by 田中 美央、斉藤 翔
合同会社一一(かずいち)
INTERVIEW
───「お酒を飲まない人にもウコンを身近に感じてもらえるノンアルコールドリンク CRAFT POTION/クラフトポーション KAZUICHI」。“ウコン×ノンアルコールドリンク”の切り口がとても新鮮で、お酒を飲む人と飲まない人の両者に向けたメッセージ性あるラベルデザインがとても印象に残りました。新潟県三条市でウコン農家を受け継ぎ、栽培から流通までの6次産業にお二人で取り組まれているということで、ブランド立ち上げの背景をお聞かせください。
新潟県三条市とウコンとの出会い
〜半農半Xという生き方〜
田中 私はもともと新潟県新潟市の出身で、新卒で地元の旅行会社に就職しました。社会人5年目の時、外の世界を見るために世界一周の旅に出たのですが、地元に帰ってきた後、自分の生まれ育った土地のことをまったく知らないことに気づかされました。自分の言葉で新潟を語れるようになりたいと思い、仕事を探していたところ、三条市の地域おこし協力隊の募集を見つけました。「半農半X※」という、半分農業と半分自分の得意なことに取り組むという内容で、農業は未経験だったのですが、惹かれるがまま2016年に三条市へ移住しました。
最初に任された仕事が、地元の農産物を紹介するパンフレット制作でした。道の駅の方から様々な農家さんを紹介してもらう中で、ウコン農家を約30年間営まれる山崎一一(かずいち)さんに出会いました。取材に伺った時、既に90歳近くだったのですが、足が悪いのに一人で重労働をされているのを見て、取材の後もお手伝いに行くようになったのです。私は、一一さんに出会うまでウコンの存在を全く知らなかったので「これはなんだろう?なぜこの人はここで育てているのだろう?」という疑問がたくさん湧きました。逆に一一さんは「なぜこんなところに若者が来て手伝ってくれるのだろう?」といった感じで、お茶を飲みながら互いに質問をし合うなどして、親交が深まっていきました。
そういった日常的な会話の中で「俺は来年、もうやめるんだ。お前、育ててみるか?」とふいに聞かれたので、「じゃあ、やってみたい」とその場の自然な流れでウコン農家になることが決まりました。
───とても軽やかな話の展開ですが、今まで見たこともなかったウコンの生産者になるのは、大きな決断だったと思います。何が田中さんを後押ししたのでしょうか。
田中 理由は2つあると感じています。まず1つ目は、一一さんが心から信じてウコンづくりをしている姿を間近で見て、素直にかっこいいなと思ったからです。
一一さんがウコン農家を始めたきっかけは、「自分が健康でいることが家族の幸せになる」という信念からでした。ご自身が不慮の事故に遭ってからずっと体の調子が悪く、多くの健康食品を試したそうなのですが、たまたま沖縄で食べたウコンにほれ込み、地元での栽培を決意されました。通常、温暖な地域に育つウコンを雪国の新潟で栽培することは苦労もあったようですが、自分の思いをしっかりと形にされました。ウコンづくりを通じて、私も一一さんのように自分や周囲の人を大切にできるような人になりたいと思うようになりました。
もう1つの理由は、「半農半X」という生き方を実践したいという思いです。半分ウコン農家をやりながら、半分自分の好きな仕事をしていく生き方が本当に可能なのかを自分の身で体現してみたかったのです。あまり小難しく考え込まずに、まずは一歩踏み出してみることが大切だなと感じています。
※:半農半X 21世紀の生き方、暮らし方として、塩見直紀氏が「半農半X」を提唱。農的暮らしを実践しながら、大好きなことを追求すること。
───一一さんの思いが田中さんに伝播したのですね。斉藤さんの新潟、そしてウコンとの出会いについてもお聞かせいただけますか。
斉藤 私はもともと群馬県でグラフィックデザイナーをしていました。フリーランスだったので、花屋でアルバイトをしたり、知り合いのイベントを手伝ったりもする中で、2018年の夏に、青森県田子町のホップ農家さんのお手伝いに行くことになりました。泊まり込みの3日間、大手ビールメーカーの契約農家さんのところではじめて農業に触れました。その方は、協働契約農家専用のTシャツを四六時中着ていて、そのビールメーカーへの愛を熱く語ってくれた姿がとても印象に残りました。それまで農業は、表に出てこない裏方の仕事だと思っていたのですが、ホップ農家さんがいないとそもそもビールはできあがらない。それがTシャツに描かれた“協働”という言葉に表されているなと強く感じました。ちょうどその頃、自分はグラフィック表現だけでいいのだろうかと悩んでいたので、ホップ農家さんとの出会いで、ものが生まれる段階からものづくりに携わりたいという気持ちが芽生えました。
そんな時、友人が田中さんを紹介してくれたことがきっかけで、三条市でのウコンづくり、そして一一さんの存在を知りました。実際に訪問してみると、山が近くて、自然が多い。こういうところで自分も農業をやってみたい気持ちが高まり、2019年の夏に三条市の地域おこし協力隊に応募して移住しました。
自分たちでウコンを校庭で育てる
───その後、田中さんと一一さんと3人でのウコンづくりがはじまったのですね。
斉藤 私が協力隊に入った頃には田中さんは協力隊を辞め、同じ地域のゲストハウスで働きはじめていました。半農半Xを継続して実施するため、協力隊の拠点である廃校の校庭を活用し、ウコン栽培をすることにしたのです。都心の人がイメージするようなザ・校庭!ではなく、隣の民家との境がとても曖昧な、そもそも畑のようなのどかな土地です。
一一さんのお人柄がとても好きだし、僕にとってもウコンが未知すぎて、学べば学ぶほど本当に夢中になっていきました。そして、やるからにはしっかりと持続可能な形にしたいという思いも強くなり、協力隊を1年で辞めて、2人で合同会社一一(かずいち)を設立しました。
───ちょうどコロナ禍に突入するところでの創業だったのですね。当時、どのような心境だったのでしょうか。
斉藤 自分たちのやっていることを深掘りする、とても貴重な時間となりました。外に広げていくのではなく、内に向かってウコンの研究に励みましたね。ウコンは生での食用が一般的ではないのですが、乾燥して粉にするとターメリックというスパイスになることを学び、加工しておいしさや香りを引き出す方法を探しました。農業もものづくりも、すべて初めてだらけでしたが、可能性を信じて半年ほどかけて商品開発に取り組みました。
自分たちの商品開発をする
田中 一一さんに教えていただきながら、ウコンを乾燥しチップやパウダーにできるようになったのですが、健康食品以外でどう開発したらいいのかが初めは思い浮かびませんでした。
斉藤 ウコンに含まれるクルクミンが肝臓に効くことから、「お酒をたくさん飲むためのウコン」というアプローチ方法が私たちにはしっくり来ず、他社と同じことをやっても仕方がないなと感じていました。2人ともお酒を飲むのは好きなのですが「お酒を飲まない人にもウコンを飲んでほしい」という思いから、ノンアルコール飲料というアイディアが生まれました。
「毎日飲んでも健康にいい。お酒を飲む人、飲まない人、誰にとっても体にいいものだから、まるでRPGゲームに出てくる魔法薬(英:potion、ポーション)みたいだね!」という発想から「クラフトポーション」という商品名にしました。その後、県内の薬草会社との出会いにも恵まれ、生ウコン33%と数十種類の野草を発酵させ、無添加で香り高くすっきりと仕上げたノンアルコールクラフトポーションが2020年に完成しました。ノンアルコールの専門店や自然食品のお店で取り扱っていただくなどして、販路を開拓していきました。
そして今、自分たちのものづくりを再度見直して、新たな商品開発に取り組んでいます。お客さんにクラフトポーションを喜んでいただけている事実はとても嬉しかったのですが、はじめての商品づくりを振り返ったときに“苺農家が、いきなりフルーツミックスジュースを作ってしまった”ような違和感を覚えたのです。もっとウコンに100%フォーカスして、固有の香りや苦味を、より良い形で味わってもらいたいという気持ちが強くなりました。
───見つめなおした結果、「もっとウコンだ!」という思いに至ったのですね。
田中 そうですね。ウコンは葉も大きくて、2メートルほどにまで育つこともあります。花や葉も香りが高いため、実の部分だけでなく全て活用していきたいなと感じています。そして、秋ウコンと春ウコンの2種類を栽培する過程で、新潟は春ウコンの方が育ちやすいことにも気がつきました。秋ウコンはカレーに使用するターメリックとなり、春ウコンは苦みが強く、昔から生薬などに使われていたのですが、これからは新潟の気候にあった春ウコンの香りをより活かした商品づくりにもチャレンジしたいと考えています。
自分たちが追い求めるものづくり
───チャレンジがあるからこそ、自分たちが追い求めるものづくりの理想の形が徐々に見えてくるのだろうなと感じました。これからのお二人の展望を、お聞かせいただけますか。
斉藤 大きく分けて2つあります。1つ目は、一一さんがやってきたウコン農業をしっかりと未来に残していくこと。2つ目は、人生が豊かになるものづくりを追求することです。
ウコンは生命力がとても強く、原産国のインドでは、雑草のように勝手に繁殖するくらい強いんです。そんなウコンを学べば学ぶほど、私たち自身が育ててもらっている気持ちになります。ウコンの魅力、それはもちろん健康という側面もあるし、お酒や香辛料としてのスパイス、そして本来持っている香りなど、たくさんの価値を追求することが結果的に農家としても会社としても財産になっていく。今、その可能性が見えてきたなと感じているので、お客さん、そして自分たちを含めたみんなが気持ちよく味わえるものづくりをしたいと思っています。
田中 やはり、まずは一一さんのウコンの種芋を絶やさずにつないでいきたいです。私たち以外にもウコンを育てたいという人が増えないと後々絶えてしまうので、ウコンを育ててみたいと思ってもらえる環境を作っていくことも大切だと考えています。そのためには、まずは自分達が誇りをもって商品をつくっていくこと。そしてウコンの魅力を伝えることが、その環境をつくる土台になると感じています。
自分たちの足元を見つめ直す
───お二方のお話から、ウコンの株が増えていくように、人も志や信念をわけあって、そして受け継いで成長していくのだなと感じました。最後に、移住を決めた時の自分に対して、今ならどんな言葉をかけてあげたいですか。伝えたいメッセージがあればぜひ教えてください。
斉藤 「やっていく中で学べばいいんだよ」ということですね。私は農業や経営、そしてマーケティングを専門に勉強してきたわけではないし、デザインも建築しかやってきていません。専門性が高くて今の仕事をやっているというよりは、やってみたい・学びたい気持ちに正直になって行動していたら、教えてくれる人や土地に恵まれました。今は学ぶ気持ちさえあれば、本もあるし人や組織もある。オン・ザ・ジョブ・トレーニングの様に、実践の中で学んでいくと、できないことはたぶんないだろうし、可能性に満ち溢れていて楽しいなと感じています。
はじめはもちろん大変だし、お金や時間もかかるけど、まだ学んでいないからできないだけで、初めからできないと決めつけてやらないのはもったいない。だから、興味があることをやってみたほうがいいよと伝えたいですね。そして「ゆっくり、ていねいに、せいかくに」という言葉も大切にしています。これは、小さい頃習っていたピアノの先生に言われた言葉なのですが、今にも通じるなと感じます。売れそうだから作るのではなく、しっかりといい農業をして、いいものづくりに励みたいです。
田中 私は、言葉が汚くて大変申し訳ないのですが「自分のケツは自分で拭く」精神が最近とても大切だなと思っています。いろいろな仕事をやってきて、興味があることに手を出しすぎて、何の役に立ったのだろう?と思うことはたくさんありましたが、最終的に全てつながっているし、必要に応じて軌道修正をしながら、自分で伏線を回収してきました。それは何歳になっても関係なく、いつでもその覚悟でいれば何をしても大丈夫!と声をかけてあげたいですね。
そして一一さんが大切にしていた「人生は、長く、楽しく。」という言葉を胸に、これからもウコンづくりに励んでいきたいです。スピードを重視する時代だとも思いますが、自分、そして家族や周囲の健康あっての幸せ。それを実現するためのものづくりを心がけたいです。
───とても素敵なメッセージをありがとうございます。自分が信じた人の思いを受け継ぎ、そして自分たちの気持ちに向き合い、軌道修正しながらも歩み続けることが未来につながるのだなと感じました。本日は本当にありがとうございました。
(Interviewer:蛭子 彩華 本誌編集委員)
田中 美央(たなか みお)
1989年、新潟県新潟市生まれ。
専門学校卒業後、旅行会社へ入社。その後、 国際NGO PEACE BOATで世界一周の旅へ。帰国後、広告会社で働くも、もっと地域に入り込んだ仕事をしてみたいと思い、2016年に三条市(下田)の地域おこし協力隊として着任。そこで雪国でウコンを栽培する山崎一一(かずいち)さんに出会い、2021年に合同会社一一を設立しウコン栽培と商品企画・販売をおこなっている。
斉藤 翔(さいとう しょう)
1992年、青森県むつ市生まれ。
ウコンを育ててウコンの商品をつくる人。建築設計、デザイナー、生花店、地域おこし協力隊を経てウコン農家になる。新潟県雪国でのウコン栽培法を確立した山崎一一(かずいち)さんの栽培法と種芋を継ぎ、ウコンの会社「合同会社一一(かずいち)」を設立。前橋工科大学 総合デザイン工学科卒業。