INTERVIEW


和の心で、 拓き続ける 菓子の道

INTERVIEW

by 久保田 陽彦
株式会社豊島屋 代表取締役社長
全国銘産菓子工業協同組合 理事長

─── 本号のテーマは「Simplify」です。まさに鳩サブレーは、Simplifyされた後の一つの結晶のようなブランドであると感じます。120年以上の歴史を持つ豊島屋様ですが、どのような経緯で鳩サブレーが生まれたのでしょうか。

鎌倉の地で誕生した鳩サブレー

久保田 1894年(明治27年)に私の曽祖父である初代が鎌倉の地で和菓子屋を創業したのですが、始めて間もない頃、異人の方から一枚の焼き菓子をいただきました。それを食べて、こういったお菓子を自分でも作ってみたい!と思い、いろいろ試したそうなのですが、再現しようにも今と違って素材や作り方を調べることもできない。試行錯誤するうちに、バターを使っていることがわかったのですが、当時、なかなかバターは手に入りませんでした。鎌倉の隣が横浜なので、港町からなんとかバターを手に入れ、ようやく食べた味に近いものが完成しました。
 次に形をどうしようかと悩んだ時、初代は鶴岡八幡宮を崇敬しておりましたので、八幡様にちなんだお菓子にしたいと思ったようです。境内にたくさんの鳩がいること、そして社殿に「八幡宮」と書いてある掲額の「八」の字が2羽の鳩になっている様子を見て、形を「鳩」に決めました。明治30年頃にできたこの形は、現在もほぼ変わっていません。デザイナーもいない中、はじめから味も形もオリジナルで作りあげた初代は凄いです。それは私にとっても豊島屋にとっても凄くありがたい話です。
 ただ、明治時代にそんな風変わりなお菓子ができてもすぐに売れたわけではありません。「バタ臭い」という言葉がありますが、当時の方々はそもそもバターを食べたことないですし、ましてや鳩サブレーのようなお菓子はあまりにも馴染みがないものでした。大正に入り、鎌倉在住の小児科の先生が「離乳期の子どもに、これを食べさせるといい」と一言おっしゃっていただいたことがあったのですが、それから少しずつ口コミで広まっていきました。

─── マーケットがない中で商品が誕生し、明治そして大正時代をも超えて守られてきたのですね。

久保田 そもそも我々は和菓子屋で、鳩サブレーも和菓子だと思って作っています。洋菓子が日本で親しまれてから100年余りだと思いますが、和菓子は500年以上の長い歴史があります。私は和の心でこれからも作っていきたいですし、鳩サブレーはまだまだ美味しくできると思っています。どうやったらもっといい鳩サブレーができるかを日々探し続けていますね。

和の心で受け継ぐ 技術と熱意

─── 久保田様にとって、「和の心」とはどのようなものでしょうか。

久保田 鳩サブレーが和菓子であるということは、日本人にとって飽きない味だと思うのです。すごく美味しいフランス料理だと毎日は食べられないけれど、和食だったら毎日食べられるように、鳩サブレーは凄いパンチはないけれど、普通に食べられるし落ち着ける。家庭の冷蔵庫の中にあるような素材でできるし、配合も当初から一切変えていません。他の味も作らないし、大きさも変えていません。よく「大きいから小さいものを作って」と言われますが、あの大きさでなければ、あの焼き方はできません。正直、効率最優先で考えれば、丸や四角い形にしてしまったほうがよっぽど楽ですね。
 守るべきものがあるからこそ、それを守り抜くための知恵や努力が必要になります。私は十数年工場にいたのですが、ある時、袋詰めの工程で尻尾の下のスペースを1か所留めれば、袋の中で鳩サブレーが動かなくなって割れにくくなるのでは?と考え、機械メーカーの方と相談して改良しました。それもある意味、より美味しく食べていただく一つの方法です。また、技術の向上だけでなく、ごく当たり前なことですが、気持ちを込めて作る姿勢もとても大切ですね。
 例えば、お母さんが子どもに気持ちを込めて作ったクッキーと、手前どもの鳩サブレーはどちらが美味しいかといったら、絶対前者の方が美味しいと思います。10枚食べてもそちらの方が美味しい。何で美味しいかというと、「あの子に食べてもらいたい」と願う気持ちが100パーセント以上入っているわけですから、やはりそれには敵いません。だけど、100枚になったらいい勝負ができると思うんです。1,000枚だったら勝つ自信があります。それがプロとアマチュアの違いだと思います。私は常に「お客さまの笑顔を想像して作りなさい」と職人に言っていますね。
 上生菓子を作る時、毎月100個程ある中から6個を選んで店頭に出すのですが、季節や色のバランスのことを考えながら職人と共に仕上げています。和菓子屋には店主と職人がいるので、私たちは絶えず言葉のキャッチボールをするのです。スーパー選手が一人いるのではなく、店主と職人の掛け合わせでその店の味が出る。私も含めて店主が裸の王様になってはいけないですからね。「それ駄目だよ」って言ってくれるいろいろな声をきちんと聞いて、対話をしていかないといけませんね。


和菓子業界を盛り上げるための全国銘菓

─── 豊島屋様の社内だけに留まらず、理事長を務められる全国銘産菓子工業協同組合様(以下、全国銘菓)のお取り組みも、まさに和菓子業界の企業と企業の掛け合わせですね。こちらについても背景をお聞かせいただけますか。

久保田 全国銘菓は1950年に設立されたのですが、戦後いろいろなものが配給になった時、どの和菓子屋も砂糖や小豆などの材料が手に入らなくなりました。政府に働きかけるために組合を作り、加盟店には特別に材料が配られるようになりました。現在においても全国銘菓が凄いなと感じるのは、やはり長い歴史ある一国一城の主たちの集いなので、諸先輩方とお話をさせていただくと本当に勉強になりますね。私自身、自分の喉につっかかって言語化できていなかったものが、みなさんとお話しすることで、すっと落ちることがあります。本当に生き様がかっこいいなと思う人がたくさんいらっしゃる。逆に私なんかも若い人たちに、少しでも何か自分のいいところがあるなら、そこから何かを感じててもらいたいなと思います。前理事長の村岡安廣さん(村岡総本舗・佐賀県)が、よく「ここは全銘大学だよ」とおっしゃっていました。みんなが学校に来て、店主が店主から教わるのだと。全くその通りだと思いますね。
 全国銘菓の加盟店のそれぞれの出店範囲は、発祥地とその周辺が多いです。手前どもは神奈川と東京だけですし、昔の御家人制のように自分の領土を持って守っています。全国展開してらっしゃるのは2社くらいでしょうか。だから全国銘菓のみなさんとは、本当に仲良しなんですよ。

─── 消費者目線で見ると、競合他社同士のようなイメージを持っていたのですが、企業間の絆があるのですね。

久保田 全国銘菓の催事(全銘展)では他の店の人手が足りなくなると手伝ったり、みなさん平気でやっています。自分のところだけが良ければいいのではなくて、やはり和菓子業界を盛り上げるために一緒に催事を企画していますから。
 家族研修旅行会という1966年から続く年に一度のイベントがあるのですが、毎回、互いにとって面白い学びがあります。毎年いろいろな地域に行くのですが、その土地にある会員(菓子屋)に幹事をしていただき、その土地の風土や文化について教えていただくのですが、そうすると、普段見えていないものが見えたりすることがあるのです。地元の人だけでは気づかないようなものを教えていただくなど。逆に、こちらに来ていただくときにはおもてなしをする側となり、地域をご案内します。それぞれがその土地を体感して自分の場所に持ち帰り、学んだことを企業活動に活かすのです。
 60周年記念の時には、フランスへの研修旅行を企画しました。パリ、ストラスブール、コルマールなどの菓子屋やお菓子学校などをたくさん巡りました。みんなとても真面目に研修をするのですが、糖尿病になるのではないかと心配になるくらい一生懸命食べて回りましたね。それが本当に面白いんですよ。

─── 国内で互いに学び合うだけではなくて、海外でも共に学ぶのですね。そういった長年に渡って築かれた信頼関係があった上で「御菓印」の新たなお取り組みが今年2月から始まったのですね。どのような思いがあったのでしょうか。

久保田 世の中を見渡すと、御朱印だけでなく、御城印や御船印など多様なものが親しまれていることを知り、我々和菓子業界も何かできるのではないかと考えました。全国銘菓では、歴史ある菓子屋とのつながりがたくさんあるので、それぞれの本店だけで手に入れることができるオリジナルの御菓印があれば、とても面白いことができるのではないかと。やはり本店の雰囲気は格別だなと私自身が感じていますし、「なぜ、このお菓子がこの店で生まれたのか」といった歴史や風土を含めて和菓子を楽しんでもらえたらと考えました。旅行に行った時、ちょっと本店に寄ってみようかなと思ってくれるきっかけになればとても嬉しいですしね。
 御菓印帳の表紙にあるお菓子の絵は最初にこの企画に参加していただいたメンバーのお菓子なんですが、今では倍以上に増えています。最初はいろいろ大変なことがありましたがそれらもすべて楽しいですね。私の信条は「楽しくなければ仕事じゃない」ですから。アイディアが生まれてから、約半年後に御菓印ができ上がりました。

─── 数多くの企業が参加する中でのスピード感も、信頼関係の厚さを感じます。御菓印帳内には「お菓子は平和と文化の象徴です」というお言葉があり、改めてお菓子は平和なときでないと安心して味わえないものだなと、私自身大切なことに気付かされました。

お土産話が生まれるためのツールとしてのお菓子

久保田 平和というのは、我々は当たり前のようにあるものだと思って生活していますが、世界ではそうでなくなってきている所がたくさんある。今、そういった状況を考えた上で、自分たちの暮らしに感謝する気持ちを忘れずに持ち続けたいですね。それは親や子どもに対してもそうだし、社会に対してもそうですね。身の回りのいろいろなものに感謝するということを自覚し、そして思いを共有できることが大切だなと思いますし、そういったことに気づくためのツールの一つがお菓子であってくれたらいいなと願っています。
 よく「豊島屋さんは鎌倉の観光名所」と言っていただくのですが、お土産である以上に、お土産話ができるきっかけになりたいのです。「今日、鎌倉に行ったらこんな面白いものがあったんだよ。どう思う? じゃあ、今度一緒に行ってみよう!」というように、会話が生まれるツールになれるのではないかと思っています。平和呆けしてしまっているところがありますが、今に感謝して、今の生活を守っていきたいです。そういった一つのお役に立つことができれば、我々は本当に嬉しいですね。

─── 御菓印は、まさに日本全国でそういった会話が広がる一つのツールになりますね。これからが益々楽しみです。最後に、豊島屋様の久保田社長として、また全国銘菓の理事長として、今後の展望をお聞かせいただけますか。

久保田 みなさんの食卓に和菓子があり、箱を開けて「今日はどれを食べる?」と会話が生まれるきっかけとして、我々がお役に立てればありがたいなと思います。本当に和菓子って毎日食べても飽きないですから。全国銘菓の理事長として言えば、日本全国に私が全銘大学で学んだような面白い歴史や文化をより多くの方々に伝え広めていきたいです。例えば、シルクロードがあるように、シュガーロードもあるんですよ。お砂糖はどこでどうやって作られたのか。日本にはいつ入ってきたのか。それが後々お菓子の道となり、今みなさんの身の回りにある多種多様なお菓子につながっている。
 お菓子を食べて、あまり怒る人はいませんよね。作り手は笑顔になってほしい思いで作っていますからね。そういう笑顔が広まるお手伝いができたらとても嬉しいですね。

─── 社内に限らず、企業の枠を超えた心あたたまる貴重なお話を、本当にありがとうございました。私自身、人生を通じて御菓印を楽しみ、感謝の気持ちを忘れずに和菓子を味わいたいと思います。

(Interviewer:蛭子 彩華 本誌編集委員)

久保田 陽彦(くぼた はるひこ)
株式会社豊島屋 代表取締役社長
全国銘産菓子工業協同組合 理事長

1983年、慶應義塾大学商学部卒業後、都市銀行に就職。1987年に豊島屋へ入社、現場経験を積んだのち、工場長、本店長、取締役などを経て、2008年に代表取締役社長就任。2013年には、鎌倉商工会議所会頭就任、現在に至る。また、2018年より、全国銘産菓子工業協同組合理事長。