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株式会社センシングアジア 代表取締役
松風 里栄子氏
「財務と非財務をいかに統合して伝えるか」。企業の情報開示において、社会から要請が増えているトピックである。
企業の財務情報だけでなく、サステイナビリティや社会課題への対応を含む非財務面、つまり戦略面での重点課題を特定して開示する。そのうえで非財務面での取り組みとその結果指標としての財務をつなぐ、一貫性のあるストーリー構築が求められている。
本特集のテーマでもある、地球課題、社会課題という静脈起点で経済価値創出を意図する考え方を、本稿では企業単位にブレイクダウンし、財務と非財務の統合というアプローチから考えてみたい。フラクタル(細部で表現されることが、全体として表現されることと同一であること)な現象として、企業単位としての「部分」から社会システムとしての「全体」を形成する、そんな発展可能性を描きたいと思う。
その一つの企業事例が、今回紹介する農産物総合商社Olam社のコーポレートベンチャー、JIVAである。JIVAはOlamのコーポレートベンチャープロジェクトとして、シンガポール経済開発庁のサポートも受けながらインキュベーションを進め、数年前にインドネシアでの事業展開を始めた。当時、筆者もシンガポールに在住しており、筆者がCEOをしていた会社も同時期にコーポレートベンチャーへの取り組みを行っていた関係で、先にインキュベーションをスタートしていたOlamのプロジェクトは興味深くウォッチしていた。
《Olam Group Limited》
Olamは、シンガポールに本社を置き、世界60か国でアグリビジネスを展開する農産物総合商社である。主要な取扱品目は、ナッツ類、豆類、穀物、砂糖、綿花等。持続可能な農業の推進を基本戦略に掲げ、20か国、74万の小規模農家に対して営農指導等の支援を行っている。2015年からは、三菱商事がOlam社に出資し経営に参画している。
その理由は、JIVAの取り組みそのものが、静脈側の課題に取り組み、社会資本や自然資本を増大させることにある。この結果、動脈側、つまりOlamの経済価値向上に還流していく構図がある。
JIVAのメインサービスは、インドネシアの零細農家を支援するモバイルアプリを通じた支援で、主にトウモロコシ農家をターゲットに参入した。いくつかあるサービスの中でも特徴的なものがCrop Doctorという機能。これは作物の収量を高めることを意図し、作物に不具合があると見受けられる場合はその写真をアップロードすれば、何の病気か、あるいはどのような農薬が影響しているのかを診断し、対策を教えてくれるというものである。ローンチ初期の段階では、JIVAのカスタマーエージェントが診断などの対応をしていたが、今ではAIによる自動診断と手当方法のアドバイスが可能となっている。多くの零細農家が、十分な知識が無い、あるいは新しい知識のインプットが足りないまま農業を営んでいるという。このサービスは、「畑で農作物の写真を撮る」ことで病害対応などのアドバイスを得られるというシンプルさが、農家のニーズにフィットした。
その他にもCrop Planという、種まき時に情報をインプットするとその後の農作業スケジュールをカレンダー上で示してくれるサービス、15日先の天気予報に基づいた畑での活動プランの提示といった、日々のオペレーションに関わる機能が充実している。他にもMarket Viewという、農産物の価格動向を5,000ポイントにおよぶ地点で集め、自分の作物の価格をデイリーに追えるもの、Farmers Voiceという、農家の横連携を支援する機能などを備えている。
JIVAのCEOであるRamanarayanan Mahadevan氏に、産業あるいは社会のエコシステムにおけるJIVAの意義を聞いたところ、以下のような答えが返ってきた。
「5億人以上の零細農家が世界の食料の70%を生産しており、そのうち3億人以上がアジアに住んでいますが、皮肉なことに、零細農家は世界の飢餓人口の60%を占めているのです。その主な原因は、サプライチェーンにおける経済的不平等です。
実は零細農家のおよそ90%、実に4億5,000万人が、1日2ドル以下の収入で生活しているのです。不十分な収入のため、農家の人たちは農業という職業の持続可能性に疑問を持ち、より良い教育とキャリアの機会を求めて子どもたちを都市に送り出すことを選ぶようになっています。根本的に、農家の所得が低いままであるため、農業を始める若者がますます減っており、その結果、食糧システムに大きな圧力がかかり、食糧安全保障への懸念が高まっているのです。
低所得の主な原因は、高品質な種や肥料、農薬等の農資材へのアクセスが制限されていること、農業サイクルの重要な局面で資本が不足していること、販売時の情報が非対称であること、そして不適切な農業慣行です。
JIVAの使命は、高品質な農資材への容易なアクセスを提供するだけでなく、農資材購入に関わる与信も提供し、さらに収穫物を公正かつ透明な価格で買い取り、業界内でもベストな農学アドバイザリー・サービスを無料で提供することによって、5億の零細農家の生活を改善することです。
生計を向上させることで、私たちは次世代を担う人々を鼓舞することができると考えています。」
JIVAは立ち上げからわずか2年余りで、インドネシアの10万人以上の農民や農村起業家を支援してきた。彼らはすでに最大25%の収入増を報告しており、最大49%の収量増を報告しているそうだ。
経済的な利益だけでなく、JIVAは農業コミュニティがテクノロジーを導入して作業方法を改善するのを支援し、農学、経営管理、倫理的慣行に関する研修まで提供しているという。また、農業サプライチェーンの透明性を高め、JIVAを利用する農家だけでなく、より広範な農業コミュニティが自分たちの製品やサービスの真の価値を理解できるよう支援している。このサプライチェーンの透明性というのは、特に新興国においては重要な課題である。農業だけではない。作物や生産物、製品が流通する過程で、何層にもわたる中間流通が入ってマージンをとり、生産物や製品そのものの価値が見えにくくなっているからである。
現在、JIVAが拡大している主な分野は4つある。
1つが新しい作物。当初トウモロコシ農家へのサービスでスタートした当該事業は、現在トウモロコシ以外の作物でもサービス提供できるよう、試験栽培含めて取り組んでおり、農家や農起業家の支援範囲の拡大を狙っている。
2つ目は農家へのプロテクションの提供。アクサ・インシュアランスと提携し、気候変動の影響を受ける農家の所得を保護する新しい形態の気候マイクロ保険を導入したとのことである。
3つ目はAI。JIVAを農家や農起業家にとってパワフルで効率的な伴走者にするため、AIの力を活用している。農家向けのAIを装備し始めている主な分野は、病害虫管理と作物アドバイザリーである。
4つ目は新しい地域。インドネシア国内での足跡を拡大し続けているJIVAであるが、今後12〜18ヵ月以内に新たな市場への進出を図る予定と聞いている。
さて、親会社Olamから見たJIVAの意義は何か。
Olamはグローバルに事業を展開する農産物の総合商社であり、取り扱う作物の多くはアジアかアフリカで生産されている。従って、大規模農家だけではなく今回取り上げた零細農家が多い地域であり、農作物収穫の安定性、効率性を高めることが、バリューチェーン上流の非常に大きな課題でもある。加えて、農業はサステイナビリティや人権問題への取り組みにおいても、スポットライトが当たる産業であり、Olamでも倫理的、社会的責任、環境的に持続可能な慣行に焦点を当て、世界の農業と食糧システムを再構築することを構想している。
これを達成するために、農業セクターの変革を推進する使命を担っていると彼らは考えている。
このビジョンに沿って、Olamは、零細農家向けの拡張性の高い360度サービス・プラットフォームとしてJIVAをインキュベートした。農業セクターの変革として、零細農家と直接連携し、従来のビジネスでは不可能な方法で、彼らの生活に不可欠なサービスを提供し、農民の生活を改善し、さらには作物収量の拡大と農家との直接取引による経済効果向上を狙っていると考えられる。
社会課題に向き合いながら経済価値を創出する、非財務—財務連携のストーリー、すなわち静脈側からのアプローチによって、Olamが担う農産物商社としての企業価値向上、ひいては農産業そのものの価値向上という動脈に連携していくエコシステムがここにある。
松風 里栄子
株式会社センシングアジア 代表取締役
サッポロホールディングス株式会社 取締役
㈱博報堂、㈱博報堂コンサルティングを経て、2014年㈱センシングアジア創業、代表取締役(現任)。2016年、ポッカサッポロフード&ビバレッジ㈱経営戦略本部長、2018年から2022年までPokka Pte. Ltd.のグループCEOとしてシンガポールに在住。経営再建しつつ60か国のビジネスを統括。2022年日本に帰国し、現職、経営企画/計画とサステイナビリティを担当。2023年1月より、ポッカサッポロフード&ビバレッジ㈱代表取締役副社長、サッポログループ食品㈱代表取締役社長を兼務。ターンアラウンド、M&A、グローバルマーケティング分野で豊富な経験を持つ。「マーケティングホライズン」誌副編集委員長。