INTERVIEW


日本からはじめる、トップサイクル


奇跡の存在を 結びつける、 りぼんプロジェクト

INTERVIEW

by 幾田 桃子
株式会社SAVANT 代表
デザイナー・社会活動家

─── 本号のテーマは「Simplify」です。幾田様は、SDGsという言葉がない頃から「セールをしない」「在庫消化率99% ゴミを増やさない」「職人を守る」「美を育む」「知的交流の場を創る」の5つの理念を掲げ、持続可能なファッションブランドづくりに取り組まれてきました。私自身、一つひとつの作品から心と身体の美が凝縮されているなと感じています。どのようなお考えの元、ブランドが誕生したのでしょうか。

素朴な疑問の連続が、自分自身を成長させる

幾田 話は幼少期まで遡りますが、私は4歳頃から自分が思ったことや疑問に感じたことを、毎日のように両親に話していました。こたつの上に立ち、手でマイクを持つ真似をして、楽しく踊りながら「なんで?どうして?」と話す陽気な子でしたね。歳を重ねるにつれて、ますます疑問が多くなっていったのですが、小学校に入学した頃は、どうして毎日牛乳を飲まなくてはいけないのか?中学生になれば、どうして前髪を眉の上で切らなくてはいけないのか?テレビを見ていても、どうしてメインのニュースキャスターは年配の男性で、横でサポート役に回るのは若い女性ばかりなのか?など、とにかく身の回りのいろいろな物事に疑問を持っていました。
 両親や学校の先生が私の疑問を解決してくれることもありましたが、解決できない問題もたくさんありました。人種差別もそうです。人間は皆、持っている臓器も同じで、切ったら赤い血が流れます。白や黒の肌は、私にとってはサランラップのようなものなのに、どうして差別が起こるのだろうかと。大人になったら、そういったテーマで学びを深めたいと思っていましたし、考えること自体がとても楽しかったのです。
 なぜ考えたかったというと、社会の不条理に対して、必ず傷ついている人や嫌な思いをしている人がいます。私は今、差別されていないかもしれませんが、他の国に行けば差別をされる側になることもあります。そういった空気を感じると、とても悲しくなります。人間に一番ストレスを与えるのは人間かもしれませんが、一番幸せをもたらすのも人間であると思うのです。
 幼い頃は、自分と異なる意見に反対して怒ったりもしましたが、中学生くらいになると、怒りだけでは駄目で、解決には至らないことに気づきました。人間はこの地球上で脳が一番発達していて、物事を理解できる生き物です。なので、私たちの素晴らしい脳を活用して、どうしたらよりよい社会になるかを考えたいと思いました。

双方をやさしく結ぶ、リボンのような役割

幾田 高校2年生の時にアメリカへ留学したのですが、日常生活の中で黒人差別や自分自身を含めたアジア人差別の問題を肌で感じる経験をしました。国と国同士が仲良くなり、社会問題を解決していく方法を学びたいと考え、南カリフォルニア大学国際関係学部に進学し、副専攻では女性学を選択しました。
 大学の数多くの授業で「この問題を24時間で解決しなさい」といったフリースタイル形式を取り入れていたのですが、不思議なことに、話し合っているうちに同じ志を持つはずの女性学専攻のフェミニスト同士で対立が生まれることがありました。わき毛を剃るか剃らないかで討論が始まるなどです。私からすれば、その人が美しくいられると思うならばどちらも素晴らしい。そこで双方の言い分をより深く聞いていくと、剃るかどうかが重大なのではなく、それぞれが“本当に大切にしているポイント”がありました。そして彼女らの間に入って、いい点を結び、みなの意見をまとめていきました。私が任されていることは、まさに双方を結ぶリボンのような役割だなと感じていました。

ファッションは内面を表現する一つの手段

─── 対立の中でも素晴らしい点を見定め、つなげていったのですね。ファッションには、いつ頃から興味を持ちはじめたのでしょうか。

幾田 大学3年生の頃、「自分がどのような服装をするかで、興味を持ってくれる人種がどのくらい変わるだろうか?」を考えたことがきっかけです。人間は内面を知ってもらうまでに時間がかかりますが、最初に興味を持ってもらうのは外見です。黒人の人にはどのようなファッションであれば興味を持ってもらえるのか。または、メキシコ人はどのような色や形であれば好意的に思うのかの実験をキャンパス内で行いました。これは人種のるつぼであるアメリカでないとできないことかもしれません。すると、本当に面白いほど異なる反応を得られたのです。母からは、幼い頃から内面を磨けと言われてきましたが、外見もなかなか面白いツールです。
 そして、授業を通じて石油産業とファッション産業が環境汚染産業の上位に入ることを学んでいたので、石油よりもファッションであれば私にも何かできるのではないかと考えました。さらに汚染の原因を調べたところ、洋服を作り過ぎていること、そして作る過程で環境汚染をしていることがわかったため、そこから、ゴミとして廃棄されるような古着の素材が、逆に新品よりも魅力的なものに生まれ変われば、新しいスタイルになるのではないかと考えました。
 そこから縫製やデザインを一緒にできる友人に声をかけ、自分たちの洋服づくりが始まりました。古着の綺麗な生地を使おうとすると、使える範囲が小さいので、それを逆手に取 って子ども服を作ったのですが、3着目にしてとてもかわいい洋服ができた自負がありました。ある日、それを透明のガーメントケースに入れてロデオドライブのバーニーズニューヨークで買い物をしていたら、マネジャーの方が「それ、すごくかわいい!」と声を掛けてくれたのです。ニューヨークの本店にその服を見せに行けるかと聞かれ、私はすぐに「行けます!」とお返事しました。

思いを可視化する ファッションの力

─── 事業の展開とスピード感にとても驚きました。そこからバーニーズニューヨークでの販売が始まったのですね。

幾田 しかし、ニューヨークへ商談に行く2日前に9.11事件が起こったのです。テレビでビルが崩壊していく映像を見たあとすぐに担当者に電話をしたのですが、全くつながらず、2〜3日後にやっとお話しできました。その時には「ビジネスを進める時ではないので、今季は新しいブランドを入れないことが決まった」とお返事をいただきました。もちろん、ブランドが取り扱われたら嬉しいなと思っていましたが、とても落ち込んだ声を聞いたら、私も本当に辛い気持ちになってしまい、「取り扱いはしなくていいので、とにかく励ましに行きます!」と伝えてロサンゼルスからニューヨークへ立ちました。
 よくお土産で「アイ・ラブ・ニューヨーク」と描かれたTシャツがありますが、それを自分なりにカスタマイズして着て、到着初日に街中を歩き回り、「アイ・ラブ・ニューヨークだよ!ロスから来たよ!」とみなさんとハグをしました。それを着ていると、働いている人もホームレスの人も寄ってきてくれたのです。その時、ファッションは思いを可視化する、本当に素晴らしいツールだとしみじみ感じましたね。
 翌日、またそのTシャツを着て、バーニーズニューヨークに行きました。アメリカを代表する高級百貨店の本社に、この格好で行く人がいるだろうか?と思う部分はありましたが、私は元気になってもらいたい一心でした。そして、自分たちで作ったカラフルな子ども服も持って行ったところ、すごく元気をもらったと言ってもらえました。そして「あなたたちだけは異例で取り扱いたい。独占販売でいけるか」と聞かれました。無理はしなくていいと言ったのですが「街のみんなに一刻も早く元気になってもらわないといけないし、そういう役目がファッション業界にあると感じた」と彼らが言うので、その場で契約が決まりました。
 その頃に名付けたブランド名が「Le charme de fifi et fafa(ル シャルム ドゥ フィーフィー エ ファーファー)」です。フランス語でフィーフィーとファーファ―が魔法をかけるという意味なのですが「お洋服の力で女性が素敵に変身し、自信を持って社会進出していく魔法をかける」という思いを込めました。当時、できる限り環境に配慮して、関わるみなさんが幸せを感じ、そして美しいものであるといったバランスが成り立つファッションブランドは、アメリカやヨーロッパになかったのです。カルティエやブルガリといった世界五大宝飾ブランドの中の一つであるフランスのVan Cleef&Arpelsにもこのコンセプトに賛同いただき、彼らのジュエリーと共に子ども服のイメージビジュアルを制作していただくこともありました。

─── 海外から高い評価を受けて軌道に乗っていたところ、2003年に拠点を日本に移されましたね。どのような思いがあったのでしょうか。

幾田 今で言うサステイナブルという言葉がない時代に、私のコンセプトはなぜ生まれたのかを考えました。すると、日本の「どんなものにも魂が宿る」という思想からインスピレーションを受けていると感じました。また、狩猟民族と違って私たちは農耕民族で「循環」の思想を持っています。日本が独自に培ってきた考え方と、私の疑問がつながったとき、純粋に日本が好きだと思ったのです。そこから日本を拠点にしたいと考え、南青山にお店をオープンしました。
 2020年には、アパレルだけでなく建築に発展させたMOMOKO CHIJIMATSUという新しいブランドを立ち上げ、翌年、新橋にある堀ビルにお店を移転しました。堀ビルのオーナーからも、アートやデザインを通して社会課題を提起し、解決していくという思いに非常にご共感いただけました。ビルや建築も、新しく建てて壊すという方法ではない形を、これから発展していきたいと考えています。

奇跡の存在を結びつける、りぼんプロジェクト

─── 建築分野でのこれからの試みも、とても楽しみです。移転された時期に立ち上がった「りぼんプロジェクト」は、具体的にはどのような取り組みでしょうか。

幾田 私がずっと継続して取り組んでいることと通じますが、人や企業のそれぞれのいいところや強みをつなげ、新しいビジネスを構築するプロジェクトです。昔に比べ、今は多くの企業がSDGsに注目していますが、SDGsがメインストリームで経済を動かしている状態にはまだなっていないのが現状です。メインの事業があってのSDGsではなく、SDGsを基盤に経済を循環させていくシステムをこれから作っていきたいです。現在、トヨタ自動車や竹中工務店といった様々な業界の皆さんと協力しながら取り組んでいます。
 このプロジェクトを通じて、一人ひとりが大切な存在であるというメッセージを伝えるために「りぼんドレス」をデザインしました。このドレスを紹介する媒体によっては、性被害という社会問題を中心に語られることもあるのですが、性被害の話や命の大切さだけでなく、様々な社会問題は全てつながっていて、一つの問題だけを解決することはとても難しいと感じています。性犯罪者たちを治療するアジア最大のクリニックと連携して問題解決に取り組んでいるのですが、例えば痴漢は、決算期に事件が一番増える傾向があります。その理由を考えていくと、ストレスなのです。自分よりも弱い立場の人にストレスを向けてしまうということです。

─── 決算期というと、どの企業や組織も、一つ残らず関わることですね。

幾田 そうです。ですから、皆さんがそれぞれ興味を持つことから活動を始めてもいいですし、企業であれば、自分たちができることから始めてもいいです。例えば、トヨタ自動車であれば素晴らしい車を作る技術があります。その高い技術と私にできることをつなぎ合わせて「りぼん号」というトレーラーを共同制作しました。それは、「トップサイクル」を生み出すことを意味します。これは私がつくった言葉なのですが、トップサイクルというのは、素晴らしい人間の脳で生み出された技術とデザインを活用し、ゴミをゴミとしてではなく、普通を超えて特別なもの=トップなものを創造することです。
 りぼんプロジェクトでコラボレーションするときには、最初に相手が何ができるかをお聞きします。「それはとても素晴らしいですね!」と言うと、みなさん「これほど褒められることはありませんでした」と驚かれますね。すごく褒めてもらえるから、それがやる気につながると言っていただけることは、私自身もとても嬉しいです。
 子どもも大人も、奇跡の存在です。命はつながっていて、誰か一人でも子どもを作る前に死んでしまっていたら、私はいませんし、これを読んでくださっている読者のみなさんもいません。とにかく一人ひとりの素晴らしいところを私は見つけ、リボンのようにつなげて経済を循環させていく。それぞれの価値を上げていく試みが、日本でできると信じています。

右も左も、男も女も関係なく、より良い社会を築く

幾田 今春には、堀ビルの運営をされるグッドルーム株式会社と市川房枝記念会との38(サンハチ)プロジェクトが生まれました。市川房枝さんは政治家で、今年で生誕130年となる方ですが、女性の参政権を獲得するために多大なる功績を挙げられました。どの党にも所属せず、選挙では「出たい人より出したい人を」をスローガンに掲げられて選挙活動もしなかった方ですが、1980年の選挙では87歳の高齢にもかかわらずトップ当選を果たしています。市川房枝記念会だと、違う党の方々が集まり仲良くできるのです。

─── 右も左もないのですね。

幾田 そうですね。私は昔から市川房枝さんが好きで、70〜80代の方にとっては非常に有名ですが、女性でも20〜40代の方は彼女のことを知らない時代になってきています。市川房枝記念会が出版する『女性展望』は、現在は書店での取り扱いがないため、市川さん自身の活動や、今の女性の自立につながっていることをもっと発信したいという思いにグッドルーム社と市川房枝記念会の双方からご共感いただきました。そういったご縁から、グッドルーム社の運営する全てのシェアオフィスに、廃材を活用して制作した38ブックスタンドを置き、そこから『女性展望』が手に取れたり、QRコードから彼女の活動を知ることができる仕組みをつくりました。「38」は、3月8日の国際女性デーに由来し、女性参政権、そして女性の能力をお祝いする日でもあります。男性にも女性にも、皆さんにそれを知ってもらい、社会について考える機会を創出できれば嬉しいです。
 市川さんがいたからこそ、昔は当たり前ではなかったことが、今の私たちの当たり前になっています。市川さんは、結婚をせず、子どもを持たれない方だったのですが、日本国民が皆自分の子どもだと思って活動をされてきました。彼女の良いところは、女性だけでなく、男性も女性も素晴らしい人たちが一緒になってこの世の中をより良くしていくことを大切にされていたことです。そうすることで、誰にとっても幸せな社会を築くことができます。

─── 一人ひとりが奇跡の存在であり、そしてそれぞれの素晴らしい点を結びつけることで、新しい価値を社会に生み出すことができるのだと勇気をいただきました。りぼんプロジェクトの輪を、日本から世界へ広げて行きたいですね。素晴らしいお話を、本当にありがとうございました。

(Interviewer:蛭子 彩華 本誌編集委員)

幾田 桃子(いくた ももこ)
株式会社SAVANT 代表、デザイナー・社会活動家

1976年埼玉県生まれ。南カリフォルニア大学国際関係学部卒業。2001年米国で子ども服のブランドを立ち上げ、2003年東京・南青山に路面店「Le charme de fifi et fafa(ル シャルム ドゥ フィーフィー エ ファーファー)」をオープン。2006年ファッション、アート、建築を中心にデザインを行う会社サヴァンを設立。