使って、「グループエクササイズを通して複雑な事柄を可視化しながら紐解いていくとこんなことが見えてくる」という経験をすることで、学習体験もより強化されると思います。
 少し課題量が多いのが学生にとっては大変だろうなと思いますが、学習体験の密度や、学べることもやっぱり違う。学生の方もこれだけ能動的な関与を要求されると、自ずと積極的に参加するようになるんですよね。みんな目の色を変えてうわーっとやっている感じが、お祭りのような感じでいいなと思います。

井上莉沙 1人でアイデアを考えると自分目線になりますが、アートボード上でみんなが俯瞰できるので、「これって本当にバングラデシュの人が悩んでいることなんだっけ?」と課題に戻しやすいんですよね。5、6人いるグループなので、色々な意見を聞きながらアイデアが洗練されていくプロセスは、私たちが見ていても、とてもおもしろいな、と思います。

見山 先程、山本さんに、レベルが高いですねとおっしゃっていただきましたが、実はバングラデシュの社会課題を起点に考える講義は企業研修や社会人大学院でも実施しています。その中で、学生の提案が劣っているということは全くなく、こういった抽象度が高いテーマに対しては、むしろ学生の方が得意なような気がします。社会人は、フォアキャストで考える癖のようなものがついていますが、「未来にバングラデシュがこうなったらいいいね」というバックキャストで想像する力は、学生の方が得意なのかもしれません。

山本 抽象度が高い課題を、ただ抽象度が高いままに頭の中で、1人で考えてもよくわからない文章とかになって出てきてしまうことがありますよね。しかし、デジタルツールを補足することで、独りよがりな視点になるのではなくて、ちゃんとみんなで1回共有できる場に出して、可視化して、クロスチェックすることで、全体的に独りよがりじゃない、ちゃんとリアリティに沿ったものになっていくというのが、デジタルツールを活かして抽象度が高い課題に取り組む意義なんだ、とお話をお聞きして理解しました。

井上史郎 私が主にヨーロッパで経験してきた大学教育の文脈においては、コロナ禍以前からブレンド型学習の反転授業というものを活用する機会が増えてきていると感じています。反転授業とは、学生が授業外であらかじめ学習内容をオンライン教材等で事前に学び、授業ではそれを踏まえたディスカッションやグループワーク等の、よりアクティブな学習に時間を費やす学習形態のことです。私が以前マーストリヒト大学(オランダ)で携わったプロジェクトも、この反転授業学習で活用するためのデザイン思考に特化したオンラインエデュケーション・リソースの研究開発でした。グループ共同で共有しながら進めていくデザイン思考のプロセスが、ワークスペースをデジタル化してアクセシブルなものにすることと非常に相性がよかったんだと思います。疲労感とか、対面授業でしかなし得ないコミュニケーションの質みたいなところが課題ではありますが、プロジェクトとしてグループワークを行う際、ワークスペースのデジタル化がもたらす恩恵は大きいと感じています。そしてコロナ禍がさらにそれを後押しした、というふうに研究者として観察しています。

オンラインを活用した講義の可能性

山本 今も講義はフルオンラインですか。 

見山 今、大学は9割程度、対面講義になっていて、私は大学の教室で講義を行い、オンラインでオランダから井上史郎先生に入っていただき、バングラデシュともオンラインで繋いでいます。学生全員がPC持参でZoomにも入ってもらう、本当にハイブリッドな形でこの講義を運営しています。

井上莉沙 ディスカッション自体は対面で起こっていますが、同時進行でアイデアがAdobe XDのアートボードにバーチャルで載ってきます。

山本 本当に社会人が最速でプロトタイピングする、実務でプロトタイピングするのと近いですね。プレゼンは最後、どういう感じでされるんですか。

見山 Adobe XDで最終プレゼン資料も作ってもらいます。ツールの特性を生かして、それこそ動画も入れられるし、画像もどんどん入れられるし、パワーポイントの限られたデザイン性じゃなくて、自分たちでデザインできるんですよね。もともとAdobe XDは、アプリなどのプロトタイプを作るために開発されたものですが、ワイヤー機能を用いて、思考の動線を可視化することも可能です。なぜこの結論に至ったのか、という思考の経路を全てたどることができるんですね。プレゼンの際、質問が出た時も、クリックすればすぐその背景や理由に飛ばすことができます。操作性やデザイン性など、あらゆる面ですごく大きな可能性を秘めているツールだと思っています。本講義でのこのツールの使い方は、アドビさんでも、想定されていなかったことかもしれません。

井上史郎 学生にはインタラクティブな要素をプレゼンで活用して欲しいと思います。インタラクティブな要素とか、情報の伝え方がより視聴覚に訴えかけるように強化されれば説得力も増していく。説明のためのアニメーションなどをうまく活用してプレゼンテーションに臨んでもらえればと思います。見山先生も触れられたように、可視化された思考の過程も1つの共有XDドキュメントに残ります。成果物だけじゃなくて、結論に至るまでのストーリーも辿りながら説明ができるので、コミュニケーションの質の面でも結果だけに焦点を当てたプレゼンテーションとは異なる伝え方ができるのではないかと考えています。

井上莉沙 今回のビジネスデザイン特講で見山先生とご一緒するきっかけとなったのが、アドビの「College Creative Jam」という学生向けの学習型デザインコンペです。実在する社会問題に対して、モバイルのソリューションを考えるもので、去年はパタゴニアと一緒に「日本で環境再生型農業のオーガニック農家を増やすにはどうしたらよいか」との課題でイベントを行いました。参加する学生はツールの使い方のみならず、デザインプロセスも学びます。リサーチを学ぶフェーズで史郞先生にレクチャーをお願いし、そこからワイヤーフレームやUXの学習、そのあとデザインの基本を学べるようにカリキュラム化し、オープンな学習の場を提供しました。見山先生の講義が社会課題に対してソリューションを考えるという点で同じ方向性であったこと、またAdobe XDについても、「グループディスカッション自体が何回でも戻ってやり直してというプロトタイプを作る作業と似ている。可視化された思考のプロセスが残ることで新しいアイデアの結合が起こる可能性がある」と評価いただき、井上史郎先生にもご参加のうえで、今回一緒に授業カリキュラムを開発することになりました。 
 当初、私と井上史郎先生は学生に最終的な案をプロトタイプとして提出してもらうことを想定していました。しかし、この講義では、共同編集できるツールの特徴を生かし、アイデア出しや、プレゼン資料の作成、グループディスカッションのツールとして活用しています。

見山 毎年、最終プレゼン資料を作ってもらいますが、振り返ると、通常は最終成果物しか残りません。どのような思考の経路をたどって、この結論に辿り着いたかということは忘れられてしまいます。しかし、デザインツールを使うことで、アートボードに思考の経路は全部残っています。また、最終プレゼン資料もこの、アートボード内に作ってもらうことになるので、思考の動線を振り返ることができると思います。この部分に、付加価値を感じています。
 また、Adobe XDを使えるスキルが身につけられれば、学生は自分たちでアプリやwebのプロトタイプを作れるようになりますし、自分のポートフォリオも作れます。実際に、このツールで自身のポートフォリオを作った学生もいます。今の時代、採用もweb経由ですが、そこに自分のポートフォリオのURLを貼りつけることも可能です。

山本 見山先生がおっしゃっていたように、結局パワポに残ることって、プレゼンの一部でしかなく、そこまでの過程が残るポートフォリオという意味ではすごくいいですね。学生のポートフォリオも拝見しましたが、すごいですね。

井上莉沙 私たちのツールは、美大生とか、それこそクリエイターになりたい人のための製品と思われがちなのですが、使い方さえ学んでしまえば、誰でも簡単に使えるので、より多くの学生に「将来のためのスキルセット」として持っていただきたいです。今回は敢えて、美術と関係ない見山先生の学生たちにテストケースとして使ってもらっていますが、どんどん使いこなしていきますね。

見山 デジタルの威力、デジタルネイティブのデジタルへの適応力は本当にすごいと思います。

山本 学生に敢えて抽象度が高い課題に取り組んでもらう。そのためにデザイン思考を用いて、現地目線から現地の課題に寄り添りそうという共感をベースとして、独りよがりでなく、グループワークで議論をしてもらう。そこに、Adobe XDというデジタルツールを用いて議論を可視化し、社会課題解決の道筋を考えていく、ということがよく理解できました。

井上史郎 この特別講義は学生主体の積極参加型学習なので学生たちの進捗具合が直接講義の進行に影響してくることもあって、限られた講義期間で予定通り進めていくことが簡単ではありません。しかし、見山先生の大事にされることが、学習内容を一方的に伝えるのではなくて、学生がちゃんと意味のある学習を経験できているかどうかを第一義に考える、という「学生目線」なので、授業の進行も、本筋は押さえつつも、講義内容を状況によって柔軟に変えていくアプローチを取っています。この講義の進め方自体も人間中心のアプローチになっていると言えるかもしれません(笑)。井上莉沙さんも授業実施のさまざまな側面で、学生にとっての頼れるお姉さんみたいな感じでバックアップしていただいて、授業を進める上で大変助けていただいています。

教育におけるデジタルの可能性

山本 こういう講義スタイルというのはコロナ禍もあり、デジタルツールの普及もあって、長期的な方向性としては増えていき、大きなポーションを占めていくようなイメージになるのでしょうか。未来への展望を考えたとき、こういう講義が増えると、お聞きしたように学習面でもすごくいい効果がありますよね。

井上史郎 デジタルを活用した教育形態は、先にも触れたように、ヨーロッパではコロナ禍以前から始まっています。例えば私がいたノーザンブリア大学(英国)では、以前から国外からより多くの学生を受け入れるにはどうすべきかが議論されていました。そこでオンラインだけのコースを設置して、イギリス国外の学生に向けても積極的に展開しています。ケンブリッジ大学なども社会人を対象にした完全オンラインの学習コースを設けていますし、MITやスタンフォード大学なども無料で受講できるオンライン教育も展開しています。今回の私の専修大学への関わりも、私が在住しているオランダから日本のキャンパスへ一切訪れることなく行われます。事実、見山先生にも井上莉沙さんにも対面でお会いしたことは一度もありません(笑)。にもかかわらず講義はつつがなく進行する。こういったことを鑑みても、オンラインでのリモート教育はますます加速していくんだろうなと感じます。

井上莉沙 国内の教育市場を見ていても、過疎化が進む中、地方の小学校と都内の小学校では、人数が1クラス5人いるところ、30人いるところと差があります。そこで、個々のワークはデジタルツールでそれぞれの学校でやり、発表会はオンラインで合同開催というハイブリッド形式も、小中高のGIGAスクール構想でパソコンが1人1台配られるなど、環境が整ってきていることもあり進んでいます。

山本 自分が学生のときにこういう授業があったらよかったのに、と正直思いました。講義自体のお話と意義、そして未来への展望と、デジタルツールが、どう下支えしているかというお話を伺えたので、個人的にもすごく興味深かったです。
本日はありがとうございました。

《関連リンク》
アドビ、デザイン思考を取り入れた大学
カリキュラムを専修大学と共同開発
https://bit.ly/3O4sDbY

College Creative Jam 2021
https://adobe.ly/3MzZF29

Adobe XD
https://adobe.ly/3H1stzy

井上史郎(デザイン博士)
Adjective Verb 代表、Adobe XD Instructor、
ザルツブルク応用科学大学 非常勤講師

オランダ在住のデザイナー、デザイン研究者。東京造形大学卒業、武蔵野美術大学修士過程修修了後に渡蘭。デザイン・アカデミー・アイントホーフェン修士過程修了後、日本、イギリス、デンマークでデザイン業務に従事。その後ノーザンブリア大学(英国)にてデザイン研究博士号を取得した後、同大学、マーストリヒト大学(オランダ)にて研究員として、デザイン研究に従事。デザイナーの創造性や認知の視点からデザインプロセスを研究。ヨーロッパの大学と共同研究、論文執筆、講義を行う。昨年よりAdobe XDの外部インストラクターの欧州チームに加入し、欧州と日本の企業や教育機関を対象にXDを活用したワークショップや講義を行う。

見山 謙一郎
専修大学経営学部 特任教授

三井住友銀行本店営業第一部上席部長代理、ap bank理事COO、立教大学大学院ビジネスデザイン研究科特任准教授を経て現職。専修大学では、ビジネスデザイン特講(本座談会の講義)のほか、事業創造、特殊講義(技術経営戦略入門)、ビジネスデザイン基礎演習、ビジネス研究等の講義を担当。専門は、途上国ビジネス研究、技術戦略論。経営学修士(MBA)。最新論文は「新興国市場戦略研究に対する、BOPビジネス研究からの分析視角-新興国市場における「非連続性」の研究とBOPビジネス研究との補完的関係性の考察-」(国際ビジネス研究第14巻第1号,2022年)。環境省 中央環境審議会(循環型社会部会)委員.。

井上 莉沙
アドビ株式会社 デジタルメディア事業統括本部 
営業戦略本部 教育市場戦略部 エデュケーションエバンジェリスト

オレゴン大学、ジャーナリズム学部卒業。米国 カリフォルニアとニューヨークでUI/UXデザイナーとしての経験を経て、2019年にアドビ日本支社に入社。現在は小中高から高等教育機関まで、幅広い教育市場を中心に「アイデアを形にできる力」を持つことの必要性、クリエイティビティによる課題解決の大切さの訴求活動を行う。大学生向けのUXスキルアップイベントの企画や運営、教育現場においてのアドビ製品の利用促進の戦略立てや、市場開拓戦略の企画および実施を担当。

山本 裕介
グーグル合同会社 ブランドマーケティング 統括部長

大手広告代理店で経験を積んだ後、Twitter日本上陸時のマーケティング・広報を担当。現在はグーグルの日本市場でのコーポレートブランディングと、テクノロジーを活用してより良い社会を実現するための各種プロジェクトを担当。